小金井アートフル・アクション!

市民がアートと出会い、心豊かな生き方のきっかけをつくる

小金井市芸術文化振興計画推進事業として、小金井市をフィールドに、市民がアートと出会うことで、心豊かな生き方を追求するきっかけをつくることを目的とするプロジェクト。芸術文化によるまちづくりの検討や市民が事業にかかわる場づくりを行う。

実績

小金井市芸術文化振興計画をきっかけとして、2009年度に小金井アートフル・アクション!が始動する。東京アートポイント計画では、2011年度から数々のプログラムを共催した。2012年度からは市内の学校を中心に学校連携事業に取り組んできた。年間2〜3校を対象に、授業づくりの段階から先生たちと議論を重ね、市民スタッフとともに運営した。授業で使う材料をともに考え、道具の使い方を学び、さまざまな技術を試すことから、教科を横断したプログラムづくりがなされた。

2012年度から2016年度にかけて、保育園でのプロジェクトも行われた。壁画制作や音楽、演劇の手法を用いたワークショップを実施。年を重ねるごとに父母会などの保護者を中心とした運営体制に移行していった。2017年度からは70歳以上のメンバーと映像制作を行う「えいちゃんくらぶ(映像メモリーちゃんぽんクラブ)」を開催。「市民」を対象とする事業として、未就学児や高齢者など通常のプログラムでは手の届きにくい層の人たちとのかかわりづくりを意識的に行ってきた。

2015年度からは文化活動家のアサダワタルをゲストディレクターとして「小金井と私 秘かな表現」を3年かけて実施した。最終年には公募で集まった「市民メディエイター」とアサダが、それぞれに小金井の「記憶」をテーマに遠足のコースをつくる「想起の遠足」を行った。2019年度からは、詩人の大崎清夏と振付家/ダンサーの砂連尾理をゲストアーティストに迎え、参加者の市民とともにまちなかでの企画を立案し、実施する「まちはみんなのミュージアム」に取り組んだ。いずれのプログラムも公募した市民が用意されたプログラムの参加者となるだけでなく、アーティストの手法を学びながら、時間をかけて、ともに試行錯誤を重ねて表現まで行うことが特徴である。

オーストラリア在住のアーティスト・呉夏枝(オ・ハジ)とは「越境/pen友プロジェクト」を2019年度に開始した。日本在住の外国にルーツをもつ「おばあさん」とノートを使った文通を重ね、その記憶をたどり、2020年度にはプロジェクトに伴走した参加者とともに「おばあさんのくらし 記憶の水脈をたどる展」を開催した。

複数年の時間をかけて、異なるプログラムが連動しながら進んだ事業の軌跡やかかわった人たちの声は『「やってみる、たちどまる、そしてまたはじめる」小金井アートフル・アクション!2009-2017活動記録』にまとめられている。また、東京アートポイント計画との共催の最終年には、事務局長の宮下美穂の対談や書き下ろしを収録した『氾濫原のautonomy|自己生成するデザイン』を発行。これまでの実践での気づきは、2021年度から始動した「多摩の未来の地勢図」へ引き継がれている。

※ 共催団体は下記の通り変遷

  • 2011年度:小金井アートフル・アクション!実行委員会
  • 2012~2020年度:小金井市、特定非営利活動法人アートフル・アクション

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TERATOTERA

ボランティアが創るアートプロジェクト

古くから多くのアーティストや作家が暮らし、若者の住みたいまちとして不動の人気を誇るJR中央線高円寺駅から国分寺駅区間を舞台にしたプロジェクト。2010年、Art Center Ongoing 代表の小川希を中心に始動。毎年、社会に応答したテーマを掲げ、まちなかで「TERATOTERA祭り」を開催し、現在進行形のアートを発信した。また、ボランティアスタッフ「テラッコ」による企画・運営を通じて、アートプロジェクトの人材育成にも取り組む。

実績

毎年開催した「TERATOTERA祭り」は、ボランティアスタッフ「テラッコ」の実践の場として、 2010年度より吉祥寺駅エリア、 2013年度より三鷹駅エリアで実施し、毎回ドキュメントブックを発行した。事業開始当初よりアートプロジェクトのノウハウを通年で学ぶ連続講座として 「アートプロジェクトの 0123 (オイッチニーサン)」を開講。座学と現場での実践を連動させながら、アートプロジェクトへ参画する人材の裾野を広げている。

2016年度からは、東南アジア諸国で活躍する若手アーティストを招聘し、地域と連携しながら作品制作から発表までを行う 「TERATOSEA (テラトセア)」がスタート。東南アジアからコレクティブのあり方を学び、自分たちのエリアでの実践に取り組んだ。

2018年度にはテラッコの歴代コアメンバー16名によるアート活動を支える組織「Teraccollective (テラッコレクティブ)」 を設立し、「TERATOTERA祭り」のテーマ設定から運営までを主体的に行った。また、武蔵野クリーンセンターや武蔵野プレイスなど、 武蔵野市による施設連携の要望に応えて、アートプログラムを共催するなど、公的な文化事業の担い手となった。

2020年度のTERATOTERA祭りは、「Collective ~共生の次代~」をテーマに、東南アジアと日本から6組のアート・コレク ティブを東京に招聘する予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、オンラインにて開催。この状況下でそれぞれのコレクティブがどのように過ごし、何を考え、どのような 作品を発表するか、その話し合いの様子をYouTubeで公開し、 作品ができるまでのプロセスの情報発信にも力を入れた。

そして、2020年には任意団体であった「Teraccollective」が一般社団法人化。東京アートポイント計画との共催終了後も「アートプロジェクトの 0123」など、TERATOTERAの事業を引き継いで展開している。

※ 共催団体は下記の通り変遷

  • 2009~2012年度:一般社団法人TERATOTERA
  • 2013年度〜:一般社団法人Ongoing

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トッピングイースト

まちを舞台に音や音楽との新しいかかわり方を開発していく

下町観光開発などで日々進化し続ける東東京エリアにおいて、CDを買ったり、ライブやカラオケに行ったりして楽しむだけではない、まちなかでの音楽とのかかわり方を開発する。パブリックな場所での音楽の展開可能性や適正規模を考えるプログラムや、音楽プログラムへの多様な参加手法を探るプログラムを展開した。

実績

アートプロジェクトという手法だからこそ挑戦できる「音」や「音楽」とのかかわり方を模索するため、2014年にスタート。主に3つのプログラムを軸に展開した。

「ほくさい音楽博」は、こどもたちにスティールパンやガムラン、義太夫といった世界中の響きの美しい音楽に触れてもらうプログラム。公募で参加者を募集し、プロフェッショナルな音楽家とともに、年1回の発表会に向けて、練習を重ねていく。発表会では、このお披露目のほか、オーストラリアやアフリカの民族楽器、サンバのカーニバルの楽器と衣装など、世界中の楽器や音楽を体験できる参加型プログラムも実施した。回を重ねるなかで、毎年のように参加するこどもたちや、保護者が主体となってイベントをサポートする仕組み「みまもり隊」が生まれ、音楽を通じてこどもが主役となるオルタナティブなコミュニティへとつながった。

アーティスト・和田永による「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」は、使われなくなった電化製品を用いて新たな楽器を制作し、奏法を編み出し、オーケストラを目指すプログラム。ブラウン管テレビを用いた「ブラウン管ガムラン」、扇風機を用いた「扇風琴」などを開発し、都内外のさまざまなイベントで披露してきた。楽器の開発やシステム改善、パフォーマンス内容の企画などは、アーティストだけではなく、市民チーム「Nicos Orchest-Lab(ニコス・オーケストラボ)」のメンバーであるエンジニアやプレイヤーとともに行っている。「Nicos Orchest-Lab」は、東京アートポイント計画として実施した東京チームだけではなく、茨城や京都、さらにはリンツ(オーストリア)にも市民を中心にチームが発足し、音楽を通じて世界にネットワークが広がっている。

「BLOOMING EAST」は、音楽家が東東京をフィールドに、アーティストが自らの興味関心をもとにリサーチをしていくプログラム。コトリンゴ、コムアイ、寺尾紗穂といった女性音楽家が東東京でさまざまな人々に出会い、「戦災孤児と教会」や「移民」など、土地の歴史や社会問題と向き合ったテーマでリサーチを重ねた。リサーチの試行錯誤をもとに、トークセッションやまちを巡り、リサーチの軌跡を辿るプログラムなども行った。

東京アートポイント計画との共催終了後も、本事業の実績をいかし、地域や社会状況に応答したプログラムを行なっている。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の文化プログラムとして実施された「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」の一環として、アートプロジェクト「隅田川怒涛」を開催。コロナ禍により、当初想定していた墨田川流域を舞台にした形態から、オンライン開催への変更を余儀なくされたものの、地域にゆかりのある音楽家やアーティストが数多く参加。共催期間に行ったプロジェクトを発展させたプログラムをはじめ、ライブ配信やオンラインワークショップ、展示インスタレーションなどを行った。また、「隅田川怒涛」を行うなかでメンバーが感じた気づきや問いについて、アーティストやライター、行政職員などさまざな人と対話した記録『隅田川自治β ダイヤローグ』をウェブサイトにて公開した。

2021年からは、地域のこどもたちが家や学校以外でも安心して過ごすための居場所づくり事業をスタート。ワークショップやフードパントリーを通じて、こどもを支える地域の人々や音楽・文化芸術とのつながりを生み出すことに引き続き取り組んでいる。

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東京ステイ

東京の日常と、旅人のように出会い直す

劇作家・石神夏希を中心に「東京らしさ」を持つ場の多様性と個性を見出し発信することで、 東京の文化的価値を見つめ直すことに取り組むプロジェクト。 価値発見の手法として「ステイ」(旅人と住人の中間の視点を持つ滞在体験) を用い、のアプローチの有効性を探る。東京のまちを、目的に向かって最短距離で歩くのではなく、まちと個人の間に物語を立ち上げる「ピルグリム(日常の巡礼)」という歩き方を開発し、試行を重ねている。

実績

2016年度、東京アートポイント計画がパートナー公募をはじめて最初の採択事業としてスタート。劇作家、デザイナー、建築家、まちづくりの専門家などが参画し、フィールドワークやレクチャー、ディスカッション、体験イベントなどを行い、まちと出会うための手法の開発を目指した。コンセプトは、まちと個人の間に物語を立ち上げる歩き方「ピルグリム(日常の巡礼)」。東京で生きる人々が、東京の日常と、旅人のように出会い直すための手法を紹介し、体験を深めるブックレット『日常の巡礼~まちと出会い直す10のステップ』『巡礼ノート 日常を歩きなおす人のために』を発行した。これらは、企業研修で、思考を拡げるためのツールとしても活用された。

こうした「東京というまちと向き合う」という問いは、2018〜2019年度に石神夏希がナビゲーターを務めた東京プロジェクトスタディ「『東京でつくる』ということ」へと展開。エッセイを書くことで自身と場所の物語を発掘し、参加者がアートプロジェクトを立ち上げる起点となった。

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Betweens Passport Initiative

異なる文化をつなぐ「移民」の若者たちとともに

「移民」の若者たちを異なる文化をつなぐ人材と捉え、アートプロジェクトを通じた若者たちのエンパワメントを目指す。定時制高校と連携し、部活動として「移民」の若者たちの居場所づくりや、学外でのアーティストとのリサーチやワークショップの実施。その運営を若者「ユース(Youth)」メンバーがともに担うことを通して、人材育成とコミュニティづくりを行う。

実績

Betweens Passport Initiativeでは、「移民」の16歳から26歳の若者たちを対象としている。ここでの「移民」とは、多様な国籍・文化を内包し生活する外国人のことを指す。日本での社会生活において「できない」ことが指摘されることの多いかれらに、自らが「できる」ことを見つけるための機会をつくることを目指した。

2016年度から、都立の定時制高校と連携し、多言語交流部「One World」の活動を通して「移民」の若者たちの居場所づくりを行ってきた。高校中退率や、卒業後の進路の未決定率の高さに垣間見える、高校生の「孤立」という課題に対して、学外のメンバーがかかわり、学び合いの場をつくることで、学内でのコミュニティづくりを試みた。運営は高校とNPO、大学の3者が手を組み、アーティストなどの外部講師によるワークショップや大学の留学生との交流など多様なプログラムを展開した。その3年間の活動での気づきや、問題背景、具体的なプログラムの内容は『Stories Behind Building Community for Youth Empowerment 高校・大学・NPO の連携による多文化な若者たちの居場所づくり:都立定時制高校・多言語交流部の取り組みから』にまとめられた。

学外でのコミュニティづくりとして、港区にあるSHIBAURA HOUSEを拠点に「移民」の若者たちを軸としたインターンプログラムも実施している。Betweens Passport Initiativeのプログラム運営をともに行うだけでなく、インターンからの提案を受け、大学教員など外部協力者とともに、自分たちの進路や強みを考えるリサーチやワークショップなどを行った。

2018年度に開催した外部の専門家などを招いた議論の場である「Sharing Session」では「移民」の若者たちのリーダーシップを育む環境づくりがテーマ。国内での「移民」が抱える課題に向き合い、その当事者である若者たちをエンパワメントすることを目的にはじまった本事業は、「移民」の若者たちがリーダーシップを発揮できる未来の社会像を思い描くことで共催期間を終えることとなった。

東京アートポイント計画との共催終了後には、一般社団法人kuriyaの代表・海老原周子の10年にわたる活動や日本の「移民」を巡る状況をまとめた書籍『外国ルーツの若者と歩いた10年』を発行した。本書には、海老原が想像した2030年の多文化共生社会の姿も収録している。

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リライトプロジェクト

アクションを通じて、社会におけるアートの役割を問い続ける

3.11に対する思いや記憶が移り変わるなか、人々に問いと気づきを生み出すシンボルとして、2011年3月13日に消灯した宮島達男のパブリックアート作品《Counter Void》(東京・ 六本木)を再点灯させると同時に、未来の生き方や人間のあり方を考えるプラットフォームをつくり出すプロジェクト。作者である宮島達男の手によって消灯されたこの作品を、3.11の記憶をとどめ、社会に問いかけ続けるための装置と位置づけ、3月11日から13日の3日間だけ再び光を灯す「Relight Days」など、さまざまなプログラムを展開する。

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汐入タワープログラム

東京を見つめる物見台でアーティストと交流する

アートプロジェクト「川俣正・東京インプログレス―隅田川からの眺め」の一環として都立汐入公園に制作された物見台「汐入タワー」。プロジェクトの終了後も、荒川区の要望により設置を延長することとなったタワーを舞台に、地域の人を交えたワークショップやパフォーマンスを実施。解体の際にはクロージングイベント 「さよなら汐入タワー いままでありが塔」を行い、タワーの記憶を共有した。

東京スープとブランケット紀行

生活圏に起こるものごとの「終焉」と「起源」を見つめる

演出家・劇作家の羊屋白玉を中心に、来たるべき人口減少社会と向き合い、生活圏に起こるものごとの「看取り」 を追究するプロジェクト。2014年から毎月、羊屋の愛猫の月命日に、江古田のまちで買い集めた食材でスープをつくり、それを参加者みんなで食べることが活動の軸。まちの移ろいを確かめ、市場や商店が閉まったり、廃屋が解体されたりするなど、新しく立ち上がる風景を見つめる。

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「ビビらなくなってきた。何年かかってもいい」。注目の音楽家とゆっくり、ひっそり進めるリサーチ型プログラム——清宮陵一「トッピングイースト」インタビュー〈後篇〉

今回お話を伺ったのは、2014年から墨田区を中心に東東京エリアで活動を始めた、「NPO法人トッピングイースト」の清宮陵一さん。トッピングイーストの取り組みは、不況が叫ばれて久しい音楽ビジネスの外側で、音楽や音楽家の新しい生きる道、そして人々の集う豊かな場を拓きつつあります。

とはいえ、もともと音楽ビジネスの世界で活躍してきて、現在もNPO法人の運営と同時に音楽専門の会社を経営している清宮さん。求められるものがまるで異なるアートプロジェクトの現場では、たくさんの悩みや疑問にぶつかってきたと言います。そんな彼が、これまでの活動を通して考えてきたこと、掴んできたものとは何なのか。東京アートポイント計画・ディレクターの森司と訊いていきます。

〈前篇〉「利き手」を封じたときに見えるもの。これからの音楽のあり方を問いかけるプロジェクト——清宮陵一「トッピングイースト」インタビューを読む

音楽の懐の深さで遊ぶ

——地域の保護者が運営に関わることで、変わりつつある「ほくさい音楽博」。いっぽうで、参加するこどもにとって、このプログラムはどんな場所になっているのでしょうか?

清宮:もちろん、簡単に人がガラリと変わるわけではないのですが、「学校であまり喋らない子がよく話すようになった」、「学校には通えなかったけど、ここには馴染めた」など、ポジティブな反応をいただくことも多いです。これは、もともと発声をしたり、響きを聴いたりすることが人にとって前向きな体験であることもあるけれど、講師役の音楽家の力が大きいと思います。常識を超えた人ばかりですから(笑)。

:音楽家というのは、教えることのできる技術を持っている人ですよね。その技術をこどもとのあいだに置くことができるから、場をどんどん自由にしていっても、こどもに向き合えるわけです。

清宮:音楽を信じている人たちなので、こどもにもそれが伝わるのかなと思います。こどもには、学校でも家庭でも塾でもない居場所はなかなかありませんよね。このプログラムがそうした居場所の役割を果たせているとしたら、その役割は重要だなと感じます。

——ただ、プログラムの概要だけを聞くと、一般の音楽教室との違いも気になります。その違いについてはどのように考えていますか?

清宮:正直、参加者にとっては同じでも構わないと思うんです。でも、ここでの講師は、講師ではなくてやはり一人の「音楽家」なんですよ。たとえば、スティールパンの発表会では毎年同じ曲を演奏するのですが、教えてくれる原田芳宏さんは譜面を個人に合わせてどんどん変えるんです。そうすると曲は同じだけど、全体のアンサンブルは変化し続ける。さらに驚いたのは、今年の発表会に向けて練習が残り2回ほどになったとき、原田さんがとつぜん新曲を書いてきたことです。本番は本当に素晴らしくて、僕は泣いちゃったんですけど(笑)。その過程を原田さん自身も楽しんでいるんです。

「ほくさい音楽博」スティールパン演奏の様子。世界で活躍する音楽家とこどもが共に時間を過ごし、楽曲をしあげていく。

——ひとつの型に向けた鍛錬ではなくて、音楽の懐の深さで遊んでいるような感じなんですね。

清宮:ガムランも面白くて、マンツーマンではなく、全体の流れで教えるんです。全体はずっとループしていて、一人の子がズレても止めない。でも、それぞれズレたり追いついたりするから、全体としてはアンサンブルしているように聴こえる。こどもにとってその大らかな演奏の体験は、音楽だけではなくていろんなことにつながると思うんですね。おそらく、多くの参加者は成長するにつれてプログラムから離れていくのですが、その感覚はどこかに残り続けるし、ふと思い出すものではないかと思っています。

:いっぽうで、今年の発表会を見て、義太夫の演目の成長ぶりに驚きました。

清宮:義太夫は初期は参加者が0人で、僕の息子たちに頼んで出てもらう状態でした(笑)。それが徐々に人が集まり、去年からは祝い事の最初にやる「三番叟(さんばそう)」という演目を始めたんです。これは低い声と高い声を行き来するもので、すごく難しい。でも、次の発表会ではお囃子もこどもたちがやることになっていて、継続して参加する子も多いと思います。義太夫の発表会は、イベントのオープニングということもあって、熱気がすごいですね。

「ほくさい音楽博」義太夫発表の様子。毎回、たくさんの観客が駆けつける人気プログラム。

ゆっくり、ひっそり進めるリサーチ型プログラム

——まちの人が音と関わる「ほくさい」に対し、音楽家が東東京のまちへと入り込むリサーチ型のプログラムが「BLOOMING EAST」です。コトリンゴさん、寺尾紗穂さん、コムアイさん(水曜日のカンパネラ)などが参加していますが、音楽家にはまずどんな依頼をされるのでしょうか?

清宮:「東東京で音楽の新しい風景をつくりたい」という思いは伝えますが、具体的に何をしてほしいとは言いません。むしろ「一緒に何かを見つけませんか?」と。そもそも音楽家には、この地域に来る理由がないんです。ホールでライブをした方が仕事になるし、こんな場所になぜ行くのかと多くの人なら思うはず。だから、まずは丁寧にまちを一緒に巡って、ここに来る理由を見つけていく。すでにあるものをまちに持ち込むのではなく、音楽家とまちのチューニングの時間を大切にしています。

——寺尾さんとコムアイさんのリサーチの様子は、レポート記事で読ませていただきました。寺尾さんは「戦災孤児」、コムアイさんは「移民」というテーマを見つけたようですが、基本は本当にまち歩きですよね。最終的なアウトプットは、音楽をつくることくらいしか決まっていないのですか?

清宮:いや、「音楽をつくること」すらも決まっていないんです。現在もただ、いろんな場所や人に会いに行く時間をゆっくりと過ごしている。本当にそれ以上のことは何もないんです。

:もともと、「音楽家によるリサーチの仕方をリサーチする」プログラム、ですからね。

清宮:だけど、はじめは手探りでした。2015年のプログラムの初年度、僕は「リサーチ」というものが何なのかよく分からなかったんです。それで、まちを回ったあと、年度の最後に何かにまとめなくてはと思って、サッと「利き手」を出して(笑)イベントとしてまとめてしまった。

:もちろん、僕は文句を言いました(笑)。

清宮:このとき、着地点をイベントにしたことに自分でも違和感がありました。イベントの日付に向けてリサーチすることに、つじつまの合わなさを感じたんです。そこで、コトリンゴさんとの2年目は利き手を封じて、より丁寧にまちに触れました。さらに、いま寺尾さんやコムアイさんとは、音楽ということもカッコに入れて、本当に着地点が分からない状態まで戻ってみようとしています。

:リサーチの宙ぶらりんの時間に耐えられるようになった、ということですよね。一周回って、このプログラムはようやくいま当初のスタート地点につき始めている。

——しかし、その状態は不安ではないですか?
 
清宮:それが、ビビらなくなってきたんです(笑)。何年かかってもいいや、と。ただ、それはどんな音楽家でも理解してくれるものではない。彼女たちだからこそ、できるんです。

:具体的なゴールも道筋も決まっていないそのリサーチの時間は、言い換えれば「ただ普通に生きている時間」とも言えます。だけど、そうした方法論化されていない曖昧な時間があることで、このプログラムは人が簡単に消費したり、奪ったりできないものになる。

清宮:「とにかく多くの人に参加してもらおう」という考えは、「BLOOMING EAST」にはまったくないんです。音楽家の感性が、この地域で何を見つけるのか。最小限の人数でひっそりと向き合っていきたい。僕はこの活動を始めたとき、アートプロジェクトは参加型で、人を集めて、巻き込んでいかないといけないと思っていました。だけど、そうじゃなくていいんだと、ようやく思えるようになったんです。

「BLOOMING EAST」リサーチ風景。音楽家・コムアイ(水曜日のカンパネラ)さんが、「移民」をテーマにリサーチをするなかで葛飾区の「リトルエチオピアレストラン」を訪れたときの様子。詳しいレポートは「CINRA」に掲載。

具体的な「この人」と描くプロジェクトのこれから

——プロジェクトの今後も含めて、いまどのようなことを考えられているのか、最後に聞かせてください。

清宮:トッピングイーストは、今年度で東京アートポイント計画との共催を終了予定です。アートポイントからの卒業は大きな変化ですが、それで何かができなくなった、とは言いたくない。活動の形態は変わっていくでしょうが、いまは「次に行くだけだ」という気持ちですね。僕はこのプロジェクトの今後を考えると、最近、とても楽しいんです。今度の「ほくさい」の発表会は来年の2月に行われますが、その打ち上げのことを想像すると、いまからワクワクします(笑)。

——そう感じられるようになったのはなぜですか?

清宮:ビジネスの世界では音楽はお金という資産を生む道具という側面があります。でも、この活動は本当に関わる人が資産なんだと思うんです。「ほくさい」で声をかける保護者の方も、仕組みとして必要な「人手」ではなくて、顔の見える具体的な「この人」。それは「ニコス」も同じで、東京と日立と京都の三箇所にある拠点では、それぞれに「おかみさん」という中心人物が二人ずついるのですが、その人たちにこそ頼みたかった。そうした人との関係があるから、今後についてもただ楽観的な「何とかなる」ではなくて、楽しめるのかなと思っています。

——会社を辞めて、はじめは一人で何も見えないフィールドに立っていたけれど、いまではあちらにもこちらにも信頼できる人たちの顔が見えるようになったと。

清宮:時間をかけてその状況ができたこと自体が、これまでの活動の最大の価値だと思いますね。

:これからが楽しみと言えるのは、共催を終えるにはとてもいいタイミングですよね。しんどい時間が続いたなかで、5年でよくそこまで来たなと思います。もうひとつ、今後もビジネスの世界からこうした現場に来る人はいる。そのとき清宮さんは、おそらく同じ悩みにぶつかるその人たちの良い話し相手になれると思うんです。ちょっと前の自分を見ているような気持ちになるだろうから。

——ビジネスの気持ちも、NPOの気持ちも分かるわけですからね。利き手も別の手も使える。

:現在のビジネスの世界は、とくに2020年の東京オリンピックに向けて、とにかく「利き手を使え!」という状況ですよね。「逆の手を開発しよう」なんて言える状況ではない。でも、分類しがたいものからしか新しいものは生まれないし、2020年以降は、利き手ではない手でしか感じられない微細なものがかならず重要になると思います。そのとき、清宮さんのような存在は面白いですよ。

清宮:これからも大きな仕組みではなくて、人の気持ちが動く現場をつくりたいし、見続けていきたい。そして、その小さなものがいずれ、仕組みの変化につながればいいと思っていて。音楽や音って、ビジネスにもなりますけど、もともと、それがあることで周りに人が集まれるようなものでもありますよね。僕自身、喋るのは得意ではなくて、音楽があるからこそ人と関係を築けてきた。そうした価値化が難しい力が音楽にはあるし、僕はその力に絶対的な信頼があるんです。インディペンデントな立場で、それを今後も探っていきたいですね。

Profile

清宮陵一(きよみや・りょういち)

VINYLSOYUZ LLC 代表/NPO法人トッピングイースト 理事長
1974年東東京生まれ。2001年音楽レーベル「vinylsoyuz」を立ち上げ、2006年に即興バトル・ドキュメンタリー『BOYCOTT RHYTHM MACHINE II VERSUS』をリリース。ライブヴァージョンとして国立科学博物館、後楽園ホールにて公演を実施。2016年にはNYスタインウェイ工場にて「スガダイロー vs JASON MORAN」を実現、日本人音楽家が海外に挑むプロジェクトとして五大陸制覇を計画中。
坂本龍一氏のレーベル「commmons」に参画後、音楽プロダクション「VINYLSOYUZ LLC」を設立し、現在は、青柳拓次(LITTLE CREATURES)、和田永、蓮沼執太、相対性理論といった音楽家らと協業する傍ら、特別なヴェニューや公共空間でのパフォーマンスを多数プロデュース。
2014年に始めたNPO法人トッピングイーストでは、東東京をベースに音楽がまちなかで出来ることを拡張すべく「ほくさい音楽博」「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」「BLOOMING EAST」を展開している。

トッピングイースト

http://www.toppingeast.com/about/

「利き手」を封じたときに見えるもの。これからの音楽のあり方を問いかけるプロジェクト——清宮陵一「トッピングイースト」インタビュー〈前篇〉

アートプロジェクトを運営する人たちへの取材を通して、その言葉に、これからのアートと社会を考えるためのヒントを探るインタビュー・シリーズ。今回お話を伺ったのは、2014年から墨田区を中心に東東京エリアで活動を始めた、「NPO法人トッピングイースト」の清宮陵一さんです。

トッピングイーストの取り組みの柱は、音と人とまちの新しい関係性を探ること。近隣のこどもたちと世界の響きの美しい楽器の演奏を楽しんだり、電化製品を改造した楽器によるオーケストラをつくったり、人気の音楽家とまちに深く入り込むリサーチをしたり。その活動は、不況が叫ばれて久しい音楽ビジネスの外側で、音楽や音楽家が新しく生きる道、そして人々の集う豊かな場を拓きつつあります。

とはいえ、もともと音楽ビジネスの世界で活躍してきて、現在もNPO法人の運営と同時に音楽専門の会社を経営している清宮さん。求められるものがまるで異なるアートプロジェクトの現場では、たくさんの悩みや疑問にぶつかってきたと言います。そんな彼が、これまでの活動を通して考えてきたこと、掴んできたものとは何なのか。東京アートポイント計画・ディレクターの森司と訊いていきます。

何も見えないフィールドに立つ

——トッピングイーストの活動は2014年に始まりましたが、清宮さんは以前、大手レコード会社に勤めていたそうですね。まちを舞台にしたアートプロジェクトの世界へと足を踏み入れたのは、どのような経緯からだったのですか?

清宮:よく言われることですが、音楽産業っていま、調子が良くないんですね。CDを売って、ライブツアーをして、という従来の仕組みが回らなくなって、出口が見えない状態が続いています。僕が働いていたのは坂本龍一さんが手がけている「commmons」というレーベルで、所属する音楽家はみんな真剣に音楽に取り組んでいる方たちでした。でも、産業全体が、本気で音楽をしている人が生きていけない悪循環に陥っている。そうしたなかで、自分にとっても音楽家にとっても、ほかの抜け道を見つけないといけないのではないか、と感じたんです。

——退社後は、どんな活動をされたんでしょうか?

清宮:とりあえず、墨田区の家の近所にあった鞄屋の倉庫で投げ銭コンサートをやりました。スティールパン奏者の原田芳宏さんたちを呼んで、近所の人に音を楽しんでもらった。内容は違いますが、これはその後プログラムになった「ほくさい音楽博」の第1回です。2010年の夏ですね。とても幸せな雰囲気だったのですが、これまでの仕事との手応えの違いに戸惑ってもいたんです。僕は「音と人とまちが交わる」なんてことをボンヤリ考えていました。だけど、現実にまちに出てみたら、「売り場」は見えないし、何をもって成功なのかも分からない。さて、どうしようと(笑)。

——焦りますね(笑)。

清宮:何もないフィールドに立っている感じでしたね。そんなとき、以前知り合った東京藝術大学の熊倉純子先生から、「新しく『アートアクセスあだち 音まち千住の縁(以下、千住)』というプロジェクトが始まるんだけど、いいスタッフはいない?」と聞かれたんです。そこで、2011年の秋に、足立智美さんや野村誠さんなどが出演するキックオフイベントを見に行ったのですが、これがいろんな意味で自分の常識を逸脱したものだった。本番とは思えないほどユルかったり(笑)、とても実験的だったり。未知のものに触れたショックを受けて、すぐ熊倉先生に「僕にやらせてください」と伝えたんです。

——そこで初めてアートプロジェクトに関わったわけですね。現場にはすぐ慣れましたか?

清宮:いや、そこからさらにモヤモヤが増えていきました……(笑)。

——モヤモヤ?

:さっき「売り場」という話もありましたが、清宮さんはもともとペイドワークとしての音楽のプロなんです。ポップなイベントは簡単につくれてしまう。でも、アートプロジェクトはアンペイドワークですよね。清宮さんは、この「ペイド」と「アンペイド」の狭間で悩み続けてきた人なんです。

——というと?

:清宮さんにとって音楽を使ったビジネスは、自身が慣れている手法で展開する、いわば「利き手」を使うような活動でしょう。アートプロジェクトの世界は、それとは逆の手の使い方を知りたくて入った場所だった。だけど、逆の手を使わないといけない現場でも、強すぎる利き手がさっと出て来て、悪さをするんです(笑)。

——現場をまとめすぎてしまうということですか?

:そう。気づくと、きちんとまとまったイベントにしてしまう。だから、アートプロジェクトをやるには一番不幸な人とも言える(笑)。力を出せば出すほど、現場で求めるものと違うと言われるわけだから。

清宮:森さんからはよく「利き手を使うな!」と言われましたね。僕は千住で「参加型」という言葉を聞いて、「それって何だ?」と思ったんです。参加の意義はお金のような基準で測れないし、そもそも参加してもらうとはどういうことなんだと。でも、その分からなさに徐々に引き込まれていったんです。

「利き手は使うな!」

——そこからトッピングイーストの開始までは、どんなことを考えていたのでしょうか?

清宮:いままで、ビジネスとそうではないものの二項で話してきましたが、もちろん、その中間にはいろんなグラデーションがあります。僕はその中間で、もっといろんな「参加」のあり方、人と音の関わり方があるのではないかと感じていました。たとえば千住では、力のある著名な音楽家が参加の仕組みをつくっていましたが、影響力があるだけに、参加者の顔ぶれはどうしても毎回似てしまう。これに対して、自分でも新しい仕組みを探すべきだと思いました。

——既存のプログラムに乗っかるだけじゃなくて、と。

清宮:また、千住は自分の地元ではなかったので、まちの人と真剣に喧嘩できないことにもモヤモヤしていました。人々が深く参加すれば、様々な問題が出てくる。そこで何かを言うためには、自分も同じ住民という立場であることが重要です。これも、千住を離れていまの活動を始めた動機になっていますね。

——そうして始まったトッピングイーストでは、初年度から現在も続く3つのプログラムがスタートします。このなかで和田永さんの「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」(「ニコス」)は、第68回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞するなど、もっとも注目を浴びたプログラムです。

清宮:ニコスは、次の世代による新しい参加の仕組みをつくりたいという思いから始めたものです。そこで和田くんという若い音楽家に依頼して、古い電化製品を楽器に改造し、みんなで演奏するオーケストラをつくるというプログラムが生まれました。

:これは、いわば清宮さんの「利き手」が一番生かされているプログラムですよね。ニコスの成功はもともとの清宮さんの仕事を考えれば、決して意外性のあることではないんです。

和田永「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」。古い電化製品を楽器に改造し、演奏する「ニコスラボ」は、茨城県や京都府など全国各地に拡がっている。(撮影:山本マオ)

——いっぽうで「ほくさい音楽博」は、小学生がスティールパンや義太夫、ガムランなどの演奏を学んで発表会を行うプログラム。「BLOOMING EAST」は、音楽家が東東京のまちをリサーチするプログラムです。じつにバラバラですが、こうした内容を考えていくうえではどのようなやりとりがあったのですか?

:清宮さんには、「非営利のアートプロジェクトでしかできないことをやらないと、ビジネスの外に出た意味がないよね」という問いかけをずっとしていましたね。つまり、「利き手は使うな!」というオーダーしかしていない。

清宮:そう、森さんは、利き手は封じるけど、逆の手の使い方は教えてくれないから難しいんです(笑)。でも、その要求が良い意味ですごく頑なだったんですよ。だから、真剣に悩み続けられた。

——森さんのなかで、トッピングイーストのテーマのようなものはあったのでしょうか?

:いや、東京アートポイント計画として設定するテーマは特にありませんでした。でも、清宮さんには、いわゆる音楽産業とは別の方法論をアートプロジェクトで学びながらも、それをビジネスにも活かしたいという野望があった。そこが面白いと感じた部分です。利き手以外が使えるようなったら、利き手が探り当てる領域も変わるんじゃないか。ここには個人に還元されない、広く社会的に「音」や「音楽」を変える可能性があると思いました。

——清宮さん個人が変われば、公的な音のあり方も変わるかもしれないと。

清宮:トッピングイーストには、関わってくれる音楽家だけではなくて、すべての音楽家が活躍できる場を広げたいという思いがあります。音楽の世界は産業構造がしっかりあるだけに、美術や演劇に比べて「新しい場所を見つけること」に意識的な人が少ない。その場所を、産業の外に出てきちんと探したかったんです。じゃあ、人が関わることで生まれる「価値」とは何なのか? それを言語化するのはまだ難しいのですが、5年間の活動を通してその輪郭は少し見えてきたように思います。

音楽家による東東京リサーチプログラム「BLOOMING EAST」。写真は、音楽家・寺尾紗穂さんと東東京の戦災についてリサーチするため、東京都慰霊堂に伺っている様子。リサーチのレポートは「CINRA」でも掲載。「BLOOMING EAST」では、他にもコトリンゴさん、コムアイ(水曜日のカンパネラ)さんなどをリサーチャーに迎えて実施している。

みんなモヤモヤを抱えているのが見えてきた

——プログラムのなかでも、最近とくに変化があるのが「ほくさい音楽博(「ほくさい」)」だそうですね。

清宮:ひとことで言うと、場のあり方が変わってきたんです。たとえば、今年度からNPOのメンバーに加えて、参加するこどもの保護者の方と運営を一緒に進めるようになりました。いまは、NPOの4人と保護者の4人で運営しています。

——保護者の運営への関わり方とは?

清宮:演奏を教えてくれる音楽家選びから予算集めまで、すべてですね。「ほくさい」では毎年9月にこどもを募集して、翌年2月に発表会を開くのですが、準備期間も含めてあらゆる物事を合議で決めています。というのも、僕らNPOの事務局側が決めてから振るのでは、どうしても頼まれごとをこなす気持ちになるし、僕らも振り分ける側になってしまう。その関係性を突破したかったんです。

——地域の人自身が回すものになりつつあるんですね。

清宮:じつは保護者の方に委ねるというのも、森さんとのやりとりから出てきたものでした。

:仕事を人に預けてみると、言語化していない考えがふと出てくることもある。だから「振ってみたら?」と提案しました。とはいえ、「ほくさい」の場の変化は、人為的に育てた部分もあるけど、企画が化けたことが大きいと思うんです。

「ほくさい音楽博」は、世界に名を轟かせた葛飾北斎への尊敬の念を込めて、北斎の生誕地でもある墨田区周辺地域のこどもたちに、世界中の響きの美しい楽器に触れてもらい、その歴史を学び、練習を重ね、発表会を行っていく音楽プログラム。

——「化けた」?

:企画は有機体なので、筋目がないといくら頑張っても展開しません。その点、ここには参加者も、運営の具体的な手順もある。それに、何よりこの取り組みが、参加者に訴求する力を持ち始めたということですよね。こうした要素が集まった結果、運営の手が回らなくなると、周囲の関わっている人たちが自然と応援に行きたくなるような企画にいつのまにか化けていた。その意味で「ほくさい」はいま、とても面白い状態なんです。

清宮:親御さんと話していると、少なくない人が「何かをやりたい」と思っているんだなと感じるんです。地域のため、こどものためとベクトルはさまざまなのですが、みんなモヤモヤを抱えているのが見えてくる。

——地域の人にも動機があるんですね。そのなかでも運営に誘うのは、どんな方なのですか?

清宮:僕もこどもがいますが、親なら誰でも自分のこどもの演奏を見るのは楽しいんです。だけど参加者の保護者のなかには、「ほかのこどもの面倒を見てもいいよ」という人がけっこういる。そうした部分があるかどうかは、大きいですね。「この人は何か違うものを見ているな」と。短期間では分からないけど、長く時間をかけると見えてくるその信頼が、運営を一緒にするうえで重要な安心感になっています。

〈後篇〉「ビビらなくなってきた。何年かかってもいい」。注目の音楽家とゆっくり、ひっそり進めるリサーチ型プログラムを読む

Profile

清宮陵一(きよみや・りょういち)

VINYLSOYUZ LLC 代表/NPO法人トッピングイースト 理事長
1974年東東京生まれ。2001年音楽レーベル「vinylsoyuz」を立ち上げ、2006年に即興バトル・ドキュメンタリー『BOYCOTT RHYTHM MACHINE II VERSUS』をリリース。ライブヴァージョンとして国立科学博物館、後楽園ホールにて公演を実施。2016年にはNYスタインウェイ工場にて「スガダイロー vs JASON MORAN」を実現、日本人音楽家が海外に挑むプロジェクトとして五大陸制覇を計画中。
坂本龍一氏のレーベル「commmons」に参画後、音楽プロダクション「VINYLSOYUZ LLC」を設立し、現在は、青柳拓次(LITTLE CREATURES)、和田永、蓮沼執太、相対性理論といった音楽家らと協業する傍ら、特別なヴェニューや公共空間でのパフォーマンスを多数プロデュース。
2014年に始めたNPO法人トッピングイーストでは、東東京をベースに音楽がまちなかで出来ることを拡張すべく「ほくさい音楽博」「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」「BLOOMING EAST」を展開している。

トッピングイースト

http://www.toppingeast.com/about/