東京ステイ 日常の巡礼~まちと出会い直す10のステップ

「東京らしさ」を持つ場の多様性と個性を見出し発信することで、東京の文化的価値を見つめ直すことに取り組むプロジェクト『東京ステイ』。東京のまちを明確な目的を掲げて歩くのではなく、まちと個人の間に物語を立ち上げる歩き方「ピルグリム(巡礼)」の実験を通して考えてきたこと、その経験や言葉をまとめました。

もくじ

日常を巡礼する
十牛図とは
「了解力と巻き込まれ力」石神夏希
NPO場所と物語
『東京ステイ』 と 「ピルグリム (巡礼) 」

あとは命名を待つだけ。都市を減速させる試み —羊屋白玉「東京スープとブランケット紀行」インタビュー〈後篇〉

「東京アートポイント計画」に参加する多くのアートプロジェクトは、いったいどのような問題意識のもと、どんな活動を行ってきたのでしょうか。この「プロジェクトインタビュー」シリーズでは、それぞれの取り組みを率いてきた表現者やNPOへの取材を通して、当事者の思いやこれからのアートプロジェクトのためのヒントに迫ります。
 
第1回目に取り上げるのは、演出家・劇作家の羊屋白玉さんを中心に2014年より活動を始めた「東京スープとブランケット紀行」です。毎月一回、彼女が22年間一緒に暮らした猫(2012年5月17日他界)の月命日に、江古田の街で買い集めた食材でスープを作り、それを参加者みんなで食べることを軸にしたこのプロジェクトでは、そのささやかな行為の積み重ねを通して、成熟都市の抱える「看取り」の問題に取り組んできました。

2017年、参加型プログラム「R.I.P. TOKYO」の開催を機に、ひとつの節目を迎えた「東京スープとブランケット紀行」。4年間の活動のなかで探られてきた、本当に創造的なアートプロジェクトのあり方とは何なのか? 羊屋さんと、伴走者である東京アートポイント計画ディレクター・森司に話を訊きました。江古田周辺をめぐった写真とともにお届けします。

〈前篇〉「縮小社会に向き合う、“看取り”のアートプロジェクト —羊屋白玉「東京スープとブランケット紀行」インタビュー」

(取材・執筆:杉原環樹)

命名できない時間を持つ

——関係者が集まってスープを飲み続けた「江古田スープ」。そこで自然な疑問として湧くのは、「それはアートプロジェクトなのか?」ということだと思うのですが。

:従来の意味では、そうではないかもしれません。しかし、アートプロジェクトかもしれない。もちろん、そうした疑問が出ることは当然だと思います。

羊屋:「従来」という部分ですよね。私はそれは慣れっこで、人生の半分くらいは自分の作品を演劇ではないと言われてきた。劇場で行われるものが演劇であるという観念があるから。

:そうした経験をされてきたからこそ、羊屋さんに頼んだんですよ。

羊屋:でも、じゃあ、それを演劇だと呼ぶ人がいたら嬉しいかというと、わからない。アートプロジェクトだと言われたら安心するかというと、そうではないと思うんです。

:アートプロジェクトとしてはみ出し続けていたから、やっていたんですよ。そのあり方の曖昧さに堪えが効かなくなると、こうした取り組みはすぐにわかりやすい型に回収されるんです。しかし、そうならずに三年間、やり続けられた事実がとても重要で。それをアートプロジェクトと呼ぶか、月命日の集いと呼ぶかは、どちらでもいい。ラベリングによって回収されることが、一番怖かったんです。

ラベリングのないものを売るガラクタやネバーランドにて。店主の安藤仁美さんを「対談紀行 2016紫陽花篇」にお招きした。(写真提供:東京スープとブランケット紀行/撮影:中澤佑介)

——型にはまることによる安心は、危険でもあると。

羊屋:「江古田スープ」は猫の死の再現でもあると言いましたが、一度だけでは満足することできずに、やり続けることになった。でも、それは世の中にある儀式もそうだと思うんですね。長い積み重ねで儀式ができてくる。だから、物事の生まれ方としてはまるで新しくはないんだけど、アートプロジェクトの側から見るとはみ出しているんだなと思います。

:日比野克彦さんの「明後日朝顔プロジェクト」という取り組みがありますよね。

——地域住民と朝顔を育て、その種を別の場所に広げていくプロジェクトですね。

:あれも当初は、ただ芸術祭の観客をもてなすために始まったものです。僕が水戸芸術館の学芸員として開催したときも、「朝顔を育てることがアートなのか」という疑問の声があった。でも、いまやあの取り組みは押しも押されぬプロジェクトになっていますよね。認知には儀式が必要で、「明後日朝顔」は金沢21世紀美術館で一度、破天荒な規模で開催され、同館に収蔵された。その瞬間、何を持ってあれをアートじゃないと言えるのか?という世界に一瞬で変わります。制度があれば、ある行為をアートにすることはできる。むしろ難しいのは、その手前で命名できない時間を持つことなんです。

羊屋:簡単には命名させないぞと、引っ張ってきたんですけど、同時に、名前が付いたときには「そういうことか」と驚くものがあるといいと思っていて。大人が普段、自分では意識できていない現実を子供に指摘されてドキッとすることがありますよね。たとえば、子供が「大人になったら好きなことできるの?」と聞くと、お母さんが「そうよ」と答える。そしたら子供が、「じゃあお母さんは好きなことしてるの?」と聞いてお母さんは絶句した、という実話があって。言葉が与えられてドキっとする瞬間。そうしたところに降りてくるまで、このプロジェクトも待っていたんだと思います。

江古田の街に現れる、加藤材木店による、新年恒例、干支の動物を描いた、巨大パブリックアート(写真提供:東京スープとブランケット紀行)

みんなで看取る

——その待っていた瞬間の訪れが、2017年の「R.I.P. TOKYO」につながった?

羊屋:そうですね。じつは3年目の2016年にも一度、「何かを作ろう」と話になったのですが、まだ無理だと。それが2017年に、平行して続けてきたいくつもの活動がすっとひとつになったんです。「R.I.P. TOKYO」と公言する動機が揃ったというか。

:40回以上も集まった3年間の活動が、結果的にそのプロローグになったんです。実際、「R.I.P. TOKYO」は、これまで関係者でやってきたことを外在化し、見える化したプログラムです。これまで日常にあったものを、ようやくステージに上げた。

羊屋:5月17日の「はじまる」と題した回に始まり、「はなまる」「みとれる」「はぐれる」「きこえる」「くすぐる」「みつける」と、11月までに7回開催しました。基本的にはいままでの月命日と同じで、江古田駅前に集合し、みんなで買い物をして、スープを作って食べる。そして、集まった人たちにそれぞれ話を聞くというものです。

「R.I.P. TOKYO きこえる」(2017年8月11日開催)。出来上がったスープを参加者とともにいただき、言葉を交わす。(写真提供:東京スープとブランケット紀行/撮影:GO)

——僕は10月14日に行われた「くすぐる」に参加しました。この回は江古田斎場を舞台にしたもので、「弔問客」となった観客を前に、まずは羊屋さんが猫のまぷへの弔辞を読み上げました。その後、貝のスープやゆで卵、栗のような、何かの残骸が残る料理を食べ、地元に長く住むお年寄りなどの話を聞き、リヤカーを引く羊屋さんを先頭に江古田の商店街を歩いた。そして、とてもあっさり解散したのが印象的でした。

羊屋:リヤカーは、かつての江古田市場を忍ばせる風景の再現で、「R.I.P. TOKYO」では毎回引きました。でも、斎場は特別な場所で、みんな何かになりきっていましたね。その回の終了後、このプロジェクトにずっと伴走してくれた東京アートポイント計画の大内(伸輔)くんが、「みんなで看取れば怖くない」と言っていたのが面白くて。

大内:我々にしたら、あの回はついに羊屋さんが弔辞を読んだ瞬間だったんです。4年間ずっとまぷの死と向き合うことに戸惑いがあったなかで、やっと真正面から向き合ったと。

羊屋:やってみて、「みんなで看取れば怖くない」を実感したんです。まぷはたまたま大勢で看取ることになりましたが、友人には、一人で猫を看取らなくてはいけなかった人もいて。実際、人同士の世界で考えても、今後の社会は看取る人の数がどんどん減っていくわけですよね。

「R.I.P. TOKYO くすぐる」(2017年10月14日開催)。江古田斎場で愛猫「まぷ」への弔事を読んだ。(写真提供:東京スープとブランケット紀行/撮影:GO)

——かつてのように大勢の親戚や友人に見送られる、といったかたちは減っていくのかもしれないですね。

羊屋:そこでは、極度に「死」というものを怖がる状況が生まれると思うんです。かたやベトナムや沖縄では、埋葬後に何年か経ってから、骨を取り出して綺麗にして、また埋めるという葬儀の仕方もあるそうです。死を近くに感じるそうした機会は、もっと多くあっていいのではないかと思うんですね。このプロジェクトは、そんな死を恐れる人のもとにも持っていきたいな、と考えています。

減速と免疫

——プロジェクトは今後、どのように展開されていくのでしょうか?

羊屋:こうしたプロジェクトは5〜6年で止めるか、100年続けるかのどちらかで、本当は100年続けたいけど、死んでしまうからできない。なので今、こうした試みがあったことを多くの人に伝えて、未来にも残したいと、実践のためのアーカイブを作っているところです。今度、ニューヨークに行く機会があるので、そこにもプロジェクトを持っていきますし、「アジア女性舞台芸術会議実行委員会」という団体でマレーシアとベトナムを担当しているので、そこでの伝え方も考えたいと思っています。

:アジアの人たちも、このプロジェクトに興味を示しているんです。

羊屋:でも国のバッググランドは違っていて。日本では、ここ10年の間でも、東日本大震災や、東京オリンピックに向けて混迷の時代に突入する中、人口減少の問題があります。しかし例えば、マレーシアやベトナムは、平均年齢が30歳程度という国です。そこで「看取りの時代が来る」と言ってもピンとこないのはあたりまえです。そんな事情の違う国で、どんな風に訪れるはずの未来を伝え、ともに考えることができるのか。

:そこには、シンボリックなものが必要で。なので、いま作ろうとしているのは、簡単に触れてもらえるドキュメントブックや映像に加えて、唯一の造本が施されたユニークピースの戯曲のアーカイブなんです。その一冊を携えていれば、物の力で行為が誘発されるようなものを作ろうと。そうしたものができれば、世界の人たちが勝手に引き受けて、解釈して、実行してくれる。そこで誰かが、「これはアートだ」と言ってくれたら、その瞬間に命名式は終わるので。あとはその命名を待つだけなんです。造本は、ドイツでバリバリにコンセプチュアルな造本を学んだ、太田泰友さんにお願いしています。

「R.I.P. TOKYO」では殻や皮など残骸が残る食事を用意し、その残り方を記録し続けた。(写真提供:東京スープとブランケット紀行/撮影:GO)

羊屋:その戯曲には、3分ほどで終わる短いプロローグがあって。そこが、この4年間の活動に当たる部分。だから、3分のものを4年間に引き延ばしたんだなと(笑)。

:しかも、普通ならその戯曲がまずあり、そこから4年間を始めるところを、いろんなことが終わってから出発点に着くという。その意味でも、従来とはまったく真逆のプロジェクトの作り方をしたわけです。羊屋さんは一見演劇を解体しているように見えるけど、徹頭徹尾、演劇をしていたということがいまになってわかります。それは、演劇空間ではない実社会に重なるフィクションのようなもので、日常とのギリギリの境界でこのように演劇を考えることができると感じられたという意味でも、ここには大きな収穫がありました。

——その収穫は、簡単に成果を求めないタフさから来ているということを、今日は感じました。

:ゴールが設定されたアートプロジェクトをやって「はい、答えが出ました」と。それって一体何をしているんだろうと本当に思うんです。発酵期間を持てるアーティストが減っていることがとても問題だと思うし、それに耐え切れるタフさがないと、本当にペラっとしたものしか出てこない。

羊屋:武術には「7年殺し」という古来の技があります。ポンと叩かれただけなのに、あとからジワジワ効いてきて、7年後に死ぬという。そうした毒は、このプロジェクトのなかでずっと持てたのかな、と思います。浄化されたきれいな街もそうですけど、雑多なものへの免疫がないと、人も都市も本当の意味で死んでしまう。アートプロジェクトのなかには、都市の浄化の一助になってしまうものもありますが、その現実に対して自分なりの解決策を考えたいというのが、じつは最初の思いでもあります。振り返ると、このプロジェクトは都市を減速させ、未来に再生する為の免疫をつける試みだったんだと思いますね。

(撮影:高岡弘)

Profile

羊屋白玉(ひつじや・しろたま)

1967年北海道生まれ。「指輪ホテル」芸術監督。劇作家、演出家、俳優。主な作品は、2001年同時多発テロの最中ニューヨークと東京をブロードバンドで繋ぎ、同時上演した「Long Distance Love」。2006年、北米ヨーロッパをツアーした「Candies」。2011年、アメリカ人劇作家との国際協働製作「DOE」。2013年、瀬戸内国際芸術祭では海で、2014年の中房総国際芸術祭では鐵道で、2015年、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレでは雪崩よけのスノーシェッドで公演した「あんなに愛しあったのに」。舞台作品以外の活動は、2013年よりアジアの女性舞台芸術家たちとのコレクティブを目指す亜女会(アジア女性舞台芸術会議)を設立。2014年より東京を舞台に「東京スープとブランケット紀行」始動。2006年、ニューズウイーク日本誌において「世界が認めた日本人女性100人」の一人に選ばれる。

東京スープとブランケット紀行

演出家・劇作家の羊屋白玉を中心に、生活圏に起こるものごとの「終焉」と「起源」、そして、それらの間を追求するアートプログラムを展開。テーマに呼応するコラボレーターとともに、トークシリーズや、アートプログラムの実施へ向けたエリアリサーチを行う。
*東京アートポイント計画事業として2014年度から実施

縮小社会に向き合う、“看取り”のアートプロジェクト —羊屋白玉「東京スープとブランケット紀行」インタビュー〈前篇〉

「東京アートポイント計画」に参加する多くのアートプロジェクトは、いったいどのような問題意識のもと、どんな活動を行ってきたのでしょうか。この「プロジェクトインタビュー」シリーズでは、それぞれの取り組みを率いてきた表現者やNPOへの取材を通して、当事者の思いやこれからのアートプロジェクトのためのヒントに迫ります。
 
第1回目に取り上げるのは、演出家・劇作家の羊屋白玉さんを中心に2014年より活動を始めた「東京スープとブランケット紀行」です。毎月一回、彼女が22年間一緒に暮らした猫(2012年5月17日他界)の月命日に、江古田の街で買い集めた食材でスープを作り、それを参加者みんなで食べることを軸にしたこのプロジェクトでは、そのささやかな行為の積み重ねを通して、成熟都市の抱える「看取り」の問題に取り組んできました。

2017年、参加型プログラム「R.I.P. TOKYO」の開催を機に、ひとつの節目を迎えた「東京スープとブランケット紀行」。4年間の活動のなかで探られてきた、本当に創造的なアートプロジェクトのあり方とは何なのか? 羊屋さんと、伴走者である東京アートポイント計画ディレクター・森司に話を訊きました。江古田周辺をめぐった写真とともにお届けします。

(取材・執筆:杉原環樹/撮影:高岡弘 *提供名のある写真以外)

「演劇は作るな、クリエイションするな」

——「東京スープとブランケット紀行」は、東京アートポイント計画の関わるアートプロジェクトのなかでも、ひときわ変わった活動で知られているそうですね。まずはプロジェクトの始まりがどのようなものだったのか、お聞きできますか?

羊屋:2013年7月に、森さんから声をかけていただいたのが始まりですね。このときのオファーがとても難しいもので、ひとつは「若いアーティストの心に火をつけるようなことをしてください」ということ。もうひとつは、「演劇は作るな。クリエイションはするな」ということでした(笑)。演劇の世界では、公演の半年ほど前に告知を打って本番を行うという制作パターンがあります。私もそうした制作をしてきたのですが、従来の作り方をしないで、より時間をかけて作ってほしいと問いかけられました。

:東京アートポイント計画では、過去にも演劇人と組んだプロジェクトを行ってきたんです。劇作家の岸井大輔さんとは、新しい公共モデルを考える「東京の条件」(2009〜2011年)を、ドラマトゥルクの長島確さんとは、ギリシャ悲劇の物語を街にインストールする「アトレウス家」シリーズ(2010〜2012年)を行っています。その流れのなかで、三人目の演劇人としてお願いしたいと考えたのが羊屋さんでした。

——なぜ羊屋さんを?

:このとき、いくつかのテーマを考えていたんです。ひとつは、何かの終わりに立ち会う「看取り」の問題をアートプロジェクトでやりたいということ。いま、地域活性化のような事業にアートを活用する試みは多くありますが、東京は今後、人口減少や空き家問題に直面し、静かにシュリンクする時代に入っていく。そこでは別種のプロジェクトも用意しなければなりません。また、非常に口当たりがいいプロジェクトが多いことに対して、毒を皿に盛れる人はいないかとの思いもあった。そんなとき、それらをまとめてできる毒たっぷりの人がいるじゃないか、と思ったわけです(笑)。

——実際、羊屋さんといえば、過去の作品でも劇場ではない屋外での公演や、一般の人たちとの協働制作を行うなど、演劇のかたちを疑うような活動をされていますね。

羊屋:森さんからは、2005年から2006年にかけてやった《東京境界線紀行》の話をされました。これは障害者をはじめ、多様なマイノリティの方と交流して作ったツアー型の作品で、「厳しいことをやり続けていてタフだ」と。だけど、「クリエイションをするな」というのは私にとって行動を封じられていることに近い(笑)。そこからは、企画を考えては森さんに提示して……という、千本ノックのようなやりとりが長い期間続きました。

:「作るな」というのは、言い換えるとクリエイションの仕方を作ってほしいということでもあります。これまでにない看取りの文化事業のオペレーションシステム(OS)を作ってほしいと。じつはこれに連なる社会的テーマ型の取り組みには、「東京迂回路研究」(2014~2016年)のような研究型のプロジェクトもあったんです。羊屋さんはその表現サイドであり、一種の劇薬だと考えていたので、時間がかかるのはわかっていました。そんななか、羊屋さんがあるとき一種の宣言文をフェイスブックに上げたことから、具体的な活動が始まりました。

羊屋:そこに綴ったのは、加速記号に溢れた東京に休符を打ちたいという思いです。私は上京して以来、つねに加速する東京を感じてきました。東京は疲弊している、もう少しゆっくりの方がいいと感じていた。2017年に行ったプログラムのタイトル「R.I.P. TOKYO」(東京よ、安らかに眠れ)は、当時から考えていたものです。

プロジェクトの複層化

——そこからプロジェクトは、どのように具体化していったのでしょう?

:最初の打ち合わせから半年ほど試行錯誤が続いたのですが、そんなとき羊屋さんがふと出してきたキーワードが、プロジェクト名にもなった「東京スープとブランケット紀行」でした。この言葉によって、それをどう捉えるか考えられるようになりました。

——スープやブランケットという言葉は、なぜ出てきたのですか?

羊屋:由来は2012年の、飼い猫「まぷ」の死です。まぷは社交的な猫で、倒れたときには仲の良かった多くの友人が駆けつけてくれたんです。そのさい、みんながその身体を温めるために持ってきてくれたのが、スープやブランケットでした。そして亡くなるまでの五日間、猫をどう弔うか、焼くのは嫌とか木の下に埋めるのがいいとか、みんなでいろいろ話しました。そこには自分の死への思いも重なっていて、猫の死を機に夜な夜なそんな話ができたのはすごいことだなと。「江古田スープ」には、この弔いに向けた時間の経験を、まぷを知らない人とも再現したいという側面もあります。

江古田市場跡地に立つ東京スープとブランケット紀行のチーム(写真提供:東京スープとブランケット紀行/撮影:中澤佑介)

——「江古田スープ」は、「東京スープとブランケット紀行」という言葉が分解されて生まれた、四つの小さなプロジェクトのひとつですね。これは羊屋さんが暮らしてきた江古田で、月に一回、プロジェクトに関わる人が集まり、スープを作って食べるものですが、そこには食事を通した一種の看取りの場をつくるという思いもあったと。

羊屋:さらに「江古田スープ」では、活動を始めてまもない2014年の大晦日、90年間続いた地元の江古田市場が閉場することが決まったため、そのリサーチも行うようになりました。これも一種の看取りですね。とはいえ、月に一度の集まりで交わされる会話は本当に世間話のようなものでしたし(笑)、そもそも当初、私は自分の街を材料にすることをうまく消化できていなかった。そこで、どこかに行くべきだと思って訪れたのが、「青ヶ島ブランケット」というプロジェクトで行った青ヶ島です。この人口180人の島への訪問が、概念としての「東京」や自分の街を見直す機会になりました。

——というと?

羊屋:東京を成り立たせている背景を感じたというか。もちろん青ヶ島も東京の一地域ですが、遠方から自分のベースを考えることの有効性を感じたんです。速すぎる本州の東京が何も生み出していないこと。青ヶ島では1785年の火山活動の激化で、島民全員が八丈島に避難し、50年後に帰還した「還住」という歴史があることも知りました。「青ヶ島ブランケット」の二年目には、都市への水の供給のために奥多摩のダムに沈んだ村もリサーチしたのですが、こうした秘境の経験が活動を複層的にしていったんです。

リサーチプログラム「青ヶ島ブランケット」、2017年7月の青ヶ島訪問にて。かつて名主屋敷があった場所をリサーチ。(写真提供:東京スープとブランケット紀行)
島の歴史を引き継ぐ「還住太鼓」を叩いてみる。(写真提供:東京スープとブランケット紀行)

雑多な材料から澄んだスープが生まれる

——小さなプロジェクトとしては、「江古田スープ」「青ヶ島ブランケット」以外にも、「東京一箱」「対談紀行」というプロジェクトも行われています。「東京一箱」は、東京に住宅を購入しようとする人を追うドキュメントで、「対談紀行」はゲストを迎える対談企画です。ところでこうして見ると、じつにさまざまな要素が混在していますが、それらが最終的にどう絡み合っていくか、といった予想図は描かれていたのでしょうか?

:いや、「江古田スープ」の月一の集まりもそうですが、青ヶ島や奥多摩を訪れることにも最初から明確な目的はありませんでした。プロジェクトというと、事前に具体的なゴールがあるように思われますが、そうした必然はなくてもいい。むしろ、偶然が必然を呼び、必然が偶然を呼ぶ、「わらしべ長者」的な連鎖があればいいんですよ。

羊屋:そうですね。「対談紀行」も、アートプロジェクトにつきもののトークを自分もやってみたい、くらいの気持ちで始まっていて、人選も緩やかに決めましたが、いいタイミングで出会うべき人に出会えました。

2016年2月21日に開催したトークイベント「対談紀行 2016年春篇」。詩人・詩業家でココルーム代表の上田假奈代さんを迎えて。(写真提供:東京スープとブランケット紀行/撮影:中澤佑介)

:それこそスープを作るには、いろんな材料を突っ込みますよね。同じように、このプロジェクトにも最初は多様な要素が突っ込まれた。それらが溶け合って、結果的に透明感のあるスープになったけど、はじめから予期していたわけではないんです。

羊屋:そうして「江古田スープ」を月に一回、「対談紀行」を半年に一回……と続け、4年目にようやくそれらが「R.I.P. TOKYO」としてひとつになった。やっと公言できたなと。

——ただ、それはプロジェクトの作り方として、異質なようにも思います。普通、少なくとも建前では何かの「成果」に向かうものですが、そうした作り方はしなかったと。

:発酵するのを待ったんですよ。「月命日」と称したスープの集まりも、基本的には集まるだけ。そこには積極的なクリエイションなんかないし、むしろ、しないようにしていた。みんな、一生懸命やりすぎているわけです。まずは「元気?」から始まる、取るに足らない日常会話があり、誰かが「なぜ集まっているんだっけ?」と言うと、たまにシビアな会話にもなる。「あの店、閉まったらしいよ」とか。テーマの「看取り」だけにフォーカスするわけではなく、日常の集まりにそれが紛れている状態なんです。

羊屋:プロジェクトメンバーには演劇関係者やデザイナーなどもいるのですが、みんな、その場では自分の仕事を離れているんですね。デザイナーがスープのシェフになったり(笑)。でも、何回かに一度、ふと大事なことに気づくこともある。それは、劇的な気づきではなくて、みんなのなかに自然に染み込んだものから出てくる気づきです。だから、プロジェクトの一環としては「これをしている」と明確に言えないといけないんだけど、そうした言い方ができなくて。むしろ本当に大事なのは、月に一回、みんなで会うことだったんです。

〈後篇〉「あとは命名を待つだけ。都市を減速させる試み —羊屋白玉「東京スープとブランケット紀行」インタビュー」

(写真提供:東京スープとブランケット紀行/撮影:中澤佑介)

Profile

羊屋白玉(ひつじや・しろたま)

1967年北海道生まれ。「指輪ホテル」芸術監督。劇作家、演出家、俳優。主な作品は、2001年同時多発テロの最中ニューヨークと東京をブロードバンドで繋ぎ、同時上演した「Long Distance Love」。2006年、北米ヨーロッパをツアーした「Candies」。2011年、アメリカ人劇作家との国際協働製作「DOE」。2013年、瀬戸内国際芸術祭では海で、2014年の中房総国際芸術祭では鐵道で、2015年、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレでは雪崩よけのスノーシェッドで公演した「あんなに愛しあったのに」。舞台作品以外の活動は、2013年よりアジアの女性舞台芸術家たちとのコレクティブを目指す亜女会(アジア女性舞台芸術会議)を設立。2014年より東京を舞台に「東京スープとブランケット紀行」始動。2006年、ニューズウイーク日本誌において「世界が認めた日本人女性100人」の一人に選ばれる。

東京スープとブランケット紀行

演出家・劇作家の羊屋白玉を中心に、生活圏に起こるものごとの「終焉」と「起源」、そして、それらの間を追求するアートプログラムを展開。テーマに呼応するコラボレーターとともに、トークシリーズや、アートプログラムの実施へ向けたエリアリサーチを行う。
*東京アートポイント計画事業として2014年度から実施

旅するリサーチ・ラボラトリーⅣ -フィールドワークと表現(2017)

近年、アートの現場において、リサーチをもとにした作品やプロジェクトが多く見受けられます。「旅するリサーチ・ラボラトリー」は特に他分野でも広く取り入れられているフィールドワーク的実践に着目し、ジャンルを問わず興味深いフィールドワークとアウトプットをされている様々なリサーチャー、各地の資料館、 美術館などを訪ね、リサーチ手法、アウトプットやそれらにまつわる作法に関するグループリサーチを2014年度からスタートしました。2014年度は山口から東京、2015年度は三重から北海道、2016年は小笠原諸島へ、ラボ自体が「旅」をしながらリサーチを重ねています。

プロジェクト最終年度となる2017年度は、これまでに重ねてきたフィールドワーク、リサーチ、アウトプットに関わる多様な経験を振返り、そのエッセンスを多くの人と共有するメディアづくりに取り組みます。アーティストによるリサーチの可能性や、観察・記録の手法、アウトプットの表現方法など、「フィールドワークと表現」をめぐる新たな思考と実践を提示することを目指します。

技術を深める(第4回)

アートプロジェクトでは、アーティストやスタッフ、参加者など多様な人たちが関わり、一期一会の創造性に満ちた現場が生まれます。アーティストが時間をかけて築き上げた地域住民との関係性や、彼らの真剣な眼差し、場の一体感などは、現場に居合わせてこそ感じることができる貴重な瞬間です。しかし、それらの瞬間のすべてを記録することはできません。アートプロジェクトの価値を、参加がかなわなかった人や後世の人々に残し継いでいくためには、どのように記録やアーカイブを進めていけばよいのでしょうか。

シリーズ最終回となる第4回では、映像ディレクターの須藤崇規氏、アーカスプロジェクトコーディネーターの石井瑞穂氏、PARADISE AIRエデュケーター/コーディネーターの金巻勲氏をゲストに迎え、アートプロジェクトにおける記録・アーカイブのあり方を考えます。須藤氏は、チェルフィッチュ『ゾウガメのソニックライフ』(2011年)、あいちトリエンナーレ2013『ほうほう堂@おつかい』など、舞台作品やアートプロジェクトの写真・映像の記録撮影を多数担当しており、記録・アーカイブの様々なノウハウを持っています。また、アーカスプロジェクトは、茨城県守谷市で20年以上に渡りアーティスト・イン・レジデンスを行ってきました。PARADISE AIRは、2013年に千葉県松戸市で始動した比較的新しいプロジェクトです。いずれも毎年多くの国際色豊かなアーティストが活動を行っており、日々記録データを蓄積し、そのアーカイブや広報・ドキュメント制作などへの活用方法を模索しています。