アートプロジェクトからなる火種|森司インタビュー 東京アートポイント計画のこれまで(後編)

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2026.03.30

執筆者 : 櫻井駿介

アートプロジェクトからなる火種|森司インタビュー 東京アートポイント計画のこれまで(後編)の写真

 2026年3月、都内でNPOとアートプロジェクトを実践してきた「東京アートポイント計画」(以下、アートポイント)が終了します。これまで事業を統括し、組織の中枢から文化事業の現場を見てきたアーツカウンシル東京事業部事業調整課課長の森司が、17年の遍歴を振り返りながら、自身の経験と展望について語ります。

>レポート前編はこちら

 後編では、アートプロジェクトの現在地や、アートマネジメントの作用、文化事業の可能性について、自身の視点から振り返りました。


名詞化するアートプロジェクト

――「単位」や「ことば」が、装置産業ではないまちなかでは重要になる。一方で、最近はアートプロジェクトが疑似装置産業化してきており、これまでの「アートプロジェクト」の構造が成り立たたない、ということでしょうか。

森: 比喩的な言い方になってしまいますが、アートプロジェクトやアートポイントは「動詞」で始めたと思っているんです。しかし、動詞だったものが、アートプロジェクトもアートポイントも「名詞」になってしまった感覚があります。その意味で「これまでのようなアートプロジェクトは終わる」と思っているんです。

 いい意味で捉えると、さきほど1000人に「それぞれのアートポイントのイメージ」があるかもしれないと話しましたが、これは「名詞化」できたからこそともいえます。

 一方で、名詞として見るというのは、常に動かず、ピタッとしていることが望ましい状態です。ですが、現場は常に動詞で、揺れているものです。考えながらつくる、つくりながら考えるということが動詞であるということ。そうすると、かすかにでも揺れているものを容認する必要がありますが、「管理」の目はそうした揺れを嫌うんですよね。揺れているものとしてアートプロジェクトやアートポイントを見ている人は、みんな動詞として見ている。今はいい感じ、今は悪い感じ、と思考することができます。ですが、名詞としてアートプロジェクトやアートポイントを見ると「これは違う」と許容しにくくなったり、既存のイメージと比べたり、いますぐ評価できるものだと思ってしまう。

 このように、同じ言葉を見ているはずなのに、名詞として捉えているか、動詞として捉えているかには大きな差があります。アートプロジェクトの現場を捉えるためには動詞化させないと無理なはずなのに、名詞にしようとする動きが加速している、あるいは1000人がイメージできるくらいに「名詞化できてしまった」ともいえるんです。

――事業の話だけではなく、たとえば組織としては、随時管理できたり、検品できたりすることは、アカウンタビリティの確保のためにも重要だと思います。ですが、それだけが「正しいこと」になると、現場にある揺れは受け入れにくくなっていきますね。

森: たとえば、始めから決まった報告書をつくるのではなく、これを伝えるためにはどうすればいいかと考えて、編集して、デザインして、印刷の仕様を考えて……という「ワーク・イン・プログレス」のかたちがあります。こうしたプロセスそのものをつくる動的な状態、つまりは最終的な成果物ではなく、生成の過程を評価するという前提で、我々は始めたはずなんです。それがプロジェクトの生命線であり、僕もスタッフも抵抗してきた部分でもあるけれど、それでも「成果物とは予定されたものをつくること」という前提が大きくなっているということですね。

――今後、動詞化できる、あるいは動詞として捉えられる状況に戻ることはあるのでしょうか?

森: 今の社会的に求められていることは「成果として分かりやすいもの」であり、つまりは動的ではないから、これからもどんどん苦しく、難しくなるだろうと思います。アートポイントの立ち上げのとき、社会では「コンクリートから人へ」と掲げられていた。NPOという小さな組織と一緒に取り組むというのは、まさしく「人へ」という時代とも合っていたし、「人」だからこそ動的でも許されていたともいえます。ですが、今は「人」ではなく「制度」が前に出てきていて、文化事業が本来は動的であることを、事業を仕掛ける側もわからなくなっているかもしれません。

 アートポイントが事業として終わることは容認できます。容認はしていますが、初期の頃のパッションがシステムに代わり、それは一時的には機能していたけれど、その更新がうまくできなかった結果として名詞化して終わる、というある種の反省もあります。

――お話を聞いていると、名詞として一度固まってしまうと、あとはそれを焼き増しにすることが役割になる印象を受けます。

森: 名詞になっても続けられるのが「老舗」という存在なんだと思います。老舗になるのはなかなかに難しいものです。100年ぐらいアートポイントができればかっこいいのですが、行政と組むと長くても3年1期で終わるのが世の常。そう考えると、それを5期、15年を超えて17年もアートポイントは続けられたので良いのではないかとも思います。

 振り返ると、当初から事業が潰れないように骨太にする意識を持っていました。それは、展覧会をつくるときにも持っていた感覚で、ひとつの企画展は10年はもたせたい、そういう設計を最初に考えていたものです。2019年に、3331 Arts Chiyoda内にあった拠点「ROOM302」で、アートポイントの10年を振り返る「東京アートポイント計画 ことばと本の展覧会」を開催したときにもその感覚を思い出していました。本当は、今後10年をつくる意識を持たないと3年でさえも続けられないはずです。

「東京アートポイント計画 ことばと本の展覧会」会場風景(撮影:高岡弘)

――文化事業のつくり方が短いスパンになったり、動的な言葉が名詞化して「管理」や「予定通り」であることが求められたりする。この状況の背景には何があるのでしょうか。

森: これは個々人の問題ではなく、新自由主義による弊害だとも思います。頑張った人は報酬をもらえて、頑張らない人には「ダメですよ」と言えるルールをつくってしまった。つまり、頑張れなかった人は自己責任を突きつけられることになり、それを軽減するにはリスクを取らないようにするしかなく、冒険しなくなってしまった。

 「危ういもの」もときには大事です。危うさを持っているものがあるときは、その危うさに追いつかれないように走り抜けていくことができる。そうした「危ういもの」を避けて、そうではないものにすがっていく危険性を、今後みんなで知るような気がしています。

プロジェクトに問われる「成功」と「正解」

――それでいうとアートポイントの初期のプロジェクトには、勢いで走り抜けるような賑やかさや危うさも、いい意味で現れていたように思います。

森: アートポイントの現場は、基本的にサイズは小さなままですが、さまざまな出来事を通して密度や濃度が上がっていきます。なかでも、「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」(以下、音まち)は、10年以上続いて事業も大きな規模になりました。POでいえば櫻井駿介さんは、花火のような「川俣正・東京インプログレス―隅田川からの眺め」から、音まちでの経験ももっているので、現場で体感しているものがたくさんありますよね。

 当時は、それくらい大きなこと、危うそうなことも普通にできていたんです。僕も「このまま行こう」と言えていた。でも、今の時代にはそうは言えません。3つの大きな塔を川辺に建てようだなんて、実現できるビジョンがなかなか浮かばない時代です。

水辺のそばの広場に大きなタワー型のアート作品が建っている
(C)Tadashi KAWAMATA(撮影:HASUNUMA Masahiro)

森: アートポイントは、地べたで続けているので生活との距離が近いです。だからこそ、経済や、人や、社会の空気にすごく敏感に反応します。館のなかであれば、壁があるからどうにかなることも、生活と地続きの地べたにいると「今日も野菜が高い」という声がダイレクトに来るから、なかなか厳しさもあるということです。

――今は、受け入れるというか、楽しむ余裕がつくりにくい感じがあるということでしょうか?

森: そうですね。当時はバグっていたとは言わないですが、宴を楽しむ余裕も、もう少し経済的な余裕もあった。ハンナ・アーレントが『人間の条件』のなかで、「労働」「仕事」「活動」の三分類で議論していますが、ここでいう「活動」に身を投じることができていた時代だともいえます。

 マネジメント側の話でいうと、2025年に音まちが開催した「キタ!千住の1010人」は、2014年に足立市場で開催した初回の「千住の1010人」とは違う印象を受けたんです。初回は、何をやるのかわからない、ヤバさやエネルギーのある活動だった。一方、今回は「千住の1010人」というジャンルを達成するという意識に近い感じがしたんです。

――一度目の「千住の1010人」の開催が2014年、東京都中央卸売市場足立市場でのこと。当時のエピソードは聞いており、良くも悪くもはちゃめちゃな様子だったようですね。そして2025年、二度目の「千住の1010人」を千住スポーツ公園で開催しました。一度目の経験をいかしながら今だからできる演奏を模索し、リハーサルの設計や、参加者への声掛け、見え方にも本番前から準備を続けてきました。この2つの1010人の違いについて、いわゆる経験を通じて「プロジェクトが成熟した」とは別の力学も働いているように見えたということでしょうか?

森: それぞれの時代や状況のなかで、自然とそうなったのかな、と思っています。これはどちらが良い、悪いというものではなく、それぞれにそのときのベストなパフォーマンスを目指した結果です。

 あるいは、コモン、パブリック、プライベートというような、どの領域を狙っていたのかという違いもあるように思いました。初回は、足立市場という場所でコモンの場をつくっていた。今回は、パブリックスペースとしての公園での開催だった。その差もどこかにある気がします。

 市場をつかった1010人と、公園をつかった1010人、それぞれに成功の体験が生まれたのだけれど、きっとそのイメージも違うと思うんです。初回の1010人のときには本当に手探りで、さまざまな危うさも含めて進んでいた。そこには前例になるものがないので、むしろ、そのヤバさも許容できている状態です。今回の1010人が決して許容できなかったわけではなくて「前回はこうだった」と「なぞる」ことができたので、当たり前のようにこなせていたことが多かったのかもしれません。

2014年開催「野村誠 千住だじゃれ音楽祭『千住の1010人』」の様子(撮影:加藤健)

――今回はスタッフ向けのマニュアル整備にも力を入れ、スタッフ向け説明会も通じて計画的にプロジェクトをつくっていました。ここには一つのマネジメントの成功も感じます。一方で、予想できない出来事に都度対応するマネジメントとは満足度や達成感の質が違う印象もありました。

森: 今回は、振る舞いを習った人たちが、そのとおりに振る舞うことができたという喜びも大きいのだと思います。学びを活かせたという点においても、とても評価は高いものです。

 今は、良くも悪くもリスクをすごく考えざるをえない時代にあります。リスクというと、マイナスの表現に聞こえますよね。ですが、そのリスクによる冒険があって、それは当事者たちにとってはプラスの考えでもある。だから、多少のリスクを背負っていても、成功だと言えることがあるんです。

2025年開催「野村誠 千住だじゃれ音楽祭『キタ!千住の1010人』」の様子(撮影:冨田了平)

森: これは、成功のサイズが変わってきているということでもあります。以前は、ビジョンがあってかたちにする、そのために小さな成功を自分の中に重ねていた。そのパッションともいえるベクトルは自分自身から外に向いていて、誰かと比較するものではなかったはずです。

 一方で今の時代は、成功とは「正解」に合わせることになりました。つまりは正解に沿うために、当事者であっても自分自身ではない、正解に近づくための振る舞いがあるということです。初回の1010人では誰にも正解がわからなかったので、誰一人としてそうした振る舞いに振り付けられておらず、それぞれが自らの行動や指針で動くしかなかったように思います。そこには危うさと同時に、独特のエネルギーがありました。

――現場のスタッフだけではなく、POも、そうした時代を体感しながら現場と調整していますよね。

森: アートポイントも初期の頃は、誰にも「正解」がわからない、手探りなときが多かったです。POの大内伸輔さんも、大変なくらい働いた帰りには「社会を変える」と自分に言い聞かせてポツポツ歩いていた、という話を聞きました。

 何をやったらいいのか、何をやっているのかわからないというのは、苦しいことです。ですが、その苦しさは許されないことだろうか。すべて分かる状態が正しいことなのだろうか、とは思うわけです。

――あえて「わからなさ」のなかに身を投じる経験が必要ということでしょうか?

森: ここでいう「わからなさ」というのは、本当にわからないことをやっているわけではなくて、追いつかれないように一生懸命頑張っていた結果ともいえます。たとえば、東京インプログレスで川俣さんが「タワーを建てます」といっても、誰にもどういうことかわかりません。それよりは、まだ「千住の市場で1010人の演奏をします」というほうがわかりやすいですが、それぞれに「わからなさ」を含みながらつくっていました。ですが、その意味では今回の1010人には「大団円を迎えた」という印象があって、もともとの1010人のつくりからは別の風景が生まれた気がします。

何割まで見越しておくのか

――その印象の違いについて、もう少し詳しく聞いてもいいでしょうか?

森: 最初、1010人は「遊び」でやりたかったんです。遊びなので、また明日があって、終わりはない。やっている人たちが思わずやってしまって、面白くなって、楽しくなって「どうしようもなくなっちゃった」という感じです。一方で、今回の1010人は計画されていたからこそ、区切りとして一度「終わる」ことが前提にあり、その上で、今後の続け方を考えているようですね。

 アートプロジェクトという本来は完成のないものも、続けていくといつしか振り付けのあるものに変わります。そうすると、アートプロジェクトというよりは「祭りの継承」に近い状態ですよね。むしろ、アートポイントにおいては「なぞり」が入ってきたからこそ、事業としては一度終わっていいんじゃないか、と思っているくらいです。パイロットとしての役割が終わった現在、次は「東京都・区市町村連携事業」として自治体との連携にシフトするのは自然な流れとして見ています。

――継承できる状態にあるとはいえ、アートプロジェクトだからこそ手放せば消えてしまうものという感覚も大きいです。

森: パイロットではなくなったときに、さまざまなものが消えていくのは、もう諦めるしかありません。パッケージされて「商品」になった時点で、そこからまずパッションは消えています。それは、商品の「開発チーム」と「量産チーム」でロジックが違うということです。

 我々は開発チームであり、量産チームではないんです。ですが、量産が楽しい人も世の中には大勢いて、そこでは効率が求められて独自のサイクルが生まれています。ですが、その基準で「開発」のことを判断するのはやめてほしいと思います。その意味では、抗う態勢を取らざるをえません。これはアンチではなくて、アゲインスト、カウンターという姿勢で向き合っているんです。1010人でもここは、手放さないように抗っている部分だと思います。

――型(かた)をつくるのか、それをガイドにするのかという視点の違いですね。プロジェクトを続ける、あるいはキャリア形成を考えるという意味でも、後続をつくる見本が必要な場合があるとは思うので、そのバランスが難しいように思いました。

森: 本当は、プロジェクトの8割までは型でつくって、2割は常に冒険をするのですが、その2割には、8割と同じだけの時間とお金を使うべきだと考えています。100万円で8割をつくって、残りの2割を100万でつくる。むしろ、その2割のためにさっさと8割までつくれば「今から2割のところで遊べるじゃん」ぐらいに思えるはずです。

 残りの2割に、最初の8割と同じだけの時間とお金を突っ込むとどうなるかというと、オーバークオリティをつくれるんです。つまり、その技量があれば100%を超えて、120%、130%、もっといけば150%ぐらいまでいって、化けたものになります。かつて、みんなはその2割を活動の場にしていたんです。しかし、今ではそうしたお金の使い方は難しいですし、そうした経験を知らない人はもったいない、残念だという気持ちも強いです。

 徹底的につくり込む、めちゃくちゃなことをやる無駄さ。そうした「ずっとやっている無駄」という贅沢を、今の若い方々も、周囲の人も、社会も許さなくなったような気がします。ノイズがなくて、シュッとしていて、サッとやる。これでうまくやれているよね、というようにものをつくる。僕が思うのは、文化にはノイズがないと無理なんだということです。ノイズはいらないとなると、今の完全勝利は100%になることでしかありません。

――難しさはありながら、今でも遊ぶため、飛躍するための2割を残しておく感覚はアートポイントのなかで大事にしている印象はあります。

森: その感覚は、そもそものアートポイントのつくりにもいえるんです。東京都やアーツカウンシル東京の事業として10割を目指すとどうしても苦しい。それでも中間支援をするために「NPOはまだプロではない、育成対象だから、3割は失敗してもいい」と言いたかった。7割は成功させるけれど、3割は仕方がないとしなければ、中間支援の仕組みも事業の現場も現実的に回らなかったと思います。

 もし、この7割が6割になってしまうと、あと少しでひっくり返ってしまう。ヒリヒリするけど耐えられるのが7割まで。そういうものだからとせめぎ合って、何を言っているんだと言われ、でもこの塩梅はずっと考えてきました。今の時代には、それがなおさら難しいことになりました。

――管理あるいは量産する目線に立つと、その7割が許せない、その感覚に抵抗が生まれるような気がします。

森: この感覚は伝わりにくかったり、簡単に「できていないですね」と見られてしまう場合もあります。普通は8割まで取らないと合格しない、でも7割を取っていれば落第もしません。9割も取ればSやAという評価になるけれど、よほどチームに恵まれていないとそれは難しいことです。9割までいくのかは、ある意味では賭けですよね。神様ですら最後にはサイコロを振るんです。

今こそ文化の意味を問う

――ここまでのインタビューを振り返りながら、あらためて今後の文化事業への眼差しを伺いたいと思います。今日、あらためて印象的だったことは、森課長が随所に、比喩を通すことで実感を伴うような「ことば」を散りばめていたことです。この「ことば」を使う、つくることへの意識はいつ頃からあったのでしょうか。

森: 最近、教えられて思い出したのですが、2004年の10月にネットTAMで「(壮大な)アートの現場は、(夢を語る)『言葉』ではじまる」というリレーコラムを書いていたんです。

 水戸芸術館にいたときはもちろんですが、このあたりから言葉の存在は強く考えるようになっていました。アートの現場も、アートプロジェクトも、言葉ではじまるんだ、と。我々はアーティストではないので、戦うには言葉しかないという感覚は常にありました。お金をもらうのも言葉ですし、現場をつくるのも言葉、だからこそアートプロジェクトの現場を動かすために、さきほど話したように「ことば本」からつくろうと思ったのです。

『東京アートポイント計画が、 アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本 <増補版>』

――アートポイントもそうですが、同じ言葉でも、見る人によって違う意味に捉えられてしまう。「ことば」をお互いに共有することの難しさは常に付きまといます。

森: ときには消費されないように、あえてわからない状態にしておくことも必要です。昔はわからないように話しすぎてしまい、会議で「森さんは、何をやっているんですか」と言われたりもしました。それでも、心の中では、消費されないことを一番の基準にしていたんです。

――面白い話ですね。これまで森課長が書いてきた文章も振り返っていたのですが、言葉を紐解くような所作が多かったように思います。

森: むしろ、通じてしまうと困るときもありますよね。相手にとって都合のいいように理解されると、誤解されたまま、意味を失う。この「消費される」ということが最も危険なんだとも思います。これまで大事に守ってきたものが、一瞬にしてなくなってしまう可能性があります。

 性格や立場によって、判断基準というものはそれぞれに違いますよね。それは、いわゆる「時間」に対する感覚が違うということです。タイムリーであること、オンタイムであることの感覚が違うと、自分の意図とは全く異なる回収のされ方になってしまいます。ここにも時代というか、今はみんなで同じ「時間の波」に寄っているような感覚があります。

――時代の動きに対する文化事業の応答について、あらためてここ数十年を振り返ってみたときの印象はいかがでしょうか。

森: 僕の視点で見ていると、アーティストたちは、3.11以前に二度の絶望を目の当たりにしています。一度目が1995年の「阪神・淡路大震災」です。このときには、島袋道浩さんの「人間性回復のチャンス」が、もっとニュースになるべきでした。

 さらに、2001年には「アメリカ同時多発テロ事件」、9.11が二度目の絶望です。このときは、オノ・ヨーコが「Imagine all the people living life in peace」と新聞に広告を出して、2007年には「イマジン・ピース・タワー」を建設したことが大きな出来事です。

 そして2011年に3.11が起きたとき、芹沢高志さんがTokyo Art Research Labの企画「これからの航路に向けて」でも話していましたが、アーティストたちはそれぞれに今につながるアクションを起こします。あるいはアーティストに限らず、思想家たちが文章を書き記すように、それぞれの立場で応答してきた。アーツカウンシル東京でも「Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業/ASTT)」をはじめ、アクションを起こしています。

 そして今、我々をはじめ、アートに関わる人々は世の中に対してメッセージを出すタイミングなのではないか、と思うんです。アートマター、文化マターで生きている人々は、この世の中に何を叫ぶのかが問われている。

 叫ぶという言い方を変えれば、どういう態度で文化事業をつくるのかということです。何においても世の中に訴求することが難しい時代ですが、むしろ以前よりも必要性のある、本当の意味でやりがいのある仕事が文化の領域にはあるんじゃないかと思います。音楽でも贅沢な嗜好品でもなく、好きな人がやればいい受益者負担というかたちでもない、今こそ文化芸術が示さなければならない指針。その態度は、この災間のなかにいても可能なはずです。

――それは個人レベルだけではなく、文化芸術の領域にいるさまざまな組織においても、ということでしょうか。

森: そうですね。文化事業に携わる組織や団体であれば、その議論をするには早すぎるということはないと思っています。

 ですが、すでに決定されたものをこなすことだけが仕事だと思っている人が増えてきていること、それが非常にもったいないと思っているんです。学校の授業では「予測不可能な時代」と言っています。ですが、かたや「基本的には正解がある、その正解に合わせていけ」と言っている。それは僕の思う文化、あるいは評価のあり方とは違います。僕自身、これまでを振り返ると「まだできることがあったんじゃないか」という思いも生まれます。個別に見るといい仕事をしてきたつもりではいます。しかしながら、今の社会に訴求する「文化を語ることば」の用意が足らなかったとも思っています。

――今こそ「人」や「場」、「活動」の意味を再び考えたいのですが、そこで何かをやろうとすると身体も状況も追いつかない感覚もあります。

森: いったい何がそうできなくしているんだろうと考えると、やはり、ひとつは大きな「時代の流れ」でしょうか。僕の体感として、こんな時代になると思っていなかったんです。震災があり、コロナ禍があり、戦争や紛争の報道が流れている。天災と人災が重なって、より不確定な時代に今はいる。

 一方で、新自由主義のなかで個々人により強く責任が委ねられています。社会にはもっと可塑性があるはずですが、さまざまな事柄が決定事項として降ってくる。可塑性のない社会だと、組織の前に人がどんどん病んでしまい、どうにもならなくなって、いつかリセットがかかる気がしています。

 そういう意味では、気が早いようですが「文化」の出番の前夜が来ている予感があります。たとえば、20世紀における世界大戦や世界恐慌のような苦しいときに何かが起きてきた歴史がある。むしろ、こういうときにこそ文化は覚醒するんです。

 だからこそ、火種は絶やさないでいてほしい。それは、戦禍のときにキュレーターが作品を隠して守ったように。薪を焚べられない限りは燃えないですが、そもそも火種がないと無理なんです。祭りでさえ風化するように、物ではないプロジェクトもやり続けていないと風化していきます。今ここで、アートプロジェクトからなる火種を絶やしてはなりません。


>シリーズ「東京アートポイント計画 2009→2026」はこちら

収録日:2026年3月10日
話し手:森司
構成・編集:櫻井駿介

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