OUR MUSIC 心技体を整える

公共空間で音楽を展開するために、専門家の視点を交えて手法を探る

公共空間で「音楽」を展開するために、必要な条件とは何だろうか? 音楽が頻繁に用いられるアートプロジェクトやイベントをオープンな空間で実施する上で、周辺環境とどのように共生することができるだろうか?

東京プロジェクトスタディ2018「Music For A Space 東京から聴こえてくる音楽」でナビゲーターを務めた清宮陵一(VINYLSOYUZ LLC 代表/NPO法人トッピングイースト 理事長)が、公共空間で音を出す際の条件について、まちづくり、医療、法律、宗教、サウンドにまつわる5名の専門家へインタビューを行います。

飯石藍さん(公共空間プロデューサー)、稲葉俊郎さん(医師)、齋藤貴弘さん(弁護士)、近江正典さん(僧侶)、ZAKさん(サウンドエンジニア)の多角的な視点を介して得た現場に応用可能な論点を、公開編集会議を行って一冊にまとめます。

詳細

進め方

  • ゲスト5名のインタビュー
  • 公開編集会議

文化政策の流れを比べてみる~「10年単位」で起こること

第2回 文化政策の流れを比べてみる~「10年単位」で起こること

開催日:2019年9月17日(火)
ゲスト:鬼木和浩(横浜市文化観光局文化振興課施設担当課長〈主任調査員〉)
ナビゲーター:佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

東京アートポイント計画の10年を考えるレクチャーの第2回は、文化政策の意義や影響関係について考えます。横浜市文化観光局文化振興課施設担当課長で主任調査員の鬼木和浩さんをゲストに、他の自治体や国の歩みと比べることで、持続的な文化事業を実施するための文化政策について、ディスカッションします。

■東京アートポイント計画と文化政策

2009年から始まった東京アートポイント計画は、東京オリンピック・パラリンピックを見据えた東京都の文化政策においてスタートしました。今回のレクチャーはその「政策」としての側面に注目します。最初にナビゲーターの佐藤李青が、東京アートポイント計画と文化政策の関係について話しました。

「東京文化発信プロジェクト室」という組織のなかで生まれた東京アートポイント計画でしたが、現在は「アーツカウンシル東京」の一事業となっています。2020年の東京オリンピック・パラリンピックが2013年に決定したのち、東京都は「東京文化ビジョン」という文化戦略を打ち出し、そのもとに東京文化発信プロジェクト室はアーツカウンシル東京と組織統合しました。

そもそも「文化政策」とは、文化を対象とした「政策」のこと。その担い手は「政府ばかりでなく、市民や芸術家、企業などいろいろな主体がある、というのが近年の考え方」だと言います。「東京アートポイント計画」には、「公的な事業には裏付け(意図)として文化の『政策』があった」と佐藤は語ります。その視点で東京アートポイント計画の特徴を見ると、「創造活動や市民参加などを事業対象にしている」こと、また「オリンピックや災害などの社会事象をテーマに事業に取り組んでいる」こと、そして「23区や多摩・島しょ地域などの地域区分が織り込まれている」ことなどがあげられました。

もう一つ「10年が経つと、政策の対象も再定義が必要になるかもしれません」と続けました。それは、たとえば10年前に事業の対象として想定していた「市民」の意味と現在の「市民」の意味は変わっているのではないか。社会状況が変わるなかで、政策自体の再定義も必要ではないか、と話しました。

■書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために 東京アートポイント計画2009-2018』から

次に、今回の本題となる鬼木和浩さんによるレクチャーでは、国や自治体との比較から文化政策が語られました。横浜市の文化観光局文化振興課に16年間勤める鬼木さんは、書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために』を読み、印象に残ったこととして5つのことをあげました。

1.「10年」という単位を提示している
「アートプロジェクトのドキュメントは、プロジェクトについての記述が大半ですが、それらを包括し、東京アートポイント計画全体の時間軸を提示したことは、これまであまり例がないでしょう」と鬼木さん。10年かけてつくってきたことが、きちんとこの本のなかで示されていた、と評価しました。

2. 手法をあますところなく見せている
「ここまで手の内を見せてくれるんだというくらい」、手法が詳細に書かれているのは「(この本の著者でもある)プログラムオフィサーが、それぞれの事業に深く関わっているから」だと言います。特に、公式な関係ではなく何かあれば手伝ってくれる人(本書では「折に触れて手伝う人」と記述)を発見したり、イベントの周りで盛り上げている人について描写されていたり「何が起こっているかをよく見ているなと思いました。その発見の過程も書いてあることに感心しました」と話しました。

3.「自治」という視点をもっている
本書のなかで「アートを媒介にしたコミュニティが、自治の基盤となるという記述があった」という指摘がありました。この「自治」という視点は、後半の鬼木さんのレクチャーでも重要なキーワードとなりました。

4.「千の見世」の「1000」はどうするのか
さらに鬼木さんは、東京アートポイント計画の構想時に打ち出された「千の見世」という事業名にある「1000」という数字に注目しました。ご自身の行政という立場からも「1000という数字の達成をどう考えるのか」と心配されました(この点に対して、後のディスカッションで佐藤から、細かいプログラムの数え方が話題にあがりました)。

5. 総合的な文化政策への視点はあるか
そして、最後に具体的な記述への言及がありました。「文化政策を4期に分けていた記述がありました。『第1世代 ハコをつくる』『第2世代 ハコにソフトを付加する』『第3世代 ハコ抜きのソフトをつくる』『第4世代 これまでの成果から東京アートポイント計画を再定義する』という議論がありました (*)が、第4ステージでのとらえ方はハコがいらないという話ではないので、文化政策を総合的に考えるとどういうことなのだろう、と今日聞いてみようと思いました」。この問いかけに、佐藤は「世代という言い方は前にあったものを『ない』と考えるのではなく、その時代の課題を踏まえたなかで、現在をどう捉えるか、という意図があった」と応答しました。

*146〜157頁に再録した「第4部 鼎談:結果を踏まえて」『東京アートポイント計画2009-2016 実績調査と報告』での議論。

■戦後70年の国と自治体の文化政策

次に、戦後70年の国と自治体の文化政策を10年単位でたどっていきました。10年続く「東京アートポイント計画」は日本の文化政策の歴史のなかで、どのような位置にあるのでしょうか。

1949年から1958年
戦後、復興と民主化が叫ばれた時代に「文化」は大きなキーワードでした。1947年、市民の文化活動を支える部署「民生局文化課」を立ち上げた横浜市。戦後、文化政策を着々と進めるこうした自治体に対し、国は戦時中の「文化統制」に対する反省から「文化政策」という言葉は使わないようになりました。

1959年から1968年
1966年には国立劇場ができ、1968年に文化庁が設置。自治体のほうでは東京文化会館(1961年)、公立としては初のギャラリーである横浜市民ギャラリー(1964)などさまざまな文化政策が進められました。東京オリンピック(1964)もこの間に行われています。

1969年から1978年
そして翌10年を見ると、国際交流基金が設置(1972)されましたが、国の全体で見ると文化政策はあまり進んではいません。一方で、県や市では文化の部署が次々と誕生します。1975年、全国初の文化振興条例が釧路市にて制定されました。

1979年から1988年
この時期、国民文化祭(1986)が始まりました。自治体の動きとしては1979年に横浜で第1回全国文化行政シンポジウムが開催されます。自治体が文化行政に乗り出した最盛期と言えるでしょう。

1989年から1998年
1989年からの10年は文化庁が巻き返しを図る時期。1989年に文化政策推進会議ができ、それまで封印していた「文化政策」という言葉を戦後初めて公式に使いました。その後、芸術文化振興基金(1990)、財団法人地域創造の設立(1994)、新国立劇場設立(1997)と、国は一気に文化政策を進めていきました。また自治体は水戸芸術館、東京芸術劇場、東京都写真美術館、東京都現代美術館(1995)と、専門的な文化施設をつくっていった時期でした。

1999年から2008年
2001年、文化芸術振興基本法が施行され、2003年には地方自治法が改正。2006年に公益法人改革関連3法が施行。国が大きく政策を変えていきました。自治体のほうは越後妻有アートトリエンナーレ(2000)、第1回横浜トリエンナーレ(2001年)、と芸術祭が各地で開かれるようになります。2006年に全国で指定管理者制度が導入。同じ年に東京都芸術文化評議会が設立され、横浜では2007年にアーツコミッションヨコハマが始まりました。

2009年から2018年
次の10年は、東京オリパラに向けて国が大きく動いていく時期であり、東京アートポイント計画の10年とまさに重なる時期です。国のほうは東アジア文化都市事業(2014)、日本版アーツカウンシルの本格実施(2016)、文化芸術振興基本法を文化芸術基本法に改正(2017)。自治体としては、あいちトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭、アーツ千代田3331がそれぞれ2010年にスタートし、2012年にアーツカウンシル東京が設立されました。

こうして振り返ると「戦後は、国が自治体の文化政策を追随してきたと言っていいかと思います」と鬼木さんは言います。国は文化政策という言葉を封印した一方で、自治体も戦後の復興に合わせて文化政策を推進しました。ですがバブル崩壊後の2000年代以降は、東京都を除く自治体の税収は低迷し、それに合わせて文化関係予算も減っていきました。

70年間の大きな転換点としては、NPM(New Public Management)の導入があげられます。これはイギリスで始まった評価制度のことです。特徴としては「民間が事業を担いそれを事後的に評価することで事業の質を担保する」「行政組織を効率的に執行する(=数値化する)」「市民を顧客と考え行政活動をサービス提供と考える」など。こうしたNPMの考え方により、指定管理者制度が導入されています。

現在は、地方創生、特区申請、補助金制度など、政策が充実することで国が自治体間の競争を促している状況です。2000年代以降、地方分権改革は進んだものの、結果として中央政府の影響力は分野によっては増していると言えます。文化芸術分野もその一端で、「支援の強化とは表裏一体と言えるでしょう」と鬼木さん。

この70年で変わったことは、行政自身が直接問題解決の手段を実行するのではなく、委託、委任、協働などの手法により、外部人材に実行を任せるようになりました。いわゆる垂直型ガバナンスからネットワーク型ガバナンスへ変化し、行政の役割はプラットフォーム的なものに変わっています。

■横浜市の文化政策の推移と、今後の自治体の課題

次に鬼木さんは、横浜市の過去20年の文化政策の推移を紹介しました。前段の「戦後70年の国と自治体の文化政策」からもわかるように、横浜市は2000年代に全国初の創造都市政策をスタートし、国内でも特に文化に力を入れている都市。そもそも、なぜ横浜は創造都市政策を始めたのでしょうか。それは横浜都心部における都市計画が関係しているそうです。1970〜80年代にかけて横浜駅周辺と関内・山下周辺が分断され、街の回遊性がないという課題がありました。

そこであがったのが「みなとみらい21地区(以下、MM21地区)」の開発計画でした。90年代に入りMM21地区が開発されていくと、もともとオフィス街や観光地だった旧市街地の関内・山下地区の経済的沈下や歴史的建造物の保存が課題にあがりました。その改善策として、関内・山下地区をクリエイティブな地区として活性化する創造都市政策がスタート。一方で、MM21地区はビジネス中心の開発から文化・アミューズメントへの展開がめざされました。その後、15年以上が経過し、2003年から2019年までのオフィス空室率の推移を見ると、この15年ほどでオフィス空室率がかなり改善されています。

「では、横浜をはじめ全国の文化行政にこれから起こる課題とは一体何でしょうか」と鬼木さん。予測される課題は、全国の自治体にも関係していると言います。まず、一つ目にあげられたのは「過剰適応」です。現在オリンピック・パラリンピックなどの大型イベントにより、インバウンドや観光振興、アーツカウンシルなど、国からの政策課題に対し、敏感に対応しすぎているのではないか、という問題。次に「失語症的政策」です。羅針盤を喪失したように、文化政策の方向性が迷子になっていると感じるそうです。「わかりやすい説明が求められるため、専門家や専門性の軽視が進み、わかりやすい言葉だけが残るのではないでしょうか」と懸念します。そして3つ目は「政権の道具化」。政策が首長選挙の争点になるとともに、その権限が強化される傾向にあるのでは、と指摘しました。

■自治体にとっての、文化政策の本質とは?

そこで、鬼木さんは文化政策を「大文字」と「小文字」と分けてそれぞれの目的の明確化が必要だと話しました。「大文字の文化政策」とは、変化のなかでも揺るぎない政策システムや思想・哲学のこと。一方で、「小文字の文化政策」とは、刻々と変わっていく現象面(条例・計画・予算・体制)を指すそうです。

戦時中、国が期待する国民精神の醸成を目的として、文化によって国民を統合する「文化統制」が行われました。その歴史のもと、国による文化政策は消極的になり、現代は市民自らが生き方やまちのあり方を決めるべきだという考え方に変わっています。「やはり『大文字の文化政策』においては自治体が主体になるべきではないか」と鬼木さんは言います。

現在「VUCA(変動性・不安定さ/不確定/複雑/あいまい)の時代」といわれる社会だからこそ、自治体は「レジリエント(しなやかで強靭)な文化政策」「簡単には土俵を割らない『文化』をつくること」が重要、と続けます。「その継続性を担保するために、自治体の文化条例や文化計画は必要で、それをつくるだけではなくきちんと関係者に周知していき、根底にある思想は一貫すべきだと思います」。そして最後に「大文字の文化政策の本質」について語りました。

「文化政策によって、あらゆる人々が、自ら考え、自ら表現し、自分らしくあることで、自らの人生を生きつくすことだと思います。それが自治の主体たる『市民』となること。『市民』は、文化によって自らの人生を広げる多様な可能性を得るのではないでしょうか。こうした市民の存在は、地方政府が市民の意思と異なる政策を遂行しようとしたときに、それを修正することさえ可能にするかもしれません。市民の多様な視点によって、自治体自身が過ちに気づく。それほどに、文化によって主体的な市民層が形成されるでしょう。その結果自治体は、自身の破綻を防ぎ、持続可能性を担保できることにつながります。文化政策は自治の基盤となる。それが、文化政策の本質だと考えます」

なぜ、文化政策が大事なのか。鬼木さんの力強い言葉が印象的な、今回のテーマの本質に迫ったレクチャーとなりました。

執筆:佐藤恵美
撮影:齋藤彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

*本レクチャーで使用した書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』について、こちらのページでご紹介しています。PDF版は無償公開、印刷版はオンラインや各地の書店様等でのご購入が可能です。現在は、PDF版のみ公開しています。

徹底解説! 東京アートポイント計画~中間支援の仕組みを分解する

第1回 徹底解説!東京アートポイント計画~中間支援の仕組みを分解する

開催日:2019年9月10日
スピーカー:大内伸輔
ナビゲーター:佐藤李青

2019年度で10年を迎えた「東京アートポイント計画」を解剖する、レクチャーシリーズ。東京アートポイント計画として、複数のNPOとアートプロジェクトに伴走してきた立場からその実践を知見として共有したい、と講座を企画しました。大きなテーマは「文化に時間をかけるための言葉」。3回にわたるレクチャーのナビゲーターは佐藤李青が担当します。

公共文化事業における「中間支援」とは何か

第1回は、佐藤と同じプログラムオフィサーでもあり、東京アートポイント計画の立ち上げ時からスタッフとして関わる大内伸輔をスピーカーに迎えました。「中間支援」の役目を担うプログラムオフィサーである大内や佐藤が、中間支援の役割や仕組み、意義を紹介します。

副読本は彼らが企画・執筆を担当し、2019年3月に発行した書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために―東京アートポイント計画2009-2018』(以下『これからの文化を「10年単位」で語るために』)。第1章の「中間支援の9の条件」から東京アートポイント計画や中間支援を紐解いていきます。「東京アートポイント計画は、どのような仕組みか」「アートプロジェクトの現場では何が起こっているのか」「よりよい現場づくりに必要なこととは何か」をポイントに、実践から見えたことを解説しました。

写真右:『これからの文化を「10年単位」で語るために―東京アートポイント計画2009-2018』。

そもそも「東京アートポイント計画」は、どのような事業でしょうか。東京アートポイント計画のパンフレットによると「アートポイント」とは「アートプロジェクトが継続的に動いている場であり、その活動をつくる人々が集まる創造的な拠点のこと。単に場所を指しているのではなく、アーティスト、運営スタッフ、ボランティア、その場を楽しむ来訪者も含めて『アートポイント』を形成しています」と書いてあります。「アートポイントはプラットフォームと言い換えることもできます」と大内。東京にたくさんの「アートポイント」を生み出すため、「東京アートポイント計画」は2009年にスタートしました。

東京アートポイント計画の大きな特徴は、NPOと東京都とアーツカウンシル東京による共催事業であること。そして、東京アートポイント計画を主導し、大内や佐藤が属するアーツカウンシル東京事業調整課が「中間支援」としての組織であることが他の公的な文化事業とは異なる点です。書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために』に記載された「設計思想」(p.9)には「まち・人・活動をつなぐために、公共文化事業の新しい中間支援システムをつくる」こととあります。この「中間支援」という仕組みを取り入れることで、地道な活動に時間をかけて寄り添うことができます。長期的に見ると、そうした文化事業こそ地域にとって必要な資源となっていくのではないでしょうか。

協働のかたち/拠点づくり/コミュニティが育つ環境 〜「9の条件」から1〜

ここから「中間支援の9の条件」を読んでいきます。「『条件』とは、この条件がすべてそろったからうまくいくという回答ではなく、こういう要素があるといい、というもの」だと佐藤。このレクチャーでは、9の条件のうち6つが紹介されました。前半のレクチャーは「『協働』のかたちを探る」「『拠点』づくりの要件を考える」「『コミュニティ』が育つ環境をつくる」です。

・「協働」のかたちを探る(『これからの文化を「10年単位」で語るために』 p.20)
一つ目の「『協働』のかたちを探る」では、さまざまな共催のパターンや、そのメリットについて話されました。東京アートポイント計画のなかでもとりわけ共催団体数が多いのが「アートアクセスあだち 音まち千住の縁(以下、音まち)」。音まちはアーツカウンシル東京、東京都、NPOのほかに、足立区、東京藝術大学の5者によるプロジェクトです。「人が増えれば増えるほど、意志決定と情報共有にテクニックが必要となりますが、アートプロジェクトは関わりが増えることで進行や広がり方が変わります」と大内。難しい情報共有ですが、2週間に一度の定例会議のほか、メーリングリストを活用しながら連絡や調整をしています。8年ほど続くメーリングリストは、1万2千件以上のやりとりが行われているそうです。

・「拠点」づくりの要件を考える(p.26)
次に「拠点」づくりについてですが、ここでの「拠点」とは文化が生まれる場所を指しています。東京アートポイント計画の主な目的の一つは「文化創造拠点の形成」です。拠点づくりのため、大事なことや必要なこととは何か。1年ごとに、多様な拠点のありかたが模索された豊島区での「としまアートステーション構想」が例にあげられました。「1年目は雑司が谷のある遊休施設の活用、2年目は木賃アパートでの展開、3年目は福祉施設や区役所などさまざまな場所で活動を展開してきました。それらは、多種多様なスペースのありかたを考えたデモンストレーション(実験)でした。この実験が文化の生態系を育むことにつながっていく」と大内。佐藤は「集まれる場所があることは、特別にイベントをやらなくても、自然と何かが生まれることがある」と拠点の重要性を語りました。

・「コミュニティ」が育つ環境をつくる(p.32)
3つ目の「コミュニティ」について。JR中央線の吉祥寺駅から高円寺駅周辺で活動するプロジェクト「TERATOTERA(テラトテラ)」が取り上げられました。「TERATOTERA」では、「関わる人が1000人いれば、地域が変わるのではないか」との思いから当初より「テラッコ」という運営チームをつくっています。テラッコは無償の活動ですが、徐々に人数も増え、10年近く迎えた現在は新たな組織「Teraccollective(テラッコレクティブ)」をつくり、自ら有償の仕事をとって動いています。「自ら活動できるよう、チームとして成熟するまで、関わっていく。我々の役割の一つでもあります」(大内)。

また、佐藤は「折に触れて手伝う人」の存在に着目しました。「プロジェクトの年月が重なることで、困ったときに声をかけやすい関係性が生まれます。『広報担当』『施工担当』といったプロジェクトの役割ではなく、『鈴木さんは発信が得意だから』『高橋さんは壁を立てるのが上手だから』と個人の名前から集まりができていくのではないでしょうか」。

事業予算の適正規模/多様性の保持/評価の仕組みづくり 〜「9の条件」から2〜

後半では、「『事業予算』の適正規模を探る」「『多様性』を保持する」「『評価』の仕組みをつくる」の3つを紹介していきます。

・「事業予算」の適正規模を探る(p.40)
後半の最初は、気になる予算の話。東京アートポイント計画では、一つの事業を3〜5年かけて取り組んでいます。ですが予算計画は単年度ごと。その予算の使いかたをNPOと一緒に考えることを大事にしてきました。「大きくわけると、予算の使い道は管理費(人件費)と事業費(プログラム費)の2種類です。予算がたくさんあれば良いというものでもなく、その事業に適正な予算規模があり、その費用の配分をNPOと一緒に計画していきます」と大内。特に、他の文化事業の助成金と比べると、人件費に予算をかけられることが東京アートポイント計画の特徴の一つです。「アートプロジェクトは運営する人がいてはじめて動きます。担い手が育つ環境を整えることも意識しています」と話しました。

・「多様性」を保持する(p.46)
「多様性」の保持とは? 東京アートポイント計画では常に10前後のプロジェクトが動いていますが、そのプロジェクトはどれも千差万別。規模もテーマも地域もさまざまです。特に、東京アートポイント計画では今後予想される社会課題に対して取り組んでいます。「社会課題とは、防災、環境、福祉、教育、移民などさまざま。そうした分野と連携しながら活動しています」と大内。

例えば、障害やジェンダーなどさまざまな境界線を探る研究型プロジェクト「東京迂回路研究」、多死社会に向けて看取りに取り組んだプロジェクト「東京スープとブランケット紀行」など。こうした社会的なテーマと向き合う多様な活動が同時に走っている状況は、次の項目でもある「評価」においても重要です。「複数のステークホルダーに対して説明責任を果たすために、また未来へ応答する価値を生み出すために、多様なアプローチが必要です」と大内は話します。

・「評価」の仕組みをつくる(p.50)
来場者数や経済効果など、数字では計りかねない価値をどのように伝えていけばいいのでしょうか。東京アートポイント計画では、その見えない価値を伝えるために、評価の仕組みを自分たちでつくっています。例えば、NPOと1年間の事業目的を共有するための「はじめのシート」と「おわりのシート」。事業として当初の目標を達成できているか、組織として達成できているか、とさまざまな側面から検証します。「東京アートポイント計画では、新たな組織を育てることが大きな目的の一つです。いかにチームビルディングができているか、適正な規模で活動できているかを常に確認しています」と大内。

「評価がなぜ必要かという理由は3つあります」と佐藤。「『説明責任』が一つ。次に『事業改善』の機能。事業と組織、それぞれの目標を一緒に確認することで対話ができます。3つ目が『価値創造』の機能。これはドキュメントなどにまとめることと関わります」。東京アートポイント計画では、この10年で200冊を越える本を制作しています。冊子やウェブメディアなどで活動を伝えることは、何か価値なのか、をまとめる作業でもあるのです。

10年続けてきた成果とは? 〜会場の質問から〜

「中間支援の9の条件」から6つの紹介を終え、最後に会場からいくつかの質問がありました。

東京アートポイント計画で制作した成果物を配布しました。

Q. 東京都が直接NPOに支援するのではなく、アーツカウンシル東京を通して支援することのメリットはなんでしょうか。

A. アーツカウンシル東京のなかには複数の部署があり、東京アートポイント計画はそのうちの一つとなります。東京アートポイント計画では、資金的な支援だけではなくスタッフがついて対応したり、他の自治体と共催したりと、複合的な支援を提案していることが特徴です。プロジェクトの実践方法や組織のマネジメント等も含めてその可能性を伸ばすのが東京アートポイント計画の役割と考えています。

Q. 長期的なプロジェクトの重要性は、まだまだ理解してもらうのが難しいと感じます。どのように伝えていますか。

A. まさに今日の講座もそうですが、10年続けてきた成果を語ることだと思います。日本では、2000年代の前半からいろいろなアートプロジェクトが動いていますが、「越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭」や「BEPPU PROJECT」など、10〜20年続く先行事例もあります。そうした先行事例からもわかるように、10年以上続けたからこそ見える成果がある。私たちもアプローチの仕方を変えながら、どのように成果を拾うかはこれからも考えていきたいと思います。

Q. ドキュメントやアーカイブを大切にされていますが、その役割分担や予算の比率について教えてください。

A. 役割分担についてはケースバイケースです。基本的に、NPOが主体となってつくりますが、残すべき価値やエピソードなどは、私たちのほうで提案することもあります。アーカイブにあてる予算は役割分担にも関わります。一つのドキュメントをつくるときも、デザイナー、ライター、編集者などが関わることもありますし、全体の予算に応じて外注しない場合もあります。特に、現場は実践がベースなので、編集に予算をどのように割くかは議論になります。全体の予算規模や、チームの体力によって変わります。

Q. 良い企画とは、どのように定義しているのでしょうか。また既存のプロジェクトに創造性をもたせるために、どのようなアドバイスをされていますか。

A:スタートするときの基準として、創造性や実験性を鑑みています。それが「良い企画」の基準なのかもしれません。スタート時に面談をするのですが、何がチャレンジポイントなのかを必ず聞いています。何を新しくやろうとしているか、そのオリジナリティは何か。例えば、本に収録されたインタビューで語られていますが、NPO法人トッピングイーストのインタビューで、ディレクターの清宮陵一さんが「利き手を封じた時に見える豊かさがある」と語っています。ビジネスの世界で働いていた彼が、あえてその得意分野を封じたからこそできたことがある、と言っていたのです。これまでの経験を生かすことももちろん大事ですが、いかに違う方法でチャレンジできるか。それから面談では、誰と新しいことをはじめますか、という質問もしています。一人の強いリーダーの思いだけではなく、集うメンバーたちが大事だと考えています。

Q. この10年続けて見えた成果はありますか。
A:『これからの文化を「10年単位」で語るために』にまとめた9の条件が一つですが、それは回答ではありませんでした。この「条件」を共有することで、これからさらに増やしていきたいし、「こういう要素があるのではないか」といった議論をしたいと考えています。また、10個目の条件には「時間をかける」があるかもしれません。

最後に佐藤は「『コミュニティ』が育つ環境をつくる」で話が出た「折に触れて手伝う人」についてを例に出しながら、「『折に触れて手伝う』といった弱いつながりが生まれたことが、時間をかけたことの成果かもしれません。小さな関係性や多様な関わりは、事業の成果として見えにくいのですが、それこそが地域や自治にとって重要ものだと思います」と結びました。

執筆:佐藤恵美
撮影:齋藤彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

*本レクチャーで使用した書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』について、こちらでご紹介しています。PDF版は無償公開、印刷版はオンラインや各地の書店様等でのご購入が可能です。現在は、PDF版のみ公開しています。

『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』。

メディア/レターの届け方 2019→2020

多種多様なドキュメントブックの「届け方」をデザインする

アートプロジェクトの現場では、さまざまなかたちの報告書やドキュメントブックが発行されています。ただし、それらの発行物は、書店販売などの一般流通に乗らないものも多いため、制作だけでなく「届ける」ところまでを設計することが必要です。

多種多様な形態で、それぞれ異なる目的をもつドキュメントブックを、どのように届ければ手に取ってくれたり、効果的に活用したりしてもらえるのか? 資料の流通に適したデザインとは何か? 東京アートポイント計画では、川村格夫さん(デザイナー)とともに各年度に発行した成果物をまとめ、その届け方をデザインするプロジェクトを行っています。受け取る人のことを想像しながら、パッケージデザインや同封するレターを開発します。

2019年度は成果物をひと袋にまとめパッキングしました。

詳細

進め方

  • 同封する発行物の仕様を確認する
  • 発送する箱の仕様や梱包方法の検討
  • 発送までの作業行程の設計
  • パッケージと同封するレターのデザイン・制作

500年のcommonを考えるプロジェクト「YATO」

次世代を担うこどもと500年後を考える

「谷戸(やと)」と呼ばれる、丘陵地が侵食されて形成された谷状の地形をもつ町田市忠生地域。「すべて、こども中心」を理念とする『しぜんの国保育園』や寺院を取り巻く里山一帯を舞台に、地域について学びながら、500年後に続く人と場のあり方(=common )を考えるアートプロジェクト。アーティストや音楽家、自然環境や歴史などの専門家や地域の団体と連携し、次世代を担うこどもと大人が一緒に取り組む企画を行っている。

実績

「500年続く文化催事=お祭り」をつくる準備としてはじまった、2017年度採択事業。運営メンバーによる「定例会」の設定にはじまり、お寺にまつわる行事に合わせてイベントを行うなど運営リズムをつくった。

地域の小学生が年長者やアーティストと出会う「やとっ子同盟」では、春から夏にかけてワークショップを重ね、秋の「YATOの縁日」で発表会を開催。地域の年長者と「YATOの年の瀬」「初午(はつうま)」を協働するなど定期的な活動のなかで、地域との関係を育んだ。なかでも、影絵師・音楽家の川村亘平斎による影絵ワークショップは定番企画となり、地域のこどもたち(やとっ子)に好評を博した。地域の植生や神話を学び、それを影絵芝居にし、お寺の境内などでお披露目した。

地域のこどもたちに向けてかつての忠生地域の姿を伝える『YATOかわら版』の定期的に発行し、近隣の小学校などでも配布した。その土地で暮らす個人の視点を通して、地域の物語や風土に触れることができるアーカイブプロジェクトを実施。聞き書きをもとに、『YATOの郷土詩』としてまとめた。また、寺院の有休施設だった「こもれび堂」をこどもたちが集まれる拠点として改修し、椅子や棚にもなる箱形の家具づくりも行った。

東京アートポイント計画の共催終了後は、拠点がある保育園や寺院などを囲む里山一帯に手を入れて、定期的にメンテナンスする「ていれのかい」を月1回開催。自然のなかの活動に興味のある若い世代とともに人が歩ける道をつくり、木材を使い、宿坊を開くなど、谷戸ならではの生態系を育む。毎年、秋祭りとして「YATOの縁日」を行うなど、地域拠点としての里山へのさまざまな入り口を用意し、500年先への取り組みを続けている。

関連記事

すべてが動き出すまでの、仕込みの5年間――齋藤紘良「500年のcommonを考えるプロジェクト『YATO』」インタビュー〈前篇〉

すべてが動き出すまでの、仕込みの5年間――齋藤紘良「500年のcommonを考えるプロジェクト『YATO』」インタビュー〈後篇〉