東京で(国)境をこえる 2020年度活動記録

「東京には見えないことにされているさまざまな壁がある」という仮説をもとに、その「見えない(国)境、壁」について考察するアートプロジェクト『東京で(国)境をこえる』。本書は、その2020年度の活動をタイムラインに沿って振り返る記録集です。

そこでは単に多様な人々が共棲するだけでなく、何らか、何にしても、一つのクリエイションを共にすることにより、個と個が、互いの違いを前提にし、それを尊重しつつも、何かしらを共有出来るような、新しい信頼関係を持った共同体(コミュニティ)が生まれるのではないか。

(p.11)
目次

『東京で(国)境をこえる』とは
『kyodo20_30』とは

2020年度の活動タイムライン
2020年4月19日~8月23日 プロジェクト準備会(オンライン)
2020年9月6日 kyodo 20_30 説明会(オンライン)
2020年9月27日~10月24日 kyodo20_30 PHASE 01 全3回<出会う&知り合う>
2020年11月7日~12月5日 kyodo20_30 PHASE 02 全3回 <試す&つくる>
2020年12月19日~2月13日 kyodo20_30 PHASE 03 全3回 <問いをみつける&アクションを試す>kyodo20_30 PHASE 04 <発表する>

参加者の声
ディレクターズノート―『東京で(国)境をこえる』 事業開始2年目を終えるにあたって

編集後記

事務局による事務局のためのジムのような勉強会 ジムジム会のひらきかた

東京アートポイント計画では、共催しているNPOとともに、プロジェクトを運営する事務局に必要なテーマを学び合うネットワーキング型の勉強会「事務局による事務局のためのジムのような勉強会」(通称:ジムジム会)を行っています。ジムジム会とは何なのか。なぜはじまり、何をどのように行い、どのような効果があるのか。「ジムジム会のひらきかた」を、実際にあったエピソードをもとに、漫画のなかでキャラクターたちがご案内します。

あなたの活動が抱える悩みを解決してくれるのは、有名な先生や 分厚いハウツー本ではなくて、自分達と似たような活動をする「おとなりさん」かもしれません。まずは似た仲間を見つけて声をかけ、 一緒に考える勉強会をひらくのはどうでしょう?

(「はじめに」より)
もくじ

まんが ジムジム会ができるまで
7つのポイント ジムジム会のひらきかた
まんが ジムジム会ができたあと
ジムジム会 開催一覧

Artist Collective Fuchu[ACF]

「誰もが表現できるまち」を目指して

郊外にある府中市に暮らす職種も年齢も多様なメンバーが集まり、身近なところにある「表現」を通して「だれもが表現できるまち」を目指すプロジェクト。異なる視点に触れ、互いの違いを尊重し、自由で活発な表現ができる土壌づくりを行っている。行政や企業、市民などさまざまな役割をもった人たちと連携し、プロジェクトを実施している。

実績

NPO法人アーティスト・コレクティヴ・フチュウ(以下、ACF)は、アートや表現活動に関心をもった人たちが集まったネットワークから生まれた。2019年度に開始した「nullー自由な場所とアートなことー」では、場所とテーマを変えて、参加者同士が交流するコミュニティづくりを行ってきた。2020年度はコロナ禍によって活動をオンラインに移行したが、2021年度には事前に一定期間、オフラインの会場でエピソードを集め、それをもとにオンラインで交流の場をつくる形式のプログラム運営も行った。

府中エリアのコミュニティFM放送局と連携した番組『おとのふね』では、毎月第1火曜日に、府中にゆかりのあるゲストに話を伺っている。2020年度からは、市内を中心に配布するかわら版『かみひこうき』を年2回ほどのペースで発行し、府中のおもしろい人や場所を紹介している。ローカルに流通する情報は、市内だけでなく、近隣地域の人々のかかわりを呼びこむきっかけになっている。

2021年度からは府中市の市民提案型協働事業として、「ラッコルタ-創造素材ラボ-」を始動。企業から不要な部材の提供を受け、アーティストのワークショップなどに活用する仕組みづくりとして、第一弾では市内にある株式会社TOKIO Labから提供を受けたダンボールチップを使い、美術家・三木麻郁がオンラインワークショップと展示を行った。小さな部材を組み合わせ、自由にかたちをつくることができ、素材として扱いやすいダンボールチップは、市が主催するフェスティバルへの出展や市内外の学校教育の現場でも活用されている。ほかにも市内外の企業から反響があり、さまざまな部材が提供されており、素材の収集と活用の循環をつくるプログラムの運用方法が課題となっている。2023年度には市主催の生涯学習フェスティバルや、都主催の多摩東京移管130周年イベント等でワークショップを行い、好評を博した。企業や福祉施設、教育施設などからの相談も増え、新たな協働者との出会いにつながっている。

近年は、プログラムが多岐にわたり、チームごとの動きが活発化していくなかで、活動を集約する拠点づくりにも手を伸ばしている。2022年度には、ACFで大東京綜合卸売センター(府中市場)の一画を暫定的に利用して「やど(仮)」というスペースをひらいた。2023年度は、ラッコルタのアーティストワークショップで現代美術家・岡田裕子とともに「モノモノローグ」を開催。参加者がさまざまな素材に触れて対話をしながら「想像」を膨らませる映像作品が生まれた。リサーチプログラム「まなばぁーと」では、持続的な活動を続けていくために「ロジックモデル」をつくり、これからの活動指針を専門家とともに見直した。そのほか、地域FMでのラジオ番組『おとのふね』の定期配信(月1回)や、かわら版『かみひこうき』の発行(年1回)など定期的な情報発信を続けている。今後も活動を継続的に地域に定着させていくため、行政や企業とのより強固な連携体制づくりを試みていく。

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ファンタジア! ファンタジア! ―生き方がかたちになったまち―

「当たり前」を解きほぐし、創造力を育む

「墨東エリア」と呼ばれる墨田区北東部は、2000年代初頭の住民主導のアートプロジェクトをきっかけに、現在も多くのアーティストが暮らす地域。そこを舞台に、地域の人々がアーティストや研究者との出会いを通じて、豊かに生きるための創造力を育む「学びの場」を生み出す試み。他者との対話で生まれる気づきを通して、自分自身の想像の幅を広げ続け、自分のなかの常識や「当たり前」を解きほぐす小さな実験をしかけている。

実績

墨東エリアでアートスペースやアートプロジェクトの運営にかかわっていたメンバーらを中心にスタート。本事業が指す「学びの場」とは、これまでの「当たり前」を解きほぐす対話が生まれるような場。そのため、対話することを重視した多様なプログラムを開発してきた。

2018年度からは、現在も継続して発行している広報紙『ファンファンレター』の発行や、ヒアリング企画「WANDERING」を実施。『ファンファンレター』は、複数の人が集まり、オリジナルのスタンプなどを使って手作業で制作しており、誰かと協働作業を行うことが前提となった設計となっている。「WANDERING」は、相手にヒアリングしながら墨田区の白地図の上に対話の軌跡を落としこんでいくプログラムで、本人も気づかなかった発見に至ることを目指している。

新型コロナウイルス感染拡大の影響により、対面で集まりにくくなった2020年度には、『ファンファンレター』に組み立て式の付録をつけ、近隣飲食店のテイクアウトと連動させたり、「WANDERING」のオンライン版ムービーを制作したりするなどといった「みじかい間、少し遠くまでの対話」を実施。また、事務局内でラジオ番組風にオンラインで情報共有をする「ラジオの時間」を設けるなど、日常のなかでの創造力を忘れず、変化する「日常」や「生活」に柔軟に応答してプロジェクトを継続した。

そのほかにもアートや教育、まちづくりなど様々な分野の研究者やアーティストをゲストに招いたトーク企画「ラーニング・ラボ」や、「安心して楽しく“もやもや”しよう」をテーマに公募メンバーが定期的に集う活動「ファンファン倶楽部」、墨田区で行われてきた文化活動のアーカイブをつくるプログラム「スミログ」といったプログラムを展開。「スミログ」では、記録に残りやすい大きなアートイベントのみならず、朧げで小さな出来事などの記録も集め、「何をアートイベント/文化事業と定義するか」という問いを携えながら、記録の整理や活用方法を模索している。

また、アーティストとともに地域にかかわり、自分たちのまちや現在を見つめ直すプログラムも開催。2019年度から2020年度にかけては、アーティスト集団・オル太とまちの歴史についてリサーチを行い、それをもとに映像インスタレーション展「超衆芸術スタンドプレー 夜明けから夜明けまで」を展開した。2021年度からは、アーティストの碓井ゆいと、1919年に発足した福祉施設「興望館」との協働プロジェクトを始動。興望館のセツルメント運動や地域の歴史をリサーチし、写真や保育日誌、同人誌などの膨大な記録に出会いながら、こどもたちと一緒にZINEをつくるワークショップ「トナリのアトリエ」や、地域福祉とアートのつながりを考える展覧会「共に在るところから/With People, Not For People」を実施した。これらの企画を通して、表現と社会活動の間の領域を模索したり、暮らしのなかに脈々と流れる創造力のあり方について考えたりしながら、アートプロジェクトの足元を問い、現在を見つめ直している。

2021年度には、東向島駅の近くに「藝とスタジオ」をオープン。これまでかかわった地域団体や参加者と関係を育み、新たな人々に出会うために、拠点交流の場として活用している。オープンスタジオを不定期で開催し、事務局メンバーの関心ごとから「リソグラフ」「アクセシビリティ」「ソーシャルワーク」などのテーマでプログラムを企画。他団体とも連携しながらプログラムを実施することで、新たな人を呼び込み、さらなる関係性をつなげている。ほかにも「すみだ地域福祉・ボランティアフォーラム」や「すみだボランティアまつり」に参加し、墨田区内で“福祉とアート”をテーマに活動する団体としての働きを積み重ねている。

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HAPPY TURN/神津島

島をめぐる「幸せなターン」を見つける

豊かな自然、神話や独特な風習が残る神津島村を舞台に、人々が島での暮らしに愛着をもち、自分ごととして島にかかわる土壌を育むプロジェクト。新たな価値観との出会いや発見によって、自分自身でつかむ変化のきっかけを「幸せなターン」と捉え、これからの生き方のヒントを探る。もともと島に住む人だけではなく、移住者や観光客、島を離れて暮らす人ともつながりながら、それぞれの考え方や文化を学び合う場をひらいている。

実績

2019年、島の中心地にほど近い通りにある元中華料理店を改装し、誰もが自由に使える広場のような活動拠点「くると」をオープン。大きな黒板や駆けめぐられる庭、音楽が流れるスピーカーのあるスケルトンの建物が生まれ、もともと島に暮らしていた人や移住者、たまたま通りがかった人、旅人など、大人からこどもまで多くの人々が行き交う風景が生まれている。

2021年度からは「アーティスト・プログラム in 神津島」を実施。島外からアーティストを招聘し、島の文化のリサーチや、島民との交流を通じて作品制作や発表に取り組んできた。アーティストの大西健太郎は、島に流れ着いた漂着物や、島の土や枝葉を組み合わせて、島民たちとともにオリジナルの盆栽をつくった。そして、それらの盆栽を持って島内を練り歩く「くると盆栽流し」では、こどもたちが自分のつくった盆栽に見せたい風景を探し、普段は見過ごしてしまうような島の魅力やおもしろさにあらためて触れる機会になった。美術家の山本愛子は、島ならではの素材を集め、刻んだり煮立てたりする染色ワークショップ「景色から染まる色」を開催。常連さんのみならず、草木染に興味を持って訪れた新たな島民たちも参加した。島の資源や染色の工程を学ぶとともに、何気ない景色にひそむ素材から生まれる思いがけない色や、布に定着した模様を楽しんだ。2022年度には、再び大西健太郎や山本愛子とワークショップを実施したほか、アーティスト集団・オル太は住民の話などを手掛かりにパフォーマンスや展示を島内の空き家でひらいた。また、ミュージシャンのテニスコーツとは「くると冬まつり2022」を開催。大人やこどもと島を巡り、島に伝わる唄や踊りを披露した。2023年度には美術家・馬喰町バンドの武徹太郎らを迎え、「くると冬まつり2023」と題し、島に伝わる民話に着想を得た演劇を上演したり、神津島の唄や踊り、参加者がそれぞれの得意技を披露したりした。島内の人々を巻き込こみながら準備に取り組んできたことで、事業に誰もが参加できる余白が育まれた。

そのほかにも、神津島福祉健康まつりへの出展や、島の空き家にある庭の草刈りをきっかけに島民が交流する「島の庭びらきプロジェクト」、島を出た人から島に住む人にメッセージを届ける映像シリーズ「やーい!~島をつなぐビデオレター~」の公開、やりたいことをみんなでやってみる「くると部活動プロジェクト」など、さまざまな企画を実施。部活動では「畑部」「まめでんきゅう部」「おどり部」など、拠点スタッフを顧問として、さまざまな世代が交流する場となっている。ウェブサイトでは、島で「幸せなターン」をしている人を探し、そのインタビューから一つの物語を共有する「HAPPY TURN/神津島 通信」を掲載しているほか、島内の全世帯に向けて活動を届ける『くるとのおしらせ』を発行するなど、島をめぐるさまざまなかかわりしろを生み出している。

※ 共催団体は下記の通り変遷

  • 2017~2020年度:特定非営利活動法人神津島盛り上げ隊
  • 2021年度~:一般社団法人シマクラス神津島

移動する中心|GAYA

ホームムービーを囲んで、語りの場をつくる

2015年から世田谷区内で収集・デジタル化されてきた、昭和の世田谷を映したホームムービーを活用して、語りの場をつくるコミュニティ・アーカイブプロジェクト。初詣、海水浴、運動会、遊園地、雪遊びといった、8ミリフィルムに写された記録をきっかけに、自分たちの生きる「いま」を考える。また、プロジェクトをともに動かす担い手の育成も目指す。

実績

世田谷文化生活情報センター 生活工房が主導するプロジェクト「穴アーカイブ」の一環として、2015年から世田谷区内で収集し、デジタル化されてきた16時間分のホームムービー。「移動する中心│GAYA」は、そのリソースを生活文化資料として活用し、語りの場をさまざまな場所につくっていくことを目指してはじまったコミュニティ・アーカイブプロジェクトである。

2019年度から、オーラル・ヒストリーを集める「サンデー・インタビュアーズ」のメンバー募集を開始。8ミリフィルムの映像に写り込んでいるロスト・ジェネレーション世代を主な対象とし、毎月第4日曜日に集合。対面で集まれなかった2020年のコロナ禍以降も、オンラインで活動を継続した。活動では、映像をじっくりひとりで「みる」、気づいたことをみんなで「はなす」、気になったことを人や資料に「きく」という3つのステップに繰り返し取り組んだ。このプロセスを通して、「昭和」という時代に向き合いながら、わたしたちがいまどのような時代に生きているのかを振り返り、市井の「誰か」の世田谷の暮らしやまち並みの記録を借りることで、「わたし」の視点を獲得することを試みた。

また、3つのステップについては、その手法や事例をまとめたプロジェクトサイトをつくり、開発したプログラムが広く活用されることを目指した。特に継続参加しているメンバーは、自分なりの「きく」方法を開発する方もいた。あるメンバーは、勤務先であるデイサービスの現場で、高齢者の方々と一緒にムービーを見て話をきくことを試みた。例えば、雪遊びのシーンを見たとき、そこに写っているものや光景から想起された当時の暮らしぶりが語られる。その言葉は聞き手にとって、過去の価値観を経由して現在を知る手がかりや、その語り手の人生に触れ、より深く理解するきっかけになる。異なる世代をつなぐ試みとしての可能性が見えた。

2022年度からは、そうした「多世代交流」の可能性を探るため、世田谷区内の医療関係者等と連携したプログラムを展開。映像を観ながら対話する場を、在宅医療の現場で設けてもらうなど、今後の他領域への展開に向けて試行錯誤を重ねている。

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500年のcommonを考えるプロジェクト「YATO」

次世代を担うこどもと500年後を考える

「谷戸(やと)」と呼ばれる、丘陵地が侵食されて形成された谷状の地形をもつ町田市忠生地域。「すべて、こども中心」を理念とする『しぜんの国保育園』や寺院を取り巻く里山一帯を舞台に、地域について学びながら、500年後に続く人と場のあり方(=common )を考えるアートプロジェクト。アーティストや音楽家、自然環境や歴史などの専門家や地域の団体と連携し、次世代を担うこどもと大人が一緒に取り組む企画を行っている。

実績

「500年続く文化催事=お祭り」をつくる準備としてはじまった、2017年度採択事業。運営メンバーによる「定例会」の設定にはじまり、お寺にまつわる行事に合わせてイベントを行うなど運営リズムをつくった。

地域の小学生が年長者やアーティストと出会う「やとっ子同盟」では、春から夏にかけてワークショップを重ね、秋の「YATOの縁日」で発表会を開催。地域の年長者と「YATOの年の瀬」「初午(はつうま)」を協働するなど定期的な活動のなかで、地域との関係を育んだ。なかでも、影絵師・音楽家の川村亘平斎による影絵ワークショップは定番企画となり、地域のこどもたち(やとっ子)に好評を博した。地域の植生や神話を学び、それを影絵芝居にし、お寺の境内などでお披露目した。

地域のこどもたちに向けてかつての忠生地域の姿を伝える『YATOかわら版』の定期的に発行し、近隣の小学校などでも配布した。その土地で暮らす個人の視点を通して、地域の物語や風土に触れることができるアーカイブプロジェクトを実施。聞き書きをもとに、『YATOの郷土詩』としてまとめた。また、寺院の有休施設だった「こもれび堂」をこどもたちが集まれる拠点として改修し、椅子や棚にもなる箱形の家具づくりも行った。

東京アートポイント計画の共催終了後は、拠点がある保育園や寺院などを囲む里山一帯に手を入れて、定期的にメンテナンスする「ていれのかい」を月1回開催。自然のなかの活動に興味のある若い世代とともに人が歩ける道をつくり、木材を使い、宿坊を開くなど、谷戸ならではの生態系を育む。毎年、秋祭りとして「YATOの縁日」を行うなど、地域拠点としての里山へのさまざまな入り口を用意し、500年先への取り組みを続けている。

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