カロクリサイクル

カロク(禍録)をめぐる表現とネットワーク

各地に蓄積されてきた「過去の災禍の記録=禍録(カロク)」を読み込み、現在に応用するためのプロジェクト。災禍の歴史をたどり、地域の歴史を掘り起こし、それらに向き合う人々と出会い、話し合い、ワークショップや展示を通じて表現を行う場をつくることから、災間期をともに生きるためのネットワークづくりを目指している。

実績

東日本大震災以降、仙台を拠点として、災禍にまつわる記録を活用し、体験を語り継ぐための実践を行ってきた一般社団法人NOOK。2022年から活動拠点を東京に移し、これまで培ってきた知識や技術をいかし、災間期を生きるためのアートプロジェクト「カロクリサイクル」をスタートさせた。

2022年度は、「リサーチ」と「ネットワークの形成」を主軸として、事業発信やワークショップを実施。都内の災禍にまつわる歴史を探るため、東京都慰霊堂や都立第五福竜丸展示館など戦災や震災、水害等に関する施設への訪問やまち歩き、活動関係者へのヒアリングを行い、そこで得た気づきや考えをnote『カロク採訪記』で定期的に発信。ワークショップ参加メンバーも執筆に加わり、さまざまなネットワークが広がりつつある。オンライン番組『テレビノーク』では、各地の災禍のリサーチや記録活動に携わる担い手などさまざまなゲストを迎え、知見や技術を共有し合う場をつくった。

また、過去の記録に触れたり、実際にリサーチや記録したりする活動を通して、新たな表現をつくるワークショップ「記録から表現をつくる」も開催した。絵画やテキストなどの記録物から表現を試みている実践者とフィールドワークを行ったり、参加者が関心のあるテーマを設定し、参加者が関心のあるテーマを掘り下げながらリサーチや制作を進め、記録から生まれる表現を探ったりすることに挑戦。2023年度からは参加者有志が、その成果を発表する展示も行っている。

そのほか、ふたつ以上の土地をオンラインでつなぎ、同時に映像や本などの資料を見て、ディスカッションを行う「カロク・リーディング・クラブ」や他団体と協働しながら江東区を中心とした災禍・防災・まちづくりに関する勉強会も実施しながら、対話を重ねるための場づくりと地域に根ざしたネットワークづくりを試みている。2023年度には東京と名古屋をオンラインでつなぎ関東大震災と伊勢湾台風の記録を読んで対話を行ったほか、「てつがくカフェ」を開催した。

2023年度からは江東区・大島四丁目団地内に構えた拠点「Studio 04(ぜろよん)」を中心に活動している。「窓」を巡る語りと写真で構成した展覧会「とある窓」では、公募で集まったリサーチャーは地域の人たちに話を聞き、文章にまとめ、展示用の冊子づくりまで行った。
2024年度に実施した展覧会「現代・江東ごみ百鬼夜行」では、区の歴史やごみに関する資料、新たに創作した物語などを展示。家庭のごみを持ち寄り「おばけ」をつくるワークショップを実施すると、会場にはこどもたちが制作した「ごみおばけ」が増えていった。展覧会の様子は江東区のLINEや情報番組などで地域の話題として取り上げられた。開室日には、企画目当ての人だけでなく、近隣のこどもたちや外国籍の住民なども、本棚にある本を読んだり、おしゃべりをしたりするなど、さまざまな過ごし方をしている。

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KINOミーティング

異なる「ルーツ」と出会い、協働の場をつくる

海外に(も)ルーツをもつ人々とともに、都内のさまざまなエリアで映像制作を中心としたワークショップを行うプロジェクト。背景の異なる人々との出会いや対話を軸とした映像制作を通して、新たなコミュニケーションや協働のあり方を発見する場をつくり出す。また、参加者が主体的にかかわれるプログラムの研究・開発も目指している。

実績

団体が過去に実施した映像制作のプロジェクト「Cross Way Tokyo―自己変容を通して、背景が異なる他者と関わる」と「Multicultural Film Making ―ルーツが異なる他者と映画をつくる」にかかわったメンバーが、ワークショップクルーとして参加者をサポートする体制を構築。経験者が継続してプログラムにかかわれるような仕組みづくりに取り組んでいる。

2022年度は、池袋・板橋・大山・要町を対象エリアとしてワークショップを開催。中国や台湾、タイ、ベトナム、アメリカなどにルーツをもつ7名の参加者が集まった。参加者は3人1組のグループとなって、インスタントカメラや録音機、ビデオカメラを活用し、対象エリアにまつわる「思い出」をテーマに、まちなかでの撮影・編集、上映を行った。お互いがもつルーツや経験、まちへの記憶について何度も対話を重ね、それぞれの価値観を反映させた『変身』『ひみつ』『JST(日本標準時)』という3つの作品を完成させた。

2023年度には、まちを歩きながら、写真と映像、インタビュー音声を用いて映像を制作するワークショップとして「シネマポートレイト」を北区と新宿区で開催。新たに、過去の参加者を対象にした「ステップアップワークショップ」も始動した。参加者が互いの日常生活に密着し、対話を重ねる短編ドキュメンタリーや、「再会」をテーマにしたフィクションづくりにも挑戦し、演技やシナリオ制作、カメラオペレーターなど必要な技術と思考を培う場づくりを行った。ワークショップの最終日には上映会を行い、詩人・管啓次郎と漫画家・かつしかけいた、写真研究者の村上由鶴、行動学者・細馬宏通をゲストに迎え、言語も文化も異なる人々が協働し、作品づくりに取り組む場の可能性について言葉を交わした。

2024年度は過去の参加者を対象とした映画制作を通年で実施。15名の参加者とともに、3つの季節を舞台にしたオムニバス映画『オフライン・アワーズ』を制作するワークショップを行った。それぞれの体験をもとにした脚本の執筆をはじめ、演出、美術、技術、俳優といった役割を参加者が交互に担いながら進行。言語や制作意識の違いによるコミュニケーションの課題にぶつかりながらも、表現の可能性と向き合い、対話による他者との協働のあり方を模索した。3月には東京都写真美術館にて試写会を開催。映画と制作のプロセスを収めた「メイキング映像」を上映し、参加者によるトークイベントも実施した。

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「映像制作」がつむぐ多文化のコミュニティ——阿部航太「KINOミーティング」インタビュー

「映像制作」がつむぐ多文化のコミュニティ——阿部航太「KINOミーティング」インタビュー

2022年度からスタートした「KINO(キノ)ミーティング」は、日本に住む海外にもルーツをもつ人たちが映像制作を行う、ワークショップを中心としたアートプロジェクトです。

さまざまな背景をもつ参加者たちが「撮影チーム」となり、カメラを片手に路上へ。東京のまちを歩きながら、お互いの話をききあったり、自身のルーツや、生活しているエリアやコミュニティとの関係を探りながら、「映像作品」を完成させます。

さらにそこでは、映像制作という協働の場を通じたコミュニティ形成や、参加者が主体的に運営にかかわるワークショップ・プログラムの研究開発も目指されています。

名前の由来は、KINO(ドイツ語などで「映画」の意味)+ミーティング(出会い)。「場所を移動しながら、映画や映像という媒体を使って、そのプロジェクトの過程でさまざまな人々と出会い、対話する」という意味が込められています。

この「KINOミーティング」の運営に携わる、阿部航太(あべ・こうた)さんは、デザイナーで、ブラジル4都市の路上で躍動する人々の姿をとらえた映画『街は誰のもの?』の監督としても知られます。阿部さんに、プロジェクトのはじまりや、これまでの活動についてお話を伺いました。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:前田実津 *1、7、8枚目)

「つくる行為」を通して人とかかわることの可能性

——「KINOミーティング」の活動はどのようにはじまったのでしょうか?

阿部:「KINOミーティング」を共催するアーツカウンシル東京とは、「Tokyo Art Research Lab」で、2020年から、連続する2つのプログラムをご一緒してきました。

その1つは、2020年度の「Cross Way Tokyo—自己変容を通して、背景が異なる他者と関わる」。もう1つは、2021年度の「Multicultural Film Making —ルーツが異なる他者と映画をつくる」です。「KINOミーティング」は、この延長上に生まれた企画です。

一連の取り組みの出発点は、「海外にルーツをもつ人とかかわりたいけれど、どう接していいかわからない。つい尻込みしてしまう」という僕自身の悩みでした。そこで、同じ悩みを感じている人たちに呼びかけ、「何をハードルに感じているのか」などを話しあってみようとしたのが、最初の「Cross Way Tokyo」でした。

——阿部さんはブラジルの路上を取材した映画『街は誰のもの?』も撮っていますが、日本で海外ルーツの方とかかわる際、どんな難しさを感じたのでしょうか?

阿部:2018〜2019年、半年滞在したサンパウロでは、路上にいろんな背景の人たちがいて、その混じり合いがすごく豊かに感じました。もちろん、そこには貧富の差もあり、すべてがいいとは言えないのですが、それぞれの人の「個」が感じられる場所だったんです。

僕はブラジルでは「旅人」で、マイノリティとしてまちにいました。その感覚で日本に戻ると、今度は自分のマジョリティ性が意識され、背景の異なる人と接する際、マジョリティの自分が、マイノリティの相手の背景を知ろうとする行為自体に、強い抵抗を感じるようになりました。相手の背景を消費するようなかたちで、興味本位でただ楽しんでいるような。海外で、さまざまな歴史への自分の無知を感じたことも、躊躇につながっていました。「Cross Way Tokyo」では、その悩みをいろんな人と共有しようとしたんです。

具体的には、集まったメンバーで一緒にまちを歩きながら、異なる背景をもつ人と向き合う際に感じていることをお互いにインタビューしあい、文章、写真、映像など、それぞれ何らかのメディアで表現してみようということを試みました。このとき気がついたのは、人とのかかわり方において「何かをつくる行為」を通して人とかかわることが、自分にとっては一番自然で可能性を感じるということでした。そこで、今度は多様な背景の方と一緒に一本の映画をつくろうと考えました。これが、次の「Multicultural Film Making」につながりました。

「Cross Way Tokyo」第4回、初のフィールドワーク。ライター・エッセイストの金村詩恩さんとともに上野公園や東上野コリアンタウンなどを散策。

おもしろい映像作品を、主体的につくることを目標に

阿部:「Multicultural Film Making」のワークショップは2部に分かれていて、まずは公募で集まった背景がバラバラなメンバーで一緒にまちを歩き、みんなの背景やルーツ、日本のまちに感じることなどをお互いにインタビューしあったり、写真を撮ったりして、一人一本、ドキュメンタリー映像作品としてまとめました。このアクティビティを「シネマポートレイト」と呼んでいます。

「Multicultural Film Making」の「シネマポートレイト」の様子。

その後、台湾出身で、大学で映画を学んだ鄭禹晨(てい・うしん)さんがそれらを束ねて脚本化し、彼女が監督して、みんなで一本のフィクション映画を制作しました。

メンバーはほとんどが映像の素人でしたが、撮影プロセスのなかにはたくさんの気づきがありました。そして何より、完成した作品『ニュー・トーキョー・ツアー』がおもしろかった。参加者のコミュニティもできていたし、ワークショップの方法論としても深めていけそうだと感じたため、これを「KINOミーティング」として続けることになったんです。

——映画という集団制作の現場に、具体的にどんな可能性を感じたのですか?

阿部:一つ大きかったのは、完成した映画を東京都写真美術館で上映してトークをした際、登壇したメンバーが楽しそうだったことです。みんな、主体的にこの制作に臨んでいたことがわかる内容だったんですね。この手の多文化交流プログラムでは、こちらのお題に沿って参加者がただ動いているという構図になりがちですが、ここではそれがクリアできたように感じたんです。

東京都写真美術館で行われた『ニュー・トーキョー・ツアー』1 DAY上映会告知。

また、制作中はそれぞれ撮影や演出などの役割を担うのですが、みんな自分の「作品」だから必死になるんです。映画の現場は監督もいるわけで、決して素朴に「みんな平等」の世界ではない。でも、そこで自分の役割を探り、お互いに補い合うなかでコミュニケーションが誘発され、他人だった人たちがチームになっていく感覚があったんですね。

僕たちはただ「対等なコミュニティ」をつくりたいのではなく、おもしろい作品をつくることを目標にしていました。チームとしてそれができたのが、一番可能性を感じたことでした。

過去の参加者に、プロジェクトを委ねていく

——そうして今年はじまった「KINOミーティング」では、2022年7月、池袋周辺を舞台に最初のワークショップを開催しています。これはどのような内容だったのでしょうか?

阿部:「KINOミーティング」の内容が以前のプログラムと大きく違う点は、東京のいろんなまちで行う点です。初回の舞台は池袋で、その土地に思い入れのある参加者を公募しました。

今回もまず3人1組となって「シネマポートレイト」からはじめました。その後、新たな試みとして、それぞれが制作した映像をグループで見て、3人の共通点を話し合う「トライアングルインタビュー」を行いました。そして、その共通点をテーマにして、今回であれば池袋を舞台に、3人で1本の映像作品を制作するというワークを行いました。

共通するテーマについて議論を深めて、お互いにインタビューをし、どんなカットが必要なのかなどを話し合って、その内容を軸にロケを敢行。編集作業も3人で行います。撮影と編集で3日間、別の1日は上映会。そして、次回はまたほかのまちで開催するという内容です。

——ワークショップ中の参加者の様子は、いかがでしたか?

阿部:活発に議論するチームもあれば、大人しいチームもあり、いろいろです。制作期間も短いので心配しましたが、結果的には『変身』『ひみつ』『JST(日本標準時)』という3つのとてもおもしろい作品が完成して、上映会では終了後も参加者たちが話し込んでその場をなかなか離れないほどでした。いい時間だったんだ、と感じました。

まちで撮影場所を探す、ワークショップクルーと参加者。

実は今回、もう一つ導入したことがあって、以前の「Multicultural Film Making」の参加者のうちの希望者に、「ワークショップクルー」という役割をお願いしたんです。これは僕らと参加者の間に入り、ワークショップのワークをリードしていく役割です。僕らの考えを理解してくれた経験者が、参加者と一緒に創作を行うんです。

僕たちが仕切るという構図は、どうしても制作が他人事になってしまったり、ワークショップ自体も形式的になってしまうため、一番避けたいことでした。そのため、僕はあくまで司会に徹して創作には介入しません。そのように「KINOミーティング」には、経験者がワークショップクルーとしてその後も運営にかかわり、主体的にプログラムを動かしてほしいという狙いもあります。

——経験者が、いわば「先輩」として次回以降の回にかかわることで、そこに横断的なコミュニティもできてくる、と。

阿部:そうです。今回も各組に経験者が一人ずつサポートでつきましたが、完成する作品が自ずと変わるんですね。そんな風に経験者がワークショップを運営する割合をどんどん増やしたいし、そのことで僕らだけではできないプログラムに変化することも、おもしろいと感じています。

体験で終わらせず、「作品」というフレームをもたせる

「KINOミーティング」ワークショップ、編集作業の様子。3組が同じスペースで作業。

——阿部さんは、常に完成した映像を「作品」と呼んでいますよね。ただの記録映像ではなく、参加者が本気でつくるために工夫していることはありますか?

阿部:僕はこのプログラムを「体験」で終わらせてはいけないと考えていて。「本格的なカメラで遊べて楽しかった」だけでなく、おもしろく、周りに評価される映像作品をほんとうにつくってほしい。ただ、それを引き出すには何かの枠組みは必要で、常にゼロから仕組みを設計している。そこが僕らが一番必死に考えている点です。

具体的には、映像をつくるプロセスを結構細かくワークショップ化しています。お互いにインタビューする、本人が街に座っているカットを撮る……など、撮る順番、やらないといけないことがわりとシステマチックにある。実はそれほど自由な現場ではないんです。

そうした枠組み、「型」は、参加者が街を見るときのフレームにもなります。街に座るカットがあれば、座る場所を探さないといけない。そのことが、このプログラムの重要な要素である、「自分と街の関係を見つめ直す」ことのきっかけになるかもしれません。

参加者はその「型」のなかで各自のおもしろさを追求しますが、ルールをきちんと守るグループもあれば無視して突拍子もないことをやるグループもあり、それが興味深いところでもあります。

そうしたルールをどこまで設定するか、枠組みの逸脱をどこまで許容するかなどは僕たちもまだ手探りです。実は僕は、別の制作のために春から高知県に移住していて、現場の設計には深くかかわれていないのですが、ほかのスタッフがすごく頑張ってくれて、何度もテストを繰り返しています。その調整は、今後もしていくことになるのかなと思います。

おもしろい作品は「ノイズ」=「異なる視点」から生まれる 

——ワークショップや上映会後の会話のなかで、阿部さんが特に印象に残っている参加者の言葉やエピソードは何ですか?

阿部:これは参加者を代表する話ではないですが、日本の美術大学に留学で来ているAさんという方がいるんです。彼女が、大学の最初の懇親会に参加した際、日本人の学生はみんな高校時代の「あるある話」で盛り上がっていたけれど、自分はその輪に入れず、どこか別物として扱われた気持ちになったと話していて、僕はそれが妙に印象に残ったんですね。

言い方が難しいのですが、確かに飲み会のような場では、背景が似た人が集まった方が盛り上がりやすく、背景の異なる人が一種の「ノイズ」になってしまうことは起こりがちだと思います。これはワークショップの場も同じ。実際、自分と異なる背景や立場をもつ人、海外ルーツの人向けにプログラムを組むことはとても大変で、考えることが何倍にもなるし、進行も複雑になります。

しかし、そこが「何かをつくる場」になると、その「大変さ」の意味が変わるんですよね。創作の場では、その「ノイズ」は「異なる視点」になる。「作品がよくなる」という次元があることで、その大変さをおもしろさに感じることもできる。Aさんの話は、自分たちがやろうとしている創作という協働の可能性をあらためて感じさせてくれるものでした。さまざまな視点をもつ人たちが主体的にかかわれる場が社会に必要なこともありますが、もっと限定的に「そうした場がないとおもしろい作品は生まれない」という感覚を強くもっています。

——今回つくられた3作品を見て、ここには他者の排除につながりかねない日本における「仲間意識」の強さや、「ただ居る」ことのできない公共空間の問題も映されていると感じました。ブラジルでの経験から、日本のまちのあり方をどう感じられますか?

阿部:確かにブラジルの路上文化は衝撃的でした。それに比べて、日本のまちのあり方に残念さを感じることも事実です。ただ、ブラジルには搾取されて行き場を失った浮浪者の方も多く、また別の問題もある。その意味では、手放しにブラジルがいいとは思いません。

何より、ブラジルで感じたのは「個」がまちを変えているということでした。だから、日本には「個」の弱さを感じるけど、まだ絶望するタイミングではないだろう、と。その状況を変える一つの契機としても、海外ルーツの方の表現活動はあり得ると思っています。

また、これは今回の企画と直接関係はありませんが、僕が高知に移住したのは、以前から関心のあった海外の技能実習生とかかわるためです。高知県土佐市の地域おこし協力隊が、技能実習生と地域住民の交流促進をミッションに掲げていて、僕もその場にいたいと思いました。

映画の協働制作と同様、こうした交流から、たとえ小規模であったとしても、僕が憧れたあの路上文化のきっかけは生まれるかもしれない。そんな淡い期待はもっています。

地域を超えた「クルー(乗組員)」というコミュニティ

——最後に、「KINOミーティング」の今後についてきかせてください。

阿部:前回のワークショップであまり上手くいかなかったことがあって、それは「まち」というものの位置づけでした。僕らは「まち」をテーマにしたくて、池袋に思い入れのある方を集めましたが、その感情は各人でグラデーションがあり、むしろ「まち」を打ち出すことで参加者を混乱させてしまった感もありました。それに、あえて打ち出さずとも映像に自然とまちは映るのだという発見もあった。その扱いをどうするのかは、直近の課題です。

プロジェクトの全体としては、前回は会場などの事情で池袋となりましたが、今後はそのフィールドとプログラムがより密接に関連して、場所ごとに完成作品にも変化が生まれるようなかたちにしていきたいと考えています。

あとはやはり、クルーのコミュニティのあり方を考えていくことですね。幸い、池袋での参加者のなかに、今後もかかわりたいという方たちが生まれましたが、その方たちにどんな立ち位置でかかわってもらうのか、どう企画に踏み込んでもらうのか、いいかたちを考えていきいと思っています。

——いろんな参加者が、地域も超えて、キャラバンのようになったら楽しいですね。

阿部:そうなるといいですよね。最終的には、いろんな地域で開催できたらいいなとも思っています。

いろんな場所のコミュニティとかかわり、その結果、そのコミュニティ同士をまたぐような協働制作が可能になれば、そこから一本の映画をつくることもできるかもしれない。そんな風に、参加者が主体的に運営にかかわることのできるワークショップ・プログラムと、ルーツのバラバラな人たちがつくる新しくておもしろい作品の可能性を、今後も考えていけたらと思います。

Profile

阿部航太(あべ・こうた)

デザイナー/文化人類学専攻
1986年生まれ。廣村デザイン事務所を経て、2018年よりデザイン・文化人類学を指針にフリーランスで活動を開始。2018年から19年にかけてブラジル・サンパウロに滞在し、現地のストリートカルチャーに関する複数のプロジェクトを実施。2021年に映画『街は誰のもの?』を発表。近年はグラフィックデザインを軸に、リサーチ、アートプロジェクトなどを行う。2022年3月に高知県土佐市へ移住。

KINOミーティング

海外に(も)ルーツをもつ人々とともに、都内のさまざまなエリアで映像制作を中心としたワークショップを行うプロジェクト。背景の異なる人々との出会いや対話を中心とした映像制作を通して、東京の「まち」や自身や他者への「ルーツ」について新たな視点を獲得する機会をつくり出す。また、コミュニティの形成や参加者が主体的にかかわれるプログラムの研究・開発も目指している。
https://tarl.jp/about/co-organized_projects/kino/

テレビノーク

東日本大震災以降、仙台を拠点として、災禍にまつわる記録を活用し、体験を語り継ぐための実践を行ってきた一般社団法人NOOK。2022年から活動拠点を東京に移し、これまで培ってきた知識や技術をいかし、災間期を生きるためのアートプロジェクト「カロクリサイクル」をスタートしました。

オンライン番組『テレビノーク』では、各地の災禍のリサーチや記録活動に携わる担い手などさまざまなゲストを迎え、知見や技術を共有し合う場をつくります。

詳細

放送日時

2022年7月より、月1回程度配信

視聴方法

番組はYouTubeチャンネルでのライブ配信とアーカイブ映像の視聴が可能です。

関連リンク

「テレビノーク」のレポートをカロクリサイクルの公式noteで公開しています。

日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈後篇〉

いま、まちのなかでアートを営むときに大切な視点、姿勢とは何か。そんな問いを、アートプロジェクトの担い手と一緒に考えてきた東京アートポイント計画の「プロジェクトインタビュー」シリーズ。今回は、2021年度より東京都多摩地域(*)を舞台にアートプロジェクト「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」を実施する、NPO法人アートフル・アクション事務局長の宮下美穂さんを訪ねました。

*多摩地域:東京都の人口の3分の1にあたる400万人超を擁し、面積もその半分を占める、都道府県レベルの規模を持つ30市町村。

多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」は、小金井で2011年から10年間活動したプロジェクト「小金井アートフル・アクション!」を踏まえ、そこで得た経験や技術を、より広域のエリアで活かしていこうと始まった取り組みです。その大きな特徴は、多摩ですでに活動している誰かと一緒にプロジェクトを行うこと。

例えば、学校の図工の先生たちとネットワークづくりをしたり、社会的養護を必要とするこどもたちの施設の職員さんとワークショップを行ったり、さまざまな社会的・環境的な背景を持つ多摩という場所についてみんなでフィールドワークをしたり。こうした活動を通して、宮下さんは、「自分たちの足元の揺らぎを感じ、佇み、見えてくるものを捉えたい」と語ります。

今回、ともに話を聞いた東京アートポイント計画ディレクターの森司は、こうした宮下さんの活動内容、そしてプロジェクトの運営手法には、一見わかりやすくはないものの、現在の文化事業や社会とアートの関係を考えるうえでの大きなヒントがあるのではないか、と言います。キーワードは「微弱なもの」。そのヒントを、二人の対話から探っていきます。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:川村庸子/撮影:加藤甫)

日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈前篇〉

足元の揺らぎと、不定形なナメクジ

――前篇ではプロジェクトに通底する宮下さんの考え方や、現代におけるその重要性を中心にお聞きしましたが、後篇は活動の中身についてもお聞きできればと思います。まず気になるのは、事業名の「地勢図」です。ここには宮下さんが造園家をされていることも関係するでしょうが、辞書を引くと「地勢」には、「土地のありさま」のほかに「人の地位・立場」「よって立つ所」の意味もある。なぜ、この言葉を付けたのですか?

宮下:おっしゃるように、人の足元にかかわることだと言えるかもしれません。そこには、揺らぎや変化がつねにある。固定されたものなんかなくて、揺らぎのなかに自分たちが生きているということ。そして揺らぎ自体も変化していく。それをそのまま引き受けようという思いを込めていますね。

それから、サブタイトルに「cleaving」という言葉を使いました。これは、荒川修作とマドリン・ギンズから教わりました。「cleave」という動詞には、「切り裂く」と「くっつく」という意味があります。切り離すことは接合することではありませんが、切り離すべき何かがなければ、こうした行為は存在しませんよね。切り離すことは、何が結ばれていたのかを炙り出します。

これは、ものの見方を変えることとは異なります。荒川さんは「切り結ぶ」と言っていましたが、外から「私」を見て相対化し、視点を変えることで、これからの私たちの暮らしについて、新しいまなざしを得ることができないか、という仮説でもあります。立脚点をずらしていくことで、その回転運動が血流を良くし、あるいは呼吸をしやすくするのではないかと考えています。

――僕は地元が小金井の隣の国分寺なのですが、今回、宮下さんたちが「ゆずりはをたずねてみる」(以下「たずねてみる」)でかかわるアフターケア施設「ゆずりは」が地元にあることに驚きました。恥ずかしながら、こうした施設があることをこれまで意識しなかったからです。宮下さんたちはこの活動で小平市の児童養護施設「二葉むさしが丘学園」(以下「二葉」)にも行かれていますが、こうした施設は多摩に多いのでしょうか?

宮下:多いと思います。そこには、土地が安くて広いという背景もありますね。ほかにも、国立精神・神経医療研究センターやハンセン病の施設があるのは、サナトリウム(結核等の療養所)の跡だったりする。都心から離れた場所に忌諱されるものを置こうという力はずっと働いてきた。

自分たちの暮らす地域についてリサーチする「たましらべ」では、多摩の過去の軍事施設の分布や、ハンセン病療養所や児童自立支援施設などの設置経緯、多摩センターの開発、水道や鉄道のインフラの歴史も調べました。『都市のイメージ』で知られる都市計画家のケヴィン・リンチではないけど、都市の「エッジ」にそういうものが集まってくる。だから「地勢図」は、「地政図」でもあります。ある種のパワーを人はどう扱ってきたか。そこから、同じく周縁化された福島から眺めてみると、我々東京はどのように見えるのか、という問題意識も生まれます。

――前篇に出てきた「ゆずりはのジャム」を認識することではないですが、たしかにそうした視点を得ると、自分のよく知ったエリアの見え方が揺さぶられる感覚があります。

宮下:そういう足元の揺らぎを感じていたいのです。それで言うと、このプロジェクトのあり方をうまく表しているのは、札幌市立大学の須之内元洋さんというデジタルアーカイブ設計者につくってもらった、プロジェクトのウェブサイトにあるビジュアルかもしれません。ページを開くとトップ画面にナメクジみたいなやつが4匹いるんですが、実はこれ、アーツカウンシル東京の紫色の三角形のロゴと真反対になっています(笑)。

――そうなんですか(笑)。

宮下:アーツカウンシル東京のロゴはとても強くて、ロゴとしては機能的で正解なんだけど、私たちはできるだけ強くないものでズラしたい、と。須之内さんは面白がってそういう意図を汲んでくれたと思います。

森:こういうことをこっそり仕込んでいるから、面白いですよね。ラッピングが絶妙すぎてめくじらを立てられないけど、感づく人は何か気づく。微弱なマネジメントですね。

宮下:カーソルで触ると不定形かつ微細に動く仕様で、捉えどころがありません。無数の線で構成されたロゴも、別のデザイナーには「ロゴとして機能していない!」と言われましたが、とても気に入っています。

多摩の未来の地勢図」のウェブサイトのトップ画面にある、ナメクジのようなビジュアル。

「勝手な盛り上がり」と、密かなズラし

――さきほど「事業の拡大が早い」というお話がありましたが、その背景にはこれまで小金井を拠点に活動してきた10年間もあるんでしょうか?

宮下:それはあると思います。私たちの活動では「わからなさ」を撒き散らかしてきたから、みんな耐性ができていたのかもしれませんね。小金井のときに学校連携プログラムを一緒にやっていた先生たちも協力してくれました。

拡大が早いのは、今日の「微弱さ」云々みたいな話を、例えば「ざいしらべ」を一緒にやっている学校の先生たちが共有しているからというより、やっぱり単純な楽しさもあると思います。今日、先生たちと竹林から材料をつくるワークショップの会議をしたのですが、勝手に盛り上がっているんですよ。夏には竹ひごをつくるワークショップをしました。ホームセンターなどで数十円で売っているものだけれど、これがとても奥が深い。大人が集まってただ竹ひごをいじらないでしょう? それにみんなハマっている。

――「ざいしらべ」では、図工の先生たちと素材の実験や研究、素材を集めてみんなが使えるようにした拠点づくりなどをしているんですよね。宮下さんが強く問題意識を共有するようなディレクションをしているわけではなく、むしろ自然に現場が温まっている。

宮下:道を定めないでよその船にしれっと乗らせてもらい、ときどき「うーん、何か違うんじゃないですか?」と言ってみたり、明るく「こんなことできます!」と言って、結局やらなかったり。そんな風に相手の文法に乗らせてもらいつつ、ときどきそれをズラすようなことをしていたら、今度は、先生たちが自分で竹を切りに行くということになったんです。

最近は大抵、教材は業者から買うじゃないですか。竹ひごづくりは案外危ないし、綺麗に仕上げるのは難しい。でも、シンプルな繰り返しに、たぶん竹の面白さを感じたんじゃないかな。竹林だけこちらで探したら、近くの小学校に集まって、自分たちで竹を切って加工する、と。事業でリアカーを買ったんです。素材は業者が車で運んでくるのが当たり前な人たちに、リアカーどうぞ、と。そうやって徐々に働きかけていって、「自分でできる感」を拡張してほしいんですね。

いま、自分の授業に自信がないと話す先生に、直径40cm、長さ4mの丸太を渡して大きなノコギリでただ切る、というワークショプを小学6年生と一緒にやってみないかと提案しています。これは、「無茶で無駄なことを教育の現場でやってもいいかもしれないね。それはそれぞれの限界を拡張するかもしれないね」というメッセージでもあります。もちろん、私たちも決して何かを教えるのではなく、必死に伴走しています。

――ワークショップや活動を一緒にやっていくなかで、いつのまにか、自分の見るもの、できることが広がっている、と。

宮下:素材は軽トラで運んでもらえるものだと思っているから、「自分でリアカーで運んで」と言われてみなさん最初は驚きますけどね。

森:それはひとつのコミュニティ形成でもあるんですよね。いままで「軽トラで運んでもらうコミュニティ」だったものが、知らぬ間に「竹を切ってリアカーで運ぶコミュニティ」になっている。コミュニティって、共通の体験がないと形成されないから、そうしたものができることで参加者のなかの「大切なもの」が微妙に変わっていくはずなんです。それを強制しないで促せるとしたら、これはアートの得意技だと思います。

図工の先生たちと素材や技術の共有をする「ざいしらべ」にて、東村山市の山に入って竹を刈ったときの様子。

宮下:一方、「たずねてみる」の方は、いまはまだアクセルをあえて全開にせず、ほどよい状態にしている部分があります。このプログラムでは、さきほど名前の挙がった「二葉むさしが丘学園」に、演劇ワークショップを専門とする花崎攝(せつ)さんに入ってもらっているのですが、彼女が100%の力を出すとすごく面白いと思うんです。ただ、まだアクセルとブレーキを交互に踏んで何かが湧き上がってくるのを待っています。というのも、そこにいる人たちの「船」に乗せてもらおうというとき、そんなに急ぐともったいないと思っているから。焦らなくてもできることがあるし、むしろその「あわい」のような時間のなかで、ゆっくりと、見えてくるものを大切に感じたい。

森:アートプロジェクトをマネジメントするとき、多くの人は既定のやりやすいレールや正義に乗ってしまう。でも、児童養護施設にいるこどもたちというのは、複雑な事情や背景や現状を抱えています。その子たちの持っている複雑さが、プロジェクトの進め方を「これでいいのだろうか」と問い直すきっかけになるかもしれませんね。

だから「たずねてみる」は、やりながらこちらが鍛えられていく活動だと思うんですよ。初めから目指す完成形があるんじゃなくて、更新していくものだろう、と。むしろ現場が発している微弱なものを、こちらが受信機として引き取れていれば、事業という航海における海図の読み違いもなく、行き着くところに行くんじゃないか。そう感じています。

宮下:それは唯一確信しています。その海図の深さと豊かさが生きる糧にもなると思いますね。

児童養護施設の職員を対象とした「ゆずりはをたずねてみる」。楽器の奏でるささやかな音に促されて、和紙に思い思いに絵を描いたときの様子。

役割を超えて、こどもの複雑性に出会う

――「たずねてみる」では、施設のこどもたちではなく、むしろそのケアをする職員さんを対象に演劇的なワークショップを行なっているそうですが、なぜでしょうか?

宮下:施設のこどもたちの複雑性という話があったけど、職員さんは社会正義に燃えた真面目な方が多いと思います。私は、かれらがこどもたちが持っている複雑さに感応することがとても大事だと思っています。

職員さんはこどもたちに社会で生きていくうえでの「正しさ」を示します。もちろん、それはとても大切な仕事なのですが、一方で、人間の本質はどちらかというとこどもたちの複雑性の方にあって、職員さんたちに、この複雑さのなかに没入してほしい。職員さんはすごく真面目で、「何かをしてあげたい」「助けたい」とつねに思っている。でも、その真面目さゆえに折れてしまう部分もあるのかなと。むしろ、この子たちが抱える辛さとか傷つきやすさに、職員さんが自分自身のなかにある同じようなやわらかさを持って出会うと変わっていくのではないでしょうか。

――「二葉」にはどのくらいのこどもがいるのですか?

宮下:定員は78人です。0歳から高校生までいますからね。いろんなプロセスを経て入所していると思います。来年から施設を出ないといけない子は一人暮らしの練習もしています。本当にいろんなことを教えてくれますね。私たちがいま主に関わっているのは、小学生から高校生までが何人かのグループになり、そこに職員さん4~5人が交代で入って一軒家に住む、グループホームです。こうしたグループホームが「二葉」の周りに点在していて、そこから学校に通うこどももいます。

そうしたなかで、ワークショップは職員さんが対象だけど、ときどきこどもが来てくれたんです。そうすると職員さんは自分の時間から、こどもが主役の時間にスイッチが変わる。それまではその辺でリラックスしてストレッチをしていた人が、こどもの前では「ザ・職員」になってしまう。そういう関係ではないところで、何かできたらいいなと。

――社会的な役割で接してしまう部分がどうしてもあるのですね。

宮下:そう、役割に生きてしまうんです。例えば、こどもをお風呂に入れることを「入浴介助」と言うんですよ。「お風呂に入れる」でいいじゃんね、と思うんだけど。

――そういう関係に疑問を持っている職員さんもいるんですか?

宮下:そう感じる人は自然に変わっていくんでしょうね。ときどき覗きにくる私と同年代の方は、お父さんでもお兄さんでもスタッフでもない、「その人」としてこどもと接しています。だけどあくまでも職員として、距離を変えない人もいると思います。それはそれで大切なスタンスであることは間違いありませんが。

こどもとの距離を相手の状況に合わせて柔軟に変えるのは、すごく難しいことだと思います。それは、こちらが成熟していないとできない。ここまでは大丈夫とか、ここから先はダメとか、そういう境目を自分で判断して状況と相手に合わせてコントロールできるのは人間として、職員として高度な技能です。いつも同じ顔をしている方がある意味では楽でしょう。でも、そこを超えないと本当の人と人との関係はつくれないと思います。

正直、壁はありますが、職員さんに「職員」の顔を外すことをしてほしい。いつかそれを攝さんにやってもらえたら。ただ、それはもう少し機が熟してからだと考えています。

東京アートポイント計画のディレクター・森司とともに話を伺った。

重なる日常と時間が支えるもの、変えるもの

森:冒頭で宮下さんは、「初めてアートが役に立つと感じた」とお話しされましたよね。そのように言うようになったことが、重要だと思うんです。おそらく、小金井の事業をやっていた頃から同じことは感じていたはずですよね。でも、いまは「アートが役立つ」とあえて口にしないといけない感じがあるということなんじゃないか。そしてそれは、美術館のなかにあるアートや戦争的なアートではなく、微弱なアートが役に立つという意味だと思います。

宮下:役に立たないものが、一番役に立っていることがありますよね。もっとも役に立たないものが、それでも居ていいと言われる、その承認が大事だと思います。

あと、アートって、曖昧さの幅がほかのジャンルに比べて広いですよね。そのあやふやな広さがあるからこそ通り抜けられる道がある気がしています。例えば、あるものとあるものが対立しているとき、その間の細い道をアカデミックな四角い箱では通れないけど、このウェブサイトにあるようなナメクジみたいな存在は通り抜けられるんじゃないかな、と。

森:アートは、役に立たない存在です。逆に何かが役に立たなかったら、それをアートだと認定してあげれば良い。大抵、多くのアーティストは、アートと言いながら妙に役に立つものをつくってしまう。役に立たないものをつくるのは意外と難しくって、これだけ意図に溢れた人工的な世界に生きていると、そのあり方がなかなかイメージできない。だから本当に名付けようのないものには、翻って貴重な価値が生まれることもあるんですよね。

今日の会話で、宮下さんが大切にするそうした「微弱さ」のニュアンスがどのくらい言葉にできたかというと、またうまく煙に巻かれた気もするけれど(笑)、ひとつだけ、ある人にとって一見わからないことをやっている人たちが、その人自身もわかってないわけではない、ということは言っておきたいですね。実はそこには確信があって、無闇にやっているわけではない。早急に説明する言葉を用意することもできなくはないけど、そうすることで失われるものがあるから、それならそっとしておいてほしい気持ちもある。言葉から逃れる密やかな時間が長ければ長いほど、ゆっくりと大切なことが育つんじゃないでしょうか。

宮下:今日は家族の話をしましたが、家具をつくったり、建物のリノベーションをしている弟は早くに連れ合いを亡くして、男手ひとつでこども3人を育てています。朝、こどもたちのお弁当をつくって、掃除や洗濯をして、学校に送り出して、仕事に行く。そういう日々を送っています。

私はそれを見ていて、大きな喪失のなかで弟が破綻せずになんとかやってこられたのは、まさにそうした日常の生活があったからではないか、と思うんです。生活には、依存とは違う寄りかかりがある。それに弟がいかに支えられたか。お弁当をつくることから始まる日常を通して、弟の方がよほどこどもたちに育てられた感覚があると思う。末の娘は出生後1年以上、病床の義妹を家族が看護するために児童養護施設で育てていただきました。こどもたちはこどもたちで深いところで、人として何かを感得した感じがします。

時間というものは面白いですよね。施設の職員さんたちも何かのきっかけでこどもたちと新しく出会うかもしれない。何かの時間や経験がその人を変えていくかもしれない。そのときに一発で変わるのではなくて、日々のなかでささやかな何かが重なりながらが変わっていくんだと思う。そういうものだと思っています。

Profile

宮下美穂(みやした・みほ)

NPO法人アートフル・アクション事務局長
2011年から小金井アートフル・アクション!の事業運営に携わる。事業の多くは、スタッフとして市民、インターン、行政担当者、近隣大学の学生や教員などの多様なかたちの参加によって成り立っている。多くの人の経験やノウハウが自在に活かし合われ、事業が運営されていることが強み。日々、気づくとさまざまなエンジンがいろいろな場所で回っているという状況に感動と感謝の気持ちを抱きつつ、毎日を過ごしている。編み物に例えると、ある種の粗い編み目同士が重なり合うことで目が詰んだしなやかで強い布になるように、多様な表現活動が折り重なり、洗練されて行く可能性を日々感じている。

多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting

文化や歴史などの「地勢」を探ることを通して、一人ひとりが自分の暮らす足元を見つめ直すプロジェクト。2011~2020年度に東京アートポイント計画と共催した小金井アートフル・アクション!が、これまでの経験を活かして中間支援的な働きをしながら、小学校や児童養護施設など多様な団体と協働して事業を行っている。
https://cleavingartmeeting.com
*東京アートポイント計画として2021年度から実施