「手話を使い会話する。」講座レポート 後編
執筆者 : 木村和博
2023.02.06
手話でのコミュニケーションの基礎とろう文化を学ぶ「アートプロジェクトの担い手のための手話講座」。
3ステップで通年開催される講座のひとつ「手話を使い会話する。」が2022年10月、3331 Arts Chiyoda 3F ROOM302にて開かれた。
講師は、俳優/手話・身体表現ワークショップ講師の河合祐三子さん、手話通訳は、瀬戸口裕子さん。全6回の講座内の前半3回の様子を、実際に講座を体験したライターの視点からお届けする。
2022年10月13日、「手話を使い会話する。」に参加するメンバー9名がROOM302に集った。
河合さん「本日はろう者のゲストを呼んでいます。みなさん、ろう者がどんな人なのか、手話とはなんなのか、知らないことやわからないことがたくさんあると思います。この場のこの時間は無礼講で講座に参加していただければ。
タブーだと思っていることでも、気になることがあれば、とにかく聞いてみてください。遠慮はいりません」
ゲストは、澤田利江さん、平塚かず美さん、福島ケンゾーさん、袴田容代さんの4名。いきなりのゲストに戸惑いつつも、さまざまな質問が挙げられていた。ここでは、交わされたやり取りをいくつか紹介したい。
澤田さん「私は2歳のときまで聴こえていました。そのあと高熱を出して、ろう者となりました」
平塚さん「私も澤田さんと同じです。1歳のときに高熱で、本当に死ぬかもしれない状況でした。薬を打った影響で聴こえなくなりました」
袴田さん「私は生まれつきです。両親はろう者です。でも妹は聴者です」
福島さん「私も生まれつきです。母が聴者、おじとおばがろう者。兄弟8人いるのですが、その中の半分がろう者、半分が聴者です」
澤田さん「鹿児島で、特定非営利活動法人NPOデフNetworkかごしまの理事長をしています。あとは日本手話の講師もしています」
福島さん「澤田さんと16年ほど一緒に仕事をしています。現在は就労継続支援B型の作業所の施設長です。以前は、放課後等デイサービス『デフキッズ』で10年ほど働いていました」
袴田さん「大学でテレワークをして3年目です。ホームページに載せるチラシをPowerPointでつくったり、Illustratorを使ってペットボトルのラベルづくりをしたり、イラストデザインの仕事をしています」
平塚さん「3つあります。1つが、日本ろう者劇団の裏方です。現代劇などさまざまなレパートリーはあるのですが、いまは手話狂言(注)がメインです。2つ目が、手話指導の仕事を月に1、2回。3つ目が浜松町にある『対話の森』で働いています」
※手話狂言
社会福祉法人トット基金 演目紹介「手話狂言とは」
「狂言のセリフは室町時代から江戸時代までの古いことばです。日本ろう者劇団は和泉流狂言師三宅右近師の指導により、昔から継承された狂言特有の動き、運びをそのままに、手話表現の研究を重ね、古典芸能にふさわしい手話狂言を作ることにつとめました。手話のセリフと声のタイミングや間の取り方にも工夫を重ね、古典芸能の強靭さと手話の豊かな表現力をあわせもつ、手話狂言が誕生したのです。台詞を手話及び声で表情豊かに表現しますので、聞こえる人も聞こえない人も共に楽しむことができます」
福島さん「生まれてから6歳までは奄美にいましたが、ろう学校がないのでやむなく『普通校』に通っていました。昭和50年代頃の話なのですが、ろう者はすごく馬鹿にされていて、いじめもあり、苦労も多く、いいことがありませんでした。家に帰れば手話ができるので早く帰りたいと考えていました。
小学校1年生になって、鹿児島県立鹿児島聾学校に通いはじめました。鹿児島県のろう学校はひとつしかないので、地元や親元を離れて、福祉施設や寄宿舎に入ったりするろう者が多くいました。
いい面としては、施設や寄宿舎だと手話でコミュニケーションがとれるんです。それがすごいたのしい。手話が日常的にあるのが幸せだった。施設や寄宿舎で、ずーっとしゃべっていて。先輩の手話を見て覚えていました。わからないものは『その手話って何?』ってたずねて。思い返すと、先輩のおかげでいまの自分があるような感覚があります」
袴田さん「わたしは3歳のときに浜松聾学校に通いはじめました。でも、私の発声が上手だったらしく、『幼稚園にいったらどう』と先生に言われて。両親は『娘はろうだけど、「普通」の子と同じ学校にいけるんだうれしい』と思ったらしくて、当時は情報も知識もなかったので、幼稚園に行きつつ、週1日だけは、浜松聾学校に口話の訓練で通うようになったんです。
幼稚園は音楽が有名なところだったので、楽器を色々やらされて苦しかったです。コミュニケーションも通じないし、会話もできない、周りの人が何を言っているのかわからないまま過ごしていました。しばらくして、浜松聾学校に通う同級生と、幼稚園がメインの私では学習の差も出てきて。両親がその状況に気づいて、浜松聾学校に戻りました。それが小学校1年生の頃です。
まずはキュードサイン(指文字とは違う方法で、口形と手の動きで五十音をあらわす方法)を学ぶところからスタートしました。中学3年生までは、授業中もキュードサインで会話をしていて。
高校からは千葉にある大学付属のろう学校に入りました。先生は日本語対応手話を使っていて、『普通校』から進学した人も、ろう学校出身の人もいて、クラスで使われているコミュニケーション方法は半分口話、半分手話という感じでした。私は指文字もできたので、それが主なコミュニケーションの方法でした。
寄宿舎にいたので、夏休みとかに実家に帰って指文字をやると、両親に『手話をやってよ』って言われていましたね。手話をより使うようになったのは、学校を卒業して、社会に出てから。そこでやっぱり手話がいいなと思うようになって。手話が最初からあってほしかったなと今は思いますけどね」
平塚さん「私は2歳から4歳まで日本聾話学校に通いました。遊びを組み合わせつつ、アルファベットが書いてあるカードを書き文字で覚える場所でした。その後は、東京都立のろう学校に通いはじめて。そこでも同じように50音の絵かるたと単語をつなげて言葉を覚えていきました。
小学4年生ごろには、口話と同時に手話で話していました。でも、手話の語彙は口話の語彙より少なかったです。高校に入って、ろうの先生や周りの生徒たちが流ちょうな手話で会話していてカルチャーショックを受けました。高校を卒業してからも、日本語対応手話でした。劇団活動を始めてから、日本手話ができるようになっていきました。
学びの手助けとしては、マンガがすごいよかったです。セリフが、吹き出しになっているのとか。後は動きとか『ドカン』とか『ゴー』とか、さまざまなオノマトペも描かれている。聴こえないからどんな音があるかわかっていなかったんですけど、聴者にはこんなふうに聴こえているのかも、と。マンガで知らない世界を知ることができた。マンガに惹きつけられて、読みながら日本語も培っていけました」
澤田さん「両親もろう者だったので家でのコミュニケーション方法は手話でした。
幼稚部3年のときに『普通校』に通うことになって、ずっと聴者の世界で生きてきました。口話が上手いわけではないし、聴者のみなさんと声の出し方が違ったと思うんだけど、まわりのサポートも得つつ聴者の世界にいました。
コミュニケーションの壁はもちろんあって。学校は『口話で読み取らなきゃ』っていう気持ちで行くけど、家の中でも口話が求められていたら心は折れていたかもしれない。通じないと困るからがんばってはみるのだけれど、ずっとそれだと、なかなか安心して関われない。家に帰ったら手話で気楽に話ができる、声を出しなさいと言われることもない。精神的に安定できる場所があってよかった。
口話は、相手が話していることを100%理解できるわけではないんです。一部わかるところを自分でつなぎ合わせている。手話勉強中のみなさんはわかると思うんですけど、一部の手話だけわかって組み合わせて内容を想像している、それと同じような状況でした。私にとって、みてわかる言語も安心して関われる言語も手話なので、そこから知識も得やすい。今は手話で楽しく生きています」
福島さん「違和感しかない。影響力があるメディアで、ろう文化が大事にされていなくて、芸能人だから有名人が演じるからっていうことだけで『ろう者』が注目されるのは残念」
平塚さん「手話は小さいときから習得していく文法がある言語。短期間で手話を習った人の表現は生きた手話ではない感じがする。日本人がちょっと英語を学んで話をしてもネイティブにはなれないように、なかなか難しい」
袴田さん「ろう者役はろう者がやるべきだと思います。それだけじゃなくて他の障害も同じだと思う。当事者の方が演じるのが適任なのではないか。その人にあった表現ができると思う」
当日は、他にもさまざまな質問が挙がった。クローズドな場所だからこそ、自分自身が持っている偏見があらわになることや、誤解されることへのおそれが低減されている環境だったのかもしれない。また座談会の途中には、ゲストから、メンバーへの質問も挙がっていた。「ろう者が無意識に出している音、ドアをバタン!と閉める音などに対して何か伝えますか?」「もし自分がろう者になったらまず何をしますか?」。それぞれじっくり考えているうちに時間は過ぎていった。
10月27日、今回は手話で自己紹介し、「ぽたぽた」「ぴかぴか」「ねばねば」などオノマトペが書かれたカードをそれぞれ1枚選び、身体で表現するワークをすることから講座がはじまった。
河合さん「前回、手話通訳者がゲストに通訳している間に、メンバー同士で会話をしている瞬間がありました。ろう者もその会話を知りたいけれど、通訳も途中なのでできない。アートプロジェクトの現場でそういったことが起こったとき、どうするのがいいのか、さまざまな立場で考えてみるのがいいかもしれません。『話をする際は、その前に挙手をする』『雑談するときに、それを通訳してほしいか/必要ないか伝える』など決まりを考えてみたり。そもそも、他の人がしているちょっとした雑談が気になる人もいれば、ならない人もいると思うので、そこに集まる人や状況に合わせて考えていく必要もあります」
前回の振り返りに続いて行ったのは、音声を使わずに呼びかけをする練習だ。音声なしで、どう相手に気づいてもらえるのか、身体を動かしながら試していく。
河合さん「相手の視界に入ることで気づいてもらえます。ただ、いきなり飛び出てくると驚いてしまうので、まずは手で合図をして近づいていくのがいいと思います。あるいは近づきすぎる前に、遠くから大きく手を振って合図を出すのもOKです」
またろう者と出会ったときに手話でコミュニケーションをとろうとするだけではなく、筆談など、その人その状況にあった関わり方を考えていくことも重要だ、と河合さんは話す。
河合さん「筆談ひとつとっても、文章だけで伝えるのではなく、絵や図を交えた方がわかりやすい場合もあります。また書いたものを消してしまうのではなく、残しておくことで、前提が確認しやすい場合もあるんです」
続いて教えてくれたのは「どうぞ、こちらです」と伝えたいときのジェスチャーについてだ。
河合さん「聴者が方向を手で示すとき、人差し指で指すのではなく、手のひら全体で示す人が多いように思います。でもそれだと、ろう者にはどこを指しているのかがわかりにくいので、明確に指差しで示してほしい場合があります。また指差しするときに、指だけではなく、表情や顎の方向、首や腕の傾きなどを工夫することで、距離感を伝えることもできます」
ひとつのやり方に縛られすぎず、その状況に合う伝え方を選んでいく姿勢の大切さを教えてもらった。そう感じながら過ごしていると、河合さんは最後に次のように語った。
河合さん「ろう者は、一方的に助けなきゃ・支援しなきゃいけない存在ではありません。一方的に寄り添ってほしい、合わせてほしいのではなく、ろう者の文脈をまず知ってほしい。その上で、一人ひとり関わり方は違うから話をして、一緒にいい方法を考えていってほしいです」
11月10日、アートプロジェクトにまつわる場面を想定して、メンバーと河合さんとでロールプレイを実施する回となった。実際に行ったのは3つの場面だ。今回は発話と手話での会話は禁止して、前回練習した筆談と指差しを使ってロールプレイが行われた。
店員役をメンバーが、お客さん役を河合さんが担当。探している本の特徴(形、大きさ、色など)を身振り手振りや筆談をしながらすり合わせていった。
展示場所を伝える役をメンバーが、実際に指示を受けて設置する役を河合さんが担当。これまでに学んだ指差しやNMM(非手指要素)などを意識しながら実践した。
受付スタッフ役をメンバーが、お客さん役を河合さんが担当。筆談なども取り入れながら、その場で最適なコミュニケーション方法を模索していった。
ロールプレイの後は、河合さんから、それぞれの対応に関してフィードバックの時間があった。どのような伝え方だと誤解が生まれやすいのか、どうするとシンプルに伝えられるのか、正解はない。ただロールプレイを自分がやってみたり、他の人が実践しているのを眺め、フィードバックをもらう。そんな機会を得られることがこれまで無かったので、実際に経験しながらコミュニケーションの選択肢を考えていける貴重な時間だった。前半3回の講座で学び、実践したことを、すでに自分が携わっている現場でどう取り入れていけるのか現場と後半の講座を往復しながら引き続き考えていきたい。
後半レポートはこちら。