「ビビらなくなってきた。何年かかってもいい」。注目の音楽家とゆっくり、ひっそり進めるリサーチ型プログラム——清宮陵一「トッピングイースト」インタビュー〈後篇〉

今回お話を伺ったのは、2014年から墨田区を中心に東東京エリアで活動を始めた、「NPO法人トッピングイースト」の清宮陵一さん。トッピングイーストの取り組みは、不況が叫ばれて久しい音楽ビジネスの外側で、音楽や音楽家の新しい生きる道、そして人々の集う豊かな場を拓きつつあります。

とはいえ、もともと音楽ビジネスの世界で活躍してきて、現在もNPO法人の運営と同時に音楽専門の会社を経営している清宮さん。求められるものがまるで異なるアートプロジェクトの現場では、たくさんの悩みや疑問にぶつかってきたと言います。そんな彼が、これまでの活動を通して考えてきたこと、掴んできたものとは何なのか。東京アートポイント計画・ディレクターの森司と訊いていきます。

〈前篇〉「利き手」を封じたときに見えるもの。これからの音楽のあり方を問いかけるプロジェクト——清宮陵一「トッピングイースト」インタビューを読む

音楽の懐の深さで遊ぶ

——地域の保護者が運営に関わることで、変わりつつある「ほくさい音楽博」。いっぽうで、参加するこどもにとって、このプログラムはどんな場所になっているのでしょうか?

清宮:もちろん、簡単に人がガラリと変わるわけではないのですが、「学校であまり喋らない子がよく話すようになった」、「学校には通えなかったけど、ここには馴染めた」など、ポジティブな反応をいただくことも多いです。これは、もともと発声をしたり、響きを聴いたりすることが人にとって前向きな体験であることもあるけれど、講師役の音楽家の力が大きいと思います。常識を超えた人ばかりですから(笑)。

:音楽家というのは、教えることのできる技術を持っている人ですよね。その技術をこどもとのあいだに置くことができるから、場をどんどん自由にしていっても、こどもに向き合えるわけです。

清宮:音楽を信じている人たちなので、こどもにもそれが伝わるのかなと思います。こどもには、学校でも家庭でも塾でもない居場所はなかなかありませんよね。このプログラムがそうした居場所の役割を果たせているとしたら、その役割は重要だなと感じます。

——ただ、プログラムの概要だけを聞くと、一般の音楽教室との違いも気になります。その違いについてはどのように考えていますか?

清宮:正直、参加者にとっては同じでも構わないと思うんです。でも、ここでの講師は、講師ではなくてやはり一人の「音楽家」なんですよ。たとえば、スティールパンの発表会では毎年同じ曲を演奏するのですが、教えてくれる原田芳宏さんは譜面を個人に合わせてどんどん変えるんです。そうすると曲は同じだけど、全体のアンサンブルは変化し続ける。さらに驚いたのは、今年の発表会に向けて練習が残り2回ほどになったとき、原田さんがとつぜん新曲を書いてきたことです。本番は本当に素晴らしくて、僕は泣いちゃったんですけど(笑)。その過程を原田さん自身も楽しんでいるんです。

「ほくさい音楽博」スティールパン演奏の様子。世界で活躍する音楽家とこどもが共に時間を過ごし、楽曲をしあげていく。

——ひとつの型に向けた鍛錬ではなくて、音楽の懐の深さで遊んでいるような感じなんですね。

清宮:ガムランも面白くて、マンツーマンではなく、全体の流れで教えるんです。全体はずっとループしていて、一人の子がズレても止めない。でも、それぞれズレたり追いついたりするから、全体としてはアンサンブルしているように聴こえる。こどもにとってその大らかな演奏の体験は、音楽だけではなくていろんなことにつながると思うんですね。おそらく、多くの参加者は成長するにつれてプログラムから離れていくのですが、その感覚はどこかに残り続けるし、ふと思い出すものではないかと思っています。

:いっぽうで、今年の発表会を見て、義太夫の演目の成長ぶりに驚きました。

清宮:義太夫は初期は参加者が0人で、僕の息子たちに頼んで出てもらう状態でした(笑)。それが徐々に人が集まり、去年からは祝い事の最初にやる「三番叟(さんばそう)」という演目を始めたんです。これは低い声と高い声を行き来するもので、すごく難しい。でも、次の発表会ではお囃子もこどもたちがやることになっていて、継続して参加する子も多いと思います。義太夫の発表会は、イベントのオープニングということもあって、熱気がすごいですね。

「ほくさい音楽博」義太夫発表の様子。毎回、たくさんの観客が駆けつける人気プログラム。

ゆっくり、ひっそり進めるリサーチ型プログラム

——まちの人が音と関わる「ほくさい」に対し、音楽家が東東京のまちへと入り込むリサーチ型のプログラムが「BLOOMING EAST」です。コトリンゴさん、寺尾紗穂さん、コムアイさん(水曜日のカンパネラ)などが参加していますが、音楽家にはまずどんな依頼をされるのでしょうか?

清宮:「東東京で音楽の新しい風景をつくりたい」という思いは伝えますが、具体的に何をしてほしいとは言いません。むしろ「一緒に何かを見つけませんか?」と。そもそも音楽家には、この地域に来る理由がないんです。ホールでライブをした方が仕事になるし、こんな場所になぜ行くのかと多くの人なら思うはず。だから、まずは丁寧にまちを一緒に巡って、ここに来る理由を見つけていく。すでにあるものをまちに持ち込むのではなく、音楽家とまちのチューニングの時間を大切にしています。

——寺尾さんとコムアイさんのリサーチの様子は、レポート記事で読ませていただきました。寺尾さんは「戦災孤児」、コムアイさんは「移民」というテーマを見つけたようですが、基本は本当にまち歩きですよね。最終的なアウトプットは、音楽をつくることくらいしか決まっていないのですか?

清宮:いや、「音楽をつくること」すらも決まっていないんです。現在もただ、いろんな場所や人に会いに行く時間をゆっくりと過ごしている。本当にそれ以上のことは何もないんです。

:もともと、「音楽家によるリサーチの仕方をリサーチする」プログラム、ですからね。

清宮:だけど、はじめは手探りでした。2015年のプログラムの初年度、僕は「リサーチ」というものが何なのかよく分からなかったんです。それで、まちを回ったあと、年度の最後に何かにまとめなくてはと思って、サッと「利き手」を出して(笑)イベントとしてまとめてしまった。

:もちろん、僕は文句を言いました(笑)。

清宮:このとき、着地点をイベントにしたことに自分でも違和感がありました。イベントの日付に向けてリサーチすることに、つじつまの合わなさを感じたんです。そこで、コトリンゴさんとの2年目は利き手を封じて、より丁寧にまちに触れました。さらに、いま寺尾さんやコムアイさんとは、音楽ということもカッコに入れて、本当に着地点が分からない状態まで戻ってみようとしています。

:リサーチの宙ぶらりんの時間に耐えられるようになった、ということですよね。一周回って、このプログラムはようやくいま当初のスタート地点につき始めている。

——しかし、その状態は不安ではないですか?
 
清宮:それが、ビビらなくなってきたんです(笑)。何年かかってもいいや、と。ただ、それはどんな音楽家でも理解してくれるものではない。彼女たちだからこそ、できるんです。

:具体的なゴールも道筋も決まっていないそのリサーチの時間は、言い換えれば「ただ普通に生きている時間」とも言えます。だけど、そうした方法論化されていない曖昧な時間があることで、このプログラムは人が簡単に消費したり、奪ったりできないものになる。

清宮:「とにかく多くの人に参加してもらおう」という考えは、「BLOOMING EAST」にはまったくないんです。音楽家の感性が、この地域で何を見つけるのか。最小限の人数でひっそりと向き合っていきたい。僕はこの活動を始めたとき、アートプロジェクトは参加型で、人を集めて、巻き込んでいかないといけないと思っていました。だけど、そうじゃなくていいんだと、ようやく思えるようになったんです。

「BLOOMING EAST」リサーチ風景。音楽家・コムアイ(水曜日のカンパネラ)さんが、「移民」をテーマにリサーチをするなかで葛飾区の「リトルエチオピアレストラン」を訪れたときの様子。詳しいレポートは「CINRA」に掲載。

具体的な「この人」と描くプロジェクトのこれから

——プロジェクトの今後も含めて、いまどのようなことを考えられているのか、最後に聞かせてください。

清宮:トッピングイーストは、今年度で東京アートポイント計画との共催を終了予定です。アートポイントからの卒業は大きな変化ですが、それで何かができなくなった、とは言いたくない。活動の形態は変わっていくでしょうが、いまは「次に行くだけだ」という気持ちですね。僕はこのプロジェクトの今後を考えると、最近、とても楽しいんです。今度の「ほくさい」の発表会は来年の2月に行われますが、その打ち上げのことを想像すると、いまからワクワクします(笑)。

——そう感じられるようになったのはなぜですか?

清宮:ビジネスの世界では音楽はお金という資産を生む道具という側面があります。でも、この活動は本当に関わる人が資産なんだと思うんです。「ほくさい」で声をかける保護者の方も、仕組みとして必要な「人手」ではなくて、顔の見える具体的な「この人」。それは「ニコス」も同じで、東京と日立と京都の三箇所にある拠点では、それぞれに「おかみさん」という中心人物が二人ずついるのですが、その人たちにこそ頼みたかった。そうした人との関係があるから、今後についてもただ楽観的な「何とかなる」ではなくて、楽しめるのかなと思っています。

——会社を辞めて、はじめは一人で何も見えないフィールドに立っていたけれど、いまではあちらにもこちらにも信頼できる人たちの顔が見えるようになったと。

清宮:時間をかけてその状況ができたこと自体が、これまでの活動の最大の価値だと思いますね。

:これからが楽しみと言えるのは、共催を終えるにはとてもいいタイミングですよね。しんどい時間が続いたなかで、5年でよくそこまで来たなと思います。もうひとつ、今後もビジネスの世界からこうした現場に来る人はいる。そのとき清宮さんは、おそらく同じ悩みにぶつかるその人たちの良い話し相手になれると思うんです。ちょっと前の自分を見ているような気持ちになるだろうから。

——ビジネスの気持ちも、NPOの気持ちも分かるわけですからね。利き手も別の手も使える。

:現在のビジネスの世界は、とくに2020年の東京オリンピックに向けて、とにかく「利き手を使え!」という状況ですよね。「逆の手を開発しよう」なんて言える状況ではない。でも、分類しがたいものからしか新しいものは生まれないし、2020年以降は、利き手ではない手でしか感じられない微細なものがかならず重要になると思います。そのとき、清宮さんのような存在は面白いですよ。

清宮:これからも大きな仕組みではなくて、人の気持ちが動く現場をつくりたいし、見続けていきたい。そして、その小さなものがいずれ、仕組みの変化につながればいいと思っていて。音楽や音って、ビジネスにもなりますけど、もともと、それがあることで周りに人が集まれるようなものでもありますよね。僕自身、喋るのは得意ではなくて、音楽があるからこそ人と関係を築けてきた。そうした価値化が難しい力が音楽にはあるし、僕はその力に絶対的な信頼があるんです。インディペンデントな立場で、それを今後も探っていきたいですね。

Profile

清宮陵一(きよみや・りょういち)

VINYLSOYUZ LLC 代表/NPO法人トッピングイースト 理事長
1974年東東京生まれ。2001年音楽レーベル「vinylsoyuz」を立ち上げ、2006年に即興バトル・ドキュメンタリー『BOYCOTT RHYTHM MACHINE II VERSUS』をリリース。ライブヴァージョンとして国立科学博物館、後楽園ホールにて公演を実施。2016年にはNYスタインウェイ工場にて「スガダイロー vs JASON MORAN」を実現、日本人音楽家が海外に挑むプロジェクトとして五大陸制覇を計画中。
坂本龍一氏のレーベル「commmons」に参画後、音楽プロダクション「VINYLSOYUZ LLC」を設立し、現在は、青柳拓次(LITTLE CREATURES)、和田永、蓮沼執太、相対性理論といった音楽家らと協業する傍ら、特別なヴェニューや公共空間でのパフォーマンスを多数プロデュース。
2014年に始めたNPO法人トッピングイーストでは、東東京をベースに音楽がまちなかで出来ることを拡張すべく「ほくさい音楽博」「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」「BLOOMING EAST」を展開している。

トッピングイースト

http://www.toppingeast.com/about/

「利き手」を封じたときに見えるもの。これからの音楽のあり方を問いかけるプロジェクト——清宮陵一「トッピングイースト」インタビュー〈前篇〉

アートプロジェクトを運営する人たちへの取材を通して、その言葉に、これからのアートと社会を考えるためのヒントを探るインタビュー・シリーズ。今回お話を伺ったのは、2014年から墨田区を中心に東東京エリアで活動を始めた、「NPO法人トッピングイースト」の清宮陵一さんです。

トッピングイーストの取り組みの柱は、音と人とまちの新しい関係性を探ること。近隣のこどもたちと世界の響きの美しい楽器の演奏を楽しんだり、電化製品を改造した楽器によるオーケストラをつくったり、人気の音楽家とまちに深く入り込むリサーチをしたり。その活動は、不況が叫ばれて久しい音楽ビジネスの外側で、音楽や音楽家が新しく生きる道、そして人々の集う豊かな場を拓きつつあります。

とはいえ、もともと音楽ビジネスの世界で活躍してきて、現在もNPO法人の運営と同時に音楽専門の会社を経営している清宮さん。求められるものがまるで異なるアートプロジェクトの現場では、たくさんの悩みや疑問にぶつかってきたと言います。そんな彼が、これまでの活動を通して考えてきたこと、掴んできたものとは何なのか。東京アートポイント計画・ディレクターの森司と訊いていきます。

何も見えないフィールドに立つ

——トッピングイーストの活動は2014年に始まりましたが、清宮さんは以前、大手レコード会社に勤めていたそうですね。まちを舞台にしたアートプロジェクトの世界へと足を踏み入れたのは、どのような経緯からだったのですか?

清宮:よく言われることですが、音楽産業っていま、調子が良くないんですね。CDを売って、ライブツアーをして、という従来の仕組みが回らなくなって、出口が見えない状態が続いています。僕が働いていたのは坂本龍一さんが手がけている「commmons」というレーベルで、所属する音楽家はみんな真剣に音楽に取り組んでいる方たちでした。でも、産業全体が、本気で音楽をしている人が生きていけない悪循環に陥っている。そうしたなかで、自分にとっても音楽家にとっても、ほかの抜け道を見つけないといけないのではないか、と感じたんです。

——退社後は、どんな活動をされたんでしょうか?

清宮:とりあえず、墨田区の家の近所にあった鞄屋の倉庫で投げ銭コンサートをやりました。スティールパン奏者の原田芳宏さんたちを呼んで、近所の人に音を楽しんでもらった。内容は違いますが、これはその後プログラムになった「ほくさい音楽博」の第1回です。2010年の夏ですね。とても幸せな雰囲気だったのですが、これまでの仕事との手応えの違いに戸惑ってもいたんです。僕は「音と人とまちが交わる」なんてことをボンヤリ考えていました。だけど、現実にまちに出てみたら、「売り場」は見えないし、何をもって成功なのかも分からない。さて、どうしようと(笑)。

——焦りますね(笑)。

清宮:何もないフィールドに立っている感じでしたね。そんなとき、以前知り合った東京藝術大学の熊倉純子先生から、「新しく『アートアクセスあだち 音まち千住の縁(以下、千住)』というプロジェクトが始まるんだけど、いいスタッフはいない?」と聞かれたんです。そこで、2011年の秋に、足立智美さんや野村誠さんなどが出演するキックオフイベントを見に行ったのですが、これがいろんな意味で自分の常識を逸脱したものだった。本番とは思えないほどユルかったり(笑)、とても実験的だったり。未知のものに触れたショックを受けて、すぐ熊倉先生に「僕にやらせてください」と伝えたんです。

——そこで初めてアートプロジェクトに関わったわけですね。現場にはすぐ慣れましたか?

清宮:いや、そこからさらにモヤモヤが増えていきました……(笑)。

——モヤモヤ?

:さっき「売り場」という話もありましたが、清宮さんはもともとペイドワークとしての音楽のプロなんです。ポップなイベントは簡単につくれてしまう。でも、アートプロジェクトはアンペイドワークですよね。清宮さんは、この「ペイド」と「アンペイド」の狭間で悩み続けてきた人なんです。

——というと?

:清宮さんにとって音楽を使ったビジネスは、自身が慣れている手法で展開する、いわば「利き手」を使うような活動でしょう。アートプロジェクトの世界は、それとは逆の手の使い方を知りたくて入った場所だった。だけど、逆の手を使わないといけない現場でも、強すぎる利き手がさっと出て来て、悪さをするんです(笑)。

——現場をまとめすぎてしまうということですか?

:そう。気づくと、きちんとまとまったイベントにしてしまう。だから、アートプロジェクトをやるには一番不幸な人とも言える(笑)。力を出せば出すほど、現場で求めるものと違うと言われるわけだから。

清宮:森さんからはよく「利き手を使うな!」と言われましたね。僕は千住で「参加型」という言葉を聞いて、「それって何だ?」と思ったんです。参加の意義はお金のような基準で測れないし、そもそも参加してもらうとはどういうことなんだと。でも、その分からなさに徐々に引き込まれていったんです。

「利き手は使うな!」

——そこからトッピングイーストの開始までは、どんなことを考えていたのでしょうか?

清宮:いままで、ビジネスとそうではないものの二項で話してきましたが、もちろん、その中間にはいろんなグラデーションがあります。僕はその中間で、もっといろんな「参加」のあり方、人と音の関わり方があるのではないかと感じていました。たとえば千住では、力のある著名な音楽家が参加の仕組みをつくっていましたが、影響力があるだけに、参加者の顔ぶれはどうしても毎回似てしまう。これに対して、自分でも新しい仕組みを探すべきだと思いました。

——既存のプログラムに乗っかるだけじゃなくて、と。

清宮:また、千住は自分の地元ではなかったので、まちの人と真剣に喧嘩できないことにもモヤモヤしていました。人々が深く参加すれば、様々な問題が出てくる。そこで何かを言うためには、自分も同じ住民という立場であることが重要です。これも、千住を離れていまの活動を始めた動機になっていますね。

——そうして始まったトッピングイーストでは、初年度から現在も続く3つのプログラムがスタートします。このなかで和田永さんの「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」(「ニコス」)は、第68回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞するなど、もっとも注目を浴びたプログラムです。

清宮:ニコスは、次の世代による新しい参加の仕組みをつくりたいという思いから始めたものです。そこで和田くんという若い音楽家に依頼して、古い電化製品を楽器に改造し、みんなで演奏するオーケストラをつくるというプログラムが生まれました。

:これは、いわば清宮さんの「利き手」が一番生かされているプログラムですよね。ニコスの成功はもともとの清宮さんの仕事を考えれば、決して意外性のあることではないんです。

和田永「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」。古い電化製品を楽器に改造し、演奏する「ニコスラボ」は、茨城県や京都府など全国各地に拡がっている。(撮影:山本マオ)

——いっぽうで「ほくさい音楽博」は、小学生がスティールパンや義太夫、ガムランなどの演奏を学んで発表会を行うプログラム。「BLOOMING EAST」は、音楽家が東東京のまちをリサーチするプログラムです。じつにバラバラですが、こうした内容を考えていくうえではどのようなやりとりがあったのですか?

:清宮さんには、「非営利のアートプロジェクトでしかできないことをやらないと、ビジネスの外に出た意味がないよね」という問いかけをずっとしていましたね。つまり、「利き手は使うな!」というオーダーしかしていない。

清宮:そう、森さんは、利き手は封じるけど、逆の手の使い方は教えてくれないから難しいんです(笑)。でも、その要求が良い意味ですごく頑なだったんですよ。だから、真剣に悩み続けられた。

——森さんのなかで、トッピングイーストのテーマのようなものはあったのでしょうか?

:いや、東京アートポイント計画として設定するテーマは特にありませんでした。でも、清宮さんには、いわゆる音楽産業とは別の方法論をアートプロジェクトで学びながらも、それをビジネスにも活かしたいという野望があった。そこが面白いと感じた部分です。利き手以外が使えるようなったら、利き手が探り当てる領域も変わるんじゃないか。ここには個人に還元されない、広く社会的に「音」や「音楽」を変える可能性があると思いました。

——清宮さん個人が変われば、公的な音のあり方も変わるかもしれないと。

清宮:トッピングイーストには、関わってくれる音楽家だけではなくて、すべての音楽家が活躍できる場を広げたいという思いがあります。音楽の世界は産業構造がしっかりあるだけに、美術や演劇に比べて「新しい場所を見つけること」に意識的な人が少ない。その場所を、産業の外に出てきちんと探したかったんです。じゃあ、人が関わることで生まれる「価値」とは何なのか? それを言語化するのはまだ難しいのですが、5年間の活動を通してその輪郭は少し見えてきたように思います。

音楽家による東東京リサーチプログラム「BLOOMING EAST」。写真は、音楽家・寺尾紗穂さんと東東京の戦災についてリサーチするため、東京都慰霊堂に伺っている様子。リサーチのレポートは「CINRA」でも掲載。「BLOOMING EAST」では、他にもコトリンゴさん、コムアイ(水曜日のカンパネラ)さんなどをリサーチャーに迎えて実施している。

みんなモヤモヤを抱えているのが見えてきた

——プログラムのなかでも、最近とくに変化があるのが「ほくさい音楽博(「ほくさい」)」だそうですね。

清宮:ひとことで言うと、場のあり方が変わってきたんです。たとえば、今年度からNPOのメンバーに加えて、参加するこどもの保護者の方と運営を一緒に進めるようになりました。いまは、NPOの4人と保護者の4人で運営しています。

——保護者の運営への関わり方とは?

清宮:演奏を教えてくれる音楽家選びから予算集めまで、すべてですね。「ほくさい」では毎年9月にこどもを募集して、翌年2月に発表会を開くのですが、準備期間も含めてあらゆる物事を合議で決めています。というのも、僕らNPOの事務局側が決めてから振るのでは、どうしても頼まれごとをこなす気持ちになるし、僕らも振り分ける側になってしまう。その関係性を突破したかったんです。

——地域の人自身が回すものになりつつあるんですね。

清宮:じつは保護者の方に委ねるというのも、森さんとのやりとりから出てきたものでした。

:仕事を人に預けてみると、言語化していない考えがふと出てくることもある。だから「振ってみたら?」と提案しました。とはいえ、「ほくさい」の場の変化は、人為的に育てた部分もあるけど、企画が化けたことが大きいと思うんです。

「ほくさい音楽博」は、世界に名を轟かせた葛飾北斎への尊敬の念を込めて、北斎の生誕地でもある墨田区周辺地域のこどもたちに、世界中の響きの美しい楽器に触れてもらい、その歴史を学び、練習を重ね、発表会を行っていく音楽プログラム。

——「化けた」?

:企画は有機体なので、筋目がないといくら頑張っても展開しません。その点、ここには参加者も、運営の具体的な手順もある。それに、何よりこの取り組みが、参加者に訴求する力を持ち始めたということですよね。こうした要素が集まった結果、運営の手が回らなくなると、周囲の関わっている人たちが自然と応援に行きたくなるような企画にいつのまにか化けていた。その意味で「ほくさい」はいま、とても面白い状態なんです。

清宮:親御さんと話していると、少なくない人が「何かをやりたい」と思っているんだなと感じるんです。地域のため、こどものためとベクトルはさまざまなのですが、みんなモヤモヤを抱えているのが見えてくる。

——地域の人にも動機があるんですね。そのなかでも運営に誘うのは、どんな方なのですか?

清宮:僕もこどもがいますが、親なら誰でも自分のこどもの演奏を見るのは楽しいんです。だけど参加者の保護者のなかには、「ほかのこどもの面倒を見てもいいよ」という人がけっこういる。そうした部分があるかどうかは、大きいですね。「この人は何か違うものを見ているな」と。短期間では分からないけど、長く時間をかけると見えてくるその信頼が、運営を一緒にするうえで重要な安心感になっています。

〈後篇〉「ビビらなくなってきた。何年かかってもいい」。注目の音楽家とゆっくり、ひっそり進めるリサーチ型プログラムを読む

Profile

清宮陵一(きよみや・りょういち)

VINYLSOYUZ LLC 代表/NPO法人トッピングイースト 理事長
1974年東東京生まれ。2001年音楽レーベル「vinylsoyuz」を立ち上げ、2006年に即興バトル・ドキュメンタリー『BOYCOTT RHYTHM MACHINE II VERSUS』をリリース。ライブヴァージョンとして国立科学博物館、後楽園ホールにて公演を実施。2016年にはNYスタインウェイ工場にて「スガダイロー vs JASON MORAN」を実現、日本人音楽家が海外に挑むプロジェクトとして五大陸制覇を計画中。
坂本龍一氏のレーベル「commmons」に参画後、音楽プロダクション「VINYLSOYUZ LLC」を設立し、現在は、青柳拓次(LITTLE CREATURES)、和田永、蓮沼執太、相対性理論といった音楽家らと協業する傍ら、特別なヴェニューや公共空間でのパフォーマンスを多数プロデュース。
2014年に始めたNPO法人トッピングイーストでは、東東京をベースに音楽がまちなかで出来ることを拡張すべく「ほくさい音楽博」「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」「BLOOMING EAST」を展開している。

トッピングイースト

http://www.toppingeast.com/about/

地域の人々が活動に参加したくなる空間とは?(APM#06)

アートプロジェクトの担い手が、それぞれの活動を紐解きながら、アートと社会についての新たなテーマを共有するトークイベント「Artpoint Meeting」。その第6回が、2018年7月29日、原宿の「TOT STUDIO」で開催されました。

今回のテーマは「プロジェクトを育てる『活動拠点』のつくりかた」。ゲストは、共創活動を促すユニークな空間や家具・什器づくりを手掛けてきた「岩沢兄弟」。最近では、東京アートポイント計画のアートプロジェクトの一つ「HAPPY TURN/神津島」(主催:東京都、アーツカウンシル東京、NPO法人神津島盛り上げ隊)で新たな活動拠点づくりにも取り組んでいます。

岩沢兄弟の仕事と考え方を入り口に、「お金がない」、「在るものを使う」、「場のルール」、「空間の色気」、「対話を生む仕掛け」等のキーワードでテーマを紐解き、多くの発見に繋がったイベントの様子をレポートします。

アートが日常に根づくために必要な「活動拠点」

台風一過の熱い太陽が照りつけたこの日。まずは東京アートポイント計画のプログラムオフィサー・嘉原の趣旨説明からスタートしました。

「東京アートポイント計画では、NPOと共にまちなかでアートプロジェクトを実施しています。大切にしているのは、一過性の“イベント”で終わらせず、継続性を持った仕組みに落とし込むこと。そして継続性を持つためには、きっかけが生まれ、生まれたものが育まれていくための場=“活動拠点”が重要です」。

オープニングトーク:東京アートポイント計画 プログラムオフィサー・嘉原妙

まちなかで展開するアートプロジェクトにとって「活動拠点」は、プロジェクトを体現する場。日々の活動がゆるやかに開かれ、その匂いにつられて人が集まり、気づけば新しいアイデアが形になっていく「企みの基地」です。東京アートポイント計画のディレクターであり、今回のトークで聞き手役を務めた森は、それを「学校における部室のような場所」と喩えます。

「メンバーが集う場があることによって、そのチームのカルチャーが継承されるような効果も生みます。東京アートポイント計画はこれまで組織づくりに重点をおいた事業展開をしてきましたが、今、改めて場所が重要なのではないか、『活動拠点』が必要なのではないかと考えています。特に最近では、豊かなプロジェクトほど、豊かな活動拠点を持ち、上手に運用しているようです。その秘訣はなにか。アートプロジェクトに相応しい活動拠点のつくりかたとはなにか。今日はそのヒントを岩沢兄弟おふたりから伺います」。

(写真右から)東京アートポイント計画 ディレクター・森司、岩沢兄弟(兄)・岩沢仁さん、岩沢兄弟(弟)・岩沢卓さん

続いてゲストの岩沢兄弟が登場。人が集い、営みが生まれる活動拠点は、どのようにつくることができるのか。これまで手掛けてきた事例をもとに、おふたりならではの空間づくり、関係づくりのアプローチを紹介しました。

兄の仁(ひとし)さんは、立体物デザインを担当。
弟の卓(たかし)さんは、Web、映像、音響など幅広くディレクションを担当。

難解なイベントには「カレー食べ放題」!? 参加したくなる仕掛けをつくる

岩沢兄弟が手がける空間のポイントは、人が触れたくなったり、参加したくなったりする仕掛けを組み込むこと。おふたりがオフィス兼イベントスペースとして運営していた東京・日本橋の活動拠点「Co-Net」(2008年〜2012年)での取り組みから話が広がります。その場所で岩沢兄弟は、勉強会やトーク、音楽イベント等を開催していました。多様な人が集まる場で、いかに良い雰囲気をつくるか。卓さんは、運営をする中で意外な方法をみつけたそう。

「僕はノイズミュージックやハードコアといったジャンルの音楽が好きで、ライブ活動もしているんですが、難解な内容だと受け取られることも多く、演奏していると中には渋い顔をする人もいるんですよ。その壁をどうにか飛び越えたいなと思って、『カレー食べ放題付き』のライブ企画をやってみたんです。だってお腹いっぱいで怒ったり不機嫌になったりする人ってあまりいないじゃないですか(笑)。そうすると、すぐには理解不能なこととか難解なパフォーマンスをしていても、お腹いっぱいだから許される。結果的に、出演者も来場者も満足してくれたし、難しめなテーマのトークイベントなどでも同じ方法でうまくいったりしました。『この方法、自分のイベントでも真似させてください!』と声をかけられたりもしましたね」。

「食」をツールに、気持ちをほぐす。例えば、活動拠点にキッチンをつくることで、そんなコミュニケーションの工夫も可能になります。

岩沢兄弟が2012年まで運営していた日本橋のオルタナティブオフィス「Co-Net」。ごく普通のオフィスビルに、セルフビルドで手を入れ、さまざまなイベントを開催した。
「Co-Net」で開催した、カレー食べ放題付ライブの様子。

アイデアを生むためのアイデア。“使い方を渡す”装置で豊かなコミュニケーションを生む

また、岩沢兄弟はオフィスのデザインも数多く手がけています。企業から寄せられる悩みの多くは、「アイデアが生まれる空間をつくりたい」「異なる部署間のコミュニケーションを円滑にしたい」等。そういった課題に応えるのは、使う人が用途を考えられるオリジナルの家具や装置です。

たとえば、ついたてやホワイトボード、植木鉢に車輪をつけて可動式にした「車輪家具」や、円形回転台付きの「中華料理店風テーブル」、さまざまな用途が生まれる「L字型ついたて付テーブル」等をこれまでに制作してきました。

「アイデアやコミュニケーションを生むためには、まず『決まったことしかしない人が多い』状況を変える必要があります。そのために、あえて空間の使い方を説明したり、家具の位置を指定したりせず、自由にアレンジできるようにするんです。そうすると、意外な使い方が出てきて面白い。例えば、L字型のついたて付テーブルを技術職の人が営業職の人に情報を伝えるために展示台として使ったり、部活動の告知としてポスターを掲示したりしていたり、などありましたね」と、卓さん。

もともとはパーテーション用に製作した「L字型ついたて付テーブル」。展示台や掲示板など、意外な用途にも使われている。(Wonder LAB Osaka)
テーブル、植木鉢、パーテーションまで、さまざまな物が動かせる「車輪家具」を取り入れたオフィス。(loftworkCOOOP10)
コンテナを組み合わせた「車輪家具」。多くの場合、好奇心旺盛なこどもがきっかけになって対話が生まれるそう。(神栖中央公園防災アリーナのためのプロトタイプ)
ものづくりをする人が集う空間。玩具的なモチーフを最初から沢山配置しておくことで、物が増えてもデザイン性を失わない空間に。(FabCafe MTRL)

神津島で始まったアートプロジェクト。「物に宿る記憶」の扱い方に気を配る

次に、東京アートポイント計画「HAPPY TURN/神津島」(以下、神津島)の一環で、岩沢兄弟が今年6月から手がけている活動拠点のつくりかたを紐解くことに。

神津島では、元々ラーメン店だった建物を活用し、新たな拠点として地域に開こうとしています。かつて地域で親しまれていた飲食店ということもあり、この場所には固有のストーリーが根付いています。しかし、記憶や想いが色濃く残っている場所の場合、「思い出」の扱いには注意が必要だと卓さんは指摘します。

「例えば店主のお母さんが残した生活記録をインスタレーション的に展示することもできます。それはたしかに魅力的です。だけど、そうすると『活動拠点』ではなく、鑑賞するための『作品』になってしまって、人々が新たに関わる余地がなくなってしまう。だから、こういった場所で空間づくりをするときは、特定の個人の想いに偏った設計にならないように意識しないといけない。思い出を集めた歴史館のようになってしまうと、どうしても閉じたものになってしまうから。新たなコンテクストを付加できるように客観的な視点をもって、その場にある物を再編集していく。それが僕たちの役割だと考えています」。

神津島での活動拠点づくりの様子。ラーメン店の閉業後、10年近く閉じていた雨戸を開放し、作業の様子を公開しながら進めた。過程をオープンにすることで、地域の人とも新たなコミュニケーションが生まれはじめている。

神津島の例に限らず、アートプロジェクトで「活動拠点」となるような場所は多くの場合、歴史や記憶を刻んだ品々が残っています。そんな現場では、プロジェクトにとって不要なものと必要なものを判断していくことが求められます。

「そんなときは、買い物をするときも地域に根ざした商店に行ってまちの人と積極的に会話し、活動拠点を構えようとしている場所について聞いてみるんです。そうして、その場所が地域の人にとってどんな文脈のもとに置かれていて、どんな記憶を背負っているのかを掴む。そういったリサーチは、物の取捨選択の裏付けにもなるんですよ」と卓さん。

活動拠点として開く前の状態。島内のメインストリートにあったラーメン店だが、閉店後は長くこの状態で、雨戸が開けられることも無かった。
片付け前の店内。閉店当時のまま、たくさんの物で溢れていた。

アートプロジェクト特有の「曖昧な関係」を、ゆるやかに混ぜる

オフィス空間からイベントスペース、アートプロジェクトの活動拠点まで、さまざまな空間を手がける岩沢兄弟。では、アートプロジェクトだからこそ工夫しているポイントはあるのでしょうか。その疑問に対し、仁さんは、人々の関係性の違いに注目した仕掛けについて、明かしてくれました。

「オフィス空間であれば、上司と部下とか、営業職と技術職とか、役割が固定しているから、その関係性をほどくことでコミュニケーションが生まれやすくなります。でも、アートプロジェクトのように、地域に開き、誰でも参加できるような場において、人の役割はそもそも曖昧。だから、あえて役割をゆるやかに規定してくれる既存の物を使いながら、関係性がシャッフルされる仕掛けをつくりたいと思っています。例えば、『カウンター』って便利な装置なんですよ。カウンターのどちら側に立つかで、『提供する側』なのか『提供される側』なのかが規定されるので。だからカウンターの内側に自由に入れるようにして、分かりやすく役割が変わるようにデザインすると、新たなコミュニケーションが生まれます。『店員さん』『お客さん』が自然と変わりうる。いわば『ごっこ遊び』を加速させる装置をつくり、誰もが一回メンバーになれる仕組みを提供します」。

元ラーメン店のカウンター跡。誰もが気軽に使えるように整える予定だ。

そのように、人が「触れてみたい、参加したい」と感じる空間には、心を惹かれる“色気”があるはず。その“色気”とは一体どうやってつくるものなのでしょう。仁さんからは、意外な答えが返ってきました。
「どんな空間も、装置も、まっさらで綺麗にまとめすぎると、展示品のようになってしまう。そういうものに、人は手を出せません、だからあえて引っかかる、『淀み』のような部分が大切なんですよ」。

綺麗なだけでもだめ、役割が明確すぎていてもだめ。アートプロジェクトにおいて、豊かなコミュニケーションを促し、新たな関係性を紡ぐには、目に見えない空間の「デザイン」も必要です。

第一弾の片付けを終え、テスト的に開いた神津島の活動拠点。これからも時間をかけて手をいれていく予定。

「よそ者」の立場を活かし、完成形はつくらない

今回のArtpoint Meetingはいよいよ終盤になり、会場からの質疑応答へ。

最初の質問は、「地域で新しい活動を始めるとき、快く思わない人たちも出てきてしまう。そのような人たちをどのように巻き込んでいけばいいのか」というもの。そのような課題に対して、「よそ者」であることをポジティブに使ってきたと卓さんは言います。
「『よそから来たよく分からないヤツが何かやってるぞ』って状態だからこそ、できることがあると思うんです。僕らがよく使うのはだじゃれ。相手を笑わせてしまえば打ち解けやすいです。あと、こどもが先に参加することで、親がつられて興味を持ってくれることもよくあります。他にも作業中に活動拠点を開いてプロセスを見せたり、相手の懐に飛び込んで関係性をつくるようにしています」。

続く「活動拠点づくりを終えた後、どのように地域に預けるべきか」という質問には、仁さんは「完成形をつくらないこと」だと答えました。

「僕の場合は、あえて使い方を考える余地を残して空間をデザインしています。完成形だと壊しちゃいけないと思うし、触れにくくなるから。格好良すぎて使われなくなるぐらいなら、最低限格好悪くならない状態で地域の人が運用できるデザインにまとめる。あえて完全なものにしないことで、使う人が試行錯誤して変えていけるようにしています。本当は、活動拠点を使いはじめてからもう一回、声をかけてもらえるのがベストですね」。

アートプロジェクトと活動拠点づくりのこれから

最後は、アートプロジェクトや活動拠点づくりの今後について、登壇者それぞれがまとめました。

「僕は、プロジェクトを『育てる』という点がまさに気になっています。神津島の場合は、『プランターがあるんだけど何植えよう?』という相談がきたのに、色々考えたら『土壌改良からやるしかない!』となっていった感じ。主催するNPO法人神津島盛り上げ隊のメンバーと一緒に、活動拠点づくりだけでなく、活動や地域そのものの問題にも向き合っています。企業案件とは違い、地域におけるアートプロジェクトは長く続くもの。持続性にこだわっていきたいと思うようになりました」(卓さん)。

「アートプロジェクトにおける活動拠点って、自分たちも、巻き込む周りの人たちも、仕事だけでなく、生活やプライベートな部分が滲み出てくるものだと思っています。仕事モードだけで考えるのではなくて、ちゃんとオフの部分にも目を向けて設計する必要があるなと感じています」(仁さん)。

そして、最後は、東京アートポイント計画ディレクターの森による総括で締めました。

「岩沢兄弟は、空間づくり“だけ”の仕事をしているのではなく、ある種アーティスト的に、活動拠点づくりを通じ、地域の物語や関係性を再編集するようなアクションをしています。まさにそれこそ、拠点づくりがプロジェクトを育て、人を育てる手段でもあると私たちが感じている点です。最近では、民家やまちの遊休スペースを再生して活動拠点として使うようなアートプロジェクトも増えてきました。神津島も含め、こういった新しい『つくりかた』そのものについても、これから開発していければと思います。ぜひ皆さん、一緒に参加してください」。

今回の「Artpoint Meeting」では、プロジェクトを「育てる」という視点で、活動拠点づくりについて考えてきました。ビジネスとアートの両方を横断しながら、クリエーションを続ける岩沢兄弟には、ハードとソフト両方における「活動拠点のつくりかた」のヒントをいただけたのではないでしょうか。始まったばかりの神津島の今後や、次回の「Artpoint Meeting」もどうぞお楽しみに。

当日はアーツカウンシル東京発行のアートプロジェクト関連ブックも多数配布。

(イベント撮影:加藤 甫)

そこにある生活を描き出す まなざしを更新しつづけることは可能か?

日々の営みから、「小さな文化」を掘り起こすために必要な姿勢を考える

いつも見ている風景や日々の生活のなかにも、実は複雑で多様な世界が存在しています。しかし、そこにあることに慣れてしまうと、なんとなく過ぎ去っていく風景や行為の一部になってしまいます。

そんな「当たり前」なことへ好奇心を抱くことは、習慣化して見えづらくなった日常の断片を掬うことにつながり、さらにそのかけらが他者と共有可能なものとして記述されたとき、あらためてわたしたちは日常生活が驚きと発見で満ちていることに気づくのではないでしょうか。まちに入り込むアートプロジェクトを行うためには、こうした土地や人々の暮らしに新たな解釈や可能性を見出そうとする姿勢が必要になってくると考えています。

日常の断片を集め、共有可能なかたちで記述するための方法とは? それを読み解き、新しいものを生み出していくプロセスとは? このような問いかけを日々の営みのなかから立ち現れる「小さな文化」を手がかりに、「いま」の社会の断片を捉えることを試み続ける冨永美保さん・伊藤孝仁さん(tomito architecture)と、大橋香奈さん(映像エスノグラファー)をゲストにお呼びして語り合いたいと思います。

これまでの活動のなかで日常生活をどのように記述しようと試み、新たな挑戦に取り組んできたのか。両者に共通する姿勢と態度を紐解きながら、「いま」を見つめる先にある次なる展開について話します。

詳細

会場

ROOM302(東京都千代田区外神田6-11-14-302 [3331 Arts Chiyoda 3F])

参加費

無料

めぐりめぐる記憶のかたち イメージは、どこまで届くのか?

出来事の記憶を遠くの誰かに届ける、イメージの「扱い方」を考える

ある出来事の記憶は、絵や写真といったイメージになることで、さまざまな場所へ移動ができるようになります。それは物理的な距離に限らず、ときには時間を超えて、誰かのもとへ届く可能性をもつことでしょう。かたちを与えられた誰かの記憶は、それに触れた人々の記憶の呼び水ともなります。

イメージを前に自らの経験を語り出す。「別の」経験と重ね合わせる。そうして新たな意味を付与する行為はイメージの存在を豊かにするのと同時に、ひとつの出来事や、それが示唆する共通の経験の継承につながっています。ただし、そう「なる」ための実践は容易ではありません。

自らが知りえない遠くの誰かに、どこまでイメージを届けることができるのか。それには、どのような手法がありえるのか。そもそも、イメージを介して他者と何が共有可能なのだろうか。これらは何らかの記録やメディアを介して、かたちのない記憶を伝えようとするときの根源的な問いであり、それを発した瞬間から困難を抱えてしまうような危険な問いでもあるのだと思います。 こうした問いを念頭に置きつつ、日々イメージと記憶にまつわる実践を重ねる、岡村幸宣さん(原爆の図丸木美術館学芸員)と松本篤さん(NPO法人remoメンバー/AHA! 世話人)をゲストにお迎えし、お二人の取り組みや問題意識を共有し、これからの実践の手法の可能性を模索します。

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会場

ROOM302(東京都千代田区外神田6-11-14-302 [3331 Arts Chiyoda 3F])

参加費

無料

2027年ミュンスターへの旅

ミュンスター彫刻プロジェクト招聘を目指して、まず東京で学び、試みる

1977年に開始したアートイベント「ミュンスター彫刻プロジェクト」は、日本における芸術祭やアートプロジェクトに多くの影響を与えていると言っても過言ではありません。

このプロジェクトでは、居間 theater(パフォーマンスプロジェクト)が、佐藤慎也(建築家)と、来たる2027年の第6回ミュンスター彫刻プロジェクトへの招聘を目指し、美術やパフォーマンスのための場や空間の歴史と変化を辿ります。そして、そのインプットをもとにした試演や実験を、まずはこの東京で行います。

ゲストは、村田真さん(美術ジャーナリスト)、小田原のどかさん(彫刻家/彫刻研究者)、今和泉隆行さん(空想地図作家)。ミュンスターをはじめとするヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタといった国際的な芸術祭にかかわる多彩な方々とともに、ミュンスター以前の美術やパフォーマンスの歴史、またミュンスター以後の美術やパフォーマンスの変化を辿ることで、2027年のミュンスターにふさわしいプロジェクトの構造設計を探ります。

詳細

スケジュール

9月14日(金)19:00~22:00
第1回 ミュンスターへの傾向と対策

9月17日(月・祝)15:00~18:00
第2回 ミュンスターについて学ぶ

ゲスト:村田真 (美術ジャーナリスト)

10月21日(日)15:00~18:00
第3回 ぼんやり、もやもやと話す3時間

ゲスト:小田原のどか(彫刻家/彫刻研究者)

11月23日(金・祝)15:00~18:00
第4回 日本における彫刻について学ぶ

12月22日(土)15:00~18:00
第5回 フィールドワーク開始!

1月17日(木)15:00~18:00
第6回 上野・水道橋の彫刻31体を見る

1月19日(土)15:00~18:00
第7回 報告会に向けてのミーティング

1月27日(日)15:00~18:00
第8回 3回のフィールドワークから見えたこと

2月24日(日)
第9回 報告会パフォーマンス仕立てで大団円

進め方

  • 定例ミーティングを月1回程度開催
  • ゲストトークは、ゲストに次のゲストを紹介してもらうかたちで行う予定
  • ミュンスターにつながる情報や手がかりは随時共有し、そのあとの動き方を検討しながら進める
  • 居間 theaterのクリエイションの現場にて、リサーチやフィールドワークを実施
  • スタディの進捗に合わせて、試演や実験の検討をする
  • ROOM302を拠点とし、メンバーはROOM302の開室日に自主活動を行うことができる

会場

ROOM302(東京都千代田区外神田6-11-14-302 [3331 Arts Chiyoda 3F])

参加費

一般30,000円/学生20,000円

関連サイト

東京プロジェクトスタディウェブサイト

関連レポート

ナビゲーターメッセージ(佐藤慎也)

作品のための場である美術館や劇場に対し、生活の場である街に作品を置くことには、豊かさとともに難しさが存在します。40年以上前の作品がいまだに街に残るミュンスターでは、「10年おき」という長い間隔で開催されることにより、街と作品との関係が十分に考えられているとともに、作品に時代の変化がはっきりと現れています。次のミュンスターを考えるという馬鹿馬鹿しい問題設定は、目の前にある時代や街に対しても、重要なスタディとなることでしょう。

ナビゲーターメッセージ(居間 theater)

企画やプロジェクトをやるとき、居間 theaterはよくリサーチをします。

そのリサーチは基本、まじめと遊びがいっしょくたです。自分たちが面白いと思うことを、ときにまじめに、ときにふざけながら、探求したい。今回のスタディも、そんな心意気で進めていけたらと思います。

目指せ、2027! 行こう、ミュンスター!

スタディマネージャーメッセージ(坂本有理)

2017年のミュンスター訪問をきっかけに、ナビゲーターたちが強く抱いた夢を出発点に、東京でスタディを重ねます。芸術祭やアートプロジェクトが全国的に普及し、まちなかで作品と出会うことが珍しいことではなくなってきたいま、あらためて、まちなかでのプロジェクトをつくることについて考えていきます。

説明会映像