一般社団法人シマクラス神津島(神津島)+東京アートポイント計画|Tokyo Art Navigation

本記事は、2025年6月30日に終了したウェブサイト「Tokyo Art Navigation」の連載「Next Tokyo 発見隊! No.12」として公開された記事を転載したものです。

東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、そしてNPOが共催し、東京にたくさんの「アートポイント」をつくることを目指したプロジェクト「東京アートポイント計画」。2009年にスタートし、これまで50以上の団体と共催し、45のプロジェクトを行ってきました。

この東京アートポイント計画に参加する団体を取材するシリーズの第2弾は、太平洋に浮かぶ神津島(こうづしま)でアートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」を運営する一般社団法人シマクラス神津島です。事務局の中村圭(なかむら・けい)さん、飯島知代(いいじま・ともよ)さん、そしてアーツカウンシル東京プログラムオフィサーの櫻井駿介(さくらい・しゅんすけ)さんに話を聞きました。

スペース「くると」にて。左から、櫻井駿介さん、中村圭さん、飯島知代さん

幸せな島暮らしを探る「HAPPY TURN/神津島」

東京・竹芝ふ頭から高速ジェット船で約3時間。伊豆諸島のうち、北から5番目にあたる人口約1900人の神津島(こうづしま)。神という名がつくのは、伊豆諸島をつくる神々が集まって相談をした島という説もあるとか。現在はキンメダイやイセエビなどの漁業が中心で、そのほか観光業や農業も営まれています。

東京から約180km離れた、太平洋に浮かぶ神津島

この島で「くると」という約50平米のスペースを拠点にアートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」を展開するのは、一般社団法人シマクラス神津島です。代表の中村圭さんは神津島で生まれ、中学卒業と同時に島を出て進学したのち、鉄道会社に就職。そして26歳のときに故郷に戻りました。

「島では、東京から戻ると『しまってきたんだね』といわれるんです。つまり、東京での活動を『閉まって戻ってきた』と。でも僕は閉まってきたんじゃなくて、『開く』ためにここに帰ってきた。この島でも楽しいことがたくさんあるし、それを通じて幸せになれると思っています。それを伝えていきたいというのが活動の根っこにあるんです」

その思いを胸に、島に戻った2015年より神津島村地域おこし協力隊として勤め、2017年の終わりにNPO法人神津島盛り上げ隊を立ち上げました。

一般社団法人シマクラス神津島で「HAPPY TURN/神津島」のディレクターを務める中村圭さん

その頃アーツカウンシル東京でも、東京アートポイント計画を一緒に担っていくパートナーを探していました。過去に伊豆諸島で三宅島や大島でもプロジェクトを行うなど、継続的に島しょ部で活動してきましたが、島しょ部の次なるパートナーのリサーチが続くなかで、「中村さんという面白い人がいる」と名前が挙がります。「UターンやIターン、もともとの住民など、誰でも自分なりに島に関わり、学び合うことができたら」という中村さんの考え方は業趣旨とも重なると判断し、2018年、東京アートポイント計画として「HAPPY TURN/神津島」はスタートしました。

スタートする前に準備したのはチームづくり。東京アートポイント計画では、事務局をつくる際に「3人体制」を推奨しています。

「『事務局3人組』というフレーズのもと、事務局では事務局長、広報、経理の3者が必要だということを伝えています」と「HAPPY TURN/神津島」に伴走するアーツカウンシル東京プログラムオフィサーの櫻井駿介さんは話します。

アーツカウンシル東京のプログラムオフィサー、櫻井駿介さん

そこで、ディレクターの中村さんは以前から知り合いだった飯島知代さんに声をかけました。飯島さんは栃木県出身。夏の間だけ神津島に来て海の家で働いていましたが、Iターンとして神津島に移住し、「HAPPY TURN/神津島」の運営に携わるように。そしてもう一人、会計担当のスタッフがいますが、現在は育休中です。

「昨年度まで3人で運営していましたが、2人になった途端に意見がぶつかることが増えて、やはり事務局は3人以上いた方が良いのだと感じました。今は、子育て世代のお母さんたちや移住者の方々が、プロジェクトのスタッフとして事業全体の運営を手伝ってもらっています。複数人体制になってから意見もより多様になり、事業の可能性を広げて考えられるようになりました」と飯島さんは話します。

一般社団法人シマクラス神津島で「HAPPY TURN/神津島」事務局長の飯島知代さん

目的のない拠点「くると」と、月1回の紙メディア

「HAPPY TURN/神津島」が最初に取り組んだのは拠点づくりでした。「拠点」も東京アートポイント計画では活動を継続するための重要な要素。一方で、神津島も空き家が増えているという問題を抱えていました。「島内の空き家について調べたところ、80件ほどありそうだということがわかりました」という中村さん。事務局のメンバーで、島内を歩き、物件を探しました。

神津島の風景

拠点にする場所が決まると、まずは掃除からスタートしました。もともと大工小屋で建築資材が多量に残されていた物件。しかし、「業者は入れずみんなで片付けてくださいね」と、当初アーツカウンシル東京の担当だった大内伸輔さんに言われたそうです。

「業者にクリーニングしてもらったら効率的ではありますが、そこで終わりで、人々の関わりは生まれにくいです。自分たちや周辺地域が主体的に関わっていける場所として、一から関わるきっかけをつくっておくことで、徐々に仲間も増えていく。それが東京アートポイント計画でいう拠点づくりなんです」と櫻井さん。

大工小屋だった建物から不要品を少しずつ片付けていった(*)

その後1年ほどかけて片付けと掃除、改修をし、現在の「くると」が生まれました。半屋外の入口には大きな黒板があり、中に入ると椅子や机が置かれ、スピーカーからは音楽が流れて「くると」は、島の子供たちをはじめとした憩いの場になっています。

長かった改修の間、島の人には「何の場所になるの?」ときかれても、具体的には答えないという方針を、東京アートポイント計画のスタッフや、拠点改修に関わったアーティスト「岩沢兄弟」と共有していた、と飯島さんはいいます。当時は答えられないことをもどかしく感じていたそうですが、カフェやレンタルスペースなど、決まった目的のある場所にしないことで場所の可能性が広がることを、意図していたのだと、後に分かったそうです。

そんな「くると」の現在について、飯島さんはこう話します。「ふらっと訪れて、仕事でも遊びでも何をしてもいい場所にしています。飲食はしてもいいけれど、こちらからは提供しない。フラダンスの練習をしてもいいけれど、貸切にはしない。あえて機能を明確にしないスペースにしています」。

くると。来ると「遊べる」「出会える」「学べる」など「くると○○」という思いが込められて命名された。設計・デザインは岩沢兄弟(*)
くると。道ゆく人とも団らんがはじまる(*)

現在「HAPPY TURN/神津島」では、くるとの運営のほか、毎月『くるとのおしらせ』を配布しています。これは、数年前から始めた手書きの新聞で、毎月1回、欠かさずに発行してきました。A4サイズ1枚に、実施したことのレポートや翌月の予定を掲載し、島内に全戸配布しています。定期的な媒体をつくることも、東京アートポイント計画で培われてきた技です。

「『ジムジム会』という、アートポイントの各プロジェクトが集まるオンラインの交流会で、ほかの地域の事例を見て、真似をしました。私たちは何をやっているかわからないと言われがちでしたが、最近では『あのおしらせの人ね』と言われることもあり、少しずつ浸透してきたのかもしれません」と『くるとのおしらせ』づくりを担当してきた飯島さんは話します。

『くるとのおしらせ』
*撮影:高岡弘

島の生活に、アートプロジェクトが必要なわけ

拠点をつくり、媒体を発行した「HAPPY TURN/神津島」では、2021年度よりアーティストプログラムも行っています。2021年度はアーティストの大西健太郎さん、山本愛子さん、2022年度からはアーティスト集団のオル太、ミュージシャンのテニスコーツの2組も加わりました。

「私たちはアートに詳しいわけではないため、『こんなアーティストがいたら』と櫻井さんに相談すると、『この人がいいかもしれない』と提案していただき出発しています。東京アートポイント計画として事業を進めていなければ、できないことだったなと思います」と飯島さんは言います。

アーティスト・大西健太郎さんによって、砂浜の漂流物や島で集めた素材を使って盆栽をつくり、島のなかを歩いた「くると盆栽流し」(2021年12月) *撮影:岡桃子

どのアーティストも、島を訪れて入念なリサーチをもとに、作品制作や、ワークショップ、パフォーマンスイベントなどを行っています。アーティストと仕事を一緒にすることもはじめてだった事務局の2人。

「山本さんの草木染めのワークショップに参加すると、島に生息する植物の生態系を知ることができました。また、オル太は島に住む人にインタビューするのですが、島の歴史や生き方、生活を知るきっかけになりました。昔は漁業ではなく農業が盛んで、いつ頃から観光業に変わっていったかなど、生の声を聞くことができました」と、中村さん。

2021年から山本愛子さんは、島で集めた植物や資源を使って、草木染めをするワークショップを開催(*)
同ワークショップ。染料液をつくる(*)

2018年にスタートした「HAPPY TURN/神津島」は、2023年で6年目を迎え、東京アートポイント計画からの卒業が視野に入ってきています。「当初と比較すると、島の人と信じられないほどの関係性ができていて、日々賑やかな風景が生まれています。すでに基盤があるので、ここからは様々な人との関わりを深くしたり、仕組みをつくったりして、プロジェクトを続けていけるのではないかと思っています」と櫻井さん。

2022年春からオル太が神津島でリサーチをし、作品を制作。そのプロセスを公開するオープンスタジオ(2022年9月)も開催(*)

「課題や不安は多いですが、東京アートポイント計画に参加して視点が大きく変わりました。このプロジェクトを始める前は、伝えたいことは話せばいい、と思っていたんです。でもアートのような直接的ではないからこそじわじわ伝わる方法もあることを知りました」と、中村さんは東京アートポイント計画に参加した印象を語りました。

また、飯島さんもアートプロジェクトに出会って変わったこととして「新しい視点をもらった」と話します。

「明確な目的を細かく決めずに進めることの良さや、その過程で起こっていることに目を向けること、それから普通や当たり前を自分の考えですぐに決めつけないことが大事なのだと気づきました。最近『くると』の拠点スタッフのお母さんたちとよく話しますが、たとえば、子供が家から鍋を持ってきてたたくと世間では怒られてしまう。でも、『くると』の枠組みだと『よくその楽器をみつけたね』と褒めることができるんですよね。島にはいろんな人がいて、まるで日本の縮図のようです。島に来るまでは出会わなかった考え方を持つ人とも出会います。そうやって自分と違うバックグラウンドや考えの人と出会ったとき、『くると』でのふるまいのように視点を変えて物事を見ることは大事になっていくと思います」

テニスコーツによる2日間のイベント「つくって、うたって、あるいて、おどって、大漁だ‼︎ くると 冬まつり 2022」(2022年12月)(*)

ディレクターの中村さんは今後の展望について、「学校でも家庭でも教えないことを伝えていく、『地域のおじさん』になりたい、と思っています」と語ります。アートプロジェクトを通して、幸せな暮らしを探る「HAPPY TURN/神津島」。時間をかけて、少しずつ島の未来を変えていくプロジェクトです。

Text:佐藤恵美
Photo: 小野悠介(*以外)

一般社団法人シマクラス神津島(「HAPPY TURN/神津島」事務局)
http://happyturn-kozu.tokyo/
東京都神津島村998
MAIL:shimakurasu@gmail.com

ひとりひとりの人生の記憶に触れる。(APM#11 後編)

「Artpoint Meeting」は、東京アートポイント計画が各地で展開するアートプロジェクトから見えてきたトピックをとりあげ、事例を紹介するとともにゲストを迎えて新たな言葉を紡ぐ企画です。今回は「映像を映す、見る、話す」をテーマに、1月9日、東京・恵比寿の東京都写真美術館でひらかれました。

>レポートの前半はこちらから

レポート後編では、「セッション2:世田谷クロニクルをケアの現場でつかってみる」の後半について報告し、その後に上映した「ラジオ下神白 ドキュメント映像」とアフタートークの様子を紹介します。

[セッション2]世田谷クロニクルをケアの現場でつかってみる(後半)

[セッション2]の前半では、世田谷区内で収集した8ミリフィルムのデジタルデータ(世田谷クロニクル1936―1983)を活用した「移動する中心|GAYA」(以下、GAYA)の活動を紹介しました。プロジェクトを担当する松本篤さん(NPO法人remoメンバー・AHA!世話人)は、このデジタルデータのアーカイブを「つかう」方法を「サンデー・インタビュアーズ(SI)」というオンラインワークショップのなかで探るうちに、「福祉や医療との接合点になるのでは」と考えました。そこで出会ったのが、看護師・写真家の尾山直子さんとデザインリサーチャーの神野真実さんの活動です。

尾山さんは世田谷区にあるクリニックで訪問看護師を務めながら、大学で写真を学びました。卒業後はかつて暮らしのなかにあった看取りの文化を再構築する取り組みや、老いた人びととの対話や死生観、看取ることの意味を模索し、写真作品を制作しています。神野さんは、祖父の死をきっかけに、耳の不自由な祖母が引きこもる姿を目の当たりにし、社会包摂のあり方に興味をいだきました。現在は在宅医療の現場に身を置きながら、市民・専門家参加型のデザインアプローチで、在宅医療患者と家族・医療者が医療やケアについて対話しやすくするツールや環境づくりを行っています。

(写真左から)尾山直子さん(看護師・写真家)、神野真実さん(デザインリサーチャー)

2人は、老いやその先にある暮らしに自分ごととして向き合うことができ、家族や周囲の人との対話の道しるべとなる本(『LIFE これからのこと』)を制作しました。また、ひとりの男性の人生最終盤にある暮らしの風景の写真と、その男性が書き綴った言葉による写真展「ぐるり。」を各地で開催しています。そうした活動が松本さんの知るところとなりました。

「日常の記憶や記録を大切にするためにアーカイブというアプローチを取っている松本さんたちと、訪問医療の現場で患者さんの大切にしてきたことや物語を引き継いで暮らしを支えるケアには、共通するところがあるのではないか」(神野さん)ということから、「世田谷クロニクル」の映像を在宅医療の現場でつかうプロジェクトが始動。他の看護師にも協力してもらい、三十数人の在宅患者の家で、「世田谷クロニクル」の映像をケアに取り入れる試みを行いました。

ある女性の患者は、上野動物園の映像で着物で生活している人びとの姿を見て、自分も着物を着ていたと話しはじめました。着物の話から裁縫の話に移りかわり、共通の関心を持つ神野さんと糸の話で盛り上がる時間もみられました。

「映像を見ると、最初は映像から想起された地域の話をしているのですが、だんだん自分の記憶と関連するエピソードを語りはじめるんです。『世田谷クロニクル』から彼女自身のクロニクルになっていくのがとてもよかった。ケアをする私たちにとって、彼女の個人史とかどのような暮らしをしてきたかという情報は宝物だからです」。(尾山さん)

「世田谷クロニクル」の映像を見る(撮影:尾山直子)
裁縫箱を見せてもらう(撮影:尾山直子)

この現場では、看護師ではない神野さんにとっても気づきがありました。「チエコさん(患者さん)にとって、看護師は日常の登場人物の一人であり、彼女の人生に関連する映像を看護師が選び、勧められたからこそ抵抗なく見ることができる。日頃から信頼関係をつなぎ続けているから、さまざまな語りが引き出されたんだとあらためて思いました」。

訪問前には在宅医療に携わるスタッフで映像を見て、議論を重ねた(撮影:尾山直子)

2人の感想はさらに続きます。「『世田谷クロニクル』はウェブの映像をいつでも誰でも見ることができます。私たち看護師も本人の物語を引き出すためにアプローチをしていますが、その新たなひとつの手法として使用してみたら、いろいろな反応があった。映像をテレビにつなぐと家族も集まってきて世代間で会話がはじまったことがありました。その一方、思ったほどの反応じゃない方もいて、私たちにとってもトライアル&エラーでした」。(尾山さん)

神野さんは、他の看護師とともに「振り返り」をした内容も交えて、こう語ります。「映像を見ると、いまは記憶が混濁していたり不安定な方も、子供時代の鮮明な記憶を話されることが多かった。それが心の安定や自信の回復にもつながる。普段はケアする/されるという関係性だけど、その場面では、知識や経験の豊富な人として教える/教わるの関係性に変わっていく。過去の記憶を受け取る行為がケアにつながるということも看護師たちから教えてもらいました。映像はその人の人生に深く触れていく、ケアのツールとして豊かな可能性が開けるんじゃないかと話し合いました」。

総括的な感想を受けて、松本さんが語ります。「映像を見てもらうことで、(高齢の方々の)残り少ない時間を奪っていないか、善意の押し売りではなく、見ること・語ることにちゃんと魅力を感じてもらっているか、と悩ましい状況に直面している感覚が僕にはあります。文化事業として、他領域の現場でどうあることができるか、どうあるべきかという、われわれのスタンスや倫理観が問われていると感じていました。でも、(看護師の)プロフェッショナルの身体やそこで感じる感覚が、われわれの学びになるとも思います。自分たちなりに消化して、次の発展として文化と医療の間に新しい領域を開拓できないかと考えています」。

松本篤さん(NPOremoメンバー/AHA!世話人)

[セクション3]映像と音楽でプロジェクトを追体験する

ここまでに紹介した2つの事例の現場はいずれも東京でしたが、[セクション3]は、福島県いわき市で行われたプロジェクトの様子を収めた映像を上映しました。『ラジオ下神白(しもかじろ) ドキュメント映像』(70分、2022年)です。東北の各地で人びとの語りと風景の記録から作品制作を続ける小森はるかさん(映像作家)が、監督・撮影・編集を担当したドキュメンタリー映像です。

上映前には小森はるかさん(映像作家)とアサダワタルさん(文化活動家)が舞台挨拶を行った

映像の冒頭は雲が垂れ込める田園風景のショットで、そこに高齢の女性の歌声が重なります。数分後、スクリーンには突然、青空のもとにそびえる、真新しい団地が映し出されます。そこにナレーションが流れます。

下神白団地の皆さん、こんにちは。ラジオ下神白です。あのとき、あのまちの音楽から、いまここへ。司会のアサダワタルです。

下神白団地は2015年に完成した県営復興住宅です。東京電力福島第一原子力発電所の事故で被災した人たちが多く入居しています。ここを現場として2016年に始動したのが、「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」というプロジェクトです。

プロジェクトディレクターのアサダワタルさんは音楽と文章表現を支点として、さまざまな生活現場に赴き「これまでにない他者とのつながり方」をプロジェクトとして実践してきました。下神白団地では、住民の部屋を訪ねて、お茶を飲みながら思い出と記憶に残る歌を聞き取り、その内容を収録したCDを架空のラジオ番組「ラジオ下神白」として団地内で配布する、という活動をはじめました。

下神白団地の風景
ラジオ下神白の活動の様子(『ラジオ下神白 ドキュメント映像』より)

小森さんが撮影した映像はアサダさんたちの活動に寄り添いつつ、下神白団地の日々と風景を丹念に収録しています。コロナ前の団地訪問の様子から、有志メンバーによるバンド活動、コロナ禍でのオンラインベースでの交流など、数年かけて積み重ねてきたプロジェクトの軌跡が感じられました。関東地区では初めての上映だったこともあって、終映後、会場はしばし拍手に包まれました。その余韻が醒めやらぬなかで、トークが始まりました。

トークに参加したのは、アサダさんと小森さん、ゲストは行動学者の細馬宏通さん(行動学者/早稲田大学文学学術院教授)です。まずアサダさんがこのプロジェクトの成り立ちと経過について説明します。「下神白団地では、演劇などで震災復興に関わる団体が以前から活動をしていました。その団体から、家から出ない人とも関われるプロジェクトができれば、と相談を受けました」。

(写真左から)細馬宏通さん(行動学者)、アサダさん、小森さん

その背景には、復興住宅の特殊な状況があります。原発事故で被災した4町の人びとが、1・2号棟が富岡町、3号棟が大熊町、4・5号棟が浪江町、6号棟が双葉町と分かれて入居しています。住民の大半は高齢者で、独り暮らしの人も少なくありません。集会場に来ない人とはほとんど交流する機会がありません。そうした状況に向き合って、アサダさんが編み出したのが「ラジオ下神白」という試みです。

「僕は一人ひとりに焦点をあてて、個の部分と地域性がグラデーションで浮かび上がる、ということを考えて、個をつなぐような音楽メディアとしてラジオ番組のCDを制作することにしました。テーマを決めて住民に取材して、その語りなどを収録したCDを、4か月に1回くらいのペースで制作して団地内に配布してきました」。

プロジェクトはさらに広がって、「ラジオ下神白」の活動を伝えるイベントを東京などでひらいたり、現場に通いたいという方々とバンド(伴奏型支援バンド(BSB))を組んで住民に思い出の曲を歌ってもらったりしました。コロナ禍のなかでもオンラインで住民との交流を続けました。2022年には、これまでの音源や新たに住民が自宅で録音した歌声をミックスして、音楽CD『福島ソングスケイプ』を制作しています。今回の映像上映は、プロジェクトにとって最新の活動です。

福島ソングスケイプの写真

細馬さんはすでに『福島ソングスケイプ』を聴いていて、「歌謡曲をお年寄りが斉唱しているだけやのに、ものすごくおもしろい。去年聴いたCDで一番感動した」そうです。そのうえで映像を見て「2度びっくりした。こんなに分厚い歴史があったんや」と語ります。映像については「小森さんが(アサダさんたちと)いっしょに住民のお家に入っていって、定点観測的に撮影しているのが印象的」と話し、小森さんの「立ち位置」について尋ねました。

小森さんがこのプロジェクトに参加したのは2018年。「文字で記録する役割の編集者の方が、文字では残せないことが起きていると思われて、声をかけてもらいました。現場では住民との関係ができあがっていて、お宅を訪問すること自体がプロジェクトの肝になっていました。いっしょにお茶を飲む輪のなかから撮ることがはじまりました」。

そうした小森さんの撮影を、細馬さんは「文化人類学的」と評します。「いつも『知った態度』で撮らないですよね。例えば映画のなかの一場面で、ラジオから『集会所の黄色いポストにリクエストを入れてください』というアナウンスが流れます。(観客は)『何っ?』と思う。その後、集会所のショットが映されて『あの黄色いのがさっきいっていたポストか』と発見する」。

映像の後半は、クリスマスに住民が多数集まった「歌謡喫茶」や、バンドの演奏など、音楽の要素が前面に出てきます。そのなかで、細馬さんは素朴な疑問を感じたようです。住民の人たちが思い出の曲として歌っているものに「福島固有の歌が入っているかと思ったら、『宗右衛門町ブルース』。どういうことです?」。

アサダさんが答えます。「震災以前の思い出を聞くところからはじまって、そのなかに出てきた曲の音源を聞いて、たまたま口ずさんだことをきっかけに歌ってもらうようになったからです。そこから、記憶に寄り添うためにアーカイブとして歌を引き出すようになる。団地のコミュニティのなかでは、例えば『宗右衛門町ブルース』といえばあの人ねという風に特定の住民と結びついて共有されるようになりました。音楽ってそういうふうにつかいこなせるんだなぁと思いました」。

小森さんも相槌を打つように「バンドメンバーはその人の話を聞いたり、その曲を好きな理由を想像しながら演奏しています。演奏する人にとってもただの曲じゃないものに仕上がっているんです」。

細馬さんは「むしろ聞き手がそのことを発見する必要がある」と応じます。「CDには、その人がイントロからはじまって山あり谷あり、危機も乗り越えてなんとか歌い終わった、というときの不思議な感じがある。そういうのは音楽にとってとても大切なことです」。

『ラジオ下神白 ドキュメント映像』の最後に、アサダさんたちのバンドが東京で『青い山脈』を演奏します。戦後まもない1949年のヒット曲です。そこに、下神白団地の自宅で歌声を録音する一人ひとりの姿が挿入され、東京と福島の距離を超えて渾然一体となったパフォーマンスが繰り広げられます。熱唱する下神白団地の人びとの胸に去来したもの。それは、アサダさんたちとの交流によって新たに想起された「山あり谷あり」の人生の記憶だったのではないでしょうか。「映像」を媒介としてコミュニケーションを開き、それぞれの人生の記憶に寄り添う試みを紹介した今回のArtpoint Meetingを象徴するエンディングでした。

「福島県営復興住宅 下神白団地の住民さんとつくった「青い山脈」ミュージックビデオ」(撮影:小森はるか、福原悠介、齊藤勇樹、編集:小森はるか、福原悠介、録音:大城真、福原悠介、ミックス:大城真)。「ラジオ下神白」の一環で制作された動画。ドキュメント映像に収録された風景を垣間見ることができる

(撮影:阪中隆文)

The Tokyo Artpoint Project + Shimaclass Kouzushima General Incorporated Association (Kouzushima Island)|Tokyo Art Navigation

*This is a translation of an interview originally published in the Tokyo Art Navigation Website ended in June 30, 2025.

The Tokyo Artpoint Project, which is a joint project of the Tokyo Metropolitan Government, Arts Council Tokyo (Tokyo Metropolitan Foundation for History and Culture), and (various) nonprofit organizations, in aimed at creating a plethora of artpoints in Tokyo. Since its inception in 2009, the Tokyo Artpoint Project has conducted 45 projects in collaboration with more than 50 organizations.

In this second in our series of interviews with organizations participating in the Tokyo Artpoint Project, we take a look at Shimaclass Kouzushima General Incorporated Association, which runs the HAPPY TURN/Kouzushima art project on the island of Kouzushima in the Pacific Ocean. We interviewed Kei Nakamura and Tomoyo Iijima, both work for secretariat of the project, and Shunsuke Sakurai, a program officer of Arts Council Tokyo.

From left: Shunsuke Sakurai, Kei Nakamura, and Tomoyo Iijima at the space Kuruto

HAPPY TURN/Kouzushima explores happy island living

Kouzushima Island, the fifth from the north of the Izu Islands, has a population of about 1,900 and is about a three-hours high-speed jet boat ride from Takeshiba Pier in Tokyo. Some people have theorized that the name of the island includes the Chinese character 神 (lit. god) because the gods who created the Izu Islands were supposed to have gathered on this particular island to consult with each other. Today, the island’s largest industry is fishing for splendid alfonsino (Beryx splendens) and lobsters, followed by tourism and agriculture.

Kouzushima Island in the Pacific Ocean, about 180 km of Tokyo

The art project HAPPY TURN/Kouzushima is conducted on this island centered on a 50-square meter space called Kuruto by Shimaclass Kouzushima General Incorporated Association. The association’s representative Kei Nakamura was born on Kouzushima. He left the island after graduating from junior high school to pursue higher education. Later, after working for a railroad company, he returned to his hometown at the age of 26.

“On the island, when someone returns from Tokyo, people tell them , ‘You must have closed up.’ In essence, they say that the returnee has come back after shutting down their activities in Tokyo. But in my case I didn’t ‘close up.’ I came back here to ‘open up.’ There are lots of fun things to do on this island, and I believe that people can be happy by doing them. That is at the root of my activities, and this is what I want to pass on to others.”

With this in mind, Mr. Nakamura returned to the island in 2015 to work as a member of the Kouzushima regional development team, and at the end of 2017, he founded Kouzushima Moriagetai (enlivening team) nonprofit organization.

Kei Nakamura, director of HAPPY TURN/Kouzushima at Shimaclass Kouzushima General Incorporated Association.

At that time, Arts Council Tokyo was looking for a partner to collaborate on the Tokyo Artpoint Project. For a number of years, the Tokyo Artpoint Project has been continuously implementing projects on other Izu Islands such as Miyakejima and Oshima, and has also been searching for potential next partners to work with in Izu Islands. In the course of this search, the staff members learned of existence of “an interesting person named Mr. Nakamura.” Mr. Nakamura’s idea that “everyone, including returnees and newcomers to the island, as well as residents who have always lived there should be able to involve themselves in the island’s life in their own way and learn from each other” was judged to overlap with the purpose of the Tokyo Artpoint Project. In 2018, HAPPY TURN/Kouzushima was launched as part of the Tokyo Artpoint Project.

Prior to starting the project, Mr. Nakamura prepared by putting together a team. The Tokyo Artpoint Project recommends a “three-person team” when creating a project secretariat.

“Under the slogan ‘a secretariat of three,’ we tell people that the secretariat should consist of three positions, namely the executive director, public relations officer, and accounting officer,” said Shunsuke Sakurai, a program officer of Arts Council Tokyo, who works with HAPPY TURN/Kouzushima.

Shunsuke Sakurai, a program officer of Arts Council Tokyo

Accordingly, Director Nakamura approached Tomoyo Iijima, whom he had known for some time. Ms. Iijima is a native of Tochigi Prefecture. She used to travel to Kouzushima during the summer months to work at a beach house, but moved to the island later as a full-time resident, and became involved in the management of HAPPY TURN/Kouzushima. Another staff member, who is in charge of accounting, is currently on maternity leave.

“Until last fiscal year, the project was managed by three people,” said Ms. Iijima. “As soon as the number of staff was reduced to two, there were more conflicts of opinion. So, I felt that it was better to have at least three people in the secretariat. Currently, we have mothers who are in their child-rearing years and newcomers helping us manage the entire project as staff members. Since we now have a multi-person organization, opinions have become more diverse, and we are able to consider a wider range of possibilities for the project.”

Tomoyo Iijima, Executive Director of HAPPY TURN/Kouzushima at Shimaclass Kouzushima General Incorporated Association

Purposeless base Kuruto and monthly newsletter

In the beginning, HAPPY TURN/Kouzushima tackled the task of creating a hub of operations. The hub is an important element for the Tokyo Artpoint Project to continue its activities. As Kouzushima was facing the problem of having an increasing number of vacant houses, members of the secretariat walked around the island and searched for properties. Mr. Nakamura explained, “We’ve investigated the number of vacant houses on the island and found that there are about 80 of them.”

The scenery of Kouzushima Island

Once the location for the hub was decided, the team began by cleaning the property. The building had originally been a carpenter’s shed and contained a large amount of unused construction materials. However, Shinsuke Ouchi, who was in charge of the Arts Council Tokyo at that time, told the staff, “Please clean up the mess together without bringing in a contractor.”

“It is more efficient to have a contractor do the cleaning, but that would be the end of the process. It is difficult for people to get involved,” said Mr. Sakurai. “Creating an opportunity for people to get involved from the outset to make this a place where the surrounding community can take the initiative is a way to ensure that the number of participants will gradually increase. This is what the Tokyo Artpoint Project is all about.”

Unnecessary items were cleared out little by little from the building that used to be a carpenter’s shed. (*)

After about a year of tidying up, cleaning, and renovation, the current Kuruto was born. With a large blackboard at the semi-open-air entrance, chairs and desks inside, and music playing from speakers, Kuruto provides a place for relaxation, especially for children living on the island.

According to Ms. Iijima, during the lengthy renovation, she shared a policy with the staff of the Tokyo Artpoint Project and Iwasawa Bros., the artists involved in the hub’s renovation, of not giving specific answers when asked by islanders, “What is it going to be?” At the time, she felt frustrated that she was not at liberty to answer their questions, but later she realized that this attitude helped expand the possibilities of the space by not making it serve a fixed purpose such as a café or a rental space.

Ms. Iijima described the current state of Kuruto as follows: “We are trying to make this a place where people can come on a whim and do whatever they want, regardless of whether it is work or play. You can eat and drink here, but we don’t provide anything. You can practice hula dancing, but we don’t rent the entire space out. This space is intentionally designed to not have specific functionality.”

Kuruto. The facility’s name is a Japanese phrase derived from the idea that “once you come here” you can play, meet, and learn (something). The architectural design was by Iwasawa Bros.
Kuruto. People on the street start talking with each other. (*)

In addition to operating the space Kuruto, HAPPY TURN/Kouzushima distributes a monthly “Kuruto-no-Oshirase (Kuruto information).” This handwritten newsletter was launched several years ago and has been published once a month without fail. It consists of a single A4-size sheet containing a report on the activities carried out over the past month and the schedule for the following month, and is distributed to every household on the island. Creating a regular publication is another skill that has been cultivated by the Tokyo Artpoint Project.

“I saw case studies from other regions at ‘Jimu Jimu Kai,’ an online social gathering of Artpoint projects, and started to imitate them,” said Ms. Iijima, who is in charge of producing “Kuruto-no-Oshirase.” People here used to say that they didn’t know what we were doing, but recently they have been saying, ‘You are the person who does that newsletter,’ so maybe we are slowly gaining traction.”

Kuruto-no-Oshirase newsletters
*Photo: Hiroshi Takaoka

The reason why an art project is necessary for island life

HAPPY TURN/Kouzushima, the group that created the hub and publishes the newsletter, has also been running an artist program since fiscal 2021. Kentaro Onishi and Aiko Yamamoto joined this program in fiscal 2021, and they were joined by the artist collective OLTA and the musicians’ unit Tenniscoats in fiscal 2022.

“We have no expertise in art, so when we consulted with Mr. Sakurai as to who might be a suitable artist for the program, he suggested, ‘Maybe this person would be good,’ and off we went. I don’t think we would have been able to do this were it not for the program under the Tokyo Artpoint Project,” said Ms. Iijima.

The Kuruto Bonsai Nagashi (December 2021) was a festival in which people walked around the island carrying bonsai works created by the artist Kentaro Onishi using materials collected on the island and flotsam from the beaches.
*Photo: Momoko Oka

All of the artists visited the island to create works, hold workshops, and take part in performance events based on careful research. This was the first time for two of the members of the secretariat to work with artists.

“Taking part in Mr. Yamamoto’s plant-dyeing workshop was a great opportunity for me to learn about the ecosystem of the plants found on the island,” commented Mr. Nakamura. “In addition, OLTA interviewed many of the island’s residents, which gave us some insights into the history, way of life, and lifestyle of the island. We heard firsthand accounts about how agriculture, rather than fishing, used to thrive on the island, and about when the tourist industry began to become prominent.”

Starting in 2021, Aiko Yamamoto has been offering workshops in which people learn to dye plants and resources gathered on the island. (*)
The plant-dying workshop. Making a dye solution (*)

HAPPY TURN/Kouzushima, which started in 2018, is in its sixth year in 2023, and is now preparing to graduate from the Tokyo Artpoint Project. “Compared to the beginning, we have established some amazing relationships with people on the island, and created lively scenes on a daily basis.” Said Mr. Sakurai and continued, “Since we already have a foundation, I expect that from this point on we can continue the project by deepening our relationships with a wide range of people and further developing the structure.”

Starting in the spring of 2022, OLTA conducted research and created works on Kouzushima. An open studio was held in September 2022 to show the process to the public. (*)

Mr. Nakamura shared his impressions of participating in the project. “There are many challenges and uncertainties, but my perspective has changed dramatically since I began to take part in the Tokyo Artpoint Project. Before starting this project, I used to think that all I needed to do was talk about what I wanted to convey. But I have learned that there are also ways to communicate messages slowly without being direct, as is the case with art.”

Ms. Iijima commented on how the art project had changed her, saying, “It has given me a new perspective.”

“I have found that it is better to proceed without setting clear and detailed objectives, to pay attention to what is happening in the process, and also to not immediately assume what is normal or usual based on one’s own opinions. Recently, I have been chattering a lotwith the mothers among the Kuruto hub area staff. For example, if a child brings a pot from home and bangs it, the surrounding people may be offended. But within the framework of Kuruto, I can praise such behavior by saying, ‘Well done, you’ve found yourself a musical instrument.’ There are all kinds of people on the island. It is like a microcosm of Japan. You will meet people here who have different ways of thinking that you probably never encountered before you came to the island. Later, when you met people with different backgrounds and ideas from your own, I think it is important to try to look at things from a different perspective, the way you did in Kuruto.”

A two-day event by Tenniscoats, “Make, sing, walk, dance: It’s a big catch! Kuruto Winter Festival 2022” (December 2022) (*)

As for his future plans, Director Nakamura says, “I want to be an ‘uncle of the community’ who teaches people things that are not taught in school or at home.”
HAPPY TURN/Kouzushima explores happy living through art projects. This is a project that will gradually change the future of the island over time.

Japanese original text: Emi Sato
Photo: Yusuke Ono (excluding *)
Translation: Kae Shigeno

Shimaclass Kouzushima General Incorporated Association
(Secretariat for HAPPY TURN/Kouzushima)
http://happyturn-kozu.tokyo/
998 Kouzushima-mura, Tokyo
MAIL: shimakurasu@gmail.com

映像がひらく、コミュニケーション。(APM#11 前編)

東京アートポイント計画は地域社会を担うNPOと連携して、社会に新たな価値観や創造的な活動を生み出すために、各地でさまざまなアートプロジェクトを展開しています。そのなかから見えてきたトピックをとりあげ、事例を紹介するとともにゲストを迎えて新たな言葉を紡ぐ企画が、2016年から続く「Artpoint Meeting」です。その第11回が1月9日、東京・恵比寿の東京都写真美術館でひらかれました。

テーマは「映像を映す、見る、話す」。地域の日常に寄り添うアートプロジェクトの現場では、しばしば映像をつくることやつかうことから、さまざまな人びとを結び、語りの場をつくる試みが行われています。今回のArtpoint Meetingでは「KINOミーティング」、「移動する中心|GAYA」、そして「ラジオ下神白」という3つの取り組みにかかわるメンバーとゲストが映像を見ながら、語り合いました。

[セッション1]映画が映すまちと映画制作が作るまち

KINOミーティングは、東京アートポイント計画の一環として、2022年4月に始動し、海外に(も)ルーツを持つ人たちを対象とした映像制作のワークショップを手がけています。プロジェクトメンバーの阿部航太さん(デザイナー・文化人類学専攻・一般社団法人パンタナル)が説明します。

「ワークショップの参加者はまちに出て、映像や音声、写真などを使って自分自身のルーツと向き合い、同時に自身とはルーツの異なる人びとと互いの視点を交換して、協働しながら映像作品をつくります。新しい映像表現の発見を目標にしつつ、異なるルーツを持つ人たちがいかに協働できるかという視点でプロジェクトを展開しています」。

阿部航太さん(デザイナー・文化人類学専攻・一般社団法人パンタナル)

この日は「シネマポートレイト」というワークショップで制作した映像作品を上映しました。静止画がゆっくり切り替わっていく画面に、参加者の語りが重なるという実験的な映像作品です。

「参加者は3人1組になって、自分のルーツを見つめる3時間の小さな旅をします。1人はまちで自分のルーツについて思い出したエピソードを語ります。別の1人がそれを録音し、もう1人は旅をする様子をインスタントカメラで撮影します。その役割をローテーションして、最終的には2分間の映像作品を3本つくります」。(阿部さん)

上映したのは昨年、池袋と葛飾で撮影した5本の映像です。昼間の街を歩きながら「日本の夜を散歩するのが好き」と語る美術大学の留学生や、東京の青空と空気の匂いから中国の故郷を対比的に思い出す女性。日本に来る前に留学していたカナダのダウンタウンと日本の下町を比べつつ、日本の下町でも自分のルーツを感じる、と語る大学院生……。東京のまちの片隅を切り取ったインスタント写真の色調はどこかノスタルジック。そこに、ときにアクセントのある日本語に、英語や中国語が交じる語りが重なると、どこか見知らぬまちに迷い込んだような映像を体験することになります。

会場で上映された5つの「シネマポートレイト」

上映後のトークには、「シネマポートレイト」を設計した森内康博さん(映像作家/らくだスタジオ)とゲストの馬然(マラン)さん(名古屋大学人文学研究科准教授/東アジア映画研究者)が加わりました。馬さんはシネマポートレイトについて「ジョナス・メカスの日記映画的なジャンルに近い」という印象を語ったうえで、こう続けます。

「目の前に現れる風景に、自分の故郷やかつて住んだ場所の風景を思い出している。複数の時間が描かれている。アクセントのある日本語や英語が入っているのも素晴らしい」。

阿部さんも「ひとつの風景が言葉を通して見ると、違って見えるし、観客の感情を反映すると、また別の風景に見えるかもしれない。アクセントのある日本語にはその人が移動してきた経路が反映されている」。

馬さんも「rootsだけでなくroutes=軌跡もあって、その人の歴史が2分間の映像に入っている」と大きくうなずきました。その映像表現の特徴について、森内さんは「撮られた写真と語られるエピソードの時間や空間は一致していないけれど、僕たちは映像を見ながら、頭の中でイメージをリンクさせながら、想像的な見方をする。それはすごく映画的な表現です」と指摘しました。

(写真左から)阿部航太さん、馬然さん、森内康博さん

ここでトークを一休みして、「シネマポートレイト」のメイキング映像が上映されました。その映像を見ると、自分のルーツを探す役割の人、録音担当、撮影担当の3人が、初対面であるにもかかわらず、活発にコミュニケーションをしていることがわかります。そうやって生まれるコミュニティを、KINOミーティングでは「まち」と呼んでいます。

その「まち」の生成に、インスタントカメラが一役買っていることを森内さんが明かします。「インスタントカメラのフィルムは1パック10枚です。つまり10枚しか撮れない。短い旅のなかで何を撮るかを決めて、撮った写真をお互いに共有しなければならない。初対面の3人は、まず写真を介してコミュニケーションを始めます。シネマポートレイトという制作は、お互いの自己紹介の時間にもなっていると思います」

阿部さんは「KINOミーティングは多様性とか多文化共生といわれる分野のアートプロジェクトですが、交流の在り方をちゃんと考えなきゃいけないと思っています。交流だけを大事にするのではなく、新しい映像表現を発見することを第一の目標としてワークショップを行っています。いい作品をつくるにはコミュニケーションが必要。だから、工夫してコミュニケーションを実践しています」と言います。

ここで、馬さんが「議論が分かれたときに、クロスカルチャー的なコミュニケーションはできますか」と問いかけます。それに対して、森内さんは「シネマポートレイトは1日限りのプログラムなので、議論はそこまで起きていない。でも、ワークショップが続くなかで、この経験があった次に協働する際にはコミュニケーションのトラブルが起きても建設的な議論になっていく」と確信を語りました。

KINOミーティングでのワークショップ実施風景

[セッション2]映像アーカイブをケアの現場でつかってみる

次のプロジェクトは、「移動する中心|GAYA」(以下、GAYA)。「文房具としての映像」というコンセプトの普及に取り組む、NPO法人remo(記録と表現とメディアのための組織)が東京アートポイント計画の一環として実施しています。GAYAの企画運営は、このremoを母体とした活動であり、家族写真や8ミリフィルムなど「市井の人びとの記録」に着目したアーカイブプロジェクトを展開するAHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]が行っています。

2015年にAHA!は世田谷区にある「生活工房」と連携し、世田谷区民を中心とした家庭に眠っている8ミリフィルムを募集し、約200本の提供を受けました。その一部をデジタル化し、84巻約15時間の映像を収録するウェブサイト「世田谷クロニクル1936−1983」を2019年に公開しています。

2020年には「世田谷クロニクル 1936-1983」展を開催。8ミリフィルムの所蔵者12人のオーラル・ヒストリーが無音の映像に重なるかたちで鑑賞できるようにした

当日は「世田谷クロニクル 1936-1983」に掲載されたデータから2本の映像が、松本篤さん(NPO法人remoメンバー/AHA!世話人)の解説とともに上映されました。一つは「上野動物園」(1936年)。行楽で出かけた際に撮影したものと思われますが、後に戦時体制下で殺処分されるゾウたちの姿も写っています。もう1つは「消え行く玉電」(1969年)。世田谷の人びとに愛された路面電車が廃止になるまでの数か月間を記録しています。

このデジタル化した8ミリフィルムのアーカイブを活用するために2019年に始まったプロジェクトがGAYAです。公募したロスト・ジェネレーション世代のメンバーと映像を見て、語り合うオンラインワークショップの「サンデー・インタビュアーズ(SI)」というプログラムを実施してきました。その意義を、松本さんはこう語ります。

「サンデー・インタビュアーズは、余暇の時間としてあった当時の〈日曜日〉を、現在の〈日曜日〉から見つめ直すという、「日曜日」についての実践と研究の場です。参加者はプロのインタビュアーではなく、公募で集まった日曜大工ならぬ、ロスジェネ世代のDIY精神溢れる〈アマチュアの聞き手〉。彼らは映像の撮影者ではなく、親が撮る映像の被写体にあたる世代。なので、映像を少し距離感のある状態で見ることになります。そのときもしかすると、昭和の時代をレトロスペクティブに語ること自体の違和感や、いまの時代と異なる点への気づきなどが生じるかもしれない。そういった実感を深めていく。〈当事者ではない〉という当事者性を獲得していく。それは過去を経由していまの自分の場所を考えることにつながる。あるいは、誰かの記憶を借りながら自分の記憶をつくっていく作業になるのではないか」。

「GAYA」の活動を説明する松本篤さん(NPO法人remoメンバー/AHA!世話人・写真左)

「サンデー・インタビュアーズ」の実践を通して、ロスジェネ世代の参加者は親の世代の価値観に触れ、やがて親のケアの当事者となっていくことにも気づいていく。アーカイブの活用が、異なる世代、異なる時間軸をつなぐものとなるのではないかという可能性がふくらんできました。「アーカイブをつくる、つかうということは、文化的な営みにとどまらず、福祉とか医療との接合点になるのではないか」と松本さんは考えました。そこから、ある邂逅がもたらされました—。

レポート後編へ

(撮影:阪中隆文)

誰もが「災禍の記録」を語り、きくことで、記憶は生き続ける——瀬尾夏美「カロクリサイクル」インタビュー

2022年の春から活動をはじめたアートプロジェクト、「カロクリサイクル」。カロク=禍録とは「災禍(さいか)の記録」のことで、自然災害や戦争のような災厄(さいやく)を体験した人、目撃した人が、語りや文章、映像など、さまざまなかたちで残した記録のことを指します。

2011年の東日本大震災後、東北に移住し、10年にわたり被災者の経験に耳を傾けてきたアーティスト・瀬尾夏美さんらが中心にはじめたこのプロジェクトでは、こうした禍録との新しい向き合い方や、語り部のネットワークの形成などが目指されています。

例えば、禍録という「記録」からみんなで「表現」をしてみたり、別々の土地で災禍に見舞われた人たちが、禍録を通してお互いの経験のなかに共通性を見出したり。このように、各地で独自に生まれ、引き継がれている複数の禍録をつなぎ合わせ、それを新しい表現やコミュニティの起点として機能させる狙いが、「リサイクル」という言葉に込められています。

震災から10年を超え、22年には東京に戻った瀬尾さん。生まれ故郷である東京での活動には、自身の足元を見つめ直し、そこにいる「語りを必要とする人」を意識したいという思いもあるようです。カロクリサイクルの活動について、瀬尾さんにお話をききました。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:池田宏 *1、2、4、10枚目)

一人の「災禍の記録」を、一人ぼっちにさせない

——「カロクリサイクル」のはじまりや、そこにある問題意識をきかせてください。

瀬尾:「禍録(カロク)」とは「災禍の記録」という意味で、災害や戦争を経験した人が残した記録のことです。禍録はさまざまな土地に存在しますが、そのような過酷な体験から人が再び立ち上がる過程には、時代や場所、出来事の違いにかかわらず、共通するものがあります。ならば、他者の経験や感情を想像し、共感する一助として、禍録が使えるのではないか。これが、プロジェクトの出発点にある問いです。

こうした取り組みは、「防災」という具体的な問題に対しても有効ですが、同時代にも災禍を経験した人たちがたくさん各地にいるなかで、その人たちを一人ぼっちにせず、互いの状況を想像したり、一緒にできることを見つけたりするうえでも意味がある。それが、私自身が東北でこの10年ほどやってきたことの延長にある視点だと思っています。

つまり、同時代的なネットワークをつくること。他者の状況を想像する力を身につけるうえで、記録という一種の「表現」が介在し得ること。わたしたちのミッションは、そうした視点から禍録のリサイクルを考えることだと思っています。その先に、同じ被害を出さない未来があり得ると信じて。

東京の水害と治水のリサーチで訪れた「荒川知水資料館 アモア」にて、「荒川の水害と放水路の誕生」の展示を見る。

——瀬尾さんは東日本大震災の翌年、2012年に東京から東北へ拠点を移され、震災を体験した多くの人の話をきかれてきました。まさに東北で禍録を収集してきたわけですが、そうした活動を経て、東北以外の禍録の存在も意識するようになったのでしょうか?

瀬尾:東北で人からきいた話を、違う土地の災禍を体験した人に話すという場を多くつくってきたのですが、誰かが話しはじめると、きいている人は自分の体験と重ね合わせたうえで語りだすことが多くて、いろいろつながるんですね。例えば、神戸の人たちは東北の話をきいたあとに阪神・淡路大震災の話をしはじめるし、広島の人は、東北の復興工事が原爆投下後の戦後復興と重なると話されていました。人が語る体験が、別の体験者の語りのスイッチになるという発見は、自分のなかで大きかったと思います。

東北で活動を続けていると、どうしても「東日本大震災」というイシューが自分にとって特別なものになってくるんです。一方で、最近は各地で深刻な自然災害も増えてきました。例えば、2021年からは宮城県の丸森町(まるもりまち)も取材しているのですが、この土地は2019年の台風19号で大きな被害を受けました。その被害規模は東日本大震災には及びませんが、現地には家族や家を失い、ほかの土地に移る人たちがいて、個人レベルでは同等といっていいような被災体験があります。

にもかかわらず、その被害は数としては「小さい」ので、どうしても忘れられてしまうし、「東日本大震災よりは大変じゃない」といった現地の方の声も聞かれます。そこで、「いや、ここにも被災をして、困難を抱えている人がいる」と目を向けることは、私のような被災当事者ではない「よそ者」にこそできることかもしれないと思っています。

——メディアや報道はどうしても、災害の直後に集中的に被災地を取り上げ、次の災害が起こるとそちらへ、という消費的な態度になりがちですよね。しかし当然、それぞれの被災者の方の時間はそのまま続いている。

瀬尾:東北での活動の記録をまとめた『あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019)という本を出したとき、神戸の人が手紙をくれました。彼は阪神・淡路大震災でお子さんを二人亡くした方でしたが、東北の震災が起きたとき、これで神戸に向けられていた注目は東北に行っちゃうんだと感じたそうです。でも、数年経ち、岩手県の沿岸部を訪れた際、そのまちの人々が自分の講演をきいて泣いてくれて、人の視線を奪い合うのではなく、同じ痛みを経験した者同士で出会った方がいいと思えるようになったと話されていました。

こうした経験が、ほかの土地や出来事でもきっと多くありえると思います。私のような、ある土地に根ざしたものを、できるだけ丁寧にすくい取ろうとする「アート」という営みを仕事にする人間が、そこでできることがあるのではないか。震災10年目の頃から、そうしたことを意識的にやりはじめました。コロナ禍でオンライン化が進み、ネットワークが構築しやすくなったことも背景の一つですね。

瀬尾夏美さんが著した東日本大震災に関する本。

各地の語り部同士、個々の語り部の記憶をつなぐネットワークを

——東北で活動されるなかで、各地の取り組みや語り部を「横」につなぐネットワークの不足を感じられたのでしょうか?

瀬尾:「不足」もありますし、甚大な災禍があり、「当事者」と呼ばれる人の規模がどれだけ大きかったとしても、出来事から10年、20年が経つと、それを引き継ごうとする人の数は意外なほど減っていくということもあります。

東日本大震災も、当初はみんなが語り部のような状態でしたが、10年が経ち、まちで一人、二人しか語りを担う人がいない土地もあります。もちろん生活こそが絶対的に大事なわけで、これはこれである種ポジティブというか、パワフルな変化なんですよね。

——「平時」が戻ってきた、と。

瀬尾:そうですね。それに、災禍を忘れたい、話したくないという方もいます。それも当然、尊重されるべき感情です。一方、経験を伝えようとする人が孤独に陥っていることも感じていて、単純にそれまでの活動の蓄積が消えてしまうことを惜(お)しむ気持ちもあります。であれば、各地の被災地で少なくなった語り部や伝承にかかわる活動をする方同士が知り合えたら、支えになるのではないかと。

災禍の継承にはいろんな社会課題が絡みます。ときには、裁判に発展することもあるため、その災害の特殊性を主張しなければいけない場面もあり、それも大事なことです。しかし、そうしたなかでも、一つの正解を求めたり、ある種の闘いに参加するのではなく、もう少し緩やかに心情的な共感を探すような時間や場をアートはつくり出すことができるように思っています。何より、そうした現場をつくる過程のなかでどんなことが起きるのか、私自身が知りたいという思いがあります。

——さきほどの神戸と岩手の方々のつながりもそうですが、瀬尾さんがこれまで、異なる土地や時代の人々の経験に感じたつながりで、特に印象的だったものは何ですか?

瀬尾:以前、広島の平和記念公園を訪れた際、あるおじいさんに話しかけられました。その方が一番見せたいものだと案内してくれたのが、国立広島原爆死没者追悼平和記念館の地下1階にある地層標本だったんです。広島の地層を切り取ったオブジェですが、彼が指差す部分を見ると、現在の地面の1メートルほど下に被曝前のまちの地層がありました。おじいさんは、その「自分がかつていたまちの地層」が見せたかったんですね。

旅行者には「平和記念公園はきれいでいいですね」と褒められるけど、ここは、自分たちが以前暮らしていたまちを1メートルくらい埋めた上にある公園なんだ、と。そこにもともと公園があったのではなく、暮らしがあったことを忘れてほしくないと話されていたんです。

——それはまさに、瀬尾さんが東北の埋め立てられた土地を「二重のまち」と表現されていることと重なりますね。

瀬尾:そうなんです。似たことがほかにもあって、第五福竜丸事件の資料が並ぶ東京都立第五福竜丸展示館に行った際、マーシャル諸島で活動する詩人が話す映像がありました。マーシャル諸島は核実験の被害と同時に、温暖化による海面上昇の影響で島が沈むというので、陸地を嵩上げする計画があるそうです。それに対して映像のなかの詩人が、嵩上げはせざるを得ないけれど、丘や草原の一つひとつに記憶があり、民話や歌があり、それを埋めることは私たちが物語を失うことだと話していて、私が陸前高田できいた話と重なると思ったんですね。

災禍そのものだけではなく、その後の復興工事によって失う集団的記憶があること。そして、マーシャル諸島が核実験の舞台になったり、大国の放出した二酸化炭素の影響で海面上昇の煽(あお)りを受けたりすることには、東京の電気をつくるために福島が被災することや、ソーラーパネルの設置で地滑りが起きることと同じで、構造的な格差がある点も共通しています。

——災禍の跡を辿ると、その背景にあった構造の共通性も見えてくる。

瀬尾:例えば、東京の人がソーラーパネルと地滑りをめぐる報道をきいてもなかなか自分ごとには感じないけれど、せめてそれが構造的につながっていることは知っていてほしいと思います。だけど、それを「知らなきゃ駄目」と直接語りかけても、みんな生活が大変で余裕がない。そうしたなか、さまざまな土地に似た話が共通してある状況を見せることで、自然とほかの土地に想像が向くようになるといいなと思います。

足元に広がる荒川流域の地図。川下の人たちの暮らしを守るために川上に複数の調整池があることを、ボランティア解説員から学んだ。

より逞しく、遠くに届く「語り」とは

——被災地以外に住む「当事者」ではない人のなかには、戸惑いや後ろめたさのため、禍録へのかかわり方に悩む方もいるように思います。そうしたなか、瀬尾さんは以前、そのような戸惑いをもつ人も、禍録を巡るサイクルのどこか「一部」にはかかわることができると話されていた。これは多くの人のハードルを下げる考え方だと感じました。

瀬尾:震災後の東北で、「みやぎ民話の会」という、宮城をはじめとした東北の民話の採訪を行うサークルの方々と知り合いました。そこで知ったのは、民話というのは、「あったること」(ほんとうにあったこと)であるという前提で語られること。これは、ヘビとかキツネとかの話のような、かなりフィクショナルな話でも同じで、そこでは語り手と聞き手が手をつなぎながら、その「あったること」の世界に入っていくんだそうです。

そのとき、「あったること」とは一体何なのか。例えば大昔に、何か絶対に語らねばならない体験をした人がいる。それは洪水や飢饉、継子話(ままこばなし)だったりするかもしれない。それを目撃した人が誰かに伝えなきゃと思って、直接体験していない人に話すとき、相手がショックを受けないように、例え話や笑い話を入れたり、あるいは別の地域のエピソードを入れたりすることもある。そうして、いろんな方法で次の人に渡していくんだと思うんですね。

これはつまり、例えば震災体験を「この震災の話」としてだけ受け継ぐのではなく、間に入る無数の人が「自分の話」として語れる余白がある方が、結果的に逞(たくま)しく、遠くまで届く語りになるということではないか。当事者か否かに関係なく、これは大事と思ったら、自分に引きつけながら次の人に渡す。自分の体験や身体性も入ってよくて、そうして伝わる話の方が、当事者かどうかで精査された話よりも豊かだと思っているんです。

——確かに、一言一句を正確に伝えなければいけないと思うと、そこで語りが止まってしまう可能性もあります。

瀬尾:ハードルが高くて、かかわりたくなくなると思うんですね。もう一つ、これはアートにかかわる話ですが、強烈な体験をしたからそれを表現する資格があるということではなく、誰もが体験したことや感じたこと、考えたことを表現して誰かに渡していいと、シンプルに思います。アーティストだけがそれをやれるわけでも、アーティストが一番できるわけでもない。アーティストは表現を促す人になるのがわりと得意なのかなと思いますが、担い手は誰もがなれるはずだと思っています。

禍録の視点から東京を歩く。「記録」を「表現」に変える

——瀬尾さんと、瀬尾さんが代表を務める「一般社団法人NOOK」は、今春に東京へと拠点を移され、4月からカロクリサイクルの活動をはじめました。これまで東京ではどのような活動を行ってきたのでしょうか?

瀬尾:基本的には、禍録が残された場所を訪れ、災禍がどのように記述されてきたかということをリサーチしています。訪れる場所はさまざまで、5月の初リサーチでは、東京大空襲・戦災資料センターが発行する『戦災資料センターから東京大空襲を歩く』(2005)というガイドブックを頼りに、江東区の妙久寺にある戦災殉難者供養碑や、焼け野原を描く作品を残した俳人・石田波郷の記念館などを回りました。散策後は議論を行い、文章をブログに残しています。おもしろい手法で禍録を残している人と出会ったり、その人と情報交換することもまち歩きの目的です。

2022年5月、東京空襲と関東大震災の記憶を巡るまち歩き(公益財団法人東京慰霊協会主催)に参加。

——東京水道歴史館や、戦後の版画教育についての展示など、訪問先がユニークですね。夏には、「記録から表現をつくる」というワークショップも行われたそうですね。

瀬尾:これは、残された記録を見たり、記録を元に表現をしている作家の話をきいたりすることを通して、参加者も記録から自分の「表現」を考えるというもので、全国から十数人が参加してくれました。さきのアーティストの話にもつながりますが、日本では教育の影響もあって表現することのハードルが高い。それを、少し変えたいという思いもあります。

具体的には、参加者同士がペアになってお互いにインタビューをしあい、相手の語りを文章にして朗読してみることからはじめます。そこで、話をきかれることの楽しさや、書いて表現してみることから生まれるコミュニケーションを体験します。その後、自分の記録したい対象を調べ、中間発表とフィードバックを重ねます。最後には、リサーチの過程で出てきた記録物や資料を構成したり、朗読などのパフォーマンスを組み合わせながら、展示空間をつくります。実際アウトプットしてみると、みんな結構自信がつくというか、表現ってこんなハードルが低いんだ、と感じられるし、お互いの表現を見て感想を言い合うのって楽しいんですよね。そのうちの数人は今後も発表を続けようとしていて、コミュニティも生まれていますね。

「カロク・リーディング・クラブ」という企画では、東京と岡山をZoomでつないで同じ記録を見ながら「てつがくカフェ」のやり方で話し合う場をつくりました。岡山県では真備町(まびちょう)の豪雨被害などもあり、異なる災禍を経験した土地の人たちとネットワークづくりをはじめています。

2022年7〜8月に全4回開催した「記録から表現をつくる」ワークショップの様子。

さまざまな背景をもつ人たちのために、自分のために、いろんなことを知っていく

——江東区内に、カロクリサイクルの活動拠点もつくろうとされているとか。

瀬尾:拠点はいま準備中で、そこで何ができるかを考えている段階です。江東区を選んだのは、水害の歴史やリスクがあるからでもあります。そこでどんなことが起きたのか、地域の人とかかわるうえで、まずは共通言語として知っていきたい。ただ、日常生活のなかで地元の災禍のリスクを考えるハードルは高いと思うので、直接、地域の災禍について触れるのではないやり方で、災害に関して考え、過去をひもときながら、これからを想像するような拠点ができないかと最近は考えています。

また、拠点の近くには外国籍の方も多く住んでいます。私たちがこれまで調べてきた各地の災禍のなかには、そうした人たちの故郷で起きた出来事もありますが、それを伝える際、宗教的な背景や生活習慣の違いで考えなければいけないこともある。そうしたことも学びたいと思っています。

——ほかに、これからしたいと考えている活動についてもきかせてください。

瀬尾:私たちができること、得意だと思うことは、やっぱり東北とつなげることだと思います。

先日、「プラス・アーツ」というNPOの東京事務所に話をききに行きました。こちらは、阪神・淡路大震災の経験を出発点に、防災にまつわるノウハウをゲームのように楽しめる教材にして、こどもたちに向けてワークショップを行っている団体です。そこで印象的だったのは、その方たちはずっと東北でも活動をしたいと思っているけれど、知見があるからこそ、いまはまだ行くべきではないと考え、なかなか訪れることができていないということでした。

2022年7月、NPO法人プラス・アーツの東京事務局を訪問。

それに対して、私たちはずっと東北にいたので、東日本大震災から10年が経ち、すでに小学校に通うほとんどの子が震災を体験していないことや、一方で、大人のなかにはまだ傷が癒えていなくて、自分たちで教育をすることがしんどいけど、何かやらなきゃと思っている人がいることも知っている。プラス・アーツの方たちに、「いま東北での活動が求められていると思います」と伝えることができる。そうした、東北とほかの地域のつなぎ役もしていけるのかなと感じています。

——多岐にわたる活動ですね。

瀬尾:そうですね。ただ、それらを自分がコントロールしようという気はなくて。むしろ、先ほどのワークショップの参加者が独自にコミュニティをつくったり、岡山のチームが勝手に動き出したりすることがおもしろいし、楽しい。その方が、私自身の知見も増えるじゃないですか。そうやっていろんなことを知れば、自分もいい物語が書けるかもしれない。

——自分の創作にも跳ね返ってくる。

瀬尾:もちろん。私は慈善事業をやろうとしてるわけではないので、個人的な動機がなければこうした活動はできないです。プロジェクトには、個人の欲望や身体の感覚がちゃんとあるべきだと思うし、それは参加してくれるいろんな人にとってもそうであってほしい。研究をする人もいれば、まちづくりにいかす人も、演劇をつくりたい人もいる。そういう信頼関係のなかで情報を共有しながら励まし合っていけたらいいんじゃないか、と思っています。

日常のなかにある「語り」をきき逃さないためのコミュニティ

——東京は災禍の記憶やリスクをもつまちであると同時に、瀬尾さんにとっては生まれ故郷でもあります。東北での経験を通して自分の足元への意識が変化した部分はありますか?

瀬尾:東京という土地に対してよりも、災禍を経験して、そのことについて考えたり、傷を負ったままの人たちが同時代にも暮らしていることをちゃんと意識しないといけないという気持ちの方が強いかもしれません。

私の祖父は、戦争で南方に行って帰ってきた人でした。私の世代の「あるある」かもしれないですが、二世帯住宅でじいちゃんが家にいて、認知症でもあったので、戦争の話をしはじめると止まらないということがよくありました。それに対して私や家族は、「じいちゃん、もういいよ」という感じで、自分の日常生活から、ある体験や記憶を語らなければいけない人のことを排除してきた感覚があって。確かにみんな忙しいから、なかなか日常的にきくことは難しいですけど、もっときいてあげた方がよかったな、と。これは私にとって原体験的なものなんです。

そんな風に、同時代を生きている人のなかには、語らずにはおれない、語ることを必要としている人たちが実はたくさんいる。それを抑圧している状態が嫌なんです。きいた方がコミュニケーションも楽しいし、継承の機会にもなる。東京って、いろんなパターンで、いたるところにそうした人がいる場所でもあると思います。その人たちが、語れないままになっているのはよくない気がして。

——いまのお話をきいて、確かに禍録のサイクルが生まれていくためには、語る人だけではなくて、それをきく側の姿勢が伴っていなければいけない、と感じました。

瀬尾:被災地域にいて、語ること、あるいは記録するところまで、ただでさえ大変な状況にある当事者にやらせていていいのだろうかと感じてきました。当事者じゃない人は、それをやる役回りなんだよって、思うというか。

——せめてきこうよ、と。

瀬尾:そう。せめてきいたり、相づちを打ったり、横にいたりしようと。私はそれを家族というコミュニティのなかではやれなかった。だけど、それぞれ事情があるなかで、聞き手は必ずしも当事者に近い人だけではなくていいのかもしれない。聞き手を増やしていくことで、いろんな人が他者の話を持ち回りできいてもいい。私は祖父に話をきけなかった分、それに近い体験をもつ人の話をききたいと思うし、そうしたサイクルが生まれたらいいなという思いもあります。

カロクリサイクルの活動について伝える配信番組「テレビノーク」。月1回程度、YouTubeで配信。

——災禍の経験をもつ人は、常に既に日常のなかにいる。そうした人とどのように生き、そこから何を学ぶのか。そうした「災間の想像力」や、日常的なきく力をみんなで共有するプロジェクトでもあるのですね

瀬尾:災禍の体験者には、さまざまな事情や感情から語ることを躊躇する人もいます。辛くて話すことができないとか、もっと大変な思いをした人がいるから語る資格がないといった心理的な側面のほかに、聞き手が不在であることもよくある。そうしたとき、家族や村の人には話せないけど、外から来た人にならば話せる場合もあると思うんですね。あるいは、「なんか寂しい」といった自分でも整理がついていない抽象的な感情も、きく側の姿勢次第では話すことができるはず。

先ほど話したワークショップの参加者とは、そうした姿勢を共有できた気がしていて。例えば自分の住む郊外の歴史や、通学路にある戦争の痕跡のような、それこそ日常的には周囲の人に耳を傾けてもらえない話を、みんなで調べて、話し合っている。すると、このコミュニティではきいてもらえると感じて、それがまた、記録や表現をはじめる動機になる。同じ感性をもつ聞き手が集まることには、そうした価値もあると感じています。

2023年1月から2月に開催した、「展覧会 語らいの記録 2011-2022」の様子。NOOKが実践してきた記録と表現の手法および、東日本大震災にかかわるアート活動のドキュメント等を展示した。(撮影:加藤甫)

Profile

瀬尾夏美(せお・なつみ)

アーティスト/一般社団法人NOOK
1988年生まれ、東京都出身。東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくる。2012年より、映像作家の小森はるかとともに岩手県陸前高田市に拠点を移す。2015年、仙台市で一般社団法人NOOKを立ち上げる。主な展覧会に「ヨコハマトリエンナーレ2017」、「第12回恵比寿映像祭」など。最新の映画作品に「二重のまち/交代地のうたを編む」(小森はるか+瀬尾夏美)。著書に、『あわいゆくころ――陸前高田、震災後を生きる』(晶文社、2019年)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房、2021年)。

「カロクリサイクル」

被災を経験した土地に蓄積されてきた記録物(禍録)や、防災やレジリエンスにかかわる知識や表現の技術、課題等を広く共有するプロジェクト。災間期をともに生き、次なる災禍に備え、災後も活用できるネットワークの形成を目指す。
https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/what-we-do/creation/hubs/karoku-recycle/52796/

「第3コーナー」を駆け抜けるには?|アートプロジェクトの運営をひらく、○○のことば

アートプロジェクトの運営にまつわる「ことば」を取り上げ、現場の運営を支えるために必要な視点を紹介する動画シリーズ「アートプロジェクトの運営をひらく、○○のことば。」から、「第3コーナー」を公開しました!

この動画では、東京アートポイント計画で、アートプロジェクトの中間支援に携わる専門スタッフ(プログラムオフィサー)が、『東京アートポイント計画が、アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本 <増補版>』(略して「ことば本」)から「ことば」を選んで、紹介しています。

2022年7月には、7本の動画を公開しましたが、今回の続編と合わせて14本の動画シリーズとなりました。この記事で取り上げる「第3コーナー」について、ことば本では以下のように書かれています。

第3コーナー:準備と実施だけでは終われない

プロジェクトの運営を競技場のトラック1周にたとえるならば、準備から実施までが、ちょうどトラック半周の第2コーナーといえるだろう。そして、第3コーナー以降は、記録や調査をもとに活動を振り返り、その成果を関係者へ報告し、検証・評価する段階である。プロジェクトを持続的に展開するためには、この第3コーナー以降が重要だ。

ブレインストーミング、企画、準備、実施、報告、検証・評価というプロジェクトマネジメントの流れをひとつのサイクルとすれば、プロジェクトの終了地点は、次の実践のスタート地点とつながっている。検証・報告がトラックの最終コーナーを過ぎたところならば、その後にバトンのリレーゾーンのようにスタートとゴールは重なり、再び周回がはじまるイメージだ。実際にプロジェクトを構想し、実施すると、この第2コーナーまでの段階で「やること」に忙しくなり、その後の活動が手薄になってしまうことがよくある。

第3コーナー以降を駆け抜けるためには、あらかじめ報告、検証・評価に対応できる戦略を立て、準備をしておく必要がある。持続可能なプロジェクト運営のために、このサイクルを意識し、全体を見渡しながら現場を動かすのが「事務局」の仕事となる。

『東京アートポイント計画が、アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本<増補版>』アーツカウンシル東京、2020年、68-69頁より。本書は、以下のリンク先よりPDFダウンロードにてお読みいただけます。

東京アートポイント計画が、 アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本 <増補版>

アートプロジェクトの現場は、常に実験的で、新たな試みにチャレンジします。思いもよらないアプローチを見出したり、誰も気がつかなかった場所を使ったり、いまだ見たことのない表現が生まれたり……日々、変化する状況に応答するだけで、アートプロジェクトを運営する事務局は、大忙しです。企画が実現し、やっと終わった……と一息ついたところで力尽きてしまうことも、しばしば。せっかく充実した成果があったとしても、それを「伝える」までに至らないのでは、もったいない。成果を広く共有することは、次の企画の糸口ともなっていくはずです。

個々の現場での対応は毎回異なるとしても、実務的に積み重ねるプロセスは共通するものがあります。そのプロジェクトの運営サイクル全体をぐるっと見回しながら具体的な対応にのぞむことや、プロジェクトの後半に溜まりがちな(おろそかになってしまうことも多い)報告や検証・評価といった活動を意識化するために「第3コーナー」ということばは、生まれました。

アートプロジェクトの運営を競技場のトラックにたとえているのは、
アートプロジェクトの運営ガイドライン 運営版』に掲載された図を参考にしています。

動画のなかでは「第3コーナー」の活動として、フォーラムのような場をひらくことを紹介しました。Artpoint Meeitngは、東京アートポイント計画が年に2~3回のペースで開催しているフォーラムですが、現場の実践報告だけでなく、どんな社会的なトピックとかかわっているのか(各プロジェクトの狙い)を見えやすくするための場としても使っています。

つくることの根源を探る。身体をつかってやってみる。(APM#10 前編)

また「第3コーナー」の活動を支えるアーカイブづくりに活用できるツールとして『アート・アーカイブ・キット』も紹介しました。

アート・アーカイブ・キット

そのほか、今回の動画内では紹介しきれませんでしたが、「第3コーナー」以降にある大事な活動「検証・評価」については、以下の動画で紹介しています。ぜひ、あわせてご覧ください。

「評価への準備」からはじめよう。|アートプロジェクトの運営をひらく、○○のことば

「アートプロジェクトの運営をひらく○○のことば[実践編]」では「Memorial Rebirth 千住」というプロジェクトに焦点をあわせて、評価の実践についても解説を行っています(動画は、計4本あります)。

アートプロジェクトの運営において、「第3コーナー」を意識することは、息の長い実践をつくるための足がかりになります。最後に「第3コーナー」に取り組む意義に触れた記事の引用で終わりたいと思います。

「第3コーナー」にこだわる、一つの理由は(急に大きなことばを使いますが)自らの実践の「公共性」を意識するかにかかっているのだと思います。いまだ出会ったことのない人、もしくは、きっと出会うことのない人々に対する想像力をもち、そこにプロジェクトの価値を届けることを考えるかどうか。公的な資金を使っているかどうかは関係ありません。むしろ、どれほど私的な(ように見える)活動であったとしても、それを「公」の領域に掬い上げることがアートプロジェクトを実践する意義であるのだと思います。

実践の場で生まれる価値に参加者がきちんと出会えるように適正規模で場を「閉じる」こと、そして、その場に立ち会わなかった(立ち会えなかった)人々に向けて価値を「開く」ことを試みること。この両面があることで、ひとつの「現場」が、本当の意味で完結した円を描いたといえるのではないでしょうか。「第3コーナー」について考えることは、なぜ、誰にプロジェクトを仕掛けているのか? という自らの実践の射程を問うことになるのだと思います。

実践編「アートプロジェクト」第7回 第3コーナー|マネジメントサイクルを超えて(ネットTAM講座)

今回ご紹介した動画や記事を入口に、プロジェクトメンバーのみなさんと「第3コーナー」の駆け抜けかたを議論してみては、いかがでしょうか?

Tokyo Art Research Lab「アートプロジェクトの運営をひらく、○○のことば」の再生リストはこちら

「情報共有」を心がける。|アートプロジェクトの運営をひらく、○○のことば。

アートプロジェクトの運営にまつわる「ことば」を取り上げ、現場の運営を支えるために必要な視点を紹介する動画シリーズ「アートプロジェクトの運営をひらく、○○のことば。」から、「情報共有」を公開しました!

この動画では、東京アートポイント計画で、アートプロジェクトの中間支援に携わる専門スタッフ(プログラムオフィサー)が、『東京アートポイント計画が、アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本 <増補版>』(略して「ことば本」)から「ことば」を選んで、紹介しています。

2022年7月には、7本の動画を公開しましたが、今回の続編と合わせて14本の動画シリーズとなりました。この記事で取り上げる「情報共有」について、ことば本では以下のように書かれています。

情報共有:立場の違う仲間への伝え方、事務局内での「ほうれんそう」

プロジェクトの構成メンバーはその内容によってさまざまだ。行政、地域団体や研究者などアート業界以外の人と連携する場合、関係者間の情報共有に工夫が必要だ。専門領域が違うと、使用言語や物事を考える順番なども異なり、同じことを話しているつもりでもすれ違ってしまうことがある。特に初期段階では、丁寧すぎるほどの説明と情報出しをこころがけよう。共有する情報量も関係者間で漏れのないよう等しく伝えよう。どこまでが了解事項で、どこからは了解の範囲外かを確認しながら進めることが重要だ。

また、事務局内での情報共有では、プロジェクトが忙しくなると、メンバーの動きを把握するのが難しくなりがちだ。しかし、「ほうれんそう」を怠ると大きなリスクを招きかねない。日常的な情報共有は習慣化しよう。定期的に「報告」「連絡」する体制を整える。些細なことでもモヤッとしたらすぐ「相談」する。時間をかけられないときは、数文字の携帯メールでのやりとりでも良い。それぞれの業務で動きがあったとき、滞ったとき、問題が起こりそうなとき。それらの情報を適宜共有し、チーム全体で状況を把握できていることが、組織としての大きな力につながる

『東京アートポイント計画が、アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本<増補版>』アーツカウンシル東京、2020年、23頁より。本書は、以下のリンク先よりPDFダウンロードにてお読みいただけます。

東京アートポイント計画が、 アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本 <増補版>

動画では「情報共有」を考える4つのポイントを紹介しています。

  • ことば選び(過不足のない情報量や、業界による違いも踏まえておく)
  • ツール・メディア(機能や特性を理解して、適切なものを選ぶ)
  • 体制(誰と誰とのやり取りかによって、情報の質が変わる)
  • 頻度(スケジュールや必要メンバーを念頭に回数を設定する)

プロジェクトを運営していると「共有」という言葉がよく使われるのではないでしょうか。あらためて共有という言葉を紐解くと「伝える側」と「受け取る側」の存在が浮かび上がります。
取り上げた4つのポイントは、どちらかの側だけが考えればいいものでなく、両者ひいてはチームがともに工夫し、設計することで、報告・連絡・相談を円滑にする手がかりとなります。

「この前、電話で話したことが伝わっていない!」
「メールに書いてあるのに、どうして進んでいないんだろう?」
「会議のときは、いいよって言っていた気がするけど……。」

悩みのきっかけは、そうした認識のズレからはじまることがしばしば。もやもやしたことが続いたら、プロジェクトでの役割のみならず、それぞれのライフスタイルや得手不得手を踏まえて情報共有の仕方を確認し、見直す必要があるかもしれません。事務局の3つの役割と協働については以下の記事でも触れています。

「事務局3人組」で動く。|アートプロジェクトの運営をひらく、〇〇のことば。

何を伝えたかではなく、相手が何を受け取ったのか、自分がどう受け取ったかによってプロジェクトが動く場面も多いでしょう。お互いに抱える情報量や捉え方について、疑問があればすぐ確認できる体制が大切です。
チームづくりやツール選びのポイントについて、ウェブサイト制作を事例にした資料でも具体的に紹介しているので、ぜひ参考にしてみてください。

アートプロジェクトのためのウェブサイト制作 コ・クリエイションの手引き

伝えること、伝え合うことについて考えを深めたいときは、手話通訳の存在・役割から「間」に立つものの視点についてまとめた資料からヒントを探してみるのもひとつです。

つたえる、うけとる、つたえあう ― interpret 新たなコミュニケーションの在り方をみつけるために ―

情報共有はできて当たり前、と思いがちですが、プロジェクトを進めるうちに誰かが情報を溜め込んだり、違和感をそのままにしていることも。他者や事業とのコミュニケーションを怖がらないためにも、日頃から意識的に「共有」の質を考えることが大切なのだと思います。

Tokyo Art Research Lab「アートプロジェクトの運営をひらく、○○のことば」の再生リストはこちら

アートプロジェクトのためのウェブサイト制作 コ・クリエイションの手引き

本書ではアートプロジェクトのウェブサイト制作について、その一連のプロセスや、それぞれの段階で押さえておくべき課題、チームで制作に取り組むためのポイントをまとめました。以下のワークシートと合わせてご活用ください。

※本書は「ウェブサイトは必要か?」という問いを、ディレクター、デザイナー、エンジニアなど、多様なフィールドで活躍する10名のメンバーと議論した「東京プロジェクトスタディ これからのウェブサイトについて考える」をきっかけに制作されました。

▶刊行記念オンライン座談会の動画はこちら
「誰かと一緒にウェブサイトをつくるために必要なことはなんだろう?」YouTube再生リスト

プロジェクトオーナーが一方的にアイデアを押し付けるのではなく、エンジニアがすべてを突っぱねるのでもなく、不可侵に感じている互いの境界線をすこし曖昧にして、みんなで学びながら・前向きにチームでつくることが、成功のポイントとなるのです。

(p.3)
目次

Stage 1 俯瞰して確かめる

  • アートプロジェクト系のウェブサイトの分類を捉えよう
  • ウェブサイト制作での役割分担を共有しよう
  • ウェブサイト制作の流れを確認しよう
  • MAP

Stage 2 状況を整理する

  • ウェブサイトをつくる前にチームでKPTを確認しよう
  • ユーザー視点で情報発信するために「ペルソナ」をつくろう
  • 届けたい人へ届けるために「カスタマージャーニー」をつくろう
  • 予算・スケジュール・制作体制等を確認しよう
  • ウェブサイト制作のツール選びはみんなが挫折しないものを選ぼう

Stage 3 伝え方を考える

  • 表現・伝え方のアイデアを考える。プロジェクトの個性をどう表現する?
  • 導線・構成を検討する。ウェブサイトの構成を伝えよう
  • デザインを検討する。見栄えと使いやすさの優先順位を考えよう
  • アクセシビリティを検討する。いろんな立場や視点から考えよう
  • システムを構築する。技術に関する共通言語を手に入れよう

Stage 4 ウェブサイトを運用する

  • 運営方法を検討する。リアルな運用のイメージをつかもう
  • 継続する方法を考える。ユーザーとの「接点」を連続的に捉えよう
ワークシート(付録)のダウンロード

ダウンロードはこちらから。

このPDFデータは、冊子本体のQRコードからダウンロードできるワークシートです。それぞれのトピックに応じて項目を書き出し、ウェブサイト制作に役立てていただけたら幸いです。

「ネーミング」を工夫しよう。|アートプロジェクトの運営をひらく、○○のことば。

アートプロジェクトの運営にまつわる「ことば」を取り上げ、現場の運営を支えるために必要な視点を紹介する動画シリーズ「アートプロジェクトの運営をひらく、○○のことば。」から、「ネーミング」を公開しました!

この動画では、東京アートポイント計画で、アートプロジェクトの中間支援に携わる専門スタッフ(プログラムオフィサー)が、『東京アートポイント計画が、アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本 <増補版>』(略して「ことば本」)から「ことば」を選んで、紹介しています。

2022年7月には、7本の動画を公開しましたが、今回の続編と合わせて14本の動画シリーズとなりました。この記事で取り上げる「ネーミング」について、ことば本では以下のように書かれています。

ネーミング:はじめの一歩で、すべてが決まる

どんなに新しい提案内容もプロジェクトの名前でつまずけば、伝わらないことだってある。名刺、企画書、プレゼンテーション。はじめて出会う人にプロジェクトを説明するとき、まず伝えるものは名前になるだろう。その言葉ひとつでプロジェクトの印象が決まる。それで、ぐっと心を掴んでしまえば、細部は相手のペースに合わせて説明すればいい。

名前は長くてもいいし、短くてもいい。ひとつの言葉で複数の意味を説明できる「かけことば」を使う。副題を付ける。英名を和名の直訳とは変える。句読点や動詞を使ってみてもいい。それでプロジェクトの目指すイメージが相手に伝えられるか、一緒に動くメンバーが使いたいものか、想像してみよう。

仮でもいいから、企画構想の早い段階で名前を付けておく。企画内容の変化に応じて修正しながら、プロジェ クトをともにつくるメンバーと充分に議論を重ねておく。既に同じ名前が使われていないかの確認も忘れずに。後から名前を変えることは難しい。だからこそ、プロジェクトが走るときに立ち戻るべき想いや考え方を確認するツールにもなるだろう。

『東京アートポイント計画が、アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本<増補版>』アーツカウンシル東京、2020年、25頁より。本書は、以下のリンク先よりPDFダウンロードにてお読みいただけます。

東京アートポイント計画が、 アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本 <増補版>

プロジェクトの想いを託し、その後の羅針盤をつくる最初の一歩、「ネーミング」。『アートプロジェクトの現場で使える27の技術』には、「chapter1 はじめる」に「コンセプトを立てる、 タイトルをつける」が収録されています。

思考と技術と対話の学校 基礎プログラム2 [技術編] 2016 アートプロジェクトの現場で使える27の技術

「最初に明確なコンセプトとタイトルをつくることがとにかく重要」と、この本の中ではドラマトゥルクの長島確さんのことばを紹介しています。長島確さんが東京アートポイント計画で展開した「墨田区在住アトレウス家」はコンセプトそのものを体現しています。

どこかしら無茶や違物感があることが、タイトルをつけるときの留意点です。長島さんが2010年に構成と演出を手掛けた、民家とギリシャ悲劇を組み合わせた演劇のタイトルは「墨田区在住アトレウス家」。何か面白い違物感を感じませんか 。

『アートプロジェクトの現場で使える27の技術』p19

プロジェクトは拠点を移動しながら2011年は「豊島区在住アトレウス家」、2012年は「豊島区在住アトレウス家」とコンセプトはそのままに、タイトルが展開していきます。2019年には「松戸市在住アトレウス家」も実施され、10年続くプロジェクトとなりました。

ネーミングからひろがるコンセプトについて、以下のインタビューと冊子「アトレウス家の建て方」に思考の実践例として参照することができます。

「考える演劇」のために。実験と失敗が広げる、「まち」という名の劇場——長島確+佐藤慎也「アトレウス家」インタビュー〈前篇〉

まちなかの演劇で試される、「メタな視点」と「長い時間」。オルタナティブがスタンダードになった後 ——長島確+佐藤慎也「アトレウス家」インタビュー〈後篇〉

アトレウス家の建て方

『アートプロジェクトの現場で使える27の技術』の「コンセプトを立てる、 タイトルをつける」の結びには、

日頃からのインプットもとても重要です 。

とあります。ことば本(32頁)には「インプット」も収録しています。よいネーミングに辿り着くために、日常を見つめ、プロジェクトの種をみつけましょう。

Tokyo Art Research Lab「アートプロジェクトの運営をひらく、○○のことば」の再生リストはこちら

東京アートポイント計画 + NPO法人音まち計画(千住)|Tokyo Art Navigation

本記事は、2025年6月30日に終了したウェブサイト「Tokyo Art Navigation」の連載「Next Tokyo 発見隊! No.11」として公開された記事を転載したものです。

東京各所の歴史や文化をクリエイティブに掘り起こす人たちを取材するシリーズ「Next Tokyo 発見隊!」。今回からは、東京にたくさんの「アートポイント」をつくることを目指したプロジェクト「東京アートポイント計画」をご紹介します。

東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、そしてNPOが共催し、2009年にスタートした「東京アートポイント計画」は、これまで50以上の団体と45のプロジェクトを行ってきました。ここでは、このプロジェクトに参加してきた非営利団体のなかから3つの団体を取材し、連載でお伝えしていきます。

アーツカウンシル東京の「東京アートポイント計画」プログラムオフィサーとディレクター。プログラムオフィサーは、それぞれがアートプロジェクトの現場経験や独自の専門性をもち、プロジェクトの現場に伴走する。 
*撮影:加藤甫

「東京アートポイント計画」とは、文化が生まれる拠点をつくるプロジェクト

東京にさまざまな「アートポイント」(=文化が生まれる場所)をつくりたい、という思いのもとスタートした「東京アートポイント計画」。東京へのオリンピック・パラリンピック競技大会招致を機に、地域社会を担うNPOとアートプロジェクトを展開することで、まちにアートの担い手を増やそうと、2009年に東京都とアーツカウンシル東京(当時・東京文化発信プロジェクト室)が立ち上げたプロジェクトです。

「まち・人・活動をつなぐために、公共文化事業の新しい中間支援システムをつくる」という設計思想がもとになり、東京都・アーツカウンシル東京・NPOの3者による「共催」事業として実施していることが最大の特徴です。共催のメリットは、事業と組織の進捗に合わせ、じっくりと推進していけること。持続可能なプロジェクトのために、チームの育成に力を入れています。

アートプロジェクトの専門スタッフである、アーツカウンシル東京のプログラムオフィサーがプロジェクトの立ち上げから関わり、複数年かけてそのプロセスに伴走する仕組みは、国内外でも珍しい事例です。プログラムオフィサーは、まちに生まれたばかりのアートプロジェクトを運営する団体やスタッフを、ネットワークや情報、ノウハウなどの面で支援し、プロジェクトを持続的に活動できるようサポートしています。
この仕組みによって、各地域で市民とかかわり合いながら、文化芸術活動を担う団体や拠点を育んできました。

「無縁社会」からスタートした「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」

今回最初にご紹介するNPO法人音まち計画は、2011年から「アートポイント計画」に参加し、千住で約10年以上にわたって続くアートプロジェクト「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」(以下、「音まち」)を運営する団体です。2022年春に「アートポイント計画」を卒業するまで、どのような歩みを経て持続可能なアートプロジェクトに発展させてきたのでしょうか?

このNPOで「音まち」のディレクターを務める吉田武司さんとアーツカウンシル東京プログラムオフィサーの大内伸輔さんに、NPOが運営する文化拠点「仲町の家」で話を聞きました。

仲町の家にて。「音まち」ディレクターの吉田武司さん(右)とプログラムオフィサーの大内伸輔さん(左)

「音まち」は現在、足立区、東京藝術大学、NPOの3者で実施しています。大きな特徴は「音」がテーマであることと、まちに住む人が主体となって活動していることです。2022年は、音楽家・野村誠によるだじゃれから音楽を生み出すプロジェクト「千住だじゃれ音楽祭」(2011年〜)や、多様な表現者が関わることのできる「千住・人情芸術祭1DAYパフォーマンス表現街」(2021年〜)など4つのプロジェクトを行っています。

この「音まち」がスタートしたのは2010年代初頭。「無縁社会」という言葉が流行語大賞になり、孤立や孤独が社会問題として大きく取り上げられた頃でした。「江戸時代に宿場町として栄え、人情あふれるまちという印象が強い足立区でも、『無縁社会』は大きな課題として受け止められていました」と音まちのディレクター、吉田武司さん。

吉田さんは2015〜2017年は「音まち」事務局長を務め、2018年より現職。前職では東京アートポイント計画のプログラムオフィサーとして「音まち」を担当していたことも

そこで足立区のシティプロモーション課が、区制80年を迎える2012年を前に、文化芸術の力で千住に「縁」を取り戻すプロジェクトをできないか、と検討し、「東京アートポイント計画」を行うアーツカウンシル東京(当時・東京文化発信プロジェクト室)に相談したことが、いまの「音まち」につながっていきます。
「音まち」を担当したアーツカウンシル東京のプログラムオフィサーの大内さんは「普段の生活で出会わない人たち同士が出会う機会をつくりたい。80年の記念事業といっても1回で終わるイベントではなく、そこでできた縁を広げたり深めたりする事業としていきたい、という思いがあったそうです」と語ります。

大内さんは東京アートポイント計画の立ち上げよりプログラムオフィサーとして従事。「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」も立ち上げ当初から担当していた。「東京アートポイント計画は、ごく端的に言うと、アートプロジェクトを運営する『事務局』をつくる事業なんです」と大内さんは話す
2011年より続く、アーティスト・大巻伸嗣氏によるプロジェクト「Memorial Rebirth 千住 2018 西新井」
*撮影:冨田了平

その後、東京藝術大学の千住キャンパスに研究室を構える熊倉純子教授(音楽環境創造科・大学院国際芸術創造研究科)にも相談し、熊倉教授のもとで文化支援やアートマネジメントを専門に学ぶ藝大生らとも一緒に事業を行うことになります。

「熊倉先生の研究室は理論と実践の両輪を大事にしていますが、『音まち』はその実践の場になっています。学生はまちに出て、NPO職員と一緒にプロジェクトの企画・運営に携わっており、アーティストや市民の方に叱咤激励されながら、さまざまな経験を重ねます。そして、その蓄積した体験を論文という形で理論に落とし込む。毎年、学部1年生から博士課程まで20人ほどの学生がプロジェクトに関わってくれています」と吉田さんは言います。

東京藝術大学の大学広報誌『藝える』で音まちのメンバーが表紙になった号(第3号、2018年)

まちに活動を残すための「事務局」の基盤づくり

ただ藝大の学生たちや、足立区の担当者の皆さんは、当然ながら卒業や異動などで入れ替わっていきます。そして、活動がまちに残っていくには、自主的にアートの企画を担い、運営を継続して担当する「組織(事務局)」が必要です。そこで、まちに根付いたプロジェクトをはじめるにあたって、「音まち」は、新しく発足したNPO(NPO法人音まち計画の前身)、足立区、藝大、東京都、アーツカウンシル東京の5者が共催して進めるプロジェクトとしてスタートしました。

5者共催といっても、各共催団体の役割はそれぞれです。たとえば事務局が企画をし、その内容について共催団体が定期ミーティングのなかで意見を交わし合い、プロジェクトの方向性や運営方法を検討し企画を詰めていきます。そのなかで、アーツカウンシル東京は特に、活動や組織が持続的なものになったり、共催団体にとって新しいチャレンジになったりすることを重視しています。「アートマネジメントの専門的な立場から、我々がやりたいところを理解したうえでアドバイスをくれていました」と吉田さんは振り返ります。

大内さんは、そのアドバイスの例として、リスクマネジメントをあげます。「『こういうことをやりたい』という提案に対し『リスクがあるからダメ』ではなく、なぜやりたいのかという企画の必然性を問いながら『これならできそうでは?』という落としどころに至るまで、対話を重ねるようにしています」と、中間支援として事務局に寄り添いながら伴走してきました。

2022年に開催した「千住・人情芸術祭 1DAYパフォーマンス表現街」の様子。第二回となる2022年11月6日(日)には、総勢68組のパフォーマーが、江戸時代から交流の場所だった「千住ほんちょう商店街」に集まり、各所で表現を繰り広げた
*撮影:冨田了平

スキルや手法はシェアされ、次のステップへ

2022年の春、NPO法人音まち計画は、東京アートポイント計画事業から卒業しましたが、そこで培われたスキルや手法は、東京アートポイント計画のほかのプロジェクトにもシェアされています。

「一つのイベントをつくっていくときに、まずは体制表や進行表をつくって計画を立ててブラッシュアップしていきます。この表なども『こういうものをつくって準備しましょう』とほかの団体のお手本にもなる。企画や運営という仕事のうえで、ある程度フォーマット化できる手法は積極的に他団体にもシェアしています。『音まち』でつくられた会計システムは、いまはどの団体でも使っていて役立っていますね」と大内さん。

小さなNPOの事務局では、専任の会計担当がいないことは珍しくありません。兼任や複数人で担当することでどうしても煩雑になってしまいます。そのなかで、チェックする側もされる側も負担を減らすために、「音まち」では台紙のフォーマットをつくりシステム化しました。

また、プロジェクトを継続するために必要な「事業評価」にも積極的に取り組んでいます。「音まち」が地道に積み上げた、アンケート分析やロジックモデル(活動の結果と成果を図示した評価手法)の作成などは、他団体との勉強会で好例としてシェアされました。2022年に出版した本『アートプロジェクトがつむぐ縁のはなし 大巻伸嗣「Memorial Rebirth 千住」の11年』は、成果の見えづらいアートプロジェクトの価値をどのように伝えていくのかが記録され、多くの反響を呼んでいます。

「音まち」が10年続いたことを機に、「Memorial Rebirth 千住」の歩みとそこから生まれた「縁」をまとめた本。『アートプロジェクトがつむぐ縁のはなし 大巻伸嗣「Memorial Rebirth 千住」の11年』(公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、2022年)

東京アートポイント計画では、こうして実践的に積み上げられたスキルや手法が蓄積され、ほかの団体に還元されているだけではなく、参加した団体にとっても次のステップに進むための研鑽の場となっています。
「助成金を申請するときも、やはりアートポイント時代に磨いたスキルは役立っていると実感します。助成先には事業計画や予算書などを通して運営のスキルも見られますが、最近採択される割合が増えてきました。公的な文化事業を行っていたことが団体に対する信用度につながっているのかもしれません」と吉田さんは話します。

(photo:多国籍美術展「Cultural BYO…ね!」2022年の様子) 地域に居住する外国人との交流を通したプロジェクト「イミグレーション・ミュージアム・東京(IMM)」(2013年〜)による多国籍美術展「Cultural BYO…ね!」(2022年)。12月3日(土)〜25日(日)に「仲町の家」にて開催した
*撮影:冨田了平

「私たちもその活動がまちに根付き、続いていくための『基盤づくり』の期間としてご一緒しています」という大内さん。
「東京アートポイント計画から離れたいまもプロジェクトが続く『音まち』は、千住地域にとってないと困る存在になっているのではないでしょうか」

「音まち」では、東京アートポイント計画の卒業後も、音まち計画が担い手となり、足立区や藝大とのプロジェクトが続いています。プロジェクトに関わる人たちが自主的な企画を行ったり、定期的に集まって交流したりと積極的な活動が生まれ、また足立区内外の機関と連携することも増えているそうです。多様なコミュニティや人々のハブのような役割を担い始めた「音まち」。地域で活動を続けることで、さらに豊かな「縁」を生んでいくのかもしれません。

次回は、現在も東京アートポイント計画に参加する神津島(こうづしま)のプロジェクトを取材します。

仲町の家(東京都足立区千住仲町29-1)は音まちに欠かせない存在。展示会場、映画上映、企画のミーティングなどに使用している。開室は土日月・祝日の10:00〜17:00。入場無料。最新情報は仲町の家Facebookページにて(https://www.facebook.com/NakachoHouse

Text:佐藤恵美
Photo:畠中彩(*以外)

NPO法人音まち計画(「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」事務局)
https://aaa-senju.com/
TEL:03-6806-1740 (13:00-18:00、火曜・木曜除く)
MAIL:info@aaa-senju.com