たくさんの人と出会うための方法。サインネームを考えよう!

東京アートポイント計画の事業を行うチームが、一堂に会するジムジム会。2022年9月に実施した今年度4回目のジムジム会は、ホストに「めとてラボ」のメンバーを迎えて、活動を伝えるための情報保障や手話について考えながら、各事業の「サインネーム」をつくるワークショップを行いました。

アートプロジェクトの現場で明日から使えるアクセシビリティチップス

「めとてラボ」は、「目(め)」と「手(て)」で生まれる文化をテーマに、ろう者やCODA(コーダ)が中心となり、様々な身体性や感覚を持つ人が集い、活動していく創造拠点をつくることを目指すチーム。今年は国内外のろうコミュニティやデフスペースなど、さまざまな「場」のあり方をリサーチしています。ジムジム会の配信拠点STUDIO302からは、メンバーの和田夏実さんと岩泉穂さんが参加。「めとてラボ」の活動紹介のあと、和田さんからアートプロジェクトの現場で「明日から使える」アクセシビリティのチップス(ヒント)が紹介されました。

「たとえば展覧会では、作品を伝えるための音声ガイドやキャプション(解説文)があり、また鑑賞ツアーが組まれていたりします。そのうえで、さらに手話通訳キャプションの音声読み上げガイド内容の文字化筆談などが追加されていくことで、より開かれた出会いが生まれていくのではないか、と思っています」と和田さんは話します。

情報保障とはただの環境整備ではなく、「ひらかれた出会いの場」をつくることです。ですがそれを実行するには、「専門的な知識が必要だったり、お金がかかったりするのでは?」と思う方もいるかもしれません。そこで、和田さんからは、身近なツールや無料のアプリケーションを使って、気軽に取り組めるものが紹介されました。

まず音声や動画による情報発信ですが、現在実験的に取り組まれているものとして、音楽ストリーミングサービスの「Spotify」では、ポッドキャストを公開すると自動で文字が起こされます。また「TikTok」も自動字幕機能が充実しています。実は、こうした身近なアプリケーションも、飛躍的に技術改革が進んでいるのです。インタビューの文字起こしには「vrew」という動画の字幕編集アプリもおすすめ。自動字幕という点ではYouTubeの編集アプリ「YouTube Studio」も使いやすく、自動で文字に起こされた字幕を編集することができます。

また、チラシなど紙媒体の場合は、PDFデータがあると音声読み上げ機能を使用できるため、ウェブサイトにPDFデータをアップロードすることが推奨されました。チラシに書かれた内容を自分たちで読み上げ、ウェブでシェアするという、楽しみながらできるアイデアもあります。そのほか、オノマトペの視覚化や舞台手話通訳など、アクセシビリティの新しい取り組みも紹介されました。

「アクセシビリティは『伝えあうことの発明』だと思います」と和田さん。「伝え手が何を伝えたいか、受け手は何を感じ、理解したか。『伝わる』『わかる』というところまで一緒に開拓していく過程はクリエイティブでもあります」と話します。

自分たちのサインネームを考えよう!

後半は各事業がそれぞれの「サインネーム」をつくり、発表するワークショップに移ります。サインネームとは、その人の特徴を手や体の動き、形であらわし、視覚的に伝えるもの。手や指で表現するあだ名のようなものです。たとえば名前に含まれる漢字や、外見の特徴を使って表すこともあります。

2022年のジムジム会では、めとてラボチームの主な使用言語が手話ということもあり、手話通訳者が並走しています。事業について手話で話す機会が増えた中で、自分たちの事業をどう表すのか気になっている、という話があがり、改めてみんなで自分たちの事業を表す方法を考え、伝わりやすい表現について考えてみることにしました。

サインネームについて考えるプロセスとしては

  1. めとてラボよりサインネームに関する体験や「あるある」の例、よくある省略例について動画で伝える
  2. それぞれ事業のメンバーに事前に考えてもらう
  3. ジムジム会で考えてきた内容を提案しあい、お互いの「わかりやすい」を探してみる

という流れで進めました。

例えば、「Zoom」などの新しい固有名詞がうまれていく際、会話の中でさまざまな手話表現の工夫が現れ、その中からシンプルでわかりやすく、伝わりやすい表現が自然に残っていく流れがあるそうです。その自然淘汰の流れを簡易的に体験するために、A案とB案を用意し、みんなで選んでいくという方法を試してみることになりました。

今回参加した6チームは、自分たちの事業名をサインネームで表すとどうなるかを、各自が事前に考えてきました。そのアイデアを各チーム内で話しあい、A案とB案の2つにしぼり、全員の前で発表します。その発表を聞いて、分かりやすいと思った案、いいなと思った案に参加者が人気投票をした後、それぞれの案についてめとてラボのメンバーの南雲麻衣さん、牧原依里さんからコメントをもらいました。

たとえば府中市で活動する「Artist Collective Fuchu[ACF]」はA案では「アーティスト」「コレクティブ」「フチュウ」の3つの単語をそれぞれ表現。「フチュウ」の部分は「府中市」の手話を検索し、使用しました。B案では、「A」「C」「F」の文字を組み合わせた事業のロゴマークをもとに、ロゴの中心に書かれた「A」を示す2本の線と、「C」「F」の文字の形を組み合わせて両手で表しました。

両手で「A」「C」「F」のかたちを表してみる(最下段中央)。

獲得票が多かったのはB案。めとてラボの南雲さんもB案に票をいれたと言います。「B案はロゴマークと似ているのでわかりやすいと思いました。ただ片手側が親指と人差し指で『C』を表していますが、残りの3本の指が『W』に見える。これが手話だと『トイレ(WC)』という意味になってしまうんです。なので『W』と見えないように3本の指は閉じるのはどうでしょうか」とアドバイスします。

また牧原さんも「サインネームは短いほうがいいのでB案のほうがいいと思います」と前置きし、「たとえば、右手で『C』をつくり、そのなかに左手で『A』の動きをいれ、ロゴをそのまま表現するのはどうでしょう」とコメントしました。

アドバイスを受け、サインネームを更新。

手で伝える言葉と、音で伝える言葉

そのほか“ターン”の動きで迷った「HAPPY TURN/神津島」、片手での表現が好評だった「ファンタジア!ファンタジア!-生き方がかたちになったまち-」、ロゴにある線の動きを使った「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」、事業パンフレットのデザインのイメージも取り入れた「ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)」、“災”のニュアンスに悩んだ「カロクリサイクル」など、各チームともロゴや音の響き、単語の意味そのものをサインネームで表し、さまざまな表現が生み出されました。どの事業も、自分たちの活動を端的に表したり、イメージを伝えたりするためにはどうしたらいいか、をまた違う視点で考えるきっかけになったようです。こうしてワークショップは終了。アフタートークでは、めとてラボのメンバーが振り返りをしました。

和田さんは「体で覚えやすく、身に付きやすいものが選ばれたのが良かったですね」とコメント。「手話には、体に馴染みやすいルールのようなものがあるのかもしれません。それがちょっとずれると、違和感を感じるのかなと思いました」と岩泉さん。

牧原さんは、「手話は、世界共通と思われることもありますが、『文化や地域性、食事、生活、いろいろなものが影響して生まれているもの』で、国はもちろん国内でも地域によって異なることもある」と話します。それだけに日本語に翻訳しきれない言葉もあるそうです。その一方で、「手話は視覚言語の一種なのですが、互いにその国の手話を知らなくても、その動きを見れば、概念が通じることが多い。そこが面白いんです。たとえば『歩く』の手話は、日本では片手の2本指で示します。アメリカ手話だと、両手の指を交互にパタパタさせる。フランスも少しアメリカ手話に似ています。いずれにしても、歩いている体の動きをとらえたものなのです。だから、手の動きは少し違うけれど、何を意味しているのかは想像がつくんですよね。手話は視覚の記憶に直接アクセスする言語なのだと思います」と話します。

参加者からは「手話を実際にやってみるのは初めてでしたが、プロジェクト名を表現することで楽しく触れることができました」「使っているうちに徐々に使いやすい形にサインが変わっていく、使いにくいものは淘汰されていくというのが面白いと思いました」「アクセシビリティは、受け手と伝え手とが一緒に考えていくことが大事で、それが面白さであるという視点を知れました。情報保障に限らず、日常のコミュニケーションにも通じる話で、普段のプロジェクト運営でも感じる『伝わらなさ』への解決に生かせる考えだなと思いました」などの感想があり、自身のプロジェクトの振り返りにもつながったようです。サインネームをはじめ、アクセシビリティから手話という言語の話題を取りあげつつ、自分たちの活動をより多くの人に伝えるための方法を幅広く学び、考える会となりました。

登壇者の記念撮影の様子
右から、「めとてラボ」の和田さんと岩泉さん、ジムジム会担当スタッフの岡野。
それぞれ「めとてラボ」と「ジムジム会」のサインネームで記念撮影。

*本来、新しい言葉の手話表現は、ろう者からうまれた言語である手話の中のルールや手話の言語的な規則からそれぞれつくられ、語らいの中で自然淘汰されていく過程があります。今回はジムジム会の運営上、各事業名が必要であったこと、自分たちの事業について考える機会として、めとてラボチームとともに規則やルールについて考えながら、表現を考えていくワークとして設計されました。新しい表現を自由につくってもいい、ということではなく、言語としての規則やルールの踏襲、手話話者とともに探る過程を大切にすることを前提にワークが行われました。

誰もが「わたし」から出発できる場をつくるために——めとてラボインタビュー

「めとてラボ」の名前の由来は、「目」と「手」。2022年度からはじまったこのプロジェクトでは、視覚言語である「手話」を通じて育まれてきた独自の「文化」を見つめ直し、それらを巡る言葉や視点を豊かに耕しながら、コミュニケーションの新しいあり方を開発していく場づくりが目指されています。

ろう者が自然体で自分を表現できる空間、コミュニティのあり方とはどのようなものか? ろう者と聴者が手話通訳を介して対話するとき、両者の間にはどのようなことが起きているのか?

手話を第一言語とするろう者や、ろう者の両親をもつCODA(コーダ)、聴者が協働して展開するめとてラボでは、国内外のろう文化にかかわる事例のリサーチや、異なる身体をもつ他者との交流などを通じて、こうした問いや視点を一つひとつ深め、蓄積しています。そこにあるのは、多くの人が普段は何気なく行う「コミュニケーション」というものへの問い直しであり、自身の言語観が揺らぐような創造的な体験です。

今回はそんなめとてラボのはじまりや取り組みについて、メンバーの岩泉穂さん、南雲麻衣さん、根本和徳さん、嘉原妙さん、和田夏実さん、相談役で映画作家の牧原依里さんにお話をききました。インタビューは岩田真有美さん、小松智美さんの手話通訳を介してZoomで行いました。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:池田宏 *7、8、9枚目以外/撮影時手話通訳:川口千佳、小松智美)

「コミュニケーション」について、手前の手前から考える

——めとてラボのはじまりについてきかせてください。

和田:2020年に、アーツカウンシル東京のTokyo Art Research Lab(以下、TARL)で「共在する身体と思考を巡って」というプログラムを行いました。これは、今日も参加されているパフォーマーの南雲さん、写真家の加藤甫(はじめ)さん、インタープリター(通訳者)のわたしの3人ではじめたもので、異なるコミュニケーション方法や身体性をもつ人たちの間で、「伝える」ということについてあらためて実験的に考えてみようとする場でした。

お互いの違いをふまえながら、いかに他者の考えや言いたいことに寄り添い、出会うことができるのか。「伝える」という当たり前にも思えることをふたたび「発明」してみようとする関心がそこにはありました。メンバーは以前からこうしたコミュニケーションへの興味を抱いていましたが、プログラムを経て、文化事業としてこのテーマに取り組むことへの可能性を感じるようになりました。

インタープリターの和田夏実さん。

南雲:TARLのプログラムはちょうどコロナ禍と重なり、対面での実施ができなくなってしまったんです。でも、これが結果的にはよかった。聴者とろう者というわかりやすい違いにとどまらず、ろう者のなかにも聴者のなかにも、さらに個別の身体による違いがあるのではないか。対面できない不自由な状況のなか、そうした視点を深めることができたんです。

一方、そこでは手話通訳の問題も起こりました。わたしの会話の手段は手話ですが、話題がアートなどの場合、手話の表現は抽象的になりがちです。現場には2人の手話通訳者の方もいましたが、ものの捉え方が異なるなか、お互いのなかのイメージを伝え合うことが難しかったんですよね。そうした点も、「伝える」ことについて考えてみたいと思っている動機です。

パフォーマーでアーティストの南雲麻衣さん。

和田:「通訳」という次元の問題もありつつ、手話や日本語といった同じ言語を使う人同士でも、例えば文字や音声だけでつながってみたり、紐でつながってみたり、普段は絶対にしない出会い方をすると、相手の「その人らしさ」がまた違うかたちで見えてきて魅力的に感じることもあります。2021年のプログラム「わたしの、あなたの、関わりをほぐす」では、そうしたブワッと現れるその人らしさをそのままかたちづくる方法について、ゲストも交えてみんなで考えました。

そうしたなか、コミュニケーションの手前で一人ひとりが満ち足りていくこと、自分自身のなかにある言葉の豊かさや文化を大切にできる場所がまずあることがすごく重要だという思いが強くなっていきました。こうした場づくりが、東京アートポイント計画のなかならばできるかもしれない。それで、以前からご一緒させていただいた方たちに声をかけたのが、めとてラボのはじまりでした。

——いまのお話にあった、人それぞれのなかにある「言葉の豊かさ」や「文化」ということについてもう少しおききできますか?

根本:福島県に住んでいる根本といいます。デフファミリー(全員がろう者の家族)で育ちました。わたしからいまのお話について、ろう者としてのイメージを伝えてみます。例えば聴者は音をききますよね。音声言語を通して、口で話す。その言葉は時間を伴って発話され、それが線のようにつながって次第に意味を成していく感じだと思います。

それに対して手話は、この手のかたちや動きにもう「結果」があるのです。そして、その後の対話を通して、会話の意味がつくり上げられていくイメージがあります。手話と音声言語では対話の流れがそもそも違うんですね。さらに、手話のような表現として表に見えている部分だけではなく、内にある感覚の違いもあります。そうしたことが個人の「文化」で、そのつながり方を考えてみることがめとてラボで探究していることなんです。

——手話に馴染みがない人のなかには、手話を音声言語の代わりの言語と捉えている人もいるかもしれません。しかし、日本語と英語の言語構造が違うように、手話も独自の構造をもった一つの言語であり、そこには特有の「文化」があるということですね。

和田:そうですね。ただ、そうした「文化」は社会であまり知られていません。 わたしたちは、さまざまな他者が出会うことをプロジェクトの大事なテーマにしていますが、だからこそまずは、手話のなかで積み重ねられてきたものを残したり、それをしっかり考えたりする場所の開発が大切なんじゃないか、と考えています。

ろう者と聴者が一緒に視点を深める場づくり

——メンバーのみなさんは、それぞれどのような思いでめとてラボに参加されたのでしょうか?

岩泉:めとてラボで事務局を担当している岩泉です。わたしは東京に住んでいて、根本さんと同じくデフファミリーです。まだ入りたてですが、このメンバーとだったらいろんなことができるんじゃないか、気づきがあるんじゃないかと思って参加しました。

あと、わたしは手話通訳者のことを「常にそこにいる人」で、それが自然だと感じていたんです。だけど、自分で初めて手話通訳を依頼してみたことで、そこにはいろいろな準備や背景があることを知りました。手話通訳者がいて当たり前ではなくて、手話通訳者がいる環境の整備について考えてみたいと思ったことも参加した動機です。

めとてラボの事務局を担当する岩泉穂さん。

根本:わたしは、ろう者と聴者が一緒に何かを蓄積していく場がもっとつくれたらいいなと思っています。いまの社会にはそうした場がないですよね。それぞれが別々の方向に行くのではなくて、お互いの違いを知りながら、何が通じて何が通じないのか、一緒に話すにはどうしたらいのか、そういう実験をめとてラボでできたらいいなと思っています。

これは個人的な感じ方ですが、自分には「身体=答え」という感覚があります。例えば音声が文字化されたものをあとから読むと、話者の気持ちがわからない。そうではなく、実際の身体を前にして対話すると、その人の気持ちや言いたいことを感じる、そうした蓄積が重要で、そこから共感や理解が広がる気がします。その辺りの感覚の共有がうまくできたらいいなと思います。

南雲:「場」という意味では、ろう者の団体そのものは、以前からこどもや高齢者向けのものまで含めてたくさんあるんですよね。それに対してめとてラボの特徴は、「既存の場を見つめ直すための場をつくる」という点にあると考えています。つまり、何らかの目的でつくられた場をリサーチするための場である、という点がユニークだと思っています。

——その「場」とは、空間的な意味も、コミュニティという意味も含みますか?

南雲:仰るとおりです。いろいろなものが入っています。

牧原:めとてラボの相談役の牧原です。わたしは、いつもは「異言語Lab.(ラボ)」という団体で活動しています。これは手話を使う人、音声を使う人が一緒に謎を解く、謎解きゲームを開発している団体です。いままで手話を知らなかった聴者が、謎解きを通して手話のおもしろさやろう者の身体性に気づく、そしてろう者自身がエンパワーメントを得ていくことに可能性があると考えています。

異言語Lab.とめとてラボには似ている部分もありますが、異言語Lab.はゲームを通して実践していくエンタメ寄りなんですね。それに対して、めとてラボは、「なぜ、これはこうなっているのだろう」ということをみんなで一緒に対話を重ねながら考えていく、そういう場だと思います。

こうした対話に、もしかしたらろう者は慣れていないかもしれません。聴者にはいろんな対話の場がありますが、ろう者の場合、手話が言語として認められず、口話を強要され、手話を主張できなかった時代が長く続きました。そして聴者の環世界が正しいという目線のもと育てられたろう者も数多くいらっしゃいます。そのため、手話の身体性や文化的な視点はまだまだ未開拓なところがあります。いまは言語の面にフォーカスされていますが、手話の身体性や文化的な視点に関してこれから注目されていくのではと思っています。そうした視点を、対話を重ね、「言語を超えた非言語」もどんどん取り入れながら、ろう者も聴者も一緒に考えていけるとおもしろいのかなと思います。

映画作家でめとてラボ相談役の牧原依里さん。

和田:従来はどうしても集まる人数や場所の問題から、ろう者が「マイノリティ」となる状況が起きていました。しかし、そのマイノリティのなかに、自然と蓄積されてきたものがあるわけですよね。それを今度は みんなで一緒に「これは何だろう」と考えてみる。

例えば、ろう者が過ごしやすく設計された空間を「デフスペース」と言うそうです。そこでは手話のために視線が合わせやすくなっていたり、照明を点けたり消したりして誰かを呼べるようになっていたりします。こうした空間はろう者にとって「ホーム」ですが、一方で、社会のなかでは、これまでろう者はずっと「アウェー」で戦ってきたところがありました。それに対して、めとてラボではあらためて社会のなかに「ホーム」をつくるような活動をしたいと考えています。

嘉原:わたしは2022年の春までアーツカウンシル東京に勤めていて、長年、アートプロジェクトの現場にアートマネージャーとして携わってきました。そうしたなか、めとてラボでわたしが学びたい、掴み取りたいと考えているのは、違う言葉を使う者同士がいかにイメージのズレを重ねていきながら、一緒に見たい風景を見ていけるのか、ということです。

使う言語や会話のテンポの違いによるイメージのズレは、同じ言語を使う話者同士であっても起こります。特にアートプロジェクトのような、抽象的なビジョンを共有する必要がある活動では、その擦り合わせが難しいことも多い。またコロナ禍以降は、自分が蓄積したマネジメントの知識や経験に限界を感じることも増えました。そうしたなか、ご一緒していた和田さんや南雲さんのプログラムでは、その限界をふっと超えられるような感覚があったんですね。

マネジメントも通訳と似て、「間」に立つ仕事です。そこには、想像力を働かせながら準備をすることで、その場の可能性を担保するというおもしろさがあります。その準備や「間」への入り方によって、現場の対話の濃度や物事の見え方は変わります。めとてラボでそういうマネジメントのスキルを更新したい、一緒に考えていきたいと思っています。

もう一つ、わたしは3年ほど前にろう者の方に出会ったのですが、そのときに、世界の見え方が違うことを知って「わ!」となったんですよね。それは、アーティストと一緒に街を歩いたとき、いつもの風景がまったく違って見えてくる経験と似ていました。そうした風景をもっと見たいという、より個人的な思いも参加の動機にあります。

アートマネージャーの嘉原妙さん(中央)。

ろう者の豊かなコミュニティをリサーチする

——6月には視察として福島県に行き、社会福祉法人の運営する「はじまりの美術館」や福島県立博物館などに加え、ろう学校の先生のご自宅にも行かれたそうですね。

和田:さきほどの「ホーム」のあり方を考える上で、わたしたちにもよくイメージが掴みきれていない部分がありました。そのとき、根本さんから福島に長谷川俊夫さんという先生が自宅でひらいているデフコミュニティがあるときいて、みんなで行きました。

嘉原:先生の教え子が集まっているのですが、なかには教員になっている方もいて、みなさんでいまの教育について議論していたり、手話にも方言のように地域ごとに表現の違いがあるんだよと教えていただいたり。すごく素敵な空間でしたね。

——根本さんは、なぜ長谷川先生のコミュニティを紹介したいと思ったんですか?

根本:リサーチのテーマに「創造文化」というものがあって、「文化」という言葉を考えたとき長谷川先生のご自宅が思い浮かびました。なぜかというと、そこには「自然に自分が出せる場所」という感覚があったからです。

長谷川先生のご自宅はろう者、聴者に関係なく、目を合わせる必要がある空間です。お互いの無理解なところも見る必要があります。でも、さきほど話した「身体=答え」という感覚で言えば、そうやって自然に自分の身体をさらけ出せる場所があるということは、文化の創造にとってすごく重要だと思います。そうした場所があること、その場の感覚をみんなと共有したかったんです。

福島でのリサーチ、長谷川俊夫先生の自宅にて。緑のTシャツが根本和徳さん。撮影:めとてラボ事務局

嘉原:先生ご夫妻から、「いつでもおいで」って空気が出てるんですよね。伺ったときは手話通訳の方とわたしだけが聴者で、わたしはまだ手話を勉強中なので会話は断片的にしかわからないのですが、聴者にとっては「静か」なはずの、音声言語を使わない手話による会話から、確かなワイワイ感や空気の揺れを感じたことに驚きました。 和田さんが見たいと言っていた「ホーム」の一端が見えた気がしました。

南雲:福島に行ったのは、めとてラボの活動がまだぼんやりしていた時期でしたが、文化の拠点をいろいろ訪問してお話をきくなかで、メンバー間に共通言語ができてくる、共通言語で語れるようになることがほんとうにいいなと思いました。根本さんが言うように、身体の感覚を共有する、対話を重ねるということが大切だなと思いました。

牧原:わたしもリサーチに参加しましたが、異なる言語を使う人たちをつなぐ通訳のあり方について、あらためて考えました。なぜかというと、視察の間は、昼間は聴者中心に会話が進んでいったのですが、夜になると長谷川先生の家でろう者が中心になっていました。そうなると誰が中心かによってその場のコンテクストが変わり、情報の伝え方もおのずと変わってくるので、手話通訳の方は苦労されたのでは、と思います。

ほんとうに自然なコミュニケーションや会話の通訳というのは難しい。聴者の会話のなかにも「見えないルール」みたいなものがありますよね。そういうものがろう者の会話にもあるのですが、それが次第に聴者に伝えきれなくなってしまうことがあるんです。あらためて通訳とは何ぞやっていうことを考えるきっかけになりましたね。

和田:今回のリサーチには、「場」のモデルを見つけに行くという意図もあったのですが、結果的に福島と東京にいるろう者同士が出会って、何を考えているかを話せたことも大切でしたね。

根本:いろんな文化拠点とつながりができることも重要ですね。福島県立博物館とは今度、ろう者のためのガイドや、ろう者も一緒に楽しめるワークショップなどをやろうと話していて、相談しながら計画を進めています。これもめとてラボのおかげです。いま初めて言ったので、メンバーのみんなは驚いていると思いますけど。

一同:すごい!

福島の西会津国際芸術村にて。撮影:齋藤陽道

南雲:そのお話をきいて思いましたが、文化拠点とのつながりと同様、各地のろう者とのつながりも広がるといいなと思います。別の土地で暮らすろう者のことは、わたしたちもよく知らなくて。めとてラボの支部のようなものが全国に広がるといいなと思いました。

和田:そうですね。それと、プロジェクト1年目である今年度は、南雲さんが仰った「既存の場を見る」ことを中心に行っていますが、来年度以降は「場をつくる」ことも考えていきたいな、と。その意味で、視察のなかでいろんな場を見ることを通して、みんなで「場をつくること」のイメージを高めたり、対話を積み重ねていけたらと考えています。

ろう者が暮らしやすい空間「デフスペース」のあり方を探る

——福島のほかに、さきほども触れられていた「デフスペース」のリサーチとして長野県にも行かれたそうですね。

和田:長野の訪問先は、実はわたしの実家なんです。そこに、みんなに来てもらいました。うちは両親がろう者の家庭ですが、母が空間をいろいろ工夫しているんです。例えば、2階にいる人と1階にいる人とが会話ができるような吹き抜けになっていたり、照明をチカチカさせることで相手を呼べるようになっていたり。

デフスペースの研究をされている福島愛未さんによると、「デフスペース」というアイデアは、ろう者の身体にふさわしい建物の空間があるのではないかという観点から、アメリカのギャローデッド大学内の場所をつくる際に、さまざまな人が考え、発見しながらつくり上げていったものだそうです。日本ではまだそこまでこの言葉や考え方は浸透していないようですが、母が10年前に工夫しながら自宅をつくったように、いろんな方のお宅にもデフスペースと呼べるものがあるのではないかと伺って、ぜひ集めていきたいねという話になりました。スタートとして、福島さんと牧原さんを長野に招き、岩泉さんの家族や、福島にいる根本さんともオンラインでつなげたりしながら、みんなで家のなかを見て話をしました。

和田さんの実家のデフスペースをメンバーで視察。撮影:めとてラボ事務局

——岩泉さんのご両親は、参加されてなんて仰ってましたか?

岩泉:なぜわたしの家族が参加したかというと、両親は建築関係の仕事をしているんです。そういう関係もあって、デフスペースを見たかったようです。正直、両親はデフスペースについてあまり詳しくはないのですが、実際の場所を見たことで構造や素材について多くを学ぶことができた、と話していました。

——そうやって、リサーチを通してみなさんのなかに、新しく出会ったものや、身近だったがゆえに気づいていなかった視点、課題がどんどん蓄積されてきているんですね。

メンバー:はい、そうですね。

牧原:さきほども「聴者にも見えないルールがある」と言いましたけれど、わたし自身はめとてラボに参加していて、みんなが当たり前に思っていることをあらためて発見することが多いんですよね。例えば、ろう者の家には廊下がない場合が多い。聴者の家には普通にありますが、ろう者の家には、視界を遮るものがなく、なるべく大きな一つのスペースになっていることが多いので、廊下自体がないんです。それを発見しました。 ほかにも、ろう者と聴者が一緒に会議をするなかで、音声できく言葉と文字で見る言葉は違うんだという発見もありましたね。

会話の「ズレ」、感覚の「揺れ」を体感する

——すこし話が逸れてしまいますが、牧原さんがさきほど、手話の身体性はまだ未開拓な部分があるという話のなかで、新しくつくる場では「言語を超えた非言語」をどんどん取り入れていくのがいいと話されていましたね。これについて、そのイメージをおききしたいです。

牧原:わたしのイメージのなかでは、「言語を超えた」というより、「言語の奥にある非言語」というようなイメージでした。例えば、ろう者の身につけているルールもあれば、聴者のルールもありますが……(しばらく説明するが、取材陣にはうまく伝わらない)。

根本:いまの会話を見ていて、牧原さんの言いたいことを日本語に言い換えるのはすごく難しいと思います。このようなとき、「言語」の限界を感じます。牧原さんが手話で表現している内容を見てわたしはよく理解できるのですが、日本語にするとどうしても違和感が発生するんだと思います。これを通訳するのは大変だと思います。

牧原:手話をわかっている人が見れば、ある手話を見たときに、表現されていない部分も含めて「何となくこんなイメージ」というのがわかることがあるんですね。そういったことは、聴者同士の会話のなかにもあると思います。ただ、それらの暗黙のルールが同じ対話のなかで交わったときにズレが生まれてしまう感覚があって、その「ズレ」って何なのだろうと考えるんです。

和田:牧原さんは『LISTEN リッスン』(2016年)という映画を監督しています。ろう者の音楽=「オンガク」を探求した映画で、身体的なものを視覚的なものに変えていくには何が必要かを考えさせる作品です。わたしが「言語の奥にある非言語」という話からイメージするものは、この変換において何が必要なのかと考える、その感覚と似ている気がします。

その映画に映される「オンガク」は、ろう者が身体のなかにもっているリズムや衝動のような感覚を表現したものです。 同じように根本さんはよく哲学の話をするのですが、そこでも対話を重ねていくなかで言葉の「意味」が発見されていく感覚があるそうです。めとてラボのような場では、みんなでそうした「奥にあるもの」の共有の仕方についても考えることができると思います。

根本:いまのやりとりにも表れていましたが、ろう者が聴者と話す場において、どのようにバランスを取るのかはすごく難しいですよね。

和田:聴者は普段自分のなかに、日本語でも英語でも、音声言語という安定した立ち位置がありますよね。でも、その立ち位置が、手話に出会ったときに、揺れる感覚があると思うんです。それを体感するのは、すこし苦しい思いをするかもしれないですけど、出会ったあとの視野が広がる感覚もあると思います。

難しいですけれど、お互いに自分の立ち位置の揺れを体感できるというか、そのような揺れから、お互いの気づきにつながったりとか、自分たちの言語とは何かっていうのを発見することにもつながっていくのでは、と思っています。

——「揺れ」というのはとてもよいキーワードですね。和田さんが冒頭に話された、自明のものとされている「伝える/伝わる」を「発明する」、という話ともつながると思います。そして特に聴者にとっては、その自明性を点検することは、自分の言語の足場が揺らぐような体験になりますね。

牧原:わたしは自分の活動では、ろう者が聴者のルールに沿うのではなく、むしろ、聴者にろう者のやり方を共有していくことができたらと考えています。

もしかしたら聴者は、そこで知る新しい文化ややり方に戸惑いを感じるかもしれません。けれどもわたしは、みんなのなかの「当たり前」が壊れていくことは、お互いにとってよりよく生きることへの第一歩だと思います。ろう者っていうのがいままでイメージしていたのとはまた違うんだとか、聴者っていうのはこういうものなんだっていう理解を自分のなかで更新していくことが、大切だと思います。

和田:何かと出会ったとき、最初に感じる「揺れ」って苦しいですよね。でも、その奥に広い世界があるかもしれない。自分に合う、何かいいやり方があるかもしれない。

誰かの身体との出会いを通して感じるその広がりは、本の文字の奥に広がる空間とも近いのかもしれません。身体を通した出会いのなかで、思い込みを超えたその奥に新しい世界が広がっていく。 そういうことをお互いにできたらいいなと思っています。

海外や家庭内のろう文化を収集。未来の拠点にいかしていく

——最後に、今後の活動の予定をおききできますか?

和田:自分たちの拠点について考えるため、まずはデフスペースについてのリサーチや、国内外のろう文化に関する場づくりの事例にも触れていければと思っています。その拠点というのも、実際の空間なのかオンライン上なのか、はたまた、スタジオがいいのか、カフェがいいのか、宿泊できる施設がいいのかなど、いろんな選択肢があるので、どういうかたちが理想的なのかを考えていきたい。いずれにしても、福島で経験したように、みんなでご飯でも食べながら、何かが広がって膨らんでいく、そういう場所ができたらいいなと思っています。

また、実は手話は「消滅危機言語」と言われていて、特に、家庭や日常のなかでの対話、土地ごとの手話というものは記録に残りにくい状況にあるんです。こうした状況に対して、アーカイブの残し方やその活用も考えていけたらなと。いろいろな人に話を
きいたり、一緒に対話を深めていきながら、一歩ずつ着実に歩んでいけたらなと思っています。

Profile(五十音順)

岩泉穂(いわいずみ・みのり)

会社員
1998年生まれ。東京都江戸川区出身。インテグレーション。生まれつきろう者で家族や親戚含め、ろう者に囲まれ育つ。福祉施設の採用関係の仕事・聾学校の乳幼児相談室の相談員として勤めている。「めとてラボ」事務局を担う。

南雲麻衣(なぐも・まい)

パフォーマー/アーティスト
1989年生まれ。神奈川県逗子市出身。大学まで手話を知らずに音声言語のみで育ち、大学で日本手話に出会う。文化施設の運営とアートなどの企画の仕事の傍ら、アーティストとしても活動する。近年は、人工内耳による音声言語と手話の視覚言語を用いた、複数言語の「ゆらぎ」をテーマにし、当事者自身がもつ身体感覚を「媒体」に、各分野のアーティストとともに作品を生み出している。

撮影:齋藤陽道

根本和徳(ねもと・かずのり)

特別支援学校教員/ネギ書店店主
1993年福島県生まれ。特別支援学校の教員として働く傍ら、福島県二本松市にある「カメヤ書店」に書棚「ネギ書店」をもち、SNSでお薦めの本について発信している。手話を第一言語として獲得したネイティブ・サイナー。文章から心象風景を美しく再現する手話表現に定評がある。

牧原依里(まきはら・えり)

映画作家
1986年神奈川県生まれ。ろう者の「音楽」をテーマにしたアート・ドキュメンタリー映画『LISTEN リッスン』(2016)を雫境(DAKEI)と共同監督、最新作は『田中家』(2021)。東京国際ろう映画祭ディレクターや一般社団法人異言語Lab.理事と多岐にわたって活動中。「めとてラボ」相談役。

嘉原妙(よしはら・たえ)

アートマネージャー/アートディレクター
1985年兵庫県生まれ。京都芸術大学卒業。大阪市立大学大学院創造都市研究科(都市政策学)修士課程修了。在学中より企業メセナ協議会インターン、現代アートを中心に展覧会や美術鑑賞教育プログラム、アートプロジェクトの企画運営に携わる。「時の海 – 東北」プロジェクトディレクター、編集など活動は多岐にわたる。「めとてラボ」ではプロジェクトマネージャーとして活動。

和田夏実(わだ・なつみ)

インタープリター
1993年生まれ。ろう者の両親のもとで手話を第一言語として育ち、大学進学時にあらためて手で表現することの可能性に惹かれる。視覚身体言語の研究、さまざまな身体性の方々との協働から感覚がもつメディアの可能性について模索している。近年は、言葉と感覚の翻訳方法を探るゲーム制作やプロジェクトを展開。2016年手話通訳士資格取得。

「めとてラボ」

視覚言語(日本の手話)で話すろう者・難聴者・CODA(ろう者の親をもつ聴者)が主体となり、異なる身体性や感覚世界をもつ人々とともに、自らの感覚や言語を起点にしてコミュニケーションを創発する場をつくるプロジェクト。手話を通じて育まれてきた文化を見つめ直し、それらを巡る言葉や視点を辿りながら、多様な背景をもつ人々が、それぞれの文化の異なりを認めあった上でどのようにコミュニケーションを交わしていくのか、そのあり方を研究・開発している。

https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/what-we-do/creation/hubs/metote-lab/52801/

ものが生み出す人とのつながり。学びの場をひらくには?(APM#10 後編)

約3年ぶりにひらかれた「Artpoint Meeting」第10回のテーマは「アートがひらく、“学び”の可能性」。日比野克彦さん(アーティスト、東京藝術大学学長)のビデオメッセージが披露された後、鞍田崇さん(哲学者)が「“つくること”で、感性をひらくこと」と題して基調講演をしました。それに続く「セッション1」では、多摩地域で行われている「ざいしらべ」という取り組みについての事例報告がありました。

>レポートの前半はこちらから。

会場の一角には、図工の授業で使われた様々な素材や道具が展示されました。木や竹、植物といった自然素材とともに、工業製品とおぼしい小さな部品も並びます。休憩時間には参加者が興味深そうに眺めたり、手にとったり。なかには人工の歯や馬用の蹄鉄といった見慣れないものもありました。アートとどうかかわるのだろうか、と不思議に思っているうちにイベント再開の時間になりました。

レポートの後編は、「セッション2」と全体を総括する「ディスカッション」の様子をお伝えします。

廃材からアートへ、新たな循環を生む「創造素材」

「新たな“学び”の循環をつくる」というテーマを掲げて登壇したのは、NPO法人アーティスト・コレクティヴ・フチュウ(ACF)の宮山香里さん(美術家)と西郷絵海さん(アトリエTutti主宰)。ACFは府中市を中心としたアートにかかわる人々やアートファンのネットワークで、「誰もが表現できるまち」をテーマに地域とアートをつなぐ活動をしています。そのひとつが、府中市の市民提案型協働事業として2021年に始めた「ラッコルタ-創造素材ラボ-」というプロジェクトです。

(写真左から)NPO法人アーティスト・コレクティヴ・フチュウ(ACF) 宮山香里さん、西郷絵海さん

「府中市には企業、それも製造業の中小企業が多く集まっています。そうした企業から不要になった部材を提供していただきます。アーティストが企画するワークショップで、おとなやこどもにその素材を使って作品をつくってもらい、展示する機会を設けます。そこで生まれた新たな視点や価値の変化を、提供企業にフィードバックすることで、引き続き素材を提供いただくという循環の仕組みを目指しています。素材の価値が変化し循環するプロセスを共有することによって、企業の方々にも『自分ごと』としてのアートとの関わりが継続的に続いていくことを期待しています」(宮山さん)

つまり、企業の製造過程で生まれる端材や不要な部材を、創造のための素材=「創造素材」と位置づけているのです。宮山さんは約20年間、イタリアでもアーティストとして活動を続けています。ラッコルタ(イタリア語で「収穫」)という愛称を添えたのは、そうした宮山さんの経験にも由来しています。

では、「創造素材」はどのようにして探すのでしょうか。「最初は、『(府中には)霊園があるから墓石はどう?』とか、『競馬場があるから蹄鉄かな』といった思いつきでした(笑)。企業にメールや手紙を送って、反応があった企業から少しずつ、いろいろな素材が提供されるようになりました」(西郷さん)

そうした企業のひとつが、医療機器製造・販売業の「株式会社TOKIO Lab」でした。製品梱包に使うダンボール製の小さな緩衝材(チップ)を提供してくれました。そのチップを使って、2021年に第1回ワークショップ「暮らしの彫刻」を実施しました。

「三木麻耶さんという、『日常を俯瞰する』というテーマで活動するアーティストを招きました。参加者がチップで自分の生活のなかに組み入れる彫刻をつくり写真作品にする、というオンラインワークショプです。参加者の作品とともに、三木さんの代表作をギャラリーに展示して、そこにTOKIO Labから提供されたチップに触れられるスペースも設けました。参加者はチップを持ち帰って、作品をつくり、暮らしのなかに組み込んだ写真を送ると、ギャラリーに展示される、というかたちで2週間、変わり続ける展示を実現しました」(宮山さん)

今年は府中市内の文化施設で開かれた対面のワークショップを実施しました。「素材の説明だけして自由につくってもらうと、おとなもこどももどんどんつくり始めました。創造素材を介して人ともの、人と人の交流が生まれ、毎回異なる出会いがあります」(西郷さん)。そこから、素材を持って各地に出かけるキャラバン的な活動や、素材を求める人に提供する活動も始めたそうです。

「ラッコルタ-創造素材ラボ-」で提供を受けたダンボール製の小さな緩衝材

創造素材がもたらす新たな“学び”。その一例として、宮山さんがこんなエピソードを紹介しました。ACFとは別に、個人の活動として愛媛県の小学生を対象にオンラインでワークショップを開いたときのことです。

「平和学習のなかで、『自分にとっての平和はなんだろう』と問いかけて、創造素材で造形するワークショプです。戸惑っていたこどもたちが、素材に手を触れることで思考が整理されていきました。『平和の花』という作品をつくったこどもがいました。説明してもらうと、『平和になるには、他の人に関心を持つことが必要。花は互いに関心を持つきっかけになる』。私もこのこどもたちの作品から学びました」

「つくる」を「学ぶ」につなぐ試み

事例報告の後は、客席からの質問も交えたディスカッションが行われました。登壇したのは、哲学者の鞍田崇さんとNPO法人アートフル・アクションの宮下美穂さん、ACFの宮山香里さんの3人。会場から寄せられた質問や感想を中心に話し合いました。

(写真右から)NPO法人アートフル・アクションの宮下美穂さん、ACFの宮山香里さん、哲学者の鞍田崇さん、アーツカウンシル東京の佐藤李青

この日の事例報告はどちらも、「つくる」を通した「学び」の仕組みを整える試み、といえそうです。それに対して、鞍田さんは「共感しました。学校や地域での可能性に従来とは異なるアプローチを試みています。アートならではの取り組みで、可能性を感じます」と語りました。

会場からは多くの質問や感想が寄せられました。そのなかで目立ったのは、「学校の枠組みのなかで、型にはまらない授業を行う困難さ」「図工教育の現場は学習指導要領をこなすだけで手一杯」という、学校現場からの切実な声でした。これらについて、現職の教員である河野路さんがフロアから発言しました。「たしかに授業や校務で忙殺されている人は多いです。私の場合は、自分の年間授業計画のなかにあらかじめ、発展的な内容の授業を予定として入れていました。学年やこどもたちの能力に応じて、様々な道具や素材を使う授業を考えています」

外部から学校の授業にかかわる立場の宮下さんは、学校現場の状況に柔軟に対応しているようです。「予算や備品の状況は学校ごとにまちまちなので、先生の要望や学校の都合、地域にあるもの、こどもたちの様子などをうかがったうえで、授業の内容を詰めていく。終了後は『ふりかえり』の機会を持つようにしています」。学習指導要領については、多摩図研は研究会で指導要領を読み込み、その目的にてらして可能な授業のあり方を考える取り組みをしているそうです。河野さんも「学習指導要領も『地域にひらく』ことに触れているので、考えるきっかけになる」と話しました。

セッション1に登壇した河野路さん(小金井市立第四小学校教諭)が質問に答える

海外と日本の教育の違いについての質問もありました。イタリアでも活動を続けている宮山さんは「イタリアやドイツでは自分の考えをどう培うか、が教育の中心にあります。ラッコルタのワークショップでは、アーティストがリサーチしたものを参加者が身体で体験し、そのことで気づきを得るようなプロセスを重視しています」と話しました。そうした気づきは、企業にも及んでいます。チップを提供している「TOKIO Lab」の人たちも、廃棄していた部材がアートに使えることを知って関心を寄せています。最近、インスタグラムを開設し、「#廃材アート」というハッシュタグを使っているそうです。

「学び」と「感性をひらく」ことについても、いくつか質問がありました。
鞍田さんは、それらの質問にやわらかく応答するように、友人がデンマークの森にある幼稚園で経験したことを紹介しました。「こどもたちが森で生き生きと遊んでいる時に、年少のこどもが一人で鬱蒼とした森に入り、大木の傍らに立っていました。心配になった友人が駆け寄ろうとしたら、幼稚園の先生に肩をつかんで止められました。『あの子はいま、木と対話をしているのだから』と」。私たちのあり方を考えさせられるエピソードです。

宮下さんも応答します。「こどもが持っている時空の全体が尊ばれるといい。こどもは身体のすべてを通して世界につながっている。外部から学校に入っていく私たちは、こどもたちのwhole(全体性)を分断してはいけない」。そのうえで、授業で小学3年生に織物を体験させた経験をふりかえります。「慣れない道具と素材で織物をするから、簡単ではない。それでもこどもたちは工夫して、その子なりのものを織ろうとする。それが出てくるまでは、ただただ待つことが大切です。創造性や個性などといったものをはるかに超えていく、そのこどもにしかできない経験が表れ出ます」

今回のArtpoint Meetingでは素材にかかわる2つの取り組みが報告されました。素材に手で触れることはつくることにつながり、同時に身体を起動します。そこから感性がひらかれ、気づきや学びを得ることが期待されています。けれども、そもそも地域からどのようにして素材を得るか、という問題があります。また、様々な素材や道具を授業に持ち込むこと自体が難しい、という声もあがりました。授業の延長としてこどもたちが学校の外に出ることも簡単ではなさそうです。

けれども、今回のイベントでは素材を前にしたこどもたちが自発的に手を動かして、思いがけないものをつくりだす姿が多々報告されました。他方、企業が素材を提供したことでアートとのつながりに気づいた事例もありました。こうした取り組みを息長く続けることが、鞍田さんがいう「パズルの歪み」を修復していくことにつながるのではないか。それによって社会が少しでもひらかれて、私たちも「生きがい」を感じられるようになるかもしれない。そんな希望を感じさせたArtpoint Meetingでした。

(撮影:阪中隆文)

つくることの根源を探る。身体をつかってやってみる。(APM#10 前編)

「Artpoint Meeting」は、アートプロジェクトに関心を寄せる人々が集い、社会とアートの関係を探るトークイベント。アーツカウンシル東京の企画で2016年に始まり、アートをめぐって新たな「ことば」を紡いできました。コロナ禍によって3年近く休止していましたが、第10回が2022年11月23日に東京・武蔵野市の「武蔵野プレイス」で開催されました。

今回のテーマは「アートがひらく、“学び”の可能性」。「民藝」の今日的な意義にまなざしを向ける哲学者・鞍田崇さん(哲学者)の基調講演に続いて、東京アートポイント計画の一環として多摩地域で行われている、アートの「素材」に注目した2つのプロジェクトのメンバーが登壇しました。

ひとつは、多摩地域の小学校の図工専科教員たちを対象に、図工の技術と素材について考える「ざいしらべ」。NPO法人アートフル・アクションの宮下美穂さんと森山晴香さん、小金井市立小金井第四小学校教諭の河野路さんが学校と連携した息の長い取り組みについて報告しました。もうひとつは、府中市を拠点とする創造素材ラボ「ラッコルタ」。地元企業から提供された不要な部材を表現のための素材として活かす仕組みづくりについて、NPO法人アーティスト・コレクティヴ・フチュウの宮山香里さんと西郷絵海さんが紹介しました。

手で素材に触れる=つくることの原初的な歓び

ミーティング当日は「勤労感謝の日」。あいにくの雨模様でしたが、それでも約60人が来場し、会場はほぼ満席になりました。来場者を迎えたのは、アーティスト・日比野克彦さんのビデオメッセージでした。

日比野克彦さんのビデオメッセージ上映中

「つくる時間は、未来をつくる」と題したメッセージは、まず人間の手に注目し、「人間はつくる前に手で触る。その手の感触が楽しい。土や粘土を握ると形が変わる。それが面白い」と、つくることの原初的な歓びを指摘します。「その先に、意識的にイメージを反映して、何かをつくるようになっていく」としながらも、「ことばを覚えるとつくることに理屈をつけたくなる」「人間は視覚的動物だから、ものをつくる以前の素材に触る楽しさ、素材を変形させる面白さを忘れがちになる」という懸念にも言及しました。そこには、2022年4月から東京藝術大学学長を務める日比野さんの思いが滲んでいるようでした。大学入試も変えようと考えていると明かし、「そうすれば高校や中学、小学校の美術・図工教育も変わっていく。地域と社会、学校との関係も変化するなかで、美術教育を地域のなかで展開することも考えられます」と、今回のミーティングで報告されるような地域の取り組みへの期待を語りました。

民藝に学ぶ、自ずと生まれくるものの「親しさ」

哲学者・鞍田崇さんの基調講演「“つくること”で、感性をひらくこと」も、つくることの根源にあるものを民藝の思想を手がかりに探りました。

民藝の発端は約100年前、哲学者・柳宗悦(1889〜1961年)が知人から朝鮮の焼き物を土産にもらったことです。民衆が日常的に使う実用的な器でしたが、柳はそこに新たな美を見出します。そうして出発した思想・文化運動としての民藝は後に日本民藝館(東京・目黒区)という美術館を創設するにいたります。

講演の冒頭で鞍田さんは、2012年に日本民藝館の第5代館長に就任したプロダクトデザイナー・深澤直人さんのことばを紹介しました。「デザインは、ジグソーパズルにたとえれば、最後のピースをつくるような仕事。デザインが実現する美しさは周囲の環境との調和のなかにある。でも、もとのパズル全体が歪んでいたら、デザインは歪みを助長することになるのではないか。そうだったら全体を見直すことを考えなければいけない。そのときに民藝は重要な参照軸になると思われる」。

哲学者・鞍田崇さん

深澤さんの問いかけを受けて、鞍田さんは柳の著作をひもとき、次のように語ります。

「柳は著書『民藝とは何か』(1941年刊)で、民藝の美しさを「用」に結びつけています。「用」には「物への用」(有用性)とともに「心への用」(美)があり、重なり合っていると指摘しています。では、「用」とは何か。柳はある文章で、「用」を「生活」という言葉に置き換えます。「用」は生活に密着していることが原点にあって、そこから抽出すると有用性や美しさに分かれてくる。柳はまた民藝を「肯定のみされる偉大な平凡」とも記しています。民藝を通して見えてくる「パズル全体」とは、あるべき生活とは何か、という問いにつながります。」

ここで鞍田さんは「つくること」に視点を転じて、重要な指摘をします。柳や民藝の仲間の陶芸家らは、「(物や美は)つくるのではなく生まれる」と考えていた、というのです。つまり意図的、作為的なものではなく自ずと生まれてくることに軸足を置いていたのです。そのときに重要なことは、生活とは美に先立つものではないか、という問いかけです。

次に鞍田さんが参照項として言及するのが、意外にも岡本太郎(1911〜96年)です。岡本は≪太陽の塔≫などで知られる前衛芸術家ですが、同時に民俗学のフィールドワーカーでもありました。著書『忘れられた日本 <沖縄文化論>』(1961年刊)で、岡本は沖縄のフィールドワーク体験を次のように生々しい言葉で書き付けています。

「生活そのものとして、その流れる場の瞬間瞬間にしかないもの。そして美的価値だとか、凝視される対象になったとたん、その実体を喪失してしまうような、そこに私がつきとめたい生命の感動を見てとるのだ。」

この言葉から、鞍田さんは「岡本が着目した世界は、半世紀前に柳が民藝と呼んだものでした。しかし、時代は大きく動き、戦後日本の国土全体が大きく変貌していくなかで、民藝程度ではだめだ、という思いが岡本にあった。それが激しい言葉になっている」と指摘します。それからさらに半世紀あまり。私たちは何を考えるべきか、と鞍田さんは問いかけます。そして、ここでも岡本の言葉に立ち戻ります。

「われわれが遠く捨て去り、忘れてしまったはずの本来の生活の肌理(きめ)が、意識下の奥底に生きている。……それが……たとえば芸術の表現によってむき出しにされたとき、われわれは不意に、言いようのない親近感を覚える。それは生甲斐だからだ。」

岡本の「親近感」という言葉に、鞍田さんは注目します。なぜなら、深澤さんが日本民藝館の所蔵品に対して「愛着」を語っていたからです。柳もまた、朝鮮の焼き物と出会った感動から「『親しさ』Intimacyそのものが、その美の本質だ」と記したのをはじめ、繰り返し民藝の「親しさ」に言及しています。

しかし、柳の「親しさ」はもっと切実なものです。晩年には「悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか。悲しみは慈(かな)しみでありまた『愛(かな)しみ』でもある」とつづっています。柳は実生活では、父や妹、愛児を早くして失っています。それが彼の人生観であり、民藝に見出した生活の実相のなかにも潜んでいました。

哲学者らしく繊細な手つきで、柳を中心に民藝の世界を読み直してきた鞍田さんは、講演を次のような言葉で結びました。

「民藝を通して見えてくるものは親しさの世界で、同時に悲しさをはらんでいます。その生々しく、ひりひりするように痛々しいまでの世界が、実は僕たちにとって生き甲斐を見いださせてくれる。それが、ともするとリアリティの希薄な現代社会の中で、無意識的にも渇望している実感なのではないか、と思います。」

素材と地域を結び、子どもたちの「学び」を促す

次の「セッション1」に登壇したのは、「ざいしらべ」という取り組みを続けるNPO法人アートフル・アクションの事務局長・宮下美穂さんとスタッフの森山晴香さん、そして教育現場から協力している小金井市立小金井第四小学校教諭の河野路さんです。「先生たちとの“つくる”ための環境づくり〜『ざいしらべ』の取り組みから」と題して事例を紹介します。

NPO法人アートフル・アクションは小金井市の芸術文化振興計画推進事業として、12年間「小金井アートフル・アクション!」というプロジェクトを続けました。2011年度から2020年度までは東京アートポイント計画の一環として実施しましたが、そのなかで小学校と連携して、こどもたちと一緒に図工の時間を過ごしました。いわば「ざいしらべ」の前史にあたります。その内容を、宮下さんが、いくつかのキーワードに即して説明しました。

(写真右から)NPO法人アートフル・アクションの宮下美穂さん、森山晴香さん、小金井市立第四小学校教諭の河野路さん、アーツカウンシル東京の小山冴子

まず「素材」について次のように話します。

「硬い・大きい・柔らかい、ごくごく小さなものと、全身を使って抵抗を感じながら組み合ってみました。楽器をつくったときには、その楽器で演奏して、その音を絵に描いてみる、というように、ひとつひとつの経験を広げていきました。」

他教科とつながる「主題」の設定もキーワードのひとつ。国語の教科書に宮沢賢治が掲載されていることから、「なめとこ山のくま」を主題にし、「『生きものを撃つ』ということを考えました。この授業では、現役のマタギを招き、話を聞き、映し絵の芝居をつくることで、多くの気づきを得ることができました」と宮下さんは続けます。ハンセン病療養所を見学した体験を図工で深めるという試みも。「道具」や「技法」についても、教科書に出てこないノミやナタをあえて持ち込んだり、膠を使ったり。野焼きで器をつくったこともあるそうです。

「地域」との関係では、学校から外に出てみることを試みました。「小学6年生に大きな自画像を描いてもらい、それを持ってパレードし、公園で展示しました。自意識が強くなる時期のこどもたちに『厄介な自分』について考えるよう促す、という『主題』の授業でもありました。」

こうした実践を踏まえて、宮下さんは「学校の授業は教科ごとに分かれているけれども、ひとつの全体(whole)としての人間と出会うことが重要。そのきっかけとなるのが、自分が暮らしている地域であり、ものをつくろうとして稼働する身体であり、つくるなかで生まれる友達や世界との関係。多様であることに止まらずに、複雑さを丸ごと全体としてとらえる。図工という教科はそれができる」と語りました。

この日のテーマの「ざいしらべ」は、アートフル・アクションが2021年から始めたプロジェクト「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」の一環です。多摩地域全体を対象として、こどもたちだけでなく、学校の先生たちといっしょに取り組んでいます。

図工専科教員が集まる多摩地区図画工作研究会(多摩図研)と共催したワークショップでは、自分たちが暮らす地域がどのように成り立っているかをランドスケープデザイナーをゲストに迎えて学びました。地域の素材を活かす取り組みでは、先生方と東村山の竹林から竹を切り出したり、竹ひごをつくってみたり、地域の植物から抽出した色を使って、自然素材の筆で絵を描いてみたり。シンプルな機織りの道具をつくって、こどもたちと織物もやってみています。

「ざいしらべ」の展示ブース

「なにより重要なのは、身体全体を使ってつくってみることです。鞍田さんの言う『生まれ出る』に近いと思いますが、身体を通してやっていることを信頼できたら、あるいは委ねることができたら、作為やお仕着せのクリエイティビティを乗り越えて、ひとりの人として世界と出会い、そして心が安らかにいられると思います」(宮下さん)

「ざいしらべ」で取り組んだ絵の具や筆づくりワークショップの成果

「セッション1」の最後は、「ざいしらべ」に取り組む宮下さんと森山さん、河野さんによるトークです。小学校教諭の河野さんは、これまで10年間、アートフル・アクションといっしょに木の根や流木、竹などを使った授業を続けてきました。「既存の教材キットは、こどもたちにとっても答えが形になりやすい。でも、図工はこどもたち自身が答えを出す科目。自分の手や身体、頭を動かし、心を使っていくことが大切だと思うので、あえて自然素材を使っています」と、活動の意義を噛みしめるように話しました。

森山さんが、河野さんの前任地である東村山市の小学校に、自然素材を集めた「素材倉庫」をいっしょにつくったことを話すと、その意義を、河野さんは「図工の仲間の先生や他校の先生とともに活用することで、素材と同時にその扱い方や加工する道具、活用する人を広げていきたい」と語ります。それを受けて、宮下さんがトークを結びます。「学校と私たちだけでなく、他の学校や教育委員会、教育研究会との連携ができれば素材も活用される。そうしたシステムになればいいなと思っています」

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会場内には「ざいしらべ」の取り組み「樹の力(東村山市立南台小学校連携授業)」の写真が展示されていた

(撮影:阪中隆文)

「手話を使い会話する。」講座レポート 前編

手話でのコミュニケーションの基礎とろう文化を学ぶ「アートプロジェクトの担い手のための手話講座」。

3ステップで通年開催される講座のひとつ「手話を使い会話する。」が2022年10月、3331 Arts Chiyoda 3F ROOM302にて開かれた。

講師は、俳優/手話・身体表現ワークショップ講師の河合祐三子さん、手話通訳は、瀬戸口裕子さん。全6回の講座内の前半3回の様子を、実際に講座を体験したライターの視点からお届けする。

10月13日 4名のゲストを迎えての座談会

2022年10月13日、「手話を使い会話する。」に参加するメンバー9名がROOM302に集った。

河合さん「本日はろう者のゲストを呼んでいます。みなさん、ろう者がどんな人なのか、手話とはなんなのか、知らないことやわからないことがたくさんあると思います。この場のこの時間は無礼講で講座に参加していただければ。

タブーだと思っていることでも、気になることがあれば、とにかく聞いてみてください。遠慮はいりません」

ゲストは、澤田利江さん、平塚かず美さん、福島ケンゾーさん、袴田容代さんの4名。いきなりのゲストに戸惑いつつも、さまざまな質問が挙げられていた。ここでは、交わされたやり取りをいくつか紹介したい。

左上が通訳の瀬戸口さん、左下が澤田さん、中央下が袴田さん、右上が福島さん、右下が平塚さん。

Q. 聴こえないのは、生まれたときからなのか、途中からなのか?

澤田さん「私は2歳のときまで聴こえていました。そのあと高熱を出して、ろう者となりました」

平塚さん「私も澤田さんと同じです。1歳のときに高熱で、本当に死ぬかもしれない状況でした。薬を打った影響で聴こえなくなりました」

袴田さん「私は生まれつきです。両親はろう者です。でも妹は聴者です」

福島さん「私も生まれつきです。母が聴者、おじとおばがろう者。兄弟8人いるのですが、その中の半分がろう者、半分が聴者です」

Q . どんな仕事をしているのか?

澤田さん「鹿児島で、特定非営利活動法人NPOデフNetworkかごしまの理事長をしています。あとは日本手話の講師もしています」

福島さん「澤田さんと16年ほど一緒に仕事をしています。現在は就労継続支援B型の作業所の施設長です。以前は、放課後等デイサービス『デフキッズ』で10年ほど働いていました」

袴田さん「大学でテレワークをして3年目です。ホームページに載せるチラシをPowerPointでつくったり、Illustratorを使ってペットボトルのラベルづくりをしたり、イラストデザインの仕事をしています」

平塚さん「3つあります。1つが、日本ろう者劇団の裏方です。現代劇などさまざまなレパートリーはあるのですが、いまは手話狂言(注)がメインです。2つ目が、手話指導の仕事を月に1、2回。3つ目が浜松町にある『対話の森』で働いています」

※手話狂言
「狂言のセリフは室町時代から江戸時代までの古いことばです。日本ろう者劇団は和泉流狂言師三宅右近師の指導により、昔から継承された狂言特有の動き、運びをそのままに、手話表現の研究を重ね、古典芸能にふさわしい手話狂言を作ることにつとめました。手話のセリフと声のタイミングや間の取り方にも工夫を重ね、古典芸能の強靭さと手話の豊かな表現力をあわせもつ、手話狂言が誕生したのです。台詞を手話及び声で表情豊かに表現しますので、聞こえる人も聞こえない人も共に楽しむことができます」

社会福祉法人トット基金 演目紹介「手話狂言とは
この日は、通訳として、小松智美さんも参加。写真はZoomで参加しているゲストの手話を読み取り会場に通訳している様子。

Q . それぞれどのように手話を学んでいったのか?

福島さん「生まれてから6歳までは奄美にいましたが、ろう学校がないのでやむなく『普通校』に通っていました。昭和50年代頃の話なのですが、ろう者はすごく馬鹿にされていて、いじめもあり、苦労も多く、いいことがありませんでした。家に帰れば手話ができるので早く帰りたいと考えていました。

小学校1年生になって、鹿児島県立鹿児島聾学校に通いはじめました。鹿児島県のろう学校はひとつしかないので、地元や親元を離れて、福祉施設や寄宿舎に入ったりするろう者が多くいました。

いい面としては、施設や寄宿舎だと手話でコミュニケーションがとれるんです。それがすごいたのしい。手話が日常的にあるのが幸せだった。施設や寄宿舎で、ずーっとしゃべっていて。先輩の手話を見て覚えていました。わからないものは『その手話って何?』ってたずねて。思い返すと、先輩のおかげでいまの自分があるような感覚があります」

袴田さん「わたしは3歳のときに浜松聾学校に通いはじめました。でも、私の発声が上手だったらしく、『幼稚園にいったらどう』と先生に言われて。両親は『娘はろうだけど、「普通」の子と同じ学校にいけるんだうれしい』と思ったらしくて、当時は情報も知識もなかったので、幼稚園に行きつつ、週1日だけは、浜松聾学校に口話の訓練で通うようになったんです。

幼稚園は音楽が有名なところだったので、楽器を色々やらされて苦しかったです。コミュニケーションも通じないし、会話もできない、周りの人が何を言っているのかわからないまま過ごしていました。しばらくして、浜松聾学校に通う同級生と、幼稚園がメインの私では学習の差も出てきて。両親がその状況に気づいて、浜松聾学校に戻りました。それが小学校1年生の頃です。

まずはキュードサイン(指文字とは違う方法で、口形と手の動きで五十音をあらわす方法)を学ぶところからスタートしました。中学3年生までは、授業中もキュードサインで会話をしていて。

高校からは千葉にある大学付属のろう学校に入りました。先生は日本語対応手話を使っていて、『普通校』から進学した人も、ろう学校出身の人もいて、クラスで使われているコミュニケーション方法は半分口話、半分手話という感じでした。私は指文字もできたので、それが主なコミュニケーションの方法でした。

寄宿舎にいたので、夏休みとかに実家に帰って指文字をやると、両親に『手話をやってよ』って言われていましたね。手話をより使うようになったのは、学校を卒業して、社会に出てから。そこでやっぱり手話がいいなと思うようになって。手話が最初からあってほしかったなと今は思いますけどね」

平塚さん「私は2歳から4歳まで日本聾話学校に通いました。遊びを組み合わせつつ、アルファベットが書いてあるカードを書き文字で覚える場所でした。その後は、東京都立のろう学校に通いはじめて。そこでも同じように50音の絵かるたと単語をつなげて言葉を覚えていきました。

小学4年生ごろには、口話と同時に手話で話していました。でも、手話の語彙は口話の語彙より少なかったです。高校に入って、ろうの先生や周りの生徒たちが流ちょうな手話で会話していてカルチャーショックを受けました。高校を卒業してからも、日本語対応手話でした。劇団活動を始めてから、日本手話ができるようになっていきました。

学びの手助けとしては、マンガがすごいよかったです。セリフが、吹き出しになっているのとか。後は動きとか『ドカン』とか『ゴー』とか、さまざまなオノマトペも描かれている。聴こえないからどんな音があるかわかっていなかったんですけど、聴者にはこんなふうに聴こえているのかも、と。マンガで知らない世界を知ることができた。マンガに惹きつけられて、読みながら日本語も培っていけました」

澤田さん「両親もろう者だったので家でのコミュニケーション方法は手話でした。

幼稚部3年のときに『普通校』に通うことになって、ずっと聴者の世界で生きてきました。口話が上手いわけではないし、聴者のみなさんと声の出し方が違ったと思うんだけど、まわりのサポートも得つつ聴者の世界にいました。

コミュニケーションの壁はもちろんあって。学校は『口話で読み取らなきゃ』っていう気持ちで行くけど、家の中でも口話が求められていたら心は折れていたかもしれない。通じないと困るからがんばってはみるのだけれど、ずっとそれだと、なかなか安心して関われない。家に帰ったら手話で気楽に話ができる、声を出しなさいと言われることもない。精神的に安定できる場所があってよかった。

口話は、相手が話していることを100%理解できるわけではないんです。一部わかるところを自分でつなぎ合わせている。手話勉強中のみなさんはわかると思うんですけど、一部の手話だけわかって組み合わせて内容を想像している、それと同じような状況でした。私にとって、みてわかる言語も安心して関われる言語も手話なので、そこから知識も得やすい。今は手話で楽しく生きています」

Q . 映画や舞台、ドラマでろう者役を聴者が演じることをどう思うか?

福島さん「違和感しかない。影響力があるメディアで、ろう文化が大事にされていなくて、芸能人だから有名人が演じるからっていうことだけで『ろう者』が注目されるのは残念」

平塚さん「手話は小さいときから習得していく文法がある言語。短期間で手話を習った人の表現は生きた手話ではない感じがする。日本人がちょっと英語を学んで話をしてもネイティブにはなれないように、なかなか難しい」

袴田さん「ろう者役はろう者がやるべきだと思います。それだけじゃなくて他の障害も同じだと思う。当事者の方が演じるのが適任なのではないか。その人にあった表現ができると思う」

当日は、他にもさまざまな質問が挙がった。クローズドな場所だからこそ、自分自身が持っている偏見があらわになることや、誤解されることへのおそれが低減されている環境だったのかもしれない。また座談会の途中には、ゲストから、メンバーへの質問も挙がっていた。「ろう者が無意識に出している音、ドアをバタン!と閉める音などに対して何か伝えますか?」「もし自分がろう者になったらまず何をしますか?」。それぞれじっくり考えているうちに時間は過ぎていった。

10月27日 さまざまな手段を、そのときそのときに合わせて選んでいく

10月27日、今回は手話で自己紹介し、「ぽたぽた」「ぴかぴか」「ねばねば」などオノマトペが書かれたカードをそれぞれ1枚選び、身体で表現するワークをすることから講座がはじまった。

河合さん「前回、手話通訳者がゲストに通訳している間に、メンバー同士で会話をしている瞬間がありました。ろう者もその会話を知りたいけれど、通訳も途中なのでできない。アートプロジェクトの現場でそういったことが起こったとき、どうするのがいいのか、さまざまな立場で考えてみるのがいいかもしれません。『話をする際は、その前に挙手をする』『雑談するときに、それを通訳してほしいか/必要ないか伝える』など決まりを考えてみたり。そもそも、他の人がしているちょっとした雑談が気になる人もいれば、ならない人もいると思うので、そこに集まる人や状況に合わせて考えていく必要もあります」

前回の振り返りに続いて行ったのは、音声を使わずに呼びかけをする練習だ。音声なしで、どう相手に気づいてもらえるのか、身体を動かしながら試していく。

河合さん「相手の視界に入ることで気づいてもらえます。ただ、いきなり飛び出てくると驚いてしまうので、まずは手で合図をして近づいていくのがいいと思います。あるいは近づきすぎる前に、遠くから大きく手を振って合図を出すのもOKです」

またろう者と出会ったときに手話でコミュニケーションをとろうとするだけではなく、筆談など、その人その状況にあった関わり方を考えていくことも重要だ、と河合さんは話す。

河合さん「筆談ひとつとっても、文章だけで伝えるのではなく、絵や図を交えた方がわかりやすい場合もあります。また書いたものを消してしまうのではなく、残しておくことで、前提が確認しやすい場合もあるんです」

続いて教えてくれたのは「どうぞ、こちらです」と伝えたいときのジェスチャーについてだ。

河合さん「聴者が方向を手で示すとき、人差し指で指すのではなく、手のひら全体で示す人が多いように思います。でもそれだと、ろう者にはどこを指しているのかがわかりにくいので、明確に指差しで示してほしい場合があります。また指差しするときに、指だけではなく、表情や顎の方向、首や腕の傾きなどを工夫することで、距離感を伝えることもできます」

ひとつのやり方に縛られすぎず、その状況に合う伝え方を選んでいく姿勢の大切さを教えてもらった。そう感じながら過ごしていると、河合さんは最後に次のように語った。

河合さん「ろう者は、一方的に助けなきゃ・支援しなきゃいけない存在ではありません。一方的に寄り添ってほしい、合わせてほしいのではなく、ろう者の文脈をまず知ってほしい。その上で、一人ひとり関わり方は違うから話をして、一緒にいい方法を考えていってほしいです」

11月10日 実際の場面を想定してロールプレイをしてみる

11月10日、アートプロジェクトにまつわる場面を想定して、メンバーと河合さんとでロールプレイを実施する回となった。実際に行ったのは3つの場面だ。今回は発話と手話での会話は禁止して、前回練習した筆談と指差しを使ってロールプレイが行われた。

場面1:本屋。お客さんが探している本を店員として探す

店員役をメンバーが、お客さん役を河合さんが担当。探している本の特徴(形、大きさ、色など)を身振り手振りや筆談をしながらすり合わせていった。

場面2:美術館。アルバイトに、絵画の展示場所を指示する

展示場所を伝える役をメンバーが、実際に指示を受けて設置する役を河合さんが担当。これまでに学んだ指差しやNMM(非手指要素)などを意識しながら実践した。

場面3:劇場。受付でのチケット売買のやりとりや座席の誘導をする

受付スタッフ役をメンバーが、お客さん役を河合さんが担当。筆談なども取り入れながら、その場で最適なコミュニケーション方法を模索していった。

ロールプレイの後は、河合さんから、それぞれの対応に関してフィードバックの時間があった。どのような伝え方だと誤解が生まれやすいのか、どうするとシンプルに伝えられるのか、正解はない。ただロールプレイを自分がやってみたり、他の人が実践しているのを眺め、フィードバックをもらう。そんな機会を得られることがこれまで無かったので、実際に経験しながらコミュニケーションの選択肢を考えていける貴重な時間だった。前半3回の講座で学び、実践したことを、すでに自分が携わっている現場でどう取り入れていけるのか現場と後半の講座を往復しながら引き続き考えていきたい。

後半レポートはこちら

(執筆:木村和博/編集:嘉原妙/撮影:齋藤彰英

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ステップ1「ろう者の感覚を知る、手話を体験する」レポート
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「手話と出会う。」オリジナル映像教材を活用したオンライン講座

手話でのコミュニケーションの基礎とろう文化を学ぶ「アートプロジェクトの担い手のための手話講座」。

3ステップで通年開催される講座のひとつ「手話と出会う。」が2022年9月、オンライン講座として開かれた。

講師は、俳優/手話・身体表現ワークショップ講師の河合祐三子さん、手話通訳は、瀬戸口裕子さん。ステップ2の講座の様子を、実際に手話講座に立ち会った企画者の視点からご紹介する。

映像プログラムによる個人学習とオンライン講座での実践

ステップ2は、2021年度に制作・公開した「映像プログラム|手話と出会うアートプロジェクトの担い手のための手話講座」を教材に、オンラインで手話でのコミュニケーションの基礎を学ぶ講座だ。参加者は、事前に映像プログラムを視聴して個人学習を行い、毎週木曜日に開講されるオンライン講座に参加。アートに関わる手話単語だけでなく、ろう者と聴者のコミュニケーションの違いなど、ろう文化にも触れる時間となった。

9月1日(木)第1回 手話の基礎表現を学ぼう

第1回で学んだのは、自分の名前の表し方、時間・数字・曜日の表現について。例えば、名前に含まれる山、川、谷、木、田など、そのものの形から手話表現が生まれているものがあることや、本や寺など動作から手話表現が生まれているものがあるといった、手話言語の成り立ちについても学習する時間となった。

数字の「0(ゼロ)」と英語の「O(オー)」は似ている。その違いは数字の「0」は手の形を少しだけ震わせるといった違いがあることや、手話で表す際、利き手は動きが多く、非利き手はあまり動かさないといった解説など、個人学習ではなかなか気づけないポイントをオンライン講座では補足し解説した。

9月8日(木)第2回 自分のことを伝えてみよう

第2回は、音声言語を使わないサイレントな状態で河合さんが参加者の名前を呼び、参加者(名前を呼ばれた人)は前回の復習を兼ねて「私は〇〇です」と手話で自己紹介する時間からスタート。さらに、手話で足し算、引き算、掛け算、割り算の問題を出し合って答えるゲームをしながら数字の表し方を復習した。また、講座のなかで河合さん自身の経験やろう者の学習環境についても共有があった。

河合さん「私は幼い頃、掛け算などは先生の『口形』を見て覚えました。だから、『7(しち)』や『4(し)』など口形が似ているものは読み取るのが難しくて不安になって、算数に苦手意識があります。現在のこどもたちは、手話で学習できているのでうらやましいです」

続いて、ろう者とのコミュニケーションにおいて大切な、反応を示すこと、YES/NOの示し方について学習。「いいえ」や「NO」を示すときの首振りや、感情の度合いの表し方など、NMM(非手指要素)についても一つひとつ練習した。例えば、星1つのときの「嬉しい(=そんなに嬉しくない表情と動作)」、星3つのときの「嬉しい!」や星5つの「とっても嬉しい!!」では、星が増えるごとに手話のスピードが速く強く表現され、顔の表情も目が大きく見開いたり、眉や肩が上がったりなどの変化が出てくる。

この日は、最後に色の手話表現を学んだ。「あなたの好きな色はなんですか?/あなたの嫌いな色はなんですか?」というやりとりを河合さんと参加者で行い、「好き/嫌い」を伝える練習を行った。

9月15日(木)第3回 仕事のことを伝えてみよう

第3回は、職業・役割の表し方について学習。事務、広報、企画、編集、アート、イベントなどアートに関係する仕事はどのように表せばいいのか具体的に学んでいった。手話では「美術」+「場所(または建物)」で「美術館」と表すなど、「〇〇+場所」「〇〇+担当」「〇〇+人」というように、組み合わせて表現できる。

次に、学んだ手話を使って、実際に参加者と河合さんで仕事に関する会話のやりとりをしてみた。「あなたの仕事はなんですか?」と河合さんが質問し、参加者の1人が手話で答える。それをもう1人の参加者は読み取り、相手の仕事について再度手話で表現する。

この回では、自分のことを伝えるだけでなく、相手の手話をしっかりと見て、理解し、確認する練習を行うことができた。

9月22日(木)第4回 CL表現(描写的表現)を学ぼう

第4回は、はじめに前回の振り返りと、河合さんからろう者と会話をするときのアドバイスがあった。

河合さん「まずは、相手の目を見ること。次に、相手の言っていることがわからないときは、はっきりと『わからない』ことを伝えてください。それは失礼なことではありません。他にも『ちょっと待ってください』『もう少しゆっくり表してください』『それは何ですか?』など、確認してコミュニケーションすることが大切です。ろう者は確認し、納得してコミュニケーションを進めるという文化があります」

続いて、目で見たままを伝えるということや、さまざまなCL表現(描写的表現)について学習した。

河合さん「CL表現とは、『Classifier(類辞)』という意味です。木や鉛筆など『細長いもの』を数えるときは1本、2本と数えますね。紙やお皿など『薄いもの』を数えるときは1枚、2枚、本のような『厚みのあるもの』は1冊、2冊というように、こうした類別詞を手話では『手形』で表します。CLには形を表現する『実体CL』と動きを表現する『操作CL』があります」

実は、今年度開催した手話講座のステップ1では参加者たちと伝達ゲームを行ったが、そのとき行っていたのもCL表現だった。

ピンポン玉とバランスボール、水玉模様やストライプ柄、さまざまなグラスの形、行列、ギャラリーの壁に絵が飾られている様子など、イラストに描かれたものを見たまま表す練習や、瓶からコップに牛乳を注ぐ動画を見て、その質感や質量、状態を表す練習を行った。

物の形、大きさ、動きや位置、見たままを表すことは、手形だけではなくNMMが重要になってくることを実感した回だった。

9月29日(木)第5回 間違いやすいポイントを知ろう

最終回は、再び音声言語を使わないサイレントな状態で、河合さんと2、3人のグループで会話の練習を行った。参加者は、お互いに助け合って河合さんとコミュニケーションしても良いという設定で行われた。

これまでステップ2で学習してきた「YES/NO」や「わかる/わからない」の反応をはっきりと示すこと、NMMや度合いを会話のなかで行ってみる。わからない手話表現や単語があったときは筆談も使いながら、「あなたの趣味は何ですか?」「どんな映画を見ますか?」「今日はもう晩御飯を食べましたか?」などの日常会話の練習を行った。会話のなかで、「ちょっと待ってください。それは何ですか?」「わからないです。もう一度お願いします」と自然と確認し合う参加者の様子があった。

最後に、参加者との会話をふまえて河合さんからアドバイスがあった。

河合さん「うーん、と考えているときは、『ちょっと待ってください。今、考えています』ということも示すのが良いです。そうした反応がないと、ろう者は、相手が考えている状態なのか、それともわからない状態なのか、どっちなのだろうと心配になるんですね。自分の状態も相手にはっきりと伝える、それも大切なポイントです」

ろう者とのコミュニケーションでは、自分の意思や状態も具体的に伝える必要があること、その重要性に改めて気づく最終回だった。

コミュニケーションとは、一方的に行うものではない。相手の様子を見て、自分の意思や状態を伝え、お互いに確認し合いながら会話を重ねていくもの。人と人が出会い、お互いの感覚の違いを認めながら、諦めずに伝え合う行為だと思う。

ステップ2「手話と出会う。」では、各回で映像プログラムの内容や前回実施した内容を復習し学習を深めるだけでなく、繰り返し繰り返し手話表現の表し方や、音声言語に頼らない状況をつくり手話での会話練習を重ねてきた。限られた時間ではあったが、手話での会話、ろう者とコミュニケーションするときの身体感覚を少しでも掴んでもらえていたなら嬉しい。

視覚身体言語である手話は、目で見て、繰り返し、繰り返し身体を使って学ぶ必要がある。だから、参加者のみなさんにも、引き続き「映像プログラム」も活用いただきながら学習を重ねてみてほしい。さらに、各地のアートプロジェクトの担い手の方々にも、この「映像プログラム」が「手話と出会う」きっかけや、アートプロジェクトのアクセシビリティを考える一助となることを願っている。

私も引き続き、手話でのコミュニケーションやろう文化について知り、学び、アートプロジェクトの現場で実践を重ねていこうと思う。

(執筆・編集:嘉原妙/撮影:齋藤彰英

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