2023レポート① もやもやの正体を見つめ、問いつづける

2011年以降に生まれたアートプロジェクトと、それらを取り巻く社会状況を振り返りながら、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えるシリーズ「新たな航路を切り開く」では、P3 art and environment統括ディレクターの芹沢高志さんをナビゲーターとして、この10年間の動きを俯瞰する映像プログラムや年表制作のほか、ゼミ形式の演習を実施しています。

演習「自分のアートプロジェクトをつくる」は、アートプロジェクトを立ち上げたい方やディレクションに関心のある方を対象とするもので、2023年度は9月末から翌年1月末までの約4ヶ月にわたって実施しました。

この演習の様子を、3つの記事でレポートします。

「自分のアートプロジェクトをつくる」といきなり言われても、戸惑う方は多いと思います。アートプロジェクトとは何なのか、「自分の」とは、どういうことなのか、疑問に思う人も多いでしょう。しかしこの演習は、そういった問いに対して「アートプロジェクトはこういうものだ」と答えを示したり、アートマネジメントや運営の方法論を教えるようなものではありません。

受講生は対面講座でのディスカッションや各自の発表の他、講座以外の時間にもオンラインツールを利用した受講生同士/ナビゲーター、マネージャーとのやりとりを通じて「自分が本当にやりたいことは何か、なぜやりたいのか、アートプロジェクトを通して大事にしたいものとは何か」を考えていきます。

演習は、全8回の対面講座(うち、最終回は2日連続で開催)で、ナビゲーターによる講義のほか、ディスカッション回や中間発表回があり、その間に3回のゲスト回を挟む構成となっています。今年度のゲストは、嘉原妙さん(アートマネージャー/アートディレクター)、尾中俊介さん(グラフィックデザイナー/詩人)、小田香さん(映画作家)の3名。ゲスト回は、普段なかなか話を聞けることのない方々から、これまでの歩みや、その中で積み重ねてきた思考、経験について直に伺い、いまこの時代をどのように捉え、何をどのように表現しようとしているのかを知る回となっています。これらの講座を通じて、受講生は自分の中にある問いを発見し、あらためて向き合っていくのです。

演習のはじまり

今年度の初回は9月30日(土)。冒頭にナビゲーターの芹沢さんから、この演習の内容や目的について紹介し、その後、受講生たちが、自己紹介とともに、この演習に参加したきっかけや、現段階で構想するプロジェクトやアイデアについて発表しました。

今年度の受講生は、仕事として地域の文化支援事業や企画運営をされている方、フリーランスで広報等に関わっている方や、アーティストとして活動している方など、バラエティー豊かな面々が集いました。バックグラウンドこそ違いますが、受講生同士、少しずつ重なる点がありそうです。自己紹介からは、これまでの実体験からふつふつと生まれつつある「何かやりたい」「見出したい」という熱い想いが伝わってきました。

中でも特徴的だったのは、「アートプロジェクトを通し、異文化間のコミュニケーションや多文化共生、国際交流に関わりたい、貢献したい」という声が多かったこと。既に交際交流に関わる仕事をされている方も複数名いらっしゃいました。

また、実際に自分でアートプロジェクトを立ち上げ、まさに今準備を進めているという方も。参加理由は「プロジェクトを実施するにあたって、自分自身に哲学が足りないなと思うことが多くあった」から。「“動機”や、“なぜそれが良いと思うのか”、“そのプロジェクトをやることで地域にどんな影響があるのか”を、もっと自分の中で分析した上でスタートできれば、何かが変わるかもしれない。この演習を通して、それが考えられそうだと思った」と伝えてくれました。

芹沢さんは、アートプロジェクトをはじめるにあたって大事なことは「自分の中にある切実な問いを見つけること」だと言います。アートプロジェクトにはエラーがつきもの。予期せぬことが起きた時も簡単にはブレない軸を見つけられたら、迷った時に、そこに立ち返ることができるから、と。

演習の受講生募集時のナビゲーターメッセージには、以下のように書かれていました。

アートとはまずもって、個人個人の内面にこそ、決定的に働きかけてくるものだ。自分自身の問題と向き合うための術であるとも言えるだろう。

今、私たちは、歴史的にみても大変な時代を生きている。どこに問題があるのかわからない、いや、そもそも問題があるのかないのか、それさえもわからない時がある。こういう時はひとまず立ち止まり、何が問題なのか、自分の心に問うてみる必要がある。他人が言うからではなく、いかに些細な違和感であれ、自分個人にとっての問題を発見していくことが大切なのではないだろうか。自分にとって本当に大切な問いとはなんなのか? それを形として表現していくための力を、この演習を通して培っていければと思う。

ともに舟を漕ぎ出そうとする方々の参加を心待ちにしている。

このナビゲーターメッセージを読んで、「今、自分に必要なものは、この時間だ!」と直感的に思い、応募してきてくれた人もいました。

この演習は、もやもやグルグルと答えのない問いと向き合いつつ「誰が何と言おうとこれだけは譲れない、大切にしたいこと」を見つける時間。受講生同士で話し合い、時にゲストからの刺激を受け、悩みながら、自分なりのアートプロジェクトのかたちを探る第一歩を踏み出しました。

>>レポート② 3人のゲストから受け取ったもの

誰もが健やかに暮らせる神津島を目指して——(トークイベント「HAPPY TURN/神津島はなんだったのか。『くるとってどんな場所?』」レポート後編)

東京・竹芝から、大型客船で約12時間。伊豆諸島に浮かぶ人口約1800人の島、神津島。星空や夏のレジャー、金目鯛などの海産物でも知られるこの島で2018年から展開されているのが、アートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」(以下、HAPPY TURN)です。

「幸せなターン」と名付けられたこのプロジェクトでは、現在島で暮らす人や、島で育ち島を離れた人、島外からやってきた移住者や表現者らがつながることを通して、それぞれの生き方や世界の見方を少し広げ、「幸せ」のかたちを再考するような取り組みが行われてきました。活動の拠点である「くると」には、毎日のように島のこどもたちやその親、移住者を中心としたスタッフや大人が集い、交流。集落がひとつのみという決しては大きくはない島のなかで、多様な価値観や文化を担保するコミュニティとなっているようです。

これまで「東京アートポイント計画」という事業のひとつとして、東京都、アーツカウンシル東京、そして一般社団法人シマクラス神津島(以下、シマクラス神津島)の三者での共催事業として実施されてきたHAPPY TURNですが、2023年度を持って約6年におよぶ共催関係を卒業。新たな船出を迎えます。この節目にあたって、2024年2月29日、くるとで初となるトークイベント「HAPPY TURN/神津島はなんだったのか。『くるとってどんな場所?』」が開催され、拠点の運営スタッフやプロジェクトに当初から関わるクリエイティブユニット「岩沢兄弟」らが、この場所での経験やその意義を振り返りました。

神津島村の前田弘村長や、村議会議員、村役場の職員など多くの人が見守るなかで、登壇者からはどのような思いが語られたのか? 当日の模様を、ライターの杉原環樹がレポートします。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:小山冴子/撮影:小野悠介)

レポート前編はこちら>

飯島さんと拠点スタッフの4人。

悩み相談、居場所、人とのつながり……移住者にとっての「くると」の大きさ

なぜ、神津島にある『何でもない場所』であった『くると』に、日頃から人が集まっているのでしょうか? 前編の最後で投げかけられたそんな飯島さんの問いに応答するように、次に、くるとで活動する4人の拠点スタッフとシマクラス神津島の中村さんが壇上に上がり、それぞれにこの場所への思いを語りました。それは、この島で暮らす「個人」にとって、くるとという場所が持つ意味や価値を明らかにする時間になりました。

最初にマイクを握った野口愛美さんは、高校教員の夫の転勤に伴い島に移住。2021年からくるとの拠点スタッフを始めました。そんな野口さんは、くるとを「新しい出会いや発見があるコミュニティの場」と表現します。

野口愛美さん。

移住直後、島には知人も友達も一人もおらず、仕事も辞めていたことから「社会と切り離されたような気持ちだった」という野口さん。そうしたなか、何気なく参加した庭びらきプロジェクトで「みんなが分け隔てなく接してくれた」ことが、野口さんの孤独感を癒してくれました。くるとに来るようになってからは島のお母さんたちやこどもたち、観光客と接する機会が増え、「島での暮らしが憂鬱ではなく楽しくなっていった」と振り返ります。

野口さんは「くるとは移住者にとってなくてはならない場所」と断言します。「役場に相談しにいくほどではない小さな悩みは、くるとに来ればだいたい解決する。気軽に相談しやすい場所があることは、島での生活を豊かにしてくれた」。さらに、アーティスト・プログラムも大切でした。例えば昨年招聘されたオル太は、漂流物を通して島の歴史を表現する作品を制作しましたが、「そのことで普段は意識しない島の歴史や文化を知った。移住してきた頃は、疎外感で『移住者がすみません』という気持ちだったけど、自分の住んでいる土地の歴史を知ることで、島の一員になれた気がした」とその意義を語りました。

2人目の八島麻衣さんも、小学校教員の夫の転勤で2020年に移住。コロナ禍のなか、島に頼る人はいませんでしたが、教員住宅の友人から、くるとの活動や魅力を紹介され、2021年から拠点スタッフとして関わり始めました。

八島麻衣さん。

長年仕事をしており、島に来るまでこどもとじっくり過ごす時間がなかったという八島さん。「こどもとくるとに来て遊ぶという時間のなかで、この場所からいろんなことを教えてもらった」と話します。さらにくるとは、島と内地の学校の状況の違いに戸惑い、相談相手もおらず、体調を崩してしまっていた八島さんの夫にとっても大切でした。「夫もくるとで島の人とつながるようになり、それからは小学生のカルタ大会を開催したり、ここで仕事のアイデアを得ることも。いまでは島での暮らしを楽しんでいるようです」と言います。

学校活動や授業の一環でくるとを使っているのは、八島さんの夫だけではありません。例えば神津小学校の1年生が「図工」の授業で庭の砂場を使用して造形遊びをしたり、神津高等学校では、2年生が「総合」の授業で浜辺のゴミ拾いをした際、たくさん拾った流木やシーグラスなどのゴミをどうすべきか相談しに来たことも。くるとではこれを受け、それらのゴミを素材として使ったものづくりやワークッショップを行いました。八島さんはこうした事例を踏まえ「学校の先生は精神的に辛い仕事だが、くるとは教育現場のサポートにも一役買っている」と指摘します。

文化やアートだからこそできる、心のケアやコミュニティがある

3人目の角村悠野さんは、2016年に島に移住、2021年からくるとに携わっています。もともと自身もパフォーマンスを学んだ経験があるという角村さんは、最近ある美術家から聞いた「クッションとしてのアート」という表現がくるとにはぴったりだとコメント。「アートというとどうしても“遠いもの”という印象があるけど、日常のなかの、人と人のあいだにアートがあるんだということを、ここでの経験で学んだ」と語ります。

角村悠野さん。

じつは角村さんの夫も、仕事の大変さで心のバランスを崩しかけることがあるといいます。そこで角村さんは、趣味である音楽の編集をしてみることを夫に提案。「忙しくて心を失いかけたときに、表現活動に触れることが回復の鍵になった」と話します。

さらに、普段は人付き合いが得意な方ではないという夫ですが、動画を撮ることが好きなことから、最近ではくるとの冬まつりの撮影を頼み、その関わりが心の栄養になっているとも紹介。こうした経験を踏まえ、角村さんは「くるとは自分だけでなく家族が助けてもらった場所。アートや文化でないと作れない関係性があるし、それで心が軽くなる人がいる。そういう人のためにも、この場所が長く運営できるといいなと思う」と訴えました。

4人目の垣内美紀さんは、移住13年目と島の在住歴はスタッフで最長ですが、くるとに関わり出したのは2022年からと、一番新しいメンバーです。当初はほかの多くの島民と同様に、くるとに対して「よくわからない」と遠目に見ていたという垣内さん。しかし、スタッフとして携わってからは、「言語化はできないけど、この場所で何かがかたち作られているのを感じるようになった」と、心境の変化を口にします。

垣内美紀さん。

垣内さんがくるとに関わり始めたのは、離婚を経験し、シングルマザーとなった頃、角村さんに誘われたことがきっかけでした。「親も親戚もいない土地で子育てをするのは難しいと人に言われ、島が好きなのに島を出ないといけないのかと考えていた頃に紹介してもらいました。人はコミュニティのなかで生きるものだと思う。くるとに来るようになり、『できることをやればいい』とか、『人と違ってもいい』と言ってもらえ、自分を取り戻すことが私の救いになった」と、自身にとってのその存在の大きさを振り返りました。

島でずっと暮らしたいと考えている垣内さんですが、以前から文化的な豊かさももっと体験したいと感じてきました。そうしたなか、くるとを通してアーティストの活動に触れることは貴重な機会になっているとし、「とくにこどもがそれを目の当たりにすることは、成長するうえで大切な糧になると思う」とコメント。そして、「私にとってくるとは、それぞれの人が体験のなかからその人なりの宝物を見つける場所だと思う」と締め括りました。

「小さな幸せのターン」を積み重ね、誰もが健やかに暮らせる島へ

拠点スタッフに続き、プロジェクトを立ち上げた本人である中村さんもマイクを取り、活動の原点を振り返りました。そもそも「HAPPY TURN/神津島」とは、島出身者の多くが進学を期に島を離れ、大人になって島にUターンすることを方言で「しまってくる」とネガティブな表現をしてきたことに対し、「幸せに重きを置いて島に戻ったり、神津島と関わりを持った方々が神津を通じて少しでも幸せになって欲しい、ささやかでもハッピーな方向へターンにしてほしいという思いから付けた名前」と中村さん。「一見、くるとでは、こども達が穴を掘ったりしているだけに見えますが、それもささやかなハッピーターンなんです(笑)。そうした小さな積み重ねがきっと大きなターンにつながると思う」と話します。

シマクラス神津島の中村圭さん。

そんなハッピーなターンの一例として中村さんは、それまで自習室として活用していた「MANABU」を「RoomSAKU」として改修するにあたり関わったある青年の話をしました。当初、中村さんが友人とMANABUの作業をしていたところ、ひょんなきっかけから島の高校に通う3年生が加わり、3人で行動を共にすることになりました。

その高校生は学校に行きたくない、学校を辞めたいと話していて、その頃はほとんど学校に行っておらず、そのことで周囲も先生達も悩んでいたそうです。しかし、くるとを手伝い、木材を切る仕事を任せられたり、中村さんたちとものづくりをしたりするうちに、自分も人のために動くことができるんだという実感を得て、やはり卒業までは高校に通うことを決めたといいます。それまでは特にやりたいこともなく、だからこそ漠然と高校を辞めるか、卒業後はなんとなく島を出ようと考えていた彼は、くるとでのものづくりやDIYが楽しかったことから、そういったことに近い仕事につきたいと考え、就職活動をし、改装などを行う内地の会社に内定が決まったのだそうです。

昨年の夏に実際にくるとで起きた「小さなハッピーターン」。中村さんはその経験を辿りながら、「これは、授業のように形式ばって何かを教えるのではなく、人と人が向き合うことで起きたこと。その高校生が手に職をつけて将来島に戻ってくれば、島の職人不足の解消にもつながる。この小さなターンはそんな未来の可能性にもつながっている」と意義を話し、「今後もそんなささやかなターンを積み重ねていきたい」と語りました。

「よそ者」の視点を通して、島の「当たり前」を新たな価値にする

イベントの終盤では、飯島さんと中村さん、岩沢兄弟の兄ひとしさんと弟たかしさん、東京アートポイント計画ディレクターの森司や、大内が前に出て、拠点を作り始めた頃の思いや今後の展望について意見を交わしました。

左から東京アートポイント計画ディレクターの森司、プログラムオフィサーの大内伸輔、岩沢兄弟の岩沢たかしさん、岩沢ひとしさん、シマクラス神津島の飯島知代さん、中村圭さん。

登場したスピーカーたちには、前の拠点スタッフたちによる話の余韻がある様子。ひとしさんが「たまに島に来る僕らと違い、拠点スタッフの人たちのお話はここに住んでいる人の話。これは伝わるなあと思って聞いていた」と口火を切ると、たかしさんも「こんなに日常的に使われてイベントまで開かれる場所になるとは、当初は思っていなかった。時間はかかったけど、かたちになってきているのを感じた」と感想を口にしました。

森は、「この場所を目的が曖昧な場所にしてほしいと頼んだのは私です」と言い、「漫画を持ち込んだりカフェにしたりしたら簡単に人は集まるけど、くるとはそうしなかった。拠点スタッフのみなさんの言葉は、そうしたなかで自分たちで獲得した言葉だから強い。そういう言葉が持てるかどうかが、アートプロジェクトにとっては大事」と指摘します。

島の人たちと同様に、関わり始めた当初、飯島さんもアーツカウンシル東京に対して「よくあるまちづくりコンサルタントではないのか?」と疑いの目を持っていたそうです。しかし、岩沢兄弟が島を知るために観光名所などを巡るのではなく、お店を一軒ずつ回りレシートを集めてきたり、島で定期的に発行されていた「おとしより作文集」を作成した方の話を聞きに行ったというエピソードを聞いたり、そこから出てくるアイディアを見たりするうちに、「これは違うぞ…」と徐々に認識が変わっていった経緯を明かしました。

岩沢兄弟が初めて島を訪れた際、元中華料理屋の建物はすでに見つかり、拠点に使うことも決まっていたにも関わらず、まだ扉は開けられていなかったと言います。「だからインパクトドライバーを貸り、ここを開けることから始めた」とひとしさん。普段から「居場所」に関心を持つ岩沢兄弟は、ここから、こどもの多さを考えて出入り口を道路側から建物の側面に移動、外壁を半透明の波板にするなどして、外を通る人と中にいる人がお互いを気に留める空間を、時間をかけて作っていきました。「すぐに人を呼ぼうとするのではなく、屈伸運動のようなことをしているうちに人が集まった」とたかしさん。森も言うように、こうした時間のかけ方や人の巻き込み方は、業者に依頼するのではなく、アートプロジェクトだからこそできたことでしょう。

島を知る過程にも時間がかけられました。神津島には、苗字のほかにその家を指す独特の屋号文化が存在します。たかしさんは、はじめにツアーガイドをしてもらうのではなく、「屋号のような自分が気になったことや、生活のあり方を見ることから島を知ろうと考えた」と当時を振り返ります。大内はこの過程について、「ツアーガイドをしないのは、新たな地域資源を見つけたいから。外から来た人は、地元では当たり前になっていることを『これすごいね!』と面白がってくれる。それが価値としてかたちになったときに、新しいことが生まれるんです」と説明しました。

ほかにも、島外の人ならではの大胆さが生きた場面があります。例えばたかしさんは、島民を巻き込むために、中村さんの乗る軽トラックに「今日のタスク」や「中村さんにしてほしいこと」を貼って走ってもらったエピソードを披露。また、中村さんがこれまで島の大工さんに仕事を頼んだことがなく、どのように頼んだらいいのかと躊躇していたところ、岩沢兄弟に「一緒に行くぞ」と連れて行かれたことも。「島の人なら戸惑うことや、島の人同士だと遠慮してしまうようなことも、僕らは外から来たからこそ気にせず行ける部分がある」とたかしさん。森は、地域活性化の議論でよく使われる「よそ者・わか者・ばか者」の力がここでも生きた、と話しました。

地域の課題に応え、多様な生き方を担保する。広がるHAPPY TURNの可能性

最後に、森から「今後、島のなかでくるとをどんな場所にしていきたいか?」という問いが投げかけられました。ひとしさんはこれに、「僕らが神津島に来たときに遊びに来れる場所としても続いてほしい」と本音を口にします。また、「飯島さんがアートの世界を好きになり始めているから、これからもいろんな活動が行われていくはず」と予想。「そうした活動を行ううえでは、島の人たちの協力が必要」と語りました。

いっぽうのたかしさんは、「くるとという場所だけでなく、ここをスタートに島の中でいろんなことをしてほしい」と、横への広がりを期待します。そしてそのためには、やはりより多くの島民から「これができたのだからこれもできるだろう」という要望があることが大切だとし、「この活動をいろいろ使い、関わり方を増やしてほしい。くるとはそうした活動の始まりの場所になってほしい」と言います。大内もこれに頷き、「関わる人が増えることが大事。そこから今日の拠点スタッフのような担い手が増えていく」と話しました。

森はこの日の議論を振り返りながら、「くるとは名状し難い場所だが、そうした場所は、こどもから高齢者の問題まで、行政が取り組むべき新しい社会の課題を担うことできる場所でもある」と指摘。実際に今回のイベントでも、くるとが島の抱える現実的な課題のなかで、一種のクッションのような役割を果たしていることが感じられました。こうしたことから森は、「例えば先ほど話題になった、島の慣習についてお年寄りにお話を聞くような活動も、私たちの言う『文化』のひとつ」とし、くるとが現在の活動の延長線上で「中間セクターのような役割を果たすと面白いのではないか」と会場に投げかけました。

みんなの話を聞いた飯島さんは、最後に、「難しい話も出たが、結局は神津島を生きやすくて暮らしやすい場所にしたい。そのための役割がこのくるとにはあると信じて頑張っている」とコメント。ただ、その活動は決して盤石ではありません。飯島さんも、「いまやっとスタッフが現れてくれたけど、いつ終わるかわからない。私自身も島に居続けていいのか悩むこともある」と言います。しかし、それでも島にいるのは「このくるとという場所を必要としている人がいるし、そういう人たちがいる限りこの場所が続いていったらいいなと切実に思っている」から。「共催は卒業しますが、なんとか道を探して続けていきたい」と会場に伝え、トークを締め括りました。

会場に訪れた島の人たちには、話を聞くことで、HAPPY TURNやくるとへの見方に少し変化があったようです。最前列で話を聞いていた前田弘村長も、「最初の3年間くらいは何をしているんだろうという感じだった。でも、少しずつ子供が参加して、お母さんたちが参加して、こんなことをしていたんだと話を聞いてわかった」とコメント。「いまここに関わっているお母さんたちは内地出身者が多いけれど、島で生まれ育った人がもっと関わることも大事」としつつ、「ここまできたからには頑張ってもらいたい」とエールを送りました。

離島という特殊な環境のなかで、手探りで育まれてきたHAPPY TURNの活動。およそ7年におよぶその歩みを振り返った今回のイベントでは、くるとという不思議な場所がいかにして生まれてきたのか、その豊かな時間の積み重ねを、プロジェクトメンバーや岩沢兄弟らの声から知ることができました。そしてまた、普段の日常のなかでは、プロジェクトの内側からも、それを周囲で見ている島の人々からもなかなか見えにくい、HAPPY TURNやくるとの活動の持つ、島で暮らす人たちにとっての大切さが伝わってきました。

とりわけ、慣れない土地でさまざまな悩みや戸惑い、事情を抱えながら暮らしている拠点スタッフのリアルな声は、会場にいた多くの人の胸に届いたように思います。

イベント終了後に会場の外で話を聞いた前田村長も、「アート」という言葉から、島の人はどうしても「よくわからないもの」をイメージしてしまうけれど、この日のトーク、なかでも拠点スタッフの声を聞き、「それぞれの生き方や、考え方を見つけたりすること。それが『アート』という言葉になって、みんなの前に現われていることがわかった」とコメント。島出身者とのさらなる関わりに期待を寄せつつも、島で暮らす人たちの「それぞれの生き方を見つける場所」としての意義を感じた様子でした。

実際、トークのなかでも触れられていたように、HAPPY TURNやくるとの持つ、誰かの居場所や「よるべ」となったり、新しい文化や慣習に触れる機会となったり、異なる背景を持つ人同士が出会う場となったりする機能は、島のなかでも、いや、島のなかだからこそ大きな意味を持つと言えるのではないでしょうか? 

新たな船出を迎える「HAPPY TURN/神津島」。その活動は、今後どのように育まれ、広がっていくのでしょうか。プロジェクトの未来が楽しみになるトークでした。

レポート前編はこちら>

KINOミーティングアーカイブ2 04.2023—03.2024

海外に(も)ルーツをもつ人々とともに、都内各所で映像制作のワークショップを行うプロジェクト『KINOミーティング』。本書は、2023年度の活動を英訳付きでまとめたアーカイブブックです。

これまでの取り組みから新たに開発・実践されたワークショップの概要や手法をはじめ、ワークショップをひも解く参加者との対話や、スタッフによる制作現場の振り返り、「海外に(も)ルーツをもつ」という枠組みと関連したテーマで活動している研究者と表現者へのインタビューなどが収録されています。

海外に(も)ルーツをもっている人たちの中でも、“置かれた”と感じる人と、“自分の足で来た”人がいて、なおかつそのふたつの間にもグラデーションがありますよね。

(KINOを読み解くことば 「ワープ」 p.84)
目次

はじめに

  1. KINOミーティングとは
  2. KINOミーティングの手法
  3. ワークショップ
  4. 設計と現場
  5. KINOミーティングを読み解くことば
  6. インタビュー
  7. 振り返りと計画

誰もが健やかに暮らせる神津島を目指して——(トークイベント「HAPPY TURN/神津島はなんだったのか。『くるとってどんな場所?』」レポート前編)

東京・竹芝から、大型客船で約12時間。伊豆諸島に浮かぶ人口約1800人の島、神津島。星空や夏のレジャー、金目鯛などの海産物でも知られるこの島で2018年から展開されているのが、アートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」(以下、HAPPY TURN)です。

「幸せなターン」と名付けられたこのプロジェクトでは、現在島で暮らす人や、島で育ち島を離れた人、島外からやってきた移住者や表現者らがつながることを通して、それぞれの生き方や世界の見方を少し広げ、「幸せ」のかたちを再考するような取り組みが行われてきました。活動の拠点である「くると」には、毎日のように島のこどもたちやその親、移住者を中心としたスタッフや大人が集い、交流。集落がひとつのみという決しては大きくはない島のなかで、多様な価値観や文化を担保するコミュニティとなっているようです。

これまで「東京アートポイント計画」という事業のひとつとして、東京都、アーツカウンシル東京、そして一般社団法人シマクラス神津島(以下、シマクラス神津島)の三者での共催事業として実施されてきたHAPPY TURNですが、2023年度を持って約6年におよぶ共催関係を卒業。新たな船出を迎えます。この節目にあたって、2024年2月29日、くるとで初となるトークイベント「HAPPY TURN/神津島はなんだったのか。『くるとってどんな場所?』」が開催され、拠点の運営スタッフやプロジェクトに当初から関わるクリエイティブユニット「岩沢兄弟」らが、この場所での経験やその意義を振り返りました。

神津島村の前田弘村長や、村議会議員、村役場の職員など多くの人が見守るなかで、登壇者からはどのような思いが語られたのか? 当日の模様を、ライターの杉原環樹がレポートします。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:小山冴子/撮影:小野悠介*1-4、16枚目)

時間が近づき、人が集まってきたくると。

地域の政策課題に応答するアートプロジェクトの役割

あいにくの雨模様となったこの日。イベント開始時刻の18時半が近づくと、集落のほぼ中心部にあるくるとには、島の人たち20数名や関係者が続々と集まってきました。

このくるとは、空き家として長年放置されていた元中華料理屋の建物を、プロジェクトのメンバーや岩沢兄弟が長い時間をかけて改装したスペースです。普段は学校帰りのこどもたちの格好の遊び場になっているほか、スタッフの趣味であるウクレレやおどりをみんなで楽しむ「部活動」や、島外からのアーティストを招いてプログラムを行う場となってきました。空間には7年にわたるコミュニティ活動の痕跡が残り、親密な雰囲気を作り出していました。

イベントが始まると、まず、HAPPY TURNを運営するシマクラス神津島の飯島知代さんが挨拶。飯島さんはプロジェクトの開始と同時期に島にやってきた移住者で、島出身でUターン経験者の中村圭さんと二人三脚で事業を率いてきました。今回のイベントの背景には、関係者とプロジェクトのこれまでを振り返るとともに、その活動を島の人たちにより深く知ってほしいという飯島さんたちの思いがあるようです。

今回の企画意図について語るHAPPY TURN/神津島事務局の飯島さん。

もともとこのHAPPY TURNという取り組みは、アーツカウンシル東京が2009年から展開している事業、東京アートポイント計画のひとつとして始まったものです。東京アートポイント計画では、文化やアートが持つ「“当たり前”を問い直す力」や「異なるもの同士をつなげる力」に着目し、それらを通して地域のなかに、個人がより豊かに生きていくための関係性やコミュニティ、創造的な居場所を形成することを目指してきました。15年間の活動のなかで、これまでに都内各地で45のプロジェクトを実施してきました。

この日、東京アートポイント計画の説明を行ったアーツカウンシル東京の大内伸輔は、この事業のポイントを4つ紹介しました。

1つ目は、助成ではなく「共催事業」であること。2つ目は、単発のイベントではなく長期の「プロジェクト」であること。3つ目は、拠点だけではなく「チーム」を育成すること。そして4つ目は、地域や分野を超えて知見を共有する「ネットワーク」を作ること、です。

東京アートポイント計画の仕組みを説明するアーツカウンシル東京の大内伸輔。

つまり、東京アートポイント計画では「お金を出して終わり」ではなく、東京都やアーツカウンシル東京が地域のNPO(神津島ではシマクラス神津島)と一緒に事業をじっくり運営することを通して、地域における活動に必要なチームやノウハウを育んでいくことをその大きな目的としています。HAPPY TURNもこうした理念のもとで運営されており、なかでも大内は、くるとに少しずつ協力者が集まり、運営スタッフとなっていったことを挙げ、「HAPPY TURNにおける事例は、東京のほかの地域で活動する団体の参考にもなっている」と話しました。

東京アートポイント計画のポイントとしては、さらに、その取り組みが地域の政策課題への応答となる点や、多様な関係先との連携を通じてより幅広い活動へと展開し得る点も挙げられます。例えば前者に関しては、実際にくるとは空き家を活用したスペースであり、後述するように、移住者や離島者と島をつなぐ重要な接点となり、島のこどもが多様な文化に触れられる拠点となっています。この点において、その活動自体が地域の課題への応答と言えます。そしてこうした現実的な可能性から、近年では足立区や府中市などで、東京アートポイント計画で育ったNPOが基礎自治体や地元企業と連携する例も生まれているのです。

HAPPY TURNが運営する島の拠点「くると」。日常的にさまざまな人が集まっている。

NPOの活動の成果には、そうした自治体などとの連携や資金の獲得のほかにも、その事業の価値を多くの人に伝えられるようにする「言葉の獲得」も含まれます。大内は最後に、「これまでの活動を通してHAPPAY TURNでは多くの言葉が育まれてきた」とし、まさにその成果と言える今回のイベントで、その活動内容をぜひ知ってほしいと語りました。

みんなが集まる「くると」という拠点は、いかに生まれたのか?

では、HAPPY TURNの歩みとはどのようなものだったのでしょうか? 次に、飯島さんがマイクを握り、6年間のその活動を紹介しました。

HAPPY TURNは、2011〜2013年に三宅島で展開された「三宅島大学」、2014〜2016年に大島で展開された「三原色〔ミハライロ〕」に続く、伊豆諸島を舞台とした3つ目のプロジェクトとして、2018年にスタートしました。その活動は、島中を歩いて現在使用している元中華料理店の建物を見つけ、各地のオフィスや公共施設、地域芸術祭などで空間デザインを手掛けてきた岩沢兄弟と一緒に改装するという、拠点づくりから始まりました。

そのとき、ユニークだったことが2つあります。1つ目は、建物の改装にあたり、島の人たちに協力を仰いで「大掃除大会」を開催したこと。本当に人手が必要だったという事情もありますが、このプロセスは、飯島さんら島外の人と島民が時間をかけて関係を育む機会となりました。掃除大会は計19回も開催され、協力してくれる大工さんも現れました。

2018年、改装前のくると。
大掃除大会の告知のほか、スタッフが掃除をしている間は常に手伝いに参加できるよう、張り紙などで呼びかけていた。

もう1つは、飯島さんたちが拠点づくりをするあいだ、くるとという場所の用途をあえて明確にしなかったこと。「この場所が何になるのか、カフェなのか宿なのか、私も中村も何になるのかがわからなかった。島民の方に『何になるの?』と聞かれても、あえて目的を決めないということをやり続けた」と飯島さん。こうした曖昧な答えをするうち、「何ができるかわからないのに手伝うわけがないと、島民の気持ちが離れてしまう時期もあった」と話します。

たしかに「カフェ」や「宿」と言えば、その場所に来る人の目的は明確になります。しかし同時に、そうして用途を限定することで、用がない人はその場所と無縁になってしまいます。そうしたなか、くるとの用途を曖昧にするという選択は、翻って、ただ時間を過ごしたり、人と話したりする場所を探していた人にとって、関わりの余白となったようです。「この頃からこどもたちが秘密基地みたいだと遊びに来てくれるようになったり、夫の転勤で島にやってきた女性たちが手伝ってくれたりするようになった」と飯島さんは振り返ります。

2019年には、庭に集まるこどもたちが段差から飛び出してしまわないようにと、岩沢兄弟と相談しながら、再びお手伝いを呼びかけ、島の人や、島に来た学生ボランティアと庭の周囲に何ヶ月もかけて竹垣を制作。島民と芝生の種を蒔き、庭を手入れしていきました。さらに2020年の年初には、大人もこどもも赤ちゃんも楽しめる音楽をコンセプトにしたバンド「COINN (コイン)」を招き、「新春!くると音楽会」を開催。会場には多くの親子が集まりました。飯島さんは「これまで片付けしかしてこなかったスペースが使われて嬉しかった」と当時の思いを語りました。

ほぼ改装が終わった状態のくると。
芝生が生え、整ったくるとの庭。
2020年「新春!くると音楽会」。COINNを招いた会場に多くの人が集まった。

しかし2020年春からは、コロナ禍が本格化し、人の集まりや移動が制限されるように。HAPPY TURNではこの事態を受け、かつて島に暮らし、いまは島を離れて暮らす人と、島の人を映像でつなぐ「やーい!~島をつなぐビデオレター~」シリーズを制作。距離を超えた人の関係や、離れた土地にいる人の島への思いをかたちにしました。ちなみにこの映像の上映会が行われたのは、前年から片付けを進めていたくるとの目の前にある旧万作商店の空き家ですが、同年10月にはこの場所に「MANABU」という自習室をオープン。学校の勉強だけでなく、何かを学びたい人なら誰でも使える場所として開放しました。

そして同じ10月には、「島の庭びらきプロジェクト」も開始します。これは、もともとブロック塀に囲まれた殺風景な砂地だったくるとの庭をみんなで整えた経験を踏まえ、島内にあるほかの空き家の庭も参加者と一緒に整えて庭びらきをしようというもの。「コロナ禍で屋内でのイベントができないことを逆手にとって、ただみんなで草刈りをしようという企画でしたが、それは空き家の大家さんを見つけたり、つながるためのチャレンジでもありました」と飯島さん。企画は第3弾まで開催され、親子から中学生まで多くの人が参加しました。

2020年「島の庭びらきプロジェクト」。

島の伝統から現代アートまで。多様な文化に触れられる場所

2021年は、HAPPY TURNの活動に変化が起きた年でもあります。まず、それまでもくるとに訪れていた人たちが「拠点スタッフ」として週替わりで来てくれるように。その多くは家族で移住してきた女性たちで、こどものいる人もいたことから、島のお母さんや学校の先生など、これまでとは違うコミュニティの人たちがくるとに来てくれるようになりました。

またこの頃には、花正月や二十五日様といった神津島独特の風習にちなみ、後者で使う「いぼじり」という飾りの作り方を地元のお年寄りに学ぶなど、島の文化への理解を深めるプログラムも実施しました。

さらに、これまで拠点づくりや島での関係づくりをメインに活動していたHAPPY TURNですが、2021年からは本格的に島外のアーティストを招いて行うアーティスト・プログラムも開始します。一人目では、アーティストの大西健太郎さんが、島に流れ着いた漂流物や地元の植物を用いて、島民と一緒に独自の盆栽を制作。それを手に集落を歩く「くると盆栽流し」も行いました。また、二人目では、染色技術を用いた表現を行うアーティストの山本愛子さんが、島中を巡って集めた素材を使った染色ワークショップを開催。こうした表現者たちとの関わりは、見慣れた島の風景を普段とは異なる視点で見せてくれました。

2021年「アーティスト・プログラム in 神津島/大西健太郎 くると盆栽流し」。撮影:岡 桃子
2021年「アーティスト・プログラム in 神津島/山本愛子 景色から染まる色」。撮影:五十嵐智行

2022年と2023年の冬には、それぞれ、音楽ユニット「テニスコーツ」と「馬喰町バンド」の武徹太郎さんを招き、「くると冬まつり」というオリジナルのお祭りを開催。また、アーティスト集団「オル太」を招き、島の歴史や風土に基づく展示やパフォーマンスも行いました。飯島さんが「ゴリゴリの現代アート」と呼ぶ、こうした注目の表現者による活動は、島での暮らしに新鮮な風を吹き込みました。飯島さんはこれらの開催を通じ、「運営側も先鋭的なアートに慣れていった」と振り返ります。

2022年「アーティスト・プログラム in 神津島/テニスコーツ くると冬まつり」。撮影:小野悠介
2023年「アーティスト・プログラム in 神津島」オル太による「漂白と遍歴」。撮影:縣 健司

活動の振り返りの最後に飯島さんは、普段から付けているという日報を参考に、くるとに日頃来る人たちを紹介しました。それは例えば、保育園〜小4までの子ども(その多くが駐在員や教員の子)、1〜3歳の子どもとお母さん、保育園のお迎え帰りの親子、スタッフと同年代の移住者、島のおじさんやおばさん、観光客、高校生、学校の先生と生徒、2023年から始めた部活動の参加者、さまざまな用事で中村さんを頼りにくる人たちなどです。

こうして見ても、じつに多様な人たちがくるとに集まっていることがわかります。しかしその場所はもともと何もない、何の目的で作られたのかも曖昧な場所でした。これについて飯島さんは参加者に、「何でもない場所だったくるとに、なんで、こんなに多くの人が来るのか? ここで何が起きていたのでしょうか?」と問いを投げました。

レポート後編へ>

Artpoint Reports 2023→2024

『Artpoint Reports 2023→2024』は、一年を振り返りながら、ちょっと先の未来について語るレポートです。今年度注目のニュースや各事業の紹介のほか、「拠点」「事務仕事」「文化の役割」などをテーマに、ディレクターとプログラムオフィサーがこの一年を振り返りながら語りました。

トレンド的なものではなく、小さいけれど普遍的でなくてはならない、そうした丁寧な仕事をすること。それがいま、文化事業者に求められていることだと思います。

(小さな単位に働きかける仕事 P.23)
目次

About

  • 東京アートポイント計画とは
  • メンバー紹介

News 2023の取り組み

Voices 2023→2024について語る

  • 日常を耕し、文化を育む種まき
  • 「いる」ことから越境が生まれる
  • つなぎ手になって卒業する
  • 現場の足腰をつくる事務
  • 小さな単位に働きかける仕事

Annual costs 事業予算

Projects 事業一覧

Information お知らせ

ちいさな拠点のひらきかたを考える―藝とスタジオの歩み―

それまで当たり前だと思っていた考えを解きほぐす「対話」を生み出し、地域の文化資源の活用から「学びの場」 を創出する『ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまち―(通称ファンファン)』。

本書は、墨田区東向島の住宅街にたたずむ元工場を改装し、ファンファンの活動拠点「藝とスタジオ」をオープンするなかで、より多くの人に対してどのようにひらくことができるのかを考え、実践した取り組みを紹介する冊子です。

さまざまな条件のなかで、日常生活の近くにある小さなスペースをひらくためには、いったいどのようなことに気を付ける必要があるのか?「藝とスタジオ」での活動記録をZINEとしてまとめています。

物理的なデザインだけでなく、コミュニケーションを工夫することや、伝えあうことをより意識することも「藝とスタジオ」をひらく方法になると気付かされました。

(p.8)

目次
  1. はじめに
  2. 【公開ミーティング】「『藝とスタジオのアクセシビリティを考える』を始める」
  3. プログラムをきっかけとした実践①
  4. 【公開ミーティング】「藝とスタジオのアクセシビリティを考える『言語を超え他者と出会う』」
  5. プログラムをきっかけとした実践②
  6. おわりに

今年度で卒業する3団体の「はじまりの目標と現在地」、その門出から学ぶ

東京アートポイント計画に参加する複数のアートプロジェクトの事務局が集い、アートプロジェクトにまつわる課題や疑問についてともに学び、知見を共有する勉強会「ジムジム会(事務局による事務局のためのジムのような勉強会)」。令和5年度の最終回となる今回は、卒業する3団体を中心とした振り返り座談会と相談会を実施しました。

2024年2月20日に開催された第3回のテーマは、年度の最終回にふさわしく「はじまりの目標と現在地」。今年度の東京アートポイント計画の共催事業は8つ。そのうち共催6年目になる3つが卒業を控え、今後を見据えた準備を進めています。

会場の中、15人ほどが椅子に座って話を聞いてる。
総勢25名が府中市の市民活動センタープラッツに集まりました。

6年という月日のなかで、アートプロジェクトを実施する事務局にどのような変化があったのか。そして活動する地域や関わる人々へどのような影響を及ぼしたのか。卒業直前、みなさんの輝かしい顔つきが印象的な当日の模様をお届けします。

「活動拠点」を主軸にネットワーキングが加速、連携企画も続々と

まずは、プロジェクトの伴走者であるアーツカウンシル東京のプログラムオフィサー(以下、PO)の大内さんが、東京アートポイント計画の今年度の事業の拡がりや活動の成果を総括して話しました。

今年度は、新たに3つのアートプロジェクトで拠点がオープン。カロクリサイクルの「Studio 04」、めとてラボの「5005(ごーまるまるごー)」、ACKTの「さえき洋品・(てん)」が、それぞれの場所を立ち上げ、ひらきかたを模索しています。それに合わせて、今年度のジムジム会でも「活動拠点」をテーマに取り上げ、映像プログラム「Knock!! 拠点を訪ねて-芸術文化の場をひらくひと-」を制作しました。また、団体同士の連携企画や交流もさらに増え、団体同士が協働してワークショップを企画したり、ヒアリングの共有会を実施するなど、運営課題を共有する横断的な取り組みも加速しています。

さらに、自治体の担当者や首長との継続的な関係構築に取り組めている団体もあり、これからの展開に繋げていけたらと振り返りました。

はじまりの目標と現在地、そしてこれからを語り合う座談会

続いて、卒業団体による座談会へ。今年度で卒業する「HAPPY TURN/神津島(以下、HAPPY TURN)」「ファンタジア!ファンタジア! ー生き方がかたちになったまちー(以下、ファンファン)」「Artist Collective Fuchu[ACF](以下、ACF)」の3団体は、2017年より共催事業をはじめて6年目になる、いわば“同級生”です。

会場の壁に投影されたスライドを囲むように参加者が数十名が座っている。スライド横の上手には、登壇者5名と手話通訳者。下手には司会者が座っている。
ファンファンからは青木さん、磯野さん。ACFからは新井さん、宮川さん。HAPPY TURNから角村さん、オンラインで中村さん、飯島さんが参加しました。

それぞれ東京アートポイント計画で共催事業を始めた初年度は、どんな目標を掲げていたのでしょうか。

  • HAPPY TURN/神津島
    本事業は伊豆諸島のひとつ神津島において、島と関わる人々へのシビックプライドを醸成することを目指す。
  • Artist Collective Fuchu[ACF]
    府中市を中心としたアートに関わる人々の緩やかなネットワーク作りを通し「アーティストにとって住みよいまち」、ひいては「誰もが表現できるまち」作りを目的とする。

神津島、墨田区、府中市と、異なる地域を舞台に活動する3事業ですが、共通する成果として、自分たちの事業の強みを知り、ブランディングへつなげられるようになったことが挙げられます。また、共催期間中の取り組みを通じて事務局機能を強化し、事業運営資金を獲得するための術を身に着け、行政や企業との協業の機会を得るなどパートナーシップを強めることもできました。

それぞれにとっての6年間は、どのようなものだったのか。何を考え、どのような変化を感じていたのか。これまでの活動や今後の展望に関するお題のなかからランダムで、サイコロを振りつつ語り合いました。

■ 持続性(活動資金)について

サイコロを手に笑う女性が中心に立っている。

最初のテーマは「持続性(活動資金)」について。活動とは切っても切り離せないお金。そこから3団体それぞれの未来に向けたスタンスが垣間見えてきます。

「今年がラストイヤーだとわかった頃は少し戸惑いもありましたが、卒業を間近に控えたいま、そこまでネガティブには捉えていません」と切り出してくれたのは、ACFの新井さん。共催期間中にさまざまな企画を運営するなかで、メンバーで徹底的に対話を重ね、「チームビルディング」に注力してきたACF。大人数のチームではありますが、チーム内での共通言語やビジョンが成熟したことで、予算分配を含めたプロジェクトの進め方についても、しっかり話し合えるチームに成長しました。「卒業するからこそ、自分たちがやりたいことは何なのかを改めてチームで話し合う良い機会となりました。POに伴走してもらいながら、人材面と事業面の基礎をしっかり固めることができたからこそ、今があります」と語りました。

一方で「資金面については、プロジェクトが始まった段階から、卒業を見越して考えておくべきだったと痛感しています。ぜひ来年度も継続するプロジェクト事務局の皆さんも、今のうちから未来のことを見据えておいてほしい!」と話すのは、HAPPY TURNの飯島さん。HAPPY TURNでは、卒業後もアーティストプログラムを継続するために、この1年を通して他の助成金への応募をPOとともに“訓練”し、実際に2つの助成金の採択を受けることができました。また、活動資金を得る手段を増やそうと、拠点をフリースペースとして貸し出す準備や、ゲストハウス運営や飲食店の活動を始め、活動の枝葉を広げる準備をしています。

「HAPPY TURNと同じく、シビアで現実的な問題ですよね。でもポジティブに感じている部分もあるんです」と、ファンファンの青木さん。今年度はファンファンの活動参加者から、仕事の依頼が来るなど、ファンファンを入口にした新たな関わりも生まれているそう。また、これまでは無償にしていたプログラムの参加費について、幾らが適正額だと思うかというアンケートを参加者にとってみたところ「自分たちでも驚くような金額が書かれていた」とプログラムの価値について再確認。今後は学びという軸をそのままに、新たな事業として取り組んでいく予定です。

■ 活動拠点の立ち上げや運営について

サイコロを転がそうと両手で宙に放つ女性1名と、それを暖かく見守る登壇者4名。

続いてサイコロが出したトークテーマは、今年度のジムジム会のメインテーマにもなった「活動拠点の立ち上げや運営」です。

活動初期は大きな拠点を持ちたいと考えていたものの、拠点を持つことの難しさに繰り返し直面してきたACF。宮川さんは「現在は管理・コスト面を総合的に勘案して、拠点は極力持たない方向性でいます。府中市内の拠点を転々と巡っていくなかで生まれるつながりが次の展開のヒントになることも」と、拠点を持たない動き方自体にもACFらしさがあると前置きしながら、府中市場の空きスペースを無償で借り受けた拠点「やど(仮)」についても、並行して盛り立てていけたらと現状の認識を共有しました。

対して、墨田区の複数の場所で活動を続けた後、東向島の町工場だった建物を、1階をスタジオ、2階をシェアオフィスとしてDIYをして2021年に「藝とスタジオ」を開いたファンファン。現在は定例開催のオープンスタジオなど、拠点としてのルーティンがすっかり定着し、整いつつあります。

活動拠点に意識的だった二者。一方で、HAPPY TURNは当初、そこまで拠点を持つことを視野には入れていませんでした。中村さん曰く、アートプロジェクトとして「目的を持たない居場所」をチームで作るうえで、最初は正直戸惑いもあったそう。しかし、拠点「くると」をひらき、「とりあえず開けてみよう!で気づくことや、あとから響いてくることがありました」と振り返りました。角村さんは「神津島は土地柄が独特で、なにげなく会ってお喋りする場所がない。くるとができて新しい居場所が生まれたことは、島で暮らす人々にとっても“大事件レベルの第一歩”だったんだと思います」とコメント。

くるとを訪れたことがあるACFの宮川さんは、「観光シーズンではないときに行ったこともあって、島を散策していると、住民の皆さんから不思議がられることも多くて。くるとは島民も島外の人も誰でもふらりと立ち寄れるような居場所だから、ここなら島に住んでいる人たちとも、自然と関われると思いました」と応えました。

■ あなたにとってアートプロジェクトとは

座談会も折り返しの後半戦へ。サイコロの目に導かれながら「あなたにとってアートプロジェクトとは」というテーマに入っていきます。

HAPPY TURNの中村さんは、プロジェクトを始めてから、アートや表現と自分との距離がぐっと縮まったことで「興味がないと思っていても、触れることでピタッと心地よくなる表現や作品がある。それを誰かに届けようと振りまいていくのがアートプロジェクトなのでは」と話しました。アートに触れたことで、自らの感覚だけでは判断できない、他者が大切にしていること、その想像力に至るきっかけになったそうです。また、飯島さんも神津島で生活するなかで、アートプロジェクトはなくてはならない「生きやすくあるための手段」になっていたと語りました。

続いて、ファンファンの磯野さんが挙げたのは、プロジェクトに参加しはじめたときの印象的なエピソード。ワークショップの企画中「ファンファンぽくなるといいよね」と言葉をかけられて、当初は「?」だったという磯野さん。プロジェクトのなかに役割を持って入り、企画を運営したり、プロジェクトに関わる人たちと言葉を重ねたりするなかで徐々にチューニングがあっていき「ファンファンぽい」のニュアンスが言語化できるように。その「体得」の感覚こそが、自分がアートプロジェクトで得たものだと述べました。

ACFの新井さんは、ACFとしてのアートプロジェクトを「協創」と表現。アーティストとして表現活動をしながら関わっているメンバーも多いACFですが、プロジェクトに参画して、市民を巻き込みながら、自分ができることややりたいことを周囲と折り合わせていくアートプロジェクトは、ほかの表現活動と比べると「地域コミュニティ」的な側面が強いかもしれません。アーティスト気質な人だけでなく、アートに少し遠くても、事務局長・広報・会計として適任な人材を巻き込んでいくことがとても重要です。「6年前にPOから言われてよくわからなかったアドバイスが、6年経った今なら嫌というほどよくわかります」と、仲間を見つけていくことの大切さを強調しました。

■ 未来への展望

登壇者3名が写っている。中央の女性が両手を胸あたりまで上げて真剣な表情で話している。

最後のお題は「未来への展望」。3つのアートプロジェクトが東京アートポイント計画を卒業後、どんな姿を想像しているのか、展望を語り合いました。

ACFはこの6年間で事業面と人材面をしっかり耕すことができたと新井さん。「共催事業終了後、活動資金の額は変動しますが、それはあくまで次のステージに行くうえで必要なこと。協賛企業や自治体との協力、助成金など、資金面の手立てはいくらでもあります。困ったときはPOや他のプロジェクト事務局に『遊びに来ませんか?』と声をかけたりできるような関係性を残したまま、次に進みたいです」。来年度は、東京アートポイント計画で培った力を存分に発揮して、かねてより温めていた芸術祭を秋頃に開催すべく動いていると意気込みを語りました。

事業後半、墨田区の福祉施設や関係者と協働することが増えたファンファンは、プロジェクトをきっかけに、法人が墨田区の福祉関係のイベントにも呼ばれることが続きました。アートと福祉分野の親和性について体感しながら、同時に現代社会での二者の乖離を強く感じたといいます。青木さんはこれからもファンファンをはじめとする活動をつうじて「アートと福祉の団体が当たり前に協働し、ひとところで活動している風景を、5年後・10年後に一緒に創りたい」と画策しています。

HAPPY TURNの飯島さんは「共催事業中にアーティストプログラムを実施することで島に何が起こるのかを体感しました。今後も神津島がその定番の地として根付いていけたらいいなと思っています」。中村さんは「くるとの利用者の層をさらに多様で厚くするためにも営業時間を伸ばせるようにしたい」と宣言。角村さんがそれに応じて「島に住んでいるとみんな顔を知っている人ばかり。そうした場所で育った子どもたちが、くるとでさまざまな人と出会うことで、いつか島を巣立ったとき、島外の社会で通用する“戸惑わない力”を身につけてもらえれば」とコメント。アートプロジェクトやひらかれた活動拠点があることで、10年後の神津島が少しでも豊かになっているように、と切実な展望を語りました。

「これどうしてる?」を聞きあうお悩み相談会も

約25名の参加者が3つのグループに分かれている。ひとグループにつき5から6名ほど。円になって相談会をひらいている。

座談会のあとは、卒業する3団体をそれぞれに3ブースで囲む形式で、相談会を実施しました。ACFのもとを訪れたACKT(アクト/アートセンタークニタチ)は、国立市と協働するプロジェクト。自治体との連携経験も豊富なACFから、具体的な連携方法や評価を受ける場合の評価軸について相談しました。

ファンファンのもとを訪れた、めとてラボ。以前よりアクセシビリティに関して話し合う機会の多い二者ですが、今回はめとてラボの拠点「5005」を、よりひらかれた場にするために、藝とスタジオのケースから学ぼうと、運用方法や工夫していることなどについて聞きました。

また、HAPPY TURNのもとをACKTのメンバーが訪れ、飯島さんがプロジェクトスタッフになった経緯や、神津島事情、そして島という環境で生きていくために必要なアートプロジェクトの切実さについて語り合いました。

血の通った言葉をひらき、次へ備える

3団体のこれまでとこれからに学び、今回もたくさんの交流が生まれた2023年度の第3回ジムジム会。もしかすると、座談会の冒頭で紹介された「初年度の目標」は、まだ実感の伴わない、方向性を見出すために立てられた言葉だったかもしれません。そこにそれぞれが6年間の経験や体験でもって徐々に息を吹き込んでいくことで、結果的に血が通い、重みのある言葉になっていったのではないのでしょうか。それをアートプロジェクト事務局とPOだけで完結させるのではなく、ほかの事務局にもひらいていくことができた、有意義なジムジム会となりました。

東京アートポイント計画を経て、さまざまな力や言葉を培った3団体。その活動の便りが東京のあちこちから聞こえてくるのが今からとても楽しみです。これからも、共催団体同士で悩みを持ち寄り、語らい、学びを深める時間はまだまだ続きます。

相談会のひとグループの様子。円になっている参加者の中央にパソコンが一台置かれている。それをのぞき込みながら笑顔の参加者が写っている。
相談会の様子。笑顔で話す女性の姿が写っている。

撮影:小野悠介

つくることを考えてみよう 森とであう

『多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting』の「ざいしらべ 図工 ― 技術と素材について考える」の一環として、多摩地域の小学校図工専科の先生や子どもたちと実施した活動をもとに、身近な素材を知り、加工や造形に親しむ方法を紹介するものです。

多摩地域に広がる広葉樹の森をテーマに、2023年の夏から秋にかけて昭島市立光華小学校で実施した広葉樹の丸太を用いた授業の様子や、広葉樹と暮らしのかかわりの解説、森と人の暮らしについての論考などを収録しています。

広葉樹やその森を知ることは、単なる知識や技術の問題にとどまらず、その背後にある長い歴史と、人と森の深い関係を知ることでもあります。

(p.1)

目次
  • 森に腰掛けてみる
    • 広葉樹とであう
    • 重たいもの、硬いもの、複雑な質感とであう
    • 切ってみる
    • 彫ってみる
    • 削ってみる
    • 繋いでみる
    • 据えてみる
    • 描いてみる
  • 森とつながる
    • 森と暮らし
    • 広葉樹と暮らし(桐、栗、欅、樫、栃、漆、楠、樹皮・繊維を使う広葉樹)
  • まだ森を知らない 清和研二(東北大学名誉教授)
  • 森と子ども

Tokyo Art Research Lab ウェブサイト コンセプトブック つかい方と、つくり方

このコンセプトブックでは、TARLウェブサイトのさまざまなコンテンツを多くの方に活用していただくために、そのつかい方や楽しみ方、さらにはウェブサイトの制作・運用にまつわるコラムを紹介しています。

冊子は2か所で中綴じ製本を行い、左側からはウェブサイトの「つかい方」について横書きで読むことができ、右側からはウェブサイトの「つくり方」を振り返った担当者によるコラムを読むことができます。

自分の経験だけで決めるのではない。さまざまな専門性と出会いながらつくることによって、制作プロセスそのものが「事業の輪郭」を確かめる道のりへと変わる。

(ウェブサイトの「スタート地点」に立つ)
目次

つかい方

  • ABOUT
  • HOW TO USE
    • 01 「 プロジェクト」
    • 02「 資料室」
    • 03「 ひとびと」
  • HOW TO ENJOY
    • 01 「 キーワード」から探す
    • 02「 レポート」を読む
    • 03「 実践」を辿る

つくり方

  • ウェブサイトの「スタート地点」に立つ
  • 届けたい「みんな」とは誰なのか
  • 公開後も「未来」について考え続ける
  • おわりに

アーティスト・プログラム in 神津島/武徹太郎(馬喰町バンド)くると冬まつり2023〜神津島物語〜 記録映像

『HAPPY TURN/神津島』は、さまざまな立場から島に関わる人とつながり、それぞれの暮らしや考え方を学び合うことで「幸せなターン」のかたちを探るプロジェクトです。

本映像は、2023年に『HAPPY TURN/神津島』による「アーティスト・プログラム」の一貫として、ゲストに武徹太郎さん(馬喰町バンド)を迎えて開催した手作りのおまつり「くると冬まつり2023〜神津島物語〜」の準備から本番までの記録です。