「ろう者の感覚を知る、手話を体験する」レポート前編

身体をつかい手話やろう文化に触れるワークショップ「ろう者の感覚を知る、手話を体験する 2023」が、アーツカウンシル東京で実施された。同ワークショップは、10月開催のコースと11月開催の2コースがあり、それぞれ全3回を1セットとして実施された。各回ごとのテーマは「目で見て伝え合う。身体表現ワークショップ」(第1回)、「聞こえの体験とワークショップ」(第2回)、「ろう者とのコミュニケーション」(第3回)。また、第2回、第3回には、ろう者のゲスト講師を招くなど、さまざまなろう者との対話の場も設けられた。

本レポートの前編では、筆者がワークショップに参加して知った「ろう者の視点や感覚」、「ろう者とのコミュニケーションにおいて大切なこと」などの気づきを、第1回、第2回のワークの体験を振り返りながら紹介する。

「目で見て伝え合う」コミュニケーションとは

2020年度からスタートしたこのシリーズは、今回で4年目を迎える。この講座の特徴は、手話の言語学習というよりは、手話を体験することに焦点を合わせているところだ。

第1回のはじめに、講師の河合祐三子さんから参加者に対して以下のようなお話があった。

河合「聴者は、話や合図を耳で聞き取りますよね。私たちはそれができません。ろう者はアイコンタクト、つまり目で聞いているんです。これから参加者のみなさんには『目で見て伝え合う』ことを体験していただきます。緊張せず、一緒にやっていきましょう!」

ろう者の感覚について説明する講師の河合祐三子さん

参加者は各回10名程度。なかには、河合さんと手話で会話している人もいたりと、すでに手話を学んでいる人もいるようだ。筆者は手話の知識がなく、手話を体験するのも実は今回がはじめて。「目で聞く」とはどういう感覚なのだろうか、ちゃんとワークに付いていけるだろうか…と、少し不安になった。しかし、ワークが進むにつれて、だんだんとその気持ちは変化していくことになる。

「目を合わせて」まずはやってみよう

ウォーミングアップとして、参加者の名前を手話ではどう表すのかを教わる。

河合「漢字は、字の形をそのまま表現したり、漢字の意味を形で表現するものが多いです。英語圏では名前をアルファベットの指文字で表すので、このように形のイメージを表現して伝えるのは日本手話の独自の方法ですね」

たとえば、手指で漢字の形を表す「田」(両手の人差し指、中指、薬指の3本を交差するように重ねる)や「川」(人差し指と中指、薬指を立てて上から下にスライドさせる)、動作のイメージから想起させる「本」(両手の平を胸の前であわせ、両手を揃えたまま本を開くように手の平を開く)、山の形を手指でなぞる「山」(胸の前で山の稜線を描くように手を動かす)のように、漢字の表し方にもさまざまなものがある。

身近な漢字が、その形や動作のイメージを手や指、身体の動きによって視覚的に表現できることを知り、手話という言語の「目で見ること」の意味を少し掴めたような気がした。

参加者の名前をみんなで手話で表してみる

ウォーミングアップの後は、手話をつかうことがあえて禁止になった。ここからは、いよいよ表情や身体の動きをメインにしたコミュニケーションに挑戦する。参加者は円になり、まずは身体をつかって「こんにちは」と全員と挨拶を交わしていく。次に、参加者がそれぞれ自由に考えたポーズを隣の人に伝達していくワークを行った。

最初はぎこちなさもあったが、何度もコミュニケーションすることでだんだんと身体もほぐれ、参加者からは、次第に照れも交えた笑顔が見られるようになった。

相手の目を見て「こんにちは」と挨拶する様子
各自が考えたポーズを隣の人に伝達していく

河合「伝えるときは、ちゃんと相手の目を見ましょう。急ぐことはありません。目を合わせて、これからはじめますね、という合図を相手に送ることが大切です。そして伝えたポーズが正しく伝わっていれば頷く、間違っていたら首を振って反応を示す。そこまでがこのワークです」

実際に体験してみて気づいたのは、自分自身の表情の変化だった。最初はワークが楽しく自然と笑顔になっていたのだが、いざ、相手に伝わっているかどうかを意識しはじめると、そこに集中して表情が固くなったり、目を伏せてしまったりと、思ったように表現できないのだ。頭ではわかっていても、身体や顔の表情をつかって表現することは、実はなかなか難しい。こうしたコミュニケーションを自然にできるようになるには、繰り返し練習が必要だ。

視覚で瞬時に判断するろう者の感覚に触れる

続いては円になって座り、手の平サイズのボールをリズムよく隣の人に手渡していく。これは簡単そうだと油断していたら、途中からボールが追加され、逆方向へと回りはじめた。すぐにもう1つ、さらにもう1つ。どんどんカラフルなボールが増えていき、どこに何のボールがあるのかわからなくなっていく。

すると「ピンク色のボールは止めないでくださいね」と河合さん。でも、もうどこに何色のボールがあるかわからない。目で追うことに必死で、気づけばいつの間にか自分の手元にボールが溜まっている。ほかの参加者も笑いながら、あたふたと戸惑っている様子だ。

このワークは、ろう者が、視覚から情報を得て瞬時に判断していることを体感してほしいと考えられたものだった。

河合「大切なのは状況を把握するために、視野を広げることです。ろう者は見たものを瞬時に判断して対応しています。誰がボールを持っているかという情報も、身体の動きをつかってわかりやすく表現する。このように身体をつかって示すことが、ろう者とのコミュニケーションでは必要です」

表情や身体のつかい方、そして視野の広がり。自分の身体を通して、いままで知らなかったろう者の感覚と出会っていく、そんな実感を覚えるワークが続く。

河合「これからイラストをお見せします。みなさんはそれを同時に表現してください。事前に二人で相談してはだめですよ」

最初のお題は「木」。周りの様子を伺いたい気持ちを抑えながら両手を上に伸ばしたポーズをすると、どうやら多くの人が似たポーズをしている様子。続くお題の「ハート」では、頭の上に両手をかかげて自らがハートになる人、胸の前に小さいハートを両手でつくる人など、表現のバリエーションが見られるようになった。

「傘」のお題では傘を差す人と自らが傘になる人にわかれた

「今度は、ペアで異なる動きをしてみてください」と河合さん。次のお題は「王様と家来」だ。二人のうちどちらが王様でどちらが家来になるかは、お互いの動作を合図に瞬時に決めなければならない。

王様と家来のポーズをとる参加者

「それでは、3、2、1、はい!」の河合さんの合図とともに、一斉に表現。ペア同士、お互いの姿を瞬時に目で探り、家来役で膝をつく人、腕を組んだり、腰に手を当て王様のポーズを表す人というように役をわけて表現していた。

相手の目や動きをよく見て、互いに反応を示し確認し合うこと。第1回のさまざまなワークに共通していたのは、ろう者とのコミュニケーションにおける大切な視点だった。そしてそれらは、身体性や感覚の異なる他者と出会ったときにも通じる、コミュニケーションの姿勢そのものだ。

ろう者の感覚を知り理解を深めることで、あらためて聴者の感覚についても自覚的になっていた。たとえば、聴者が状況を把握するときは、その環境音や周りの人々のしゃべり声などから、無意識に情報を得て状況を判断しているのだ。

「聞こえない世界」を体験する

第2回はゲスト回として、手話をベースにした「サインポエム」と呼ばれる詩の空間表現や、ろう者と音楽についての研究をしているSasa/Marie(ササ・マリー)さんを迎えてワークショップを行った。

マリーさんからは「『聞こえない』ってどういうこと?」という質問が投げかけられた。「静かなこと」「感じ方のひとつ」「自分の声を知らない」など、参加者からは「聞こえない」に対するイメージが次々にあがる。

ササ・マリーさん

マリー「みなさんに何が聞こえているのか、私には何が聞こえていないのかはお互いにわかりません。音は見えませんし、『聞こえない』ことを説明するのはとても難しいことです。それでは『聞こえない体験』をしてみましょう」

そう笑顔で説明するマリーさんからの次の問いかけは、「日本に『聞こえない人』はどのくらいいるでしょうか?」というもの。さっそく数人のチームで話し合おうとしたところに「チームの一人はこちらを着けてくださいね」とヘッドフォンが渡された。

マリー「このヘッドフォンからは難聴者の耳鳴りをイメージしたノイズが出ています。チームの一人はこのヘッドフォンをしたまま話し合いに参加してください。ペンや紙などの道具を用いて、誰も取り残さないように相談しましょう」

おそるおそるヘッドフォンをつけると、形容が難しいノイズが耳を覆い、周りの話し声や音が一切聞こえなくなった。筆者が「聞こえないですね」と声を発した途端に、チームメンバーから笑顔がこぼれる。なぜ笑っているのか最初はわからなかったが、ほかのメンバーがヘッドフォンをつけたときにその理由がわかった。

「わあ!聞こえない!」と発されたその声が、お腹に力を入れたような大きな声だったのだ。自分の声が聞こえないと声のボリュームがわからなくなってしまい、その調整が非常に難しいのだと身をもって感じた。

マリー「みなさんどうでしたか?私の場合は声を発することができますが、長い時間をかけて、自分の声がどこまで届くのかを、声を出すときの力加減を調整して体得しました。今回、ヘッドフォンから流した音はあくまでもたとえです。私は高音をほとんど聞き取ることはできませんが、飛行機の音や自動車のエンジン音などの低い音は感じ取ることができます。生まれつきではなく途中から失聴する人もいますし、ろう者だから常に無音の空間に暮らしているとは限りません」

河合「聴者のなかには、ろう者は『口の動きを読む読唇ができる』『補聴器をつけていれば聞こえる』『耳のそばで大声を出せば聞き取れる』と誤解している人もいます。もし緊急事態で、急いでろう者に何か伝えたいときには、ジェスチャーをつかってみましょう。ろう者は視覚でさまざまな情報を得ているので、焦っていることや慌てていることはきっと伝わります」

体験を終えた参加者からは「聞こえない状態になると取り残された気分になりますね」という感想があった。確かに河合さんとマリーさんは、ワークショップの間、よく参加者とアイコンタクトを交わし、話している内容が伝わっているかどうかを一つひとつ確認しながら進めていた。これは、参加者一人ひとりを取り残さずにやりとりをする、掛け声のような意図もあったのだ。

第2回のワークでは、聞こえる、聞こえないに対する根本的な問いからはじまり、自分自身のろう者や聴者に対するイメージを捉え直すきっかけになった。また「聞こえない体験」は、ろう者が聴者とコミュニケーションするときの身体的かつ心理的な感覚を具体的に想像する体験となった。

「誰も取り残さない」コミュニケーションは、簡単なものではない。だからこそ、その難しさに意識を向け、こうして繰り返し練習することが異なる感覚を持つ他者とのコミュニケーションにつながっていくのだろう。なかなか難しい。でもコミュニケーションは面白い。そう感じさせてくれたワークショップだった。

後編に続く

※実際のワークの流れと一部異なる順序で紹介している箇所があります。

【開催概要】
ろう者の感覚を知る、手話を体験する
講師:河合祐三子(俳優/手話・身体表現ワークショップ講師)
手話通訳:瀬戸口裕子(全回)、伊藤妙子(第2回)、石川ありす(10月第3回)、新田彩子(11月第3回)
企画・レポート編集:嘉原妙(アートマネージャー)
運営・レポート写真:齋藤彰英(写真家)
記録:柏木ゆか(ライター)
プログラムオフィサー:櫻井駿介小山冴子(アーツカウンシル東京)

○ZINE -エンジン- ACKT02

アートやデザインの視点を取り入れた拠点づくりやプログラムを通じて、国立市や多摩地域にある潜在的な社会課題にアプローチするプロジェクト『ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)』。このフリーペーパーは、まちに住む人に情報を発信、収集することで、これまでになかった縁がつながり、これからの活動のきっかけとなることを目指しています。

第2号のテーマは「エンカウント・ザ・ワールド!!」。ACKTでの活動紹介のほか、日本各地のさまざまな実践への取材・レポート紹介を通じて、日々のエンカウント(出逢い)について紐解いています。A2サイズの大きな紙面を3つ折りにし、A5サイズに仕上げました。

朝活から趣味、社会活動に至るまで、価値観や目的を共有するいい感じのことば、“コミュニティ”。でも少し食傷気味で、そのくせ実態があまりわかってこない。家族や会社に続くサード・プレイスとは言うけれど、やっぱり何かに所属してないといけないのかな?……そんなモヤモヤが今号の出発点だ。

目次
  • CAST VOL.03 金田涼子
  • LAND VOL.03 藝とスタジオ
  • たまたまブラブラ散歩 第2回 崖線とは?
  • 私たち国高新聞部
  • エンカウント・ザ・ワールド!! 特集

めとてラボ 2023 ―活動レポート―

「わたしを起点に、新たな関わりの回路と表現を生み出す」ことをコンセプトに、視覚言語(日本の手話)で話すろう者・難聴者・CODA(ろう者の親をもつ聴者)が主体となり活動するプロジェクト『めとてラボ』。

2023年度は、ホームビデオ鑑賞会の開催や、DeafSpaceに関するリサーチ、遊びを起点にしたラボラトリーの実施、つなぐラボでの環境設計や開発など、さまざまに活動を広げました。これら1年間のプロセスを時系列にまとめ、昨年度に発行した円形の冊子に束ねられるようにした活動レポートです。

目次
  • めとてラボとは
  • ホームビデオ鑑賞会
  • DeafSpace(デフスペース)リサーチ
  • 「遊び」を起点にしたラボラトリー
  • つなぐラボ
関連リンク

『めとてラボ』の活動レポートは、めとてラボ公式noteに掲載しています。ぜひご覧ください。
https://note.com/metotelab/

「拠点」とは何か? 秋田、神津島、神戸の事例を通して考える(APM#14 後編)

アートプロジェクトにかかわる一つのテーマをめぐり、毎回、幅広いゲストと対話を重ねてきた東京アートポイント計画のトークシリーズ「Artpoint Meeting」。2023年12月17日、その第14回が、東京都・武蔵野市の「武蔵野プレイス」にて開催されました。

今回のテーマは、「わたしたちの“拠点” をつくる:ひらきかた と つづけかた」。東京アートポイント計画で実施されるアートプロジェクトにおいても、重要なものとして耳にする機会の多い「拠点」というキーワード。しかし、そのあり方や運営の方針は、プロジェクトの目指すものや活動地域などによってさまざまに異なります。

この日は、そんな、よくよく考えると捉えどころのない「拠点」というものについて、「秋田市文化創造館」に携わるNPO法人アーツセンターあきた事務局長の三富章恵(みとみゆきえ)さん、神津島で展開されているアートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」事務局の飯島知代(いいじまともよ)さん、そして、神戸の地で約30年にわたり活動を行っている「C.A.P.[芸術と計画会議]」ディレクターの下田展久(しもだのぶひさ)さんという3名のゲストに、それぞれの考え方を伺いました。

当日の模様を、ライターの杉原環樹がレポートします。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:仲田絵美*1、2、4、6、8、10、12-14、17、18、21枚目)

レポート前編はこちら>
「拠点」とは何か? 秋田、神津島、神戸の事例を通して考える(前編)

神戸で30年。「C.A.P.[芸術と計画会議]」の歩みを振り返る

「拠点」をテーマにした今回の「Artpoint Meeting」。後半ではまず、「C.A.P.は、どう続けてきたのか?—30年の歩みをきく」と題し、神戸で約30年、さまざまに形態を変えながら活動してきた組織「C.A.P.[芸術と計画会議]」の歩みについて、ディレクターの下田展久(しもだのぶひさ)さんに伺いました。聞き手はプログラムオフィサーの佐藤李青が務めました。

椅子に座った男性がマイクを持って話している
「C.A.P.[芸術と計画会議]」ディレクター、下田展久さん。

下田さんへのインタビュー冒頭では、2006年に制作された、C.A.P.の初期の活動をまとめた映像「コネクタテレビ Vol.037 CAP HOUSE〜芸術の実験〜」を上映。その内容もふまえながら、この組織がどのような背景から生まれてきたのかを振り返りました。

C.A.P.は1994年、当時神戸で進んでいた美術館構想の画一性に対し、疑問や危機感を抱いた関西のアーティスト11名が集い、話し合うことからはじまりました。C.A.P.代表を長年務めた杉山知子さんのアトリエを舞台とするこの議論の末、メンバーは同年11月、自分たちの意見をまとめた提案書「これからの美術館」を神戸市の文化振興課に提出しました。

イベント会場のスクリーンに映像が流れており、その様子をたくさんの参加者は見ている。映像には女性のバストアップが映っている
映像からC.A.P.の成り立ちを知る。中央に見えるのが杉山知子さん。

このときアーティストたちが抱えていた不満とは、美術館がどこも同じようなものになっていること、そして、行政の人たちが地元のつくり手をよく知らないことなどにあったと下田さん。こうした状況に対して、提案書では、地元でどのようなアートが立ちあがろうとしているのか、それを知り、支えることが新しい美術館の役割なのではないかと提起したといい、「最初はイベント目的ではなく、商店街の組合のような組織としてはじまった」と話します。

そうして組織が動き出した直後の1995年1月、阪神・淡路大震災が発生します。C.A.P.の面々はこの混乱のなか、「アーティストにも何かできることがあるのではないか」とふたたび話し合いを開始。神戸の旧居留地全体を美術館にする「旧居留地ミュージアム構想」を立ち上げ、同年5月に兵庫県と神戸市、旧居留地連絡協議会などに提出しました。

このとき大きかったのが、震災直後、フランス・マルセイユやスイス・ベルンのアーティスト150人が義援活動「Acte Kobe」を立ち上げたこと。C.A.P.は同活動で集まった義援金で構想のためのシンポジウムをひらくとともに、10月に1日限りのパーティ「CAPARTY(キャパティー)」を開催。その後、一連の実践を同じ名称で続けていくことになりました。1996年には活動を続けるための寄付制度「C.A.P. サポーティングメンバーシップ」を開始。旧居留地の企業を中心に熱意を伝え、初年から40社と個人2名の寄付を得ることに成功します。

1999年に開催された「CAPARTY Vol. 8『CAP HOUSE—190日間の芸術的実験』」(以下、「CAP HOUSE」)は、初期C.A.P.を代表する催しです。事のはじまりは、当時杉山さんのアトリエで月に1度ひらかれていた集まりに、あるゼネコン関係者が参加したこと。その人は、ブラジルへの移民が出国前に滞在する国立移民収容所として1928年に建てられ、1994年からは廃墟となっていた「旧神戸移住センター」の建物の存在をメンバーに伝えます。

当初、神戸市から相談を受けていたそのゼネコン関係者は、建物をアーティスト・イン・レジデンスの施設として使用するという構想をもっていました。しかしアーティストたちは、「もっと根本的に、何もないところにアーティストがいることで何が起きるか実験をする」というアイデアを提案します。こうして「CAP HOUSE」の初めに行われたのが、「100人大掃除」でした。これは、長年放置された建物を市民と掃除する催しで、有料にもかかわらずなぜか大勢の人が参加。さらにつくり手が多く集まることで、作品が生まれ、それを展示するギャラリーが生まれ、お茶を飲むためのカフェが生まれ……と、その場で自生的に物事が動いていったといいます。

白いビルの前に、白い上下のビニール製の作業着を着た集団がいて、みんなこちらを見ている。1階部分に人々が集まっていたり、入口の屋根部分に脚立を立てかけて乗っている人、入り口部分の屋根部分に乗っている人、2階と3階の窓からも同じ格好の人々が顔を出していて、全部で100人程度いる
1999年「100人の大掃除」の記念写真。建物に「CAP HOUSE」の旗を設置した。

その後、C.A.P. は2002年にNPO法人化。「CAP HOUSE」後も定まっていなかった建物の管理運営を正式に受託します。2007年には大規模改修工事のため、一度は建物をあとにするものの、2009年に「神戸市立海外移住と文化の交流センター」が新設されたことに伴い、指定管理者の一つとして建物に復帰。現在は、神戸市立海外移住と文化の交流センターの運営する移住ミュージアムが1〜2階を、C.A.P. が展開するアートプロジェクト「KOBE STUDIO Y3」が3〜4階を主に使用。後者は、アーティストが建物内にスタジオを構え、公開するもので、年間12組ほどの表現者が活動を行っているといいます。

マイクを持った男性が、座って話している
1994年のC.A.P.設立以来、重ねてきた30年の歳月の経験を語る下田さん。

組織の成熟と、モチベーションの維持という課題

C.A.P. の歩みを振り返ると見えてくるのは、誰かがトップダウンで決めた組織や場所のあり方ではなく、アーティストたちがそのつどの状況のなかで、偶然性を味方につけながら紡いだ軌跡がそこにある、ということです。下田さん自身、以前は神戸の別の施設で働いていましたが、そこに「Acte Kobe」から支援先の相談が届いたことで、アーティストの藤本由紀夫さん経由でC.A.P. を知り、活動に参加することになったと言います。

机に紙の資料や冊子が置かれ、その周りに人が座っている。奥にスクリーンがあり、便器の写真が写っている。一人の男性が立ち上がり、冊子を開いて他の人に説明している
2024年1月20日開催、芸術鑑賞を学ぶ連続講座「CAP STUDY!」、藤本由紀夫さん(中央)による美術講座2「感覚とアート—think with senses—」。

上述の通り、旧神戸移住センターの建物を使うようになったことも偶然でした。「C.A.P. はもともと月1回のアトリエでの集まりを主体とした会で、拠点をもったり、場所を探したりという意識はなかった」と下田さん。旧神戸移住センターが使えたのも、神戸市が震災後で経済的な余裕がなく、建物の活用法を見出せていなかったこと、対するC.A.P. には寄付による蓄えがあったことなどが重なった結果でした。「そもそも寄付が集まったこと自体も震災の影響が大きかった。寄付してくれた会社も、C.A.P.が震災後のこんな時期に前向きなことを話しているということで、ガンバレヨという気持ちで賛同してくれた」と下田さんは当時を振り返ります。

そんな貯蓄も「100人大掃除で全部吐き出しちゃった(笑)」というほど、当初は場当たり的な組織だったC.A.P. は、では、なぜ2002年にNPO法人化したのか? 佐藤からこの点を問われると、下田さんは「神戸市には旧神戸移住センターがまた空家になると困るという思惑があった。当時、日系ブラジル人の方たちから、ブラジル移民にかかわりが深いこの建物に移民センターをつくってほしいとの要望も出ていて、検討がはじまっていた。そうしたなか、C.A.P. がいなくなるとまた建物を管理する人がいなくなって、荒れた、とんでもない建物になってしまうと考えられ、管理を任されることになった」と話します。

男性が座ってマイクで話している。その奥には手話通訳が立っている
聞き手を務める、プログラムオフィサーの佐藤李青。

しかし、この組織としての成熟が、活動に歪みを生むこともあったようです。この日会場で流されたC.A.P.初期の軌跡をまとめた2006年の映像でも、当時代表だった杉山さんが、活動の創設メンバーとあとから合流したメンバーとの意識のギャップや、活動がシステマティックになってきたことへの危機感、マンネリ化しないことの重要性などを口にしています。

こうした歪みは、2009年の指定管理者への移行後に、最大に高まったと下田さんは話します。2000年代を通してかかわる人数が爆発的に増え、施設が充実したC.A.P.ですが、そもそもは市民サービスの組織ではありません。「でも、指定管理者になることで、かかわる人たちの間にサービスを提供する側と受ける側ができてしまった。そして、以前は自発的に行われていた話し合いにも、参加したくないという人たちが現れてしまいました」。

さらに2014年には、創設メンバー11名のなかでC.A.P.をもう辞めようという話し合いが1年間にわたって続きました。「当初の、神戸で活動する表現者の顔を見えるようにするという目的がある程度達成されたという理由もありましたが、簡単に言うと、アーティストたちが『飽きた』んですよね(笑)」と、下田さんはその背景を語ります。

しかし、会社も辞め、背水の陣で臨んできた活動を簡単に辞めるわけにはいきません。そうしたなか、下田さん個人は、最近、C.A.P.を以前のような姿に戻そうとしていると話します。「C.A.P.の原動力はあの場にいるアーティストたちですが、近年ではそれぞれ自分がどう売れるかという話になってしまう。そこで、みんなで共有できるものがあることが大事と思ってはじめたのが、『See Saw Seeds』というプロジェクトです」。2016年に開始されたこの活動では、ドバイ(アラブ首長連邦)、ハンブルク(ドイツ)、トゥルク(フィンランド)などにあるアートコミュニティとアーティストやリサーチャーを交換。地域を超えた交流のプロセスのなかで、「モチベーションを取り戻そうとしている」といいます。

海外ルーツの10人くらいの子供たちが紙袋でできた帽子をかぶったり、動物の形に切った紙袋を机の上に置いて笑ってこちらを見ている それを囲うように大人たちも立っている
2019年8月の「See Saw Seeds」ブレーメンの小学校でのワークショップ。マスダマキコによる紙袋を使って「私の中の動物」をつくる。

下田さんの話からは、自生的な組織に訪れがちな危機的な局面や、その逆境を超えて活動を持続する難しさ、かかわる当事者の思いが、リアリティをもって伝わってきました。

活動を維持するために求められる、自由な予算と価値の言語化

最後に、ゲストの3人が全員登壇し、会場からの質問も交えて意見を交わしました。

登壇者4名が、間の空いた2台の長机に2人ずつ座り話している。その横に手話通訳が立ち、参加者がその様子を聞いている
三富さん、飯島さん、下田さん、佐藤を交えてのディスカッション。

C.A.P.の活動についてきいた三富さんは、2014年にその創設メンバーが活動を辞めると言いはじめたエピソードを取り上げ、創造館にも同じことが起きるかもしれないと危機感を抱いたと言います。一方、ほかの拠点の実態を知るなかで、予算に困らず、行政からの介入も少なく、スタッフも20名ほどいる創造館は恵まれていると感じた、とも語りました。

これに対して、C.A.P.の有給職員は現在4名。この人数で、指定管理の仕事のほかに、先ほどの「See Saw Seeds」や、2010年にはじまった芸術祭「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」にもここ数年、グループとして招待され参加しています。拠点には、ほとんどがつくり手という40〜50人ほどの正会員や、スタジオを使用するアーティストたち、近所や企業の人が出入りしているといいますが、下田さんはあらためて「C.A.P.は基本的に“つくる”場所と捉えている。行政の人は、たくさんの人に訪問してほしいと言うが、僕はボチボチでいいと思っている」と話しました。

アトリエのようなビルの一室で女性が作業している写真に、KOBE STUDIO Y3というテキストが青緑色で書かれたビジュアル
公開しながらアーティストが制作活動を続けるスタジオの様子を表紙にした「KOBE STUDIO Y3」2023年11月イベントカレンダー。

会場からは、拠点を続ける上で重要な財源や予算の質問も飛び出しました。

三富さんは、公開情報として、「創造館の年間予算は1億2000万円弱(令和5年度)。そのうち1億円は市からの予算で、1割は貸館の施設利用収入で賄うことになっている。貸館では年間1000万円弱が目標で、その超過分が出れば、自主財源的に使うことができる。また、秋田市の所管以外の部署からも、プロジェクト実施のために予算をいただいていて、それらで年間予算となっている」と話します。また、「運営するNPO法人の年間予算は2億円超。そのうち約1億円が指定管理費で、美術大学からの予算が5000万円、残りの5000万円は県内の他の自治体から、地域の課題解決につながるようなプロジェクトを実施してほしいということで予算がついている」と説明。そして、予算の多くが行政関係で占められている現状があるとし、そうなると3年で委託が終了したり、予算が徐々に減っていくことが多く、「自分たちで自由にできる予算を増やしていくことが課題」と述べました。

他方、「HAPPY TURN」では、予算のほとんどすべてが東京アートポイント計画の事業費として賄われていますが、その共催も2024年3月で終了予定。そのため、この1年は次の運営方法を模索する時期だったと、飯島さんは話します。また、ほかの宿泊施設の運営で予算を捻出(ねんしゅつ)したり、広場としての「くると」の価値を言語化し、行政関係者にきちんと伝えたりすることも、今後のチャレンジであり課題である、と話しました。

C.A.P.も、予算面では厳しい状況です。ある時期までは主要な財源だった寄付も、実は2014年の転換期に一度ストップしており、その後徐々に回復しているものの、規模は小さいといいます。また、指定管理費も多くはなく、ほかに大きな収入につながる事業も行っていません。そうしたなか、新たな収入源となっているのがふるさと納税の対象である寄付だといい、現在は別の土地に住む地元出身者から意外な寄付があると紹介しました。

男性がマイクを持って横向きで話している
C.A.P.の予算の現状について語る下田さん。

非出身者として、地域のなかで活動するということ

地域のなかで活動をする上では、その土地の慣習や住民たちとのつながり、または距離感も重要になります。議論では、会場から出た「地域の外から来たことのメリットや、地元の人とかかわる上での工夫は?」という質問を皮切りに、この点にも触れられました。

飯島さんは、神津島のコミュニティを「大きな学校みたい」と表現。「話したことがない人がいても、お互いの顔は知っている規模感」と説明します。そうしたなかでは、例えば学校の先生がイベントに参加する際も、先生の立場と個人の立場、どちらの立場から発言すべきかを問われるような場面があり、非常に複雑である一方、「個人の特性を活動内容に反映させやすいという面もある」と言います。加えて、島にはまだ屋号の文化が残っており、何か間違いや無礼があると関係が途絶えてしまうが、飯島さん自身やアーティストのような外部の人間だからこそ、慣習に縛られすぎずに行動できる面もあると語りました。

椅子に座りマイクを持って話している女性の横顔。となりには男性が座って腕を組んで話を聞いている
外部から神津島へ入った飯島さんならではの分析を伝える。

三富さんもこれに頷き、「その土地の出身者でないことには一長一短がある。地元の価値観に縛られないよさがある一方で、地域の慣習やネットワークを知らないと本音を聞き出せないことがある」とコメント。具体的には、方言の壁もあるため、地域の人の本音をリサーチするような場合には必ず地元出身者のスタッフを聞き手のなかに入れるといい、スタッフの構成も地元出身者と非出身者を半々くらいにするようにしていると明かしました。

また、地域の慣習については、三富さんから、地方における意思決定者にはいまだ圧倒的に高齢の男性が多く、女性というだけで扱いが悪くなることもがあるという指摘も。飯島さんもこれに共感し、神津島でも、事務局2人で話をしにいっても、男性である中村さんにだけ話をしていると感じることがあると話しました。

さらに、会場からは、枠組みや決まりを設け過ぎず、現場で起きることを待ったり、偶然性にオープンになったりといった、「余白」をつくるための工夫や、幅広い人を巻き込みながら持続的な関係性を築いていくための工夫に関する質問も出されました。

参加者が並んだ椅子に座っている様子を横から映している写真
「拠点」に興味を抱く多くの人々が集い、質問を投げかけた。

これに三富さんは、C.A.P.の紹介映像で「マンネリ化」や「システマティック」という言葉が危機感を伴うかたちで登場したことに言及。それは、創造館が「マニュアル化」を避けるのと一緒のことだと指摘します。そして、創造館では、かかわる人や状況に応じて常に対応を更新しているとし、「それが余白のようなものを生み出し、あるいは、変化することで常に誰かにはヒットする余地が生まれているのかもしれない」と分析しました。

一方の飯島さんは、出演した拠点に関する映像(「Knock!! 拠点を訪ねて—芸術文化の場をひらくひと— | 国立本店(加藤健介)× くると(飯島知代)」)に触れ、そこで「国立本店」を運営する加藤健介(かとうけんすけ)さんが話した、「0.2歩ぐらい前に行く」という表現を紹介。普段は拠点に集まった人たちやスタッフとフラットな関係を築きつつ、何かがあったときには意見を言えるぐらいの、上に居過ぎない立場を意識していると話しました。

「Knock!! 拠点を訪ねて—芸術文化の場をひらくひと— | 国立本店(加藤健介)× くると(飯島知代)

拠点の価値や方針を共有するための、言葉やアーカイブについて

ディスカッションの最後では、スタッフ間の日々のコミュニケーションや、未来のスタッフのためのアーカイブまで、広い意味での「共有」に関する話題が挙がりました。

日々、変化し続ける拠点のなかで、スタッフたちはどのように運営方針を共有しているのでしょうか? この問いに飯島さんは、「HAPPY TURN」では「デイリーミーティング」と称し、業務開始前に日々の「くると」の様子についてただ話す時間を設けていることや、日報をつけていることを紹介。三富さんも、創造館は2交代制のため、その交代の際に会話を交わすようにしていることや、マネジメントスタッフとは週に一度会議をひらくことなどを紹介しました。

一方で下田さんは、「初期のC.A.P.では、アーティストが建物にいただけだったのに、そこからさまざまなことが生まれていた」と振り返り、「ミーティングはなかったが、コミュニケーションはあった。だいたいポイントになるのは、ご飯」と話しました。建物内にいる時間が長ければ、食事をする機会も増え、そこに会話が生まれます。

しかし、こうした一時期の現場のノリや共通感覚は、C.A.P.がそうであったように、あとから加わったメンバーにはなかなか伝えづらいのも事実です。そうしたなかで、それぞれの拠点ではどのようなアーカイブがつくられているのでしょうか?

capsuleと書かれた冊子が3冊、おかれている。
サポーティングメンバーシップマガジン「capsule(キャプスル)」を年4回発行。まち、暮らし、アート、C.A.P.とかかわる国内外の人々を紹介し、アーカイブ化している。

三富さんは、創造館でもスタッフが何度か大きく入れ替わるなか、いままさに「かかわった時期によってバラバラな熱量を合わせることに多くの時間を割いている」とコメント。このイベントの前の週にも、スタッフ全員と個別に1時間ずつ面談し、施設の方向性について確認したと話しました。

また、アーカイブに関しては、ウェブに記事などは残しているものの、それだけでは人に何かを伝えるリソースとして「弱い」と指摘。「スタッフが30名ほどになるなか、自分たちが何を大事にするのかを確認する時期」とし、2023年11月に、「いま、ここをたがやす。つくるをつなぐ。」をミッションに、「人に、まちに『感動と発見を』。」を掲げる「ビジョン 2027」を策定し、施設の方針を言語化したことを紹介しました。

一方の飯島さんは、人への共有の方法について、「まずは拠点に来てもらうことしかないと思う。わたし自身、なぜ島に拠点が必要か、ひらきながら試行錯誤してきた。それと同じく、拠点に来た人を仲間にしていくことしかない」とコメント。同時に、自身は「島のなかだけで仲間を見つけないようにしている」とも話し、挫(くじ)けそうなときは東京アートポイント計画のプログラムオフィサーの励ましや、その対話で共有されたものが助けになってきたと語りました。

また、その過程を記したアーカイブについて、「HAPPY TURN」のこれまでの活動を年表のようにまとめた『HAPPY TURN CHRONICLE(ハッピーターンクロニクル)』を2022年度末に制作し、ここに試行錯誤の歴史を詰め込んだと語り、「新しく島に来た人とも共有していけるツールにもなるし、自分のアーカイブとしても、今日の資料をファイルに挟むなどして、記録し続けられたら」と話しました。

写真の貼られた青いファイルが机の上に立てかけてある
ファイルの中には写真や年表のようなものが折り重なって納められている
神津島での5年間の変遷を、チラシや図面などの印刷物や記録写真、“当事者”年表によってまとめたドキュメントファイル『HAPPY TURN CHRONICLE』。

最後に下田さんは、ちょうど「Artpoint Meeting」の時期にC.A.P.で開催中だった、CAP HOUSEに関する資料を並べた展示「ぐるちゃんと愉快な仲間たち~CAP HOUSE 本気の遊び場」に言及しました。1999年に開催された190日間の「CAP HOUSE」では、100人のアーティストが一か月ごとにその記録を「作品」として制作しました。今回の展示であらためてそれらを見た下田さんは、「ただ残すというだけではなく、その先に、どうやって記録を使うのかという視点があることが大事。そのとき、活動が作品のかたちで残っていることはいいなと感じた」と話し、アーカイブに表現がかかわることの可能性を指摘しました。

ビルの一室のような場所に、展示品が什器に飾られていたり、机の上に紙や資料が並べられていたり、Tシャツが掛けられていたり、モニターが置かれたりしている
机の上にファイルが立っていたり、素面が置かれていたりする
2023年12月開催「ぐるちゃんと愉快な仲間たち~CAP HOUSE 本気の遊び場」展示風景。

活動する地域の特性も、その規模や組織、はじまり方もバラバラな3つの拠点の関係者が言葉を交わした今回の「Artpoint Meeting」。その対話からは、人がある動機や目的をもって集まり、具体的に活動を展開するなかで共通して現れる課題が浮かび上がりました。

と同時に、冒頭の櫻井の表現を借りれば、物理的に存在する「場所」や、あくまで一時的な状態に過ぎない「場」とは異なり、ある程度の長期間に渡り、人がかかわっていくための仕掛けである「拠点」には、ときどきの状況に応じた変化や更新、そしてそれを不断に行い続ける動的な対応力が求められる——。そんなことも感じたイベントになりました。

ガラス扉の向こう側で行われているイベント風景。登壇者と手話通訳、それに向き合うように参加者が椅子に座って並んでいる

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「拠点」とは何か? 秋田、神津島、神戸の事例を通して考える(前編)

「拠点」とは何か? 秋田、神津島、神戸の事例を通して考える(APM#14 前編)

アートプロジェクトにかかわる一つのテーマをめぐり、毎回、幅広いゲストと対話を重ねてきた東京アートポイント計画のトークシリーズ「Artpoint Meeting」。2023年12月17日、その第14回が、東京都・武蔵野市の「武蔵野プレイス」にて開催されました。

今回のテーマは、「わたしたちの “拠点” をつくる:ひらきかた と つづけかた」。東京アートポイント計画で実施されるアートプロジェクトにおいても、重要なものとして耳にする機会の多い「拠点」というキーワード。しかし、そのあり方や運営の方針は、プロジェクトの目指すものや活動地域などによってさまざまに異なります。

この日は、そんな、よくよく考えると捉えどころのない「拠点」というものについて、「秋田市文化創造館」に携わるNPO法人アーツセンターあきた事務局長の三富章恵(みとみゆきえ)さん、神津島で展開されているアートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」事務局の飯島知代(いいじまともよ)さん、そして、神戸の地で約30年にわたり活動を行っている「C.A.P.[芸術と計画会議]」ディレクターの下田展久(しもだのぶひさ)さんという3名のゲストに、それぞれの考え方を伺いました。

当日の模様を、ライターの杉原環樹がレポートします。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:仲田絵美*1-5、9、13、14枚目)

ガラス窓の前に4人が並んで立っている
右からゲストの飯島知代さん、下田展久さん、三富章恵さん、プログラムオフィサーの櫻井駿介。

「拠点」とは、何かがはじまり集まるための「仕掛け」である

この日はまず、プログラムオフィサーの櫻井駿介が、東京アートポイント計画の簡単な説明とともに、「拠点」というテーマを設定した問題意識について話しました。

2009年にはじまった東京アートポイント計画では、2023年度までに56団体と共催し、45のアートプロジェクトを行ってきました。例えば、市民と協力してまちなかに活動のための場所をひらいたり、多文化をテーマにした映像ワークショップを行ったり、手話を通じて生まれてきた文化に目を向けたコミュニティ形成を目指したり。その活動は、派手で一時的なイベントではなく、わたしたちの暮らしのすぐ隣にあるようなささやかなものが多いことが特徴です。

アーツカウンシル東京の「文化創造拠点の形成」事業として位置づけられている東京アートポイント計画では、そのような「新たな価値観や創造的な活動を生み出す『拠点』をまちなかにつくること」で、「わたしたちの暮らしのなかに、個人が豊かに生きるためのよりよい関係や仕組み、コミュニティを育む」ことを目指してきた、と櫻井は整理します。

男性が机に座ってマイクを持って話している。その人の手前にそれを聞く登壇者が座り、奥側には手話通訳が立っている
オープニングにて今回のテーマ「拠点」について問題提起を行う、プログラムオフィサーの櫻井駿介。

また、実現に長い時間がかかるこうした取り組みを続ける上で、東京アートポイント計画では、プロジェクトのプロセスや、持続的な事務局(運営チーム)づくり、さらに周辺地域や地域住民との接点づくりにも力を注いできました。こうしたなかで、多くのプロジェクトに必要とされるのが、「拠点」と呼ばれるものになります。

しかし、あらためて「拠点」とは何でしょうか? そのイメージを掴むために、櫻井はこれと類似する「場所」や「場」という言葉とを比較しました。それによれば、「場所」とは具体的な大きさや広さ、位置をもつ空間の「条件」のことで、「場」とは、その上で何かが生まれたり、行き交ったりする「状態」のことです。これに対して「拠点」は、それを起点に何かがはじまったり、集まったりする一種の「仕掛け」ではないかと櫻井は言います。

参加者が「わたしたちの拠点をつくる、ひらきかたとつづけかた」と書かれた紙や参考資料を持っている手元の写真

東京アートポイント計画では近年、さまざまなプロジェクトにおいて、こうした拠点をめぐる動きが活発化しています。例えば、災禍の記録のネットワークづくりを行う「カロクリサイクル」というプロジェクトは、2023年9月に江東区・大島(おおじま)の団地の一角にコミュニティ交流拠点「Studio 04」をオープン。一方、ろう者を中心としたプロジェクト「めとてラボ」は、台東区・谷中(やなか)にろう者も安心して過ごせるワーキング・プレイスとして「5005」という拠点を立ち上げました。

ここで重要なのは、かれらの拠点が、その立地や仕組みにおいて、活動の目指す方向と相補的(そうほてき)であるという点です。だとすれば、「拠点」は必ずしも物理的な空間を伴う必要もないかもしれません。東京アートポイント計画では、こうした拠点の多面性を捉えようと、今年、プロジェクトの担い手が二組ずつ「拠点」をテーマに対話を重ねる映像シリーズを制作・公開しました(拠点運営を考える対談シリーズ「Knock!!拠点を訪ねて」)。今回の「Artpoint Meeting」は、こうした一連の流れを受け、「拠点づくりの周りにあることを考えたい」との思いから組まれたと、櫻井は説明しました。

秋田市文化創造館——市民が何かをつくり、新しい活動を育むための場所

つづく「地域のなかで、拠点をひらく」と題したクロストークには、ゲストの三富章恵さんと飯島知代さんが登場。それぞれのかかわる施設やプロジェクトを紹介しました。

三富さんが事務局長を務めるNPO法人アーツセンターあきたは、2021年3月に秋田市の市街地にオープンした「秋田市文化創造館」(以下、「創造館」)の運営を行っています。この建物はもともと1967年に開館した秋田県立美術館でしたが、2013年に閉館。その後、愛着をもつ地元の声を受け、市が土地を借り受け、活用を模索してきた施設でした。

机にすわる2人の女性、そのうち一人がマイクを持って話している
NPO法人アーツセンターあきた事務局長、三富章恵さん(左)。

2018年にまとめられたその利活用調査報告書では、施設の今後の方針として「まち全体の文化力を涵養(かんよう)」「未来の地域社会に向けた感性を創造」「新たなまちの魅力とにぎわいを創出」「市民のまちへの愛着と誇りを醸成」の4つが決定。さらに、JR秋田駅から徒歩圏内のほかの文化施設が基本的に「鑑賞」のための場所であるのに対し、創造館では、「市民が新しいことをつくっていく場所」にするという方向性がまとめられていきました。

大きな建物の前の広場に利用者が行き交っている
旧秋田県立美術館の建物を活用した秋田市文化創造館。写真は2023年3月に行われた「秋田市文化創造館 フリー・オープン・デイ」の風景。撮影:中島悠二

2018年からその計画づくりに参加した三富さんは、当時を振り返り、「当初は劣勢からのスタートだった」と話します。もとが県美の建物であること、NPO自体も秋田公立美術大学が母体であることなどもあり、どうしても「美術の施設」との印象が強かったのです。創造館ではその状況に対し、施設の機能を狭義の美術に絞るのではなく、「アーティストと実験する『創造実験』」「新しい知識や視点に出会う『機会の提供』」「アイデアを実践してみる『創造支援』」などとゆるやかに設定。さらに、積極的に建物の外に出ることを通して、「まちに“新しい活動”を育む」ことを目指してきたと、三富さんは言います。

2021年の開館後も、創造館では多様な人に関心をもってもらうための工夫をさまざまに施してきました。例えば、食や農業といった身近なテーマの企画をしたり、地域のイベントと連携したり、視覚的な情報発信に力を入れたり。また、主催事業だけでなく、共催や貸館事業にも取り組んでいますが、驚きなのが1平米を1時間=5円で借りられること。この破格の賃料から、施設には市民からの使用に関する幅広い相談が届きますが、スタッフ間には「できるだけ可能性を否定せず、どんな相談にも耳を傾けよう」という姿勢が共有されているといいます。その結果、創造館では、野菜づくりや料理、広場でのキャンプやヴァイオリンの演奏、こどもの遊び場としての利用、対話の機会の創出など、実に多様な活動が行われてきました。

原っぱに黒いテントが並んで建っており、その間を行き交う利用者や、テントの中にいる利用者がいる
2022年9月、秋田市文化創造館の屋外エリアで開催された「PARK—いきるとつくるのにわ」プロジェクト「親子でサバイバル(火・食・住)」。撮影:田島陽
屋内で、スケボーにのった人が1メートル弱の高さの仮設スロープからおりようとしている。近くにはもうひとりスケボーにのろうとしている人がいて、その様子をカメラマンやギターを持った人、ドラムに座った人、椅子に座った人々が見ている
2023年1月開催、おおしまたくろう「滑琴狂走曲 in 秋田!(カッキンラプソディー・イン・アキタ)」。撮影:伊藤靖史(Creative Peg Works)

そこに行けば、誰かが何かをつくっている姿に出会える場所として、着実に市民に親しまれているように見える創造館。一方、三富さんは今後の目標として、潜在的な利用者に施設を知ってもらうことや、運営を持続する人材の確保や育成が挙げられると話しました。

「HAPPY TURN」の「くると」——名づけないことで生まれた島の居場所

もう一人のゲストの飯島さんは、伊豆諸島に浮かぶ神津島で、2018年から東京アートポイント計画の共催事業として「HAPPY TURN/神津島」(以下、「HAPPY TURN」)というプロジェクトを展開しています。

女性がマイクを持って座って話している。隣にいる女性はメモを取っている
「HAPPY TURN/神津島」事務局の飯島知代さん。

東京都心から大型客船で約12時間を要する人口約1800人の神津島では、多くの出身者が大人になると島を出ていきます。そして、そうした人が島にUターンすることを、島の方言では慣習的に「しまってくる」とネガティブに表現していました。HAPPY TURNはそんな状況に対して、島に戻ることを「ハッピー」に捉え直したり、かかわる人たちがそれぞれの暮らしのなかで「幸せ」を再考したりする契機をつくる活動を目指してきました。

そんなHAPPY TURNが最初に取り組んだのが、地域の拠点づくりです。その土台は、10年近く空家だった元中華料理屋。メンバーはまず、空間デザインも行うクリエイターユニット「岩沢兄弟」の協力も得ながら、掃除大会を行いました。業者に頼むのではなく、張り紙で島民にも助けを求めながら、自分たちで拠点を整え、ひらいていったのです。

古民家くらいの大きさの屋根のある屋外空間に、たくさんの親子連れが集まっている
島の中心部にあった元中華料理店と大工小屋を清掃・改修した「くると」外観。その後、道路を挟んで向かいの元商店も活用している。

おもしろいのは、その拠点の用途を意図的に曖昧にしたこと。作業を手伝いに来たり、見に来たりした島民から「何をつくっているの?」ときかれても、明確な答えを避け、「わからないことをそのままにすることを頑張った」と飯島さん。この名づけの回避により、「何をしたいのかわからない」という理由で「くると」から離れる人もいましたが、他方でその用途のなさが、遊び場を探すこどもたちや、島に居場所をもたない移住者たちを惹きつけることに。こうしてHAPPY TURNの活動開始からのおよそ3年間は、ひたすら拠点づくりに注がれました。

現在は週に3日間、午後に拠点を開放。スタッフには子育て中の人も多く、「くると」は島で重要な親子のコミュニティになっているといいます。そうした活動のなかでは、運営の方針や場のあり方をめぐり、飯島さんと、代表の中村圭(なかむらけい)さんとの間で意見の相違が起きることも。何事もきちんと整えたい性格だという飯島さんは、以前、島で不要になった部材や道具を何でも「くると」に拾ってきてしまう中村さんの行動にやきもきしていましたが、その雑然さをこどもたちが楽しむ姿を見て、「この場所のルールを誰かが決めていいのだろうか、と疑問に思うようになりました。いまでは少し気になることがあっても、答えを保留してまずは話し合うようにしている」と心境の変化を語りました。

穴の掘った砂場に木の板を架けて、そこを子供たちがわたっている。穴の周りにも子供たちが立って、その様子を見ている
「くると」の庭で自由に遊ぶこどもたち。

「くると」では、2020年から本格的にアーティストプログラムも開始。アーティストの山本愛子さんや大西健太郎さん、音楽ユニットのテニスコーツ、アートコレクティブのオル太らを招聘して、島に現代アートや先鋭的な音楽のエッセンスを導入しはじめています。一方、こうした一種のハレの活動と並行して、「部活」と称した大人向けの活動も展開。ウクレレ部、おどり部、筋トレ部などの小さな活動を通じて、島の大人と拠点の日常的な接点も増やしています。飯島さんは「活動をはじめたころは『アート』というだけで驚かれていたが、こうした活動を通して最近は少しずつ島に馴染んできた」と振り返りました。

机を囲んで5人ほどの人がウクレレを弾いている
「くると」で行われるさまざまな部活。写真はウクレレ部。

ルールや相談の幅を決め過ぎず、話し合いのなかで運営方法を見つける

その後は、冒頭に話をした櫻井も交え、三富さんと飯島さんがお互いの話をきいた感想を述べ合いました。

スクリーンの前に座って話している3人の登壇者と、その横に手話通訳が立っている。手前には、椅子に座ってその様子を見ている参加者が並んでいる
三富さん、飯島さん、櫻井を交えてのクロストーク。

「くると」の活動を初めて詳しく知ったという三富さんは、「よくわからない場所であることを大切にする」姿勢が印象に残ったとし、「創造館も何の施設かわからないと言われることが多いが、わたしたちは説明しすぎていると反省した」とコメント。そして、飯島さんが最後に語った「馴染んできた」とは具体的にどういうことか、と問いを投げました。

これに飯島さんは、島民には当初、その場所へのかかわり方がわからず、近づき難い感情があったものの、こどもが集まったことを機に、大人の間でも「くると」が「あってもいい場所」という認識に変わっていったと返しました。櫻井もこれに続け、神津島には不動産屋がなく、島外からの人は島への入り方がわからないこと、そうしたなかで「くると」が移住希望者にとっての重要な情報収集の場や、移住者にとっての居場所の一つになっていることなどを補足しました。

マイクをもって女性が話している。その様子を隣の女性が聞いている
「拠点」が地元に馴染んでいく状況についてたずねる三富さん。

2人からは、拠点のスタッフに関する話題が多く挙がりました。飯島さんは、「くると」よりも規模の大きい創造館で、スタッフ間にどのような姿勢の共有があるのか興味があるとし、発表にあった「市民からの使用に関する相談の可能性を否定しない」という姿勢が印象的と話しました。

三富さんは、創造館のスタッフには美大の卒業生や県外でアートプロジェクトを経験してきた人も多いことから、「基本的に、禁止することへの抵抗感は共有していると思う」と語ります。そうしたなか、最近もバナナの栽培を広めたいという男性がもち込んできたバナナの苗木を育てることになったというエピソードや、館内のいたるところに作品を展示したいともち込まれた絵画作品を、そのまま施設利用として受けてしまうと利用料の負担が大きくなりすぎるため、一部はトンチのように「展覧会誘導のためのポスター」として掲出し、利用者にかかる負担を軽減したエピソードなどを披露。市民にひらくことで思いもよらないような相談やアイデアがもち込まれるが、「いまは何とかそれらを実現しようと考えることが楽しくて仕方ない」と語りました。

ただ、禁止事項やルールを決めないことにも限度はあるはずです。櫻井から拠点の運用にあたり何らかのマニュアルはあるのかと問われた三富さんは、「マニュアルがあったらどれだけ楽か。ただ、それをつくった時点で創造館のよさは終わる。初めてのケースに対しては毎回内部で話し合って決めている」と回答。これに飯島さんも、「『くると』も同じ。困ったときはその場で判断せず、スタッフ間で相談している」と続けます。そしてその一例として、最近「くると」のなかでこどもたちがYouTubeなどの動画サイトを見ることの是非についての議論があったと紹介。話し合いの結果、「サッカーや野球が禁止されたことで公園がつまらなくなったように、動画サイトも一方的に禁止すべきではない」と、判断を保留していると語りました。

このパートの最後には、櫻井から「拠点を運営する上で『アート』に委ねているものは何か?」という質問も挙がりました。もともとアート畑出身ではないという飯島さんは、「いろんな活動を経て、最近ようやくアートってこういうことかな?というニュアンスがわかってきた」とし、「アートの見方や考え方を使うことで優しくなれるというか、アートプロジェクトだからこそ触れられる領域があると感じている」と話します。そして、その一つの可能性は、「資本主義のなかでこぼれ落ちるものを拾うようなことができる点にあるのではないか」と指摘しました。

古民家のような場所の中で、奥のふすまに映像が映され、その手前に横たわった人と、それを膝立ちで見ている人がいる。手前にはその様子座って見ている人々がいる
2023年「アーティスト・プログラム in 神津島」オル太による「漂白と遍歴」。撮影:縣 健司

一方の三富さんは、たびたび語られるアートとデザインの比較論に言及。ゴールを設定する後者に対して、前者は未来にオープンである点が特徴だとし、「そうしたアートの性質が創造館と親和性が高い部分だと思う」と語ります。ただし、根強い「アートの施設」という印象を払拭するため、なるべく「アート」という言葉を使わないようにしてきたこれまでの経緯も振り返り、櫻井の問いには時間をかけて考えていきたいと話しました。

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「拠点」とは何か? 秋田、神津島、神戸の事例を通して考える(後編)

東京アートポイント計画|PR MOVIE

都内各地で様々なアートプロジェクトを実践する「東京アートポイント計画」のPRムービーです。

東京アートポイント計画は2009年にスタートし、東京都・アーツカウンシル東京・NPOが協働しながら、社会に新たな価値観や、人々が自ら創造的な活動を生み出すための「アートポイント(拠点/場)」をつくっています。Tokyo Art Research Lab (TARL)ウェブサイトも、東京アートポイント計画の一環として運営しています。

使用写真
  • 500年のcommonを考えるプロジェクト「YATO」, YATOの縁日(撮影:白井裕介), 町田市
  • 川俣正・東京インプログレス―隅田川からの眺め, 汐入タワープログラム(撮影:田口まき), 荒川区
  • リライトプロジェクト(撮影:丸尾隆一), 港区
  • カロクリサイクル, 展覧会「とある窓」(撮影:森田具海), 江東区
  • Artist Collective Fuchu [ACF], ラッコルタ-創造素材ラボ-「いしのこえとみかげ」(撮影:深澤明子), 府中市
  • TERATOTERA, 「TERATOTERA 祭り」淺井裕介・遠藤一郎(撮影:Hako Hosokawa), 三鷹市
  • Tokyo Art Research Lab, アートプロジェクトの担い手のための手話講座(撮影:齋藤彰英), 千代田区
  • HAPPY TURN/神津島, 活動拠点「くると」, 神津島村
  • アートアクセスあだち 音まち千住の縁, 大巻伸嗣「Memorial Rebirth 千住」(撮影:冨田了平), 足立区
  • アートアクセスあだち 音まち千住の縁, 大友良英「千住フライングオーケストラ」(撮影:高島圭史), 足立区