亀戸アートセンター|Artpoint Radio 東京を歩く #2

「Artpoint Radio 東京を歩く」では、都内にあるさまざまな拠点を訪ね、その運営にかかわっている方にインタビューを行い、その様子をラジオとレポート記事の2つの形式でお届けします。
拠点によって、その業態や運営の手法、目指す風景はさまざま。そうした数多くのまちなかにある風景には、運営者たちの社会への眼差しが映し出されているのではないでしょうか。
本シリーズでは、拠点の運営にかかわるひとびとの言葉から、東京の現在の姿をともに考えていきます。

――

第2回は江東区亀戸にある「亀戸アートセンター」を訪れました。
拠点があるのは都営新宿線東大島駅から徒歩15分ほど、大きな団地や集合住宅が多く建っているエリアです。京葉道路、首都高、亀戸葛西橋線など、大きな道路が交差しており、たくさんのトラックや大きな車が行き交います。取材に訪れた昼下がりは人がまばらで、買い物袋を提げた人や休憩中の運転手など、のんびりした時間が流れていました。

大きな幹線道路に横断歩道がわたっている。道路の向こうには、6階建てのマンションや高いビル、団地などが並んでいるのが見える
亀戸アートセンター近くの風景

亀戸アートセンターは、2018年にオープンしたカフェスタンドが併設されたギャラリーです。コンパクトな室内に、ギャラリースペース、ロフトのような中二階、グッズコーナー、カフェスペースがギュッと詰まっています。

今回お話を伺ったのは、亀戸アートセンターを運営する石部巧(いしべ  たくま)さんと、石部奈々美(いしべ  ななみ、chappy)さんご夫婦です。アーティストとしても活動するお二人に、展示作家への声のかけ方や、作品販売への意識、シルクスクリーンプリントを使った仕掛けなどをお聞きしました。

ビルの一階が亀戸アートセンターになっており、その前の道路で4人が話している。左側にはタープ屋根とベンチ、右側には引き戸の入口がある

亀戸アートセンターのこれまで

――亀戸アートセンターをはじめた経緯を教えてください。

石部(巧):亀戸アートセンターをひらく前にもスペースをやっていました。東京都現代美術館の近くの千石(せんごく)というエリアに住居として一軒家を借りていたんですけど、そこがガレージのある家だったんです。でも車を持っていなかったんで、ガレージは物置になっていて。もったいないから自分たちの作品や友達の作家が展示できたらいいかな、くらいの感じではじめました。もう10年くらい前かなあ。千石の読み方をもじって「Sngk Gallery」と呼んでいて。

ギャラリーとして場所をはじめようとは全然思わずにやっていたんですけど、開けると、やっぱり人が集まるんですよね。知らない作家とも出会えたりとか、予想外の感じで広がっていくのが単純に面白かったんです。

chappy:家を引っ越すことになったので、前の場所は閉めました。そのあと1年ぐらいは何もやってなかったんですけど、やっぱり前のスペースをやっていて面白かったねということがあって、物件を探したんだよね。

石部(巧):地域にひらくこととかも特に考えてなかったんです。好きな作家の展示だったら誰かしらは来るだろうという感覚だったので。本当はもっとちゃんと考えてやった方がいいのかもしれないけど。

chappy:夫婦でやっているので、そんなに気負わずできているのかも。

石部(巧):そうですね。他人同士ではないので、言いたいことを言い合えたり、気はつかわないのかもしれない。まったくの他人と一緒にはじめるとしたら、結構大変だったのかもなって思う。

左側には青い帽子をかぶったひとが座っていて、右側には金髪のひとが座っている。
亀戸アートセンターを運営する石部巧さん(左)、chappyさん(右)

――前のギャラリーが2017年夏まで。そして2018年に現在の物件で亀戸アートセンターがスタートしたわけですね。この物件に決めた理由は何だったのでしょうか?

chappy:前のギャラリーをやっていたときも、飲み物を出したいと思っていたんですが、なかなか難しくて。それで今度は飲食の営業許可もとれて、展示スペースもつくれて、という場所を探しました。そしたらここが飲食の提供もできそうだということで、即決でしたね。展示スペースの裏にキッチンがあるので、はじめのうちはそこでつくって出していたんです。だけど地域の人とのコミュニケーションがあんまり取れない感じだったので、現在の入口横の窓からドリンク販売を行うスタイルになりました。

屋外から見た亀戸アートセンターのお店部分。タープ屋根の下に出窓のようなものがあり張り紙が貼ってある。その前には傘立てた鉢植え、ベンチが置いてある

石部(巧):はじめのうちは「飲食できます」と大々的にうたっているわけではなかったんですよ。来れば何か飲めますくらいの感じだったんだけど、やっぱりそれではあまり人が入らないし、アートセンターって言われても何だかよくわかんないじゃないですか。そもそもギャラリーに無料で入れることを知らない人も多いと思いますし。

なので「コーヒーを飲めますよ」ってちゃんと打ち出して、コーヒー屋さんだと思って来た人に「ギャラリーも見れますよ」って案内できるといいんじゃないかと。入口横のドリンク販売をはじめてからは、近所の人も結構来るようになりましたね。

chappy:そうそう、いまは甘酒とコーヒーを出しているんですけど、看板には「甘酒コーヒー」ってひとまとまりに書いてあって。それをみて「甘酒コーヒーって何ですか?」みたいな感じで入って来る人もいますね。

――たしかに、カフェがあると入りやすくなるというのは想像できますね。この亀戸アートセンターというお名前はどういう経緯でつけたのでしょうか?

石部(巧):あんまりかっこいい名前が思いつかなかったんです。それで、亀戸には文化センターとスポーツセンターがあるんですよ。でも「アート」センターはないから、それがいいかな、みたいな簡単な理由なんです。

chappy:公共性がありそうな名前ならお客さんも間違えて入って来るかなという期待もあって(笑)。

石部(巧):はじめはオルタナティブスペースかなとも考えていたんです。オルタナティブっていう言葉にしておけば、コンテンポラリーアートだけじゃない、いろいろなジャンルを含めることができるなって思って。最初からギャラリーとは名付けないつもりだったので。

でも、どうやらオルタナティブスペースという言葉も、その意味とか使われ方を考えると、どこか違うかもしれないって思いはじめて、だんだん言わなくなりました。それで、ギャラリーでもない、オルタナティブスペースでもないなら「センターでいいんじゃない?」みたいなゆるい感じで、亀戸アートセンターになりました。

作品を売ること、買うこと

――ドリンク販売のほかに、グッズコーナーがあることもお客さんにとって入りやすい雰囲気をつくっていそうですよね。どんなものを販売しているんでしょうか?

chappy:いままで展示してもらった方々の関連グッズや作品をメインに置いています。はじめはもっと外から見えるような位置に配置してました。近所の方がアートとかわからなくても、グッズに興味を持って入ってきてくれるかなと思って。でもそれはそれで展示空間との見え方が気になって。グッズは結構ごちゃごちゃっと置いてあるので、展示空間に混ぜない方がいいかなと思って、現在の入口裏と、ロフトへの階段下のスペースに移動したんです。

白い壁にたくさんの棚や、床には本棚も置いてある。ZINEのような冊子や、エコバッグ、防止、ポストカード、缶バッチ、キーホルダーなど様々なものが並べられている
入口裏のグッズコーナー

――お二人も作品をよく購入されるのでしょうか?

石部(巧):うちで展示してくれた作家さんの作品も買いますし、ほかのギャラリーでも手が届く値段で二人とも好きな作品だったら買いますね。あとは展示を見に行くときに、もしお金を持ってたらこの作品とこの作品は買うな、という妄想をよくしています。

chappy:買った作品は自宅のリビングに飾っているんですよ。でも手狭になってきたので、コレクションを展示できる部屋も必要なんじゃないかと思いはじめています。最近はもっと自由に作品を買うためにアルバイトをはじめたいとも考えていて。いまは、どうしても生活を成り立たせることを優先して、いいなと思った作品があっても手が出せないことも多かったりする。それがつらいなと思うときもあって。それだったら配送のアルバイトでも何でもして、欲しいなと思った作品を自由に手に入れられるぐらいになりたいねって話をしているんです。個人的には、この場所だけで生活を成り立たせるというより、いろんなところからお金が入るシステムをつくりたいと思っています。

天井にのびているH型の鉄骨の上に、小さな作品が並んでいた李、落書きのようなものが書かれていたりする
ロフトから見える梁にも二人が購入した作品や過去の展示の断片が並ぶ

――特に日本では作品を買うことになかなか馴染みがないとも言われていますよね。

石部(巧):それはあるかもね。僕はアメリカに住んでいたことがあるんですけど、お金を持っている人の絶対数が違うっていうか、あるいは住宅の広さや間取りとの兼ね合いもあるのかなと思います。アメリカにいたときは、周りの人はアートを買うということにハードルはなく、何となく、簡単に買っているような気がしました。

chappy:うちに来たお客さんからも「作品って売っているんですね」って言われることは多いですし、たしかに作品を買うことが当たり前じゃないっていう感覚があるんだろうな。

――亀戸アートセンターでは、作品やグッズの売り上げも運営資金の一部に回しているんですよね。

石部(巧):そうですね。もうカツカツでやってますけど。作品の値段については、来てくれる人が「買えるかも」って思える価格帯がいいんじゃないかなと思っていて。作家に販売価格について相談された場合は、そういう視点で提案させていただくことはありますね。

今後のことを考えると、作家さんにとってもいろんな人と繋がって、いろんな場所に飾ってもらった方が活動が広がるんじゃないかなと思います。なかには作家にとってターニングポイントの作品だから値段は下げられない、ということもあるし、そういう場合は難しいですけど、基本的には売れっ子だろうが売れっ子じゃなかろうが、作品を買ってもらいたいという前提を大事にしています。

青い帽子をかぶったひとが、右手をこちらに差し出しながら微笑んで話している

chappy:運営資金でいうと、オンライン販売も大きいですね。コロナ禍になってからはじめたんですけど、海外の方からの問い合わせも増えてきました。日本国内でも、東京になかなか来られない展示作家のファンも多いみたいで。コロナ禍という時代的な要因ではじめたのですが、場所の運営的にも、いまはオンラインがないと厳しいくらいです。

あと、うちは作品販売だけじゃなくて、イベントとしてシルクスクリーンのプリントをしていることも特徴だと思います。

――グッズコーナーのなかに、展示作家に関連したシルクスクリーンプリントされたシャツが飾ってありますね。どのような仕組みでプリントしているのですか?

石部(巧):もともと二人ともシルクスクリーンを作品制作のメディアとして使っていたんです。場所をひらいたときに、絵を買えない人でも記念になるものがあるといいなと思って、展示ごとに異なるデザインのシルクスクリーンプリントを用意することにしました。Tシャツやバッグなど、お客さんが自分でプリントしたいものを持ち込んで、プリントできるという仕組みです。モチーフは毎回出展作家さんと相談して決めています。ハンカチとか、いろいろなものにプリントだけしに来てくれる近所のこどももいますし、1枚のシャツにいろいろな展示のプリントを集めている人もいますね。

chappy:絵を買うっていう感覚がない人でも、Tシャツなら買ってくれるかもしれない。さらにそのTシャツが作家さんの宣伝にもなるんですよ。

左側に、キャラクターが描かれた白いTシャツがかかっており、その右側の壁にはキャラクターの説明がキャプションのように掲示されている。キャラクターはオレンジ色の身体で、ハート形のような頭と、長い首、右手に赤い円形のものを持っている
Yuri Hasegawa Solo Exhibition “It’s not big deal”のときのシルクスクリーン

石部(巧):そうなんです。だから本当にやってよかったなと思ってます。シルクスクリーンのほかにも、グッズをランダムに入れたガチャガチャも置いているんですけど、それらも年間で合わせて計算すると馬鹿にできない金額になるんですよ。

――いろいろな仕組みがあると、それぞれ場所に関わりやすくなりますよね。たとえば、パフォーマンスやダンスなど、モノとして販売できない場合には発表は難しいのでしょうか?

石部(巧):今年からダンスとかパフォーマンスもやってみようかって話していて。がっつり展覧会をひらくまでではなくても、展示替えの期間にワークショップをやってもらったりもできるかな、と。ジャンルの制限は設けずに、面白そうだなと思った作家さんに発表してもらえる場所にしたいなと思っています。

そういったモノにならないものでも、お金になる仕組みはつくりたいですね。バランスは難しいんですが、出演者にもお金を回していかないといけないので、ドリンク代を設けるとか。

たとえばオルタナティブスペースのなかには、営利目的ではなく、実験的に作家にやりたいようにやってもらうという場所も多いのかなと思うんです。その分、場所を運営している人がそこにかかるお金を負担しているわけなので、それは作家のサポートしているようなイメージですよね。でも、うちの場合はやっぱりお金がきちんと回るようにしたい。自分たちの生活も大切にしたいので、そのあたりのバランスは試行錯誤しています。

chappy :いい展示をして、このスペースの面白さや価値をあげることで、ゆくゆくはお金が回るんじゃないかっていうイメージがあって。なので、やっぱり面白い展示をすることが一番。それを見せることで面白い作家さんとの繋がりもできるんじゃないかなと思っています。

ガラスに白く細い文字で、亀戸アートセンターの略であるKACと書かれており、奥にうっすらと雑貨やロフトへの階段など室内の様子が見える

展示のこだわり

――この場所での展示作家はどのように決めているのですか?

石部(巧):貸しギャラリーにはしていなくて、最近では展示してくださった作家さんの友達とか、紹介してもらって展覧会を見に行った人とか、繋がりのある人が多いですね。あと自分たちが気になる人がいれば、積極的に展示を見に行って声をかけたりしています。最初はInstagramで探して声をかけることも多かったんです。

chappy :気になる人の展示には何回も通います。わたしたちはそんなに言葉が達者ではないので、お声がけするメール文面も結構、淡白な印象なんじゃないかなと思います。ほかのギャラリーと比べると、まだそこまでコミュニケーションをとっていない段階でお誘いしているのかもしれません。だから、みんなよく引き受けてくれるなと思いますね。

特に最初のころは計画性もなくここをはじめて、すごい急いでいろいろ整えたという状態だったので、とりあえず最初は自分の個展をひらくことにしました。2回目の展示は知り合いの好きな作家さんにお願いできたんですけど、その後はInstagramでバーッと探して、面白そうで作品数もありそうな人に声をかけて展示をしてもらっていました。

石部(巧):でも、基本的には、夫婦が揃って好きな作家さんじゃないと声をかけないんです。二人が同じテンションでお客さんに「この作家いいでしょ」って言えないから。どちらかが良くても、もう1人が面白いと思わないなら声をかけない。そこは絶対ですね。

木製の床に、白い壁の室内。床には15個ほど、さまざまなキャラクターをかたどったぬいぐるみがランダムに置かれている。奥には什器がひとつ、その上にモニターが置かれ、壁には3枚のイラストが架けられている
1階ギャラリースペースでの展示の様子、Yuri Hasegawa Solo Exhibition “It’s not big deal”

――展示のお声がけをするときに、ほかに気をつけていることはありますか?

石部(巧):作家さんとタッグを組むまでではないんですけれど、一緒にやろうというスタンスは大事にしていますね。最初の何回かの展示までは作家さんとあまりコミュニケーションをとれていなかったのですが、この場所をはじめて数か月後から作家さんのことをより知ることが大切だと感じ、それから毎回インタビューを行うようになりました。

――インタビューではどんなことを話されるのですか?

石部(巧):展覧会のコンセプトやテーマ、それに合わせてどういう作品を出したいと考えているのか、それ以外にも、こどものころからいままでにどういうアートに触れてきたのか、何をきっかけに作品をつくりはじめたのかなど、作家のバックグラウンドになる部分も聞いています。その方が自分たちにとっても面白いし、なるべく展示してもらう作家さんにはインタビューをしようと心がけていますね。
あとは、作家さんが不安を感じないように展示の流れや条件についてまとめた文章を事前にお送りして、それを読んだ上で展示するかどうかを決めてくださいと伝えています。

chappy:そういう流れが事前にわかることで、少しでも展示作家さんに安心していただけたらいいなと思っていますね。

――作家さんにどんどん声をかける勢いもありつつ、丁寧にコミュニケーションをとろうとしている様子が伝わってきます。その上で、亀戸アートセンターでは年間15本以上、かなりのペースで展示をひらいていますよね。

石部(巧):そうですね。去年までは、展示は土曜はじまりで、3回週末が来るようにして最後の日曜日で終わり、その次の土曜日から次の展示がはじまるという流れだったんです。基本的に休みは木曜だけ。でも、それがペース的にきついなというのもあって、今年からは、金曜から会期がはじまって、ぶっ続けで週末を2回挟んで水曜終わり、しばらく休んでから次の展示がはじまるという流れに変えました。

chappy:ひらくペースについては結構考えて、やっぱり会期のはじまりと終わりが都心にあるほかのギャラリーさんとぶつかっちゃうと、そっちに人が流れてしまうんですよね。だから平日に会期が終わるようにずらしてみたり。あとうちは夜10時まで営業しているので、それを活かして最終日にも駆け込みで来てもらいたいなとか、いろいろなお客さんに来てもらえる仕組みになるといいなと考えています。

ロフトにつながる金属製の階段と、ロフトの下には様々な洋服がかけられていたり、テーブルに本や雑貨が並べられたりしている

――お客さんとはどのようなコミュニケーションを取ることが多いのでしょうか?

石部(巧):作家さんからは作品や展覧会のことは事前に聞いているので、室内にお客さんが少ない場合は僕たちから積極的に説明をしています。この作品にはそういう見方もあるんだな、と思ってもらえるといいですね。亀戸アートセンターの裏側に鉄板焼き屋さんがあるんですけど、そこのおばちゃんが甘酒を買うついでによく展示を見てくれるんです。少し前に、よシまるシンさんというアーティストの展示をしていたんですが、かれはなかなかコンセプトの説明が難しい「宇宙の謎の図」という作品をつくっているんです。それを鉄板焼き屋のおばちゃんに一生懸命に説明したら、どこまで伝わったのかわかりませんが「へー」って言っていましたね。

chappy:そういう、ぱっと見ただけでは何をやっているのかよくわからないような作家さんのことも大好きで、この場所でもよく展示しているんです。だからこそ、そういう作家や作品のことを伝えたいという気持ちはすごくあるんですが、なかなか難しい。ふらっと入ってきた人が、見ただけでわかるような作品ではないことも多いし。

石部(巧):説明されるのが嫌な人もいるから難しいんですけど、一応、展示を一通り見て、入口付近に戻ってきたタイミングで「説明してもいいですか」って声をかけるようにしています。だいたいの人は聞いてくれますね。この場所は決してアクセスがいいわけではないので、せっかく遠くまで見に来てくれたなら、ぱっと見て帰ってもらうのももったいないし、楽しんでもらえたらいいなと思っています。

亀戸アートセンターと二人

――お二人は肩書きとして、アーティストなのか、亀戸アートセンターの人なのか、いま意識しているのはどちらが多いですか?

chappy:わたしはずっと絵描きと言ってますね。

石部(巧):僕も昔は絵を描いていたんですが、いまはミクストメディアで作品制作をしています。最近は、二人ともアーティストとして展示する機会をつくれていなくて、グループ展にちょいちょい参加するぐらいなんです。なので、肩書きか……。ほかのスペースのみなさんは何て言ってるんですかね。

chappy:うちは最近だと、「亀戸さん」って言われることが多いかな。

赤い服で、茶髪のボブカットのひとが、亀戸アートセンターの前に微笑んでいる

石部(巧):そうですね。亀戸アートセンターは、いわゆるアーティスト自身がディレクションする「アーティスト・ラン・スペース」っていう雰囲気でもないのかなって思ってます。この場所も本業のひとつなので。

ここは二人のなかで意見が違うのかもしれないですけど、僕はここでお金をちゃんと稼いで生活できるようにしたい、この仕事だけでも本業にできればいいなっていう感覚があります。そういう「職場」っていうイメージが強いかもしれないです。

chappy:わたしは作家さんと空間をつくり上げるとか、いい展示ができるように、アイデアを出したり、一緒につくる場所っていう意識が強いですね。自分たちも作家だから、展示してもらう作家の気持ちもいろいろわかるなって思っちゃうし。

――この場所をひらいたことで、自分自身のアート観や作家性に変化があったと思いますか?

chappy:場所の運営と、自分の作品制作のバランスに悩んでいますね。折り合いが上手くいっていないと言うか。展示を回すためにいろんなことをしなきゃいけなくて、パワーを吸い取られ…。ただ、自分の作品をつくりたい気持ちもあるので、いまはどうにかタイミングをみつけて制作するっていう感じです。わたしは制作にも時間がかかるタイプなので、なおさら場所の運営とのバランスをとるのが難しいんだと思います。

石部(巧):僕は変わったかもしれないな。苦しみとか、みんな頑張ってるなとか、ほかの作家と共有できる部分が増えた気がします。そういう意味では、作品をつくる仲間ができた感覚ですね。作家さんって、結構孤独な人が多いと思うんですよ。ファンがいても、歳をとると辞めてしまったりとか。なので若い作家さんをはじめ、いろいろな作家さんと知り合うことができて、繋がれているのは自分にとってもすごく大きいですね。

――亀戸アートセンターをひらくモチベーションとしては、自分たちが作家と出会いたいという気持ちと、まちや地域の人に見てほしい気持ちと、どちらが大きいのでしょうか?

石部(巧):それはやっぱり、まちの人に見てもらいたいです。

chappy:それもあってドリンクを出しています。まちの人も、どういう場所だろうって思っているみたいで、飲み物を買うついでに「なかも見れるの?」って言って入ってくれるので。

窓に冷やし甘酒300円とかかれた紙が貼ってある

石部(巧):最初はまちの人も自然と集まるのかなって思っていたんですよ。このエリアにはほかにアートスペースが少ないので、珍しいから入って来るかなと思ったんですけど、意外と入ってこない。やっぱり怖いのかなとか、普段ギャラリーとかに行かない人にとっては、わけわかんないスペースなんだろうなって思いました。美術館だったらまだ入りやすいけど、民間のギャラリーだと余計にね。

chappy:入ったら何か買わされるのかなとかね、思っちゃったり。

石部(巧):あとは「美術なんてわかんないから」って言う人が結構いて。そんなこと言ったら僕もわかんないけどな、とか思いながら(笑)。でも、少しずつですが近所の人でも興味を持ってくれる人は増えてきたと思います。本当は、もっといっぱい来てくれたらいいなと思いますけど。

chappy:ただ、空間としてここはそんなに広くないので、大人が何人かいるだけで圧迫感がある。ZONSHANGとヌキ本の2組による展示のときは、お客さんがすごく多くて、もうわけわかんない感じになっちゃって。それはそれで楽しみ方があるし、コンセプトや作品解説を聞かなくても面白がってくれる人はいました。でも、作品や展覧会について話すことで、より面白さがわかる内容でもあったので、そのあたりが気になりつつ、でもあわあわして手が回らず……。たくさんの人が来すぎてもバランスが難しいんですよね。

亀戸アートセンターと黒い文字で書かれた、50センチほどの白い看板が傘立ての横に置かれている

亀戸アートセンターの今後

――展示の内容によっても見えてくる状況は変わるので、ひらきかたや、続けかたも一概には正解を出しにくいですよね。ではあらためて、この場所のこれからの展望やビジョンをお聞かせください。

石部(巧):まずは、海外の人にも展示してもらいたいですね。日本でヒットしていないけど、海外ではヒットする作家さんもいるので、またその逆もあるのかなって思っていて。コロナの規制が緩くなってきて、去年あたりからうちにも海外のお客さんがたくさん来るようになりました。だからできるだけ海外の人にもアピールしたり、海外の作家さんを呼んだり、アプローチを広げたいと思っています。

あとは場所を長く続けること。生活とここの運営が成り立つなら、すごくいい仕事だなと思います。自分の好きな作家さんが、自分の場所で展示して、それを見ていられるし。僕はサラリーマンとして働いていた時期もあるんですけど、ストレスで喘息になったりもしたんですよ。サラリーマンとして働き続けていれば、多分お金は安定するし、普通の生活は問題なくできるけど、「なんか面白くない」ということがすごく辛くて。いまの生活は面白さが全然違うんです。でも、安定はしていないので歳をとって体が弱っていくことを考えると怖いんですけどね。

chappy:いまは作品が売れないわけでは全然なくて、海外の人からも問い合わせがある状況に可能性を感じている段階かな。今後はアルバイトとかをはじめるかもしれないけど、それでもいいと思えるんです。そんなにアートセンターでお金を回すことにこだわるわけでもなく、別でお金を稼ぐ選択肢も持っていると思えば、ちょっとは気が楽ですし。

石部(巧):僕はそこは違っていて。いまからアルバイトをしたくないっていう気持ちがすごくありますね。

chappy:わたしは多分好きなほうなのかな。アルバイトそのものの環境も面白いと思えるタイプだから。こういう二人で亀戸アートセンターをやっています(笑)。

亀戸アートセンターの前に立って、少し横を向いてカメラに目線を合わせている青い帽子の人と、茶髪の人。手前には甘酒コーヒーとかかれた看板も見える

――

秘密基地のような建物のなかに、いろいろな工夫がつまっている亀戸アートセンター。
作品販売だけでなく、ドリンクやグッズ販売、シルクスクリーンプリントの仕組み、会期や営業時間の設定など、その場所に行きたくなる価値をさまざまに用意していました。
展示を見に行くこと、好きな作家の作品を手に入れることが好きな二人だからこそ、その面白さを伝えるための方法は、今後さらに広がっていく予感がします。

――

亀戸アートセンター
住所:東京都江東区亀戸9-17-8 KKビル101
アクセス:都営新宿線 東大島駅・大島口より徒歩12分、東武鉄道亀戸線 亀戸水神駅より徒歩12分
公式ウェブサイト:https://kac.amebaownd.com

話し手:石部巧、石部奈々美(chappy)
聞き手:櫻井駿介、小山冴子、屋宜初音
執筆:屋宜初音
編集:櫻井駿介、小山冴子

>YouTubeでは短編ラジオ(YouTube字幕あり)を公開しています

OGU MAG+|Artpoint Radio 東京を歩く #1

「Artpoint Radio 東京を歩く」では、都内にあるさまざまな拠点を訪ね、その運営にかかわっている方にインタビューを行い、その様子をラジオとレポート記事の2つの形式でお届けします。
拠点によって、その業態や運営の手法、目指す風景はさまざま。そうした数多くのまちなかにある風景には、運営者たちの社会への眼差しが映し出されているのではないでしょうか。
本シリーズでは、拠点の運営にかかわるひとびとの言葉から、東京の現在の姿をともに考えていきます。

――

第1回は荒川区東尾久にある「OGU MAG+」を訪れました。
JR田端駅から徒歩10分、OGU MAG+がある荒川区東尾久は、たばこ屋さんや小さな食堂など個人店が多く、昔ながらの下町の風景がのこるエリアです。芸術大学に通う学生が下宿していたり、いたるところに町工場があったりと、昔からものづくりにかかわる人々が住むエリアでもあります。取材に伺った朝には 、ランドセルを背負った小学生や、速足で歩くサラリーマンなど、多くの人が行き交っていました。

高架橋の道路と並行に車道が伸びており、横断歩道を歩行者や自転車がわたっている
田端駅付近の風景

そんなエリアで活動するOGU MAG+は1階にギャラリーとカフェスペース、2階にシェアハウスを備えた、さまざまな人やカルチャーが交差する拠点です。OGU MAGとしてギャラリースペースを2010年にオープンし、まもなく15年を迎えます。カフェスペースとシェアハウスは2021年のリノベーションを経て新しくOGU MAG+としての活動がはじまりました。

今回はOGU MAG+を運営する齊藤英子(さいとう ひでこ)さんにお話を伺いました。映画関係のお仕事をしながら、OGU MAG+の運営も行う齊藤さん。二足のわらじを上手に履きながら場の運営を続ける齊藤さんに、オープンの経緯から、カフェやシェアハウスができてからのこと、15年継続するなかで見えた風景の変化、場所を継続するコツなどをお聞きしました。

赤いタイルと白塗りの壁面の建築
OGUMAG+の外観

OGU MAG+のこれまで

――まずはじめに、この場所の名前の由来について教えてください。

齊藤:近所に尾久ヘアーとか、尾久歯科とか、尾久銀座商店街とか、「尾久(おぐ)」という地名がつく場所が多いんです。なので尾久をつけた方がいいかなと思って。それでアーティストの友達といろいろ話していて、言葉遊びをしているうちに決まりました。いろいろ辞書で調べたりしながら、綴りがMUGだったらマグカップのマグなんですけど、MAGだったらマガジンのようにアーカイブ的に展示が繋がっていくイメージがあったり、引き付けるマグネティックという意味とか、人間の体に必要なマグネシウムであったり、あとマグニチュードとか何かが集まって噴火する感じもいいかなと思って、それでつけたんですよね。「おぐまぐ」って言葉の響きも面白いですし。

壁に架けられた本棚の前に座り正面を向いている人と、それに向き合って座り背中が見えている二人
OGU MAG+を運営する齊藤英子さん

――声に出したくなる、素敵な名前ですよね。もともとギャラリーをやりたい気持ちがあったのですか?

齊藤:いや、流れですね。当時、わたしは映画関係の仕事をしていて、製作から配給、宣伝まで一通りやってみたのですが、本当に博打と一緒なんですよね、映画って。ヒットすれば会社が潤うけどヒットしない場合も多々あって。そんななか、お金儲けとか関係なく、何かやりたいなと思っていたところに映画祭のお仕事の話が舞い込んできました。

映画祭ってとてもいい機能だなと思っていて。商業的に当たるか当たらないかで公開判断するのではなく、問題作であっても、見た人を考えさせるようないい映画であれば上映するスタンスじゃないですか。そこに惹かれて映画祭のお仕事をはじめました。それと同じくらいの時期に「OGU MAGをやりましょう」っていう話をしていて、そういう流れですね。

――なるほど。それではOGU MAGがはじまった経緯について詳しく聞かせてください。

齊藤:この建物は父の生家で、親の持ち物でした。1階は店舗、2階はアパートとして貸し出していましたが、2009年ごろ、1階に入っていた店舗を店主のご都合で急に閉めなきゃいけなくなったんです。その店が抜けた後の状態がボロボロだったので、親とは「誰にも貸せないね」と話していて。ちょうどわたしも勤めていた会社が倒産し、身体があいた時期でもありました。

当時、母は陶芸にハマっていて、それに機織りをやっている叔母もいたので、正月に親族で飲んでいたときに、勢いで「ギャラリーやりましょう!」みたいな感じになって。当初は母の陶芸や友達がつくったものを置くイメージだったのですが、だんだん絵描きや写真家の友達が「壁は絶対真っ白じゃないと駄目だ」「パテ埋めできる壁にしないと」なんて口を出してきて、気がついたら本格的にやることになってしまいました(笑)。

 ――そうなんですね、そこからはじまり2021年のリノベーションの際には、カフェのほかに違う施設をつくるプランもあったのですか。

齊藤:いろいろありました。リノベーションの前、この建物は築50年ぐらい経っていていました。耐震も心配だし、ギャラリースペースは整備したものの、となりの空間はアトリエ貸しをした時期もあって、壁も床も抜かれて、誰にも貸せない状態でした。2階はお風呂がないアパートだったので、3部屋あるうち入居者がいたのは1部屋だけで、あとの2部屋はずっと空き部屋で倉庫代わりにしちゃってたんです。だからこの建物のなかで3分の2ぐらいが使われないデッドスペースになっていて、もう建物として死んでいくなっていう感じだったんです。

OGUMAG+の外観。一階の壁面は赤いタイルで、ガラス張りの大きな入り口が2か所ある。また、2つの入口のあいだには黒板の壁面があり、その前に植物の鉢やベンチが置いてある

齊藤:当時、母は建て直しを考えていたのですが、わたしはこの門構えに愛着があって、絶対にリノベーションしたいと思ったんです。そこで近所の建築家さんたちにリノベーションの相談をしました。でもわたしは誰にやってもらいたいって選べなくて、相談していた3組5人にチームで取り組んでもらうことにしたんです。建築家さんたちが顔合わせをする日をワークショップとしてひらいて、OGU MAGのこれからに興味がある近所の人を募集しました。

まず1階と2階の現状を見てもらうツアーをして、OGU MAGがどういう場所になるといいかアイデアを募りました。20人ぐらい、とてもいろんな人が来てくれて、全部ギャラリーになってほしいっていう人もいたし、銭湯になってほしいという話もありましたね(笑)。

現実的に難しいアイデアも多いなかで、カフェというアイデアに目が留まりました。わたしはカフェでアルバイトやお手伝いをしてたことがちょっとあったし、夫が焼き菓子のお店をしているので、その焼き菓子を置けばいいんじゃないと思って。

雑誌が開かれて置いてある。OGUMAG改装中の写真が並んでいるページ
当時のワークショップの様子が掲載された『新建築』の記事

――そうした経緯があってカフェスペースができたんですね。2階のシェアハウスはどのように活用しているのですか?

齊藤:3部屋あって、それぞれが1年契約、更新は自由でさまざまな人が住んでいます。特に入居条件はないのですが、1年住むと1階のギャラリーで展示ができるという特典をつけているので、アートに関する活動をしている人が多いですね。ほかには地域活動に興味がある人や、共同生活について考えたい人とか、このまちで楽しく住めそうな人に住んでもらっています。

海外の方もいらっしゃいました。3ヶ月だけっていうドイツ人のアーティストもいたし、建築家さんのところにフランスからインターンで来た方を住まわせたこともありました。

――いまはOGU MAG+という名前も使われていますよね。それはリノベーションされた部分をそう呼んでいるのですか?

齊藤:改装時に、ギャラリーの呼び名はOGU MAGで変えず、カフェやシェアハウスをOGU MAGにプラス、さまざまなものを足すかたちになるので、OGU MAG+カフェ、OGU MAG+レジデンスにしようと思いました。また設計図を見ていたら、ギャラリーとカフェに新しく壁を加えたことによって、偶然、1階の空間の真ん中にプラス(+)のかたちがあるように見えるし、2階のシェアハウスも共有スペースがプラス(+)のかたちになっていることに気づいて。フロアの四隅にそれぞれの個室があるレイアウトだったので。なので、この建物全体をOGU MAGプラスと呼ぶようになりました。またリノベーションにかかわる建築家さんをはじめ、カフェやシェアハウスをオープンする際に手伝ってくれた人もたくさんいたので、リノベーションのプロジェクト自体もOGU MAGプラス プロジェクトと呼びました。建物はカフェやレジデンスを足してOGU MAG+になったけど、ギャラリーだけを指すときはOGU MAGのままなので、ちょっとややこしいですが。

雑誌が開かれ、図面の載っている部分を指さしている
建物の図面。壁や空間の仕切りによってプラスのかたちになっている

OGU MAG+と地域

――OGU MAGをはじめるにあたって、地域や近隣の人にどうひらいていくかみたいなことを考えていらっしゃったんですか?

齊藤:全然考えてなかったです。だけどOGU MAGをはじめてすぐ、本当にすぐに、当時近所に住んでいたアーティストの西尾美也さんがギャラリーに入ってきて、話しているうちに一緒に「アラカワ・アフリカ」(2010年に活動開始)っていうプロジェクトをはじめることになりました。それは現代アートで荒川区とアフリカ大陸を結ぶことを考えるプロジェクトでした。プロジェクトをはじめるにあたって、アフリカのことだけじゃなくて荒川のことも知らないとなと思って、まずは荒川区にいるアフリカに繋がりがある人を調べました。

そしたら「ムラマツ車輌」っていうタンザニアでリヤカー製造の技術指導をしていた会社だったり、「アフリカ屋」っていうアフリカの布をコレクションして販売している工房があったり、「東京ジェンベファクトリー」っていうジャンベの工房があったり、アフリカの映像を撮っている人が西尾久にいるよって言われて会いに行ったり、いろんな人が出てくるんですよ。それからですね、地域のことを考えるようになったのは。

OGU MAGをひらいてみて、いろんな人が近くに住んでいることがわかりました。たとえば、ここの本棚にも置いてある写真集『わがまち下町荒川』を出している写真家の小泉定弘さん。

本棚に、正面を向いた冊子が置いてある。表紙に「わがまち下道荒川 小泉定弘」と書いてある

齊藤:かれは長らく日本大学で教えられていて、写真家たちをたくさん育てた偉大な先生なのですが、近所の地主さんでもあります。なので、このあたりの歴史や風景の移り変わりをよく知っていて。小泉先生の写真展をやると、本当にいろんな写真家さんたちが来ますね。

あとは、リノベーションしてくれた建築家さんたちがOGU MAG+をショウルームのように活用してくれたり、近所にミニシアター「CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)」(2016年オープン)ができてからは、そことの連携企画もやっています。

――なるほど。それでは、はじめからレンタルギャラリーではなく、コマーシャルギャラリーをメインで運営されていたのでしょうか?

齊藤:両方で考えていました。自分一人では企画展示はできないので、誰かと企画をしてみることと、あとレンタルでギャラリーを使ってもらうことをやっていました。でも、わたしはコレクターの人と繋がりがあるわけではなかったし、コマーシャルギャラリーのように作品が売れるお約束はできないし、レンタルギャラリーをやる意味もあるのかなと考えてしまうこともありました。

だけど一人の作家さんから、「作家にとっては自分がいいなと思う場所で自由に展示できることが重要。だからOGU MAGはレンタルギャラリーであってもいい」とおっしゃっていただいたんです。レンタルでギャラリーをすることになんとなく申し訳なさを感じていたのですが、そう思う必要がないということに気づかされて、レンタルギャラリーも続けています。比較的ほかのギャラリーより価格が安いので、学生さんが借りてくれることも多いんですよね。例えば芸大生がここで展示をすると、そのお友達が来て自分もやりたいとか、先輩がやっているのをみて自分もいつかOGU MAG+で展示したいと言ってくれる方もいます。

――展示した作家から次の展示へと繋がっていくのですね。希望すればだれでも展示ができるのですか?

齊藤:一応審査というか、ポートフォリオを持ってきてもらって、過去の作品をみながら、わたしと1時間ぐらい話す時間をつくります。作品の遍歴や、どういう考えで制作をしているのか、ここでどういう展示をしたいのかなどを話してもらっています。わたしは作品を見るのが好きだし、そのほうが作家さんのことをより理解できますから。

あとは、別にうまくても下手でもいいんですけど、展示をする意志をきちんと伝えてほしいですね。だって、本当に命を削るような気合いや気持ちで展示する人がいるんです。そういう作家さんと同じ場所で展示をするんだから、わたしにその意志を伝えられないと、誰にも伝わらないなとも思います。

本棚の前で、パソコンをひらいて座っっている人(OGUMAG+主宰者の齋藤さん)

――いわゆるレンタルギャラリーは、原状復帰をすれば何をしてもいいよという運営方法をとることも多いと思うのですが、あえてコミュニケーションを大切にしているんですね。

齊藤:そうですね。人によって展示の目的は違っていて、売れたい人もいるし、ただ展示がしたい人、これまでつくり溜めてきたものを光が当たる場所に出したいという人もいるし、ほかのギャラリーの人の目に留まりたいとか、美術館に収蔵されたいとかいろいろだと思うんです。だから、それぞれの目的に合わせて、こういうやり方があるよと提示するようにしています。ギャラリーの人の名簿をつくってちゃんとDM出すんだよとか、一筆でも書いた方がいいですよとか。

自分でギャラリーをレンタルして展示をするということは、社会に出るみたいな感覚じゃないですか。展示の目的や思いが来た人に伝わるように、ちゃんとその人と向き合って一つひとつの展示をやりたい気持ちがありますね。

白い壁面の部屋で、机の上に革の小物やバッグがおいてあったり、天井から吊り下げられたりしている。部屋の奥は階段3段ほど高い空間になっている
ギャラリースペースでの展示の様子、木下純子 Bag 展「秋に向かう」

――現在はOGU MAG+のほかにも、大小さまざまな文化的な拠点が尾久に集まっていますね。OGU MAGがオープンする前も、そのような雰囲気がまちにあったのでしょうか?

齊藤:いえ、2010年にオープンしたころは、いまほど拠点はなかったように思います。でも、尾久はもともと大工の町で職人さんが多く住むところだったから、ものづくりや文化的なものを認めてくれる、きちんとリスペクトする風潮はありました。例えばOGU MAG+で落語をやったことがあるんですけど、入場料だけじゃなくて、ちゃんとおひねりも渡すとか、すごく気前がいいと言うか。芸にはきちんとお金を払う、それは当たり前でしょという雰囲気がありましたね。

 それは尾久が花街だったこととも関係すると思います。荒川沿いも堤防が立てられる前には川床のある割烹があったりして、すごく素敵だったんですって。そんな風景があったんだということを、写真家の小泉先生から聞いたりします。

 ――時代のなかで景色が変化してきたんですね。

齊藤:変わってきたけど、土壌はあったってことですよね。ギャラリーをひらくときに、区役所で話しても「ギャラリー? そんなものはないよ」みたいな感じだったけど、いまは区自体がギャラリーを持っています。

蓋を開けてみれば、芸大出身の方たちが工場跡をアトリエに変えて住んでいたり、共同アトリエを持っている人も多かったりします。そういったまちの背景があるから、文化にかかわる場所がポツポツ増えてきたのかもしれません。

――地域においてOGU MAG+はどういう場所でありたいと思っていますか?

齊藤:気軽にアートに接することができる場所になるといいなと思います。地域に住んでいる方のなかには、アートに興味があってもなかなか荒川区から出られない人、たとえばママになったりパパになったりして時間がもてない方も多いと思います。そういう人が気軽にアートに触れられる場所でありたいですね。

それと同時にカフェをやっていて最近思うのは、「周りに友達がいないから」って、店主のわたしに果物をおすそ分けしに来る方がいたり、孤立している人が思いのほか多いことです。でもそうですよね、わたしも会社勤めをしていたころは地域とのかかわりがなかったので、地方から出てきて一人で住んでいたら、それはなおさら孤独だろうなと思って。そういう人のよりどころになれるといいなとも思います。

最近はじまった「チクマグ」はまさにそういう場所になりつつありますね。

――その「チクマグ」とはどういった活動なんでしょうか?

齊藤:「チクマグ~針と糸、あるいはおしゃべり~」というタイトルで、わたしの友達が主催しているワークショップです。ギャラリーがひらいていない火曜日に、この場所で開催しています。針と糸があれば誰でも参加できて、穴が空いているものを繕ったり、模様をつけて刺繍したり、いろいろですね。穴の空いたものを繕うことすら、忙しい日々を送っているとなかなかできないことで。わたしも最初は、何年もそのままにしていた裂けたズボンを繕うことからはじめました。

ワークショップのはじめは主催者の友人に縫い方を教えてもらったり、あーだこーだやるのですが、そのあとはひたすら縫うんです。ただ手を動かすだけ。その間は、参加者と色々なことを話します。最終的には介護のこととか、自分が病気になったときどう思っていたんだとか、とても本質的なことが出てきたりします。

OGU MAG+と齊藤さん

――あらためて、OGU MAGをはじめるまでのお仕事について教えてください。

齊藤:昔から映画が好きで、それで大学生のとき小さい配給会社でバイトをはじめました。英語ができたので海外から買い付けのやり取りをしたりしていて。小さい会社だったので自転車操業で段々買い付けが難しくなって、そこでゼロから映画をつくってみたいなと思って、日本の映画の製作現場にはいりました。その後イギリスの大学院の長編映画学科に行って、脚本を書いて、長編映画をつくる経験をしました。その後はしばらく短編映画を撮る学校にも行っていたのですが、ある先生から「君のアイデンティティはどこにあるんだ」と言われて、「日本です」って答えて、そのまま日本に帰ってきました。それからは日本の映画製作の現場に入って、男性社会のなかで揉まれながら働いていましたね。 

本棚の前に座る人(OGUMAG+主宰者の齊藤さん)

――OGU MAGをはじめるなんて思ってもいなかったんですね。

齊藤:そうですね。でもイギリスの大学院に行っていたときに、芸術大学でもあったので周りにファインアートをやっている人や、キュレーションを学んでいる人もいっぱいいて。そういう友達とギャラリーに行ったり、美術館に行ったりしていたんです。ロンドンの中心、繁華街じゃなくても、本当にまちの端っこにギャラリーがあったりするんですよ。そういう風景を見てきたので、自分が住んでいる尾久でもはじめようと思えたのかな。

――OGU MAGがまちなかにあるイメージはできたんですね。

齊藤:そうです。ロンドンでは何があってもおかしくない、別にどこにギャラリーがあってもいいじゃないみたいな感じで。どこにあっても来る人は来るなと思っていたし、面白いことをやっていればそこに人が集まり何かが生まれることはなんとなくわかっていたので。ギャラリーをはじめたら立ち行かなくなるとは思わなかったですね。

――ギャラリーをひらくモチベーションにしても、ただ誰かの作品を紹介したいというより、何かをやってみたい人の背中を押したい、という気持ちが大きいように感じました。

齊藤:それはきっと映画づくりにすごく似ているんだと思います。日本に戻ってから長編映画をつくったんですけど、やっぱり一人じゃできなくて。映画づくりにはまず監督が必要で、脚本をつくらなきゃいけないので脚本家さんとやり取りして、その脚本にキャストがついてきて、それができてからお金集めがはじまるんですよね。この俳優だったら、この監督だったらお金を出してくれるという想定があって、お金の目途が立ちはじめると、その予算からスタッフの規模や、撮影にかけられる日数がわかってきます。それがわかってきて、だんだんその映画の本質というか、削れない部分が見えてくる。

本棚の前に座り、パソコンを開いている人(OGUMAG+主宰者の齊藤さん)

齊藤:それと同時に商売的な部分もうっすら見えてくるんです。ここまで儲からないだろうとか、公開規模はそこまで大きくできないんじゃないか、とか。そういうことを予想しながら映画づくりをしていくことが身に付いていて、だからOGU MAGの改修プロジェクトもしかり、展示もそうですが、この人と組んでやったら、こういうことが生まれてきて、それにはこういうものが付随するだろうなっていうのが自分のなかで少し予想を立てられるんですよね。

大失敗はしないように、勘というか、映画づくりで身に着けてきたことを働かせながら運営しています。作家さんが発表する作品に対して、お客さんがどういう反応をするかなというのも、映画が出来たときの反応を見るのにすごく近いと思います。

――映画のお仕事とOGU MAG+の2つを続けるバランスはどのように考えているのでしょうか?

齊藤:映画の仕事は減ってきたけど、映画がなくなるとやっぱり寂しいなっていう感じもあるので、これからもやっていきたいなとは思います。片方がつらくなったら少し比重を変えたりしながら。映画の仕事にも、OGU MAG+にも、どっちにも言い訳ができるんですよ、わたし。それを許容してくれる人が周りにたくさんいて、いま一緒に映画の仕事をやっている人も、「今日はOGU MAG+を開けている日だから忙しいよね」とか、わかってくれているので助かります。

――齊藤さんご自身、ほかのお仕事をされているときとOGU MAG+に立っているときで、人格的に違うなという感覚はありますか?

齊藤:違いますよね、やっぱり。演じていますよ。あそこ(カフェカウンター)は舞台ですから(笑)。

カフェスペースができたことで、たくさんのお客さんが来るようになったと感じますね。焼き菓子だけ買いに来る人も、お菓子を包装している間に、「ギャラリーの展示もよかったら見ていってください」と言うと、見ていってくださるし。カフェとギャラリースペースは空間的に筒抜けなので、カフェにいる人もギャラリーが盛り上がっていれば気になって見に行くし。反対にギャラリーに来た人も、カフェ側から声が聞こえたり、コーヒーの匂いがすると、やはりこちらに顔を出します。だから何か目的が違っても、いろいろ交差するので、このギャラリーは人が来るって作家さんも思うのか、カフェができてからはコンスタントに展示が続いています。

白いタイルの壁の前に、木製のカウンターテーブルがあるカフェスペース。花瓶に入った枝や、ポッド、メニュー看板などがのっている

齊藤:あとは、狭いギャラリーに入ると気まずいときがありませんか。むしろ店主とか作家さんがいないときの方が入りやすかったりする。だからわたしも、ギャラリースペースだけのときは、会場にべたづきで居るのはよしてたんですよ。でもカフェができてからは、ずっとそこに居れるし、自分が居られないときはアルバイトさんに立ってもらっていれば対応してもらえたり。お互い気をつかいすぎずに居られるのはいいですね。

――いいですね、あの空間のなかで必要な役割を演じているんですね。

齊藤:あんまりマインドは変えてないんですけどね。でもカフェカウンターに立つと、悩みを持った人もたくさんいるし、「こういうことがあるんだけどさ」と身の上話を聞いたり、「内装工事の人知らない?」と相談をされて「それはね!この人が……」と答えたり。まちのコンサルタントみたいな感覚もありますね。

本棚の前に座ってパソコンを開いて、微笑んでいる人(OGUMAG+主宰者の齊藤さん)

OGU MAG+の今後

――10年以上場所を続けていて、疲れてしまったり、継続が難しく感じたりすることはないですか?

齊藤:ギャラリースペースの運営だけだったころは映画の仕事が忙しかったので、OGU MAGのことだけで疲れることはそんなになかったんです。でもカフェをはじめてからは、展示中は必ずカフェを開けていようかなと思うじゃないですか。なので、なるべく自分が疲れすぎないように、あんまり神経をすり減らしすぎないように調整しています。

それでもすり減ることはあるので、お正月や夏休みはまとめて休んだり、きちんとお休みをとるようにしています。それに、いまはいろんな面白い人たちにカフェを手伝ってもらっていますし、カフェで売っている焼き菓子は夫に頼ってますし、夫のお母さんにも頼っています。カフェで相談を受けたら、ほかのお客さんに振ってみたり。ほかにも面白いイベントを企画したり、面白い場所をもっている人たちが近所に住んでいるので、お互いに手伝ったり、手伝ってもらいながらやっています。周りの人にめちゃくちゃ頼りながら続けていますね。

――頼っていると言いながら、ご自身の活動や指針があるからこそ信頼関係が築かれている。それが長く場所を運営していくコツのようにも思いました。

齊藤:重要な場面では絶対に自分がここに居なきゃと思っているし、あとわたしは、意外と義理堅いとか、諦めないっていうこともあるかも。「しぶといね」とか「まだやってんの!?」とか、映画製作をやっていたころから言われることがありました。みんなから「この映画を撮るのは無理なんじゃないか」と言われていても、わたしはまだ裏で手をまわしているとか、そういうところはあるかな。

ここで展示をしてくれたアーティストが、ほかの場所で展示をするならなるべく見に行こうと思うし、これから展示をしますっていう人の展示は、事前に行って勉強しておこうと思います。それは楽しいし、全然無理をしているわけではありません。

カウンターテーブルの前の棚に、さまざまな種類の洋菓子が2段になって並んでいる
カフェで販売している焼き菓子たち

――きっと、そういうしぶとさがあるからこそ、カフェをはじめるに至ったのかもしれませんね。いま、場所をひらき続けて思っていることや、今後、OGU MAG+を続けていくために考えていることを伺ってもいいでしょうか?

齊藤:カフェ2号店を出したらとか、新しい場所を持たないのとか聞かれたりするんですけど、全然そういう気持ちはないんです。それはOGU MAG+でつくらなくても、すでにまちにあるから。まち全体が複合施設であればいいと思いますし、仲間がすでにつくっているから、そこにまた同じようなものをつくる必要はないと思います。

いまは毎日が楽しいですよ。自分が住んでいるまちで、OGU MAGをひらいて15年ぐらいですけど、作家さんとの繋がりや地域との繋がりを思い返すと、まさかこんな繋がりが生まれるなんて想像もしませんでした。だから、ありがたいなと思っています。ただ、ずっと続けていくとすり減ってもくるから、もっと若い人にも任せられるようにしたいなとも思っています。

――なるほど。この場所の運営を誰かに委ねるということも想定されているんですね。

齊藤:はい、それはありだと思います。たとえばカフェだけを担当してもらうとか、ギャラリーのキュレーションだけを担当してもらうとか。はじめからギャラリーとカフェの2つを運営するのは難しいと思いますけど、それはそれで違うチームをつくってやればいいと思う。場所を持つと考え方は変わってくるし、やっぱりそこに縛られるということもあるから、抜け出したくなるときもあります。それで場所をやめる人も多いと思うのですが、頼れる人がいたり言い訳を使えるわたしは、それに比べると自由なんだな、きっと。

――最後に、OGU MAG+の今後の展望について聞かせてください。

齊藤:続けていくこと、あとはわたしが楽しく生きる、です。でも本当に人の身体って何が起こるかわかんないしね。「チクマグ」での話ではないけど、いつ介護がはじまるかわからないし、わたし自身が健康じゃなくなるかもしれない。心も体も健康じゃないと、場所を続けていられないと思う。だから助けてって言えて、人に頼ることも続けていくコツなんだと思います。

お菓子の並んだカウンターテーブルの中で、ポッドを持って微笑む人(OGUMAG+主宰者の齊藤さん)。カフェスペースの横からは、展示スペースが見えている

――

展示作家と積極的にコミュニケーションをとる、カフェを通してまちの人や孤立している人の窓口になるなど、他者とかかわる回路をさまざまに用意しているOGU MAG+。多くの人とかかわりながらも、一人で決めていく部分と、人に頼る/手渡していくバランスを上手にコントロールしているように感じました。
「まち全体が複合施設であればいい」という言葉のとおり、ほかの人や、さまざまな拠点の力を借りながら、お互い助け合える関係を築くことが継続のコツなのかもしれません。

――

OGU MAG+
住所:東京都荒川区東尾久4-24-7
アクセス:JR山手線・京浜東北線 田端駅・北口改札より徒歩8分、日暮里・舎人ライナー 赤土小学校前駅・西口改札より徒歩3分
公式ウェブサイト:https://www.ogumag.com

話し手:齊藤英子
聞き手:櫻井駿介、小山冴子、屋宜初音
執筆:屋宜初音
編集:櫻井駿介、小山冴子
写真:齋藤彰英

>YouTubeでは短編ラジオ(YouTube字幕あり)を公開しています

Artpoint Meeting #16 オンラインをつかう、“伝えかた”と“残しかた”

コロナ禍を経験し、企画づくりでのオンラインの活用は身近なものとなり、いまもなお試行錯誤が続いています。たとえば、対面で続けていたけれど、意外にオンラインでもできた活動もあれば、オンラインではうまく進められずに、対面に戻す場面もあったでしょう。あるいは、企画をまとめるために紙のメディアをつくるのか、映像を撮るのか、ウェブサイトをつかうのかなど、さまざまな方法を選ぶことができるようになりました。

そうしたさまざまな選択肢が広がる現代にあるからこそ、あらためてオンラインならではの「伝えかた」と「残しかた」について足を止めて考えてみます。遠方にいる人とのコミュニケーションのやりかた、ウェブサイトの役割、フィジカルとデジタルでのアーカイブづくり、展覧会や作品を見せる場の変化など視点はさまざま。今回はオンラインでの実践を重ねてきたゲストをお迎えし、オンラインを活用したこれからの活動の広げかたについて、ことばを紡ぎます。

※事前のお申し込みは不要です。
※トラブルなどによって配信がはじまらない、または中断した場合には、本ウェブページおよび公式Facebookページから対応をお知らせします。

質問を募集しています!

オンラインでのコミュニケーションや企画に関する質問を募集します。オンラインの活用方法、ツールの選び方、ウェブサイト運営の課題、映像づくりとライブ配信の使い分けなど切り口は問いません。以下の質問フォームより、気軽にご投稿ください。

※イベント中に投稿いただいた内容を紹介する場合があります。
※すべての質問に回答できない場合があります。あらかじめご了承ください。

詳細

プログラム

16:00~16:20 イントロダクション
「コロナ禍でのアートプロジェクトを振り返る」

「東京アートポイント計画」「Tokyo Art Research Lab」でのオンラインを活用した企画を中心に、そこで感じた可能性、課題について振り返ります。
モデレーター:萩原俊矢(ウェブディレクター)、櫻井駿介(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)
話し手:小山冴子(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

16:20~16:40 プレゼンテーション
「オンラインをつかった、“伝えかた”と“残しかた”を振り返る」

これまでにゲストが取り組んできたプロジェクトの事例やその制作プロセスを振り返り、そこでの気づきや発見、悩み、大切にしていることを伺います。
話し手:莇貴彦(アートマネージャー、CG-ARTS文化事業部)、明貫紘子(キュレーター、映像ワークショップ合同会社代表)

聞き手:萩原俊矢、櫻井駿介

16:40~17:25 ディスカッション
「これからのコミュニケーション、アーカイブの可能性を探る」

オンラインと対面(フィジカル)の特性をいかした企画での使い分けや、取り入れかたのコツ、文化事業としてかかわりを広げるための考えかたについて議論します。

話し手:萩原俊矢、莇貴彦、明貫紘子、櫻井駿介

17:25~17:35 休憩

17:35~17:55 質疑応答コーナー

17:55~18:00 クロージング

※プログラムは変更になる場合があります。

形式

YouTubeでのライブ配信(配信URLは開催3日前までに公式ウェブサイトに掲載)

参加費

無料 ※手話通訳あり

主催

東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)

協力

P3 art and environment

東京を“再読”する :(Re)reading Tokyo

目の前のものと、自分自身の関係を見つめなおす

都市を構成するさまざまな風景は、人の暮らしに適したかたちに整えられ、ひとびとはそれら「当たり前」になった都市の仕組みの中で日々の生活を送っています。そうした現在の環境の中で一度立ち止まり、一歩下がり、そこから「当たり前」になっているものごとを読み解き、再び向き合うための場をひらきます。

足を止め、生活のまわりにあるものをつぶさに見ることで、わたしたちの前に見えてくるものはなにか。日常生活において見過ごしているものはなにか。それらのものたちと自分たちとの関係性とは? 普段、何気なく経験しているものごとの見方を少し変えることで、新たな発見や、文化的な価値を見出すことができるかもしれません。

本企画では、参加者が自分自身の関心をもとに探求をはじめるためのヒントを共有することで、「探求者」であることを日常とする文化の担い手を育むことを目指します。

ナビゲーターは、北海道十勝地方の「芽武(メム)」を舞台に、建築、音、食、自然環境へとアプローチしながら、目の前の対象への「再読」を実践している森下有さんです。また、ゲストアーティストとして、東京の水脈や地層のリサーチを通じて作品を制作してきた齋藤彰英さんとともに企画を構想し、参加者との共有に取り組みます。

詳細

手法

  • 企画メンバーでの定期的なディスカッション。
  • 参加者への共有方法、場づくりの検討。
  • 都内の会場で、2025年2月頃にアウトプットを予定。詳細が決まり次第、本ウェブページやSNSなどで公開。

事業のいまを英語で伝える

伝える方法を探り、ツールとして整える

「東京アートポイント計画」は、2009年のスタート以来、東京都、アーツカウンシル東京、NPO*との「共催事業」という形でさまざまなアートプロジェクトを実施し、創造的な活動拠点やコミュニティを地域の中に育んできました。また同時に、日々変化する社会に向き合うための学びの場づくりや、活動の中で制作した書籍や映像等資料の公開、事業の記録や評価を見据えた運営手法の研究・開発などを通して、アートプロジェクトの担い手づくりや活動基盤の整備なども行っています。

実践のなかから生まれる現場の声をもとに、プロジェクトが地域に根付くためのさまざまな支援・取り組みを行い、プロセスを重視しながら時間をかけて事業と組織を育む「東京アートポイント計画」。この仕組みを広く国内外へ伝え、ゆるやかなネットワークをつくることができれば、そこからまた新たな活動が生まれ、つながっていく足掛かりになるのではないかと考えます。

本企画では、事業の仕組みや手法、そこから生まれた活動の現在を国内外へ広く伝えるために、英語でのツール制作や、資料の翻訳などを行い公開します。

*NPO法人のほか、一般社団法人、社会福祉法人など非営利型の組織も含む

詳細

進め方

企画パートナーとディスカッションを重ねながら、英語で伝えるためのツールを制作し、環境を整備していく。

スケジュール

2022年

  • 企画パートナーを選定
  • 国際発信の方法や目標をディスカッションし、これからの方針を固める
  • 国内外の芸術文化の事例に詳しい有識者へヒアリング
  • 事業の仕組みや特徴をあらためて整理し、英語での資料を作成
  • 東京アートポイント計画ウェブサイトの英語ページを公開

2023年

  • 必要なツールについてディスカッション
  • 「東京アートポイント計画」の英語パンフレットを制作

2024年