メディア/レターの届け方 2024→2025

多種多様なドキュメントブックの「届け方」をデザインする

アートプロジェクトの現場では、さまざまなかたちの報告書やドキュメントブックが発行されています。ただし、それらの発行物は、書店販売などの一般流通に乗らないものも多いため、制作だけでなく「届ける」ところまでを設計することが必要です。

多種多様な形態で、それぞれ異なる目的をもつドキュメントブックを、どのように届ければ手に取ってくれたり、効果的に活用したりしてもらえるのか? 資料の流通に適したデザインとは何か? 東京アートポイント計画では、川村格夫さん(デザイナー)とともに各年度に発行した成果物をまとめ、その届け方をデザインするプロジェクトを行っています。受け取る人のことを想像しながら、パッケージデザインや同封するレターを開発します。

2024年度は、花火のバラエティパックをイメージしたパッケージを制作しました。形や色、厚みもさまざまな、バラエティに富んだ発行物をひとつの袋にまとめています。袋を留めるタグ部分は五種類の色のついた厚紙を使い、各冊子から抜粋した、アートプロジェクトの現場で生まれた「ことば」を印刷しています。また、サイズの異なるタグとレターを、厚紙の裏表に印刷した上でカットしているため、無数の組み合わせが生まれています。

詳細

進め方

  • 同封する発行物の仕様を確認する
  • 発送する箱の仕様や梱包方法の検討
  • 発送までの作業行程の設計
  • パッケージと同封するレターのデザイン・制作

めとてラボ 2024 ―活動レポート―

『めとてラボ』は、「わたしを起点に、新たな関わりの回路と表現を生み出す」ことをコンセプトに、視覚言語(日本の手話)で話すろう者・難聴者・CODA(ろう者の親をもつ聴者)が主体となり活動するプロジェクトです。

2024年度は活動開始から4年目を迎え、ホームビデオ鑑賞会の開催や、「家」に潜むデフスペースデザインに関するリサーチ、手話独自の表現である「CL表現」に着目したワークショップの実施など、さまざまな活動を展開しました。これら1年間のプロセスを時系列にまとめ、一昨年度から発行している円形の冊子に束ねられるように仕立てた活動レポートです。

目次
  • ホームビデオ鑑賞会
  • デフスペースリサーチ
  • めとてスタディシリーズ~CL勉強会~
  • アソビバ
  • 文化拠点
  • めとてラボウェブサイト
関連リンク

めとてラボ公式ウェブサイト

https://metotelab.com/

 

『めとてラボ』の活動レポートは、めとてラボ公式noteに掲載しています。ぜひご覧ください。

https://note.com/metotelab

奥多摩を調べて伝えてみる 奥多摩町立氷川小学校 探求の学習

多摩地域を舞台に、地域の文化的、歴史的特性をふまえつつさまざまな人々が協働、連携するネットワークの基盤づくりを進めている『多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting』が、奥多摩町立氷川小学校6年生と実施した探求の学習についての記録です。

探究の時間は、自分が暮らす町について、自分自身で問いをたて、調べ、探究していくというもの。2024年11月末から3月にかけて、15回の授業を行いました。大切にしたことは、身の周りを見回し、興味や関心を問うべき何かに深めていくこと、そして、それを人に伝えること、伝えることで生まれた新たな問いをまた問い直すこと。これらの時間を通して、子どもたちそれぞれの奥多摩が表現されました。

ひとつのことがわかっても、また新しい疑問が湧く。「問い」は追求すればするほど、増え、深まっていく。その過程に無限の楽しさがある。

目次
  • 1.自分はどこに立っているんだろう 時間、空間の広がりから考える
  • 2.問いを生むレッスン アンテナを立てる
  • 3.やってみる 問われることで問いが生まれる
  • 4.調べたことと問いの関係 問いを深める
  • 5.伝えてみる 問いを外に出してみる

Artpoint Radio 東京で聞く

わたしたちの暮らすまちには、数多くの「活動」が存在しています。その目的やメンバー構成、運営方法、活動エリア、分野もさまざまにあり、一括りにはできない多様な実践が文化事業においても積み重ねられてきました。そうした活動の現場にあるのは、実践者たちの社会への眼差しであり、その実体験からは東京の現在の姿や、目指している風景が浮かび上がるのではないでしょうか。

本企画では、文化やアートの領域で活動する実践者をゲストに迎え、その取り組みや経験、これからの展望を伺いながら、その様子を前後編のラジオ形式で公開します。それぞれの視点を通じて、日々変化する東京の少し先の未来についてともに考えます。

ラジオ(全3回、前・後編)

「地域でプロジェクトを広げる、少し先の生活を想像する」前編
「地域でプロジェクトを広げる、少し先の生活を想像する」後編
「集まってつくる、かたまりすぎないように動く」前編
「集まってつくる、かたまりすぎないように動く」後編
「拠点が立ち上がる、それぞれが目指す風景が続いていく」前編
「拠点が立ち上がる、それぞれが目指す風景が続いていく」後編

人と人、記録と未来をつなぐために、いま「オンライン化」を振り返る(APM#16 後編)

毎回、さまざまなゲストとの対話を通して、これからのアートプロジェクトのためのヒントを探してきた東京アートポイント計画のトークシリーズ「Artpoint Meeting」。その第16回が、2025年1月25日、シリーズ初の試みとして、オンライン配信形式で開催されました。

今回のテーマは、「オンラインをつかう、“伝えかた”と“残しかた”」。コロナ禍を機に広がりを見せた、会議やイベント、業務などのオンライン化。そうした習慣のなかにはコロナ禍の収束を経ても続けられ、社会に定着したものもあれば、再び対面で行われるようになったものもあります。オンラインと対面、それぞれの利点や欠点とは何か? 今回はプロジェクトの「伝え方」と「残し方」にもかかわるこの問いについて、ゲストと考えました。

ゲストは、アートマネージャーで、公益財団法人画像情報教育振興協会(CG-ARTS)文化事業部の莇貴彦(あざみたかひこ)さんと、映像ワークショップ合同会社代表で、アーキビストやキュレーターとしても活動する明貫紘子(みょうかんひろこ)さん。モデレーターを、ウェブディレクターの萩原俊矢(はぎわらしゅんや)さんが務めました。

コミュニケーションの選択肢が多様化した現在。わたしたちは、どのようにしてその方法を選んでいけばよいのか? イベントの模様を、ライターの杉原環樹がレポートします。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:仲田絵美*1-5、7-16枚目)

レポート前編はこちら>
人と人、記録と未来をつなぐために、いま「オンライン化」を振り返る(APM#16 前編)

ディスカッション
難しい現在進行形の言葉選びと、オンラインがひらいた仕事や交流の回路

イベント後半では、ゲストの二人と、萩原さん、櫻井によるディスカッションが行われました。

登壇者の集合写真。白い壁の前に4人が微笑んで並んでいて、左側から2人が立ち、その次の人が黄色い椅子に座り、一番右の人が立っている。
左からプログラムオフィサーの櫻井駿介、モデレーターの萩原俊矢さん、ゲストの明貫紘子さん、莇貴彦さん。

冒頭で触れられたのは、今回のテーマに関する言葉の問題です。今回のイベントの概要文をあらためて読むと、インターネットを介したコミュニケーションは「オンライン」、それを介さない場合は「対面」という言葉が主に使われています。一方、この概要文内でも混在があるように、後者を「リアル」や「フィジカル」と呼ぶ場合、またイベントなどの配信のことは、単に「配信」と呼べば伝わる場合もあります。この事態をふまえ櫻井は、「じゃあオンラインはリアルではないの? など、モヤモヤする」と疑問を投げかけます。

配信風景。ライブ配信を映しているモニターの前に、ライブ配信を設定する画面のパソコンが置いてある机。奥には実際にディスカッションしている登壇者たちがぼやけて見えている
タイムスケジュールが押し気味のなか、第三部のディスカッションがスタート。

これに登壇者からも、「『フィジカル』という言い方はコロナ禍以降」(莇さん)や、「ミーティングは『対面』と言えるが、展覧会は『対面』と言わない。言葉選びがどんどん難しくなっている」(萩原さん)、「言葉には常に疑問がある。まだ言葉が発明されていない気がする」(明貫さん)という声がきかれました。さらに明貫さんからは「今回のタイトルでも『オンライン』が使われているが、『オンライン』は状態のことでは? という違和感がある。逆に以前はよく使った『インターネット』は最近使われない。インターネットが特別ではなくなったということなのかも」との指摘もありました。

4人の登壇者が2人づつ、机を挟んで向かい合わせに座っている。後ろ姿の二人と、その奥にいる2人のうち一人が手ぶりをしながら話している
日々更新される状況に、どのような言葉を使うべきか、いつも迷いが生じるという登壇者たち。

続けて櫻井からは「オンラインと対面、人との出会い方に違いはあるか?」との質問がありました。これに登壇者からは、近年ではプロジェクトなどをはじめる際、最初はオンラインで顔合わせを行い、のちに対面することが増えたとし、そのときに相手の声の大きさや背丈が予想外で驚くことがあるという意見が。莇さんはその背景として、Zoomなどには優秀な音声調整やノイズ除去の機能があり、声の出し方などのフィジカルな情報が削られているため、と説明しました。

一方、オンラインが普及することで広がった可能性もあります。明貫さんは「対面で人と会うには移動や緊張感、気合いが伴う。他方、以前は『クリエイティブ系の仕事は都会にいないとダメ』と言われ、『明貫さんは地方にいるから誘うのはやめよう』というハードルがあったが、それが減り、できることが広がった。オンライントークにも参加できるようになり、都会と地方の文化体験の差がすこしづつ減っている」と指摘。莇さんからも、「コンテストでは関東や関西の応募者が多いが、以前は関西の応募者とは交流しづらかった。それがオンライン懇親会で少しできるようになった。地方に届けられるメリットがある」という声がありました。

ただ、同時に明貫さんからは、そうしたオンラインでの集まりやイベントでは、終了と同時に配信が切られてしまうため、対面での開催にあるような「イベントのあとの揺らぎの時間がないので寂しい」との声も。これに萩原さんも「その部分は見逃しがちだが重要だと思う。会場に行くまでの緊張や、イベント後の時間が大切」と共感を示しました。

登壇者が話すブースを、手前の本棚越しに映している写真。後ろ姿の人と、机を挟んでこちらを向いて話している人がいる
現在、石川県加賀市を拠点とする明貫さんは、オンラインの普及で仕事の幅が広がったという。

失われかねない記録を、いかに堅牢なシステムにつなぐか

では、登壇者はオンラインを使う際、どのようなことを意識しているのでしょうか?

その問いについてきかれた莇さんは、かつての配信ではリアルタイム性が重視されていたものの、現在は「見逃し視聴」がメインとなったため、リアルタイム配信を止めたこと、また、スマートフォンの普及とともに視聴者が映像に集中できる時間がどんどん短縮している点を意識していると話します。一方、明貫さんは「見逃しを見逃す場合もあり、限られた時間だからこそ集中力が上がる面もある。対面授業をする場合も、対面でしかできないことを意識的に入れるようにしている」と語り、時間の限定性や「その場」性を上手く使う必要性を話しました。

さらに明貫さんは、「かがが」の活動において、「ウィキペディアタウン」と呼ばれる、参加者と一緒に資料をデジタルアーカイブ化するワークショップを行う際、オンライン開催もできるけれど、対面で行うことを選んでいると言います。その理由としては、ここで扱う郷土資料のもち主に高齢者が多いことや、参加者に幅広い世代がいるなかで、その「ギャップ」を埋めるには対面の方がやりやすいことなどを挙げました。

スライド資料のキャプチャ画像。左側に「ウィキペディアタウンin加賀 みんなで書き残す加賀の暮らしと災害史」というイベントのチラシ画像があり、右側にウィキペディアタウンという見出しと説明文が載っている。説明文は、加賀市立中央図書館に集まり、Wikipediaの執筆を行うワークショップを全6回開催しました、とある
当日の表示資料より。ウィキペディアの執筆を行うワークショップ「ウィキペディアタウン」を、加賀市立中央図書館にて、全6回開催。

萩原さんはこの「ウィキペディアタウン」の活動について、みんなで対面で物理的な資料を見て、それをウェブ上に上げる、「おもしろいハイブリッドの使い方」と評価します。これに明貫さんは、「ウィキペディアには誤情報も多いとの批判もあるが、入り口として多くの人が使うし、若者から高齢者まで知っている。だから、ウィキペディアに情報を載せることには達成感があり、記事が公開されると参加者から拍手が起きることもある」と紹介しました。

配信中の登壇者。登壇者2人と手話右側に椅子に座る登壇者2人の斜め正面の姿があり、左側に通訳の後ろ姿がある。中央の人が両手を顔の前で合わせるリアクションをとって笑っている
「ウィキペディアタウン」の活動について「おもしろいハイブリッドの使い方」と評価する萩原さん(中央)。

ウィキペディアの作成には無数の人がかかわっており、数多くのウェブサイトでも参照されていることから、一種の公共性をもつともいえます。明貫さんは、アーカイブプロジェクトをともに行うメディアアーティストの岩井俊雄さんが、メディアに精通しているからこそ、さまざまな資料をオンラインに上げることの持続性に疑念を呈していることを紹介。それに対して、相対的に「堅牢なシステム」をもつウィキペディアを使うことの意味について話しました。

岩井さんの懸念を聞いて、莇さんは、インターネットの本格的な普及後の30年間で失われたデータは膨大にあるとし、そこにはパスワードの紛失や物故者のサーバの扱い方などの問題もあるとコメント。また、明貫さんが、インターネット上に残っている情報には偏りがあり、1995年以前の情報は少ないと指摘すると、萩原さんも、そうした浮遊する情報を当事者の記憶があるうちにインターネット上につないでいくことが重要だと話しました。

配信の裏側の風景。機材がたくさん載っている机の前に座り、ヘッドホンを付けて画面を注視している人。その横で、スタッフが様子をうかがっている
テクニカルな配信全体を一人で担う、カメラマンで映像技術者の齋藤彰英さん。

アーカイブとは、やがて応用されるかもしれない「基礎研究」に近い

ここから議論は、データの具体的な残し方や、残すことに対する考え方を巡るものへと広がりました。

萩原さんは、明貫さんがアーカイブ化に際して「一時倉庫」「仮置き」という言葉を使うのがおもしろいと話します。史料などの整理・分類の方法を研究する「アーカイブズ学」には、「あまり判断を挟まず何でも保存する」段階と、「何が重要かを評価選別する」段階に分ける情報のライフサイクルについての考え方があります。萩原さんが、こうした学問的な思考が明貫さんの背景にあるのかと問うと、明貫さんは、単純に作業上の都合で「仮置き」している場合もあると返答。自身が「FArS」で扱った記録は、より行き場のない宙吊りの史料であり、最終的には然るべき組織が保存すべきだが、それを一時的に保存し、史料の存在を知ってもらえる便利な場としてインターネットを捉えていたと話しました。

このような、「データの存在を意識する」ということに関連して、明貫さんはドイツでビデオアートの資料整理に携わっていた際に実践していた、データを3つのファイルで残すという考え方を紹介しました。その3つとは、作品のマスターデータと、簡易的なプレビューデータ、そして両者の間にある「メザニン・フォーマット」と呼ばれるデータです。この3つ目のデータは、プレビューに何か問題が起きた際に、いったん戻るためのデータであるといい、倉庫の奥に仕舞われたマスターにアクセスせずとも手前に触れやすいデータがあることは、安心感につながると話します。

手間にいる人の後ろ姿越しに、頬に手を当てて微笑んでいる人
アーカイブの専門職=アーキビストとして、思うところを語る明貫さん。

さらに明貫さんは、アーキビストとして、「データを残す際は、役に立つか立たないかは考えない。将来、いまの自分にはわからない状況が生まれるかもしれず、いろんなことを想定して残す」と語ります。そして、「ノーベル賞で、何十年も前の基礎研究が最新の成果にいかされて受賞することがありますが、その意味でアーカイブは基礎研究に近い。残された資料を展示などにいかすことは応用研究に当たる」とコメント。これに莇さんが「記録にはタイムカプセル感があり、インデックスをつけると次世代が使いやすくなる」と話すと、明貫さんも「使いやすさや見つけやすさのフックを増やしていくことは重要」と共感しました。

トークの最後には、今日も何度か話題に出た、本というメディアの強さについて触れられました。莇さんは、「デジタルのよいところはアップデートできることだが、一定の期間の情報を残すという意味では、物理的に国会図書館などに保存され、ランニングコストがかからない書籍に強みがある」と指摘。これに明貫さんも、「デジタルは中身を無限に広げられるのに対して、本は固定的で有限的。デザイナーや印刷所などもかかわりながら刊行されるので、『いつまでにまとめる』というよい力学が働きやすい」と語りました。

撮影中のカメラ越しに、椅子に座る登壇者2人の姿がある。一人が腕を組んで話していて、もう一人がその様子を見ている
インターネット空間にどう情報を残せるのか、はたまた書籍の強みについて言及する莇さん。

また、櫻井から、「ウェブサイトそのものを残す仕組みはあまりないのでしょうか?」と問われた萩原さんは、Internet Archive のように、残す取り組みを推進するNPOや、近年ではブロックチェーンのような分散型の仕組みを使ったデータの残し方が出てきており、それには期待する一方、ウェブサイトの契約主体が変わる可能性や、ランニングコストの問題は残るとコメント。そうしたなかで、明貫さんの語った「一時倉庫」という言葉はおもしろいと話し、より堅牢なアーカイブをつくるための仮置きの場所として、インターネット上の空間を捉える見方には可能性があると話しました。

ツールの性質を見極めながら、記録の存在を「忘れない」ことが重要

その後の質疑応答のコーナーでは、視聴者から多数の質問が寄せられました。

机の上に、質問が描かれたはがきサイズの用紙が複数枚広がっている。それを見たり、指をさしたりしている登壇者たち
視聴者から寄せられた多くの質問に目を通す登壇者たち。

例えば冒頭には、オンラインの場で面識のない参加者が集う場合、打ち解けるためのよいアイスブレイクはあるか、といった質問が。これにオンライン懇親会などを開催してきた経験のある莇さんは、自分が意識的に盛り上げ役になり、人と人をつなげることを意識していると回答。そのひとつの入り口としては、主題に入る前に、天気の話のような「無駄な話」をすることも使えると答えます。

また、「S.I.D.E.」など遠方のメンバーとのプロジェクトでの工夫をきかれた明貫さんは、オンラインではいつでもつながれるからこそ、ツールを固定して定期的に会議をもつことや、たまに対面で会った際に、濃密な時間を過ごすようにしていることなどを紹介しました。

オンライン上で人と人とが近づくための工夫に関する質問も多く見られました。これに萩原さんは、ツール選びの重要性を指摘。対面における大切な打ち合わせの場合には、場所選びを真剣に行うけれど、オンライン会議ツールについてはあまり意識せずにシステムに任せるがままに使いがちとし、その意識を変えてみることの可能性を示唆しました。

机を挟んで二人ずつが座り話している。手前に後ろ向きの2人がいて、その向かいに顔を見合わせて話す2人がいる
常に変化するテクノロジーの世界に、どう対応すべきか意見が交わされた。

他方、アーカイブ化について、インターネット上に残すという場合、どのくらい先の未来を想定しているのかという質問に対して、莇さんは、50年前からメディア環境が激変したように、50年後にはインターネット上に残すということ自体が古くなっている可能性があるし、基本的には残らないのではないかと回答。同様に、磁気テープなどの物理的なメディアが古くなるという問題をどのように考えているかについて、明貫さんも、データは物理的な媒体の場合は複数のバックアップを取り分散させて保存し、可能であれば堅牢なクラウドにも残すことが(特に災害大国である日本においては)重要としつつ、常に変化するテクノロジーの世界ではデータの安定性はそこまで高くないと指摘しました。

撮影中のカメラ越しに、椅子に座る登壇者2人の姿がある。手前の一人が手ぶりをしながら笑って話している
残すために必要な意識について語る明貫さん。

そうしたなかで明貫さんは、アーカイブにとって重要なのは、その存在を「忘れないようにすること」だとあらためて強調します。例えばSNSは、情報が流れていく場所であり、検索機能も十全とは言えず、何かを残すことに適した場所ではないかもしれません。しかし明貫さんは、2024年の能登半島地震における断水状況を調べるにあたり、位置情報や時刻なども紐づいたSNSの情報は有益だったと振り返り、このようにフォーマットやサービスの性質を見極めながら、記録の存在を忘れないようにしていくことが大切だと語りました。

白い壁に立てかけられ、床においてあるスケッチブック。スケッチブックには「そとそろ まとめ一言ずつ」と紙面いっぱいに書かれている

最後に今日の振り返りを求められると、莇さんは、「常に変わる状況のなかで、模索し続けるしかない。ずっと定型で同じことを繰り返すのではなく、例えば1年ごとに、疑いをもって自分の方法を振り返るのが、伝え方、残し方、両方にとって重要ではないか」とコメント。一方、明貫さんも、途中で触れた、何でも残していく「基礎研究」と、それを評価し活用する「応用研究」の例えを挙げ、その双方を早いサイクルのなかで行っていくことが、今日のデジタル環境のなかで何かを残すためには重要だ、と話しました。

ライブ配信中のモニターがあり、三分割に分かれた画面がある。左側3分の2に登壇者が座る机の片側を映す大きな画面、右側3分の1が上下に2分割されており、上側に登壇者が座る机の俯瞰図、その下に手話通訳の正面の姿がある
最後に登壇者がそれぞれまとめの言葉を述べて、配信を終了した。

オンラインの場を使ったコミュニケーションや、記録のアーカイブの可能性と限界について、ゲストのお話をききながら考えてきた今回の「Artpoint Meeting」。莇さんや明貫さん、萩原さんのお話で特に印象的だったのは、人との交流や、何かを残すためにさまざまなメディアや場を用いながらも、そのものの有効性や堅牢性を常に疑い、検証し続ける登壇者の姿勢でした。そこには、ほんとうに大切にすべきはツールや方法論そのものではなく、それを介して人や記録がつながることであるという思いがあるように感じます。

また、「Artpoint Meeting」として初のオンライン開催となった今回。そこには、目の前に観客がいないゆえに、議論のスピードが速くなったり、専門的な単語が説明なしで飛び交う状況もあったようにも感じます。一方、遠方に住む人や、テーマに関心をもつ人が気軽に参加できたり、気兼ねなく積極的に質問できたり、あとから映像で振り返ることができたりと、オンライン配信だからこそのよさも生じていたように感じました。

「Artpoint Meeting」では今後も、こうしたメリットとデメリットの検証を通して、よりよい開催のかたちを模索していければと思います。

配信中の本棚に囲われたブースの裏側に立っている人。立ったままA2サイズの紙を持っていて、「のこり3分です」の文字が大きく書かれているのが見える

レポート前編はこちら>
人と人、記録と未来をつなぐために、いま「オンライン化」を振り返る(APM#16 前編)

人と人、記録と未来をつなぐために、いま「オンライン化」を振り返る(APM#16 前編)

毎回、さまざまなゲストとの対話を通して、これからのアートプロジェクトのためのヒントを探してきた東京アートポイント計画のトークシリーズ「Artpoint Meeting」。その第16回が、2025年1月25日、シリーズ初の試みとして、オンライン配信形式で開催されました。

今回のテーマは、「オンラインをつかう、“伝えかた”と“残しかた”」。コロナ禍を機に広がりを見せた、会議やイベント、業務などのオンライン化。そうした習慣のなかにはコロナ禍の収束を経ても続けられ、社会に定着したものもあれば、再び対面で行われるようになったものもあります。オンラインと対面、それぞれの利点や欠点とは何か? 今回はプロジェクトの「伝え方」と「残し方」にもかかわるこの問いについて、ゲストと考えました。

ゲストは、アートマネージャーで、公益財団法人画像情報教育振興協会(CG-ARTS)文化事業部の莇貴彦(あざみたかひこ)さんと、映像ワークショップ合同会社代表で、アーキビストやキュレーターとしても活動する明貫紘子(みょうかんひろこ)さん。モデレーターを、ウェブディレクターの萩原俊矢(はぎわらしゅんや)さんが務めました。

コミュニケーションの選択肢が多様化した現在。わたしたちは、どのようにしてその方法を選んでいけばよいのか? イベントの模様を、ライターの杉原環樹がレポートします。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:仲田絵美*1-9、13枚目)

登壇者の集合写真。4人がにこやかに笑いながら白い壁の前に並んで立っている
左からプログラムオフィサーの櫻井駿介、モデレーターの萩原俊矢さん、ゲストの明貫紘子さん、莇貴彦さん。

イントロダクション
仮設のブースで、オンラインについてフランクに話してみる

初めてのオンライン配信形式での開催となった今回は、市ヶ谷のアーツカウンシル東京のエレベーターホールに、ラジオブースのような仮設の配信スタジオを設置。スタート前のスタジオを覗くと、本棚の裏に仮囲いのブースと登壇者の姿を押さえる4台のカメラ、照明機材、映像の切り替えや音声の調整を行う技術スタッフの操作卓などがコンパクトに配置されていました。

木目の木棚の囲いの中に机やいす、モニターがあり、その手前側に配信用の機材や照明などが置かれている
エレベーターホール前の打ち合わせスペースを生かして、仮設の配信スタジオを設置した。

他方、配信に直接関係のないスタッフや、取材陣は、少し離れた部屋に用意された「ライブビューイング会場」にて、配信の開始を待ちます。YouTubeの画面に表示される「〇〇人が視聴中」の数字を気にする一同。観客の気配のない会場には、いつもとは少し違う緊張感があるようにも感じました。

配信は予定の16時に無事にスタート。冒頭では、モデレーターを務めた萩原俊矢さん、プログラムオフィサーの櫻井駿介、小山冴子が登場し、今回の試みの背景を語りました。

ライブ配信の様子を、ブースの手前で配信スタッフが2つの画面でモニタリングしている
登壇者、スタッフ、手話通訳を交えての打ち合わせののち、配信スタート!

2023年にリニューアルした「Tokyo Art Research Lab」(以下、TARL)のウェブサイトの企画運営を担当した櫻井は、コロナ禍のはじまった2020年にはフリーランスとしてアートプロジェクトの現場でオンライン対応に携わっていました。当時は社会で急速にオンライン化が求められた時期でしたが、その形式が普及するなかで、近年の配信は「きっちりしがち」とコメントし、それに対して今回の配信では「もう少し実験的に、フランクに、オンラインの可能性について考えてみたい」と、開催に対する思いを語ります。

本番中の3人のバストアップ。一番左手前に通訳の後ろ姿、その右側に2人の登壇者が座っている
今回のモデレーターで、ウェブディレクターの萩原俊矢さん(中央)。

一方、TARLの新しいウェブサイトのディレクションも手がけた萩原さんは、制作の仕事に加え、所属するネットアートのチームとして実験的な企画を早くから展開してきました。例えば2013年には、Google Docsの文書上に集まったカーソルをアバターに見立てたテキストパーティを実施。2016年には、48時間にわたり世界中の友人たちと就寝の姿を配信し合う「インターネットお泊まり会」を行いました。萩原さんは、「その当時は現在ほど集うためのツールが普及しておらず、限られた条件のなかで工夫して活動してきた。今日はそうした制約をどういかすかについても話したい」と語りました。

コロナ禍に問われたオンラインの可能性と限界

人が集い、話したり、食事をしたり、身体を動かしたりすることが重要な要素となるアートプロジェクトの現場において、「三密(密閉・密集・密接)」の回避やソーシャルディスタンスが求められるコロナ禍の到来は致命的な出来事でした。ただ、そのなかでも東京アートポイント計画の現場では、人が集まるためのさまざまな試みが行われてきました。

本番中の登壇者の様子。椅子に座る2人の姿と、1人の後ろ姿。中央の人が手前を向いて小さくてぶりをしながら話している
東京アートポイント計画、プログラムオフィサーの櫻井駿介(中央)。

例えば2020年、足立区で活動する「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」では、千住に1010人が集って演奏する音楽祭を予定していましたが、対面の実施は断念。代わりにオンライン上で「千住の1010人 from 2020年『2020年を作曲する 世界だじゃれ音Line音楽祭』」を開催しました。櫻井は、「配信ならではのズレやハウリングをいかした演奏が行われるなど、オンライン化でむしろフットワークが軽くなった」と振り返ります。

また、東京アートポイント計画では2020年7月、それまでレクチャールームとして使用していたアーツ千代田 3331内の「ROOM302」に配信機材を揃え、「STUDIO 302」として整備。小山は「『集まれない』だけでは活動が止まってしまう。『集わずに集う』ための方法を考えながら拠点をつくった」と当時の動きを語ります。それをきいた萩原さんは、「コロナ禍1年目は、いままでのことをどのようにオンライン化するか、みんな悩んでいた。配信だと離れた場所にいる人とも交流できるというメリットが見えてくるなど、その方法を使うことで何ができて、何ができないか、整理する時期だったと思う」と指摘しました。

椅子に座って話す人。手前に後ろ姿の人がいて、その人に向かって話している
東京アートポイント計画、プログラムオフィサーの小山冴子。

他方、今日のテーマ「オンラインをつかう、“伝えかた”と“残しかた”」にもあるように、オンラインの場は、イベントやプロジェクトの実践の場となるだけでなく、その活動を記録し、活用する場となる可能性ももちます。以前より資料作成に力を入れてきた東京アートポイント計画でも、映像プログラムの増加や活動の蓄積をふまえ、そうした資料類やアートプロジェクトにかかわる人びとのプラットフォームとして、TARLのウェブサイトのリニューアルを行いました。

その作業のなかでは、多様な背景をもつ人にとっての情報へのアクセスのしやすさ=アクセシビリティを向上するための取り組みも行いました。また、2022年からは、TARLに蓄積された記録を体系的に捉えるための年表づくりにも携わり、2025年1月にベータ版を公開しました。このように活動をオンラインでまとめることについて萩原さんは、「スマホやパソコンの画面は紙よりも小さいが、スクロールできる。情報の世界では『ファセット検索』と言うが、情報をいろんな断面で見せることができるのがデジタルの強み。常に情報を更新できることも重要」と話します。

こうしてコロナ禍を機にオンラインでの集まり方や記録の残し方の可能性がひらけてきた一方で、「何をどう使っていくのか、何を残していくのかが問われていて、わたしたち自身も悩んでいる」と小山。その問題意識を共有して、ゲストへとマイクを渡しました。

プレゼンテーション
若いクリエイターの支援に、オンラインの場をいかす

続けてゲストの莇貴彦さんと明貫紘子さんがブースに入り、自身の活動を紹介しました。

机を挟んで二人ずつが座り話している。手前に後ろ向きの2人がいて、その向かいににこやかに笑いながら話す2人がいる
ゲストの二人を招き、プレゼンテーションがはじまった。

アートマネージャーで、「文化庁メディア芸術祭」(1997〜2022年)などを運営してきた「公益財団法人画像情報教育振興協会」(以下、CG-ARTS)で文化芸術振興活動に携わる莇さんは、もともとは自身もインタラクティブなメディアアートのつくり手として活動。現場で培った経験を強みに、ほかのアーティストの展示を支える「インスタレーションコーディネーター」としても活動し、その経験はCG-ARTSでの展覧会制作や作家支援活動にも生きていると話します。

手ぶりをしながら座って話す人
アートマネージャーで、公益財団法人画像情報教育振興協会(CG-ARTS)文化事業部の莇貴彦さん。

CGの普及期の1991年に創設されたCG-ARTSの活動は、検定の実施や書籍の発行を通じた「人材育成」と、学生のつくり手のためのコンテスト「NYAA」などの運営を通じた「文化振興」の主に2つです。昨年夏には、スマートフォンで見ることを前提とした創作活動に励む学生向けウェブメディア「CG-ARTS One」も公開。新しい才能と社会をつなげてきました。莇さんはこうした若手支援を植物の成長に例え、CG-ARTSで重視するのは、教育機関などで生まれた「種」に、NYAAなどを通じ「芽が生える」きっかけをつくること、と説明しました。

「NYAA」では今年30周年を迎えるのを機に、以前の「学生CGコンテスト」から「NEXT YOUNG ARTIST AWARD」の略称である現在の名称へと変更。時代とともに応募作にはCG以外の多様な作品が多く含まれるようになり、メディアを限定せず創作者個人を評価してゆく姿勢をより明確にしました。

同賞では以前より、今回のテーマであるオンラインを舞台にした先進的な取り組みを行ってきました。2011年には動画共有サービス「Ustream」を使って審査会の様子をリアルタイムで配信。コロナ禍の2020〜2023年には、展示や対面での授賞式ができないことを受け、学生にとっての「発表歴」になるようオンライン展覧会を実施します。こうした展示では一般的に、バーチャル空間に物理的な展示空間を再現するものも多いですが、「NYAA」ではウェブ展示の最適解を考え、テーマに沿ってキュレーションされた作品映像資料が「上映室」というかたちで並ぶ形式を取りました。

パソコンのキャプチャ画像。CGC29アート&ニューメディア部門審査会というタイトルのYouTube動画が流れており、オンラインをつかった審査会の様子が写っている
当日の表示資料より。学生のつくり手のためのコンテスト「NYAA」では、コロナ禍以前の2011年からさまざまなツールを用いて審査会の様子を配信。

また、バーチャルオフィスサービスの「Gather」を使い、審査員と受賞・入選者の懇親会もオンライン上で開催。アバター同士が近づくと声が大きくきこえる機能もあり、ジャンルごとに人の集まりができるなど、対面の立食パーティと近い光景が現れました。ただ、2024年に久しぶりに対面で受賞発表会と懇親会を開いたところ、「体験の解像度がオンラインとは違う。かなわないと思った」と言い、「オンラインには限界もある」と感じたと話します。

パソコンのキャプチャ画像。ゲームのようなピクセルデザインのまちに、たくさんの参加者のキャラクターが歩いていた李、集まっていたりしている
当日の表示資料より。コロナ禍では、審査員と受賞者の懇親会も、バーチャルオフィスサービス「Gather」を使い、オンライン上で開催した。

また、2022年まで続いた文化庁メディア芸術祭では、2023年、これまでの歩みを紹介する「25周年企画展」を開催。他方、アーカイブという点では、ウェブ上にも記録はありましたが、サーバの維持管理や、公共事業ならではの予算継続の不透明さ、情報セキュリティの観点から結局は書籍化を選択。最低限の情報を載せたところ、約800ページの本になったといい、ここでもフィジカルな媒体の強さが示されました。

赤い表紙の分厚い本が、開かれた状態と閉じた状態で置かれている
文化庁メディア芸術祭25年のあゆみをまとめた802ページの書籍『文化庁メディア芸術祭 1997-2022 25年の軌跡』(CG-ARTS、2023年)。

地域資料やアートの実践の過程を、インターネットに紐づける

続く明貫さんは、映像ワークショップ合同会社の代表のほか、キュレーターやアーキビストとしても活動してきました。あとの二つの肩書きについては、自身を「野良」と呼び、しかし「そうした野良の立場だからこそできることを意識的にやってきた」と話します。

手間にいる人の後ろ姿越しに、顎に手を当てて笑っている人
映像ワークショップ合同会社代表で、アーキビストやキュレーターとしても活動する明貫紘子さん。

石川県かほく市出身の明貫さんは、筑波大学や国際情報科学芸術アカデミー(現・情報科学芸術大学院大学、IAMAS)で学んだあと、キュレーターとしてSKIPシティ映像ミュージアム(川口)やNTTインターコミュニケーション・センター [ICC](初台)に勤務。その後、文化庁の事業の一環でメディアアートの記録と保存に関する研究を行い、ドナウ大学大学院(オーストリア)にて修士号を取得しました。2013年からはInter Media Art Institute (IMAI、ドイツ)でビデオアートのデジタル化やデータベース作成に携わり、帰国後はキヤノンが1991〜2001年に行った伝説的な文化支援事業「キヤノン・アートラボ」の資料整理に従事。現在はふたたび故郷に近い石川県の加賀市を拠点にしています。

そんな明貫さんの仕事のひとつに、2021年に試作した「Floating Archives Strorage(浮遊するアーカイブス倉庫)」(以下、「FArS」)があります。これは、メディアアートというジャンルが、専門的な美術館などのない時代、フェスティバルなどの流動的な場で発表されてきた歴史をふまえ、そうした行き場のない「浮遊する記録」をFArSのウェブサイト上の「浮遊する倉庫」に一時保管し、期間限定でアクセスできるようにしたものです。

Floating Archives Storage(FArS) 浮遊するアーカイブス倉庫(2021-)というテキストがあり、その上にパソコンのキャプチャ画像が2枚隣り合って並んでいる
当日の表示資料より。メディアアートやそれに付随する資料を、誰でもひとまずアップして保管し、また見ることができる「浮遊するアーカイブス倉庫」を開設(現在は閉鎖されている)。

一方、ドイツから帰国した2018年にアーティスト・映像作家の木村悟之(きむらのりゆき)さんと共同設立した「映像ワークショップ合同会社」では、「眠っている文化・芸術資源を掘り起こし、次世代の創造性につなげる」をミッションに、さまざまな事業を展開しています。

そのひとつの「かがが」は、加賀の写真や映像などの地域資料をデジタル化し、ウェブ上にアーカイブするプロジェクトです。その特徴は、市民ワークショップなどを通じて、誰もが編集可能なインターネット百科事典「ウィキペディア」と同じ仕組みによる加賀についての資料アーカイブを作成し、それを「ウィキペディア」本体と連動させること。例えば、ウィキペディア上の加賀に関する記事から「かがが」のウェブサイトに飛べるようリンクを貼る、あるいは逆に「かがが」上の資料に関連する項目をウィキペディア上に作成するなど、ハイブリットな資料活用が行われています。最近ではこうした活動に共感した再生可能エネルギーを扱う株式会社まち未来製作所と協働し、資源循環型のコミュニティの構築を目指す活動もはじまっているといいます。

かかがとWikipediaの関係と書かれたイラストのスライド画像。「かがが、と書かれたパソコンのウィンドウのイラスト」と「Wikipedia」と書かれたウィンドウのイラスト」が矢印で結ばれて、相互に補完と書かれている。その2枚のイラストに向かって「人型のイラスト」からそれぞれ矢印が伸びてファイルをアップロードする様子が描かれている
当日の表示資料より。「かがが」はウィキペディアと同じソフトウェア「メディアウィキ」で制作していることから、ウィキペディアとの連携がしやすい。

また「映像ワークショップ」では、メディアアーティスト・岩井俊雄(いわいとしお)さんの作品の修復や関連資料の整理、デジタル化、調査などを行う「岩井俊雄アーカイブ&リサーチ」プロジェクトも行っています。この活動では、伊豆に住む岩井さんと加賀の明貫さんがオンライン会議ツールの「Zoom」で話すなか、その会話の録画自体も資料になると感じているそうです。その経験から、岩井さんと「資料と語るオンライン・トーク」シリーズを展開。その記録映像をYouTubeに上げる際には、長時間の映像をテーマで細かくキャプチャ分けし、アクセスしやすくする工夫もされています。

YouTubeのキャプチャ画像。「岩井俊雄アーカイブ&リサーチ 資料と語るオンライントーク 映像装置としてのピアノ を再生する」というタイトルの動画が再生され、ピアノとスピーカー、人の姿が描かれた立面図が映っている
当日の表示資料より。メディアアーティスト・岩井俊雄による「資料と語るオンライン・トーク」。資料価値の高い記録映像を目指すため、収録時間をなるべく制限しないようにしている。

さらに明貫さんは、2022〜2024年、札幌国際芸術祭(SIAF)の関連団体「SIAFラボ」が手がけた分野を超えた研究開発と協働のためのプラットフォーム「S.I.D.E.」で、キュラトリアル・リサーチャーを務めました。このなかで明貫さんや、アーティストの中井悠(なかいゆう)さんたちは、音楽家のデーヴィッド・チュードア、アーティストの中谷芙二子(なかやふじこ)やジャクリーン・マティス・モニエらが、Experiments in Art & Technology (E.A.T.)のサポートを受けて1974年から進めた、島全体を楽器化する《Island Eye Island Ear》という未完の構想に着目。当時の資料を調査しながら、その実現可能性を探りました。

PCブラウザのキャプチャ画像。黒い背景のページに、黒い正方形の付箋型のアイコンが7列4段で並び、一番下の段は見きれている。付箋型のアイコンそれぞれには、ABOUT、タイプ:島、タイプ:文献、タイプ:フィールドワークなどの名前や、プロジェクト名のようなものがタイトルとして書かれ、写真や画像が載っているものもある
当日の表示資料より。「S.I.D.E.」の記録やアーカイブ資料をCosense(コセンス)というサービスを使い、整理して保存している。色分けによるタグづけが可能で、操作も簡単、共同編集できるので、オンラインベースのドキュメント制作のプラットフォームとしては最適なサービスだと明貫さん。https://scrapbox.io/side-effects/

その会議の多くは、メンバーそれぞれの拠点である北海道・加賀・東京をオンラインでつないで実施。実際の島に訪れて行ったリサーチの映像はYouTubeに公開されたほか、調査の過程で得た資料やメモは文書管理ツールの「Scrapbox」(現・Cosense)を用いて管理されるなど、インターネットが活用されました。一方、その軌跡をまとめるに当たっては書籍化を準備中。明貫さんは「一時的に書き留めておく、中間地点の情報としてはウェブ上のツールを使うことは便利でよいけれど、結局は本にしたくなるということなのかなと感じている」と話しました。

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人と人、記録と未来をつなぐために、いま「オンライン化」を振り返る(APM#16 後編)

15年目のアートプロジェクトに、行政とアートNPOのパートナーシップを学ぶ——足立区シティプロモーション課×「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」【ジムジム会2024 #4 レポート】

東京アートポイント計画に参加する複数のアートプロジェクトの事務局が集い、活動を展開する際の手法や視点を学び合ったり、悩みや課題を共有し合う勉強会「ジムジム会(事務局による事務局のためのジムのような勉強会)」。2024年度は全体のテーマを「パートナーシップ」として行っています。2025年2月19日、足立区千住の「仲町の家」で開催された第4回の様子をレポートします。

行政と組むことで、どのような可能性がひらけるか?

アートプロジェクトの事務局と、まちで活動する人々との「パートナーシップ」について学んできた、今年のジムジム会。その最終回に当たる今回は、足立区で活動する「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」(以下、「音まち」)と、足立区シティプロモーション課の協働について知ろうと、音まちの運営する「仲町の家」をみんなで訪れました。

「音まち」は、まちに芸術文化を通じた「縁」をつくるアートプロジェクトとして、2011年に開始。2021年まで足立区、東京藝術大学(以下、藝大)、NPO法人音まち計画(以下、音まち計画)、アーツカウンシル東京、東京都の5者で共催し、東京アートポイント計画(以下、アートポイント)として実施しました。アートポイントからは2021年に卒業しますが、活動はその後も足立区、藝大、音まち計画の3者で継続。2024年度にはその代表的なプログラム「Memorial Rebirth 千住」(以下、「メモリバ」)を実施するにあたり、再び共催事業として展開することになりました。

また、アートポイントでは2024年から本格的に、基礎自治体と組んでアートプロジェクトを行う「東京都・区市町村連携事業」を開始したという背景があり、「音まち」は区市町村との連携のモデル事業としても位置付けられています。冒頭にマイクを握ったプログラムオフィサーの櫻井駿介(さくらい しゅんすけ)は、「行政と組むことでまちなかでの活動の可能性がひらけるのではないか。今後、行政と組む事務局もあると思うので、今日はたくさん質問してください」と参加者に呼びかけました。

お話を伺ったのは、「音まち」のディレクター吉田武司(よしだ たけし)さんと、シティプロモーション課長の栗木希(くりき のぞみ)さん。2015年から音まちに関わる吉田さんは、それ以前にはアートポイントのプログラムオフィサーや、アートプロジェクト「三宅島大学」開催時の三宅村役場の職員など、さまざまな立場からアートプロジェクトに携わってきました。一方の栗木さんは、「まちの魅力をつくる仕事」と紹介するシティプロモーション課に入って7年目、課長を4年勤めています。会の前半では、お二人から足立区やシティプロモーション課、音まちの活動について聞きました。

まちへの誇りを醸成するための、シティプロモーション課の試行錯誤

東京23区の最北東に当たる足立区は、23区内で3番目の面積と4番目の人口を擁し、江戸時代に「江戸四宿」のひとつ「千住宿」として栄えた歴史を持つエリアです。そんな足立区は近年、7エリアで再開発が進み、5つの大学が誘致されるなど、「100年に1度」とも言える変化の時を迎えています。

この背景のひとつが、2005年、北千住駅前再開発の終了や少子高齢化、つくばエクスプレス開業などで地域が変化するなか、新たな戦略として策定された「足立区文化・産業・芸術新都心構想」です。2006年には藝大の千住キャンパスが開校。足立区と藝大は同年「アートリエゾンセンター」を組織し、教育や福祉分野との事業も展開してきました。そしてこの藝大の誘致が、「音まち」にもつながりました。

「音まち」と足立区の関係性の特徴は、地域文化課などではなく、シティプロモーション課が所管している点です。足立区では、区役所のすべての事業を貫き、まちの魅力を上げることを担っているこの「シティプロモーション課」ですが、もともとは、まちの売り込みや知名度向上を目指し、地方都市に多くつくられてきたものでした。その場合、プロモーションの対象の中心となるのは、まちの「外」の人たちです。しかし、都市型の先駆となった足立区では、区民、つまり「中」の人へ向けたプロモーションを展開している点に大きな特徴があると、栗木さんは言います。

足立区で同課が設けられた背景には、足立区民を対象にした世論調査で住んでいるまちのイメージを「汚い」「治安が悪い」と答えるなど、住民が地域に対して愛着はありつつも誇りを持てない状況があったと言います。実際、足立区には「治安」「学力」「貧困の連鎖」「健康」という4つのボトルネック的課題があると栗木さん。そこで同課では、4つのプロモーションとして「磨く」「創る」「つなぐ」「戦略的報道・広報」をキーワードに、こうした課題に対して継続的にアプローチをしてきました。

そのひとつが、広報物改革です。同課ではポスターやチラシなどの企画から完成まで伴走する作成支援を行っており、その数は年間450件。今回の会に参加した同課の菊地敬太(きくち けいた)さんは、「区の広報物には‟届くけどよくわからない”という印象があるため、目的や対象を明確にした広報物づくりを目指している」と話します。例えば、健診受診を促すチラシは、以前はそれまでのフォーマットを踏襲した文字だけのものでしたが、伝えたいメッセージを明確にし、大きくビジュアルを入れることで、健診率が1.4%(2000人)アップしました。

当日のスライドより

また、野菜を食べて健康寿命を延ばすことを促すキャンペーンには、若者世代に情報を届けることが難しいという課題がありました。そこで、身近なファミリーレストランやコンビニなどに協力してもらい、野菜摂取を啓発する取り組みを展開。セブン-イレブンと足立区のおいしい給食レシピを再現した商品を共同開発したり、大型商業施設や鉄道事業者とコラボ企画を実施するなど、多くの民間との協創に取り組んでいます。

こうした「創る」プロモーション活動は予算化されていませんが、そのなかで唯一予算化がされているのが「音まち」だといいます。では、この活動はなぜ生まれたのか? 

その始まりは2010年、シビックプライド醸成のための提言書に、「音まち」と関わりの深い現代美術作家の大巻伸嗣(おおまき しんじ)さんと藝大教授の熊倉純子(くまくら すみこ)さんのコメントが掲載されたことでした。これを見た職員が区内の大巻さんのスタジオを訪問。その後、アートポイントの説明会に訪れました。「当時は藝大を誘致したものの、学生の姿を見ないとの声が上がっていて。そこでもっと藝大との距離を近づけたいと、『音まち』の活動が始まったんです」と栗木さん。運営には音まち計画、足立区、藝大が関わりますが、それぞれに役割を分担し、「関係者全員が汗をかいていることが特徴」だと語ります。

当日のスライドより。それぞれが役割を分担し、全員が汗をかく

市民を巻き込んだ「音まち」の活動。まちに広がり出した地域活動

「ここから、よっしーの番」と、栗木さんから親しげにマイクを渡された吉田さん。栗木さんの最後の言葉を受けて、「どのくらい汗をかいているかというと、隔週火曜に関係する3者で運営会議を行い、毎回20〜30人が参加しています。区からも係長以下3名が必ず参加していて、こうした体制はほかのプロジェクトで見たことがない」と話し始めます。

そんな「音まち」では、現在、通年で主に6つのプロジェクトを展開しています。

今回の会場になった「仲町の家」は、2018年にオープンした、築100年以上の日本家屋を利用した文化サロンです。ここでは自主イベント以外にも、拠点形成事業のパイロットプログラムとして外部の企画開催に協力することもあり、現在は年間25プログラムほどの利用があるといいます。

一方の「メモリバ(Memorial Rebirth 千住)」は、先述の大巻さんと協働し、無数のシャボン玉で風景を一変させる、2024年で10回目の大規模開催を迎えたイベントです。もともとは千住で行われていましたが、その後、西新井や加平、舎人と足立区の他の地域でも開催。運営に多くの市民が関わることでも知られ、運営チーム「大巻電機K.K.」は大規模開催以外にも、大学や地域のお祭り、福祉施設などで小さな「メモリバ」を年5回ほど開催しています。

「Memorial Rebirth 千住 2024 舎人公園」 (撮影:冨田了平)

2013年から運営する「イミグレーション・ミュージアム・東京」は、海外ルーツの方も多い区の特徴を背景に、海外ルーツの人々と協働し、空き店舗や小学校を一時的なミュージアムとして活動してきました。2021年からは区内の小中学校で多文化社会を学ぶアウトリーチプロジェクトも行い、これまでに小学校12校と中学校2校で実施しています。

同じく、2011年からと長い歴史を持つ「千住だじゃれ音楽祭」は、作曲家の野村誠(のむら まこと)さんと取り組む、音楽とだじゃれを掛け合わせたプログラム。運営チームである「だじゃれ音楽研究会」では老若男女30人ほど(登録は120人ほど)が活動し、現在も2025年10月に開催予定のイベント「キタ!千住の1010人」に向けて、関係各所との調整が進んでいます。

他方、新しく始まったプロジェクトもあります。2021年に始まった「1DAYパフォーマンス表現街」では、1日限定で、千住ほんちょう商店街の軒先をステージに見立て、全国から公募したパフォーマーたちによるパフォーマンスを実施。出演者は、「うまくなくてもええじゃないか、やってみてもええじゃないか」をテーマに、そのスキルに限らず先着順で決められ、定員50名のところ2024年には67組の応募があるなど、年々盛り上がりが増している催しです。

もうひとつ、2024年に始まった「千住藝大おばけキャンパス」は、先述の熊倉さんやドラマトゥルクの長島確(ながしま かく)さんの企画で、人の少ない藝大千住キャンパスの特徴を活かし、その校舎をおばけやしきに見立てるもの。演出には音楽や映像、心理学などさまざまな専攻の藝大生の技術が生かされ、学生が学んだことを地域にひらくプログラムになっています。

こうした活動を行う「音まち」ですが、栗木さんはその行政内の課題を、予算取り(財政調整)が難しいところと説明。アートプロジェクトは、一過性のイベントではなく日常的な営みとしてありますが、行政的にはどうしてもイベントだと捉えられることも多く、費用対効果が求められたり、区民への広がりが気にされたりする場面もあるといいます。

しかし、音まちの活動を続けてきたことで、メディアでの北千住エリアの紹介のされ方がアートに絡んだものとなったりと、芸術文化が盛んなまちとしてのイメージは着実に浸透。「個人的にはこれも『音まち』の成果と考えている」と話します。

当日のスライドより。音まちの活動を通じてさまざまな人がつながり、新しい動きが各所で起こっている。

会議の時間や細かな数値を大切にし、まちなかに活動の種を見出す

会の後半では、栗木さんと吉田さんに、櫻井も交えたディスカッションが行われました。

二人の話を聞いた櫻井が、「音まち」による小学校や商店街などの利用は、区との連携があるからこそではないかと尋ねると、吉田さんは、実際、そうした交渉は行政から声をかけてもらうとスムーズだとし、最初の声かけは区の人にお願いしていると話します。

他方、自治体では単年度事業が多く、職員の異動もありますが、シティプロモーション課ではどのような引き継ぎをしているかを問われると、栗木さんは、新しい職員も「最初はわからなくても、隔週の全体会議に出ているとわかってくる」と返答。吉田さんも、新しい人には「だじゃれ音楽研究会」のような市民の集まりに参加してもらうことを意識していると話します。これに4年目の菊地さんも頷き、「会議に出たり資料を読むだけではなく、「メモリバ」でシャボン玉の機械を運ぶなど、一緒に作業をするなかで自分ごとになっていった」と自身の経験を振り返りました。

アートプロジェクトでは、たびたびその評価の難しさが課題となります。この点に関して栗木さんは、参加者やかかわり手の広がりは役所内で丁寧に共有するようにしていると話します。

それに対して、役所向けの資料づくりを担当するNPOでは、「数値では測れないとはいえ、数値で判断されることもあるので、できるだけいろんな数を用意するようにしている」と吉田さん。例えば来場者内の区民数や、グループメールやメールニュースの参加者・登録者数、パブリシティの数など、可能な限りいろんな数値を記載。「そうした資料から次の予算取りに向けた物語を一緒につくっていくイメージだ」と説明します。

では、「音まち」では、プロジェクトの「ビジョン」、将来像をどのように捉えているのでしょうか? そう問われた栗木さんは、「シティプロモーション課として区民の誇りを高めるという目標や戦略はあるが、『音まち』に5年後はこのようになっているべきなどの事業方針はない。つくるとそれだけになってしまうし、私たちの課はチャンスがあれば新たな価値や物事をつくっていくことが仕事」とコメント。対する吉田さんも、メモリバの活動が地域的にも領域的にも広がっていることを例に、事業らしさを失わないようにしつつ、次につながる種を意識することが運営側のビジョンだと、柔軟な方針を大切にしていると語りました。

さらに、行政としてNPOと協働する利点を聞かれた栗木さんは、「そもそも藝大と区だけでは音まちの運営はできない。NPOがあることでイベントが実行できるなど、なくてはならない存在」と返答。また、「東京都・区市町村連携事業」を担当するプログラムオフィサーの大川直志(おおかわ ただし)は、今日の感想を聞かれ、栗木さんが「音まち」を機に文化活動とかかわりができたと話したことに触れ、「行政の担当者と話をしていると、地域のつくり手との関係がないという声が非常に多い。そんななかで、行政の方がまちの地域活動を深く認識されているのが素晴らしいと感じた」と話しました。

行政の担当者と、『文化』のフレキシブルな捉え方を共有する

その後、会場にマイクを向けると、音まちの活動や、音まち計画と足立区の関係について聞いた会場のメンバーからは、多くの質問が飛びました。

カロクリサイクル」の中村大地(なかむら だいち)さんは、「音まち」に「大巻電機K.K.」や「だじゃれ音楽研究会」などの市民主体の活動が多い背景について質問。これに吉田さんは、こうした活動においても資料の用意や予定の設定にはNPOが関わっており、必ずしも市民だけで自走しているわけではないが、長年活動するなか、「1DAYパフォーマンス表現街」にメモリバを出したいという提案があるなど、自発的な動きが生まれ始めたと答えました。

すると今度は、栗木さんから参加者に向けて、行政との関わりにおいてどんなことを感じているかとの質問が。これに、国立市の「ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)」の安藤涼(あんどう りょう)さんは、自分たちも市と協働しているが、その関係には足立区と音まちほどの親密さはなく、その関係をどのように縮められるかが課題と話します。それに対して栗木さんは共感を示し、担当者によっても関係は大きく変わるはず、と話しました。

めとてラボ」の和田夏実(わだ なつみ)さんからは、シティプロモーション課が担う広報物の作成支援について、その業務の内訳を尋ねる質問がありました。これに栗木さんは、デザインなどを外注することはあるが、キャッチコピーやレイアウトラフの作成などは内製で行っているとし、同課は役所内の広告代理店のようなイメージと説明します。

さらに和田さんからは、シティプロモーション課の未来へのまなざしについてもう少し聞きたいとの声も。それに対して栗木さんは、同課の目標は唯一「区民がまちに誇りを持てるようにすること」であり、そのためにやれることはすべてやると返答。そうして一つひとつの事業の質を上げることが必要と話します。その意味でシティプロモーション課のまなざしは未来ではなく「現在」に向いているのではないかと櫻井から問われると、栗木さんは頷き、「自分たちの良さは、あらかじめ決まっていることをやるだけにとどまらず、現実のなかでフレキシブルに動けること。今日はそれをあらためて感じた」と語りました。

会の最後にマイクを振られたアートポイントのディレクター森司(もり つかさ)は、音まちと足立区の話を聞いた感想として、「15年間活動すると、プロジェクトが育ち、学ぶことが多いなと感じた」とコメント。近年、「東京都・区市町村連携事業」で行政との協働を模索していることを踏まえ、その先行例である音まちの活動にとってとくに重要だったのはシティプロモーション課の存在だとし、「文化を専門とする課では、担当者が誠実に文化と向き合うゆえに『文化』の解釈がかっちりしているが、シティプロモーション課は良い意味で『文化』のフレームを取っ払って柔軟に向き合っている」ことがポイントだと話しました。

また、これから行政と活動していくうえで、あらためて「アートプロジェクト」という言葉を上手く使っていく必要があると感じたと言い、「課題は多いけれど、一足飛びではなく一歩一歩やることで進んでいくと思う」と、メンバーたちにメッセージを送りました。

「パートナーシップ」をテーマに、全4回にわたって各プロジェクトの現場を訪ねてきた今年度の「ジムジム会」。そこには、活動における問題意識の共通性に基づくもの(都立第五福竜丸展示館+「カロクリサイクル」)や、まちなかのネットワークを広げるための契機とするもの(「Kunitachi Art Center」×「ACKT」)、既存の制度を考えるための機会をつくろうとするもの(昭島市立光華小学校+「多摩の未来の地勢図」)、そして今回の音まちと足立区のように、NPOと行政の目標の重なりを長い時間をかけて育て、磨き上げたものまで、4者4様のパートナーシップのかたちがありました。

同時に4者には、取り組みの広がりや深化、あるいは活動の持続性を求めるなかで、外部のパートナーとの関わりのなかに、その手がかりを求める姿勢が共通していたように思います。今回のジムジム会を通してシェアされた視点が、参加したメンバーのプロジェクトのなかでどのように生かされていくのか。これからも注目したいと思います。

ジムジム会 参加メンバー一同

撮影:小野悠介(7枚目写真、スライド除く)

現実の手触りを失う社会のなかで、「小学校」という場所でできること——昭島市立光華小学校+NPO法人アートフル・アクション「多摩の未来の地勢図」【ジムジム会2024 #3 レポート】

東京アートポイント計画に参加する複数のアートプロジェクトの事務局が集い、活動を展開するうえでの手法や視点を学び合ったり、悩みや課題を共有し合う勉強会「ジムジム会(事務局による事務局のためのジムのような勉強会)」。2024年度は全体のテーマを「パートナーシップ」として行います。2024年12月18日、昭島市立光華小学校でひらかれた第3回の様子をレポートします。

小学校の校庭に、こどもが自由に遊べる「プレイパーク」を

アートプロジェクトは、行政機関や地域で活動するプレイヤーとどのような協働関係を築くことができるのか? そうした問いかけから、「パートナーシップ」をテーマに掲げた今年度のジムジム会。その第3回では、JR青梅線の昭島駅からすぐの場所にある、昭島市立光華小学校(以下、光華小)を訪れました。

同校は、「まず、やってみよう! 〜私の学校は、私がつくる!〜」を学校教育目標に掲げ、全国で初めて、ブランコのような遊具ではなく、こどもが自由な発想で遊べる遊び場「プレイパーク」を敷地内につくるなど、型にはまらない学校運営で注目されています。ここでは現在、小金井市を拠点に、多摩地域全域で活動を展開するアートプロジェクト「多摩の未来の地勢図」との共同の取り組みが進められています。

裏門から敷地に入り、いろんな植物や不思議な作業台が置かれた学級園を横目に建物に向かうと、迎えてくれたのは眞砂野裕(まさの ゆたか)校長。2022年に着任した眞砂野さんは、同校の冒険的な運営をリードするキーパーソンです。

案内されて校舎の中に入ると、廊下のど真ん中に、段ボールを積み上げ、「あるきます」という大きな紙が貼られた謎のオブジェが。「廊下を走ると風で段ボールが倒れる仕組みなんです」と眞砂野さん。同校の自由な雰囲気は、そんな場面からもさっそく感じられました。

よそ者」の訪問がもたらすハレーションが、小学校を内部から変えていく

図書室に到着したジムジム会の一行は、はじめに「多摩の未来の地勢図」を運営するNPO法人アートフル・アクションの宮下美穂(みやした みほ)さんより、活動の簡単な紹介を受けました。

「多摩の未来の地勢図」は、2011〜2020年にかけて小金井で実施した事業「小金井アートフル・アクション!」を引き継ぎ、そこで積み重ねた経験を多摩地域全域で中間支援的に活かすことを視野に、2021年にスタートしたアートプロジェクトです。

現在、東京都の人口のおよそ3分の1に当たる約420万人が暮らす多摩地域。多摩川や奥多摩といった豊かな自然も広がるこの地域は、同時に、高度経済成長期に都心への通勤者のベッドタウンとして拡大した多摩ニュータウンや、航空自衛隊横田基地や国立療養所多磨全生園といった特徴的な施設も擁しています。

「多摩の未来の地勢図」では、そんな多摩地域を日本の近現代を映す鏡と捉え、自分たちの暮らしやその背景にあるものに意識を向けようとしてきました。その実践は、既存の学問ではすくいとれないものを、表現の回路を通じてそれぞれが身体的に、足元から考える場をつくる点に特徴があります。

そのプログラムのひとつが、「ざいしらべ」です。これは、さまざまなものが自動化・パッケージ化される社会のなかで、素材や技術、「つくる」ということについて、小学生や図工の先生たちとあらためて考えるプログラム。光華小とアートフル・アクションの最初の接点は、2023年度にこの「ざいしらべ」のなかで実施した「つくることを考えてみよう」という企画において、光華小の6年生のこどもたちと広葉樹による造形に取り組む連続授業を行ったことでした。その詳細は『つくることを考えてみよう 森とであう』という冊子にまとめられています。

「ざいしらべ」の活動は、多摩地域のさまざまな小学校と連携して行われています。例えば奥多摩町立氷川小学校では、造形作家の下中菜穂さんが、こどもたちと総合学習の枠で奥多摩学習を実施しました。また、「アーティストが学校にやってきた」というプログラムでは、2023年度には氷川小学校にアーティストの五十嵐靖晃さんが滞在。2024年度には光華小に弓指寛治さんが通い、こどもたちと交流してきました。

今回のジムジム会の時期にちょうど光華小に通っていた弓指さんは、4年2組にクラスの一員として加わり、こどもたちと同じ授業を受けるとともに、おいかけっこなどで交流。2025年1月からは図工準備室で、この経験を通した制作を行うといいます。

大人のアーティストが、学校に入り込む。一見すると、不安視する声も起きそうなこの企画を行う理由について、宮下さんは、かつての学校には先生だけでなく地域のさまざまな大人が出入りしていたと指摘。「私たちのNPOが何かを差し出し、こどもたちが受け取るという一方通行の関係を超えないといけない。その点、私たちよりもアーティストが学校にいるほうが撹乱材料になるんです。学校には、先生たちも知らないことがあるんだということをみんなで考えたくて、この取り組みをしています」と話します。

それを聞いた眞砂野さんは、この活動をしている理由について、「じつはまだよくわかっていないんです」と笑いつつ、「今日もみなさんが門から入ってきたとき、明らかに教員ではない人たちだということがわかりました。こうした出来事自体が、学校という場所ではひとつの刺激になる。そういう刺激のある学校でありたいんです」と答えました。

眞砂野さんがこうした考えを持つのは、以前より学校にゲストを招いて話してもらうなどの活動を行ってきたものの、「そうした機会も素晴らしいのですが、どうしても打ち上げ花火的になってしまう」との実感があったから。その点、「弓指さんのような入り方は学校内でのハレーションやこどもへの残り方が違う」と語り、「一時的な体験ではなく、出来事を一緒に営んでいくこと。そして、外部に期待するのではなく、学校が内部から変わっていくこと。ここに今後の地域連携の大きなヒントがあるのでは」と指摘しました。

「やってみたい」を後押しする、自主的な学びの場としてのプレイパーク

その後、眞砂野さんの話を本格的に聞く前に、みんなで校庭にあるプレイパークを見学しに行くことになりました。

「光華小プレイパーク」は、2023年9月に一部を開けたのち、同年11月にグランドオープンしました。この遊び場をつくった理由について眞砂野さんは、「プレイパークをつくること自体が目的ではなく、つくりたい学校の具現化がプレイパークなんです」と説明。遊び場の一角に掲げられた看板には、「あそびの中ではまずやってみることが大事」「『やりたいこと』をとことんやろう」と、目指すべき学校のあり方が書かれています。

この日も遊び場は小学生たちで溢れかえっていました。ジムジム会のメンバーがぞろぞろと歩いていると、多くのこどもたちが近づいてきて、不思議そうに話しかけてきます。プレイパークは地域にも開放されており、近隣の幼稚園や保育園の園児たち、障害者施設の利用者の人々が遊びに来たり、散歩に訪れたりすることもあるそうです。

モンキーブリッジや、図工の古賀先生がつくったハンモック、プレイリーダーでもある大工さんや卒業生の中学生とつくったボルダリング付きの滑り台……敷地にはさまざまな遊具が置かれています。

驚くことに、焚き火ができるファイヤーピットもあります。この装置を使い、一食分の食事をつくる強者もいるのだとか。「不登校傾向にある子が、このファイヤーピットのところではヒーローになれたりするんです」と眞砂野さん。「遊んでいて怪我などないのかとよく聞かれますが、こどもは自分のできることに合わせて遊ぶもの。こどもの『やってみたい』をやっていいと言うためにこのプレイパークをつくったんです」と語ります。

実際、この日見たこどもたちの姿も自由奔放。見学中も、何人もの子が「これやっていい?」と聞きに訪れ、眞砂野さんも「いいよ」と背中を押します。地面がボコボコに掘られていたり、パイプでつくった道にいろんなものを転がしたり、こどもたちはさまざまな工夫をして遊んでいます。遊び場ではシルバー人材センターのスタッフが見守り役として常駐していますが、この自由さを大切にするため、できるだけ注意はしないように頼んでいると言います。

校庭を歩くなかで印象的だったのは、こどもたちと眞砂野さんの関係です。友達とのあいだで嫌なことがあったのか、「相談したい」と声をかけてきた子に、眞砂野さんが「明日話を聞くからな」と返し、その子が「わかった!」と返事をして去っていく場面も。こうした光景からは、先生と生徒というより、人と人のあいだの信頼感のようなものが感じられました。

同校にはほかにも、「食べられる教育」とも訳されるエディブル・エデュケーションの実践として、冒頭に触れた学級園もあります。現在は2年生を中心に、江戸東京野菜の金町コカブを栽培。育てた野菜をファイヤーピットで焼くこともあります。眞砂野さんは「ただ場所をつくるだけでなく、そうやってこどもたち自身がここを“自分たちの場所だ”と感じることが大事」と話します。

不安定化する社会のなかで、しなやかに生き延びていく基礎をつくる

図書室に戻った一行は、ここから眞砂野さんの話を聞きました。

眞砂野さんは以前、校長先生の全国大会で訪れたある先進的な教育を行う学校で、登壇者が会場の校長先生たちに向かって「小学校の経験で、いま役に立っていることはあるか?」と尋ねた際、「べつに覚えていなくてもいいんじゃないか、小学校は無駄なことがたくさんある場所だ、と感じた」と振り返ります。また、こどもたちに将来、間違った方向へと進んでほしくないということを熱を込めて語り、「いま、間違ったり失敗したりしてもいい。むしろそうした体験を通して人間の根幹をつくる。そのことは絶対に間違えてはいけない」と強調します。

「やってみたい」を後押しするプレイパークは、こうした人間としての根幹づくりの揺りかごとなるものです。ここでこどもたちは、自分が活躍できる居場所を見つけ、誰に言われずとも順番待ちをし、ときに何もせずぼーっとする貴重な時間を過ごします。「水を使って池をつくる、枯葉でプールをつくる、マシュマロを焼いて溶け方を観察する。そうしたことを“知的好奇心”と呼ぶのではないか?」と眞砂野さん。「よく、この場所ではこどもがいい顔をしているとか、主体性を育てるとか言われますが、こどもってもともと主体的な存在だと感じます」。

そもそも光華小がプレイパークをつくった背景には、今後の社会への見通しと、そこで求められる人間像があります。現在の日本の教育が指標とする2040年の社会状況について、眞砂野さんは「厳しくなる」と指摘。そのような不安定な時代には、いつでも、どこでも、誰とでも協働して生き延びていく能力が必要であり、そうした、自主的に責任感を持って社会を変えていく力である「agency(エージェンシー)」をこどもたちに獲得してもらいたいという願いが、現在の活動の大きな動機だと語ります。

そのために力を入れているのが、学校全体の雰囲気を変えることです。同校では「まずやってみよう」を合言葉に、生徒や教員のアイデアをできるだけ実行しようとしてきました。

例えば2023年には、6年生の要望を受けて、「防災体験」と称し、体育館でのお泊まり会を行いました。「全考集会」という全校児童で何かを話し合う年3回の会や、「じつはあまり多くない」という、教員同士で教育について語る会も開催。後者では、フィンランドの教育も取材した映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』(2015)を見たり、「漢字テストで100点を取ることは学力が高いのか」といったテーマで議論を行ったりするなど、教員の意識自体を変えていきました。

「継続性」や「目的の浸透」という課題

もうひとつ、プレイパーク設置の要因として大きかったのが、非常に熱意のある図工の先生や、保護者として既に地元のNPO主催のプレイパークのスタッフをしている教員が学校にいたことでした。

こうした活動が認められ、光華小のプレイパークは、東京都の「子供の『遊び』推進プロジェクト」に2年連続で採択。活動のうえで重要な予算を得ました。プロジェクトの一環として2024年11月に行われた1週間のイベントには、児童を含む1300人が参加。他地域から家族で訪れた不登校のこどもがいる保護者が、校庭で遊ぶ我が子の姿に涙する光景もあったと言います。

一方で、課題もあります。そのひとつは「継続性」。現在、同校ではプレイパークに関わる保護者25名などからなるLINEグループをつくっていますが、眞砂野さんらキーパーソンが抜けた後のことも考えないといけません。また、関係者がこの場所で大切にすべきことを共有する「目的の浸透と定着」、学校内にあるプレイパークの価値を周知し、地域の人たちが自然と手伝いたくなるような空気づくりも求められています。

話を聞いた宮下さんは、眞砂野さんも触れた継続性について、人事異動はシステム上避けられないものの、眞砂野さんとの活動を通して、「ここまではやっていい」という活動の加減を教員が自分で判断できるようになること、また、この学校での経験を異動先でも活かすことで東京全体が変わっていく可能性もあるという点を、ポイントとして話しました。

小学校という場を使って、自分たちで地域をつくる土壌を育てる

その後は、会場も交えて、短い質疑応答と意見交換が行われました。

図 18

プレイパークで遊ぶこどもたちに勢いを感じたという参加者から、「この場所にはとどまらない出来事も広がっているか?」と問われると、眞砂野さんは「確実に増えている」と返答。その一例として、朝のボール遊びを禁止されたこどもたちが、自分たちでボールを管理するからやらせてほしいと交渉した出来事に言及。校内放送で「明日、ボールが3個落ちてたら禁止する」と訴えたものの、残念ながらが落ちていたことを機に、「全考集会」でこの問題をどう考えたらいいか、みんなで話し合ったエピソードを紹介しました。

また、地域連携についての質問もありました。宮下さんは現在、光華小以外に小金井市内の学校でも、授業を通した地域とのつながりを模索しているとし、その連携の呼びかけ方として、「学校のために関わってほしい」ではなく、「地域の自治を考える入り口として学校という場所を使おう」という関係がつくれるとよい、と語ります。

これに対して眞砂野さんは、そもそも社会教育法では、地域全体で学校を運営するため、「地域学校協働本部」というネットワークをつくることが勧められているものの、多摩地域で唯一、昭島市はこれをつくれていないという背景を紹介。地域や学校の行事などに関わる住民が高齢化、固定化するなかで、「多摩の未来の地勢図」との連携などを通じて、自主的、実質的にこうしたネットワークをつくっていく必要がある、と話しました。

最後に、アートプロジェクトが学校とかかわろうとする場合は、校長先生に相談するのがいいのかと問われると、眞砂野さんは「それが一番早い」と返答。講師を含めて45人ほどの教員がかかわる光華小のような組織では、校長の動きがポイントになると指摘します。他方、宮下さんも、眞砂野さんのような校長は珍しいとしつつ、やはり地域の人が学校に関わろうとした場合、校長の色が学校の方針に強く影響していることが多い、と語りました。

プレイパークの見学から、眞砂野さんや宮下さんのトークまで、じつに盛りだくさんで充実していた今回のジムジム回。多摩の未来の地勢図が光華小を舞台に実施しているプログラムの具体的な連携な話というよりも、もっとひろく、それぞれの活動を通した地域やこどもたちへのまなざし、態度について伺う会となりました。

そして、今回参加しながら強く感じたのは、眞砂野さんと宮下さんのまなざしの共通性です。2人の話には、大人の都合により、本来的な遊びの楽しみや現実の手触りから遠ざけられるこどもへの危機感、そうした状況を要求する社会への批判精神が通底していました。

また、こうした社会に応答するための術として、学校という場に着目し、小学校の図工の先生たちとともに授業自体から変化させていこうとする活動を続けてきた「多摩の未来の地勢図」に対して、既存の小学校の枠にとらわれず、それを内部から実験的に変えようとしていた光華小が門戸を開いたことは、重なるビジョンを持つ者同士のパートナーシップとして理想的な出会いだと感じました。それは、これまで「多摩の未来の地勢図」が積み重ねてきた各学校の先生たちとの連携や実践があってこそ、つながったものなのだろうと思います。

今年度のジムジム回も残すところあと1回。第4回となる次回は、2月19日、「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」の取り組みについて学ぶ予定です。

撮影:小野悠介(7枚目除く)

2024レポート③ 自分のアートプロジェクトに向き合う態度

演習「自分のアートプロジェクトをつくる」は、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えるシリーズ「新たな航路を切り開く」の一環として開催している、ゼミ形式の演習です。ナビゲーターはP3 art and environment統括ディレクターの芹沢高志さん。アートプロジェクトを立ち上げたい方やディレクションに関心のある方を対象としています。

2024年度は10月初旬から翌年2月初旬までの約4ヶ月にわたって行いました。
この演習の様子を、3つの記事でレポートします。

ゲスト回や中間発表、ディスカッションの時間を通して、自分の課題意識や問いを深めながら、「自分のアートプロジェクト」をブラッシュアップしていった受講生たち。これから展覧会の開催を控え具体的に準備を進めていく人、実際に企画を実施し、その振り返りを踏まえて今後の展開を見据えていく人もいれば、試行錯誤しながらワークショップのためのツールを開発する人がいたり、逡巡のなかでようやく自分の問いの輪郭が見えてきた人など、演習を重ねるたびに、受講生同士で対話し、迷い、悩みながらも、一歩一歩考えて進んでいく姿が印象的でした。

最終発表では、受講生それぞれの具体的なアートプロジェクトの企画構想が発表されました。講評では、ナビゲーターや講評ゲストを中心にフィードバックしながら、受講生からの質疑応答やアイデアの共有などを進める時間となりました。

最終発表の様子。受講生が自分のアートプロジェクトについてプレゼンし、講評と質疑応答の時間をもった。
受講生一人ひとりのプロジェクトにアドバイスをする芹沢高志さん。
フィードバックに真摯に耳を傾ける受講生。ここからさらにブラッシュアップしていこうという姿勢が伺える。
日本の民謡をテーマに企画構想した受講生は、民謡作曲ツールを開発し、実際に受講生全員と作曲体験ワークショップを実施するなど、プレゼン方法にもさまざまな創意工夫がなされていた。

演習を終えた受講生からは、「言い訳のできない自分と向き合う時間を得られた」「アートやアートプロジェクトの答えは、一人ひとり少しずつ違うように、『自分のアートプロジェクト』は誰かから教わるものではなく、自分のなかにあるものを探る過程なのだとわかった」「さまざまな文脈で制作している方を知り、新しい価値観や考えを学ぶことができた」「アートプロジェクトというと芸術祭のような大掛かりなものをイメージしていたが、自分の関心を育てるなかでアートプロジェクトになっていくこともあり得るのだと知った」など、アートプロジェクトの捉え方そのものが更新されたという意見が多数寄せられました。
最後に、ナビゲーターの芹沢高志さんが、演習を振り返りながら、あらためて受講生のみなさんに寄せられたメッセージをご紹介します。

2024年度「演習|自分のアートプロジェクトをつくる」を終えて

2025年2月1日、2日の両日で「最終発表」を終え、「新たな航路を切り開く」の2024年度「演習|自分のアートプロジェクトをつくる」の全工程を無事に終えることができました。今回は自分がやってみたいと思っていることをおぼろげながらにも見つけ出していった方から、まさに今、実行の現場を抱え、自分のアートプロジェクトの実施に七転八倒で取り組んでおられる方まで、それこそプロジェクトのフェーズは各人各様、非常に多様なものでしたが、みな等しく、自らのモチベーションと真摯に向き合っていく姿がとても印象的でした。
今回の演習では、特に自分がそのプロジェクトをはじめようと思いついた動機を見つめてほしいと繰り返し強調していきました。アートプロジェクトという以上、自分ひとりの興味に閉じることなく、それを「社会化」していかねばならないわけですが、その基本の基本として、初心といってもいい、自分がなぜそれに取り組もうと考えたのか、そこを冷静に見つめ直してほしいと思ったからです。「社会化」は大変な作業ではあるけれど、同時にアートプロジェクトの醍醐味でもあります。そうなのだけれど、あえてこの演習ではその前の、自分にとっての動機にこだわってほしいと述べ続けました。そこを明確に意識さえしていれば、今後実現のために降りかかってくるさまざまな困難に対しても、勇気をもって乗り越えていくことができると思うからです。最近では山積みになった社会課題を前にして、課題解決のためにプロジェクトを立案し頑張るのだけれど、そのうちそれを自分がやる意味を見いだせなくなり、ひとり思い悩むケースにも多々接することがあります。その意味でも、あらためて自分の切実な動機に向かい合っておくことは極めて重要なことと思えたのです。

2月22日、23日、デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)において「全国アートNPOフォーラム2025 in 神戸」が開催されましたが、その総合テーマは「態度が歴史になる」というものでした。まさにそうで、私はこの態度ということを強調したかったのだと言ってもいいと思います。
ハラルド・ゼーマンが組織した歴史的な展覧会、「態度が形になるとき」が開かれたのは1969年のことでした。その頃から、アートをアートピース(作品)としてだけに捉えず、全体をプロセスとして見ていく見方が生まれはじめていました。アートを、周囲との応答のなかでダイナミックに創造、形成され続けていくトータルなプロセスとして捉える視点です。まさにいま、我々がアートプロジェクトという用語で語る一群の表現にも当てはまることでしょう。
態度が問題になるのなら、それは私たちが生きていくことと直結します。アートはどこか遠くにある、近づき難い存在などではなく、まさにいまを生きるわれわれ一人ひとりのごく身近、いや私たちのなかにあると言ってもいい。
私としては各自が立案、実行していくアートプロジェクトを、自分の生きる「態度」と遊離させてほしくはなかった。この演習を「自分のアートプロジェクトをつくる」としたのも、そんな思いからでした。ゲストとしてお招きした梅田哲也、矢野淳、阿部航太のお三方も、まさに生きていく態度と活動が見事に同期している方々で、その意味でも受講したみなさんにも大きな刺激を与えたように思います。
受講生のみなさん、運営チームのみなさん、ゲストに来てくださったみなさん、本当にありがとうございました。3回目となる本演習も、非常に手応えのあるものとなりました。

芹沢高志

2024年10月から約4ヶ月にわたって、悩みながら「自分のアートプロジェクト」を探り、問い続けた受講生のみなさん。これから一人ひとりがどのように企画をあたため育んでいくのか。今後の活動を楽しみにしています。

写真:齋藤彰英

2024レポート② 3人のゲストの実践の風景

演習「自分のアートプロジェクトをつくる」は、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えるシリーズ「新たな航路を切り開く」の一環として開催している、ゼミ形式の演習です。ナビゲーターはP3 art and environment統括ディレクターの芹沢高志さん。アートプロジェクトを立ち上げたい方やディレクションに関心のある方を対象としています。

2024年度は10月初旬から翌年2月初旬までの約4ヶ月にわたって行いました。
この演習の様子を、3つの記事でレポートします。

演習では、受講生それぞれがまず自分のなかの問いをつかまえ、それをどのようにアートプロジェクトとしてかたちにしていくのかを考えていきます。そのために、受講生同士のディスカッションやナビゲーターによる講義のほか、3名のゲストを招き、ゲストによるトークとその後のディスカッションの回を設けています。

今年度のゲストは、梅田哲也さん(アーティスト)、矢野淳さん(株式会社MARBLiNG代表)、阿部航太さん(デザイナー/文化人類学専攻/一般社団法人パンタナル代表)の3名。

それぞれのゲスト回を紹介します。

梅田哲也さん(アーティスト)

11月9日(土)は、梅田哲也さん(アーティスト)をゲストにお招きしました。建物の構造や周囲の環境から着想を得て、日常で手にする身近な素材や現地にあるものと、音や水、重力などの物理現象や自然環境を組み合わせた作品を多数発表してきた梅田さん。近年では《O回》(さいたま国際芸術祭2020)や「梅田哲也展 wait this is my favorite part 待ってここ好きなとこなんだ」(ワタリウム美術館、2024)など、案内人に連れていかれるようにして観客が会場を回遊し、観客もいつのまにかパフォーマンスの一部になっているといった演劇的な手法も取り入れています。

前回の演習で「アートプロジェクトの構想を考えるためには日頃の小さな習慣の積み重ねが大事」とアドバイスをもらった受講生たち。梅田さんが生み出すさまざまな仕掛けやアイデアは、どのような習慣からやってくるのか、何を考えているのかと、スタートから質問が尽きない回となりました。

梅田さんの作品が展示される場は、美術館から廃墟、はたまた船の上までと多様です。発表される形態も、展示、パフォーマンス、公演、ライブなど幅広く手がけられています。しかし、梅田さんにとっては、場所がどこであっても、それぞれの作品で自分がやっていることそのものはあまり変わらないと言います。どちらかと言えば、「環境と素材が変わっていく」感覚を持っているとのこと。

そのなかで梅田さんがどうしても気になる・手放せないと言うのが、「もの」。芸術祭などに招聘されたとき、作品展示後には建物が解体されてしまう、廃棄されてしまうと聞くと、つい大きなガラスの水球などでも持ち帰ってしまうため、ぞろぞろとものが増え、移動するときには大所帯の家族になったような感覚があるそう。持ち帰られた素材は、別の場所で展示されたり、そのうち居場所が見つかってそこに置かれるようになるものもあると言います。

梅田さんの作品では、展示物であっても、元からそこに素材が置かれていたかのような馴染み方をしているものがあったり、演出上で配置された人なのか、たまたま通りがかった人なのか、境目がわからなくなるようなことがあったりします。梅田さん曰く「何もつくってないねと言われることがあるが、そう思われたら最高。でも、場づくりはちゃんとやっているんです」とのこと。場と向き合いながらつくっていく。場ができてくると、そこにいる観客たちが動きだし、その動きがまた別の動きにつながっていく。観客がパフォーマンスのなかに含まれていくような回遊型の作品の場合は特に、そうした動きのつながりを、まるでスコアを書くようにしてつくっているそうです。

自分がその場所で作品を展示したい、関わりたいという強い動機を探すため、何度も場所に足を運んでさまざまな人と知り合い、話し、関連書籍を一通り読み漁る。その小さなディテールを積み重ねていくことが、作品制作につながっていると梅田さんは言います。海外で展示をする際も、何をするかが決まっていなくてもとにかく音が出せる準備だけはして行って、その場で音を披露してみると、その流れでライブをする話が持ちかけられることもあるそう。そうやってまず動くことから次の動きにつながっていきます。一方で、美術館など規定がある場所では、そのレギュレーションといかに向き合い、ハッキングしていくかという話も。アートだからこそできることの可能性についても言及されました。

受講生からは「作品を通して鑑賞者に伝えたいことは?」などの質問がありました。梅田さんは「その場所にその作品が置かれた時、どういう振る舞いをするかを考えることはあるものの、(想定外のできごとも含め)鑑賞者と一緒につくるという意識でいる」と答えました。
また、「人と話すことが苦手」といったコミュニケーションに関する質問には、「すごく得意なことがあるわけではないがその場にいると雰囲気が明るくなるような人、一極集中型ではない、アートとは無関係に思える友人と一緒にやってみたら?」という提案も。梅田さんの答えに共通していたのは、目の前で起きようとしていることに目を凝らし、想像しようとする姿勢。アートプロジェクトの現場では、どんなに対策を考えていても思いも寄らないことが多々起こるもの。受講生たちは梅田さんのお話からそこに踏み出すヒントをもらったのではないでしょうか。

矢野淳さん(株式会社MARBLiNG代表)

11月30日(土)は、福島県飯舘村で「図図倉庫(ズットソーコ)」という文化拠点を運営する矢野淳さんをゲストにお迎えしました。東京出身の矢野さんは、東日本大震災後に物理学者のお父さまが福島県飯舘村でNPOを設立したことをきっかけに、高校生の頃、まだ帰宅困難指示が解除される以前から飯舘村に通われていました。飯舘村は、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により全村避難を経験した場所です。「震災以前と風景はほとんど変わらないのに、人だけが居ない不思議な光景だった」と当時の飯舘村の様子を矢野さんは振り返ります。

その後、大学卒業を機に東京と飯舘村の二拠点生活をスタートした矢野さん。飯舘村の地域再生に携わるなかで、元飯舘村地域おこし協力隊の松本奈々さんと出会い、2021年に合同会社MARBLiNGを設立(現在は株式会社)。同年、飯舘村のホームセンター跡地にある1,000平米の建屋を飯舘村の資源を活用してリノベーションし「図図倉庫」をオープンしました。現在、図図倉庫は、シェアオフィスやテナントとして、企業、研究者、移住者など多くの人が集い、新たな実験ができる場として開かれ、トレーラーカフェやイベントの開催などさまざまな人が楽しめる場所となっています。

「飯舘村は、震災以前からあった高齢化や過疎化といった地域課題に加え、震災後の原発事故による環境課題を抱えています。それは、ある意味で『世界最先端の課題』がある村だと捉え直すことができるのではないか。そうすることで、世界中の人々が飯舘村に関わってくれるのではないか。そんなふうに、飯舘村の課題を捉え直していこうというのがわたしたちの活動です」と矢野さんは語ります。

なかでも近年取り組まれている図図倉庫の常設展示「環境世界を旅する」とツアープログラム「環世界探索紀行」は、その飯舘村の課題の捉え直しをアートや演劇などの表現の手法を用いた興味深いものでした。常設展示では、150億年前の宇宙誕生から飯舘村の現在に至るまでの経緯を壮大な物語のように絵で表現し、実際に村民や研究者が収集した飯舘村の土のサンプルとともに、原発事故により大地に降り注いだ放射性物質がどのような状態にあるのかを模型などで示したり、放射線、放射能、放射性物質とは何か、またその半減期についてわかりやすく図式化されるなど、訪れた人が想像を膨らませて考えていけるような工夫がなされていました。
「環世界探索紀行」のツアープログラムは、飯舘村を「いきる博物館」と位置付け、演劇的な手法を用いて、この地域の風土や歴史、文化、人と出会うというもので、道先案内人が同行し、立ち寄る各所でさまざまな出会いの入り口を開いてくれます。参加者は「探索者」として、飯舘村の各所を訪れながら、ときには素粒子や天体、生き物、この土地の人々の視点を想像しながら、目には見えないけれど、飯舘村に積層する記憶や過去・現在・未来の時間の地層を発見し、感じ、考えていくというものです。

矢野さんは「デザインは翻訳作業で、アートは “わたしからは世界はこう見えるよ” ということを表現するものだ」と言います。「例えば、放射線のことなどニュースで見たりするけれど、よくわからないですよね。でもそうしたわからないものを、研究者とデザイナーが協働したり、演劇やアートといった表現を通して示すことで、“飯舘村の人や研究者、図図倉庫のわたしたちは世界をこう捉えているよ” ということを伝えていけるんじゃないか。こうした活動を通して、じゃあ自分は世界をどう見ているのだろう?と、訪れた人が考えるきっかけになったらいいなと思っています」

その他にも「農×デザイン塾」という企画を通して新たなお店づくりや産業創出に取り組むなど、環境づくりを軸に幅広い活動を展開している図図倉庫の取り組みに圧倒された受講生のみなさん。質疑応答では、「世界最先端の課題だと、いつ実感したのか?」「図図倉庫の要素や使い方はどのように計画したのか?」などの質問が出ました。
それに対して矢野さんは、村民へのヒアリングを実施していた際、ある女性から震災以前の暮らしが果たして本当に幸せだったと言えるかわからない、という本音に触れたエピソードを踏まえ、「この場所なら私自身も暮らしたい、と思える場をつくることが大事だと思った」と語りました。また、「飯舘村は、どんどん変化していて、いま必要な要素がもしかしたら来年にはいらなくなることも。だから、常に可変し続ける場なんですね。『つながりを再生する秘密基地』と位置付けている理由も、図図倉庫(ズットソーコ)という名前も、家具なども移動式にしているので空間の隅に寄せれば倉庫に戻るという意味もあるんです」と矢野さんは語ります。その答えからも、環境の変化に柔軟に応答しながら活動しようとする姿勢が伝わってくるものでした。

矢野さんの取り組みや視点に共通しているのは、人の持つ知的好奇心や探究心を信じて「自分なりにやっていく」ということ。「自分のアートプロジェクト」の企画構想を進める受講生にとっても、改めて「自分なりにやる」とはどういうことなのかを考えるヒントが詰まった時間でした。

阿部航太さん(デザイナー/文化人類学専攻/一般社団法人パンタナル代表)

12月22日(日)は、デザイナーの阿部航太さんをゲストにお迎えしました。阿部さんは現在、高知県土佐市在住。日本で技能実習生として生活する外国人と地域住民との交流づくりを目指す「わくせいプロジェクト in 土佐市」を展開するほか、東京アートポイント計画の共催事業であり、海外に(も)ルーツをもつ人々とともに映像制作を中心としたワークショップを行うプロジェクト「KINOミーティング」を運営しています。阿部さんの肩書きには「文化人類学専攻」の単語が。一見、「デザイナー」との関連性がよくわからないようにも思えますが、お話しを伺ううち、阿部さんの現在に至るまで道のりと指標となる考え方に深く結びついていることがわかってきました。

埼玉県の新興住宅地で育った阿部さん。イギリスの美大に進学後、日本でグラフィックデザインの仕事に携わりました。大阪で太陽の塔(岡本太郎作)の先に建つショッピングモールのデザインを担当したときに、土地の文脈から離れ、商業的なデザインのみを追求する姿勢に疑問を覚えたことをきっかけに、独立。当時出会った、鈴木裕之『恋する文化人類学者 結婚を通して異文化を理解する』(世界思想社、2015)を通し、文化人類学の視点に惹かれ、縁あってブラジルに向かいました。

文化人類学の魅力は「自分が一生触れられない考え方・別の見方があって、いまよりもっと自由に生きられると感じるところ」だという阿部さん。その阿部さんがブラジルで衝撃を受けたのが、まちなかの壁面に描かれたグラフィティでした。現地で心惹かれた瞬間にアクションカメラで撮りためたグラフィティの魅力をどうにか誰かに伝えたいと、グラフィティアーティストへのインタビューや街の風景を含めた漫画を制作し、リソグラフで印刷した本を制作し出版。さらには帰国後、漫画ではこの面白さを伝えきれていないと考え、撮りためた映像をもとに映画を制作。また、4万字にもわたる映画パンフレットを自ら取材・制作しました。アーティストがグラフィティをまちなかに置いていく行為を公共空間をデザインする行為として捉えること、そしてその構造をビジュアルコミュニケーションを用いて伝えることを通して、“デザインの文脈で文化人類学をする”ことを考えていったのだそう。

グラフィティアーティストへの取材や多様な人々が行き交うブラジルの都市で生活するなかで生まれたのが、「​​どうしたら自分とは異なるバックグラウンドの人と関わっていけるのか?」という疑問でした。ここを起点に阿部さんの活動は、「KINOミーティング」や「わくせいプロジェクト in 土佐市」へと展開していきます。

「KINOミーティング」は、“海外に(も)ルーツをもつ人たち”を対象に、映像制作のワークショップを展開するアートプロジェクト。阿部さんはプロデュースと企画運営を担当しています。異なるルーツをもつ参加者たちがグループを組み、写真や映像、音声を用いて自分たちのルーツを辿っていきます。撮影など参加者の役割を固定せず、ローテーションさせていくことでプロジェクトとしてのバランスを保っているそうです。KINOミーティングは、公開されているアーカイブも豊富。あとから振り返る作業ができる大切さを考え、「誰が書いたか、誰がどう見たか」を意識して記録に残しています。

「わくせいプロジェクト in 土佐市」は、阿部さんが高知県土佐市に地域おこし協力隊として移住しスタートさせました。技能実習生と地域をつなぐこのプロジェクトは、10年計画の想定。あいさつからはじまって、少しずつ距離を縮められる「場」をつくっています。スパイスやハーブなど多国籍食材を扱うスーパーマーケットを入り口に、イベントやワークショップもできるコミュニティスペース、地域の中高生・大学生を対象としたデザインの学校など、多機能スペースとして運営をはじめました。2025年度からは、地域おこし協力隊としての任務は期限を迎え、いよいよフリーランスとしての取り組みがスタートします。

今年度の受講生のなかには、地域おこし協力隊として演劇の手法を用いたアートプロジェクトを構想する方や、翻訳やまちに住む日本語を母語としない方、海外にルーツをもつ方とのアートプロジェクトに興味をもつ方など、阿部さんの活動と興味範囲が重なる方もいて、どのように地縁のない地域に入り込むか、日本に住む外国人とどのように知り合えば良いのかなどの質問があがりました。まずは既にあるコミュニティやイベントなどに足を運んで、気軽な気持ちで出会ってみること、属性やリサーチで得た知識よりも、その人、個人に出会うという意識を大事にすること、そして何よりも「自分がおもしろい」と思ってはじめた、その原点を忘れないこと。阿部さんの答えは、演習のなかで繰り返し問われる「なぜ自分がそれをやりたいと思うのか」にも通じるものでした。

撮影:齋藤彰英

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