自分のアートプロジェクトをつくる

自分のなかから生まれる問いをつかまえ、アートプロジェクトをつくる力を身につける

この10年で、わたしたちを取り巻く社会状況はめまぐるしく変化しました。これまでの考え方では捉えきれないような状況が次々と発生し、新たに炙り出される課題に応答するように、さまざまなアートプロジェクトが生まれました。しかしこのような状況は、どこかで一区切りつくようなものではなく、わたしたちはこれからもまた新しい状況に出会い、そのたびに自分たちの足元を見直し、生き方を更新する必要に迫られるでしょう。激しく変化し続けるこれからの時代に求められるアートプロジェクトとは、一体どのようなものなのでしょうか。

「新たな航路を切り開く」シリーズでは、2011年以降に生まれたアートプロジェクトと、それらをとりまく社会状況を振り返りながら、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えていきます。ナビゲーターは、人と環境の相互作用に焦点をあてながら、社会状況に応答して発生するアートプロジェクトをつぶさに見続けてきた芹沢高志さん(P3 art and environment 統括ディレクター)です。

ここでは、アートプロジェクトの立ち上げやディレクションに関心のある方を対象に、ゼミナール形式の演習を行います。状況に対してどのような問題意識をもち、どのようにアクションしていけるのかを、アーティストやナビゲーターとのディスカッション、参加者同士でのワークを通して深めながら、自分のアートプロジェクトを構想していきます。自分の中から生まれる問いをつかまえ、アートプロジェクトを構想し、動かしていくための力を身につけます。

ナビゲーターメッセージ(芹沢高志)

アートとはまずもって、個人個人の内面にこそ、決定的に働きかけてくるものだ。自分自身の問題と向き合うための術であるとも言えるだろう。

今、私たちは、歴史的にみても大変な時代を生きている。どこに問題があるのかわからない、いや、そもそも問題があるのかないのか、それさえもわからない時がある。こういう時はひとまず立ち止まり、何が問題なのか、自分の心に問うてみる必要がある。他人が言うからではなく、いかに些細な違和感であれ、自分個人にとっての問題を発見していくことが大切なのではないだろうか。自分にとって本当に大切な問いとはなんなのか? それを形として表現していくための力を、この演習を通して培っていければと思う。

ともに舟を漕ぎ出そうとする方々の参加を心待ちにしている。

「新たな航路を切り開く」に寄せて(芹沢高志)

来るべきディレクター、プロデューサーに向けて

2020年春、非常事態下のローマで、作家パオロ・ジョルダーノは「パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけている」と言っていた。まったくその通りで、新型コロナウイルス感染症パンデミックは、これまで私たちが見ないふりをしてきたさまざまな問題を世界中で炙り出している。
エコノミスト、モハメド・エラリアンは、リーマン・ショック(2009)以降の世界経済は、たとえ景気が回復したとしても、以前のような状態には戻らないとして、「ニューノーマル」の概念を提唱し、これまでの考えではとらえることのできない時代の到来を予告していた。その彼が今、今回のコロナ・ショックをうまく乗り切ったとしても、世界経済のかたちを変えてしまうような新たな世界「ニューノーマル2.0」の時代がやってくるだろうと予測している。つまり、自らが提唱した「ニューノーマル」という新たな世界像さえ、次のステージに入って更新されねばならないような地殻変動が、現在、進行しているというのである。これは経済分野での指摘だが、確かに私たちは、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故、新型コロナウイルス感染症パンデミック、ロシアによるウクライナ軍事侵攻と世界の分断と、激動する時代のなかで、ものの見方から行動様式に至るまで、さまざまな局面で本質的な更新を余儀なくされている。それはアート・プロジェクトについても同様で、私たちは今、アート・プロジェクトのあり方や進め方に関して、新たな時代に対応する変更を求められている。
しかしもちろん、これは現在進行形の設問であり、出来上がった解答があるわけではない。本シリーズは、次代を担うアート・プロジェクトのディレクター、プロデューサーたちに向けて、今生まれるべきアートプロジェクトの姿を学び合い、新たな航路を探し出し、自らの姿勢を確立してもらうために企画されたものである。
ニューノーマル2.0時代のディレクター、プロデューサーが、アートプロジェクトの新たな時代を切り開いていかねばならない。本スクールはそうした来るべきディレクター、プロデューサーたちの、旅立ちのための港になっていきたいと願っている。

2022年4月

第5回レポート Tokyo Art Research Labコミュニティ・アーカイブ・ミーティング ――能登・仙台・東京

市民の手によって、地域の記録を残し、活用していく「コミュニティ・アーカイブ」。
そのスキルを、 複数の地域や経験を重ね合わせることから、広く共有する場をつくります。 記録を残すことは、出来事の記憶を伝えることにつながっています。とくに各地で頻発する災害の現場では、多くのものが失われる一方で風景や出来事を記録しようとする無数の試みが生まれています。
2024年、能登半島は1月の地震と9月の豪雨で大きな被害を受けました。本プロジェクトでは各地の災害にかかわり、活動を続けてきたメンバーが集まり、能登への応答のなかから、互いのスキルを共有するためのディスカッションを行います。

――プロジェクトメンバーのディスカッションの記録を、レポートとして公開し、繰り返す災害のなかに生きる術としての「コミュニティ・アーカイブ」のありかたを広く共有します。

コミュニティ・アーカイブ・ミーティングの取り組みとしては最終回となる今回は、会場を石川県珠洲市宝立町にある本町ステーションに移してディスカッションを行いました。
また、今回は「のと部」で一般社団法人NOOKが主催した能登の視察ツアーと同日開催となり、東京からも珠洲からもあわせて約20人が同席し、オープンな話し合いの場となりました。

珠洲・奥能登のアーカイブ活動の拠点となる「スズレコードセンター」のオープン予定日が約1ヶ月後に控えたこの日、その立ち上げに関わる西海一紗さんと沼田かおりさん、稲垣素子さん、せんだいメディアテーク/NPO法人remoの甲斐賢治さんも、現地でディスカッションに加わりました。

*レギュラーメンバーの自己紹介は第1回のレポートをご覧ください。

被災地の状況 ─── 大谷地区

本企画の2回目にも参加した坂口彩夏さんは、この日、珠洲市大谷地区から足を運んで現地参加しました。
前回の坂口さんの参加時(2024年12月)には、大谷地区の避難所が解散直前であるとのお話を伺いました。それから約3ヶ月を経て、現在までに現場の状況がどう変わってきたのかを伺いました。

仮設住宅での生活がはじまり、町に活気が出てきた

2024年末の避難所解散の準備には、本ミーティングの参加者である新谷健太さんも現場を手伝いに駆けつけました。無事退去も済み、大谷小中学校の体育館を避難所として生活していた人々の多くは、その近くに4棟、高屋にも新設された仮設住宅に移って、今も大谷地区で暮らしています。

当初は坂口さんがひとりで運営していた「外浦の未来を作る会」には、2024年12月末頃から写真家の橋本貴雄さんをはじめ、協力者も増えました。現在は仮設住宅の住民たちの集会所で映画鑑賞会やお茶会などのイベントを企画するなどして、地元の人々が定期的に集まる機会を設けています。
坂口さんは、もともと交流の多い大谷の住人さんが仮設住宅で過ごす様子を、「一体感と活気があって、小さな町のよう」と表現します。

今の大谷を見に来てほしい、人と人として出会ってほしい

坂口彩夏さん(画面中央)

豪雨災害での被害が大きかった大谷地区沿岸部の真浦町や仁江町では、2025年3月現在でも水道・電気が復旧していない場所があります。
地区全体としては「水や電気が使えるようになってきた」といっても、詳細に見ていくと状況はまちまちで、その情報が見えづらくなっていることが現状の課題だといいます。

川沿いに位置する大谷町では、住宅の2階の高さまで土砂が流れ込んだような場所も多く、泥出し作業や田んぼや畑の復旧作業など、現地ではやるべき作業も残っています。しかし、力仕事や作業のボランティア以外にもできることが多くあります。

国による復旧作業も進み、日々状況や風景が変化していくなかで、「今の大谷をもっと多くの人に見てほしい」という住人の声も増えてきました。
坂口さんは大谷を訪れる人々に対して、「コーディネーターを通してボランティアに来た人ではなく、人と人として住人さんに出会ってほしい」「町を見て歩いて、散歩している住人さんと世間話をしてくれるだけでもありがたい」と語りました。

「外浦の未来を作る会」では、現在、大谷の毎年恒例の行事である「鯉のぼりフェスティバル」を震災後初めて再開しようと準備を進めています。鯉のぼりフェスティバルの本番は、ゴールデンウィークの5月4日。坂口さんらは、多い年では2日間で1万人以上を動員した行事を復活させることで、また多くの人々が大谷を訪れる契機になればと考えています。

外浦の未来をつくる会 鯉のぼりフェスティバル準備の様子(撮影:橋本貴雄)

動く人と記録する人

坂口さんの「記録」や「アーカイブ」に関する状況にも、変化がありました。
「外浦の未来を作る会」の活動などに、大谷地区に移住した写真家の橋本貴雄さんに同行してもらい、写真撮影をしてもらえるようになりました。

泥かき作業や復旧活動の最中でも、避難所生活のなかでも、楽しい瞬間や「残したい」と感じる瞬間が多く、それが記録できないことが、坂口さんにとっての心残りでした。しかし、今は橋本さんが記録者として活動に立ち会うことで、坂口さんは「住人さんたちにとってやわらかい時間をつくること」に集中できるようになったといいます。

坂口さんから見た橋本さんの写真には、「‟被災地”としてではなく、今の大谷がそのまま写って」いて、報道の情報だけでは「震災や土砂災害の被害が大きかった場所」という印象で記憶されるかもしれないなかで、「このとき、そういえば楽しかったよね」と、住民どうしで思い返せるような写真を撮ってもらえているのだといいます。

「記録」の意味や見方は変化していくもの

「記録」といっても、広く第三者に現地の状況を伝えるような活動もありますが、大谷で行われている記録は、そこにいる人々にとって大事なものを残し、返していくための活動といえそうです。
話し合いは、東日本大震災での経験を振り返りながら、記録の意味合いを見つめ、向き合う時間に移っていきました。

時間が経つことで、記録から見えるものは変わる

震災から14年が経過し、今も記録の活用や発信をつづける「3がつ11にちをわすれないためにセンター(通称:わすれン!)」の活動を振り返り、小川直人さん自身が実感している「記録の相互作用や変容性」について共有しました。

記録される側にとっても、記録という前提があるからこそ話せることや、前に進める場面もあり、それは「記録の相互作用」であると実感しているそうです。また、さらに時間を経ていくと、記録が届く相手が変わっていったり、記録から汲み取れることが変わっていくこともあるといいます。

例えば、東日本大震災に関しては、当時を知らない世代も生まれてきています。東日本大震災の記録に触れることによって、そういった世代にとっても、血肉の通った「体感」として災禍の出来事を知りなおすきっかけとなることがあるそうです。

記録から表現になるまでには時差がある

2012年に陸前高田市に移住し、記録と表現の活動を行ってきた瀬尾夏美さんは、当時の被災地の様子を、「とにかくいろんな人が来て、いろんな視点や動きが同時に起こっていた」と振り返ります。

それぞれに現場を見て、大事だと感じたことをそれぞれが地域に返していくような動きをする人もいれば、外に開くことに全振りしていくような人もいたそう。
瀬尾さんは、「地域の中と外の人がそれぞれ役割を任せ合うための繋ぎ手みたいな役割を持った人がレコードセンターでも増えてほしい」といいます。
「実際、『地域のための記録』という視点で地域に入っていく動きも大事だけど、ここで起きていることと外で起きていることを、意見交換しながら社会に繋いでいくような活動が無いと、被災地が孤立してしまうような感覚がある」と、瀬尾さんは現在の能登の状況に危機感を示しました。

対して甲斐さんは、「仙台でも、そういった動きがとれるようになるまでは時間がかかっていた」と、東日本大震災での経験を語ります。

甲斐さん(画面右)

被災地には外から来る人が目指せる場所、出会いのきっかけになる場所が必要です。現在の能登では本町ステーションやあみだ湯などが、交流の場として機能しています。今回参加した浅見風さんも、交流の場から参加したひとりでした。外と内が交流できる場所をひとつずつつくることから、表現への動きがはじまっていくのかもしれません。

記録を残し、バトンとしてつないでいく

瀬尾さんは記録という行為との向き合い方についても語ってくれました。わすれン!では、震災から3年目に総集編として「記録と想起」というタイトルの展示を行いました。
「それまでは記録をただずっと蓄積しているような感じで、展示とかっていうアウトプットの機会はそんなになかった」と、瀬尾さんは当時を振り返ります。とにかく記録し続ける段階が続き、それを展示したり活用したり、振り返ったりできるようになるまでには、ある程度の時差があったとのこと。
その時差を埋めるまで外部の人たちが向き合い続けられるよう、レコードセンターという場や仕組みが機能する必要がありそうです。

当時、瀬尾さんが記録を表現にできたことのきっかけは何だったのでしょうか。

瀬尾さんは、小森はるかさんとともに2012年に陸前高田に移住しました。しかし最初は何をすればいいのか分からず、現地で感じたことをSNSに投稿していたそうです。震災から3年目、被災地での道路の嵩上げ工事がはじまり、具体的に町の風景が大きく変わっていくタイミングがありました。

瀬尾さんらは、住民たちが道路の跡から多くの記憶を想起していたことに気づきました。そして、それが失くなっていくことの意味、記録していたことの意味が見いだせたのだそうです。
「その喪失感は『第二の喪失』と呼べるくらい大きなものだった。復興のフェーズが変わったことが、記録を表現にしたきっかけだった」と、瀬尾さんは語ります。それまでわすれン!に蓄積されていただけの記録に自分なりに意味を見出し、腑に落ちたときに表現に変わっていった、と。

現在も東北を拠点に、一般社団法人NOOKで活動する佐竹さんは、記録を「バトン」に例えていました。記録されているものを見た人も、それを見ることで「今何が記録されているのか」「何が記録されていないのか」を知れるし、それによって被災地で自分のできることを考える足がかりにもなるはず、と。
記録を「バトン」として次に繋ぐための場としても、レコードセンターが機能していくと良いのかもしれません。

内と外の視点を行き来しながら、「腸内細菌」みたいに表現をつくる

ミーティングでは、新谷さんの活動についても言及していきました。新谷さんが金沢で行った展示「kari(sou)*」は今までの活動の記録であり、また、それを表現として落とし込んだものでした。その反響はどんなものだったのでしょうか。
*展示については、第4回目のミーティングレポートをご覧ください。

新谷さん(画面中央左)

新谷さんは、「すごいリアクションだった」と反響を振り返りつつ、展示内容は、被災という現実を咀嚼して、直接的すぎない表現に落とし込み、かなり抽象的に表現したところがあるとのこと。
そのため、親戚が珠洲にいたり、二次避難先から地元に帰れていないなど、現地を受け止めることがまだ困難な人にとっても来やすい場になったのではないか、と分析していました。

新谷さんは、情報を取捨選択したり、受け取りやすい形に変換したり、個人に蓄積されたものを分解したりしていく自身の表現活動を「内側にいながら、外側から見たときの意識も持つのを個人的には大事にしている。腸内細菌みたいなもの」だと言います。

被災地のなかの人の声にぐっと寄り添って応答したい人もいれば、外との視点を行き来したい人、外向けの発信に全振りしたい人など、多様なバリエーションがあります。全体での連携が取れ、どこかに負担が偏りすぎないことが重要になっていくのかもしれません。

記録や表現の場を設定することによってひらかれる「語り」もある

被災地にいる人に関わるとき、記録という行為自体が優先することの課題についても話し合いました。このテーマは、これまでのミーティングにおいても何度か話題に上がっています。瀬尾さんは、「記録が口実になる場もたくさんある。記録という場をあえて持つことでやっと話せることもあるし、できることもある。」と述懐します。
浅見風さんが行っている活動はそういう面でも重要な一例です。

浅見さん(画面右奥)

浅見さんは去年の3月から能登に通い、豪雨災害の後は大谷の泥出しなども自主的に行ってきました。東京・能登・広島の往復生活を続けるなか、能登を離れると日常に能登の話題がほとんどないという距離感を感じたのだとか。
「町を歩いているような日常風景のなかで、『そういえば今、能登ってどうなっているんだろう?』と感じられるような場をつくりたいと思った」と、浅見さんは仲間と一緒に展覧会「能登『あれから1年』展」を企画しました。

「能登『あれから1年』」展は、今回浅見さんとともにミーティングに同席した、林光太郎さんが番台を務めていた銭湯「電気湯」で行われました。電気湯のオーナーも実際に能登を訪れ、あみだ湯の新谷さんと仲良くなり「銭湯と銭湯をつなぐような展示をやろう」ということに決まったそう。
浅見さんたちは、あみだ湯を利用する人々から聞いた言葉や能登の風景を収めた写真を、電気湯の浴槽の中で鑑賞できる展示を1〜2ヶ月ほど開催しました。
「普段から銭湯にくるような町の人たちが、お風呂に入った後に休憩スペースで、東京大空襲のことや関東大震災の話を織り交ぜて能登の話をしてくれた」と、浅見さんは展示の様子を語りました。
能登の「あみだ湯」では、被災のことを忘れられるような日常空間の銭湯として。東京の「電気湯」では、能登のことを日常空間である銭湯のなかで見られるような場として。それぞれの空間と、出会いを活かした取り組みが行われていました。

浅見さんは現在、松田さんからのアイデアをきっかけに「宝立かるたづくりワークショップ」を本町ステーションでも実施するなど、継続的に能登とのかかわりを続けています。
「宝立かるたづくり」は、被災体験を真正面から直接語るのではなく、多世代どうしが宝立という町とその暮らしぶりを語り合うことができるものとして機能しているようです。

能登と外をつなぐ、人と場所の重要性

西海一紗さんからは、「地震から1年と少し経って、この1年ずっと「忘れたくない!」という気持ちが強すぎて、最近、逆に「忘れたい」という気持ちがすごく出てきている」という話も出ました。

西海さん(画面右手前)

一方で、記録することによって、やっと前に進めることもある、と西海さんは語ります。「去年、住んでいた家を出ることになったときに、そこから見える風景とかがすごく好きで、それをたくさん撮った。それを満足いくまで撮ったら、撮ったことですごく満足して、これで一回忘れられるって思えた」

これまで西海さんは、記録をしてほしい人々のもとへ赴き、写真や映像で記録活動を行ってきました。しかし、活動を通して自分自身のなかに蓄積されていくものをアウトプットできていないとも感じていたそう。そんな西海さんの言葉を受け、レコードセンターという場所が担うべき役割や機能について、立ち止まって考える時間が生まれました。

「記録をする意味とかっていうのは、遅れてやってくるものもある」と、瀬尾さんは強調します。
東日本大震災における瀬尾さんたちのように、震災の1年後に支援や復興などを目的として移住する人々は、能登にもいます。1年目の状況を知らないというコンプレックスや距離感を感じる人がいたら、これまでの記録が1年目の状況を伝えるをきっかけにもなるはず。「役には絶対立つ」と、瀬尾さんは重ねて強調します。

また記録のアーカイブ化には、記録を取る人だけでなく、情報を整理をする人も必要です。遠隔でもできるような、資料整理や見せ方の整理のようなことは、のと部など、外で動ける人たちに預けてもいいかもしれません。甲斐さんからは、そのプロセスすら記録したい、という意見も上がりました。
瀬尾さんは、俯瞰的な研究的視点も、被災地で何が起きていたのかを客観的に事実として伝えられる視点も、どちらも重要だと答えました。

このミーティングや、「星空と路」の関連イベントに参加していた一般社団法人Code for Notoは、俯瞰的に情報をまとめて発信する取り組みを行っています。そういったいろんな視点や知見、技術を持った団体や人たちと役割を分担しあっていけるといいのかもしれません。
一般社団法人NOOKの磯崎未菜さんは、「とにかくたくさんの人を呼んで、今西海さんが一人で背負っているものを、手放してもらえるようにすることを本気でやりたい」と意気込みを見せます。

今はミーティングの参加メンバーをはじめ、地震の前から現地に住んでいた人が中心となって活動をしているところが多いのが現状。能登にかかわれる人を増やしていくために、能登と外側をつなぐ取り組みが必要です。

5月頭には、大谷地区の「鯉のぼりフェスティバル」の開催や、スズレコードセンターのオープンなど、現地でも新たな動きがありました。さまざまな活動や拠点のはじまりが、たくさんの人々が今の能登を知り、訪れるきっかけになればと思います。

おわりに── 過去を共有し、いま、語りをひらく「コミュニティ・アーカイブ」にできること

能登でのコミュニティ・アーカイブの動きはまだはじまったばかり。そして、現地での記録・表現を行うだけでなく、その周辺や遠方からの動きも、同時にもっと必要であることが見えてきました。
それは際限のない作業のはじまりではなく、どんな人でも、どこにいても、どんな形でも被災地に対して関わりをつくることができるという希望でもあります。

遠くにいてもできることはなんだろう。むしろ、遠くにいるからこそできることはなんだろう。
近くにいるからできることは?近くにいるからできないことは?
能登・仙台・東京を繋ぐ本ミーティング企画では、そのような様々な視点で、被災地との関わり方を見つめる機会になりました。

本企画もこのミーティングで終わるのではなく、ここで見えてきた課題をより多くの人に伝え、活かしていくための資産として活用していきます。
読者の方々も、もし活用できる機会があればぜひこのバトンを受け取って、次に活かしていってくだされば幸いです。

Tokyo Art Research Labコミュニティ・アーカイブ・ミーティング ―― 能登・仙台・東京【番外編】『星空と路 —3がつ11にちをわすれないために—(2025)』レポート

市民の手によって、地域の記録を残し、活用していく「コミュニティ・アーカイブ」。
そのスキルを、 複数の地域や経験を重ね合わせることから、広く共有する場をつくります。 記録を残すことは、出来事の記憶を伝えることにつながっています。とくに各地で頻発する災害の現場では、多くのものが失われる一方で風景や出来事を記録しようとする無数の試みが生まれています。
2024年、能登半島は1月の地震と9月の豪雨で大きな被害を受けました。本プロジェクトでは各地の災害にかかわり、活動を続けてきたメンバーが集まり、能登への応答のなかから、互いのスキルを共有するためのディスカッションを行います。

――プロジェクトメンバーのディスカッションの記録を、レポートとして公開し、繰り返す災害のなかに生きる術としての「コミュニティ・アーカイブ」のありかたを広く共有します。

第4回のミーティングを終えたあとの3月11日、東日本大震災から14年が経過した仙台でせんだいメディアテーク内「3がつ11にちをわすれないためにセンター(通称「わすれン!」)」主催の展示イベント「星空と路—3がつ11にちをわすれないために—(2025)」がはじまりました。
このイベントは、センターの参加者による震災にまつわる記録を紹介し、これまでに寄せられた記録の利活用の試みの場として、毎年3月に開催しています。そして3月15日には、せんだいメディアテーク1階オープンスクエアを会場として、Tokyo Art Reserach Labによる本ミーティングとの協力企画「わすれン!記録活動ミーティング——能登から/能登へ——」と題したトークイベントが開催されました。
今回は、そのトークイベントの様子をレポートとしてお伝えします。

星空と路—3がつ11にちをわすれないために—(2025)関連イベント概要

「わすれン!記録活動ミーティング——能登から/能登へ——」
日時:3月15日(土)14:00-16:30
会場:せんだいメディアテーク

コーディネーター:明貫紘子(キュレーター/アーキビスト/合同会社映像ワークショップ 代表)
登壇者:
坂口 歩(金沢美術工芸大学学生/グラフィックデザイナー)
新谷健太(水を温める人)
岡田有紀(フリーライター/編集者)
川田創士(一般社団法人Code for Noto 理事/CTO)
松田咲香(写真家)

トークイベントには、これまでコミュニティ・アーカイブ・ミーティングに参加した、新谷さん、川田さん、松田さんに加え、現在も能登で活動を続けている坂口歩さん、岡田有紀さんらが参加しました。

坂口歩さん
石川県能登町出身、金沢美術工芸大学でデザインを学ぶ。実家へ帰省中に能登半島地震に遭い、津波の影響で実家の解体が決まる。発災当初から自身の感情や当時の町や避難所の状況をSNSでリアルタイムに発信。2024年12月、メディアには取り上げられないような声や思いを、地震に遭遇した経験者の視点から記録・取材してまとめた新聞『MEDIUM (FOR NOTO)』を発行。
今回のイベントでは、坂口さん自身の経験や思いも語りつつ、グラフィックレコーディングを担当。

岡田有紀さん
岡山県岡山市出身。金沢美術工芸大学 美術工芸学部 芸術学専攻卒業。フリーライターとして活動する傍ら、2020年より、アーティスト饅頭VERYMUCH(マンジュウ・ベリーマッチ)のアシスタントを務める。饅頭VERYMUCHが立ち上げた、かほく市を拠点に活動するボランティアチーム『能登とととプロジェクト』のメンバーとして、ボランティアサポートやSNSの発信を担当。発災後2日目から発信されたSNSの投稿は広く拡散され、以後の支援活動に繋げてきた。

これまでのコミュニティ・アーカイブ・ミーティングに出席した参加者の紹介文は省略しますが、本イベントでも全員がそれぞれの自己紹介を行いました。新谷さん、川田さん、松田さんの活動については過去のレポートをご確認ください。
コミュニティ・アーカイブ・ミーティング ――能登・仙台・東京 レポート

表現から記録、そして発信へ。能登と人々の思いつなぐ「メディウム」

坂口歩さんが制作した『MEDIUM(FOR NOTO)』に掲載されているコンテンツは、坂口さん自身が避難所生活のなかで感じた戸惑いや葛藤を日記のようにメモしていたこと、自身の家の解体について家族にインタビューしたことなど、個人的に書き留めてしていたものが元になっています。

タイトルにもなっている「メディウム」とは「媒体」という意味を持つ言葉で、美術や絵画などの制作において、素材や溶剤、補助材などを指す言葉としてもよく使われます。
被災地の状況が見えづらくなっている人々や、関心が離れていく人々、そして坂口さん自身を能登につなぎとめる「媒体」となることを願い、坂口さんは新聞に「メディウム」の名前をつけたと語りました。

また、そのトピックに重ね、海浜あみだ湯など珠洲市を中心に活動している新谷健太さんも、自身の考えや活動について共有しました。

新谷さんは、現地での教育支援や、地元住民との意見交換会にも参加したり、復興プラン策定のための協議会にも積極的に参加しています。
それらの活動は、現地の「コミュニティケア」のための活動であり、現地のコミュニティを取り巻く環境との乖離を減らす「メディウム」として機能するための活動でもあると語りました。

1年を経て見えてくるものを、タイムラインとして記録する

岡田有紀さんが参加している『能登半島地震 勝手に応援 のっとととの、とっとプロジェクト』略して『能登ととと』プロジェクトでは、イラストレーターである饅頭VERYMUCHさんを筆頭に、震災後の1月2日から支援物資の募集、翌3日から物資支援に入るなど、スピード感に力点を置いて支援活動を行ってきました。

また、その後も炊き出しなどの訪問ボランティア、チャリティーグッズの制作・販売なども行っています。
現地の訪問ボランティアのために情報収集をしていた際には、坂口さんが当時SNSで発信していた情報もキャッチし、連絡を取り合っていたといいます。
また、岡田さんは、震災から1年が経って見えてきたことや、これまでの活動のタイムラインを「とととアーカイブ(仮)」としてまとめ、発信することも考えているそうです。

さらに、一般社団法人Code for NotoのCTOとして活動する川田創士さんは、4回目のコミュニティ・アーカイブ・ミーティングのなかでも言及していた「Our City Timeline」などの事業について共有したうえで、住民たちにも記録を開いていくことの意義や、仕組みづくりについても語りました。

続いて写真家の松田咲花さんも、これまで能登で行ってきた活動のことや、今行っている「本町ステーション」のことについて共有しました。
松田さんは、震災による津波でハードディスクが被災し、それまで撮影してきた写真を損失してしまいました。
しかし昨年、そのハードディスクを復旧させることに成功し、震災前の写真が戻ってきたことがきっかけとなり、メディアではなかなか取り上げられることのない日常を発信することや、日常の楽しみを感じられる場づくりをはじめるに至ったと語りました。

表現と記録のあいだ

それぞれの「記録」への向き合い方

参加者からは、「いつから活動が記録に向かっていったのか」という質問が上がりました。

岡田さんは、「最初は記録まではできなかった」といいます。しかし現地ボランティアの情報収集を続けるうち、「やっぱり残すべきだと思い、1年後にやっとちゃんとまとめるようになった」とのことでした。

続いて新谷さんは、「中学生のときから日記を書いていたように、常に記録に気持ちが向いていた」といいます。

対して川田さんは、「エンジニアとして技術を活かしたいという思いからはじまり、がむしゃらに続けていたら‟アーカイブ”という側面が浮かび上がってきた」のだそう。

せんだいメディアテークの小川直人さんは、東日本大震災を振り返り、「当時からのタイムラインでは、震災後すぐに動いた活動もあれば、ただ日記のように個人がまとめていたものもあり、13年経ってようやく活動・表現の形になったものもある」といいます。

東日本大震災に対してそれぞれの向き合い方があったように、ここまでの3人それぞれの「記録」への向き合い方が多様であることがわかる応答でした。

記録を伝えたい人とどう向き合うか

質問では、記録に対する向き合い方についてさらに深掘りがなされました。

岡田さんは「より多くの人に適切に届けるために、どんな形式でどんな見せ方をするべきか、メディアの選択の仕方が課題でもある」と、「記録を読む人」との距離感について語ってくれました。
そうした課題点について話されるなか、新谷さんは「いろいろな出し方をしたり、表現と活用をくりかえしながら、伝えたい人にどうやったら伝わるか考えていくこともできると思う」と、記録の可能性についても触れていました。

アートや表現にできることとはなんだろう

また、質問では「アート」という媒体についても話が広がりました。

新谷さんは自身も参加しているアートコレクティブ「仮()(かりかっこ)」の活動について話してくれました。「すべての人に伝えたいことを伝えるのは難しいが、(アートは)表現のしかたによって、受け取る人それぞれの距離感で受け取りたいものを解釈できる」といいます。3月に行われた展示「kari(sou)」では、その抽象性をとても大事にしたそうです。

松田さんは、「物理的な支援ももちろん大事だけど、それだけで人間は支えられているわけではないと思う。心の支えの面では、個人の表現という力で寄り添うことができる」といいます。被災地という土地にこそ、心の拠り所が必要です。

川田さんはアートや表現を、ひとつの記録として捉えていました。「思ったときにやらないと、次の瞬間にはないかもしれない。世には大きく表現されない情報でも、確実に財産になっていることがあると思う」といいます。
坂口さんは自身の行動を述懐して、「相手にも、自分の感情にも応答して行動することが表現だった」と語ってくれました。アートも表現も、あるコミュニケーションのひとつなのかもしれません。

登壇者の皆さんと参加者とのコミュニケーションによって、記録と表現がまったく別個のものではなく、互いに共通項のある、近い関係性のものだと感じられるイベントとなりました。共通しているのは、それを受け取ってくれる相手がいること。伝えたい相手のためにどのような工夫をこらすのか、あるいは伝えたい相手の声を聞くのか。探求はまだまだ続きそうです。

第4回レポート Tokyo Art Research Labコミュニティ・アーカイブ・ミーティング ――能登・仙台・東京

市民の手によって、地域の記録を残し、活用していく「コミュニティ・アーカイブ」。
そのスキルを、 複数の地域や経験を重ね合わせることから、広く共有する場をつくります。 記録を残すことは、出来事の記憶を伝えることにつながっています。とくに各地で頻発する災害の現場では、多くのものが失われる一方で風景や出来事を記録しようとする無数の試みが生まれています。
2024年、能登半島は1月の地震と9月の豪雨で大きな被害を受けました。本プロジェクトでは各地の災害にかかわり、活動を続けてきたメンバーが集まり、能登への応答のなかから、互いのスキルを共有するためのディスカッションを行います。

――プロジェクトメンバーのディスカッションの記録を、レポートとして公開し、繰り返す災害のなかに生きる術としての「コミュニティ・アーカイブ」のありかたを広く共有します。

第2回のミーティングでは、被災地での記録への向き合い方といった現場の人々の抱える課題と、そこで記録されたものをどう保存・活用していくかといったプラットフォーム面の課題の、大きく2つの方向で議論が広がりました。

今回のミーティングではこれらを分科会として分け、プラットフォーム面の現状と課題に焦点を当てて議論を掘り下げます。また、今回は映像ワークショップ合同会社の明貫紘子さんの紹介により、一般社団法人Code for NotoのCTOを務める川田創士さんにもゲストとして参加してもらいました。

一般社団法人Code for Noto 川田創士さん

静岡県出身、石川県在住。現在のCode for Notoの代表であり大学の先輩でもある羽生田文登さんが、2013年にデータアナリストとして石川県に出向・移住し、能登の伝統文化をデジタル上にアーカイブする取り組みを始めたことをきっかけに、川田さん自身もデータサイエンティストとして活動に参加。
その後、2024年1月の震災を機に、能登の活動に本格的に関わるため、羽生田さんを含む大学の仲間3人で一般社団法人Code for Notoを設立。2024年7月に金沢市内に移住。
Code for Noto設立後、映像ワークショップの明貫さんとも連絡を取り合い、お互いのイベントに参加したり、情報交換をしているといいます。

一般社団法人Code for Noto について

Code For Notoのロゴ

Code for Notoは、令和6年能登半島地震をきっかけに設立された一般社団法人です。
Code = プログラミングで課題を地域の課題を解決するツールという枠を飛び出し、Data(データ利活用)・Art(アート)・Note(デジタルアーカイブ)の側面から、能登半島の美しさや歴史、やさしさを後世に繋ぐため、データのプロフェッショナル集団としての活動を続けています。

例えば、Code for Notoのプロジェクトのひとつである『Our city timeline』では、インターネット上で地域の歴史年表を閲覧・編集できるプラットフォームを独自に制作し、公開しています。その年表はただ閲覧できるだけでなく、一般市民が独自に保有している記録写真などを追加することができるため、より多くの人が参加することで、より幅広く具体的な歴史年表がつくり上げられていくプラットフォームにもなっています。

そのほか、石川県内の人口・世帯数をデータビジュアライズしたマップを制作・公開したり、県内外の写真展への技術協力を行ったり、サイネージでの映像と写真の上映による能登の魅力発信を行うといったさまざまな形で、技術面から能登を支えるための活動に取り組んでいます。

震災後1年を経て、各所でアーカイブの活動が動き始めている

県庁によるアーカイブ事業特設サイトの公開

Code for Notoのように個人から立ち上がるアーカイブの事例がある一方で、自治体規模での大きな取り組みもはじまっています。

2025年1月29日より、石川県庁によるインターネット上でのアーカイブ事業「能登半島地震アーカイブ 震災の記憶・復興の記録:石川県」の特設サイトが公開されました。
このウェブサイトでは、発災から3か月間の初動対応にあたった期間の資料を中心に、国や被災した市、町、それに全国の自治体などおよそ150の機関から提供を受けた写真や資料を公開しています。
また、県によると、これまでにおよそ2万点の資料が集まり、このうちおよそ500点を1月29日から、3月末にはさらに500点ほどをウェブサイト上で公開するとのことです。

現在は、県が独自に収集した記録だけでなく、SNSなどでの発信を通して一般市民からの情報提供も、ウェブサイト上のフォームから受け付けています。

令和6年能登半島地震アーカイブ「震災の記憶 復興の記録」のウェブサイト

アーカイブをいかす、続けるための課題

このような状況を俯瞰し、せんだいメディアテークからオンラインで参加した小川直人さんは、東日本大震災の経験も交えて、アーカイブ事業が直面する課題を共有しました。

まず直面する課題は、アーカイブを保管する倉庫(インターネット上のアーカイブであればサーバーにあたるもの)の維持の問題です。

県によるアーカイブ事業であれば、ある程度長期的な維持が期待できるものの、東日本大震災においては震災後10年を経て、行政主体のサービス等は次々と閉鎖している現状もあるといいます。
そして次の課題は、アーカイブを発信・活用し続ける仕掛けの問題です。
記録は、ただ保管して蓄積するだけではなく、そこに市民が参加して閲覧・利用し、繰り返し活用することが非常に重要で、そうすることにより、コミュニティ・アーカイブとして記録を生かし続けることにつながります。

せんだいメディアテークで毎年3月に開催しているイベント「星空と路」のように、定点観測のように過去の記録を伝え続ける取り組みや、ワークショップ等を設けて、市民参加の場を持ち続けることも重要になります。

デジタルアーカイブを行う上でのデータ収集や整理のしかた

Code for Notoの川田さんは、デジタルアーカイブを行っていく上では、データ整理や収集においても課題があると付け加えて説明します。

一般市民が誰でも参加できるコミュニティ・アーカイブの場合、集まった膨大なデータをひとつにまとめていく上で、情報の粒度やフォーマットの統一が難しい傾向があります。
現状のCode for Notoでは、専門スタッフが情報の取捨選択を行い、加工・整備を通した上で公開しています。

せんだいメディアテークでも同様の課題がありますが、一般公募した情報を、一度イベントなど少数に閉じた場で共有し、そこで情報整理を行った上で公開するというプロセスを踏むため、ある程度スタッフの負担軽減や公共性の担保にもつなげられているといいます。

生きたコミュニティ・アーカイブを継続する上では、イベントやワークショップといったフィジカルな場での取り組みとデジタル上での取り組みを、どう組み合わせて実施するかが非常に重要だと言えそうです。

災禍の記録を、検証しやすい形で後世に残す

NOTO まちづくりタイムライン

Code for Notoによる「Notoまちづくりタイムライン」という取り組みでは、震災が起こってから現在までに、どんな支援団体がどこで活動を行い、自治体や協議会がどんな会議を行い、どんなメディアによる発信がいつ行われたか、といった情報を、タイムライン形式で集約して公開しています。
このようなデジタルアーカイブを通して、未来に別の地域で災害が起こった際に、過去の教訓を活かしやすくすることを目指しているといいます。
また、このような断片的な記録を続けていくことによって、教科書のような「大きなタイムライン」からは消えてしまうような記録を後世に残すことで、「記録を通して地元の橋渡しをしたい」とも語ります。
一方、データの収集と公開および活用においては、著作権や所有権の扱い方も重要です。
まだまだ手探りの課題はあるものの、明貫さんや川田さんは、被災地の現状と日々向き合いながら、データ・アーカイブに関する権利上のノウハウを蓄積し、交換しています。

このようにして、災禍の記録を教訓として活用しやすい形で残すことで、長い年月が経ったあとにも問題を再検証しやすく、未来の防災につなげられる可能性があることがわかりました。

次回のコミュニティ・アーカイブ・ミーティング

今回は、Code for Notoでの取り組みを事例に、デジタルアーカイブとその運用、プラットフォームづくりにまつわる課題にフォーカスし、議論を掘り下げました。3月には、せんだいメディアテーク内にて「わすれン!」主催の展示イベント「星空と路—3がつ11にちをわすれないために—(2025)」も開催。
Tokyo Art Reserach Labによる本ミーティングとの協力企画「わすれン!記録活動ミーティング——能登から/能登へ——」と題するトークイベントでは、明貫さんがモデレーターとなり、川田さんらも出演予定です。
次回は、特別編としてイベントレポートをお届けしたあと、本ミーティング企画の最終回として、これまでのディスカッション内容を振り返ります。

第3回レポート Tokyo Art Research Labコミュニティ・アーカイブ・ミーティング ――能登・仙台・東京

市民の手によって、地域の記録を残し、活用していく「コミュニティ・アーカイブ」。
そのスキルを、 複数の地域や経験を重ね合わせることから、広く共有する場をつくります。 記録を残すことは、出来事の記憶を伝えることにつながっています。とくに各地で頻発する災害の現場では、多くのものが失われる一方で風景や出来事を記録しようとする無数の試みが生まれています。
2024年、能登半島は1月の地震と9月の豪雨で大きな被害を受けました。本プロジェクトでは各地の災害にかかわり、活動を続けてきたメンバーが集まり、能登への応答のなかから、互いのスキルを共有するためのディスカッションを行います。

――プロジェクトメンバーのディスカッションの記録を、レポートとして公開し、繰り返す災害のなかに生きる術としての「コミュニティ・アーカイブ」のありかたを広く共有します。

第2回のミーティングでは、被災地での記録への向き合い方といった現場の人々の抱える課題と、そこで記録されたものをどう保存・活用していくかといったプラットフォーム面の課題の、大きく2つの方向で議論が広がりました。

今回のミーティングではこれらを分科会として分け、前者の課題に焦点を当てて議論を掘り下げます。また、年明けを経て震災から1年が経った能登の現状についても伺います。

2024年2月3日──「記録してほしい」と思うとき、そこに記録者が足りていない

『本町ラジオ』の状況について

珠洲からミーティングに参加した西海一紗さんは、珠洲市にある「本町ステーション」で地元のミニFM『本町ラジオ』をはじめたことと、その状況を報告しました。
ミーティング時点では既に5人分の収録が完了していたものの、なかなかその編集まで手が回っていない状況でした。そこで、東京から能登に対してできることを考える部活、「のと部」を実施している一般社団法人NOOKの瀬尾夏美さん、磯崎未菜さんから、のと部に集まる人々が協力して編集を手伝えるかもしれない、という提案がありました。

“急な喪失”に寄り添う記録が追いついていない

この拠点づくりの活動には、当ミーティングの1回目と2回目にも参加した、せんだいメディアテークの甲斐賢治さんもディレクターとして関わっています。
西海さんは、地元の活動者としての思いやニーズを伝えながら、珠洲に必要なアーカイブ拠点のあり方を考えています。

例えば、現在も西海さんが実施している「出張レコード」は、アーカイブ拠点が出来た際にも継続していきたい活動のひとつです。
この活動では、主に公費解体によって取り壊される家屋に住んでいた住民などから寄せられた要望により、現地に行って映像や音声、写真などによる記録を無償で行っています。

そういった要望を寄せる人々は、公費解体を申請したあと、実際いつ解体が行われるかわからないなかで仮設住宅などに暮らしています。
そして解体の日程が確定し、実際に家屋が取り壊されるまでは、たった2週間程度の期間しかない場合が多いといいます。
そういった状況下で、急に喪失が目の前に突きつけられた人々から『出張レコード』の依頼がある場合は、記録にかけられる期間が非常に短い場合がほとんど。
現状は西海さんを中心に、解体までに時間の余裕がある場合は、遠方からの記録者も招集しながら活動を続けていますが、精神的にもスケジュール的にもなかなか対応が追いついていないのが現状です。

金沢から能登へ──『スズプロ』との連携の可能性

そんな課題の共有を受け、東京から参加したミーティング参加者どうしで、能登半島からも比較的近い金沢周辺の活動者のグループと連携することで、スピーディーに記録に行ける人を増やすことを検討・相談しました。
そこで、声掛けできそうな活動体として、『スズプロ』の名前が挙がりました。

スズプロ(金沢美術工芸大学) Instagramより

スズプロは、金沢美術工芸大学のアートプロジェクトチームとして、学生有志が集まって活動しているグループで、Instagramのアカウントで活動報告が投稿されています。
のと部にも、スズプロで活動したことのあるメンバーが参加しています。そういった繋がりを通して、スズプロに直接連絡してやりとりを行いをしました。そして急遽その1週間後、金沢市内で、スズプロを運営する方々と直接会ってお話できることが決まりました。

2024年2月15日──スズプロとの顔合わせと意見交換+「kari(sou)」視察

2024年2月15日、金沢美術工芸大学内でスズプロに関わる教員の二人、西本耕喜先生(写真右)、高橋治希先生(写真左)とのミーティングを行いました。
まずは、これまでのコミュニティ・アーカイブ・ミーティングで議論してきたことを伝えつつ、声をかけるに至った経緯を共有しました。その上で、スズプロが現在行っている活動や状況についても伺いました。

授業でもあり、活動体として動いてきたスズプロ

もともとスズプロは、2017年に第1回が開催された奥能登国際芸術祭に作品を出品するために、教員と学生のアートプロジェクトチームとして発足しました。
実際に出品した作品のなかでも、珠洲で制作・出展された《奥能登マンダラ》がよく知られています。この作品は、現地リサーチをもとに制作するプロセスを重視した作品で、当時、スズプロの学生たちが金沢と珠洲を行き来し、リサーチ・制作を行いました。
しかし、その《奥能登マンダラ》が展示されていた建物は、2023年5月に発生した能登半島地震による被害で立入禁止となり、スズプロでのアート活動はしばらく休止が続きました。さらに2024年1月の震災も重なり、現地に行けずとも珠洲のために出来ることを模索した結果、現在は金沢での募金活動やグッズ制作、金沢で二次避難をしている被災者の方々とのワークショップなどを行っています。

《奥能登マンダラ》の写真

また、スズプロは大学・大学院の授業として学生の受講が可能で、学生を主体に、一部損壊した《奥能登マンダラ》を修復するための活動や、珠洲から寄せられるデザインやアート分野でのニーズに応えるための活動にも動き出しています。
学生の安全確保のため、スズプロとして現地入りができない期間が長かったものの、現地の状況も鑑み、2025年1月には震災以降初めて、教員引率の安全確保の上で珠洲を訪問しました。

珠洲の記録に応えていくために、どう連携できるか?

スズプロの活動内容や現状について伺った上で、「出張レコード」での記録者不足の課題に対してどう連携できるか議論を行いました。
東京からオンラインでミーティングに参加した磯崎さんは、スズプロの学生たちが「のと部」と一緒に活動していく可能性を提案しました。
現在、東京を拠点に活動している「のと部」の金沢版をつくったり、東京の「のと部」が金沢に出張し、スズプロの学生に記録の仕方を教えたり、現地で一緒にできることを模索する機会をつくったりもできるかもしれません。

さらにその上で、スズプロに関わる学生たちと一緒に珠洲でできること・やりたいことを模索してみるためにも、まずは一度、金沢美術工芸大学内でワークショップや相談会を実施してみるのはどうか、と話題が広がりました。
西本先生・高橋先生も、大学の春休み以降であれば、学生も一緒に何か動き出せる可能性があるといいます。その際には、これまでコミュニティ・アーカイブ・ミーティングに参加した方々も関わり、学生たちと一緒に議論を重ねられると良いかもしれません。

展示『kari(sou)』視察

当日、金沢市内では、前回のミーティングにも参加した新谷健太さんが参加するアートコレクティブ「仮()(かりかっこ)」による展示「kari(sou)」が開催されていました。
そして実は、仮()の新谷さんと楓 大海(かえで ひろみ)さんは、高橋先生の教え子でもあります。

ミーティング終了後、スズプロのお二人に会場を案内いただき、展示「kari(sou)」を視察しました。

赤い暖簾をくぐり展示室内に入ると、部屋一面に広がる大きな地図、そして床に積まれた木材が目に入ります。
地図には大きく「88,100,000kg」という数字。これは、2024年2月時点の珠洲市内の災害廃棄物のうち、木材のみの廃棄重量を示しています。

新谷さんが珠洲市内で運営している『海浜あみだ湯』では、この被災家屋の廃材となる木材を銭湯の燃料として使用しています。
さらに奥へと進むと、地図の裏面には、珠洲市飯田町にある木材の廃棄物置き場の写真が大きく印刷されていました。
巨大な数値と写真で示される、想像するに余りある量の廃材。確実にその「88,100,000kg」の一部でもある、展示室内の木材一つ一つに目を凝らすと、そのすべてが、もともと家屋の柱や梁として能登の人々の生活を支えてきたものであることを突きつけられるようです。

展示室最奥には、銭湯の風呂椅子に腰掛けることで、珠洲の復興に向けた会議が録音された音声など、珠洲で今起こっていることを「浴びる」ように体験できるスペースも用意されていました。

展示「kari(sou)」はすでに終了しましたが、今後、珠洲の「今」を体感的に伝える展示として、別の地域でも開催を計画中です。また、今回の展示に使用した木材は、金沢市内の銭湯が薪として引き取ることになったそうです。

次回のコミュニティ・アーカイブ・ミーティング

今回は、「現地とその周辺でどのような連帯をつくり、どう動くか」に焦点を当て、いくつか場を分けて具体的な議論を行いました。
そして、被災地での急な記録のニーズに対応する方法を探るなかで、金沢の大学生たちとの連携の可能性が見えてきました。
次回、4回目のミーティングでは、このような現場での動きと並行して、データ・アーカイブの面ではどのような取り組みの可能性や課題があるのかを、実践者たちの声を交えて探ります。

Integrating Art into Life in Changing Times: An interview with Director of Tokyo Artpoint Project Mori Tsukasa

*This is a translation of an interview originally published in the Tokyo Artpoint Project annual report Artpoint Reports 2024→2025 (March 25, 2025).

What kind of year was 2024 for people in the cultural sector? Mori Tsukasa examines the things we lost during the pandemic and discusses the importance of culture.

“Designing” Participation

Q. What kind of year was 2024 for people working in the cultural sector?

In the interview last year, I spoke about how things were returning to a state of normality as the pandemic receded, but that there was a feeling among people working in the cultural sector of being out of joint, of something that felt different from how things were before the pandemic. This year was one in which we really had a sense of the many things we had lost through that discrepancy. On Miyake Island, where we once co-organized a project, the whole island was evacuated for a period of four years and five months due to an eruption in the year 2000, as a result of which the festivals faded away. In the cultural sector, the current situation feels similar to that.

So what has been lost? It’s know-how in terms of knowledge, technique, and experience. We can no longer take tacit knowledge for granted. And that’s the case for both audiences and producers. Looking at it differently, the projects and places able to maintain their know-how without interruption will become stronger, while those that lost that know-how will ebb away. This is the tipping point where we find ourselves.

That was particularly apparent with the difference between the managers and participants of the art project Memorial Rebirth Senju, organized annually by Art Access Adachi: Downtown Senju – Connecting through Sound Art. Ongoing since 2012, the team behind it has cultivated members from before the pandemic and a local community has emerged from its efforts. As such, even though the project’s event was cancelled during the pandemic and not held again for four years until 2024, the team was able to produce an event that attracted some 6,500 people.

But this wasn’t the case with the participants. At the event, the air fills with soap bubbles and everyone forms a circle to dance. Previous participants knew to dance and move. But this time, there seemed to be lots of people who preferred to enjoy the event as a spectator, sitting down in front of the stage just to watch.

Memorial Rebirth Senju in 2024

Q. What measures can you take to combat this kind of passive situation?

It seems necessary to prepare a manual for staff on-site. In principle, if you come up with a good idea and market it well, the only thing left is for participants to come and enjoy themselves. But it now feels harder for that to happen naturally. It seems like we must prepare three things—planning, marketing, and an operation manual—and “design” ways to participate in terms of affordance and instructions that prompt certain kinds of user experience.

For those in the cultural sector, the crucial thing is to create opportunities for participants to encounter “something” and then take that away with them, and experiences unlike those of a consumer are the ones that lead to really important levels of audience satisfaction. For the past few years, we have engaged in improving accessibility so that everyone can come into contact with and participate in arts and culture, irrespective of differences in ability or disability, generation, nationality, and so on. Harnessing the know-how gained through that, it now feels necessary to go back to design and build ways to participate.

Consciously Shedding Our Skin

Q. In 2024, the Tokyo Metropolitan Government & Tokyo Municipality Collaboration Project was launched, utilizing the experiences gained through Tokyo Artpoint Project to bring together different local governments. What is the aim of this new endeavor?

The background behind the initiative was Tokyo Cultural Strategy 2030, indicating the future direction of cultural policy in the metropolis, and in which partnerships with local governments were proposed. At the same time, we are starting to see the potential of sharing the approaches we have cultivated through Tokyo Artpoint Project with officials in local government. Not only coming into contact with nonprofits through open calls like usual, we hope that also working alongside local governments from the outset might lead to fresh developments in our endeavors.

The challenges are already apparent. For example, the government talks about solving social issues, but if trying to engage sincerely with social challenges through a cultural project that doesn’t fundamentally possess the function to solve things, we need to grasp what the problem is, what has been achieved so far, and the extent of our expectations on culture. And we have to envision our approach as people in the cultural sector. We are working to convey that to officials in local government and raise the clarity of our interactions with society and the community. Having jointly organized programs in partnership with nonprofits, the Tokyo Art Point Project is described as a “nonprofit model.” While retaining the DNA we have had for sixteen years, we are now responding to the changing circumstances, and assuming a mindset akin to shedding our skin.

Tokyo Art Research Lab also plays a vital role as a place for doing groundwork and research before putting things into practice. To build partnerships with local governments, we are going to various places to meet officials. In short, this is an activity that begins with learning through seeing and listening. To facilitate new kinds of activities instead of just subsidizing existing activities, it is crucial to have time to try things out before launching such an initiative. In that respect, Tokyo Art Research Lab serves as a place to learn for us and as long as it’s around, I think we can do unique work.

By teaming up with local governments, nonprofits join as partners, and work to tackle social issues through culture and the arts. In that sense, the idea of responding to government issues through art and culture as discussed until now has become more lucid at a systematic level.

If I try to use the term “art point” here, I’m talking about the social implementation of art points. The previous approach was a social model, but we took that and are developing it into a nonprofit model in partnership with local governments. This means taking the plunge into tougher projects; it’s a new endeavor, not a step back. Indeed, this is where the work of Tokyo Artpoint Project begins.

Tokyo Art Research Lab seminar on art projects

Engaging with Well-being

Q. Do you think such new initiatives will grow in importance socially in the future?

Yes. The really vital thing here is how we define art. Art is often seen as a financial investment or as something to view quietly in a museum, but the art project model is different and is connected to everyday life. The strength of art projects is that a community emerges through art and that we are able to gain insights about how we differ from others. The importance of implementing such activities socially through the Tokyo Metropolitan Government & Tokyo Municipality Collaboration Project won’t just increase in the future, but become essential.

As social conditions grow increasingly tough in the future, people will question what it means to live a rich life. What should we do about social isolation? How should we design the last years of our lives? In short, how can we allow people to live their lives humanly? Arts and culture is the only way to engage with that question of well-being outside of medical care and religion.

What living a rich life means is a question that affects the dignity of everyone, which means we cannot remain a consumer but must engage with artistic expression and activities. When that happens, I think demand will grow for ways to open up art projects, for ways to get involved in society, and for ways to create places where we can belong. It means, resisting the forces of consumption and integrating art into daily life. And I believe that this is what Tokyo Artpoint Project can do.

Mori TsukasaDirector, Tokyo Artpoint Project (Arts Council Tokyo)

Project Coordination Division Chief, Arts Council Tokyo (Tokyo Metropolitan Foundation for History and Culture)
Special Guest Professor, Joshibi University of Art and Design
Adjunct instructor, Tama Art University

Born in 1960 in Aichi, Mori Tsukasa worked from 1989 to 2008 at Mito Arts Foundation, where he was involved as a curator in the opening of Art Tower Mito’s Contemporary Art Center. He was responsible for curating various solo and group exhibitions, including Christo (1991), Tadashi Kawamata DAILY NEWS (2001), Katsuhiko Hibino: Hibino Expo 2005 (2005), and Tatsuo Miyajima | Art in You (2008).
In 2009, he joined the Tokyo Metropolitan Foundation for History and Culture, where is involved with running art projects in communities in partnership with nonprofits as the director of the intermediary support program Tokyo Artpoint Project, and also oversees the Tokyo Metropolitan Government & Tokyo Municipality Collaboration Project.
From 2011 to 2020, he was director of Art Support Tohoku-Tokyo, providing help to areas of northeast Japan affected by the Great East Japan Earthquake through arts and culture. From 2015 to 2021, Mori was project director for the official Tokyo 2020 Cultural Olympiad programs Tokyo Caravan and TURN. He is currently involved with promoting Creative Well-being Tokyo and improving the Tokyo Metropolitan Foundation for History and Culture’s accessibility.

活動をみわたす羅針盤(2024年度の発行物のご案内)

アーツカウンシル東京が展開する「東京アートポイント計画」の各事業では、毎年さまざまなドキュメントやツールなどを発行しています。活動をまちにひらき、かかわりしろをつくりながら、地域のなかで時間をかけて展開していくアートプロジェクトは、展覧会やワークショップといったイベントだけではなく、日々かかわる人たちとのコミュニケーションや、日常的な活動のなかでの気づきと、その言語化がとても重要です。

活動を続けるなかで、どういった変化や展開があったのか、どういった発見があったのか。継続した実践の中だからこそ見えてくるさまざまな変化や気づき、活動の広がりをあらためて言葉にし、まとめることで、伝えられることがたくさんあります。また、活動を言語化し、冊子などのドキュメントとしてまとめるプロセスを辿ることは、プロジェクトの意義やこれからのビジョンについて、振り返りながら再確認することでもあります。記録をまとめドキュメントをつくることは、これからの活動の羅針盤をつくる作業だといってもいいでしょう。

こうして制作された発行物は、基本的には毎年度末に全国のアートプロジェクトの事務局や研究者、実践者のみなさん、図書館や書架のあるアートセンターなどに、言葉を束ねた「WORDS BINDER」としてひとつのパッケージにまとめ、お送りしています。

2024年度も、さまざまな発行物ができました。今年度のWORDS BINDERと、それぞれの発行物についてご紹介します。

WORDS BINDER

2024年度の「WORDS BINDER」として束ねて郵送したのは5冊の発行物です。今年度は花火のバラエティパックをイメージしたパッケージを制作しました。形や色、厚みもさまざまな、バラエティに富んだ発行物をひとつの袋にまとめています。

5色の紙と5つの言葉。配置とカット時のズレによって、無数の組み合わせができる。
裏側には、お世話になっているみなさまへのレターを封入。プロジェクトのなかで生まれたさまざまな言葉とともに、1年間の活動報告としてお届けしています。

袋を留めるタグ部分は五種類の色のついた厚紙を使い、各冊子から抜粋した「ことば」を印刷しています。また、サイズの異なるタグとレターを、厚紙の裏表に印刷した上でカットしているため、無数の組み合わせが生まれています。各所にお届けしたWORDS BINDERは、一つひとつ異なる組み合わせになっているはずです。

東京アートポイント計画の事業から生まれた発行物

東京アートポイント計画の各事業から生まれた発行物を紹介します。これらのものは、Tokyo Art Research Lab(TARL)ウェブサイトの「資料室」から、PDFでのダウンロードが可能です。ぜひ各資料の詳細をチェックしてください。

Artpoint Reports 2024→2025

東京アートポイント計画の仕組みや、共催している各プロジェクトの取り組みを伝えるとともに、一年を振り返りながら、ちょっと先の未来について語るレポートです。今年度新たにスタートした新規事業の紹介や注目のニュースのほか、「基礎自治体との連携」「アクセシビリティ」「共生社会」などをテーマに、ディレクターとプログラムオフィサーがこの一年を振り返りながら語ったレポートが収録されています。2024年度の東京アートポイント計画全体の動きが、この一冊でわかります。

2020年度から同じフォーマットで続けてきたArtpoint Reports。5冊目となりました。活動の繋がりと蓄積が見えてきます。

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つくることを考えてみよう 表現のひろがりと可能性をめぐる

『多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting』の一環として、2024年12月から2025年3月にかけて、アーティストの弓指寛治さんが昭島市立光華小学校4年2組に通いました。この冊子では、弓指さん自身の日々の気づきを日記などで紹介するとともに、観察者として伴走した吉田さんから見えたものについても併記しています。

また、冊子の後半では「表現のひろがりと可能性をめぐる」をテーマに、アーティストや学芸員の方々へのインタビューを掲載。それぞれの活動の中での気づきから美術教育の話まで、表現の可能性について幅広く伺った記録を収録しています。

詳細はこちら

つくることを考えてみよう 地域を生きる

『多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting』を実施するNPO法人アートフル・アクションは、これまでの活動の中で、多くの小学校の図工や教科の授業と連携してきました。授業にはたくさんの市民の方々やNPOスタッフ、アーティストが参加しています。この冊子では、企画づくりや授業に参加したスタッフが、地域との連携を視野に入れながら、連携の考え方や授業のプログラムなどを振り返っています。

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実はこの「つくることを考えてみよう」シリーズは、2022年度から発行され、今年度で4冊目となります。どの冊子にも、つくることについて深く考えるヒントがちりばめられています。また、つくることを実践するための、具体的な手引きとなるものでもあります。ぜひ合わせてご覧ください。

2022年度に発行された「竹編」、2023年度に発行された「森とであう」では、ものづくりの作業や、授業に取り組む際の具体的なヒントを多数紹介しています。

奥多摩を調べて伝えてみる 奥多摩町立氷川小学校 探求の学習

こちらも、『多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting』が、奥多摩町立氷川小学校6年生と実施した探求の学習についての記録です。

探究の時間は、自分が暮らす町について、自分自身で問いをたて、調べ、探究していくというもの。2024年11月末から3月にかけて、15回の授業を行いました。大切にしたことは、身の周りを見回し、興味や関心を”問うべき何か”に深めていくこと、そして、それを人に伝えること、伝えることで生まれた新たな問いをまた問い直すこと。この冊子には、探求を深めながら、また新たな「問い」に出会い、考えを深めていくこどもたちの生き生きとした姿が、授業の流れやそこでの発見とともに記録されています。

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○ZINE -エンジン- ACKT03

『ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)』が発行するフリーペーパーの第3号。まちに住む人に情報を発信、収集することで、これまでになかった縁がつながり、これからの活動のきっかけとなることを目指して発行しています。

今回のテーマは「星座、はじめました」。ACKTでの活動紹介のほか、日本各地のさまざまな実践への取材を通じて、一人ひとりが自分らしさを考えながら、個性と連帯のプラットフォームについて考えています。

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めとてラボ 2024 ―活動レポート―

『めとてラボ』の活動レポート。2024年度は活動開始から4年目を迎え、ホームビデオ鑑賞会の開催や、「家」に潜むデフスペースデザインに関するリサーチ、手話独自の表現である「CL表現」に着目したワークショップの実施など、さまざまな活動を展開しました。これら1年間のプロセスをプログラムごとにまとめ、一昨年度から発行している円形の冊子に束ねられるように仕立てています。

1年目(2022年度)のレポートに付属していた金具を使って、3年分のレポートをまとめることができます。

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2024年度もバラエティに富んだラインアップとなりました。どのドキュメントも、自分たちの活動を紐解き、振り返りながら、これからの活動を伝えるために設計し、制作しています。

2024年の活動の様子や、そこでのさまざまな発見をみわたすことで、各プロジェクトがこれからどこへ向かっていくのか、何に挑戦しようとしているのかが見えてくるはずです。

東京アートポイント計画の各事業や、Tokyo Art Research Lab(TARL)では、毎年さまざまなドキュメントやツールなどを発行しています。これまでに発行したものを含め、制作物の多くはTARLウェブサイトの資料室から、PDFデータとしてダウンロードすることができます。また、さまざまな方に手にとってもらえるよう、各地の美術館や図書館、アートセンター等にも送付しています。こうして制作したドキュメントが、手にとっていただいた方それぞれにとっても、これからを見据えるための羅針盤になることを願っています。

全国へ送付する「WORDS BINDER」発送作業の様子。デザイナーの川村格夫さんに封入方法を教わりながら、東京アートポイント計画のプログラムオフィサー全員で作業する。
みなさまへ向けたレターも今回は5つの色味を用意。
一つひとつ、手作業で封をしていく。
デザイナーの川村格夫さん。

メディア/レターの届け方 2024→2025

多種多様なドキュメントブックの「届け方」をデザインする

アートプロジェクトの現場では、さまざまなかたちの報告書やドキュメントブックが発行されています。ただし、それらの発行物は、書店販売などの一般流通に乗らないものも多いため、制作だけでなく「届ける」ところまでを設計することが必要です。

多種多様な形態で、それぞれ異なる目的をもつドキュメントブックを、どのように届ければ手に取ってくれたり、効果的に活用したりしてもらえるのか? 資料の流通に適したデザインとは何か? 東京アートポイント計画では、川村格夫さん(デザイナー)とともに各年度に発行した成果物をまとめ、その届け方をデザインするプロジェクトを行っています。受け取る人のことを想像しながら、パッケージデザインや同封するレターを開発します。

2024年度は、花火のバラエティパックをイメージしたパッケージを制作しました。形や色、厚みもさまざまな、バラエティに富んだ発行物をひとつの袋にまとめています。袋を留めるタグ部分は五種類の色のついた厚紙を使い、各冊子から抜粋した、アートプロジェクトの現場で生まれた「ことば」を印刷しています。また、サイズの異なるタグとレターを、厚紙の裏表に印刷した上でカットしているため、無数の組み合わせが生まれています。

詳細

進め方

  • 同封する発行物の仕様を確認する
  • 発送する箱の仕様や梱包方法の検討
  • 発送までの作業行程の設計
  • パッケージと同封するレターのデザイン・制作

めとてラボ 2024 ―活動レポート―

『めとてラボ』は、「わたしを起点に、新たな関わりの回路と表現を生み出す」ことをコンセプトに、視覚言語(日本の手話)で話すろう者・難聴者・CODA(ろう者の親をもつ聴者)が主体となり活動するプロジェクトです。

2024年度は活動開始から4年目を迎え、ホームビデオ鑑賞会の開催や、「家」に潜むデフスペースデザインに関するリサーチ、手話独自の表現である「CL表現」に着目したワークショップの実施など、さまざまな活動を展開しました。これら1年間のプロセスを時系列にまとめ、一昨年度から発行している円形の冊子に束ねられるように仕立てた活動レポートです。

目次
  • ホームビデオ鑑賞会
  • デフスペースリサーチ
  • めとてスタディシリーズ~CL勉強会~
  • アソビバ
  • 文化拠点
  • めとてラボウェブサイト
関連リンク

めとてラボ公式ウェブサイト

https://metotelab.com/

 

『めとてラボ』の活動レポートは、めとてラボ公式noteに掲載しています。ぜひご覧ください。

https://note.com/metotelab