オンライン報奏会「2019年の報奏 とりわけ伴奏型支援バンド(BSB)編」

2020年がまもなく終わろうとする12月27日(日)に、第2回目のオンライン報奏会が開催されました。今回は、この「報奏会」という造語の「(演)奏」の部分が際立つ内容を企画しました。すなわち、伴奏型支援バンド(BSB)による生演奏です。

伴奏型支援バンドは、福島県いわき市にある復興県営住宅・下神白団地の住民お一人お一人の、かつて住んでいたまちにまつわる思い出の曲(メモリーソング)を聞くコミュニティラジオプロジェクト「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」から派生したバンドです。
2016年末に、プロジェクトのディレクターであるアサダワタルが初めて団地に訪れて以来、これまで7本のラジオ番組(各60分〜70本)を、住民限定のCDという形でリリースしてきました。住民さんの語りを聞き、ときに住民さんが自ら口ずさむ歌を聞き、その「声」を受け取るという体験は、福島から遠く離れた誰かの心を動かすことになるだろうという確信を持つに至りました。それは、震災や復興支援という事実を伝えるジャーナリズムや、現場の実情を調査しながらこれからの社会のあり方を提言する社会学的なアプローチとも違う、「ここに〇〇さんという人がこうして存在している」ことを「感じる」ための表現活動です。
その表現を受け取った有志が6名(関東在住バンドメンバーと茨城在住現地派遣ピアニスト含む)集まりました。住民さんたちから受け取ったメモリーソングのバック演奏をする、まったく新しいジャンル(!?)のバンド形態、それが伴奏型支援バンド(BSB)です。

伴奏型支援バンド(BSB)メンバー。

さて、第2回のオンライン報奏会では、まず2019年7月に結成されたBSBの活動の軌跡を凝縮したドキュメント映像(撮影/編集:小森はるか)をお届けするところからスタートしました。映像では、都内スタジオにて、まずアサダからメンバーに向けて、住民さんの人となりや背景、そしてメモリーソングについて共有しながら、選曲をし、それらをカバーし、パートを振り分けて実際に演奏していきます。演奏を重ねつつ、再び意見交換し、住民さんにあった演奏のスピードを検討したり、演出についてアイデアを出したりという場面も。
次に現地訪問のシーンです。メンバーを2つに分けて団地を訪れ、実際に住民さんに会いました。これまでラジオの中の登場人物であった住民の「〇〇さん」が立体的に立ち現れ、今後の演奏にその存在を吹き込み、重ね合わせて行く機会となったのではないかと感じています。
関東に戻ったBSBメンバーは、約5か月ほど都内スタジオでの練習を重ねて、2019年12月23日に、下神白団地のお向かいにあるいわき市営永崎団地の集会場をお借りし、「ラジオ下神白プレゼンツ クリスマス歌声喫茶 みなさんの思い出の曲を一緒に歌いましょう」を開催しました。全6曲のメモリーソング、ならびにギター担当の池崎浩士によるオリジナルソングや子ども住民向けの楽曲など合計8曲を演奏。ボーカルは、もちろん住民さんです。映像では、BSBの演奏と住民さんの歌声がしっかり重なり合う様子が記録されています。

スタジオでの練習の様子(2019年)
「ラジオ下神白プレゼンツ クリスマス歌声喫茶 みなさんの思い出の曲を一緒に歌いましょう」の様子(2019年)

このドキュメント映像を配信しながら、改めてアサダはこう感じました。「まさに夢のような時間だった」と。数年間積み上げてきた住民さんとの関係性がぎゅっと凝縮され、バンド仲間たちとこうして住民さんお一人ひとりの歌と記憶を愛で合える場。ともに声を響かせ合う場。それはいまから考えると“三密”の極みであるわけですが、改めてコロナ禍で失ったものの大きさを実感せざるを得ません。
しかし、くよくよしてても始まらない。私たちなりに前に進むためにこのオンライン報奏会だってやっているのだ! というわけで、お次がメインコーナーの紹介です。

いよいよBSBメンバーによるオンライン生演奏。しかも、下神白団地3号棟(主に大熊町出身の方が入居)の小泉いみ子さんとZoomをつなぎ、福島から彼女がボーカル、東京で僕らBSBがバック演奏をするという画期的な取り組みです。現地には、プロジェクトマネージャーの鈴木詩織をはじめとした一般社団法人Tecoチームががっちりサポート。まずは藤山一郎の「青い山脈」(作詞:西條八十 作曲:服部良一/1949)をBSBのインスト演奏でお届けしたのちに、いよいよいみ子さんの登場です。

いみ子さんは原町出身で、大熊町出身の農家のもとに嫁いだのち、さまざまなご苦労をされながら、これまでの人生を「歌に支えられてきた」といつも私たちに語ってくれます。下神白団地に入居する前は6か所の仮設住宅を渡り歩き、2015年の春に下神白団地の入居がスタートすると同時に移り住んでこられました。2017年にお連れ合いを亡くされ、一人でいまこの団地に住んでいるいみ子さんがもっとも大切にしているのが「歌うこと」。毎週水曜と金曜の午前に集会場で開催されるカラオケには必ず足を運び、住民の仲間たちに支えられながら生活を続けられています。そんな彼女の十八番は平和勝次とダークホース「宗右衛門町ブルース」(作詞:平和勝次 作曲:山路進一/1972)。今回は、遠く離れた土地をつないでこの曲を披露しました。

いわき(歌)と東京(バック演奏)がオンラインで重なる。

みなさんにはぜひとも、この様子をアーカイブ映像でご覧いただきたいです。とにかくいみ子さんの歌がすごいのです。いみ子さんの歌の特徴は、ものすごく伸びやかな声で、独自のリズム感で歌い上げること。拍という狭い意味でのリズムからすればどんどんズレていってるように聞こえますが、最後にはなぜかちゃんと着地するという技量(センスといった方が正しいニュアンスかもしれません)にいつも感動させられます。
もちろん、それはアサダ自身が「いみ子さんのことを知っている」という背景があることは承知です。しかし、福島の復興住宅に小泉いみ子さんという方がこうして「存在」している事実を、知るのではなく「感じる」には、もうこれ以上にない歌なのではないかと思うのです。

コロナ禍という、人と人とが直接交わり、つながることが難しい状況になり、「そこにいる」ということを伝えることの意味がより増していると感じています。それは「ライブとは何か」という問いでもあります。オンラインでできるライブ表現について、きっと思いを悩ませているミュージシャンや舞台芸術関係者は多いと思いますが、そのあたりの問いに対する回答もこの機会に示したいと考えてきました。そこでひとつ大事にしたいのは、問題なくオンラインでやることよりも、「それでもつながろうとする意思のプロセスを如実に表現できるかどうか」だと思いました。それは、今回の小泉いみ子さんとBSBのあいだで、わずかながらも表現できたのではないかと思っています。

最後のコーナーは、BSBのミュージックビデオ上映。下神白団地2号棟(富岡町出身の方が多く入居)の横山けい子さんと、4号棟(浪江町出身の方が多く入居)の髙原タケ子さんのメモリーソングで、わたしたちのプロジェクトの代表曲となっている「青い山脈」。この曲をBSBの演奏をバックに7名の住民さんが歌い上げた(在宅収録!)ミュージックビデオ(小森はるか・福原悠介 撮影/編集)をお届けし、無事終了いたしました。

最後に、今回は目に見えないところで、とても機微に富んだテクニカルサポートを4名の方に行っていただきました。配信担当の齋藤彰英さん、音響担当の大城真さん、溝口紘美さん(Nancy)、団地での配信・音響担当の福原悠介さんにこの場を借りて厚く御礼を申し上げます。

2月23日(火・祝)に開催予定の最終回になる第3回目のオンライン報奏会は、あの日からまもなく10年を迎える2021年3月11日を目前開催します。ゲストに、震災後に福島の方々との交流を盛んに行ってきた作家/クリエイターのいとうせいこうさんをお招きし、「表現・想像力・支援」というテーマで語り合います。どうぞご期待ください!

(執筆:アサダワタル

■「オンライン報奏会」第2回の記録映像はこちら

アート・アーカイブ・オンライン

コロナ禍のアンケート調査をふまえた、アーカイブに関する映像コンテンツを制作

多くのアートプロジェクトでは、さまざまな人が集い、対話をしながら時間や場所を共有し、つくりあげていく手法がよくとられます。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大状況下で、その継続のあり方が議論され、アーカイブの重要性や、プロジェクトのオンライン対応の必要性が高まってきました。

そこで、アート分野における調査・研究に取り組むNPO法人アート&ソサイエティ研究センターの協力のもと、全国のアートプロジェクトにまつわる52団体に「アーカイブ運用」についてアンケート調査を行います。また、アーカイブに関するノウハウや活用方法の基礎知識をまとめた映像コンテンツ「エイ! エイ! オー!(アート・アーカイブ・オンライン)」を収録し、YouTubeで配信。これまでTokyo Art Research Lab(TARL)で研究してきたアーカイブの知見をいかして、オンラインでのコンテンツづくりを模索します。

詳細

スケジュール

1月29日(土)
第1回 イントロダクション

1月29日(土)
第2回 現状調査

2月12日(金)
第3回 アーカイブのプランニング

2月12日(金)
第4回 目録作成

2月19日(金)
第5回 デジタルデータの保存

4月30日(金)
第6回 オンライン・ヒアリング

会場

ROOM302(東京都千代田区外神田6-11-14-302 [3331 Arts Chiyoda 3F])

関連サイト

エイ! エイ! オー! YouTubeページ

こんなとき、どうしてますか? 目標設定から組織、記録までアートマネージャーの悩み相談

2020年12月16日、「つどつど会(都度集うアートマネージャー連絡会議)」第2回をオンラインで開催しました。
第1回レポートはこちら

悩みを持ち寄る

北は秋田から南は大分まで、幅広い現場を手掛ける5名のアートマネージャーが集まり、情報共有や相談を重ねていくつどつど会。今回は「悩みを持ち寄る」をテーマに、メンバーのうち2名が活動を紹介しつつ、悩みを共有するところからはじめました。

*つどつど会#02 悩みの発表者
・三富章恵さん(NPO法人アーツセンターあきた/秋田県)
・岡田千絵さん(公益財団法人墨田区文化振興財団/東京都)

事例から解決のヒントを探る

寄せられた悩みは、目標、成果、組織、記録などさまざま。

それに対し、他メンバーやアーツカウンシル東京スタッフがそれぞれの現場におけるチャレンジや成功事例・失敗事例を引き合いに出しながら、解決の糸口をともに探りました。

約2時間に渡るつどつど会のなかで、それぞれのエピソードから出たアイデアやヒントを一部ご紹介します。

<目標と成果>

*目標も戦略的に設計する
・ストーリーに合わせた目的・目標設定をする(例:前年度は◎◎だったから今年度は△△△を狙う)
・たとえば行政事業で「文化浸透」が目的の場合、指標が曖昧なので、行政側からオーダーがなくとも組織側で成果数字を決めて計測するようにしている
・成長を大事にする事業では、狙いに対して何割できたかという「達成率」を取り入れた

*測りやすい方法を編みだす
・常に報告書があることを前提にし、全事業でアンケートをしっかりとる
・大量集客ができていたプログラムをツアー形式に変更したとき、「経済波及効果」を指標に取り入れた。参加者の総数は減るが「何泊とまったか」をアンケートにいれて、地域への経済波及効果を示せた。企画変更の時点で指標も変更しておき、指標を一つに絞らないことも重要
・ビジネスの現場でも用いられる「バランス・スコアカード」を採用し、複数の視点で評価するようにしている

<組織と人>

*組織図を描いて組み直す
・組織のことで悩んだらまず「体制図」を描くと課題が見える。全員で体制図つくってみるのいいかも
・アーカイブの議論で大事なのも組織図をつくること。誰が権限を持って何を管理しているかを明らかにする必要がある。ただ、アート組織は図が書きにくいことも
・二人組でチームつくり、その上に事務局長が立って事業を振り分け、問題が起きたら事務局長に戻して解決する仕組みをとる方法をとってみた

*負荷や得意を把握する
・スケジュールが過密にならないように、負荷が偏らないように、チーム編成を工夫して常に計測する
・組織内部でできない内容や量は、外部パートナーと連携してどんどん依頼できる体制をとっている
・スタッフごとの得意なことをしっかり把握して上手に頼む

<業務内容>

*相談事業は手掛ける範囲を決める
・BEPPU PROJECT「CREATIVE PLATFORM OITA 」では、さまざまな経営課題をクリエイティブの力で解決する『クリエイティブ相談室』(以下相談室)を開設している。大分県の企業は相談室に無料で相談できる。相談室は、内容に応じてクリエイターと企業のマッチングをおこない、クリエイターと企業が契約してから実際にプロジェクトが開始する
・相談までは公的事業の無料枠でやるが、技術料はちゃんと明確にすることにしている。費用がわかることで相談者もリアリティを持って判断ができる

*料金表を関係者で共有する
・案件ごとの料金表はつくっているが、少し外側の関係者が人づてに安価で仕事を受けてしまうことも。これからは関係者ともしっかり料金表を共有することに

<成果発信>

*参加団体にヒアリング・発表してもらう
・企業連携の事業においては、参加企業に売上への貢献、就労への貢献など数字を含めた成果をヒアリング。成果発表会を開催しメディアを含め多くの方に成果を公表している

*行政とは「計画」を元につきあう
・市の総合計画は、組織全員でその内容を把握するようにしている。その上で、どうやって自分たちの活動が活動できるか考えようにしている
・行政側の計画書のどこに、それぞれのプログラムが紐付いているかを逐一資料にして明示している。議会対応はマネージャークラスが専任でつき、ノウハウと資料を貯めている
・人事異動などの影響でむしろ行政側が根拠となる計画がわからなくなることも。行政外のアートマネージャーが計画を読み込み、論拠を構築できることが大事

*外部事例を共有する場をつくる
・寄り合い的な場に行政の人を招き、他地域の事例を見てもらうタイミングをつくる

*すぐに出せる資料を常につくる
・公共事業の場合、実施意義や成果についての詳細な問い合わせを受けることもある。そういった際にすぐに数値が提示できる資料や業務報告書をつくっておく習慣が重要

<記録と継続>

*公的機関にゆだねる
・記録を誰かに託すことまで考える。アーツカウンシル東京の場合、国会図書館のデジタルアーカイブ部門にウェブサイトの収集をしてもらっている。サーバーやドメインの契約が切れてもコピーサイトが残る仕組み
・印刷物も国会図書館のような公的アーカイブを上手に使うのはおすすめ。綴じている本は何でも受け付けてくれるし、タイトルに「ジャーナル」とつけると記事ごとに検索できるようになる仕組みも

*プラットフォームにゆだねる
・長期的な視点だと難しいけれど、お金がかからなくて世界からアクセスできる場所としては残りやすいのはSNSアカウント。事業が終了した瞬間にウェブサイトが消えたとしても、かろうじてFacebookページが残っていることで参加者の人に向けたその後の情報発信ができた経験も

第2回を終えて。参加メンバーからのコメント(抜粋)

蟻川小百合さん(みずつち市民サポーターズ/新潟県)
「別府の組織体制を変えた話を聞いて似ているなと思い出しましたが、さいたまトリエンナーレのディレクターチームでは、チームのマネジメントを担当するスタッフがいて、常に全体を見ながら様々な調整をしてくれたので助かっていました。
アーカイブを残すことを誰かに委ねるという発想、いろいろ考えられそうと思います。新潟は市民プロジェクトの記録集をサポーターズが自ら作りました。自主映画をつくるアートプロジェクトを市民プロジェクトで続けていますが、市内の文化芸術活動を伝える一つのメディアになりたいと考え、ドキュメンタリーを撮る活動に力を入れるようになってきています」

大政愛さん(はじまりの美術館/福島県)
「評価、構造化、組織図作り、評価、記録、リソースの認識、本として残すか、ウェブ上に残すか、などなど、様々なトピックが出て、参考になることも多くありました。評価に関しては、最初に指標を決めてもなかなか振り返るタイミングが難しく、模索しております。自分たちのための評価と、協働していくための評価、外にみせていくための評価は、少しずつ異なるのかななどと思いました。
自分の活動では、今日お話がでた議会対応など直接的な行政とのやりとりはないので少し課題や対応は異なってくると思うのですが、法人内やグループ内での説明などにも役立つ部分もあるだろうなと感じました。すぐに解決することが難しい悩みも多いのですが、多様な手段や視座を伺うことができ、『いつかこうしていきたい』というアイデアもいただいています」

岡田千絵さん(公益財団法人墨田区文化振興財団/東京都)
「議会対策って何をすればいいのかわからないと思ってましたが、行政の5ヶ年の基本計画や条例をバイブルにする。と分かっていれば怖くない。色々な地域の行政との話を聞いてそこは常識なのだと実感しました。
報告書や報告会を念頭にアンケートや情報収集の準備をすることは目からウロコでした。でも、確かにそうだと思います。また、組織図を共有する、視覚化するというのは早速やってみます。プロジェクトに参加している団体とそれを共有しながら打ち合わせをすると、団体ごとの事情や特徴が把握しやすそうです。
それから現場が混乱しそうな時はバランス・スコアシートなどを活用して、組織や事業の目標を明確にすることで、組織体制の立て直し、スタッフの疲弊を防ぎたい。。後回しになりがちかもしれないけれど、アートマネージャーのキャリアパスとして、自分の記録やアートマネージャーの仕事をどう発信するかも大事ですよね」

月田尚子さん(NPO法人BEPPU PROJECT/大分県)
「組織運営、スタッフのモチベーション維持・育成、仕事のボリューム、アーカイブの方法などは規模は違えど同じ課題を抱えていたので、とても共感できました」

三富章恵さん(NPO法人アーツセンターあきた/秋田県)
「組織体制の在り方、事業のつくり方、行政とのコミュニケーションの取り方など、他の団体でどう取り組まれているかという参考事例や実践的な助言をいただけて、とても参考になりました。
組織の中で話しているだけでは解決しないことも、ある程度近い状況を経験し・理解いただける方々との会だからこそ、適度な客観性をもって助言いただけるんだなと思います」

レポート執筆:中田一会(きてん企画室)

Art Archive Online(AAO)/エイ!エイ!オー!

アーカイブに関するノウハウや活用方法における基礎知識の紹介や、アーカイブ構築を継続してきたゲストをお招きしてクロストークを行いました。

ゲストは、川俣正さん(アーティスト)、日比野克彦さん(アーティスト)、田口智子さん(東京藝術大学芸術資源保存修復研究センター特任研究員)、小田井真美さん(さっぽろ天神山アートスタジオAIRディレクター)、石井瑞穂さん(アートプロデューサー)、志村春海さん(Reborn-Art Festival 事務局スタッフ)、秋山伸さん(グラフィック・デザイナー)です。次の10年に向けて、アートの現場におけるアーカイブ活動の可能性をともに考えます。

困ったら、お互いに聞いてみる。助け合う場を続けていこう


東京アートポイント計画
に参加する9団体+アーツカウンシル東京で進めてきた「事務局による事務局のためのジムのような勉強会」こと「ジムジム会」。2020年9月22日、無事に今年度の最終回を迎えました。

コロナ禍で身動きがとれないところからスタートし、オンラインを介して悩みや実践を共有してきた全5回の勉強会シリーズ。最後は「お互いに話を聞いてみる」をテーマに場をひらきました。レポートをお届けします!

ポンチ絵でこれまでの回を振り返るところからスタート。

あの事務局から、この事務局へ。お互いに話を聞いてみる。

ジムジム会ではこれまで、オンラインディスカッションやラジオ形式の質問会など、さまざまな方法でネットワーク型の勉強会を重ねてきました。

締めとなる最終回は大変シンプルに、「聞きたいことを聞きたい相手に聞いてみる」方式で進行しました。どんな質問が飛び出したのか、その一部をスクリーンショットで簡単にご紹介します。

*各チームには質問をフリップで用意してもらい、それに答えるチーム以外はミュートで話を聞きながらチャットを盛り上げる……という方法をとりました。

プロジェクトの継続方法はどのプロジェクトにとっても大きな課題。歴史の長いプロジェクトの事務局から同じようなベテラン事務局への質問。継続の方法や考え方は様々なバリエーションがあることがわかりました。
アートプロジェクトの事務局は、必ずしもアート専門のチームとは限りません。もともと地域おこしの活動をしていた事務局が、アートプロジェクトと並行して保育事業を展開する事務局に質問。「アート」をどう捉えるかという深い問いに繋がりました。
お互いの実践を共有していく中で、「あのチームの企画がいつも気になる!」と感じることも。アイデアをどう生み出すか、どんな会話から新しい活動がはじまるのか、活動を振り返りながら話しあいました。
日常と表現の両方を大切にするアートプロジェクトでは、事務局における働き方も重要なテーマです。育児中の女性が多いチームでは、他の事務局の子育てと仕事のバランス、考え方にヒントをもらいました。
表に出てくる活動内容だけではなく、根幹となる考え方が気になるのも事務局らしい視点。特に地域に軸を置くアートプロジェクトでは、地域をどのように見て、関わるかも気になるポイントでした。

問われることで初めて気づくこともある

プロジェクト運営で気になること、困ったことは、同じ立場にいる人同士で話すとヒントも見えてきます。また、問われることで初めて意識が生まれることもあり、発見の多い時間となりました。

事務局同士の相談で得たヒントは、かるた型のカードにまとめて共有。

ジムジム会=勉強会の姿をした互助会

はじめの記事でもお届けしましたが、ジムジム会は講座型ではなく「互助会」的な勉強会を目指して2019年より運営しています。

▼ジムジム会2020の運営方針
1. 現場の状況と社会状況を反映し、柔軟にプログラムを組む
2. レクチャー形式ではなく、相互に助け合う「互助会」的な場とする
3. 得た知見や生まれたアイデアは、公共知としてオープンにしていく

まち・ひと・活動が複雑に絡み合い、企画ごとに規模も目的も異なるアートプロジェクトの運営には正解がありません。だからこそ大切なのは、共通したセオリーを学ぶことではなく、様々なプロジェクトの実践から学び合い、それぞれが活動に必要な知見を鍛えていくこと。

そのためには人の繋がりも、お互いの活動を知ることも大切です。全5回を振り返ってみると、勉強会の姿をとりつつも、しっかり「互助会」らしく育ったのでは……と、運営チームも感じています。

ジムジム会は続いていきます!

嬉しいことに2020年度のジムジム会は、「コロナ禍中で情報共有できたことがよかった」「続けてほしい」「出会いがあった」と参加メンバーからも大変好評でした。そこで、今後も各プロジェクト事務局が持ち回りで運営し、「続・ジムジム会」として開催していくことになりました。

困ったらお互いに聞く。相談する。そんな関係性はこれからも続いていきます!

▲最後に下半期の抱負を発表して締めました。

(執筆:きてん企画室)

※ジムジム会についての情報は東京アートポイント計画のnoteアカウントでもお読みいただけます。

今だからできること、わかること。アートプロジェクトの知恵を持ち寄る

ある日突然現れた制約に戸惑いながらも、知恵を出し合い、新たな方法を編み出していく。“特別な夏”と名付けられた2020年夏、各アートプロジェクトの運営チームは、困難を契機にしていく力を少しずつ身に付けています。

熱い熱い8月19日、アートプロジェクトの事務局による事務局のためのジムのような勉強会「ジムジム会」の第4回を開催しました。

少しずつ見えてきた! 各プロジェクトの現場から

実際のプロジェクト現場ではどんなことを考え、どんな実践を重ねているのでしょうか。今回も東京アートポイント計画に関わるプロジェクトチームから実践発表してもらいました。

「会えない時間」を「問いを深める」時間に。小さな記録と記憶に向かうプロジェクト

東京都世田谷区を中心に展開するアートプロジェクト「移動する中心|GAYA」(以下、「GAYA 」)では、人々の記録や記憶にまつわる「楽しみ」と「仕組み」をつくることを目指して活動しています。

これまで「アーカイブ」といえば、専門家や専門の施設が携わるものでした。しかし地域や個人の記録や記憶は、非専門家にとっても大切なものです。そんな考えから、GAYAでは8mmフィルムの映像アーカイブ「世田谷クロニクル1936-83」を利活用し、公募で集まったメンバー「サンデー・インタビュアーズ」とともに映像を鑑賞したり、インタビューを重ねる企画を続けてきました。

2019年度のサンデー・インタビュアーズ活動の様子。

そんなGAYAでは現在、対面のインタビュー活動は休止し、オンライン上でアーカイブを楽しみ、仕組み化していくためのワークショップを展開しています。

具体的には、サンデー・インタビュアーズ一人ひとりが「職業」「服装」「匂い」などのテーマを設定し、映像群を鑑賞していきます。その上で映像の「タイムコード」をつくり、何分何秒に何が写っていたのかを記録。さらにはそこから浮かんだ問いをメモしていきます。それらの作業をひとりではじめ、みんなと共有し、そしてまた自分ひとりで深めることがポイント。

「Scrapbox」を用いて作成・共有している「タイムコード」。

人に会えない時間だからこそ、オンラインワークショップを通じ、「何を聞きたいのか、なぜ聞きたいのか、その時代について何を知りたいのか」を丁寧に考えるメンバー。現在のこの状況を、問いや関心を深める時間に使っているとのことでした。

いまこそ、大きな企みを準備する。地域の拠点や人をつなぎながら進めるプロジェクト

続いて、東京都府中市で活動するアートプロジェクト「Artist Collective Fuchu [ACF]」(以下、「ACF」)からは、準備を進めている新規事業と、工夫しながら続けているラジオ企画についての報告がありました。

ACFは府中市で暮らし、活動する多様な人によって運営されています。例えば、アーティスト、映像作家、教師兼創作アトリエの主宰者、オルタナティブスペースを運営している人やカフェ経営者もメンバーです。

そんなチームで現在進めていることのひとつは、5か年計画で構想している新規事業。府中市内のアーティストや様々な拠点、公共施設等をつなぎ、新たな形の生涯学習やワークショップを展開する「学びの場」をつくろうという企画です。現在は様々な人に会いに行き、議論し、調査し、計画している段階。市役所と市民が協働する「府中市協働事業提案制度」にもエントリーするなど事業化を着々と進めています。まさに、コロナによって立ち止まってしまった今だからこそ考えられることです。

2019年度から地域でサロンを開くプログラムも展開。

また、昨年度から続けているコミュニティFMでのラジオ番組(Artist Collective Fuchu presents「おとのふね」)は現在も継続中。収録では感染症対策に細心の注意を払いながら、人や地域の話を紡ぐ活動は絶やさないように進めています

※過去放送内容はこちらからご覧いただけます。

オンラインシフトでも目的はブレない。つくる現場はどこでも同じ。10年目の震災復興プロジェクト。

最後の発表は、東京アートポイント計画の手法を使い、東日本大震災の復興支援を目的にスタートした「Art Support Tohoku-Tokyo」(以下、「ASTT」)から。

もともと震災から10年目を迎えたASTT事業では、2020年度を最終年とし、最後の締めとなるようなプログラムを企画していました。ひとつは事業を展開している3県(岩手県、宮城県、福島県)における担い手同士が集い、ネットワークづくりを行うもの。もうひとつは震災の経験を他の出来事と接続し、ひろく発信する大きなフォーラム。しかしそれらの企画は、感染症の拡大とともに諦めざるをえませんでした。

そこで大切にしたのは、目的をずらさずにオンラインにシフトすること。公式ウェブサイトをウェブマガジンにリニューアル(Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021)し、手記や日記、人々の声を集めて掲載する企画をはじめました。また月2回、YouTube Liveをつかったラジオ番組(10年目をきくラジオ モノノーク)も東北のメンバーとともにスタート。

▲ウェブメディアとしてリニューアルした公式サイト

ウェブメディアや特集企画、ラジオ番組などの制作を通し、様々な視点や職能を持つ人々が交流したり、集うという本来の目的はぶれていません。メディアやラジオといったリズムのある活動を行うことで、変化も捉えやすくなったといいます。

担当者が語気を強めるのは「オンラインは代替策ではない」ということ。リアルな場でのイベントやプロジェクトづくりと同様、オンラインも創作の現場です。活動を通して、新たな対話や関係が生まれ、それが豊かな文化を育むことには変わりありません。

いまだからできること、わかること

以上、3つのプロジェクトからの実践共有でした。

どの活動にも共通しているのは、制約のある状況を創造の機会にしようと工夫を重ねていること。問いや関心を深めたり、新規事業が立ち上がったり、オンラインという新たな現場を手にしたりといった新たな手応えを得ていること。

苦しい状況はまだまだ続きますが、アートプロジェクトらしい歩みの進め方は、かかわる人々の日常にも何かしらの良い変化を生んでいく……かもしれません。

(執筆:きてん企画室)

アートプロジェクトの再始動。新たな日常でどうはじめる?

東京アートポイント計画に参加しているアートプロジェクトにとって、この夏は緊急事態宣言解除後、改めて活動をはじめた時期です。

そんな最中の2020年7月20日、アートプロジェクト事務局による事務局のためのジムのような勉強会「東京アートポイント計画 ジムジム会」の第3回を開催しました。

新たな日常でどうプロジェクトを再始動するべきなのか、今回もそれぞれのチームの具体的な実践を共有し、全員でディスカッションしました。簡単にレポートします!

場が変わり、手段が変わった3か月

例年であれば、各アートプロジェクトの年間活動はじめは4月。6〜7月には最初の大きな企画があり、さらに秋にかけてまた一山、冬から年明けにかけて年間活動のまとめ……というのが通常の流れです。

ところが今年度は、集まることや移動することができない春先からスタートし、夏からの活動も感染拡大を防ぐことが第一の条件。3か月前に計画していた規模・場所・手段ではまず実施できません。

ジムジム会運営チームも会場を配信&収録スタジオ「STUDIO302」に移して開催しましたが、それもまた新たな日常に合わせた変更のひとつです。

では各プロジェクトでは、どんな風に活動を展開しているのでしょうか? 今回は3つの団体に実践内容を共有してもらいました。

「たった一人でもやる」。セレモニーとしてのプログラム

東京都町田市で展開する、500年のcommonを考えるプロジェクト「YATO」では、長い歴史を持つ寺院・簗田寺(りょうでんじ)を拠点に、この先500年続く祭りの形を考えています。

外出自粛の期間中、メンバーで話し合ったのは、「プロジェクトにおける企画はイベントなのかセレモニー(儀式)なのか」ということでした。つまり、人が集まることを目的としているのか、やること自体に意味があるのかという問いです。ディレクターの齋藤紘良さんは、「セレモニーとして自分一人でも縁日(※)をやる意義がある」と考え、無観客でのプログラム開催を決めました。※YATOでは毎年「YATOの縁日」を開催。

ただし、“集まらなくても参加できる方法”も用意しています。たとえば影絵師・音楽家の川村亘平斎さんとの影絵ワークショップは「デリバリー」方式に切り替え、こども達がそれぞれ自宅でつくった影絵を預かり、上演の様子を映像で中継します。また、同じように自宅で土器をつくり、楽器として演奏して収録し、縁日でその音を流すプログラムも開催。

これらの企画は、事務局メンバーがオンライン会議を通じてそれぞれの経験を共有し、そこにアーティストのアイデアを重ねることで自然と出来上がりました。「コロナだからという特別な感じはなくて、YATOは今までもまちの状況に合わせて活動してきました。制約があるといっても去年と変わらないワクワクやドキドキ感がちゃんとあります」と、事務局メンバーの荒生真美さんは言います。

日頃からの関係性やコミュニケーションの上に表現が成り立つ、アートプロジェクトらしい再始動の姿をYATOは描きつつあるようです。

家から参加できる「デリバリー影絵ワークショップ」は公開直後に定員に。急遽、人数を増やして実施することに。

オンラインで「余白」をつくる。対話を進めるための準備

世田谷で展開するアートプロジェクト「東京で(国)境をこえる」では、プログラム始動に向けた準備が進んでいます。

20〜30代の様々な言語や文化、国籍を持つ人とともに見えない境界について考えていくプログラム「kyodo 20_30」では、毎週日曜日の夜にオンラインで準備会を開催。今回の実践共有で、事務局・矢野靖人さんがレポートしてくれたのは、そのユニークなコミュニケーションの工夫でした。

大切なのはどのように「余白」をつくるかということ。たとえば、準備会で毎回開催しているのは「テンミニッツメイド」と名付けたコーナーで、会議の最後に10分間でできるミニ・ワークショップを週替りでメンバーが担当します。また、会議後は誰もいなくなるまでZoom会議室を開きっぱなしにするのも恒例です。毎回24時を過ぎるという開きっぱなしの時間は、なんとなく喋ったり、ご飯を買ってきたりしながら、仲間同士で「帰り道」的感覚を共有する機会だそう。

また、外出自粛要請を受けた時間のことを残そうと始めたのは、メンバー限定Facebookグループでの「自撮り日記」。メンバーが一人ずつ自分の近況や考えていることを5分前後の動画にして、次の人に回すリレー動画は、10人で3周目を迎えました。個人的な記憶や、まちの気配、緊張感や空気感まで共有できることが特徴。

それぞれの課題意識や考えを共有し、対話の土壌を耕すことは、アートプロジェクトにおいて大切な準備のひとつ。制約の多い日常を上手に乗りこなし、余白をつくり出すこともまた、プロジェクトを育てる上手な方法かもしれません。

「テンミニッツメイド」でやってみたミニ・ワークショップのひとつ。Zoom画面上で一本の線をつなぐためにコミュニケーションをとる。

12年分の活動を振り返る、本づくりの時間

2009年から始まって12年目を迎えるプロジェクト「TERATOTERA」。今年度はこれまでの総まとめとして、本の制作に着手しています。

本づくりのプロジェクトを編集長として進めているのは、元・新聞記者で、TERATOTERAにはボランティアとして関わる西岡一正さん。長年、本プロジェクトのドキュメントブック編集を手がけてきました。TERATOTERAの特徴は、そういった形で多種多様な興味関心や背景、特技を持つボランティアが、プロジェクトの企画・運営にしっかり関わっているところにあります。

そこで今回の本づくりでは、ボランティアとして当事者でもある西岡さんを中心に、歴代のボランティアスタッフがオンライン上で対話を重ね、過去一年度ごとの振り返りを進めることに。12年分の活動をまとめるのは、情報量が多く大変です。一方で、振り返りをすることで、離れていたメンバーが喜んで参加してくれたり、企画への愛着が増す点は良い点でもあります。

今年度は予定していたプログラム「TERATOTERA祭り」もオンライン化が決まり、海外ゲストも含めたさまざまな調整が進んでいます。不便な点もひとつひとつみんなでクリアしていくことが、プロジェクトを進める力にもなっていくはずです。

TERATOTERA12周年本のチーム体制(テラッコ=TERATOTERAボランティア)

それぞれの始め方、進め方

緊急事態宣言が解除されたといっても、現在の東京都内における新型コロナウイルスの感染者数は増加の一途を辿っています。人々の安全や安心を考えれば、集まること、移動することを今まで通りの形で再開することはなかなかできません。そしてそれがこの先も続くであろうことは、この数か月をかけてそれぞれが実感し、考えてきたことです。

どんな活動にも「絶対」はなく、常に状況に合わせて動くことがとても大切です。東京アートポイント計画 ジムジム会では引き続き、新たな日常でのアートプロジェクトのあり方を考えていきます。

(執筆:きてん企画室)

ジムジム会2020

事務局ごとの知恵を持ち寄り、現場の悩みを解きほぐすオンライン互助会

アートプロジェクトは、企画や広報、経理などを担当する事務局の人々によって支えられています。しかし現場は人手が不足しており、時間がないなかでやり方を模索し、それぞれが悩みを抱えながら活動しているのが多くの現状です。

そこで、2019年度から同じような悩みを抱える「東京アートポイント計画」に参加する団体が集まり、「事務局による事務局のためのジムのような勉強会(通称:ジムジム会)」をひらき、広報やウェブサイト制作などの実務的な課題について共有してきました。そして、2020年4月の緊急事態宣言以降、アートプロジェクトは活動の大幅な変更を余儀なくされました。事務局も、これまでの課題に加えて、オンラインを前提とした関係者間のコミュニケーションや企画など、新しい課題に直面しています。

今回のテーマは、社会状況に応じたアートプロジェクト運営。会の方針は「現場の状況と社会状況を反映し、柔軟にプログラムを組む」「レクチャー形式ではなく、相互に助け合う互助会的な場とする」「得た知見や生まれたアイデアは、公共知としてオープンにしていく」ことです。それぞれの事務局が抱える課題や実践を共有しながら、コロナ禍以降のアートプロジェクトのあり方や可能性を考えます。

詳細

スケジュール

5月13日(水)
第1回 集えない状況でどう集う? お互いの状況を共有しよう

発表:アートアクセスあだち 音まち千住の縁
ファンタジア!ファンタジア! -生き方がかたちになったまち-

6月17日(水)
第2回 あの手この手でつながるには? コロナ状況下でのアートプロジェクトを考える

発表:小金井アートフル・アクション!
HAPPY TURN/神津島

7月20日(月)
第3回 アートプロジェクトの再始動。新たな日常でどうはじめる?

発表:500年のcommonを考えるプロジェクト「YATO」
東京で(国)境をこえる
TERATOTERA

8月19日(水)
第4回 いまだからできること、わかること。アートプロジェクトの知恵を持ち寄る

発表:移動する中心|GAYA
Artist Collective Fuchu [ACF]
Art Support Tohoku-Tokyo(ASTT)

9月22日(火)
第5回 困ったら、お互いに聞いてみる。助け合う場を続けていこう

 

*プログラム終了後も、プロジェクト事務局が自主的にホスト役をつとめる「続・ジムジム会」が行われました。

続・ジムジム会

第1回 ジムキョクの当たり前を解きほぐす

第2回 聞いて! アートプロジェクトにかかわる人!

第3回 ジムジムボディビル大会2021

 

関連サイト

東京アートポイント計画共催団体

暮らしに「間(ま)」をどうつくる?―「あわい」や「隙間」から育まれていくモノとコト

新たなプロジェクトや問いを立ち上げるためのヒントを探る対話シリーズ「ディスカッション」。アーツカウンシル東京プログラムオフィサーの上地里佳が企画・モデレーターを務め、独自の切り口でさまざまな実践に取り組むゲストを招いて展開しています。例年は3331 Arts Chiyoda内 ROOM 302にて行っていましたが、本年度は新型コロナウイルス感染対策を考慮してオンライン上にて開催しました。

第3回(2020年11月19日)のテーマは「暮らしに『間』をどうつくる?」です。長野県松本市に個人運営のアートセンター「awai art center」を設立し、ひらかれたアートの在り方を模索する茂原奈保子さん。2011年にドイツ・ライプツィヒの空き家からNPO「日本の家」を立ち上げ、現在は広島県尾道市を拠点に日独で数々のまちづくり・アートプロジェクトに携わっている大谷悠さんをゲストに迎えます。モデレーターの上地はROOM 302から、ゲストのお二人はそれぞれの拠点からオンラインでの参加です。

「今回のタイトルには『間』というキーワードを使っていますが、ここで言う『間』とは、何かと何かをつなぐ状態または存在のことを指しています。お二人がこれまでの活動のなかで立ち上げてきた場所を見ていると、ある意味で『間』をつくってきたのではと思っています。というのも、みんなにとってちょうど良い『間』があるからこそ、多様な考え方や価値観の同居が可能になってきているのではないかと。どういった考えのもとにスペースを立ち上げ、運営を進めてきたのか。今日はそのあたりをお伺いしたいです」(上地)

モデレーターの上地から「ディスカッション」の概要、そして今回のキーワードである「間」についての説明の後、それぞれゲストの活動紹介へと進んでいきます。

アートと人の間(あわい)をつなぐ:茂原奈保子

茂原奈保子(awai art center 主宰)。

2016年4月、長野県松本市にある古民家を改装してひらかれた「awai art center」。主宰である茂原さんは、現在、信州大学人文科学研究科に通いながら個人で運営しています。このスペースは、まさに今回のディスカッションのタイトルにも掲げられている「間(あわい)」をテーマに立ち上げられたそうです。

「アートと人のあいだをつないで、日常に当たり前のようにアートがあるような環境をつくれたらいいなという思いから『awai art center』と名付けました。『ギャラリー』と言ってしまうと美術展や特に現代美術に馴染みのないお客さんはハードルを感じてしまうのでそういった言葉は使わずに、あらゆる人が気軽に立ち寄れるよう複合的な機能を持たせました。1階にはカフェスペースがあり、読書もできるんです。アートと人だけでなく、人と人のあいだもつなぎたいですね」(茂原)

「awai art center」は、明治時代に建てられた築140年にも及ぶ元商店兼住居を改装してつくられた。5メートルにわたる広い間口が大通りに面していており、立ち寄りやすい設えに。

工芸をはじめとした文化資源が豊富な観光都市として知られている長野県松本市ですが、「awai art center」がひらかれる以前には、いわゆる現代美術を見られるスペースはほとんどありませんでした。茂原さんは大学で「芸術と社会をどのようにつなげることができるか」を実践的に学び、その後は美術館、ギャラリー勤務を経た後、「松本に現代美術に触れられるスペースがないのなら、私がつくってしまおう!」と決心します。

「『awai art center』の活動は私自身が主催者となってひらく企画展のほかに、大学やギャラリーなど他の機関と協働した企画や、ときには近くの異業種のお店とイベントを行うこともあります。そうすると、企画が終わった後にそれぞれの機関・施設のお客さんが交差して、重なっていくようなことがあるんです。これまでの4年半の活動を通じて感じたのは、多様なかたちで実践を行っていくことが非常に大切なのだということ。実は、これからは個人運営ではなく共同運営になる予定です。展示をメインにしていましたが、これからは複数人でこの場所を保持しながら、もっと多岐にわたった取り組みをしていきます」(茂原)

都市の「隙間」に集まる:大谷悠

大谷悠(まちづくり活動家・博士(環境学)/尾道「迷宮堂」共同創設者・ライプツィヒ「日本の家」共同創設者)。

ドイツ・ライプツィヒは人口が50万人を超える、国内でも有数の都市です。ベルリンの壁崩壊以前には、民主化のために最初に市民が立ち上がった「英雄都市」とも言われていますが、一方で90年代には10万人もの人口減少を経験し、空き家問題をはじめとした都市の危機に直面してしまいます。そんな状況に見兼ねて、2004年から歴史的建造物の保存のためのNPO市民団体「ハウスハルテン」の取り組みがはじまりました。それ以降、「ハウスハルテン」の取り組みのおかげでさまざまな市民活動や芸術活動、移民・難民サポートをする運動が、かつて空き家となっていた建物を根城に行われています。2011年に大谷さんが立ち上げた「日本の家」もそのひとつです。

「2011年に仕事のためにドイツへ渡航したのですが、仕事が終わってからもビザとお金に余裕があったので、もう少し滞在することにしました。とはいえ特にやることもなく、友達もいないから『ハウスハルテン』で空き家を借りて何かをやりだせば、友達ができるかなと。その程度のモチベーションから『日本の家』がはじまっていきました。主な活動としては美術展やコンサート、ワークショップ。そして『ごはんのかい」という近隣住民を巻き込んだ食事会も毎週行っています」(大谷)

毎週土曜日と木曜日に「日本の家」で行われている「ごはんのかい」。17時頃からみんなで調理をはじめて、食べ始めるのは20時頃から。料金は投げ銭で、誰でも参加できる。そのほか「日本の家」をめぐる実践については、大谷悠著『都市の〈隙間〉からまちをつくろう ドイツ・ライプツィヒに学ぶ空き家と空き地のつかいかた』に詳しい。

大谷さんを含め、3人で立ち上げた「日本の家」は、この9年の活動のなかで運営内容もメンバーも大きく変化していると言います。立ち上げた当初は日本人が多かったが、みんなでごはんをつくって食べる「ごはんのかい」をはじめたことを機に、多様な人やものが入り混じる状況が生まれました。大谷さんが「日本の家」に関わるメンバーにインタビューしたところ、定職に就いているのは12%ほど。ほとんどが現地の学生や求職中の人、ワーキングホリデーで来ている人、そして難民の人たち。何かのプロというわけではない、いわゆる「素人」が入れ代わり立ち代わり「日本の家」の主要メンバーとなり、根幹を担っているそうです。

「『素人であること』に僕はすごく注目しています。それは僕自身が当初働いていなかったこともありますが、ある日の『ごはんのかい』で印象的な出来事があったからです。その日のメニューはカレーだったのですが、思いもよらぬまずいカレーになってしまいました。そのときテーブルにいたおっちゃんが『次は俺がつくってやるよ!』と言い、翌日にはキッチンに立っていました。つまり、素人が集まっているので、そもそも客と店員の関係ではないのです。そう考えると、『日本の家』は常にフラットな状態から人間関係が形成されて、クオリティを重視するプロの世界にはなかなか起きないことが起きてきます。元々空き家だった都市の『隙間』には用途や管理、所有権といった社会的なものの前提が剥がれ落ちています。その特徴を生かしてみると、前提が取り払われた人間関係が生まれてきて、ゼロから共生や場づくりについて考えられるようになる。何かで隙間を埋めてしまうのではなくて、常に出会いにひらかれた、関わりあいの舞台になることが重要だと考えています」(大谷)

成り行きに任せ、覚悟を持ってひらく

「awai art center」「日本の家」についてそれぞれの活動紹介を経て、ディスカッションがはじまります。まちなかに拠点を持ち、運営することについて。お二人の実践や思考、思いについてさらに深く語っていただきました。

上地:「日本人の家」では運営メンバーの入れ替わりが多かったということでしたが、それとは別に、集団の核となるような全体をまとめる人がいらっしゃったんですか?

大谷悠(以下、大谷):いるような、いないような、ですね。基本的には中心にいる人を慕ってみんながつながっていますが、それも流れ次第で変わっていきます。最初は、僕が集団の中心にいたけれど、3年くらい経ってからは違う人がその役に代わっていきました。そうして、さまざまな人が運営に関わるのは良いことと思うのですが、「ここをこういう場にしたい!」という思いがバッティングすることもあります。揉めることもあるし、喧嘩もします。もちろんなるべく平和的に運営していきたいと思っていますが、そうでないときもありました。

上地:きれいな話だけではなかったと。さまざまな背景の方が「日本の家」に関わることで、スペースとして「こうあるべきだ」というコンセプトが揺らぐこともあったのではと想像するのですが、それはどのように受け入れたり、混ぜていったんですか?

大谷:混ぜていったというよりは、混ざっちゃったんですよね。「日本の家」が面しているアイゼンバーン通りのあたりは、地域でも評判の悪いエリアなんです。2015年に起こった欧州難民危機以降は、移民・難民の方の出入りもすごく多くなりました。そもそも、メンバーによってどういう場所にしたいのかは、ちょっとずつ違うんです。そんなときに「ごはんのかい」をはじめて、予期せぬ人が乱入することが多くなって、それが「意外と楽しいじゃん」と気付きました。それまでは、うまくまとめようという意識がすごく強かったのですが、「ごはんのかい」をやると、どっちにしろまとまらないし、思ったようにならない。例えば、著名なアーティストが展示をしているところにホームレスや子供たちが乱入してきて、作品に対しての根源的な問いが投げかけられたり、展示品で遊びだしたりしてしまうこともありました。それをアーティストと一緒にどう対応するのか。許容するのか、それとも触っちゃ駄目だと言うのか。ひらいているからこそ、そういった問題を常に突きつけられるんです。「そういうのは大事だよね」と多くのメンバーで共有していたと思います。

茂原奈保子(以下、茂原):話を聞いていて、公民館みたいだなって思いました。中心になっている人物がいるんだけれども、自治は保たれている。いろんな人がやりたいことを持ち寄って、批判を受けたり評価されたりしながら流動的に人が動いていますよね。

地元や人とともに変化していく

上地:多くの人が関わり、いろんな人の手垢がつくことによって味が出てきて、その場所らしさにつながるのだと思います。そもそも「日本の家」にはルールや決まりは設けられていますか?

大谷:何回か決めようという話はありました。盗難が起こったときとか、アルコールやドラッグ中毒の人の出入りが多くなった時期には、入場や出禁のルールを決めようと。けれど、ドラッグやアルコール中毒の人もシラフのときは良い人だったりするんですよ。そういう人らを一律に「絶対に入れない」というのもちょっと違うんじゃないかと思って、ルールをつくるのはある意味簡単ですが、それには常にもやもやしていました。なので、明確な決まりやルールは現在 に至るまでないですね。いま振り返ると、ルールを明文化しないというのも大事だと思いますね。

上地:自然とさまざまな背景を持つ人たちが関われる状況をつくっていますよね。 茂原さんも今後は複数人で拠点を運営することを視野に入れていることを話していただきました。個人で運営されてこられたオープンから現在までで、松本のまちや身の回りに変化を感じることはありますか?

茂原:4年間「awai art center」をひらいてきましたが、お客さんが変わってきたなとすごく思います。カフェを期待して来たけれどもすぐに離れてしまった方もいますし、逆にカフェ目当てだったのにいまでは作品鑑賞が目的になっている常連さんもいます。うちで作品を見たことをきっかけに、美術に触れる楽しさを知ってくれた人が少なからずいるんじゃないかなという実感はありますね。

上地:松本には工芸のイメージがすごく強いですが、「awai art center」がひらかれて以降、現代美術の拠点をつくっている人が現れはじめているという話もお聞きします。「awai art center」をひとつのモデルとして、地元に拠点を持つことの意義をまわりの方が感じているのではないでしょうか。

茂原:このディスカッションもリモートで行われていますが、今年はコロナウイルスの影響を受けてリモートで対話できる便利さをすごく感じました。いま大谷さんは広島に、上地さんは東京、私は長野にいますが、これだけ遠距離でも同じ経験ができています。その反面、美術を自分の目で観るということの体験の尊さ、大切さも際立ってきていると思います。コロナ禍による緊急事態宣言が長野県で発令された際、「awai art center」もお休みをもらっていました。その後、8月頃から活動再開したときには、お客さんが来ないのではと心配でした。しかし開けてみると、ずっと通ってくださってくれた方は変わらず来てくれて、「自分にとって作品を観ることがすごく大切なことだということに、この期間に気付けました」とも言ってくださいました。美術に触れることの大切さを感じている方がいて、これからも増えていくといいなと思いますね。

都市に不可欠な「間」や「隙間」

近代以降の都市に並ぶほとんどすべての建物は、予め機能・役割が決定されているように見えます 。住居は住居らしく、施設は施設らしい設計にすることで人々の流れは整備され、無駄なものごとやエラーが生まれないように注意が払われています。今回ゲストにお招きしたお二人は、都市のなかでの機能が一時的に失われてしまった「空き家」を改装して、各々に魅力的な場所を立ち上げました。「awai art center」は長野県松本に、「日本の家」はドイツ・ライプツィヒに。それぞれのまちに影響を受け入れつつ、ひとつの役割にとらわれず 、多目的で柔軟な活動が繰り広げられています。
従来のスペースのひらき方を倣うのではなく、どのようにその土地に拠点をひらいていくのがベストなのかを模索し、実践をして、変化していく。そうしたトライアンドエラーを経て、人々が混じり合うような仕組みがそれぞれに生まれていました。

「不要不急」な行動がはばかれる昨今の状況において、わかりやすい目的を提示しないこれらのスペースは一部の人たちには歓迎 されないかもしれません。しかし、「awai art center」が地元の人にとってかけがえのないアートとの交流の場になり、「日本の家」が多様な人にとっての居場所になっているように、都市の「隙間」や「間」と思える空間こそ、本来私たちにとって不可欠な場所なのだと感じる時間となりました。

執筆:浅見 旬
撮影:齋藤 彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

私たちの移動の経験はどう変わる?―「移動」と「つくる」ことをめぐって

開催日:2020(令和2)年11月17日(火)
ゲスト:小田井真美(AIR環境・事業設計/さっぽろ天神山アートスタジオAIRディレクター)、大橋香奈(映像エスノグラファー/東京経済大学コミュニケーション学部専任講師)
モデレーター:上地里佳(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

新たなプロジェクトや問いを立ち上げるためのヒントを探る対話シリーズ「ディスカッション」。アーツカウンシル東京プログラムオフィサーの上地里佳が企画・モデレーターを務め、独自の切り口でさまざまな実践に取り組むゲストを招いて展開しています。3331 Arts Chiyoda内 ROOM 302を会場に開催していましたが、本年度は新型コロナウイルス感染対策に考慮して、オンライン配信で実施しました。

第2回(2020年11月17日)のテーマは「私たちの移動の経験はどう変わる?」。ゲストには、「さっぽろ天神山アートスタジオ」でアーティスト・イン・レジデンス事業のディレクターを務める小田井真美さん、「人びとの〈移動〉の経験」を研究し、映像作品として描き出す実践を重ねられてきた大橋香奈さんのお二人を迎えます。

「2020年は新型コロナウイルスの感染拡大により、多くのイベントの中止や延期が相次ぎました。そしていまでも、引き続き活動自粛や移動制限をせざるを得ない状況が続いています。そんななか、新しい表現を生み出す過程にはさまざまな『移動』が前提にあり、アートプロジェクトの現場に密接に関わっていることを改めて思うことがありました。今回のディスカッションもリモートでの開催となりましたが、そうした移動制限の経験は、表現していくことや、アーティストとまちとの協働のかたちにどのような変化をもたらすのか? と考えたことが、今回のテーマの出発点です。本日はゲストのお二人が取り組まれている実践や研究のお話をもとに、これからの『移動』と『つくる』ことにまつわる、新たな方法やヒントを得ることができればと思います」(上地)

モデレーターの上地から、今回のテーマの概要について説明した後、ゲストの活動紹介へと進んでいきます。

「つくる」ことの可能性を広げる:小田井真美

小田井真美(AIR環境・事業設計/さっぽろ天神山アートスタジオAIRディレクター)。

北海道札幌市内で初の公的なアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)の拠点として、2014年にオープンした文化芸術施設「さっぽろ天神山アートスタジオ」。小田井さんは開館当初からAIR事業のディレクターを担っていますが、今年は“アーティストが地域に訪れて滞在制作する”というAIRの仕組みを根本から見つめ直し、移動や滞在を行わず、遠隔でAIRに取り組む新たな試みを現在進行形で行っています。
そもそも前提として、「AIR」とは一体どのような仕組みなのでしょうか。小田井さんはAIRを『アーティストの「移動」を促進する仕組み』だと言い、『国内外のアーティストに「移動先での滞在(時間)」や「そこでの制作活動(体験)」をするチャンスを与える奨学金制度』のようなものだと説明します。

「運営者の立場からすると、AIRはアーティストを受け入れ、制作活動を支援していくこと。日本は文化外交の機能や地方再生の手法としてなど、その役割にも特徴があり、運営者によって支援のあり方や成果、思想もさまざまです。私自身はAIRについて『アーティストにとって“コミッションワーク”ではない(=依頼された仕事ではない)』と考えており、『運営者はアーティストに対してお産婆さんのような役目を果たす存在』だと思っています」(小田井)

もともとはホテルだった「さっぽろ天神山アートスタジオ」の建物。2014年に開催された「札幌国際芸術祭」にあわせて整備され、AIR拠点として生まれ変わりました。13室の元客室をアーティストの滞在スタジオにしながら、市民にも施設の一部を休憩場所として開放しているそうです。

「本施設のAIRにはさまざまな目的のアーティストが同時に滞在するので、個別にニーズを聞きながら対応し、次のステップへと繋がるようなチャンスを探すサポートも手掛けています。施設のミッションとしてある『文化芸術分野・アーティストの活動と市民生活との接点を創る』ことにも力を入れていますね」(小田井)

2016年に自主事業で招聘したアーティスト、Jeff Downerが紹介してくれた言葉。パンデミックによってAIRの状況が変化したとき、この一節が真っ先に思い浮かんだそう。

小田井さんが今回のディスカッションのテーマや、アーティストの「移動」について考えていたとき、写真家のJeff Downerが教えてくれた上記の一節が思い出されたと言います。「移動が制限されている状況のなかでも、まだ十分にここから希望を見出すことができるのだと、非常に勇気づけられ、心が強くなるような言葉でした」と語ります。

「実はパンデミック前から、アーティストに『滞在中に何をしてもらうか?』に気を取られすぎていたことを疑問に思い、『(滞在地までの距離を)どのように移動するのか?』ということについて非常に意識していました。そのため、2020年度はAIRの要素として重要な『移動』にフォーカスし、プログラムを変えようしていたタイミングだったんです。いまはまだ手探りですが、アーティストがその場に訪れることなく、リモートでアーティストと協働するプログラム運営を試みているところです」(小田井)

新しい視点から「移動」をみる:大橋香奈

大橋香奈(映像エスノグラファー/東京経済大学コミュニケーション学部専任講師)。

東京経済大学コミュニケーション学部で講師を務めながら、「人びとの移動の経験」を研究されている大橋さん。イギリスの社会学者、ジョン・アーリ氏の著書『モビリティーズ 移動の社会学』に影響を受け、「移動の経験」についての研究を開始されたそうです。「移動」というと、大抵の人は歩いたり交通機関を使って動いたりと、身体的な移動を思い浮かべるかもしれません。しかし、大橋さんが研究対象としている「移動」は、もっと多様なもの。ジョン・アーリ氏の言葉を引用し「距離の隔たりに対処する多様な方法、経験に注目する」ことだと言います。

「この『距離の隔たりに対処する移動』というのは、身体的な移動にとどまりません。たとえばコロナによって自分たちの身体の移動が制限されたとき、通販で買い物をするなど、自分の代わりに多くのモノを移動させるようになったと思います。また、メディアを通してある場所のイメージを見たときに、想像のなかでも移動を経験することがあります。あるいはZoomや電話等でコミュニケーションのためのイメージやメッセージを移動させることもある。これらの多様な移動、それらの組み合わせが、『距離の隔たりに対処する多様な方法、経験』としての移動です」(大橋)

そうした移動の経験についての研究を、大橋さんは「映像エスノグラフィー」という手法で実践されています。「エスノグラフィー」とは、社会学や人類学の分野で発展を遂げた研究のアプローチで「他者の生活世界がどのようなものか、他者がどのような意味世界に生きているかを描く方法論と成果」のことを指します。映像エスノグラフィーは、エスノグラフィーのなかでも、調査の過程や成果の表現で写真や映像を用いるアプローチです。エスノグラフィー調査全般において伝統的に重視されてきたのは「参与観察」という方法で、「実際に調査協力者の方の生活に参加しながら、その方たちが生きている世界を理解していくプロセスがとても大切になる」と話します。

『Transition』 (大橋香奈・水野大二郎, 2019)の制作プロセスで共有されたデータの一部。

その重要な参与観察ができなかったプロジェクトの例として、大橋さんの博士研究を副査として指導されていた水野大二郎氏と共に制作した『Transition』についてのエピソードを紹介してくれました。水野氏のパートナーであるみえさんが、妊娠中に胃がんと診断されたことをきっかけにつくられたというこの作品。水野家が経験する困難な状況を、水野氏自身が客観的に理解していくための試みとして進められたプロジェクトです。大橋さんはみえさんの体調を考慮し、調査目的で生活環境に出入りすることで、みえさんの時間やエネルギーを奪うことを避けたいと、伝統的な参与観察という方法ではなく、ほとんど遠隔で水野氏と協働して調査することを試みたそう。水野氏が日々の生活記録を作成し、その内容を確認するためのインタビューをオンラインで1~2週間に1度のペースで実施。協働しながら、ひとつの作品にしていったそうです。そこから、大橋さんは研究対象としてだけではなく、研究の「方法」としても、どのように距離の隔たりに対処していくのか? ということを考えるようになったと話します。

「距離の隔たりに対処するとき、直接対面することが一番強力なコミュニケーションというイメージがありましたが、必ずしもそうとは限りません。たとえば電話は、対面しているとき以上の近さで声が直接耳元に届く方法であり、だからこそ親密さを生み出すと、これまでのメディア研究において注目されました。テキストのみで構成される日記や手紙という方法も、対面では表れてこない言葉のやりとりが生まれることもあります。そんな風に、これまで人びとは距離の隔たりに対処する方法をいくつも開発してきているはずです。このタイミングだからこそ自分たちが編み出してきた方法やその価値について、もう一度見つめ直すことが大事なのでは?と最近は考えています」(大橋)

「お節介を焼く」という関わり方

それぞれの活動紹介を経て、ディスカッションへと移ります。リモート環境におけるアーティストとの関わり方から、物理的な移動制限のなかで行えるさまざまな対処法、そしてその可能性について。お二人ならではの考えを語っていただきました。

上地:大橋さんのプレゼンで紹介されていたジョン・アーリ氏の言葉で、「移動」とは「距離の隔たりに対処する多様な方法、経験」というものがありました。小田井さんが現在試みている遠隔でのAIRも、その「距離の隔たり」に対してさまざまな対処法を編み出していくことになると思いますが、まず応募されたアーティストのみなさんの反応はどうでしたか?

小田井真美(以下、小田井):大体2通りに分かれましたね。もともとAIRの募集要項には「移動できる範囲での身体的な移動を取り入れてプランを考えてもいい」としていたんです。いまは状況によって移動制限の段階もさまざまなので、レベルに応じて物理的に動くことを試みる人もいました。多くは「行けるところまで動きたい」という反応が多かったですね。一方で、「移動せずにシチュエーションを変える」という方法を採る人もいました。自分のスタジオや家など、普段の活動拠点ではなく、別の場所を新たに借りてそこを活動拠点にする、というプランです。物理的な移動はほとんどないのですが、シチュエーションを変えることで「体験」として別のものを自分に与えるような試みですね。

上地:そのなかで、アーティストの方たちと運営側との関わり方はどのように考えられているのでしょうか? リモートの形式で、うまくコミットしながら進めていく方法がなかなか想像しづらいのですが。

小田井:アーティストは他者の助けなしでも創造的に活動し、作品をつくります。個人的に、AIRを運営する立場のなかでアーティストと関わるというのは「お節介を焼く」ことだと思っているんです。それは今回に限らず、これまでもずっとそうでした。というのも、私自身はレジデンスのなかで作品を完全につくること、かたちにすることというのを、必ずしも必要とはしていなくて。むしろそこを忘れてやって欲しいと思っているんです。これからオンラインで定期的に参加アーティストとミーティングを行う予定ですが、そこで彼らがやろうとしていることをどんどん“邪魔”していくような……そんなことを試そうと思っています(笑)。

大橋香奈(以下、大橋):小田井さんのプレゼンのなかで、AIR運営者は「お産婆さん」のような存在、とも例えられていましたよね。お産婆さんって身体的な接触も伴う、相手にすごく関わっていく行為じゃないですか。今後、遠隔でそれがどのように実践されるのかはわかりませんが、とても興味深い比喩だと思いました。

小田井:出産を経験したことがないので、お産婆さんというのは完全にイメージなのですが…(笑)。やっぱり「作品を生み出す人が頑張るしかないじゃない?」という思いがあるんです。ある一定期間、濃密に関わり、サポートしながらプロジェクトを並走していく立場ではありますが、作品そのものに栄養を与えていくのは、母体であるアーティストだけなので。それが私なりの距離の取り方なんです。関わり方も、アーティストによって全然違って。その人自身が求めているものを見極めて調整しながら、そこに応じて自然に関わっているような気がします。そういう意味で、しっかり「お節介」を焼きながら、“邪魔”になるかならないかギリギリのところでちゃんとサポートになっているという、その絶妙な具合を探す面白さはありますね。それがオンラインになったらどうなるんだろう?というのは、これから探っていく部分です。

「距離」があることで、生まれるもの

小田井:全然関係ないのですが、郷ひろみの曲にある「会えない時間が 愛育てるのさ」という歌詞を思い出すことがよくあって(笑)。会えない時間があるからこそ、そのことについて想う時間がある。遠隔でのAIRを実施するとなったとき、「札幌に来ないのにやってどうするの?」と言われることもありましたが、「来ないからこそ、いつも以上に札幌のことを考えてくれる」と、進めていくうちに強く実感するようになったんです。

大橋:まるで遠距離恋愛のようですね(笑)。距離が生まれることで、想像力を働かせるようになるという。たとえば電話なんかも「会えないから話す」という手段でもあって、会わない、顔を見ないからこそ伝えられることもある。全ての方法を顔が見えるビデオ通話に置き換える必要もなく、あえて手紙にしてみたり、よりもどかしい方法でもいいのかもしれません。

小田井:それはテクニックとして必要ですね。余白が生まれ、想像が促される。そんな風に、これまでとは違う関係性が今回のAIRではつくられていっているような感覚があります。まだどうなるか未知数ではありますが、そのことがこれまでとの違いとなって表れてきたら面白いなと思います。

上地:小田井さんは、コロナが拡大する前から「移動」に重きを置いたレジデンスの構想をされていたとのことでしたが、そこにはどのような経緯があったのでしょうか?

小田井:AIRを主催している立場からすると、「アーティストが来た後に何をしてくれるのか?」という成果ばかりを見すぎてしまい、それがつまらなく思えてしまったんです。そこで、AIRが「移動」を伴うプログラムであるという前提の部分を全然見ていなかったなという反省もあって、これまで着目していなかった「移動」の部分を取り上げてみようと考えました。またもうひとつの理由として、サイト・スペシフィックなプロジェクトを多く実施していくなかで、札幌に訪れるアーティストにとっては未知である“札幌”の文化が、どこかインスタントなアプローチで解釈・理解されてしまっているように感じる事例もあり、そこに恐れを感じるようになったんです。実際に訪れてはいるけれど、もしかすると、これだけ距離が離れている場所に移動し、制作していることに、実感が持てなくなっている要素が何かあるのかもしれないと想像して。なので、距離感をより実感できる方法として始めようと思いました。

上地:確かに、いまは移動のスピードも早いので、「移動する経験」の実感は薄くなるのかもしれません。大橋さんとの最初の打ち合わせでも、「移動しているのではなく、輸送されている」という話が出てきたのを思い出しました。

大橋:ドイツの男性が、中国で4500キロの徒歩旅行をしたプロジェクトがあるのですが、彼は数時間あれば飛行機で移動できる場所に、1年かけて徒歩で移動したんです。その身体感覚を伴いながらの移動の過程で、どのような出会いや変化があるのか、彼の映像作品に記録されているのですが、同じ距離でも飛行機で“輸送”されれば、窓から上空を見下ろすだけの経験で終わります。小田井さんが言っているように、距離が離れている場所に来ている実感がないまま辿り着いてしまう。

小田井:なるほど、面白いですね。私の試みは身体的な「移動」は伴わないものですが、自分自身はそのような移動ができなくなったことで、定点観測するように自分や周りの変化が逆に敏感に見えるようになってきたような実感があります。これまで自由にできていたことが制限されることで、また別の可能性が開かれていくような確信があるので、これからがとても楽しみですね。

未知の可能性と出会う

新型コロナウイルスのパンデミックにより、さまざまな活動自粛や移動制限措置が敷かれたことは、私たちがこれまで当たり前のように行ってきた「移動」という行為について改めて意識させられる時間となりました。物理的な移動が難しいなかで、どう向き合っていけるのか? 創作活動の現場のみならず、あらゆる現場で検討されてきたことでしょう。
そのように私たちが「移動」について考えるとき、多くは身体的な移動として認識されます。けれども、大橋さんのお話から「移動」できるものには、イメージや言葉、想像上のものまで多様な種類があり、さまざまな手段で日々それらの「移動」を経験してきたことに気づかされました。また、小田井さんが現在取り組まれている遠隔でのAIRの試みは、身体的な移動を経験しないことでその“距離”や“移動という経験”について逆照射的に意識させられ、その意味や価値を浮かび上がらせていくというものでもありました。そこから、新たなアプローチの方法が編み出されていくような予感も感じられます。
このようなタイミングだからこそ実感できることに対して、丁寧に向き合うことができれば、よりよいアイデアの閃きにもつながるはず。たとえ身体の移動が制限されてしまっても、既にある、或いはこれから生み出されていくさまざまな手段を組み合わせることで達成できることもあるのだと、そんな未知なる可能性を感じるディスカッションとなりました。

執筆 花見堂直恵
撮影 齋藤彰英
運営 NPO法人Art Bridge Institute

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