誰もが「わたし」から出発できる場をつくるために——めとてラボインタビュー

「めとてラボ」の名前の由来は、「目」と「手」。2022年度からはじまったこのプロジェクトでは、視覚言語である「手話」を通じて育まれてきた独自の「文化」を見つめ直し、それらを巡る言葉や視点を豊かに耕しながら、コミュニケーションの新しいあり方を開発していく場づくりが目指されています。

ろう者が自然体で自分を表現できる空間、コミュニティのあり方とはどのようなものか? ろう者と聴者が手話通訳を介して対話するとき、両者の間にはどのようなことが起きているのか?

手話を第一言語とするろう者や、ろう者の両親をもつCODA(コーダ)、聴者が協働して展開するめとてラボでは、国内外のろう文化にかかわる事例のリサーチや、異なる身体をもつ他者との交流などを通じて、こうした問いや視点を一つひとつ深め、蓄積しています。そこにあるのは、多くの人が普段は何気なく行う「コミュニケーション」というものへの問い直しであり、自身の言語観が揺らぐような創造的な体験です。

今回はそんなめとてラボのはじまりや取り組みについて、メンバーの岩泉穂さん、南雲麻衣さん、根本和徳さん、嘉原妙さん、和田夏実さん、相談役で映画作家の牧原依里さんにお話をききました。インタビューは岩田真有美さん、小松智美さんの手話通訳を介してZoomで行いました。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:池田宏 *7、8、9枚目以外/撮影時手話通訳:川口千佳、小松智美)

「コミュニケーション」について、手前の手前から考える

——めとてラボのはじまりについてきかせてください。

和田:2020年に、アーツカウンシル東京のTokyo Art Research Lab(以下、TARL)で「共在する身体と思考を巡って」というプログラムを行いました。これは、今日も参加されているパフォーマーの南雲さん、写真家の加藤甫(はじめ)さん、インタープリター(通訳者)のわたしの3人ではじめたもので、異なるコミュニケーション方法や身体性をもつ人たちの間で、「伝える」ということについてあらためて実験的に考えてみようとする場でした。

お互いの違いをふまえながら、いかに他者の考えや言いたいことに寄り添い、出会うことができるのか。「伝える」という当たり前にも思えることをふたたび「発明」してみようとする関心がそこにはありました。メンバーは以前からこうしたコミュニケーションへの興味を抱いていましたが、プログラムを経て、文化事業としてこのテーマに取り組むことへの可能性を感じるようになりました。

インタープリターの和田夏実さん。

南雲:TARLのプログラムはちょうどコロナ禍と重なり、対面での実施ができなくなってしまったんです。でも、これが結果的にはよかった。聴者とろう者というわかりやすい違いにとどまらず、ろう者のなかにも聴者のなかにも、さらに個別の身体による違いがあるのではないか。対面できない不自由な状況のなか、そうした視点を深めることができたんです。

一方、そこでは手話通訳の問題も起こりました。わたしの会話の手段は手話ですが、話題がアートなどの場合、手話の表現は抽象的になりがちです。現場には2人の手話通訳者の方もいましたが、ものの捉え方が異なるなか、お互いのなかのイメージを伝え合うことが難しかったんですよね。そうした点も、「伝える」ことについて考えてみたいと思っている動機です。

パフォーマーでアーティストの南雲麻衣さん。

和田:「通訳」という次元の問題もありつつ、手話や日本語といった同じ言語を使う人同士でも、例えば文字や音声だけでつながってみたり、紐でつながってみたり、普段は絶対にしない出会い方をすると、相手の「その人らしさ」がまた違うかたちで見えてきて魅力的に感じることもあります。2021年のプログラム「わたしの、あなたの、関わりをほぐす」では、そうしたブワッと現れるその人らしさをそのままかたちづくる方法について、ゲストも交えてみんなで考えました。

そうしたなか、コミュニケーションの手前で一人ひとりが満ち足りていくこと、自分自身のなかにある言葉の豊かさや文化を大切にできる場所がまずあることがすごく重要だという思いが強くなっていきました。こうした場づくりが、東京アートポイント計画のなかならばできるかもしれない。それで、以前からご一緒させていただいた方たちに声をかけたのが、めとてラボのはじまりでした。

——いまのお話にあった、人それぞれのなかにある「言葉の豊かさ」や「文化」ということについてもう少しおききできますか?

根本:福島県に住んでいる根本といいます。デフファミリー(全員がろう者の家族)で育ちました。わたしからいまのお話について、ろう者としてのイメージを伝えてみます。例えば聴者は音をききますよね。音声言語を通して、口で話す。その言葉は時間を伴って発話され、それが線のようにつながって次第に意味を成していく感じだと思います。

それに対して手話は、この手のかたちや動きにもう「結果」があるのです。そして、その後の対話を通して、会話の意味がつくり上げられていくイメージがあります。手話と音声言語では対話の流れがそもそも違うんですね。さらに、手話のような表現として表に見えている部分だけではなく、内にある感覚の違いもあります。そうしたことが個人の「文化」で、そのつながり方を考えてみることがめとてラボで探究していることなんです。

——手話に馴染みがない人のなかには、手話を音声言語の代わりの言語と捉えている人もいるかもしれません。しかし、日本語と英語の言語構造が違うように、手話も独自の構造をもった一つの言語であり、そこには特有の「文化」があるということですね。

和田:そうですね。ただ、そうした「文化」は社会であまり知られていません。 わたしたちは、さまざまな他者が出会うことをプロジェクトの大事なテーマにしていますが、だからこそまずは、手話のなかで積み重ねられてきたものを残したり、それをしっかり考えたりする場所の開発が大切なんじゃないか、と考えています。

ろう者と聴者が一緒に視点を深める場づくり

——メンバーのみなさんは、それぞれどのような思いでめとてラボに参加されたのでしょうか?

岩泉:めとてラボで事務局を担当している岩泉です。わたしは東京に住んでいて、根本さんと同じくデフファミリーです。まだ入りたてですが、このメンバーとだったらいろんなことができるんじゃないか、気づきがあるんじゃないかと思って参加しました。

あと、わたしは手話通訳者のことを「常にそこにいる人」で、それが自然だと感じていたんです。だけど、自分で初めて手話通訳を依頼してみたことで、そこにはいろいろな準備や背景があることを知りました。手話通訳者がいて当たり前ではなくて、手話通訳者がいる環境の整備について考えてみたいと思ったことも参加した動機です。

めとてラボの事務局を担当する岩泉穂さん。

根本:わたしは、ろう者と聴者が一緒に何かを蓄積していく場がもっとつくれたらいいなと思っています。いまの社会にはそうした場がないですよね。それぞれが別々の方向に行くのではなくて、お互いの違いを知りながら、何が通じて何が通じないのか、一緒に話すにはどうしたらいのか、そういう実験をめとてラボでできたらいいなと思っています。

これは個人的な感じ方ですが、自分には「身体=答え」という感覚があります。例えば音声が文字化されたものをあとから読むと、話者の気持ちがわからない。そうではなく、実際の身体を前にして対話すると、その人の気持ちや言いたいことを感じる、そうした蓄積が重要で、そこから共感や理解が広がる気がします。その辺りの感覚の共有がうまくできたらいいなと思います。

南雲:「場」という意味では、ろう者の団体そのものは、以前からこどもや高齢者向けのものまで含めてたくさんあるんですよね。それに対してめとてラボの特徴は、「既存の場を見つめ直すための場をつくる」という点にあると考えています。つまり、何らかの目的でつくられた場をリサーチするための場である、という点がユニークだと思っています。

——その「場」とは、空間的な意味も、コミュニティという意味も含みますか?

南雲:仰るとおりです。いろいろなものが入っています。

牧原:めとてラボの相談役の牧原です。わたしは、いつもは「異言語Lab.(ラボ)」という団体で活動しています。これは手話を使う人、音声を使う人が一緒に謎を解く、謎解きゲームを開発している団体です。いままで手話を知らなかった聴者が、謎解きを通して手話のおもしろさやろう者の身体性に気づく、そしてろう者自身がエンパワーメントを得ていくことに可能性があると考えています。

異言語Lab.とめとてラボには似ている部分もありますが、異言語Lab.はゲームを通して実践していくエンタメ寄りなんですね。それに対して、めとてラボは、「なぜ、これはこうなっているのだろう」ということをみんなで一緒に対話を重ねながら考えていく、そういう場だと思います。

こうした対話に、もしかしたらろう者は慣れていないかもしれません。聴者にはいろんな対話の場がありますが、ろう者の場合、手話が言語として認められず、口話を強要され、手話を主張できなかった時代が長く続きました。そして聴者の環世界が正しいという目線のもと育てられたろう者も数多くいらっしゃいます。そのため、手話の身体性や文化的な視点はまだまだ未開拓なところがあります。いまは言語の面にフォーカスされていますが、手話の身体性や文化的な視点に関してこれから注目されていくのではと思っています。そうした視点を、対話を重ね、「言語を超えた非言語」もどんどん取り入れながら、ろう者も聴者も一緒に考えていけるとおもしろいのかなと思います。

映画作家でめとてラボ相談役の牧原依里さん。

和田:従来はどうしても集まる人数や場所の問題から、ろう者が「マイノリティ」となる状況が起きていました。しかし、そのマイノリティのなかに、自然と蓄積されてきたものがあるわけですよね。それを今度は みんなで一緒に「これは何だろう」と考えてみる。

例えば、ろう者が過ごしやすく設計された空間を「デフスペース」と言うそうです。そこでは手話のために視線が合わせやすくなっていたり、照明を点けたり消したりして誰かを呼べるようになっていたりします。こうした空間はろう者にとって「ホーム」ですが、一方で、社会のなかでは、これまでろう者はずっと「アウェー」で戦ってきたところがありました。それに対して、めとてラボではあらためて社会のなかに「ホーム」をつくるような活動をしたいと考えています。

嘉原:わたしは2022年の春までアーツカウンシル東京に勤めていて、長年、アートプロジェクトの現場にアートマネージャーとして携わってきました。そうしたなか、めとてラボでわたしが学びたい、掴み取りたいと考えているのは、違う言葉を使う者同士がいかにイメージのズレを重ねていきながら、一緒に見たい風景を見ていけるのか、ということです。

使う言語や会話のテンポの違いによるイメージのズレは、同じ言語を使う話者同士であっても起こります。特にアートプロジェクトのような、抽象的なビジョンを共有する必要がある活動では、その擦り合わせが難しいことも多い。またコロナ禍以降は、自分が蓄積したマネジメントの知識や経験に限界を感じることも増えました。そうしたなか、ご一緒していた和田さんや南雲さんのプログラムでは、その限界をふっと超えられるような感覚があったんですね。

マネジメントも通訳と似て、「間」に立つ仕事です。そこには、想像力を働かせながら準備をすることで、その場の可能性を担保するというおもしろさがあります。その準備や「間」への入り方によって、現場の対話の濃度や物事の見え方は変わります。めとてラボでそういうマネジメントのスキルを更新したい、一緒に考えていきたいと思っています。

もう一つ、わたしは3年ほど前にろう者の方に出会ったのですが、そのときに、世界の見え方が違うことを知って「わ!」となったんですよね。それは、アーティストと一緒に街を歩いたとき、いつもの風景がまったく違って見えてくる経験と似ていました。そうした風景をもっと見たいという、より個人的な思いも参加の動機にあります。

アートマネージャーの嘉原妙さん(中央)。

ろう者の豊かなコミュニティをリサーチする

——6月には視察として福島県に行き、社会福祉法人の運営する「はじまりの美術館」や福島県立博物館などに加え、ろう学校の先生のご自宅にも行かれたそうですね。

和田:さきほどの「ホーム」のあり方を考える上で、わたしたちにもよくイメージが掴みきれていない部分がありました。そのとき、根本さんから福島に長谷川俊夫さんという先生が自宅でひらいているデフコミュニティがあるときいて、みんなで行きました。

嘉原:先生の教え子が集まっているのですが、なかには教員になっている方もいて、みなさんでいまの教育について議論していたり、手話にも方言のように地域ごとに表現の違いがあるんだよと教えていただいたり。すごく素敵な空間でしたね。

——根本さんは、なぜ長谷川先生のコミュニティを紹介したいと思ったんですか?

根本:リサーチのテーマに「創造文化」というものがあって、「文化」という言葉を考えたとき長谷川先生のご自宅が思い浮かびました。なぜかというと、そこには「自然に自分が出せる場所」という感覚があったからです。

長谷川先生のご自宅はろう者、聴者に関係なく、目を合わせる必要がある空間です。お互いの無理解なところも見る必要があります。でも、さきほど話した「身体=答え」という感覚で言えば、そうやって自然に自分の身体をさらけ出せる場所があるということは、文化の創造にとってすごく重要だと思います。そうした場所があること、その場の感覚をみんなと共有したかったんです。

福島でのリサーチ、長谷川俊夫先生の自宅にて。緑のTシャツが根本和徳さん。撮影:めとてラボ事務局

嘉原:先生ご夫妻から、「いつでもおいで」って空気が出てるんですよね。伺ったときは手話通訳の方とわたしだけが聴者で、わたしはまだ手話を勉強中なので会話は断片的にしかわからないのですが、聴者にとっては「静か」なはずの、音声言語を使わない手話による会話から、確かなワイワイ感や空気の揺れを感じたことに驚きました。 和田さんが見たいと言っていた「ホーム」の一端が見えた気がしました。

南雲:福島に行ったのは、めとてラボの活動がまだぼんやりしていた時期でしたが、文化の拠点をいろいろ訪問してお話をきくなかで、メンバー間に共通言語ができてくる、共通言語で語れるようになることがほんとうにいいなと思いました。根本さんが言うように、身体の感覚を共有する、対話を重ねるということが大切だなと思いました。

牧原:わたしもリサーチに参加しましたが、異なる言語を使う人たちをつなぐ通訳のあり方について、あらためて考えました。なぜかというと、視察の間は、昼間は聴者中心に会話が進んでいったのですが、夜になると長谷川先生の家でろう者が中心になっていました。そうなると誰が中心かによってその場のコンテクストが変わり、情報の伝え方もおのずと変わってくるので、手話通訳の方は苦労されたのでは、と思います。

ほんとうに自然なコミュニケーションや会話の通訳というのは難しい。聴者の会話のなかにも「見えないルール」みたいなものがありますよね。そういうものがろう者の会話にもあるのですが、それが次第に聴者に伝えきれなくなってしまうことがあるんです。あらためて通訳とは何ぞやっていうことを考えるきっかけになりましたね。

和田:今回のリサーチには、「場」のモデルを見つけに行くという意図もあったのですが、結果的に福島と東京にいるろう者同士が出会って、何を考えているかを話せたことも大切でしたね。

根本:いろんな文化拠点とつながりができることも重要ですね。福島県立博物館とは今度、ろう者のためのガイドや、ろう者も一緒に楽しめるワークショップなどをやろうと話していて、相談しながら計画を進めています。これもめとてラボのおかげです。いま初めて言ったので、メンバーのみんなは驚いていると思いますけど。

一同:すごい!

福島の西会津国際芸術村にて。撮影:齋藤陽道

南雲:そのお話をきいて思いましたが、文化拠点とのつながりと同様、各地のろう者とのつながりも広がるといいなと思います。別の土地で暮らすろう者のことは、わたしたちもよく知らなくて。めとてラボの支部のようなものが全国に広がるといいなと思いました。

和田:そうですね。それと、プロジェクト1年目である今年度は、南雲さんが仰った「既存の場を見る」ことを中心に行っていますが、来年度以降は「場をつくる」ことも考えていきたいな、と。その意味で、視察のなかでいろんな場を見ることを通して、みんなで「場をつくること」のイメージを高めたり、対話を積み重ねていけたらと考えています。

ろう者が暮らしやすい空間「デフスペース」のあり方を探る

——福島のほかに、さきほども触れられていた「デフスペース」のリサーチとして長野県にも行かれたそうですね。

和田:長野の訪問先は、実はわたしの実家なんです。そこに、みんなに来てもらいました。うちは両親がろう者の家庭ですが、母が空間をいろいろ工夫しているんです。例えば、2階にいる人と1階にいる人とが会話ができるような吹き抜けになっていたり、照明をチカチカさせることで相手を呼べるようになっていたり。

デフスペースの研究をされている福島愛未さんによると、「デフスペース」というアイデアは、ろう者の身体にふさわしい建物の空間があるのではないかという観点から、アメリカのギャローデッド大学内の場所をつくる際に、さまざまな人が考え、発見しながらつくり上げていったものだそうです。日本ではまだそこまでこの言葉や考え方は浸透していないようですが、母が10年前に工夫しながら自宅をつくったように、いろんな方のお宅にもデフスペースと呼べるものがあるのではないかと伺って、ぜひ集めていきたいねという話になりました。スタートとして、福島さんと牧原さんを長野に招き、岩泉さんの家族や、福島にいる根本さんともオンラインでつなげたりしながら、みんなで家のなかを見て話をしました。

和田さんの実家のデフスペースをメンバーで視察。撮影:めとてラボ事務局

——岩泉さんのご両親は、参加されてなんて仰ってましたか?

岩泉:なぜわたしの家族が参加したかというと、両親は建築関係の仕事をしているんです。そういう関係もあって、デフスペースを見たかったようです。正直、両親はデフスペースについてあまり詳しくはないのですが、実際の場所を見たことで構造や素材について多くを学ぶことができた、と話していました。

——そうやって、リサーチを通してみなさんのなかに、新しく出会ったものや、身近だったがゆえに気づいていなかった視点、課題がどんどん蓄積されてきているんですね。

メンバー:はい、そうですね。

牧原:さきほども「聴者にも見えないルールがある」と言いましたけれど、わたし自身はめとてラボに参加していて、みんなが当たり前に思っていることをあらためて発見することが多いんですよね。例えば、ろう者の家には廊下がない場合が多い。聴者の家には普通にありますが、ろう者の家には、視界を遮るものがなく、なるべく大きな一つのスペースになっていることが多いので、廊下自体がないんです。それを発見しました。 ほかにも、ろう者と聴者が一緒に会議をするなかで、音声できく言葉と文字で見る言葉は違うんだという発見もありましたね。

会話の「ズレ」、感覚の「揺れ」を体感する

——すこし話が逸れてしまいますが、牧原さんがさきほど、手話の身体性はまだ未開拓な部分があるという話のなかで、新しくつくる場では「言語を超えた非言語」をどんどん取り入れていくのがいいと話されていましたね。これについて、そのイメージをおききしたいです。

牧原:わたしのイメージのなかでは、「言語を超えた」というより、「言語の奥にある非言語」というようなイメージでした。例えば、ろう者の身につけているルールもあれば、聴者のルールもありますが……(しばらく説明するが、取材陣にはうまく伝わらない)。

根本:いまの会話を見ていて、牧原さんの言いたいことを日本語に言い換えるのはすごく難しいと思います。このようなとき、「言語」の限界を感じます。牧原さんが手話で表現している内容を見てわたしはよく理解できるのですが、日本語にするとどうしても違和感が発生するんだと思います。これを通訳するのは大変だと思います。

牧原:手話をわかっている人が見れば、ある手話を見たときに、表現されていない部分も含めて「何となくこんなイメージ」というのがわかることがあるんですね。そういったことは、聴者同士の会話のなかにもあると思います。ただ、それらの暗黙のルールが同じ対話のなかで交わったときにズレが生まれてしまう感覚があって、その「ズレ」って何なのだろうと考えるんです。

和田:牧原さんは『LISTEN リッスン』(2016年)という映画を監督しています。ろう者の音楽=「オンガク」を探求した映画で、身体的なものを視覚的なものに変えていくには何が必要かを考えさせる作品です。わたしが「言語の奥にある非言語」という話からイメージするものは、この変換において何が必要なのかと考える、その感覚と似ている気がします。

その映画に映される「オンガク」は、ろう者が身体のなかにもっているリズムや衝動のような感覚を表現したものです。 同じように根本さんはよく哲学の話をするのですが、そこでも対話を重ねていくなかで言葉の「意味」が発見されていく感覚があるそうです。めとてラボのような場では、みんなでそうした「奥にあるもの」の共有の仕方についても考えることができると思います。

根本:いまのやりとりにも表れていましたが、ろう者が聴者と話す場において、どのようにバランスを取るのかはすごく難しいですよね。

和田:聴者は普段自分のなかに、日本語でも英語でも、音声言語という安定した立ち位置がありますよね。でも、その立ち位置が、手話に出会ったときに、揺れる感覚があると思うんです。それを体感するのは、すこし苦しい思いをするかもしれないですけど、出会ったあとの視野が広がる感覚もあると思います。

難しいですけれど、お互いに自分の立ち位置の揺れを体感できるというか、そのような揺れから、お互いの気づきにつながったりとか、自分たちの言語とは何かっていうのを発見することにもつながっていくのでは、と思っています。

——「揺れ」というのはとてもよいキーワードですね。和田さんが冒頭に話された、自明のものとされている「伝える/伝わる」を「発明する」、という話ともつながると思います。そして特に聴者にとっては、その自明性を点検することは、自分の言語の足場が揺らぐような体験になりますね。

牧原:わたしは自分の活動では、ろう者が聴者のルールに沿うのではなく、むしろ、聴者にろう者のやり方を共有していくことができたらと考えています。

もしかしたら聴者は、そこで知る新しい文化ややり方に戸惑いを感じるかもしれません。けれどもわたしは、みんなのなかの「当たり前」が壊れていくことは、お互いにとってよりよく生きることへの第一歩だと思います。ろう者っていうのがいままでイメージしていたのとはまた違うんだとか、聴者っていうのはこういうものなんだっていう理解を自分のなかで更新していくことが、大切だと思います。

和田:何かと出会ったとき、最初に感じる「揺れ」って苦しいですよね。でも、その奥に広い世界があるかもしれない。自分に合う、何かいいやり方があるかもしれない。

誰かの身体との出会いを通して感じるその広がりは、本の文字の奥に広がる空間とも近いのかもしれません。身体を通した出会いのなかで、思い込みを超えたその奥に新しい世界が広がっていく。 そういうことをお互いにできたらいいなと思っています。

海外や家庭内のろう文化を収集。未来の拠点にいかしていく

——最後に、今後の活動の予定をおききできますか?

和田:自分たちの拠点について考えるため、まずはデフスペースについてのリサーチや、国内外のろう文化に関する場づくりの事例にも触れていければと思っています。その拠点というのも、実際の空間なのかオンライン上なのか、はたまた、スタジオがいいのか、カフェがいいのか、宿泊できる施設がいいのかなど、いろんな選択肢があるので、どういうかたちが理想的なのかを考えていきたい。いずれにしても、福島で経験したように、みんなでご飯でも食べながら、何かが広がって膨らんでいく、そういう場所ができたらいいなと思っています。

また、実は手話は「消滅危機言語」と言われていて、特に、家庭や日常のなかでの対話、土地ごとの手話というものは記録に残りにくい状況にあるんです。こうした状況に対して、アーカイブの残し方やその活用も考えていけたらなと。いろいろな人に話を
きいたり、一緒に対話を深めていきながら、一歩ずつ着実に歩んでいけたらなと思っています。

Profile(五十音順)

岩泉穂(いわいずみ・みのり)

会社員
1998年生まれ。東京都江戸川区出身。インテグレーション。生まれつきろう者で家族や親戚含め、ろう者に囲まれ育つ。福祉施設の採用関係の仕事・聾学校の乳幼児相談室の相談員として勤めている。「めとてラボ」事務局を担う。

南雲麻衣(なぐも・まい)

パフォーマー/アーティスト
1989年生まれ。神奈川県逗子市出身。大学まで手話を知らずに音声言語のみで育ち、大学で日本手話に出会う。文化施設の運営とアートなどの企画の仕事の傍ら、アーティストとしても活動する。近年は、人工内耳による音声言語と手話の視覚言語を用いた、複数言語の「ゆらぎ」をテーマにし、当事者自身がもつ身体感覚を「媒体」に、各分野のアーティストとともに作品を生み出している。

撮影:齋藤陽道

根本和徳(ねもと・かずのり)

特別支援学校教員/ネギ書店店主
1993年福島県生まれ。特別支援学校の教員として働く傍ら、福島県二本松市にある「カメヤ書店」に書棚「ネギ書店」をもち、SNSでお薦めの本について発信している。手話を第一言語として獲得したネイティブ・サイナー。文章から心象風景を美しく再現する手話表現に定評がある。

牧原依里(まきはら・えり)

映画作家
1986年神奈川県生まれ。ろう者の「音楽」をテーマにしたアート・ドキュメンタリー映画『LISTEN リッスン』(2016)を雫境(DAKEI)と共同監督、最新作は『田中家』(2021)。東京国際ろう映画祭ディレクターや一般社団法人異言語Lab.理事と多岐にわたって活動中。「めとてラボ」相談役。

嘉原妙(よしはら・たえ)

アートマネージャー/アートディレクター
1985年兵庫県生まれ。京都芸術大学卒業。大阪市立大学大学院創造都市研究科(都市政策学)修士課程修了。在学中より企業メセナ協議会インターン、現代アートを中心に展覧会や美術鑑賞教育プログラム、アートプロジェクトの企画運営に携わる。「時の海 – 東北」プロジェクトディレクター、編集など活動は多岐にわたる。「めとてラボ」ではプロジェクトマネージャーとして活動。

和田夏実(わだ・なつみ)

インタープリター
1993年生まれ。ろう者の両親のもとで手話を第一言語として育ち、大学進学時にあらためて手で表現することの可能性に惹かれる。視覚身体言語の研究、さまざまな身体性の方々との協働から感覚がもつメディアの可能性について模索している。近年は、言葉と感覚の翻訳方法を探るゲーム制作やプロジェクトを展開。2016年手話通訳士資格取得。

「めとてラボ」

視覚言語(日本の手話)で話すろう者・難聴者・CODA(ろう者の親をもつ聴者)が主体となり、異なる身体性や感覚世界をもつ人々とともに、自らの感覚や言語を起点にしてコミュニケーションを創発する場をつくるプロジェクト。手話を通じて育まれてきた文化を見つめ直し、それらを巡る言葉や視点を辿りながら、多様な背景をもつ人々が、それぞれの文化の異なりを認めあった上でどのようにコミュニケーションを交わしていくのか、そのあり方を研究・開発している。

https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/what-we-do/creation/hubs/metote-lab/52801/

めとてラボ

誰もが「わたし」を起点にできる共創の場を

視覚言語(日本の手話)で話すろう者・難聴者・CODA(ろう者の親をもつ聴者)が主体となり、異なる身体性や感覚世界をもつ人々とともに、自らの感覚や言語を起点にコミュニケーションを創発する場をつくるプロジェクト。手話を通じて育まれてきた文化を見つめ直し、それらを巡る視点や言葉を辿りながら、多様な背景をもつ人々が、それぞれの文化の異なりを認め合うための環境づくりを目指している。

実績

めとてラボでは、誰もが「わたし」を起点にできる共創的な場づくりを目指し、その環境や仕組み、空間設計などを含めた幅広い視点からのリサーチを続けている。また、活動のなかでさまざまな専門家や実践者と出会い、ヒアリングやディスカッションを通して視覚言語やろう文化を複数の視点から捉え直すことで、これからの活動にとって必要な取り組みを発見しながら実験を重ねている。

2022年度は、拠点づくりのためのリサーチと、手話通訳環境の整備と技術やツールの開発を目指す「つなぐラボ」を行った。自らの身体や言語を見つめ、それに合う空間を設計していくことは、それらを肯定していくプロセスでもある。拠点づくりでは、“ろう者の身体感覚や手話言語からなる、会話空間を起点とした空間設計があるのではないか”という視点から、アメリカにあるろう者のための大学・ギャローデット大学の取り組みから生まれた「デフ・スペース」に着目。国内にあるデフスペースを再発見すべく、拠点や文化施設、各地域のろうコミュニティのリサーチのため、福島、長野、愛知を訪れた。2023年度には米・ギャローデット大学と筑波技術大学大学院にてデフスペースデザインの研究をしていた福島愛未を招いたイベントを行ったほか、一般社団法人日本ろう芸術協会とともに西日暮里に新たな拠点「5005(ごーまるまるごー)」をオープン。内装や什器の設計においても、デフスペースリサーチで得た知見を取り入れている。
2024年度には「5005開放日」を開始。毎月3日間ほど誰もが来られる日を設定し、ワークショップや勉強会なども同時に行ったほか、年度末には展覧会「DeafSpace Design ろう者の身体×家」を開催。写真や映像の展示、トークなどを通して、空間を見渡せる吹き抜けの構造や、工夫された照明の配置など、「見る」ことを中心にデザインされたデフスペースの特徴を紹介した。

手話は視覚を起点としている言語で、音声言語は聴覚を起点としている。そこには、視覚と聴覚のそれぞれからなる言語体系ゆえのリズムや、対話の重なり方、空間の使い方などさまざまなズレが生じる。このズレを意識しながら、いかに共創へと接続するかを模索していくために、手話通訳の現場においてどのようなルールや条件、進め方のリズムが必要なのかを探究し、技術やツール開発を行う「つなぐラボ」を開始した。異なる文化や感覚の間をどのようにつないでいくのかを検討するため、手話通訳者だけではなく、さまざまな言語間の通訳者、翻訳者にヒアリングを行っている。

また、暮らしのなかにある手話をどのように継承し、保存していくのかという観点から、各地に残る地域特有の手話言語のリサーチや、暮らしのなかにある手話の記憶・記録をアーカイブするための取り組みも実施。ろう者の家庭で撮影されたホームビデオを鑑賞しながら対話を行う「ホームビデオ鑑賞会」では、聴者とろう者がともに集い、ホームビデオを見ながらの対話を通して、ろう者の暮らしのなかにある文化や時代の変遷に考えを巡らせている。2024年度にはホームビデオを一般公募するなど、プログラムの運営やかかわりをひらく取り組みも実施。また、こどもの遊ぶ様子を映像で記録し、遊びが生まれる背景を研究する「アソビバ」プロジェクトもはじまっている。

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カロクリサイクル

カロク(禍録)をめぐる表現とネットワーク

各地に蓄積されてきた「過去の災禍の記録=禍録(カロク)」を読み込み、現在に応用するためのプロジェクト。災禍の歴史をたどり、地域の歴史を掘り起こし、それらに向き合う人々と出会い、話し合い、ワークショップや展示を通じて表現を行う場をつくることから、災間期をともに生きるためのネットワークづくりを目指している。

実績

東日本大震災以降、仙台を拠点として、災禍にまつわる記録を活用し、体験を語り継ぐための実践を行ってきた一般社団法人NOOK。2022年から活動拠点を東京に移し、これまで培ってきた知識や技術をいかし、災間期を生きるためのアートプロジェクト「カロクリサイクル」をスタートさせた。

2022年度は、「リサーチ」と「ネットワークの形成」を主軸として、事業発信やワークショップを実施。都内の災禍にまつわる歴史を探るため、東京都慰霊堂や都立第五福竜丸展示館など戦災や震災、水害等に関する施設への訪問やまち歩き、活動関係者へのヒアリングを行い、そこで得た気づきや考えをnote『カロク採訪記』で定期的に発信。ワークショップ参加メンバーも執筆に加わり、さまざまなネットワークが広がりつつある。オンライン番組『テレビノーク』では、各地の災禍のリサーチや記録活動に携わる担い手などさまざまなゲストを迎え、知見や技術を共有し合う場をつくった。

また、過去の記録に触れたり、実際にリサーチや記録したりする活動を通して、新たな表現をつくるワークショップ「記録から表現をつくる」も開催した。絵画やテキストなどの記録物から表現を試みている実践者とフィールドワークを行ったり、参加者が関心のあるテーマを設定し、参加者が関心のあるテーマを掘り下げながらリサーチや制作を進め、記録から生まれる表現を探ったりすることに挑戦。2023年度からは参加者有志が、その成果を発表する展示も行っている。

そのほか、ふたつ以上の土地をオンラインでつなぎ、同時に映像や本などの資料を見て、ディスカッションを行う「カロク・リーディング・クラブ」や他団体と協働しながら江東区を中心とした災禍・防災・まちづくりに関する勉強会も実施しながら、対話を重ねるための場づくりと地域に根ざしたネットワークづくりを試みている。2023年度には東京と名古屋をオンラインでつなぎ関東大震災と伊勢湾台風の記録を読んで対話を行ったほか、「てつがくカフェ」を開催した。

2023年度からは江東区・大島四丁目団地内に構えた拠点「Studio 04(ぜろよん)」を中心に活動している。「窓」を巡る語りと写真で構成した展覧会「とある窓」では、公募で集まったリサーチャーは地域の人たちに話を聞き、文章にまとめ、展示用の冊子づくりまで行った。
2024年度に実施した展覧会「現代・江東ごみ百鬼夜行」では、区の歴史やごみに関する資料、新たに創作した物語などを展示。家庭のごみを持ち寄り「おばけ」をつくるワークショップを実施すると、会場にはこどもたちが制作した「ごみおばけ」が増えていった。展覧会の様子は江東区のLINEや情報番組などで地域の話題として取り上げられた。開室日には、企画目当ての人だけでなく、近隣のこどもたちや外国籍の住民なども、本棚にある本を読んだり、おしゃべりをしたりするなど、さまざまな過ごし方をしている。

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KINOミーティング

異なる「ルーツ」と出会い、協働の場をつくる

海外に(も)ルーツをもつ人々とともに、都内のさまざまなエリアで映像制作を中心としたワークショップを行うプロジェクト。背景の異なる人々との出会いや対話を軸とした映像制作を通して、新たなコミュニケーションや協働のあり方を発見する場をつくり出す。また、参加者が主体的にかかわれるプログラムの研究・開発も目指している。

実績

団体が過去に実施した映像制作のプロジェクト「Cross Way Tokyo―自己変容を通して、背景が異なる他者と関わる」と「Multicultural Film Making ―ルーツが異なる他者と映画をつくる」にかかわったメンバーが、ワークショップクルーとして参加者をサポートする体制を構築。経験者が継続してプログラムにかかわれるような仕組みづくりに取り組んでいる。

2022年度は、池袋・板橋・大山・要町を対象エリアとしてワークショップを開催。中国や台湾、タイ、ベトナム、アメリカなどにルーツをもつ7名の参加者が集まった。参加者は3人1組のグループとなって、インスタントカメラや録音機、ビデオカメラを活用し、対象エリアにまつわる「思い出」をテーマに、まちなかでの撮影・編集、上映を行った。お互いがもつルーツや経験、まちへの記憶について何度も対話を重ね、それぞれの価値観を反映させた『変身』『ひみつ』『JST(日本標準時)』という3つの作品を完成させた。

2023年度には、まちを歩きながら、写真と映像、インタビュー音声を用いて映像を制作するワークショップとして「シネマポートレイト」を北区と新宿区で開催。新たに、過去の参加者を対象にした「ステップアップワークショップ」も始動した。参加者が互いの日常生活に密着し、対話を重ねる短編ドキュメンタリーや、「再会」をテーマにしたフィクションづくりにも挑戦し、演技やシナリオ制作、カメラオペレーターなど必要な技術と思考を培う場づくりを行った。ワークショップの最終日には上映会を行い、詩人・管啓次郎と漫画家・かつしかけいた、写真研究者の村上由鶴、行動学者・細馬宏通をゲストに迎え、言語も文化も異なる人々が協働し、作品づくりに取り組む場の可能性について言葉を交わした。

2024年度は過去の参加者を対象とした映画制作を通年で実施。15名の参加者とともに、3つの季節を舞台にしたオムニバス映画『オフライン・アワーズ』を制作するワークショップを行った。それぞれの体験をもとにした脚本の執筆をはじめ、演出、美術、技術、俳優といった役割を参加者が交互に担いながら進行。言語や制作意識の違いによるコミュニケーションの課題にぶつかりながらも、表現の可能性と向き合い、対話による他者との協働のあり方を模索した。3月には東京都写真美術館にて試写会を開催。映画と制作のプロセスを収めた「メイキング映像」を上映し、参加者によるトークイベントも実施した。

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「映像制作」がつむぐ多文化のコミュニティ——阿部航太「KINOミーティング」インタビュー

「映像制作」がつむぐ多文化のコミュニティ——阿部航太「KINOミーティング」インタビュー

2022年度からスタートした「KINO(キノ)ミーティング」は、日本に住む海外にもルーツをもつ人たちが映像制作を行う、ワークショップを中心としたアートプロジェクトです。

さまざまな背景をもつ参加者たちが「撮影チーム」となり、カメラを片手に路上へ。東京のまちを歩きながら、お互いの話をききあったり、自身のルーツや、生活しているエリアやコミュニティとの関係を探りながら、「映像作品」を完成させます。

さらにそこでは、映像制作という協働の場を通じたコミュニティ形成や、参加者が主体的に運営にかかわるワークショップ・プログラムの研究開発も目指されています。

名前の由来は、KINO(ドイツ語などで「映画」の意味)+ミーティング(出会い)。「場所を移動しながら、映画や映像という媒体を使って、そのプロジェクトの過程でさまざまな人々と出会い、対話する」という意味が込められています。

この「KINOミーティング」の運営に携わる、阿部航太(あべ・こうた)さんは、デザイナーで、ブラジル4都市の路上で躍動する人々の姿をとらえた映画『街は誰のもの?』の監督としても知られます。阿部さんに、プロジェクトのはじまりや、これまでの活動についてお話を伺いました。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:前田実津 *1、7、8枚目)

「つくる行為」を通して人とかかわることの可能性

——「KINOミーティング」の活動はどのようにはじまったのでしょうか?

阿部:「KINOミーティング」を共催するアーツカウンシル東京とは、「Tokyo Art Research Lab」で、2020年から、連続する2つのプログラムをご一緒してきました。

その1つは、2020年度の「Cross Way Tokyo—自己変容を通して、背景が異なる他者と関わる」。もう1つは、2021年度の「Multicultural Film Making —ルーツが異なる他者と映画をつくる」です。「KINOミーティング」は、この延長上に生まれた企画です。

一連の取り組みの出発点は、「海外にルーツをもつ人とかかわりたいけれど、どう接していいかわからない。つい尻込みしてしまう」という僕自身の悩みでした。そこで、同じ悩みを感じている人たちに呼びかけ、「何をハードルに感じているのか」などを話しあってみようとしたのが、最初の「Cross Way Tokyo」でした。

——阿部さんはブラジルの路上を取材した映画『街は誰のもの?』も撮っていますが、日本で海外ルーツの方とかかわる際、どんな難しさを感じたのでしょうか?

阿部:2018〜2019年、半年滞在したサンパウロでは、路上にいろんな背景の人たちがいて、その混じり合いがすごく豊かに感じました。もちろん、そこには貧富の差もあり、すべてがいいとは言えないのですが、それぞれの人の「個」が感じられる場所だったんです。

僕はブラジルでは「旅人」で、マイノリティとしてまちにいました。その感覚で日本に戻ると、今度は自分のマジョリティ性が意識され、背景の異なる人と接する際、マジョリティの自分が、マイノリティの相手の背景を知ろうとする行為自体に、強い抵抗を感じるようになりました。相手の背景を消費するようなかたちで、興味本位でただ楽しんでいるような。海外で、さまざまな歴史への自分の無知を感じたことも、躊躇につながっていました。「Cross Way Tokyo」では、その悩みをいろんな人と共有しようとしたんです。

具体的には、集まったメンバーで一緒にまちを歩きながら、異なる背景をもつ人と向き合う際に感じていることをお互いにインタビューしあい、文章、写真、映像など、それぞれ何らかのメディアで表現してみようということを試みました。このとき気がついたのは、人とのかかわり方において「何かをつくる行為」を通して人とかかわることが、自分にとっては一番自然で可能性を感じるということでした。そこで、今度は多様な背景の方と一緒に一本の映画をつくろうと考えました。これが、次の「Multicultural Film Making」につながりました。

「Cross Way Tokyo」第4回、初のフィールドワーク。ライター・エッセイストの金村詩恩さんとともに上野公園や東上野コリアンタウンなどを散策。

おもしろい映像作品を、主体的につくることを目標に

阿部:「Multicultural Film Making」のワークショップは2部に分かれていて、まずは公募で集まった背景がバラバラなメンバーで一緒にまちを歩き、みんなの背景やルーツ、日本のまちに感じることなどをお互いにインタビューしあったり、写真を撮ったりして、一人一本、ドキュメンタリー映像作品としてまとめました。このアクティビティを「シネマポートレイト」と呼んでいます。

「Multicultural Film Making」の「シネマポートレイト」の様子。

その後、台湾出身で、大学で映画を学んだ鄭禹晨(てい・うしん)さんがそれらを束ねて脚本化し、彼女が監督して、みんなで一本のフィクション映画を制作しました。

メンバーはほとんどが映像の素人でしたが、撮影プロセスのなかにはたくさんの気づきがありました。そして何より、完成した作品『ニュー・トーキョー・ツアー』がおもしろかった。参加者のコミュニティもできていたし、ワークショップの方法論としても深めていけそうだと感じたため、これを「KINOミーティング」として続けることになったんです。

——映画という集団制作の現場に、具体的にどんな可能性を感じたのですか?

阿部:一つ大きかったのは、完成した映画を東京都写真美術館で上映してトークをした際、登壇したメンバーが楽しそうだったことです。みんな、主体的にこの制作に臨んでいたことがわかる内容だったんですね。この手の多文化交流プログラムでは、こちらのお題に沿って参加者がただ動いているという構図になりがちですが、ここではそれがクリアできたように感じたんです。

東京都写真美術館で行われた『ニュー・トーキョー・ツアー』1 DAY上映会告知。

また、制作中はそれぞれ撮影や演出などの役割を担うのですが、みんな自分の「作品」だから必死になるんです。映画の現場は監督もいるわけで、決して素朴に「みんな平等」の世界ではない。でも、そこで自分の役割を探り、お互いに補い合うなかでコミュニケーションが誘発され、他人だった人たちがチームになっていく感覚があったんですね。

僕たちはただ「対等なコミュニティ」をつくりたいのではなく、おもしろい作品をつくることを目標にしていました。チームとしてそれができたのが、一番可能性を感じたことでした。

過去の参加者に、プロジェクトを委ねていく

——そうして今年はじまった「KINOミーティング」では、2022年7月、池袋周辺を舞台に最初のワークショップを開催しています。これはどのような内容だったのでしょうか?

阿部:「KINOミーティング」の内容が以前のプログラムと大きく違う点は、東京のいろんなまちで行う点です。初回の舞台は池袋で、その土地に思い入れのある参加者を公募しました。

今回もまず3人1組となって「シネマポートレイト」からはじめました。その後、新たな試みとして、それぞれが制作した映像をグループで見て、3人の共通点を話し合う「トライアングルインタビュー」を行いました。そして、その共通点をテーマにして、今回であれば池袋を舞台に、3人で1本の映像作品を制作するというワークを行いました。

共通するテーマについて議論を深めて、お互いにインタビューをし、どんなカットが必要なのかなどを話し合って、その内容を軸にロケを敢行。編集作業も3人で行います。撮影と編集で3日間、別の1日は上映会。そして、次回はまたほかのまちで開催するという内容です。

——ワークショップ中の参加者の様子は、いかがでしたか?

阿部:活発に議論するチームもあれば、大人しいチームもあり、いろいろです。制作期間も短いので心配しましたが、結果的には『変身』『ひみつ』『JST(日本標準時)』という3つのとてもおもしろい作品が完成して、上映会では終了後も参加者たちが話し込んでその場をなかなか離れないほどでした。いい時間だったんだ、と感じました。

まちで撮影場所を探す、ワークショップクルーと参加者。

実は今回、もう一つ導入したことがあって、以前の「Multicultural Film Making」の参加者のうちの希望者に、「ワークショップクルー」という役割をお願いしたんです。これは僕らと参加者の間に入り、ワークショップのワークをリードしていく役割です。僕らの考えを理解してくれた経験者が、参加者と一緒に創作を行うんです。

僕たちが仕切るという構図は、どうしても制作が他人事になってしまったり、ワークショップ自体も形式的になってしまうため、一番避けたいことでした。そのため、僕はあくまで司会に徹して創作には介入しません。そのように「KINOミーティング」には、経験者がワークショップクルーとしてその後も運営にかかわり、主体的にプログラムを動かしてほしいという狙いもあります。

——経験者が、いわば「先輩」として次回以降の回にかかわることで、そこに横断的なコミュニティもできてくる、と。

阿部:そうです。今回も各組に経験者が一人ずつサポートでつきましたが、完成する作品が自ずと変わるんですね。そんな風に経験者がワークショップを運営する割合をどんどん増やしたいし、そのことで僕らだけではできないプログラムに変化することも、おもしろいと感じています。

体験で終わらせず、「作品」というフレームをもたせる

「KINOミーティング」ワークショップ、編集作業の様子。3組が同じスペースで作業。

——阿部さんは、常に完成した映像を「作品」と呼んでいますよね。ただの記録映像ではなく、参加者が本気でつくるために工夫していることはありますか?

阿部:僕はこのプログラムを「体験」で終わらせてはいけないと考えていて。「本格的なカメラで遊べて楽しかった」だけでなく、おもしろく、周りに評価される映像作品をほんとうにつくってほしい。ただ、それを引き出すには何かの枠組みは必要で、常にゼロから仕組みを設計している。そこが僕らが一番必死に考えている点です。

具体的には、映像をつくるプロセスを結構細かくワークショップ化しています。お互いにインタビューする、本人が街に座っているカットを撮る……など、撮る順番、やらないといけないことがわりとシステマチックにある。実はそれほど自由な現場ではないんです。

そうした枠組み、「型」は、参加者が街を見るときのフレームにもなります。街に座るカットがあれば、座る場所を探さないといけない。そのことが、このプログラムの重要な要素である、「自分と街の関係を見つめ直す」ことのきっかけになるかもしれません。

参加者はその「型」のなかで各自のおもしろさを追求しますが、ルールをきちんと守るグループもあれば無視して突拍子もないことをやるグループもあり、それが興味深いところでもあります。

そうしたルールをどこまで設定するか、枠組みの逸脱をどこまで許容するかなどは僕たちもまだ手探りです。実は僕は、別の制作のために春から高知県に移住していて、現場の設計には深くかかわれていないのですが、ほかのスタッフがすごく頑張ってくれて、何度もテストを繰り返しています。その調整は、今後もしていくことになるのかなと思います。

おもしろい作品は「ノイズ」=「異なる視点」から生まれる 

——ワークショップや上映会後の会話のなかで、阿部さんが特に印象に残っている参加者の言葉やエピソードは何ですか?

阿部:これは参加者を代表する話ではないですが、日本の美術大学に留学で来ているAさんという方がいるんです。彼女が、大学の最初の懇親会に参加した際、日本人の学生はみんな高校時代の「あるある話」で盛り上がっていたけれど、自分はその輪に入れず、どこか別物として扱われた気持ちになったと話していて、僕はそれが妙に印象に残ったんですね。

言い方が難しいのですが、確かに飲み会のような場では、背景が似た人が集まった方が盛り上がりやすく、背景の異なる人が一種の「ノイズ」になってしまうことは起こりがちだと思います。これはワークショップの場も同じ。実際、自分と異なる背景や立場をもつ人、海外ルーツの人向けにプログラムを組むことはとても大変で、考えることが何倍にもなるし、進行も複雑になります。

しかし、そこが「何かをつくる場」になると、その「大変さ」の意味が変わるんですよね。創作の場では、その「ノイズ」は「異なる視点」になる。「作品がよくなる」という次元があることで、その大変さをおもしろさに感じることもできる。Aさんの話は、自分たちがやろうとしている創作という協働の可能性をあらためて感じさせてくれるものでした。さまざまな視点をもつ人たちが主体的にかかわれる場が社会に必要なこともありますが、もっと限定的に「そうした場がないとおもしろい作品は生まれない」という感覚を強くもっています。

——今回つくられた3作品を見て、ここには他者の排除につながりかねない日本における「仲間意識」の強さや、「ただ居る」ことのできない公共空間の問題も映されていると感じました。ブラジルでの経験から、日本のまちのあり方をどう感じられますか?

阿部:確かにブラジルの路上文化は衝撃的でした。それに比べて、日本のまちのあり方に残念さを感じることも事実です。ただ、ブラジルには搾取されて行き場を失った浮浪者の方も多く、また別の問題もある。その意味では、手放しにブラジルがいいとは思いません。

何より、ブラジルで感じたのは「個」がまちを変えているということでした。だから、日本には「個」の弱さを感じるけど、まだ絶望するタイミングではないだろう、と。その状況を変える一つの契機としても、海外ルーツの方の表現活動はあり得ると思っています。

また、これは今回の企画と直接関係はありませんが、僕が高知に移住したのは、以前から関心のあった海外の技能実習生とかかわるためです。高知県土佐市の地域おこし協力隊が、技能実習生と地域住民の交流促進をミッションに掲げていて、僕もその場にいたいと思いました。

映画の協働制作と同様、こうした交流から、たとえ小規模であったとしても、僕が憧れたあの路上文化のきっかけは生まれるかもしれない。そんな淡い期待はもっています。

地域を超えた「クルー(乗組員)」というコミュニティ

——最後に、「KINOミーティング」の今後についてきかせてください。

阿部:前回のワークショップであまり上手くいかなかったことがあって、それは「まち」というものの位置づけでした。僕らは「まち」をテーマにしたくて、池袋に思い入れのある方を集めましたが、その感情は各人でグラデーションがあり、むしろ「まち」を打ち出すことで参加者を混乱させてしまった感もありました。それに、あえて打ち出さずとも映像に自然とまちは映るのだという発見もあった。その扱いをどうするのかは、直近の課題です。

プロジェクトの全体としては、前回は会場などの事情で池袋となりましたが、今後はそのフィールドとプログラムがより密接に関連して、場所ごとに完成作品にも変化が生まれるようなかたちにしていきたいと考えています。

あとはやはり、クルーのコミュニティのあり方を考えていくことですね。幸い、池袋での参加者のなかに、今後もかかわりたいという方たちが生まれましたが、その方たちにどんな立ち位置でかかわってもらうのか、どう企画に踏み込んでもらうのか、いいかたちを考えていきいと思っています。

——いろんな参加者が、地域も超えて、キャラバンのようになったら楽しいですね。

阿部:そうなるといいですよね。最終的には、いろんな地域で開催できたらいいなとも思っています。

いろんな場所のコミュニティとかかわり、その結果、そのコミュニティ同士をまたぐような協働制作が可能になれば、そこから一本の映画をつくることもできるかもしれない。そんな風に、参加者が主体的に運営にかかわることのできるワークショップ・プログラムと、ルーツのバラバラな人たちがつくる新しくておもしろい作品の可能性を、今後も考えていけたらと思います。

Profile

阿部航太(あべ・こうた)

デザイナー/文化人類学専攻
1986年生まれ。廣村デザイン事務所を経て、2018年よりデザイン・文化人類学を指針にフリーランスで活動を開始。2018年から19年にかけてブラジル・サンパウロに滞在し、現地のストリートカルチャーに関する複数のプロジェクトを実施。2021年に映画『街は誰のもの?』を発表。近年はグラフィックデザインを軸に、リサーチ、アートプロジェクトなどを行う。2022年3月に高知県土佐市へ移住。

KINOミーティング

海外に(も)ルーツをもつ人々とともに、都内のさまざまなエリアで映像制作を中心としたワークショップを行うプロジェクト。背景の異なる人々との出会いや対話を中心とした映像制作を通して、東京の「まち」や自身や他者への「ルーツ」について新たな視点を獲得する機会をつくり出す。また、コミュニティの形成や参加者が主体的にかかわれるプログラムの研究・開発も目指している。
https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/what-we-do/creation/hubs/kino-meeting/52795/

テレビノーク

東日本大震災以降、仙台を拠点として、災禍にまつわる記録を活用し、体験を語り継ぐための実践を行ってきた一般社団法人NOOK。2022年から活動拠点を東京に移し、これまで培ってきた知識や技術をいかし、災間期を生きるためのアートプロジェクト「カロクリサイクル」をスタートしました。

オンライン番組『テレビノーク』では、各地の災禍のリサーチや記録活動に携わる担い手などさまざまなゲストを迎え、知見や技術を共有し合う場をつくります。

詳細

放送日時

2022年7月より、月1回程度配信

視聴方法

番組はYouTubeチャンネルでのライブ配信とアーカイブ映像の視聴が可能です。

関連リンク

「テレビノーク」のレポートをカロクリサイクルの公式noteで公開しています。