ウェブでしかできない「過剰」なアプローチも大切に。編集とデザインで施した工夫。|「東京プロジェクトスタディ アーカイブサイト」制作振り返り座談会(後編)

大切な瞬間が、言葉が、流れてしまう。プロセスを重視するアートプロジェクトにおいて、「記録/アーカイブ」は常に悩ましいテーマです。アーツカウンシル東京の人材育成事業「Tokyo Art Research Lab(TARL)」でも、これまでに記録に関するさまざまな試みを重ねてきました。

その一環で2019年6月に公開された「東京プロジェクトスタディ アーカイブサイト」は、「東京プロジェクトスタディ」の取り組みを残すために制作したウェブサイトです。

創作の現場に伴走するアーカイブとは、どのようにあるべきなのか。どのような形で残せば、記録として役立つのか。アーカイブサイト構築を手掛けた、5名のクリエイターとアーツカウンシル東京の担当者と共に、試行錯誤に満ちた制作過程を振り返りました。

前編では、東京プロジェクトスタディというプログラムの独特の進み方と、その記録の難しさ、試行錯誤に触れました。そして辿り着いた「タイムカプセル」という方針。ここからは具体的にアーカイブサイト構築の考え方、つくり方に触れていきます。

学校の教室のような部屋の中、壁に大きな本棚が設置されている。その前に7人のメンバーが机を囲んで座り、笑いながら話している
個別でリサーチしてきたウェブチームと編集チームが合流したあたりから、ビジョンが見え、ぐっと勢いがついたという制作メンバー。「ウェブサイトの先に人間がいることを具体的に想像できるこのチームなら、やれると思った」と、編集の川村庸子さんは振り返る。

■サイトのレイヤーを分けることで、よそ行きの顔と、個人的なことを安心して残せる場所を設計

坂本:2019年2月に東京プロジェクトスタディの1期目が一度完結して、3月からいよいよ具体的にアーカイブサイト制作がはじまりました。議論のなかで、萩原さんの過去事例を参考にしたりしましたね。

萩原:ひとつは、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)で2012年に開催された展覧会「インターネット アート これから」のトークアーカイブの考え方ですよね。あの企画では、トークイベントの議事録をほぼ編集せずに、そのまま掲載しました。そうすれば、それこそ何年後かに誰かが引用したり、リファレンスができるかもしれない。だから、とにかく残すという方針に賛成だ、みたいな話をチームでしましたよね。

坂本:同じく萩原さんが手掛けられた「蔦屋書店のおみやげ」サイトの構造なども、参考にしました。突き進みたかったら、どんどん深く潜っていける情報サイト。そういうレイヤーを分ける考え方を採用しました。

東京プロジェクトスタディのウェブサイト画面のキャプチャ画像。概要と、5種類のスタディを並べて一度に見ることができる
東京プロジェクトスタディ アーカイブサイト」のトップページ。「すべて」ボタンをクリックすると、5つのスタディのタイムラインが俯瞰して見られる。

川村:今回のアーカイブサイトで、レイヤーは一番の肝だなと思っていました。些末なやりとりとか、ちょっとした気付き、感情の動きなんかを人に見られるのって、恥ずかしいじゃないですか。ほかの人から見たら宝物だったりするんだけれど。そういったテキストや資料を安全に残してあげたいと思ったときに、レイヤーを潜っていくようなサイト構造が良かったんです。

アーカイブサイトを家に例えると、タイムラインがリビング。いろいろな人が出入りするところ。ダイジェストで「いつ、何があったか」が見られる。そして、開催日ごとの記事は個人の部屋のような場所で、ちょっとプライベートなものが載っている感じ。文体がバラバラな個人の記名記事があって、手づくりの資料やメールもごそっと保管されている。だから関心のある人はどんどん奥に進めるけれど、その手前にはひとつドアを挟んで、ノックは必要にする構造というか。

萩原:いい表現ですね。

スタディ1のタイムラインを拡大した画面のキャプチャ。タイトル、写真、概要を見ることができる
スタディごとにタイムラインを拡大することで、ここからさらに詳細な資料に潜っていくことができる。

■個人の資料はできるだけ生々しく。最低限の編集で工夫する

川村:全体像を把握したい人にきちんと情報提供をしつつ、書いた人の私的な感情を守る。それを同時に成立させたのは、このアーカイブサイトの一番の特徴かなと思っています。実は、あのトップのタイムラインにだけ、表記ルールもつくりました。そしてよく見ていくと、なかの記事は結構雑多なんですよ。

高橋:そう、個人に紐づく資料は最低限しか編集していません。なるべく手を入れないようにしました。タイトルとかフォーマットの整理だけして、生々しさとか空気感とか、そういうのをなるべくそのまま缶に詰めて保存するようにしたかったんです。スタディ内で交わされたメールなんかも格納しました。メールのやりとりのなかで交わされている言葉が、後の活動に効いてきたりするので大切な資料だと考えて。

井山:実際のメールを掲載したのは斬新でしたよね。サイト上での見え方も、メールっぽいデザインにちゃんと仕上げました。なるべく生っぽく。

坂本:多種多様な資料や記録を載せようと決めたからこそ、生っぽく残すことと編集の手が入るバランスはとても気を遣いましたね。今回のアーカイブサイトでは、一般的なウェブサイトよりも、「どんな素材があるか」から生み出された特殊なデザインテンプレートの種類が多かったのではないかな、と思います。そのあたりはやっぱり大変でしたか?

井山:大変でしたね。そもそも全体のデザイントーンをすごく考えて。そして、何が重要かというと、読みやすいとか分かりやすいとか、ユーザーにとって親切であるということを大切にするべきだなと考えました。だからなるべくフラットで、親しみやすい色合いでとか、そういうところに気を遣いました。あと、一番苦戦したのは、大中小の3種類ある記事カテゴリのうちの「小記事(つぶやきや気付き)」です。つぶやきのような言葉を収めるフォーマットなんですけど。

坂本:小記事は、かなりデザイン案のバリエーションを出していただきましたよね。なかなか形が決まらなくて。スタディのなかでの個々人の「つぶやき」を見せたかったんですが、それらが並ぶことで連続した「会話」のように見えてしまうのは避けたかったんです。そこのデザインが、表示の仕組みも含めて難しいと言われていましたね。

井山:そういう細かいディテールとかの調整をデザイン側では結構頑張りました。

プログラム参加者の感想や、実施中に出たコメントなどが3つ並んでいる
「小記事」のつぶやきを表示するデザインは技術面も含めて難しかったそう。デザインも含め、ひとつひとつ、小さなディテールを詰めていくことで、多種多様な記録を載せることができた。

■ウェブでしかできない「過剰」なアプローチを大切に

坂本:全スタディのタイムラインを縦に並べて全体像を見せつつ、個別のタイムラインにズームしたり、俯瞰したりを行き来できる仕組みもなかなかユニークですよね。あのアイデアはどこから出てきたんですか?

萩原:僕はウェブをつくるときにSNSとも、紙媒体とも違う、ウェブらしいことをしようと心がけています。たとえば、2万字載せたかったら2万字そのまま載せられるのがウェブ。ある種過剰なアプローチを取れるのがウェブのいいところ。だから、今回、すごく長い時間をかけて議論してきた人たちが5チームいるわけで、その情報をそのまま縦に並べちゃえば、長さで表現できるかなと考えて。

アーカイブサイトには、大記事、中記事、小記事という3レベルがあります。定期的な活動日の記録は大記事に、それ以外の派生・関連企画の記録は中記事に、活動のなかでの気付きや個人的なことに関しては小記事に。そうやってそのまま情報をウェブに入れていくと、5色のタイムラインが長さ違いで隣り合わせになって見える。これは雑誌のような媒体ではできない、ウェブらしい情報の表現の仕方かなと考えました。

坂本:あのアイデアを見せてもらったとき、制作チームみんなで「これだ!」となりましたね。5つのスタディが並走しているというところを見せたい、でも個別の活動にも目を向けたい。そのすべてが叶えられたアイデアでした。

川村:そうなんですよね。私はやっぱり編集者だから、ひとつひとつのタイムラインの精度にすごくこだわっていたんです。その上で、複数の時間の流れとそれぞれのスタディの歩み方を同時に見せたい。どうしようかなと思っていたら、萩原さんが魔法のようにバンッと形にしてくれて。

机の上の資料をのぞき込む、萩原さんと井山さん

■ウェブには縦軸と横軸、ふたつの導線がある

萩原:ウェブは縦軸、横軸をすごく意識するメディアなんです。たとえば、ツイッターも時系列で並ぶ縦軸のメディアですが、ハッシュタグは横軸の考え方です。ウェブでは、時間を積み重ねていく縦のUI(ユーザーインターフェース)と、文脈を移動する横のハイパーリンクとが必ず存在しているんです。

今回は、スタディごと、普通に5ページに分けてつくっちゃうと、異なるものがただ5個存在している感じになっちゃって、リレーションを感じない。5個の軸がどういうふうに動いていて、どう関係があったのかみたいなものをハイパーリンクではなく、レイアウトと動きそのもので表現できたら、横でつながっている感じは出るのかな、と。キーワードやタグみたいなもので移動をする方法は、もう少し考える余地があったのかもしれないけど。

井山:あれは、萩原さんが「こうしたらいいじゃん」みたいに突発的に生まれたアイデアでしたね。技術的にチャレンジングな部分はあって、実現の課題はありましたけど、とりあえずやってみようみたいな感じで。

坂本:その雰囲気がいいなと思いました。やれるか分からないけれども、ちょっとやってみようというチームプレーで、どんどん組み上がっていく。ウェブチームでの役割分担はどんな感じだったんですか?

プログラミング担当 多田ひと美(以下、多田):私がパーツというか、モジュールごとにプログラミングして、それを萩原さんがまとめていくようなつくり方ですよね。

萩原:レゴブロックの長いブロックとか、ドア付きのブロックとか、ヤシの木のブロックみたいな、ああいうのをひたすらどんどん多田さんにつくっていってもらって、それを僕が工場のように来たやつをまとめていくんです。ダイナミックに組んでいくところはだいたい僕が担当です。もともと多田さん自身も、アーティスト活動をしていて、スタディみたいなことをテーマに制作していたから、今回声がけしました。

多田:そうです。個人的にもそういうアートプロジェクト的なことをやってきたので、すごく面白い取り組みだなと感じて。萩原さんは常に挑戦しようとする方だから、私も新しい刺激やモチベーションをいただきました。

萩原:そういうメンバーだったから、良かったんです。「こんなことをやる必要はあります?」みたいな空気にはもちろんならないし。コンセプトに共感してくれているプログラマとデザイナーなので。

ウェブサイトの制作について、身振りを交えて振り返る、プログラマの多田ひと美さん
多田ひと美。GRANDBASE inc.プログラマ、フロントエンドエンジニア。映像、音、テキスト、画像、会話などを用い、インスタレーション、パフォーマンス、コラボレーション活動などを行うアーティスト「tadahi」としても活動。本プロジェクトでは、プログラミング部分を担当した。

■記録を引き出すタイムラインづくりとヒアリングを重ねた

川村:そんなふうにいい連携ができるウェブチームだったので、今回は編集が全体の舵を取ってやっていくというよりは、基本的な考え方を共有したあとは、編集とデザインを同時に進めて、互いにつくったものを持ち寄って調整するやり方にしました。

坂本:そこからそれぞれのスタディを担当しているスタマネのヒアリングに入りましたね。編集チームとアーツカウンシル東京のメンバーとでヒアリングをして、スタマネにはタイムラインをつくる宿題をやってもらって。

萩原:こういう編集的な動きは、ウェブチームだけではとてもできないので、すごく頼もしいと感じました。

川村:タイムラインづくりは案外大変でしたね。まずは坂本さんがスタマネをされていて、なおかつ記録素材の量と種類が豊富だったスタディ2からつくりはじめました。そして、テキストとアーカイブする資料のサンプルをウェブチームに渡して、フォーマットを組んでもらっている間に残りのスタディの素材を集めるという流れです。

タイムラインの記憶が曖昧で、素材集めに苦労したスタディもありました。そういうときはヒアリングして、「それは面白いですね」「この情報は資料になるんじゃないですか」「じゃあ、誰々に執筆を依頼しましょう」というようにひとつずつ決めていった。そうやって私は全体を見ながらあったらいいなと思うものを掴んでいくんですけど、高橋さんはそれをさらに内側の視点で精査してくれて。たとえば、参加者のプライバシーに配慮して、ご本人の気持ちを損なわない見せ方を提案してくれました。

高橋:3月、4月は、それをひたすら繰り返していましたね。編集としても、このアーカイブサイト全体で必要なデータのトーンが、だんだん分かってきたので、後半はそんなに大変ではなかったです。

坂本:スタマネ側もそうしたやりとりを重ね、何を素材として渡せばいいか、より具体的に掴めてきた感じでした。

川村:もちろん、素材集めにベストは尽くしますが、出来上がってみての情報量はやはり違う。でも、資料がないということも情報であり、価値なんですよね。他のスタディにはあるのに、あるスタディにだけないものがあったとしたら、そこには何かしらの事情があったということ。それは、残しがたい言葉や資料になる手前の何かがあったかもしれないというサイン。運営上の課題が浮かび上がってくる場合もあるでしょう。だから、必ずしも資料や記録がないことがネガティブなことではない。そうしたことも可視化できるデザインになったなと思います。

アーツカウンシル東京 岡野恵未子(以下、岡野):掘り下げていくとディテールが見えるデザインにしたことで、顔として見えているトップのタイムラインページは、どのスタディもほぼ同じ密度で並んで見えますもんね。よく見ていくと、ここだけちょっと資料が少ないというのはあるんですけど、顔の部分をしっかりつくったからその情報量の差を残したまま実現できました。

ウェブサイト制作について振り返る、アーツカウンシル東京スタッフの岡野恵未子さん
岡野恵未子。アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー。アートプロジェクトの現場に伴走するほか、Tokyo Art Research Labの研究開発プログラム等を担当。本プロジェクトでは、制作アシスタントとして調整役を務めた。

■データとデザインの両方で調整を重ねていくほうがいい

萩原:そうやって、編集チームが頑張ってくれている間に、ウェブチームではデザインやプログラムをつくり、多田さんに入力の仕組みを全部つくってもらって。

川村:それから素材を入力した状態でデザインを調整してくださった。編集としては、編集し切っていない、いわば“半生”のまま素材を渡せて、手を動かしながら進められたことはとてもありがたかったですね。

萩原:でも、それをしないとやっぱり、いきなりお互いに完璧にはならないと思うんですよ。素材というかデータ側で調整してもらうこともあれば、入らないときはこっちのデザインを調整して……とかをやったほうがいい。この進め方ができて良かったですね。

坂本:そうやって、3月ぐらいから本格的に制作に向けて動き出して、6月にサイト公開だったので、本当にタイトなプロジェクトでした。本来ならもうちょっと時間が欲しいぞというところを、2019年度のプログラムの募集タイミングに合わせてキュキュッとやっていただいたという感じで。

萩原:準備期間として1年ぐらい議論は重ねてきつつも、結局2月に発表会があって3月の年度末を越えてから、制作キックオフといった感じだったので、開発期間はギューッとしてましたね。

プログラムの実施内容を時系列でまとめた手書きのメモ

■使われ、残るアーカイブサイトであるために

坂本:本当にお疲れさまでした。この座談会も前半の構想の話が長くて、制作の話が駆け足でしたが、まさにプロジェクトの流れも同じでしたね。最後に、それぞれアーカイブサイト構築の初年度を一度終えてみての感想というか、考えていることを教えていただけますか。

萩原:すべての情報が揃って眺めてみると、もうちょっと文字や、動きが調整できると思うし、消化不良な部分もあります。それは次のリニューアルで改善したいですね。プロジェクトとしては、こういう抽象的に進んでいくプロセスを編集の方と一緒につくれたのが面白かったです。残したいという運営側の気持ちと、どっちでもいいみたいな、どっちかというと残されたくないというプレイヤー側の気持ちと、間をうまく編集していくということはすごく繊細な作業。僕はつい運営側に寄ってしまうし、ご一緒できて良かったです。

そして、本当に3年後とか10年後にタイムカプセル的にこのアーカイブサイトが残っていって、ちゃんとリファレンスされるといいなと思います。ただ、ウェブサイトは意識的に残さないと残らないもの。たとえば予算がないから誰も管理しなくなって、システムもいつか動かなくなって……と、すぐになくなってしまう。継続的に残るような仕組みや管理の所在をしっかりする必要を感じます

井山:僕も、デザイン面ではもうちょっと調整をしていきたい。経験としては、コンテンツ整理の段階からここまで深く関わっていくというのは初めてのことでした。編集チームの動き方とか提案の仕方、そういうことを知れて面白かったです。勉強になったし、それが一番の収穫でしたね。

多田:楽しかったです。私は美大出身なんですが、学生のときから作家だけ集まって展覧会をやるようなことを重ねてきました。でも、こうやって運営の人がちゃんといたりとか、編集の人とか撮影の人とか執筆者とか、そういういろいろな人と一緒につくるアートプロジェクトに関われたことがいい経験でした。

川村:私は立場上、プロジェクトのリーダーシップを取ることが多いんですが、役割の異なるメンバーと同時にひとつの山を登るような進め方をできたことはありがたかったです。ひとつのことを違う角度から話し合ったり、自分が編集的に悩んでいることを、デザインやプログラミングの視点で解決してもらったり、コレクティブ的につくれたのは面白かった。

紙媒体と違い、ウェブサイトは、未完成のまま走っていくような生き物。次年度以降、どうやって使ってもらえるかがすごく気になっています。欲を言えば、もっと大量に資料が欲しいし、テキストの書き方もいろいろあっていいと思う。現状はあくまで器なので、その器をそれぞれが自由に使ってもらえるような状態になったらいいですよね。そのために、いまアーカイブの心得を記したマニュアルを用意しているところです。

高橋:私自身は、スタディ4のチームにいたから、どこまで公開するかというのは結構難しく感じていました。誰がどういう発言をしたのかをどこまで載せるのかとか。でもそれがこういう形に着地したことで、ひとつの残し方が見えた気がします。

結果、情報量がとっても多いアーカイブサイトになりましたよね。それは最初から意図した「過剰さ」でもあるし、量があることで出てくる質みたいなものとして、見てくださった方が感じてくれれば嬉しいです。

坂本:東京プロジェクトスタディ全体の動きにも重なるのですが、こんなふうに、どう出来上がっていくのかが見えないものと向き合って、人と人とが対話を重ねながら形にしていくということが何よりの価値だと考えています

だからこのアーカイブサイトを通して、「自分もこんな時間の使い方や、物事との向き合い方をしてみたい」という人が現れたら嬉しいですね。新しい出会いや発見が、このアーカイブサイトを通して起こることに期待しています。それも押し付ける形ではなく、アーカイブを通して空気や雰囲気が伝わっていくような、出会いの入り口になればいいな、と。みなさん、本当にありがとうございました! ひきつづき、よろしくお願いいたします。

手前左側から多田さん、井山さん、坂本さん、萩原さん、岡野さん、川村さん、髙橋さんが、机を囲みながら座っている
2019年10月29日。レクチャールーム+アーカイブセンター「ROOM302」にて収録。

前後編にわたりお届けしてきた「東京プロジェクトスタディ アーカイブサイト」の振り返り座談会。創作のプロセスが多様であるように、その創作に伴走する記録やアーカイブの形もまた多様だということを確認した2時間半でした。アーカイブに関わる試行や実験もまた、ひとつの「スタディ」として共有できたなら幸いです。

座談会では、2018年度の東京プロジェクトスタディについて話してきましたが、2019年度もプログラムは続いています。もちろん、2019年度のアーカイブも近々公開される予定ですので、ぜひご覧ください。

東京プロジェクトスタディについてはこちら
東京プロジェクトスタディ アーカイブサイトはこちら

(撮影:加藤甫)

OUR MUSIC 心技体を整える

公共空間で音楽を展開するために、専門家の視点を交えて手法を探る

公共空間で「音楽」を展開するために、必要な条件とは何だろうか? 音楽が頻繁に用いられるアートプロジェクトやイベントをオープンな空間で実施する上で、周辺環境とどのように共生することができるだろうか?

東京プロジェクトスタディ2018「Music For A Space 東京から聴こえてくる音楽」でナビゲーターを務めた清宮陵一(VINYLSOYUZ LLC 代表/NPO法人トッピングイースト 理事長)が、公共空間で音を出す際の条件について、まちづくり、医療、法律、宗教、サウンドにまつわる5名の専門家へインタビューを行います。

飯石藍さん(公共空間プロデューサー)、稲葉俊郎さん(医師)、齋藤貴弘さん(弁護士)、近江正典さん(僧侶)、ZAKさん(サウンドエンジニア)の多角的な視点を介して得た現場に応用可能な論点を、公開編集会議を行って一冊にまとめます。

詳細

進め方

  • ゲスト5名のインタビュー
  • 公開編集会議

文化政策の流れを比べてみる~「10年単位」で起こること

第2回 文化政策の流れを比べてみる~「10年単位」で起こること

開催日:2019年9月17日(火)
ゲスト:鬼木和浩(横浜市文化観光局文化振興課施設担当課長〈主任調査員〉)
ナビゲーター:佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

東京アートポイント計画の10年を考えるレクチャーの第2回は、文化政策の意義や影響関係について考えます。横浜市文化観光局文化振興課施設担当課長で主任調査員の鬼木和浩さんをゲストに、他の自治体や国の歩みと比べることで、持続的な文化事業を実施するための文化政策について、ディスカッションします。

■東京アートポイント計画と文化政策

2009年から始まった東京アートポイント計画は、東京オリンピック・パラリンピックを見据えた東京都の文化政策においてスタートしました。今回のレクチャーはその「政策」としての側面に注目します。最初にナビゲーターの佐藤李青が、東京アートポイント計画と文化政策の関係について話しました。

「東京文化発信プロジェクト室」という組織のなかで生まれた東京アートポイント計画でしたが、現在は「アーツカウンシル東京」の一事業となっています。2020年の東京オリンピック・パラリンピックが2013年に決定したのち、東京都は「東京文化ビジョン」という文化戦略を打ち出し、そのもとに東京文化発信プロジェクト室はアーツカウンシル東京と組織統合しました。

そもそも「文化政策」とは、文化を対象とした「政策」のこと。その担い手は「政府ばかりでなく、市民や芸術家、企業などいろいろな主体がある、というのが近年の考え方」だと言います。「東京アートポイント計画」には、「公的な事業には裏付け(意図)として文化の『政策』があった」と佐藤は語ります。その視点で東京アートポイント計画の特徴を見ると、「創造活動や市民参加などを事業対象にしている」こと、また「オリンピックや災害などの社会事象をテーマに事業に取り組んでいる」こと、そして「23区や多摩・島しょ地域などの地域区分が織り込まれている」ことなどがあげられました。

もう一つ「10年が経つと、政策の対象も再定義が必要になるかもしれません」と続けました。それは、たとえば10年前に事業の対象として想定していた「市民」の意味と現在の「市民」の意味は変わっているのではないか。社会状況が変わるなかで、政策自体の再定義も必要ではないか、と話しました。

■書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために 東京アートポイント計画2009-2018』から

次に、今回の本題となる鬼木和浩さんによるレクチャーでは、国や自治体との比較から文化政策が語られました。横浜市の文化観光局文化振興課に16年間勤める鬼木さんは、書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために』を読み、印象に残ったこととして5つのことをあげました。

1.「10年」という単位を提示している
「アートプロジェクトのドキュメントは、プロジェクトについての記述が大半ですが、それらを包括し、東京アートポイント計画全体の時間軸を提示したことは、これまであまり例がないでしょう」と鬼木さん。10年かけてつくってきたことが、きちんとこの本のなかで示されていた、と評価しました。

2. 手法をあますところなく見せている
「ここまで手の内を見せてくれるんだというくらい」、手法が詳細に書かれているのは「(この本の著者でもある)プログラムオフィサーが、それぞれの事業に深く関わっているから」だと言います。特に、公式な関係ではなく何かあれば手伝ってくれる人(本書では「折に触れて手伝う人」と記述)を発見したり、イベントの周りで盛り上げている人について描写されていたり「何が起こっているかをよく見ているなと思いました。その発見の過程も書いてあることに感心しました」と話しました。

3.「自治」という視点をもっている
本書のなかで「アートを媒介にしたコミュニティが、自治の基盤となるという記述があった」という指摘がありました。この「自治」という視点は、後半の鬼木さんのレクチャーでも重要なキーワードとなりました。

4.「千の見世」の「1000」はどうするのか
さらに鬼木さんは、東京アートポイント計画の構想時に打ち出された「千の見世」という事業名にある「1000」という数字に注目しました。ご自身の行政という立場からも「1000という数字の達成をどう考えるのか」と心配されました(この点に対して、後のディスカッションで佐藤から、細かいプログラムの数え方が話題にあがりました)。

5. 総合的な文化政策への視点はあるか
そして、最後に具体的な記述への言及がありました。「文化政策を4期に分けていた記述がありました。『第1世代 ハコをつくる』『第2世代 ハコにソフトを付加する』『第3世代 ハコ抜きのソフトをつくる』『第4世代 これまでの成果から東京アートポイント計画を再定義する』という議論がありました (*)が、第4ステージでのとらえ方はハコがいらないという話ではないので、文化政策を総合的に考えるとどういうことなのだろう、と今日聞いてみようと思いました」。この問いかけに、佐藤は「世代という言い方は前にあったものを『ない』と考えるのではなく、その時代の課題を踏まえたなかで、現在をどう捉えるか、という意図があった」と応答しました。

*146〜157頁に再録した「第4部 鼎談:結果を踏まえて」『東京アートポイント計画2009-2016 実績調査と報告』での議論。

■戦後70年の国と自治体の文化政策

次に、戦後70年の国と自治体の文化政策を10年単位でたどっていきました。10年続く「東京アートポイント計画」は日本の文化政策の歴史のなかで、どのような位置にあるのでしょうか。

1949年から1958年
戦後、復興と民主化が叫ばれた時代に「文化」は大きなキーワードでした。1947年、市民の文化活動を支える部署「民生局文化課」を立ち上げた横浜市。戦後、文化政策を着々と進めるこうした自治体に対し、国は戦時中の「文化統制」に対する反省から「文化政策」という言葉は使わないようになりました。

1959年から1968年
1966年には国立劇場ができ、1968年に文化庁が設置。自治体のほうでは東京文化会館(1961年)、公立としては初のギャラリーである横浜市民ギャラリー(1964)などさまざまな文化政策が進められました。東京オリンピック(1964)もこの間に行われています。

1969年から1978年
そして翌10年を見ると、国際交流基金が設置(1972)されましたが、国の全体で見ると文化政策はあまり進んではいません。一方で、県や市では文化の部署が次々と誕生します。1975年、全国初の文化振興条例が釧路市にて制定されました。

1979年から1988年
この時期、国民文化祭(1986)が始まりました。自治体の動きとしては1979年に横浜で第1回全国文化行政シンポジウムが開催されます。自治体が文化行政に乗り出した最盛期と言えるでしょう。

1989年から1998年
1989年からの10年は文化庁が巻き返しを図る時期。1989年に文化政策推進会議ができ、それまで封印していた「文化政策」という言葉を戦後初めて公式に使いました。その後、芸術文化振興基金(1990)、財団法人地域創造の設立(1994)、新国立劇場設立(1997)と、国は一気に文化政策を進めていきました。また自治体は水戸芸術館、東京芸術劇場、東京都写真美術館、東京都現代美術館(1995)と、専門的な文化施設をつくっていった時期でした。

1999年から2008年
2001年、文化芸術振興基本法が施行され、2003年には地方自治法が改正。2006年に公益法人改革関連3法が施行。国が大きく政策を変えていきました。自治体のほうは越後妻有アートトリエンナーレ(2000)、第1回横浜トリエンナーレ(2001年)、と芸術祭が各地で開かれるようになります。2006年に全国で指定管理者制度が導入。同じ年に東京都芸術文化評議会が設立され、横浜では2007年にアーツコミッションヨコハマが始まりました。

2009年から2018年
次の10年は、東京オリパラに向けて国が大きく動いていく時期であり、東京アートポイント計画の10年とまさに重なる時期です。国のほうは東アジア文化都市事業(2014)、日本版アーツカウンシルの本格実施(2016)、文化芸術振興基本法を文化芸術基本法に改正(2017)。自治体としては、あいちトリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭、アーツ千代田3331がそれぞれ2010年にスタートし、2012年にアーツカウンシル東京が設立されました。

こうして振り返ると「戦後は、国が自治体の文化政策を追随してきたと言っていいかと思います」と鬼木さんは言います。国は文化政策という言葉を封印した一方で、自治体も戦後の復興に合わせて文化政策を推進しました。ですがバブル崩壊後の2000年代以降は、東京都を除く自治体の税収は低迷し、それに合わせて文化関係予算も減っていきました。

70年間の大きな転換点としては、NPM(New Public Management)の導入があげられます。これはイギリスで始まった評価制度のことです。特徴としては「民間が事業を担いそれを事後的に評価することで事業の質を担保する」「行政組織を効率的に執行する(=数値化する)」「市民を顧客と考え行政活動をサービス提供と考える」など。こうしたNPMの考え方により、指定管理者制度が導入されています。

現在は、地方創生、特区申請、補助金制度など、政策が充実することで国が自治体間の競争を促している状況です。2000年代以降、地方分権改革は進んだものの、結果として中央政府の影響力は分野によっては増していると言えます。文化芸術分野もその一端で、「支援の強化とは表裏一体と言えるでしょう」と鬼木さん。

この70年で変わったことは、行政自身が直接問題解決の手段を実行するのではなく、委託、委任、協働などの手法により、外部人材に実行を任せるようになりました。いわゆる垂直型ガバナンスからネットワーク型ガバナンスへ変化し、行政の役割はプラットフォーム的なものに変わっています。

■横浜市の文化政策の推移と、今後の自治体の課題

次に鬼木さんは、横浜市の過去20年の文化政策の推移を紹介しました。前段の「戦後70年の国と自治体の文化政策」からもわかるように、横浜市は2000年代に全国初の創造都市政策をスタートし、国内でも特に文化に力を入れている都市。そもそも、なぜ横浜は創造都市政策を始めたのでしょうか。それは横浜都心部における都市計画が関係しているそうです。1970〜80年代にかけて横浜駅周辺と関内・山下周辺が分断され、街の回遊性がないという課題がありました。

そこであがったのが「みなとみらい21地区(以下、MM21地区)」の開発計画でした。90年代に入りMM21地区が開発されていくと、もともとオフィス街や観光地だった旧市街地の関内・山下地区の経済的沈下や歴史的建造物の保存が課題にあがりました。その改善策として、関内・山下地区をクリエイティブな地区として活性化する創造都市政策がスタート。一方で、MM21地区はビジネス中心の開発から文化・アミューズメントへの展開がめざされました。その後、15年以上が経過し、2003年から2019年までのオフィス空室率の推移を見ると、この15年ほどでオフィス空室率がかなり改善されています。

「では、横浜をはじめ全国の文化行政にこれから起こる課題とは一体何でしょうか」と鬼木さん。予測される課題は、全国の自治体にも関係していると言います。まず、一つ目にあげられたのは「過剰適応」です。現在オリンピック・パラリンピックなどの大型イベントにより、インバウンドや観光振興、アーツカウンシルなど、国からの政策課題に対し、敏感に対応しすぎているのではないか、という問題。次に「失語症的政策」です。羅針盤を喪失したように、文化政策の方向性が迷子になっていると感じるそうです。「わかりやすい説明が求められるため、専門家や専門性の軽視が進み、わかりやすい言葉だけが残るのではないでしょうか」と懸念します。そして3つ目は「政権の道具化」。政策が首長選挙の争点になるとともに、その権限が強化される傾向にあるのでは、と指摘しました。

■自治体にとっての、文化政策の本質とは?

そこで、鬼木さんは文化政策を「大文字」と「小文字」と分けてそれぞれの目的の明確化が必要だと話しました。「大文字の文化政策」とは、変化のなかでも揺るぎない政策システムや思想・哲学のこと。一方で、「小文字の文化政策」とは、刻々と変わっていく現象面(条例・計画・予算・体制)を指すそうです。

戦時中、国が期待する国民精神の醸成を目的として、文化によって国民を統合する「文化統制」が行われました。その歴史のもと、国による文化政策は消極的になり、現代は市民自らが生き方やまちのあり方を決めるべきだという考え方に変わっています。「やはり『大文字の文化政策』においては自治体が主体になるべきではないか」と鬼木さんは言います。

現在「VUCA(変動性・不安定さ/不確定/複雑/あいまい)の時代」といわれる社会だからこそ、自治体は「レジリエント(しなやかで強靭)な文化政策」「簡単には土俵を割らない『文化』をつくること」が重要、と続けます。「その継続性を担保するために、自治体の文化条例や文化計画は必要で、それをつくるだけではなくきちんと関係者に周知していき、根底にある思想は一貫すべきだと思います」。そして最後に「大文字の文化政策の本質」について語りました。

「文化政策によって、あらゆる人々が、自ら考え、自ら表現し、自分らしくあることで、自らの人生を生きつくすことだと思います。それが自治の主体たる『市民』となること。『市民』は、文化によって自らの人生を広げる多様な可能性を得るのではないでしょうか。こうした市民の存在は、地方政府が市民の意思と異なる政策を遂行しようとしたときに、それを修正することさえ可能にするかもしれません。市民の多様な視点によって、自治体自身が過ちに気づく。それほどに、文化によって主体的な市民層が形成されるでしょう。その結果自治体は、自身の破綻を防ぎ、持続可能性を担保できることにつながります。文化政策は自治の基盤となる。それが、文化政策の本質だと考えます」

なぜ、文化政策が大事なのか。鬼木さんの力強い言葉が印象的な、今回のテーマの本質に迫ったレクチャーとなりました。

執筆:佐藤恵美
撮影:齋藤彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

*本レクチャーで使用した書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』について、こちらのページでご紹介しています。PDF版は無償公開、印刷版はオンラインや各地の書店様等でのご購入が可能です。現在は、PDF版のみ公開しています。

徹底解説! 東京アートポイント計画~中間支援の仕組みを分解する

第1回 徹底解説!東京アートポイント計画~中間支援の仕組みを分解する

開催日:2019年9月10日
スピーカー:大内伸輔
ナビゲーター:佐藤李青

2019年度で10年を迎えた「東京アートポイント計画」を解剖する、レクチャーシリーズ。東京アートポイント計画として、複数のNPOとアートプロジェクトに伴走してきた立場からその実践を知見として共有したい、と講座を企画しました。大きなテーマは「文化に時間をかけるための言葉」。3回にわたるレクチャーのナビゲーターは佐藤李青が担当します。

公共文化事業における「中間支援」とは何か

第1回は、佐藤と同じプログラムオフィサーでもあり、東京アートポイント計画の立ち上げ時からスタッフとして関わる大内伸輔をスピーカーに迎えました。「中間支援」の役目を担うプログラムオフィサーである大内や佐藤が、中間支援の役割や仕組み、意義を紹介します。

副読本は彼らが企画・執筆を担当し、2019年3月に発行した書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために―東京アートポイント計画2009-2018』(以下『これからの文化を「10年単位」で語るために』)。第1章の「中間支援の9の条件」から東京アートポイント計画や中間支援を紐解いていきます。「東京アートポイント計画は、どのような仕組みか」「アートプロジェクトの現場では何が起こっているのか」「よりよい現場づくりに必要なこととは何か」をポイントに、実践から見えたことを解説しました。

写真右:『これからの文化を「10年単位」で語るために―東京アートポイント計画2009-2018』。

そもそも「東京アートポイント計画」は、どのような事業でしょうか。東京アートポイント計画のパンフレットによると「アートポイント」とは「アートプロジェクトが継続的に動いている場であり、その活動をつくる人々が集まる創造的な拠点のこと。単に場所を指しているのではなく、アーティスト、運営スタッフ、ボランティア、その場を楽しむ来訪者も含めて『アートポイント』を形成しています」と書いてあります。「アートポイントはプラットフォームと言い換えることもできます」と大内。東京にたくさんの「アートポイント」を生み出すため、「東京アートポイント計画」は2009年にスタートしました。

東京アートポイント計画の大きな特徴は、NPOと東京都とアーツカウンシル東京による共催事業であること。そして、東京アートポイント計画を主導し、大内や佐藤が属するアーツカウンシル東京事業調整課が「中間支援」としての組織であることが他の公的な文化事業とは異なる点です。書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために』に記載された「設計思想」(p.9)には「まち・人・活動をつなぐために、公共文化事業の新しい中間支援システムをつくる」こととあります。この「中間支援」という仕組みを取り入れることで、地道な活動に時間をかけて寄り添うことができます。長期的に見ると、そうした文化事業こそ地域にとって必要な資源となっていくのではないでしょうか。

協働のかたち/拠点づくり/コミュニティが育つ環境 〜「9の条件」から1〜

ここから「中間支援の9の条件」を読んでいきます。「『条件』とは、この条件がすべてそろったからうまくいくという回答ではなく、こういう要素があるといい、というもの」だと佐藤。このレクチャーでは、9の条件のうち6つが紹介されました。前半のレクチャーは「『協働』のかたちを探る」「『拠点』づくりの要件を考える」「『コミュニティ』が育つ環境をつくる」です。

・「協働」のかたちを探る(『これからの文化を「10年単位」で語るために』 p.20)
一つ目の「『協働』のかたちを探る」では、さまざまな共催のパターンや、そのメリットについて話されました。東京アートポイント計画のなかでもとりわけ共催団体数が多いのが「アートアクセスあだち 音まち千住の縁(以下、音まち)」。音まちはアーツカウンシル東京、東京都、NPOのほかに、足立区、東京藝術大学の5者によるプロジェクトです。「人が増えれば増えるほど、意志決定と情報共有にテクニックが必要となりますが、アートプロジェクトは関わりが増えることで進行や広がり方が変わります」と大内。難しい情報共有ですが、2週間に一度の定例会議のほか、メーリングリストを活用しながら連絡や調整をしています。8年ほど続くメーリングリストは、1万2千件以上のやりとりが行われているそうです。

・「拠点」づくりの要件を考える(p.26)
次に「拠点」づくりについてですが、ここでの「拠点」とは文化が生まれる場所を指しています。東京アートポイント計画の主な目的の一つは「文化創造拠点の形成」です。拠点づくりのため、大事なことや必要なこととは何か。1年ごとに、多様な拠点のありかたが模索された豊島区での「としまアートステーション構想」が例にあげられました。「1年目は雑司が谷のある遊休施設の活用、2年目は木賃アパートでの展開、3年目は福祉施設や区役所などさまざまな場所で活動を展開してきました。それらは、多種多様なスペースのありかたを考えたデモンストレーション(実験)でした。この実験が文化の生態系を育むことにつながっていく」と大内。佐藤は「集まれる場所があることは、特別にイベントをやらなくても、自然と何かが生まれることがある」と拠点の重要性を語りました。

・「コミュニティ」が育つ環境をつくる(p.32)
3つ目の「コミュニティ」について。JR中央線の吉祥寺駅から高円寺駅周辺で活動するプロジェクト「TERATOTERA(テラトテラ)」が取り上げられました。「TERATOTERA」では、「関わる人が1000人いれば、地域が変わるのではないか」との思いから当初より「テラッコ」という運営チームをつくっています。テラッコは無償の活動ですが、徐々に人数も増え、10年近く迎えた現在は新たな組織「Teraccollective(テラッコレクティブ)」をつくり、自ら有償の仕事をとって動いています。「自ら活動できるよう、チームとして成熟するまで、関わっていく。我々の役割の一つでもあります」(大内)。

また、佐藤は「折に触れて手伝う人」の存在に着目しました。「プロジェクトの年月が重なることで、困ったときに声をかけやすい関係性が生まれます。『広報担当』『施工担当』といったプロジェクトの役割ではなく、『鈴木さんは発信が得意だから』『高橋さんは壁を立てるのが上手だから』と個人の名前から集まりができていくのではないでしょうか」。

事業予算の適正規模/多様性の保持/評価の仕組みづくり 〜「9の条件」から2〜

後半では、「『事業予算』の適正規模を探る」「『多様性』を保持する」「『評価』の仕組みをつくる」の3つを紹介していきます。

・「事業予算」の適正規模を探る(p.40)
後半の最初は、気になる予算の話。東京アートポイント計画では、一つの事業を3〜5年かけて取り組んでいます。ですが予算計画は単年度ごと。その予算の使いかたをNPOと一緒に考えることを大事にしてきました。「大きくわけると、予算の使い道は管理費(人件費)と事業費(プログラム費)の2種類です。予算がたくさんあれば良いというものでもなく、その事業に適正な予算規模があり、その費用の配分をNPOと一緒に計画していきます」と大内。特に、他の文化事業の助成金と比べると、人件費に予算をかけられることが東京アートポイント計画の特徴の一つです。「アートプロジェクトは運営する人がいてはじめて動きます。担い手が育つ環境を整えることも意識しています」と話しました。

・「多様性」を保持する(p.46)
「多様性」の保持とは? 東京アートポイント計画では常に10前後のプロジェクトが動いていますが、そのプロジェクトはどれも千差万別。規模もテーマも地域もさまざまです。特に、東京アートポイント計画では今後予想される社会課題に対して取り組んでいます。「社会課題とは、防災、環境、福祉、教育、移民などさまざま。そうした分野と連携しながら活動しています」と大内。

例えば、障害やジェンダーなどさまざまな境界線を探る研究型プロジェクト「東京迂回路研究」、多死社会に向けて看取りに取り組んだプロジェクト「東京スープとブランケット紀行」など。こうした社会的なテーマと向き合う多様な活動が同時に走っている状況は、次の項目でもある「評価」においても重要です。「複数のステークホルダーに対して説明責任を果たすために、また未来へ応答する価値を生み出すために、多様なアプローチが必要です」と大内は話します。

・「評価」の仕組みをつくる(p.50)
来場者数や経済効果など、数字では計りかねない価値をどのように伝えていけばいいのでしょうか。東京アートポイント計画では、その見えない価値を伝えるために、評価の仕組みを自分たちでつくっています。例えば、NPOと1年間の事業目的を共有するための「はじめのシート」と「おわりのシート」。事業として当初の目標を達成できているか、組織として達成できているか、とさまざまな側面から検証します。「東京アートポイント計画では、新たな組織を育てることが大きな目的の一つです。いかにチームビルディングができているか、適正な規模で活動できているかを常に確認しています」と大内。

「評価がなぜ必要かという理由は3つあります」と佐藤。「『説明責任』が一つ。次に『事業改善』の機能。事業と組織、それぞれの目標を一緒に確認することで対話ができます。3つ目が『価値創造』の機能。これはドキュメントなどにまとめることと関わります」。東京アートポイント計画では、この10年で200冊を越える本を制作しています。冊子やウェブメディアなどで活動を伝えることは、何か価値なのか、をまとめる作業でもあるのです。

10年続けてきた成果とは? 〜会場の質問から〜

「中間支援の9の条件」から6つの紹介を終え、最後に会場からいくつかの質問がありました。

東京アートポイント計画で制作した成果物を配布しました。

Q. 東京都が直接NPOに支援するのではなく、アーツカウンシル東京を通して支援することのメリットはなんでしょうか。

A. アーツカウンシル東京のなかには複数の部署があり、東京アートポイント計画はそのうちの一つとなります。東京アートポイント計画では、資金的な支援だけではなくスタッフがついて対応したり、他の自治体と共催したりと、複合的な支援を提案していることが特徴です。プロジェクトの実践方法や組織のマネジメント等も含めてその可能性を伸ばすのが東京アートポイント計画の役割と考えています。

Q. 長期的なプロジェクトの重要性は、まだまだ理解してもらうのが難しいと感じます。どのように伝えていますか。

A. まさに今日の講座もそうですが、10年続けてきた成果を語ることだと思います。日本では、2000年代の前半からいろいろなアートプロジェクトが動いていますが、「越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭」や「BEPPU PROJECT」など、10〜20年続く先行事例もあります。そうした先行事例からもわかるように、10年以上続けたからこそ見える成果がある。私たちもアプローチの仕方を変えながら、どのように成果を拾うかはこれからも考えていきたいと思います。

Q. ドキュメントやアーカイブを大切にされていますが、その役割分担や予算の比率について教えてください。

A. 役割分担についてはケースバイケースです。基本的に、NPOが主体となってつくりますが、残すべき価値やエピソードなどは、私たちのほうで提案することもあります。アーカイブにあてる予算は役割分担にも関わります。一つのドキュメントをつくるときも、デザイナー、ライター、編集者などが関わることもありますし、全体の予算に応じて外注しない場合もあります。特に、現場は実践がベースなので、編集に予算をどのように割くかは議論になります。全体の予算規模や、チームの体力によって変わります。

Q. 良い企画とは、どのように定義しているのでしょうか。また既存のプロジェクトに創造性をもたせるために、どのようなアドバイスをされていますか。

A:スタートするときの基準として、創造性や実験性を鑑みています。それが「良い企画」の基準なのかもしれません。スタート時に面談をするのですが、何がチャレンジポイントなのかを必ず聞いています。何を新しくやろうとしているか、そのオリジナリティは何か。例えば、本に収録されたインタビューで語られていますが、NPO法人トッピングイーストのインタビューで、ディレクターの清宮陵一さんが「利き手を封じた時に見える豊かさがある」と語っています。ビジネスの世界で働いていた彼が、あえてその得意分野を封じたからこそできたことがある、と言っていたのです。これまでの経験を生かすことももちろん大事ですが、いかに違う方法でチャレンジできるか。それから面談では、誰と新しいことをはじめますか、という質問もしています。一人の強いリーダーの思いだけではなく、集うメンバーたちが大事だと考えています。

Q. この10年続けて見えた成果はありますか。
A:『これからの文化を「10年単位」で語るために』にまとめた9の条件が一つですが、それは回答ではありませんでした。この「条件」を共有することで、これからさらに増やしていきたいし、「こういう要素があるのではないか」といった議論をしたいと考えています。また、10個目の条件には「時間をかける」があるかもしれません。

最後に佐藤は「『コミュニティ』が育つ環境をつくる」で話が出た「折に触れて手伝う人」についてを例に出しながら、「『折に触れて手伝う』といった弱いつながりが生まれたことが、時間をかけたことの成果かもしれません。小さな関係性や多様な関わりは、事業の成果として見えにくいのですが、それこそが地域や自治にとって重要ものだと思います」と結びました。

執筆:佐藤恵美
撮影:齋藤彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

*本レクチャーで使用した書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』について、こちらでご紹介しています。PDF版は無償公開、印刷版はオンラインや各地の書店様等でのご購入が可能です。現在は、PDF版のみ公開しています。

『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』。

メディア/レターの届け方 2019→2020

多種多様なドキュメントブックの「届け方」をデザインする

アートプロジェクトの現場では、さまざまなかたちの報告書やドキュメントブックが発行されています。ただし、それらの発行物は、書店販売などの一般流通に乗らないものも多いため、制作だけでなく「届ける」ところまでを設計することが必要です。

多種多様な形態で、それぞれ異なる目的をもつドキュメントブックを、どのように届ければ手に取ってくれたり、効果的に活用したりしてもらえるのか? 資料の流通に適したデザインとは何か? 東京アートポイント計画では、川村格夫さん(デザイナー)とともに各年度に発行した成果物をまとめ、その届け方をデザインするプロジェクトを行っています。受け取る人のことを想像しながら、パッケージデザインや同封するレターを開発します。

2019年度は成果物をひと袋にまとめパッキングしました。

詳細

進め方

  • 同封する発行物の仕様を確認する
  • 発送する箱の仕様や梱包方法の検討
  • 発送までの作業行程の設計
  • パッケージと同封するレターのデザイン・制作

500年のcommonを考えるプロジェクト「YATO」

次世代を担うこどもと500年後を考える

「谷戸(やと)」と呼ばれる、丘陵地が侵食されて形成された谷状の地形をもつ町田市忠生地域。「すべて、こども中心」を理念とする『しぜんの国保育園』や寺院を取り巻く里山一帯を舞台に、地域について学びながら、500年後に続く人と場のあり方(=common )を考えるアートプロジェクト。アーティストや音楽家、自然環境や歴史などの専門家や地域の団体と連携し、次世代を担うこどもと大人が一緒に取り組む企画を行っている。

実績

「500年続く文化催事=お祭り」をつくる準備としてはじまった、2017年度採択事業。運営メンバーによる「定例会」の設定にはじまり、お寺にまつわる行事に合わせてイベントを行うなど運営リズムをつくった。

地域の小学生が年長者やアーティストと出会う「やとっ子同盟」では、春から夏にかけてワークショップを重ね、秋の「YATOの縁日」で発表会を開催。地域の年長者と「YATOの年の瀬」「初午(はつうま)」を協働するなど定期的な活動のなかで、地域との関係を育んだ。なかでも、影絵師・音楽家の川村亘平斎による影絵ワークショップは定番企画となり、地域のこどもたち(やとっ子)に好評を博した。地域の植生や神話を学び、それを影絵芝居にし、お寺の境内などでお披露目した。

地域のこどもたちに向けてかつての忠生地域の姿を伝える『YATOかわら版』の定期的に発行し、近隣の小学校などでも配布した。その土地で暮らす個人の視点を通して、地域の物語や風土に触れることができるアーカイブプロジェクトを実施。聞き書きをもとに、『YATOの郷土詩』としてまとめた。また、寺院の有休施設だった「こもれび堂」をこどもたちが集まれる拠点として改修し、椅子や棚にもなる箱形の家具づくりも行った。

東京アートポイント計画の共催終了後は、拠点がある保育園や寺院などを囲む里山一帯に手を入れて、定期的にメンテナンスする「ていれのかい」を月1回開催。自然のなかの活動に興味のある若い世代とともに人が歩ける道をつくり、木材を使い、宿坊を開くなど、谷戸ならではの生態系を育む。毎年、秋祭りとして「YATOの縁日」を行うなど、地域拠点としての里山へのさまざまな入り口を用意し、500年先への取り組みを続けている。

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すべてが動き出すまでの、仕込みの5年間――齋藤紘良「500年のcommonを考えるプロジェクト『YATO』」インタビュー〈前篇〉

すべてが動き出すまでの、仕込みの5年間――齋藤紘良「500年のcommonを考えるプロジェクト『YATO』」インタビュー〈後篇〉

つながりはじめる“この場所”と“あの場所”

福島県いわき市にある県営復興団地・下神白(しもかじろ)団地を中心に行われているプロジェクト「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」(以下、「ラジオ下神白」)。

このプロジェクトと連動し、Tokyo Art Research Lab「研究・開発」プログラムの一環として結成された「伴奏型支援バンド」は、これまで「ラジオ下神白」が団地住民の方々と交流するなかで集めてきた「メモリーソング」のバック演奏を行うバンドです。12月に下神白団地およびその近隣で行われる予定のクリスマス会にて、団地の皆さんのコーラスに伴奏するため、都内といわき市で活動中です。

伴奏型支援バンド、活動中!

前回の初回練習から、都内では何度かバンド練習が重ねられてきました。レパートリーは初回にも練習した「喝采」「青い山脈」「ああ人生に涙あり」に加え、「君といつまでも」「宗右衛門町ブルース」の5曲に。これまでの「ラジオ下神白」が活動のなかで出会った方々のお気に入りの曲や十八番、「ラジオ下神白」と団地住民の方々にとって思い出深い曲などです。

練習のポイントは、これまで「ラジオ下神白」で積み重ねられてきた住民の皆さんとの関係性を意識すること。その関係性があるからこそ可能となる、その曲を聴いた方や歌った方がどんな風景を思い描くだろうか、演奏によってどんな景色を住民の皆さんの心に思い浮かび上がらせることができるだろうか、ということを大事にしながら行っています。

団地住民のリクエストに応え、電子ピアノを演奏する上原さん。

一方、下神白団地でも12月に向けた動きが起き始めています。12月のクリスマス会では、団地の皆さんにコーラスで参加いただく予定ですが、そのコーラス練習をサポートするメンバー、ピアノ担当の上原久栄さんも現地を訪ね始めました。初回の訪問では、団地の一角にお邪魔し、住民の皆さんのリクエストに応えながら電子ピアノで伴奏。12月に向けた交流を始めています。

バンド練習の動画をながめる、団地住民のみなさん。
団地住民からお話を聞くバンドメンバーの池崎浩士さん(左奥)、鶴田真菜さん(左前)。

メンバーも現地入り

また、バンドメンバーもそれぞれ現地を訪問。「ラジオ下神白」では、月に1~2回ほど、プロジェクトメンバーが団地住民の皆さんのもとを訪ね、ご自身のお話を伺ったり、曲のリクエストを集めたり、リクエスト曲を聴く機会をつくったりしています。今回、バンドメンバーもその活動に同行し、団地住民の皆さんとの交流をたっぷり行いました。現地入りを経験したことで、バンド練習のなかでも具体的な名前や場所が出てくるようになりました。「○○さんは歌ってくれそう」「これは○○号棟の○○さんのメモリーソングで……」など、“ここ”にいても、“あの場所”が思い浮かんでいるようです。

バンド活動は、概ね順調。ただ、「演奏者」ではなく「伴奏者」であるバンドという試みとしては、演奏を成功させることが目標ではありません。東京のバンドチームといわき市の団地の皆さん(被災前は様々な地域で暮らしてきた方々)という、異なる場所から集ってきた人々が、ひとつの体験を共有する場を立ち上がらせるためには、もうひと工夫が必要です。ディレクターのアサダワタルさんの言葉を借りると、「みんなが参加者」になるためにはどうしたらよいか。

歌詞をどう掲示するか、合図はどう出すか、口ずさんでもらいやすい環境、演出……。練習後のバンドメンバーによるミーティングでは、そんな話題もあがりました。

演奏を一方的に「してあげる」のではなく、「伴奏型支援バンド」という試みだからこそ可能性がある「みんなが参加者」になった風景を立ち上がらせることを目指して、練習と検討を続けていきます。
次回はいよいよ、本番の様子をお届けします。

執筆:岡野恵未子(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー/Tokyo Art Research Lab「研究・開発」プログラム担当)

リズムを刻む/定期レターのつくりかた・つかいかた

ジムジム会とは、「事務局による事務局のためのジムのような勉強会」のこと。2019年度は「届けかた・つなぎかたの筋トレ」をテーマに掲げ、アートプロジェクトの運営にまつわる考えかたや方法を共催団体と身につけていきます。今回も“ジムジム会の事務局”であるきてん企画室がレポートをお届けします!(第1回のレポートはこちら

◼︎イントロダクション:定期レター=事業のリズムを刻む

第2回のテーマは「リズムを刻む」。イントロダクションでは、きてん企画室・中田一会から、「定期レター」の利点やリズムの意味についてお話ししました。

「定期レター」とは、機関紙やニュースレター、メールニュースなど定期的に届ける広報媒体のことをこの会では指します。定期レターの良い点は、情報集約のタイミングや、担当を横断したチーム、受け手に思い出してもらうなどの機会をつくれること。

中田が編集協力している東京アートポイント計画のメールニュースは、企画開催の有無に関わらず、月1回のペースで配信。盛り上がりのあるときもないときも発信し続けることで、定期レターが「事業のリズム」を刻んでいます。

◼︎ゲスト紹介:写真家・加藤甫さん

ゲストは、写真家・加藤甫さん。

そして、今回はゲストに写真家・加藤甫さんをお招きしました。アートプロジェクトやアーティスト・イン・レジデンスなど長期的なプロジェクト型の記録撮影を数多く担当。また中田と加藤さんは、今年度、徳島県主催の「伝わる広報ゼミ」の講師をしています。

加藤さんのユニークな点は、長く続いていくものに伴走しつつ、必ずしも自分で撮らなくても良い仕組みを仕掛けたり、企画そのものにアドバイスもする、「黙っていないカメラマン」であることです。

イントロダクションの後は、実践発表へ。後半では「定期レターのつくりかた・つかいかた」をテーマに、2つのケースを共有しました。

◼︎アートアクセスあだち 音まち千住の縁「まちの読み手に寄り添った広報紙」

2011年に始まったアートプロジェクト「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」(以下、「音まち」)は、2012年から定期レターを発行。当初は事務局内でのプロジェクト進捗共有用だったものから、徐々に目的や機能が変化し、現在は足立区民など地域の人々に向けた広報紙として1万〜1万2千部発行しています。

事務局長・長尾聡子さんと、定期レター編集長・槇原彩さんには、主に2018年度の誌面リニューアルのポイントをお話しいただきました。

音まち事務局長・長尾聡子さん(写真前列右から2番目)と、広報担当で定期レターの編集長・槇原彩さん(写真左)

2015年度から2017年度まで8頁/年2回発行だったものを、2018年度から4頁/年4回発行にリニューアル。その際新しいデザイナーと相談し、地域の人々にもっと読んでもらうために、人をメインに立て、スタイリッシュになりすぎない方向にしようと決めました。

1〜2面は特集記事、4面はプロジェクトに関わる人々のインタビュー記事「音まちの人びと」とフォーマットが決まっています。また、6つのプロジェクトの各担当者が執筆する「音まちの日々」では、プロジェクトが形になるまでの産みの苦しみなど、楽しいばかりではないアートプロジェクトのリアルな声が伝わってきます。

人にクローズアップした内容に変えたことで、アートプロジェクトの見えかただけでなく、事務局、アーティストなど、地域の人や関わる人の多様さが外に伝わりやすくなりました。

サイズはタブロイド判。駅などで2つ折にして配架すると、1面の写真が見えづらく手に取ってもらいにくいという課題があった。右下「2019年・Summer号」から、写真全体が見える配置に変え、写真自体も明るく親しみやすいものに変更した。

また電車の中などちょっとした時間にも読みやすいよう、字を大きくしたり、Web版も始めるなど、読む人のことを考えたつくりになっています。

定期的にプロジェクトの特集記事を組んできたことで、定期レターがプロジェクトのアーカイブの役割も果たしています。新しいメンバーが入ってきたときには、説明資料として渡しているそうです。

現在の制作チームは、企画・進行管理の槇原さんとデザイナー、「音まちの人びと」のライターの3名は固定。記事執筆は各プロジェクトの担当者が行います。
発行している1万〜1万2千部のうち、足立区に2千部、アーツカウンシル東京に2千部、そのほかアートスペースや大学、美術館、千住の駅やお世話になっているお店に配布しています。

また音まちは、月1回メールニュースの配信も。月1回と年4回のリズムを刻むことで、大型アートプロジェクトのコミュニケーションを円滑にしているようです。

◼︎ファンタジア!ファンタジア!−生き方がかたちになったまち−「人に会うためにわざわざ手作業でつくる『ファンファンレター』」

「ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまち―」ディレクター・青木彬さん(写真左)

続いての発表は、アートプロジェクト「ファンタジア!ファンタジア!−生き方がかたちになったまち−」(以下、「ファンファン」)を共催している、一般社団法人うれしい予感の青木彬さんです。ファンファンによる定期レター「ファンファンレター」の、ユニークなつくりかたをお話しいただきました。

ファンファンレター。ファンファンのロゴの色に合わせて、赤と青の2色を交互につかっている。

月2回発行されるB5サイズの「ファンファンレター」は、版をつかって印刷する「リソグラフ」をつかっています。事務局や地域の人で集まる日を設け、毎号みんなで元となる原稿を手作業でつくります。「レターづくりは地域の人と会う口実なんですよ」と、青木さんは言います。

ファンファンレターをつくっている様子。アナログな切り貼りで組み上げていくので、誰でも参加できる。(撮影:高田洋三)

つくりかたはまず、掲載する写真やテキスト、イラストを用意し、みんなで話し合ってレイアウトを決めます。次に素材を切り貼りし、2つの原稿をつくります。原稿完成までの所要時間は約2時間。できた原稿をリソグラフ印刷して完成です。

内容は、プロジェクトの案内や、イベントレポート、コラムなどさまざま。定期レターをつくったきっかけは、ヒアリングプログラム「WANDERING」を通じて地域の人から得た情報やアイデア、またファンファンの活動を発信するツールとして、定期レターの必要性を感じたからだそうです。

4種類のフレームと2種類の罫線のスタンプをベースに組み上げるのがポイント。サイズ感やつかいやすさをデザイナーと話し合いながらオリジナルでつくった。このアイテムがあることで、デザイントーンが崩れない。

毎号250部ほど発行し、拠点の前を通りがかる方に自由に持って行ってもらったり、拠点近隣のカフェなどに直接届けに行っているそう。

青木さんは、「事務局のバイオリズムが、つくり方や情報量の差に反映されるのも良い」と言います。毎号つくり手が変わるため、差が出たり、事務局からの発信が少なかったりする号もあります。1年に1回発行するドキュメントではないからこその、つくっている時間のグルーヴ感が伝えられるという特徴があります。

2週間に1回、みんなで集まり・つくり・届ける。定期レターが、人に会うためのリズムを刻んでいました。

アーツカウンシル東京・坂本有理(写真左)。発表の後は、それぞれの視点でのコメントも。

2つの事例についてゲストの加藤さんは、「音まちの4面『音まちの人びと』は、まちの人との関わりのきっかけになると思いました。以前ある地域でプロジェクトをやりたいというアーティストに声を掛けられたときに、『まちに配るフリーペーパーをつくろう』と提案したことがあります。まちの人をすてきに撮って掲載することで、載った人が第三者にプロジェクトを説明できるようになる必要が生まれる。そこからまちの危機などを考えてもらうきっかけになります」とコメントされました。

■ ディスカッション:記録の疑問・悩み

ジムジム会の最後は、質疑応答とディスカッションの時間です。

「記録写真を撮影するときに意図的に押さえている場面や、事務局が記録撮影するときに狙っておくと良い見逃しがちなシーンはありますか」

という質問に加藤さんは、「行政報告用かSNS用かなど、どこにどうつかわれる写真かを想定して撮影している。トークの空間だけでなく、建物の外観など、自分が当たり前と思っているところこそ必要なこともあります。見逃したかどうかに気づけるのは写真をつかう事務局の人たち。むしろカメラマンに教えてあげてくださいね!」と回答されました。

そこからカメラマンとのコミュニケーションに話が発展し、「撮影依頼の際にSNSでつかう、ブログでつかうなどの使用目的や、逆に例えばスライドは写さないで良いなどいらないものを伝えてくれるのも良い」とのこと。事前にカメラマンとコミュニケーションを取ることで、お互いにとってより良いものが撮れることがわかりました。

「つかいたい写真がどこにあるか毎回わからなくて困る」という質問には音まち事務局から、「フォルダツリー」(『アート・アーカイブ・キット』を参照)を参考に毎回、クラウドサービス(Googleドライブ、Googleフォト)とHDDに保存し、データ名も「日付・プロジェクト名」と統一し、誰でも簡単に管理できるようにしていると、解決のための工夫を共有してもらいました。

終わりに参加者に一言今日の感想を書いてもらいました。

  • 「2つの事例を見て、今後すべきレターづくりや配布方法を考えた」
  • 「定期でなにかをつくることがなかなかできずにいるが、事業のリズムをつくることができるなら、今からでもやる価値があると思った」
  • 「イベントとは違う軸で、定期レターで人の紹介や振り返りをしているのが良かった」

参加者にとって、各事業に適した定期レターの発行頻度や部数、媒体、つくる目的を考えるきっかけとなったようです。次回のジムジム会のテーマは「打って出る」です。どんな会になるかお楽しみに。

勉強会後は、和気あいあいとみんなでランチタイム。