アートプロジェクトの「言葉」に関するメディア開発:メディア/レターの届け方 2017→2018

近年、日本各地で増加するアートプロジェクトにおいては、その実施プロセスや成果等を可視化し、広く共有する目的で様々な形態の報告書やドキュメントブックなどが発行されています。それらの発行物は、書店販売など一般流通に乗らないものも多いため、制作だけでなく「届ける」ところまでを設計することが必要となります。

またドキュメントブックは、ひとつひとつのプログラムのみならず、それを生み出した母体となる団体やプロジェクトの理念や文脈が込められています。複数のプログラムを抱える活動において、そこに通底する価値を広く社会に伝えることは重要です。

本プログラムではアートプロジェクトから生まれた「言葉」(報告書やドキュメントブックなどの発行物)の届け方の手法を研究・開発します。昨年度に引き続き、今年度はアーツカウンシル東京の取り組みから「東京アートポイント計画」「Tokyo Art Research Lab」「Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)」を取り上げ、その発行物を届けるためのメディア開発(パッケージ及びレター)を行います。冊子を届けるだけでなく、事業のアウトプット(発行物)とアウトカム(成果)の関係性を可視化することを目指します。

文化と日常を行き来するサイクルをつくる

Artpoint Meeting #04 -日常に還す- レポート後編

Artpoint Meeting 第4回のテーマは、「日常に還す」。ゲストとして登場したのは、驚きと発見を与える日本や世界の暮らしを紹介しながら、生活に活かすことを目指す世田谷区の文化施設「生活工房」学芸員の竹田由美さんと、レコードやラジオや遠足といったツールを通して、身の回りの世界と人の関係を編み直してきた、文化活動家でアーティストのアサダワタルさん。

日常に寄り添いつつも、そのなかに埋没せず、新たな視点をもたらす。難しいバランスが求められる展覧会やプロジェクトの現場で、二人は何を考えてきたのか。会場との活発なやりとりも行われたイベントの様子を、ライターの杉原環樹がレポートします。

>>レポート前編

会場からの質問や感想を眺めながらスタート。

プロジェクトのはじまりとは?「成功」とは?

小休止を挟んだ後半戦。ここからは、会場からの質問をもとに、東京アートポイント計画ディレクターの森司とモデレーターの中田一会も加えたフロアディスカッションが行われました。ホワイトボードには、ゲストの二人に聞きたいことがズラリと並びます。

このやりとりの中でも感じられたのは、竹田さんとアサダさんが、日常生活で出会う場面にとても繊細な目を向けながら、その意味や効果を冷静に分析しているということ。

たとえば世界各地の移動する民族の暮らしに関心を持ち、現地で集めたものを個人のスペースでも展示しているという竹田さん。「企画のヒントはどこから得る?」との質問に、「日々の『おや?』という感覚がヒントになることが多い」と答えます。

「先日、歩きスマホをする理由を尋ねたアンケートの答えの一位が『暇だから』というもので、驚いたんです。周囲の環境の変化や、危機に関心を持たずに歩いているのは、生物として危ういなと。ほかにも、昼間に月が出ていることに驚く人を見て、こちらが驚いたり……。人類の危機を感じたとき、何かやりたくなるかもしれません(笑)」。

一方、「なぜレコードなのか? ものにする理由は?」と問われたアサダさんは、「かたちに残すことへのこだわりがあるわけではなく、使用するメディアの前に人が見えるかどうか、という考え方をしている」と話します。

「高齢者も多い復興住宅が舞台の『ラジオ下神白』では、手渡しできるメディアを使うことで会話が生まれることが重要でした。また、『千住タウンレーベル』のレコードでヒントにしたのは、人が群がる昔の蓄音機屋や街頭テレビの前の風景。アナログかデジタルかではなく、その取り組みの場づくりにふさわしい手段をいつも選んでいます」。

そして、なかでもとくに興味深かったのが、「一番プロジェクトが成功したと思った出来事は?」という質問。「日常に還す」というテーマの核心に触れる問いです。

アサダさんが話したのは、こどもを通じてまちに関わりたいと、「小金井と私」に3年間ずっと関わっている、ある参加者の話。彼女はプロジェクトのなかでこどもにカメラを持たせて、普段は親が触れない保育園への通園の風景を撮ってもらったり、地図を描いてもらったりする「こどもみちを行く」という企画を自分で立ち上げました。

「その展示には彼女が尊敬する保育園の園長先生も来てくれました。面白いのはそこからで、プロジェクト終了後にその園長先生を自宅に招くイベントが企画されたり、より日常生活のなかでのアクションへと緩やかにつながったこと。他にもプロジェクトに参加した小学5年生の女の子たちを軸に、自主的に振り返りの会が行われたり、ある参加者はこのまちで出会った農家さんとの交流を丁寧に継続していたり。こんな風に、プロジェクトという一本の川だったものが、参加者たちのアクションによってどんどん細かい支流に分かれていき、日常の中に続いていくのはいいな、と思うんです」。

これに対して竹田さんも、「眠りの展覧会のとき、ずっと睡眠に悩んでいたという高齢者の方に『今日はぐっすり眠れそう』と言っていただけたのが嬉しかった」と回答。しかし展覧会の経験が日常に活かされるかは、来場者数などの数値では測れないもの。イベント終了後にお話を聞くと、「成功」感に感じる難しさも率直に語ってくれました。

「来場者へのモニタリングを最近は行なっていなくて、成功したことを聞かれたときには正直ドキッとしました。ただ、福島の復興住宅で、故郷に帰還した方も含めて場の姿を記録し続けるアサダさんの活動は参考になります。いろんな人の知恵を借りて、取り組みの『あと』までじっくり追っていく必要があることをあらためて感じました」。

森司(アーツカウンシル東京 東京アートポイント計画ディレクター)

そんな二人の話を聞きながら、「日常を編集する仕方に驚いた」と森は言います。熱量を持って現代を眺めながら、それをデザインの眼で客観的に視覚化する竹田さん。まちにダイブしつつ、小さな想起をすくうアサダさん。「所作はそれぞれ違いますが、人間が人間らしく生きるための根源的な時間への問いを、今日は感じた」と話します。

「機械的で四角四面のカチカチとした時間と、農業など自然に関わる人の時間。あるいは企業人である大人のビジネス的な時間と、プライベートな時間。そこには、体感や質の違いがある。お二人の話からは、『日常に何を還すのか』への答えよりも前に、『私たちが日々の中に何を置いてきたのか』ということについて考えさせられました」。

文化と日常を行き来するサイクルをつくる

こうして、3時間におよぶイベントは終了。「日常に還す」という抽象的なテーマについて語る中で、ゲストの二人は何を感じたのか。撤収中の会場でお話を聞きました。

発表の冒頭で、生活を「さまざまなものが混ざった未分化なもの」と表現していた竹田さん。触れ方が難しい対象を解きほぐすうえで、丁寧な空間への落とし込みや視覚化のほかに多用されていると感じたのが、異なる時空間の暮らしを参照する視点でした。

「たとえば、エチオピアには戸籍がなく、人々には正式な名前がないんです。だからパスポートを取るときに行き先に適した名前を選んだりする。そんな風に、『当たり前』は時空が変われば変わるもの。自分の日常は誰かの非日常で、自分はマジョリティだと思えば、いきなりマイノリティになる。そこで感じる驚きは大切で、そういう相対化を繰り返すことによって、生活を考えるための素材は集まってくると思っています」。

では、それをただの「異文化体験」にせず、生活に活かすうえで重要なこととは?

「展覧会は、語り合うための場づくりだと思っています。展示をきっかけに、来場者の方がお互いの生活を話し始める。そこで大切なのは、展示にかけた思いを前面に出すのではなく、余白を多く残すこと。準備中はすごく熱くなっているのですが、感じたものを話し合ってもらうための余地を残す工夫に、多くの時間をかけていますね」。

その竹田さんの工夫を発表から感じ、「生活工房はいい意味で暑苦しくなく、だからこそ多くの人が乗れる。企画との距離感の取り方が上手いなぁと感じた」とアサダさん。

そんなアサダさんに聞きたかったのは、後半で話された、小金井のプロジェクトの参加者が始めた自主的な取り組みについて。「日常に還す」ことを考えてきた今回のイベントですが、日常に「還り切って」しまったら、そこからは文化の持つ新鮮な視線は奪われてしまのではないか。そのジレンマをアサダさんはどう感じているのでしょう?

「プロジェクトで一度いろんな人が混じり、ヘンテコな状況が生まれ、こんなことをしてもいいと人に思わせる。もちろんその後、それがただの日常に潜っていき、息苦しさを感じることはあると思うんです。でも、『あのとき視点が変わった』という経験や学んだスキルが残れば、それを活かしながらまた息継ぎのように新鮮な空気を吸える」。

そして重要なのは、そんな日常との往復やサイクルをつくることだと言います。

「アートプロジェクトには、小さな革命を起こす起爆剤だけではなく、生活でしんどくなったときに使える常備薬の役割もある。参加者が、アート的な視点というものを使えるようになること。そうした感性のサイクルをつくることが、大事だと思うんです」。

日常とは? 文化とは? 日常と文化の関係とは?——。そんな大きな疑問に迫ろうした今回の「Artpoint Meeting」。ゲストのお話からは、自分に密着した世界に考えるためのかたちを与え、その自明性を揺らす、さまざまな工夫が感じられました。

一方、そこで見えてきたのは、語ろうとすればするほど奥行きを増し、手触りを変えていく日常のやっかいで面白い性格。「日常とは?」。イベントを通して、会場を訪れた参加者のなかには、その問いがより深いものとして刻まれたのではないかと思います。

「Artpoint Meeting」は今後も定期的に開催。取り組みを通して生まれた疑問をさらに深め、共有する場所として、ひきつづき展開されていきます。

(イベント撮影:高岡弘)

生活を解きほぐし、考えるための「かたち」を与える

Artpoint Meeting #04 -日常に還す- レポート前編

アートの現場で頻繁に耳にする「日常」という言葉。この身近で、だからこそ捉えがたい対象に取り組む実践者はどのように向きあっているのでしょうか。それぞれの現場でまちと文化に関わるゲストとの対話から、これからのアートプロジェクトの言葉を育てる東京アートポイント計画のトークイベント「Artpoint Meeting」。その第4回が、1月27日、東京・渋谷の複合施設「100 BANCH」で開催されました。

今回のテーマは、「日常に還す」。ゲストとして登場したのは、驚きと発見を与える日本や世界の暮らしを紹介しながら、生活に活かすことを目指す世田谷区の文化施設「生活工房」学芸員の竹田由美さんと、レコードやラジオや遠足といったツールを通して、身の回りの世界と人の関係を編み直してきた、文化活動家でアーティストのアサダワタルさん。

日常に寄り添いつつも、そのなかに埋没せず、新たな視点をもたらす。難しいバランスが求められる展覧会やプロジェクトの現場で、二人は何を考えてきたのか。会場との活発なやりとりも行われたイベントの様子を、ライターの杉原環樹がレポートします。

プロジェクトが触れる「日常」ってそもそも何だろう? 

イベントは、モデレーターの東京アートポイント計画プログラムオフィサー、中田一会による趣旨説明からスタート。東京アートポイント計画が伴走している多くのアートプロジェクトでは、「日常の景色を少し変える」といった表現がよく使われます。

しかし、「そもそも、日常とは? 文化とは? 日常と文化の関係とは?」と中田。日頃はあらためて考えてみることもないそうした疑問を通して、「自分たちが行うアートプロジェクトは、日常にとってどんな意味があるのかを考えたい」と語ります。

モデレーターを務めた中田一会(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)。企画担当者として今回のテーマを解題。日常×文化とは?

生活を解きほぐし、考えるための「かたち」を与える

一人目のゲストは、三軒茶屋駅に直結したビルのなかにある暮らしのデザインミュージアム「生活工房」の竹田由美さん。「生活者が漠然と抱く疑問を共有し、目に見える活動にしていく事業」を行うことを活動方針に設立され、2017年に20周年を迎えたこの施設では、衣・食・住と明確に分けられない「未分化なもの」である生活の問題を、住民と考える場をつくってきました。

その中で竹田さんが大切にしている視点のひとつが、「歴史の重なりの上に自分がいる感覚」。現在では、インターネットでヨコのつながりは簡単に生まれる一方、土の存在のなさが象徴するように、タテのつながりは失われているのでは、と問いかけます。

竹田由美さん(公益財団法人せたがや文化財団生活工房主任/学芸員)

落葉広葉樹林帯の暮らしを紹介する「ブナ帯☆ワンダーランド」展や、1952年にドイツで始まった映像の百科事典プロジェクト「エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ」から、手を動かしながら人類の普遍的な営みに触れる連続ワークショップは、この問題意識から生まれたもの。身近な草木からヒモのつくり方を学んだ後者のある回では、「周囲のもので何でもつくれる感覚を実感した」などの感想が聞かれたと言います。

「意識的に参加する人が多いワークショップの方が、展覧会よりも『日常に還っていく』感覚は強いと思います。しかし、生活圏に密接していて鑑賞無料の生活工房では、何気なく観られる展覧会を通して、多くの人の生活に関わりたい。なかでも予想以上の広がりがあったのが、『ただのいぬ。』プロジェクトと『活版再生展』です」。

「ブナ帯☆ワンダーランド」展(2015年)
映像百科事典「エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ」より ©️(公財)下中記念財団
ECフィルムから人類の営みを学び、実際に手を動かしてみる連続ワークショップ「映像のフィールドワーク・ラボ」。第1回「ひもをうむ」の様子。

「ただのいぬ。」は、保健所などに保護された犬をめぐるプロジェクト。2005年に開催されたその第一回展には、12日間の会期にも関わらず5000人が来場しました。

「この展覧会では、会場に『光の部屋』と『暗闇の部屋』を設けました。『光の部屋』には新しい飼い主のもとに引き取られた犬の写真、『暗闇の部屋』には殺処分された犬の写真が展示され、部屋に入るかは鑑賞者に委ねられます。いわば傍観者として訪れていた鑑賞者は、その能動的な選択を通して、どうしても当事者に近づいていきます」。

その後、大きな反響を得た展示は各地を巡回しました。さらに、迷い犬の原因のひとつでもある犬鑑札装着の不徹底を改善するため、世田谷区の鑑札をデザイナーの深澤直人さんとリニューアル。災害時のペットの同行避難を扱う展覧会を開催するなど、多角的な取り組みに発展しました。「その原動力は行政ではなく一般の人の声」だと竹田さんは言います。

「ただのいぬ。」展(2005年)
デザイナー・深澤直人さんとリニューアルした世田谷区の「犬鑑札」。

一方、2007年の「活版再生展」では、世田谷の廃業予定の印刷所から活版印刷機を引き継ぎ、廃れつつあるこの技術の魅力を現役のデザイナーらと紹介しました。面白いのは会期終了後、その巨大な印刷機を20代のデザイナーが引き取り、活用・運営していく場を50代の印刷会社の経営者が提供したこと。これは収蔵品を持たない施設ゆえの動きだったと語ります。

「活版を知らない20代が全盛期を担った70代-80代に学び、活版を捨ててきた世代(50代)がまたその価値に気付く。そこで引き継がれたのは、技術だけでなく精神でもあります。最近、活版印刷の価値は若い人の間で見直されつつありますが、生活工房が印刷機を収蔵し、たまに開放するだけでは、こうした生きた表現や経済活動にはつながらなかったように思います」。

「活版再生展」(2007年)

展覧会を出発点に、まちに視点や思いを広げること。そんな中で、「生活を根底から考える展示」として最後に紹介されたのが、世界各地の眠り方や寝床の展示を通して「生き方」について考える、2012年の「I’m so sleepy どうにも眠くなる展覧会」と、さらに問題意識を発展させた、2016年の「時間をめぐる、めぐる時間の展覧会」です。

私たちは普段、時間は一様に流れていると考えてしまいます。しかし、異なる時代や地域に目を向ければ、多様な時の姿があるもの。実際日本でも、明治のある時期まで一時間の長さは一律ではなく、1920年には近代の時間概念を啓蒙する展覧会が開かれ、驚異的な動員を記録しました。その現代版を目指し、自然との関係から現代生活の時間を問い直す1年間のワークショップなどを通して、「時間をめぐる」展が行われました。

「時間はカレンダーや時計の中にあるのか? そんな疑問から『時間をめぐる』展では、自然や身体に流れる時間に触れようと、動植物の時間の把握の仕方や、各地の時の過ごし方の紹介を行いました。たとえば、後者に関する『時の大河』は、世界における同じ時期の営みを、巨大な円環状の構造物で世田谷から南極までを一望できるもの。太陽や月はひとつしかないのに、世界にはこれだけいろんな時間があることを、視覚的に見せました」。

「時間について悩む人は多いですが、そこに多様性があると知ることは、それだけで孤独を見つめ直すきっかけになる」と竹田さん。自分の生活は、日頃はなかなか客観的に捉えられないもの。しかし生活工房の取り組みからは、デザインの情報整理の力や身体の感覚を通じて、そこに考えるための輪郭を与えるさまざまな工夫が感じられました。

「I’m so sleepy どうにも眠くなる展覧会」(2012年)
「時間をめぐる、めぐる時間の展覧会」(2016年)

風景、音、人に出会い直すための表現と想起

続いてのゲストは、アーティストで文化活動家のアサダワタルさん。文化活動家とは不思議な肩書きですが、実際にその活動は名づけがたいほど多様です。音楽家としてドラムを演奏したり、アーティストとしてまちなかのプロジェクトを仕掛けたり、文筆家としてコミュニティについての本を書いたり……。かつては大阪で、表現活動と街の人々との出会いをつくる、いくつものスペースの設立や運営にも携わっていました。

「最初は音楽家として出発したのですが、次第に個人の表現だけでなく、それを生活と地続きの場で起こしたいと活動を拡張していきました」とアサダさん。さまざまな実践で培った横断的な感性やスキルを、生活の中のコミュニケーションに転用しています。

アサダワタルさん(文化活動家・アーティスト)

最初に紹介されたのは、北海道の知床にある全国初の義務教育学校(小・中学校の教育を一貫して行う学校)、知床ウトロ学校で2017年に行われた、校歌のカラオケ映像を制作するワークショップ。そこでは、幅広い年代の生徒が自ら撮影した歌詞にもとづく映像や手書きのテロップが組み合わされ、現場の楽しさが伝わる映像が生まれました。

なかでも面白かったのは、生徒が先生に歌詞の意味を尋ねる場面。普段は教える立場の先生が難しい言葉の表現に戸惑う姿は、いつもの関係に新しい視点をもたらします。

「ワークショップで大事にしているのは、コミュニティに非日常の視点を持ち込むことです。校歌とは、地域の記憶が刻まれた一種のコミュニティ・ソング。大事に歌い継ぎながら、それを使って遊んだ経験も、こどもたちには記憶してほしいと考えました」。

知床ウトロ学校で校歌のカラオケ映像を編集している様子(撮影:加藤甫/提供:一般社団法人AISプランニング)
あの手この手でカラオケの「テロップ」を表現するパフォーマンスを児童と行った。(撮影:加藤甫/提供:一般社団法人AISプランニング)

何気なく触れている身の回りの音が、表現によって異なる意味を帯びること。これを都市で展開したのが、2016年秋に始まった「千住タウンレーベル」です。東京・足立区を舞台にしたプロジェクト「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」の一環であるこの取り組みは、一言で言えば、まちの情報が詰まった「タウン誌」の音バージョン。

制作されたレコード「音盤千住」には、音の記者である「タウンレコーダー」が自分の関心から残したいと集めた、まちの音が収められています。たとえば、もんじゃ焼きに似た地元の料理「ボッタ」を焼く音や、市場のダミ声、道行く人のインタビュー……。生まれては消えていく「ただの音」からは、驚くほどまちの風景が喚起されます。

「また、『聴きめぐり千住』というイベントでは、録音が行われた現場を訪れて、記録した音と実際の音を聴き比べました。レコードを通して、まちの風景、音、人をあらためて感じてもらう。音盤づくりだけでなく、それを使った試みが大事なんです」。

千住タウンレーベルから生まれた「音盤千住」。
「聴きめぐり千住」で、まちの鯛焼き屋と大福屋の「いらっしゃいませ!」を聴き比べ。音とともに試食もできる(撮影:冨田了平)

そんなアサダさんが、自身のテーマだと語るのが「表現と想起」です。2017年からは「福島藝術計画×Art Support Tohoku-Tokyo」事業の一環として、福島県いわき市にある震災避難者のための復興公営住宅 下神白(しもかじろ)団地で、「ラジオ下神白」という取り組みをはじめました。これは、住民に思い出深い音楽について聞き、その楽曲を契機に故郷の記憶を語り合い、それらをラジオ風にCDに収めて配布するというもの。

「記憶を交換することは、じつはなかなか難しい。そこに音楽を挟むことで、対話や交流のための別の入口をつくれないかと。復興住宅は特殊なコミュニティで、根付くことが一概には良いとは言えない場所です。一方、参加者にはすでに帰還した方もいて、コミュニティの姿は変わり続けている。この取り組みでは、その変化も記録したいと思っています」。

ラジオ下神白から生まれたCD。住民の語りと思い出にまつわる音楽が収められている。
復興公営住宅「下神白団地」の一戸一戸を巡って配布する。住民のお宅で一緒に再生してみることも。

もうひとつ、東京・小金井市で展開しているのが、「小金井と私 秘かな表現」という取り組みです。2015年に始まったワークショップでは、参加住民の日常生活のなかに潜むささやかな関心や行為を「表現」として見つめ直すアクションを行いました。その体験を足がかりに、翌年には「この小金井のまちで、今はもうないけれど大切な“モノ”や“場所”についての記憶」について広く市民にインタビュー。その成果などを展示した市民生活展「想起のボタン」を開催。そして今年度は3年間の集大成として記憶をもとにまちを案内する「想起の遠足」を実施。

「たとえば、昔のパン屋の味を再現して食べたり、『遠足』と題してかつての通学路を歩いたり。一個一個はとても個人的な記憶ですが、それを触媒に別の住民の記憶が編集され、ほかのまちの人にも何かを想起させる。そして、その経験がそれぞれのまちに還っていく。そんな『思い出すこと』との出会いをつくれたら、と考えました」。

音や風景、人との会話を通して、大きな「歴史」には残らないかもしれない小さな「記憶」を丹念に残すこと。アサダさんの活動であらためて気づくのは、そのように記録されたかたちになることで、記憶はその持ち主にも他者にも別の可能性を開き得るということです。その表現が今後どんな広がりを生むのか、楽しみになる発表となりました。

>>レポート後編へ続く

「想起の遠足」大遠足の記念写真。小金井に住む人の記憶を頼りに参加者全員で「遠足」した。

(イベント撮影:高岡弘)

福島こども藝術計画2017

福島の未来を担うこどもたちの豊かな人間性と多様な個性を育むことを目的とし、県内の保育園、小中高等学校等にアーティストを派遣して、多彩なアートプログラムを体験できるワークショップを実施しました。本書では、その取り組みの記録をまとめています。

もくじ

福島県立美術館 2017学校連携共同ワークショップ「おとなりアーティスト!」
福島県立博物館 小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ「わたしのすきな柳津」

松島湾の牡蠣図鑑

「つながる湾プロジェクト」は、宮城県松島湾とその沿岸地域の文化を再発見し、味わい、共有し、表現することで、地域や人・時間のつながりを「陸の文化」とは違った視点で捉え直す試みです。

本書は、松島湾のカキをテーマに、生物としてのカキの特徴や、養殖の方法、殻のむき方や調理法など、カキにまつわるあれこれを詰め込んだ図鑑です。

もくじ

はじめに

牡蠣について
 カキ
 カキの種類
 マガキ
 生育環境
 食べもの・天敵
 一年の生活
 カキの歴史
 人との関わり
 名前の由来と漢字

松島湾について
 松島湾
 松島湾の特徴
 松島湾の地質・地形
 松島湾の恵み
 松島湾で暮らす人たち

カキの養殖
 松島湾で盛んなカキの養殖
 養殖の流れ
 採苗
 抑制
 挟み込み・本垂下
 育成
 収穫
 殻むき
 養殖の種類
 カキ漁師について
 カキ漁師の話
 むき子さんの話
 フランスとの関係

牡蠣を食べる
 カキの味と栄養
 カキのむき方
 カキの調理方法
 食中毒について

巻末エッセイ
索引
おもな参考文献

TERATOTERA DOCUMENT 2017

古くから多くの芸術家や作家が居住し、近年は若者の住みたいまちとしても不動の人気を誇るJR中央線高円寺駅~吉祥寺駅~国分寺駅区間に点在しているアートスポットをつなぎながら、現在進行形のアートを発信するアートプロジェクト『TERATOTERA(テラトテラ)』。「TERACCO(テラッコ)」と呼ばれるボランティアスタッフの人材育成にも注力し、プログラムの企画・運営の実践を通じ、アーティストとともにアートプロジェクトをプロデュースできる人材育成も目指します。本書のほとんどは、そうしたテラッコたちの言葉によって構成されています。

もくじ

TERATOTERAとは

はじめに
年間スケジュール

リアリー・リアリー・フリーマーケット
西荻映像祭
パフォーマンス・デイ
TERATOTERA祭り
シンポジウム「西を動かす」

作家プロフィール
来場者アンケート
テラッコの感想

アートプロジェクトの0123

終わりに

東京スープとブランケット紀行 2014-2017 記録集

演出家・劇作家の羊屋白玉を中心に、生活圏に起こるものごとの「終焉」と「起源」、そして、それらの間を追求する『東京スープとブランケット紀行』。写真や対談記録、戯曲やスープのレシピを交えてまとめられた、4年間の活動の記録集です。

もくじ

朽ちては、芽生える、東京の猫
東京スープとブランケット紀行 2014.5.17~2017.3.8
スープを巡る話
Rest In Peace, Tokyo 小山田 徹さんと
8月8日、快晴。

Rest In Peace, Tokyo 2017.5.17~2017.11.17 その1
Rest In Peace, Tokyo Chapter 1 はなまる
Rest In Peace, Tokyo Chapter 2 みとれる
Tikam-Tikam Japan:R.I.P. TOkyo
Rest In Peace, Tokyo Chapter 2.7 はぐれる
還住の島に生きて
Rest In Peace, Tokyo Chapter 3 きこえる
Rest In Peace, Tokyo Chapter 4 くすぐる
Rest In Peace, Tokyo Chapter 5 みつける

Rest In Peace, Tokyo 2017.5.17~2017.11.17 その2
Rest In Peace, Tokyo ドラマトゥルク鼎談
街並みを眺めて考えたこと
羊屋白玉さんの猫が亡くなった翌月に離婚をし、その翌年に体調を崩して仕事を辞めた。さらに次の年、羊屋さんや東京スープとブランケット紀行に出会ってからの4年間に、対談紀行とRest In Peace, Tokyo の合間の日常で思いめぐらしたさまざまな「失われたもの」について、羊屋さんに宛てた4通のメール。
終わりの風景

東京スープとブランケット紀行 年表・地図・戯曲

Rest In Peace, Tokyo

FIELD RECORDING vol.01 特集:記録の生態系にふれる

『東北の風景をきく FIELD RECORDING』は、変わりゆく震災後の東北のいまと、表現の生態系を定点観測するジャーナルです。vol.01の特集は「記録の生態系にふれる」。震災を契機として、東北の地で生まれつつある「記録の生態系」を探ることにしました。

もくじ

<はじめに

Interview
甲斐賢治さんにきく
過去を引きずりながら、未来をかき混ぜる

Conversation
一枚の写真たち 「復興カメラ」座談会

途中の風景 松本 篤

東北の表現
屋根裏ハイツ「とおくはちかい」/「ラジオ下神白」

大風呂敷のこと 中﨑 透
Diary 福島大風呂敷、制作日記2011 中﨑 透

わたしの東北の風景
参加者一覧
編集後記 佐藤李青

復興カメラ 2018.3.11

岩手県釜石市と大槌町を中心に、日々刻々と変化するまちを写真に撮り続けてきた「復興カメラ」。その7年間の風景の変化を写真と数字でまとめました。