定時制高校で「現場」をつくるところから。「社会包摂」と「アートプロジェクト」の関係を考える。—海老原周子「Betweens Passport Initiative」インタビュー〈後篇〉

日本に暮らす『移民』の若者たちの人材育成を目指すプロジェクト「Betweens Passport Initiative」。様々な可能性を秘めつつも、光が当てられる機会の少ない彼らの力。その価値を広げようと、このプロジェクトでは定時制高校での放課後プログラムや、学校の外にいる『移民』の若者たちに関するリサーチを通じて、若者たちを社会とつなぐコミュニティづくりが進められています。

なかでも、取り組みを行ううえで重視しているのが、若者の多様性を育てる仕組みづくり。持続的にこの場所に関わるためのインターンシップなど、プロジェクトを運営する一般社団法人kuriyaの海老原周子さんが、その重要性を感じた経験とは? 現在進行形の試みについて、伴走する東京アートポイント計画プログラムオフィサーの佐藤李青とともに訊きます。

〈前篇〉「『移民』の若者のエンパワメントのために、アートプロジェクトができること—海老原周子「Betweens Passport Initiative」インタビュー」

定時制高校に「現場」をつくる

——2年間の活動のなかでBPIが継続して行っているのが、千代田区にある都立定時制一橋高等学校に週2回通い展開している放課後プログラムです。

海老原:もともと、この学校には外国籍などの高校生たちの支援に長らく取り組んできた角田仁先生という方がおり、多様な高校生たちが集まる多言語交流部「One World」を始められていました。ちょうど私もドロップアウト率の高い定時制高校の現場を知りたいと思っていて、2015年9月に、学校に通わせてもらうことから始めました。そこで、BPIのパートナーでもある徳永智子さんと知り合いました。彼女は慶應義塾大学国際センターで教鞭を執られていたので、その授業を履修する留学生たちにサービスラーニングという形で部活動に参加してもらい、共に部活動をつくってきました。参加しているのはフィリピンを中心にした東南アジアの子たちで、インドや日本の子も来ています。

——現場ではどのようなことをされているのでしょうか?

海老原:演劇のワークショップなどの始めに自己紹介を兼ねてよく使われるアイスブレイキングから始まり、例えば、言葉を使わない伝言ゲームやお互いの文化を紹介することなど、様々なアクティビティを通じてまずは関係性をつくることを大事にしています。そうすると、例えば、高校生にとってはその学校に通うことが楽しくなる状況をつくることが必要だなとか、大事なことが見えてきます。

——まずはユースとの関係性をつくることに時間をかけたんですね。

佐藤:実際、海老原さんはBPIを始めたとき、3年ほどこうした活動を続けないと関係性もできないし、プロジェクトを始めることもできないとおっしゃっていましたね。

海老原:こちらがやりたいアートプロジェクトを押し付けるのではなく、まずはその場に身を置くことが礼儀だと思っています。ブリッジの話ともつながりますが、最近、アートプロジェクトでも社会包摂が語られるようになってきました。その対象には『移民』以外にも、LGBTや障害者など様々な人がいますよね。ただ、すでに福祉や制度が整い包摂する先があるならばまだしも、『移民』は、福祉や支援の政策も制度もまだ整備されていない分野です。私たちが東京アートポイント計画の事業としてアートプロジェクトをやる意義は、これからの社会に必要なソフト面でのインフラをつくるようなもっと長い視野を持ったことなのではと感じています。そのためにも、いきなりアートを持ち込んで何かをしようとするよりも、相手にどんなニーズがあるかを現実に知らないとプロジェクトとして動けないと思ったんです。

佐藤:例えば社会福祉など制度に支えられた施設に行けば人が集まっていて、現場が見えることにより支援もしやすい。だけど、『移民』の場合は、そもそも社会的にも集まった状態で見えるかたちになっていないから、何が必要かという言語化も進んでいないと。

海老原:他のマイノリティと比べて、包摂する先がまだなく、『移民』の若者が集まる場すらない段階では、まずは、その「現場」をつくることから始めないといけないし、それには3年くらいはかかるだろうと考えていました。なので定時制高校では放課後の部活動という形で、多様な高校生たちが集まることのできる「場」をつくりました。次に、学校でもない家でもない、若者たちが集える第3の「場」としてインターンシップをつくっていくことをこの2年間ではやってきたのだと思います。

Betweens Passport Initiative インターン活動の様子。

リサーチを通して、ユースが変わった

——定時制高校での活動と並行して、BPIではこれまで、アーティストのOkui Lalaさんや武田力さんと協働してユースとの新たな出会いを模索するリサーチプログラムも行ってきました。

海老原:定時制高校は学校内のコミュニティですが、BPIにおける「ユース」は、16才から26才を対象年齢としています。そのなかには、すでに高校を卒業した18才以上の子やドロップアウトした子、あるいは20代で来日した子もいます。こうした子は本当に見えづらい状況にいます。彼らはどこにいて、どのように出会うことができるのかという課題があったんです。

佐藤:そのような状況のリサーチと、出会いの仕組みをつくる必要があるんだろうと。武田さんはフィリピンなどアジアでも活動を展開していますが、地域に入り、人との出会いから作品のフォーマットそのものをつくるアーティストです。話を伺うと日本の移民への関心もあった。それで最初は、フィリピンコミュニティの人が多い定時制高校の活動に参加してもらおうと思いました。でも実際に動き始めてみると、むしろコミュニティの枠から外に出る動きをしてもらう方がいいんじゃないかと、課題だったリサーチをお願いすることになりました。

——いわば、野に放ったわけですね。リサーチとは、具体的には?

海老原:東京のなかの多文化を巡るリサーチとして、インターンをしているユースに自文化の案内者になってもらいました。武田さんが独自に行っているリサーチに加えて、例えば大久保の路地裏やフィリピンの食材店などの情報を持っているユースと知り合い、助けてもらう。そこからこれまでは掘り起こされていない、新しいユースとの出会いができるのではないかと期待しました。何かをつくるときというのは、結果的に誰かが巻き込まれやすい状況ができるものだと思うんです。

Betweens Passport Initiativeでは、アーティスト・武田力さんとユースが協働し、東京都内の多文化の現場をリサーチした。

海老原:アーティストと関わることで、案内役のユースにも変化がありました。ちょうど今日、武田さんも含めて錦糸町や高田馬場をみんなで回ったんですけど、関係性が変わるんです。今日もユースたちは、案内のために入念な準備をして、私たちには辿り着けないようなフィリピンのレストランに連れて行ってくれました。

——そこではむしろ海老原さんたちが教わる側になるわけですね。

海老原:例えば、支援という枠組みでは、どうしても支援者と被支援者という固定された上下関係にあります。でも、リサーチでは、「弱者」になってしまいがちな彼らの持つ価値が転換される。水平でフラットな関係性や、上下関係自体が反転したりする状態をアートプロジェクトではつくりやすい。関係性すらも多様なコミュニティでの経験は、ユースにとって「自分にも何かができるんだ」と実感する場でもあり、エンパワメントの機会になると思っています。

ユースの関わり方は様々。企画や制作を手がけることもあれば、通訳として間に立つこともある。プロジェクトを通じて、それぞれが自分の持つ「多文化」や個性の活かし方に気づくことを目指す。(「Moving Stories / Youth Creative Workshop アジア間国際プラットフォーム形成ー多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト」)

何かを変えるための包摂とは?

――海老原さんは通訳者としても活動していて、BPIの外でも、『移民』の問題を扱った日本のアートの現場に多く立ち会っているかと思います。その中で、移民の取り上げられ方について疑問に思うことや、理解が進んでいないと感じることはありますか?

海老原:最近はもう、いろいろな怒りも通り過ぎてしまって……。

佐藤:(笑)よく怒っていましたよね。『移民』に関する仕事が増えたのは最近ですか?

海老原:ここ2年ほどで増えたと感じます。「アートと移民」というと、アーティストが自主的に作品で取り上げる場合と、高まる「社会包摂」の流れのひとつとして主催者側が事業や企画に盛り込もうとする場合がありますよね。前者については、私が言えることは何もないです。作品化することで結果的に搾取になるケースもありますが、それはアーティストの自由であると同時に、自由の対価として責任も引き受けるのかは、その人次第だと思っています。一方、後者の社会包摂の取り組みには、何のためにやるのかよくわからないと感じるものもあります。なぜそれをやるの?やったことでどうしたいの?と。

――ある種、「マイノリティに優しい」という大義名分が先行してしまっている?

海老原:実績づくりを目的に実施する、ということですね。私たちがいただくお問い合わせの中には、こんなプログラムをやりたいからユースに参加してもらえないかと、キャスト会社のような扱いを受けるものもあります。でも、多様な人が参加する強みは、様々な視点を通して従来の仕組みの機能していない部分が見えたり、新しい枠の必要性がわかること。ただ既存の枠組みにはめ込んで、「包摂」と言うだけでは何も変わらないのではと思います。

佐藤:本当に何かを変えるための包摂というより、言い方は悪いけれど、ただの「トピック」として扱ってしまうものもある。その前提の違いは、大きな問題ですよね。

——一方でその話題は、BPIがなぜ「アートプロジェクト」かという問いにもつながると思います。海老原さんはアートとしての良さ以前に、実際の人の状況が変わることをとても大事にされている。アートか人か、その天秤についてはどう考えていますか?

海老原:アートをツールとして使うか、ということですよね。そこはすごく悩んできた部分ですが、おそらくそのどちらでもありません。よく誤解されるのですが、私たちは福祉団体でも支援団体でもありません。kuriyaは人材育成の団体としてアートプロジェクトに価値を見出しています。というのも、アートプロジェクトは言語化しづらい部分もありますし、短期的に何か問題を解決するわけでもないと思っています。ただ長期的な視点では、社会を豊かにする何かをつくるものだと信じています。ともすれば必要ないとみえるものかもしれないけど、人の人生にその体験があるかないかの差はすごく大事だと。

——海老原さんが、その大切さを感じた経験というと何ですか?

海老原:子供の時からアートに救われて来ました。日本で通ったアトリエもそうですし、イギリスでも演劇やアートが身近にあった。それらが別に何かをしてくれるわけではないけど、『外国人』として育つなかで、人との違いやいろんな観点を持っても良いんだよという蓄積があったからこそ今の自分があります。そうした場所を、いまの日本にもつくりたいんです。

ワークショップで制作した自分たちの映像を観るユースたち。(「Moving Stories / Youth Creative Workshop アジア間国際プラットフォーム形成ー多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト」)

埋もれていた価値を見つけ、物語を伝えていく

——現在、BPIにはインターン生が5人、また過去のメンバーなども含めて20人ほどのユースが関わっているそうですね。彼らとは普段、どのような時間を過ごしているのですか?

海老原:お茶を飲んだり、ゆで卵の茹で方を教えたり、進学の相談に乗ったり……。ただ一緒の時間を過ごしているように見えて、フラットに話せる関係性の大人と知り合えることが、アートプロジェクトだからこそ築けるセーフティネットのように思うのです。私たちは結局、支援団体ではないので、具体的な何かをしてあげることはできません。支援や福祉と近い領域のアートプロジェクトには、その一線を越えないように堪えるものも多いですが、私たちはあえてそのラインを越境して、従来とは異なるかたちの網を張ることをしたいと思っています。

——支援や福祉の領域にはない、新しい関係性の紡ぎ方をしていきたいと。

海老原:はい、それと同時に、そこで語られる小さな物語を、社会に伝えていくことで、大きな仕組みをつくれたらと思っています。第一回目の東京オリンピックが道路や建物といったハード面での社会インフラ整備のきっかけになったのに対して、第二回目となる2年後の東京オリンピックに向けて、教育や福祉といったソフト面での社会のインフラ整備が必要なのではないかと個人的に感じています。とくに断絶されてしまった関係性をつなぐ時にアートプロジェクトが有効なのではないかと。BPIを始めたときに「現場」と「ツール」と「物語」が必要だと思っていました。1年目は定時制高校という現場を、2年目はインターンというツールを、3年目は、彼らがここでどんな成長をして、どう巣立って行くのか、その物語を、未来の仕組みづくりのために伝えていきたい。

「Moving Stories / Youth Creative Workshop アジア間国際プラットフォーム形成ー多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト」

——移民というと、これまで支援や研究の「対象」になりがちでしたが、今後、彼らが自ら文化の発信者として、日本で大きな存在感を持つことも十分に考えられますよね。

海老原:実はそういう動きは、すでに起きつつあります。メンバーとして関わってくれているAvinash Ghaleは高校を卒業してからネパールより来日しました。彼がインターンプログラムの一環として、ビデオのワークショップをやったことをきっかけに、映像作品を撮りたいと思っていた若者たちが集まり、仲間を集めてYouTubeチャンネルを始めています。週一回継続的に集まり続けていて、規模も大きくしながら、自身で発信を行っています。ユースと私たちも、ずっと一緒にいられるわけではないなかで、私たちが彼らの物語を語るのではなく、どんどん自分たちで語れる力をつけられるようになるといいなと思います。

佐藤:今日語ってきたプロジェクトの「準備」が整う中で、BPIは、本当にこれから何をしていくのかがとても大切になると思うんです。海老原さんとユースの付き合いの切実さと共に、これからの実践によって、その真価が問われるのだと思います。ユースが関わる土壌ができたうえで、彼らがどう変わったのか、どんな新しいユースと出会えたのかが、重要だろうと思います。

海老原:人口減少を迎える日本において、BPIの取り組みは、多文化社会を迎える東京の未来をつくることでもあると思っています。以前、あるインターン生が「日本に来て初めて、自分にも何かできるんだと感じた。この活動がなかったら、自分が日本で何か役に立てるとは思っていなかった。でも、このプロジェクトがあったから、人とは違う自分だからできることがあると、自分の強みがわかった」と言われたんです。BPIには『移民』の若者のみならず日本人の若者も参加しています。そして例えば子育てが一段落したお母さんなども即戦力として関わってくれています。これまで社会に埋もれていた人的資源を見つけて、活躍の機会を提供することで新しい人材を育てるアートプロジェクト。そんな指標を大切にしながら、今後も活動を展開していきたいです。

「Moving Stories / Youth Creative Workshop アジア間国際プラットフォーム形成ー多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト」

Profile

海老原周子(えびはら・しゅうこ)

一般社団法人kuriya代表、通訳
ペルー、イギリス、日本で多様な文化に囲まれて育つ。慶應義塾大学卒業後、独立行政法人国際交流基金や国連機関で勤務。2009年に移民の子供を対象としたアートプロジェクトを立ち上げ、多文化なコミュニティづくりや人材育成を行う。2014年からは移民の若者に焦点をあて、アート活動を通じたエンパワメントプログラムを実施。2016年にEUが主催するGlobal Cultural Leadership Programmeに日本代表として選抜される。また、国と国、文化と文化、言葉と言葉の間をつなぐことをテーマに通訳としても活動する。2016年、一般社団法人kuriyaを立ち上げ、アートプロジェクト「Betweens Passport Initiative」を始動。

一般社団法人kuriya

kuriyaは、『移民』の若者たち=未来の可能性と捉え、自らの手で未来を切り開く人材を発掘・育成しています。東京をベースに『移民』の若者たちをはじめとする多様な人たちが集うインターカルチャーな場をつくり、それぞれの持つ知識やスキルを共有し学び合いながらアートプロジェクトを行うことで、彼らに生きる糧やライフスキルを身につける機会を創出します。

Betweens Passport Initiative

『移民』の若者たちを異なる文化をつなぐ社会的資源と捉え、アートプロジェクトを通じた若者たちのエンパワメントを目的とするプロジェクトです。人材育成事業として『移民』の若者たちがプロジェクトの運営を共に行います。
https://medium.com/betweens-passport-initiative

『移民』の若者のエンパワメントのために、アートプロジェクトができること—海老原周子「Betweens Passport Initiative」インタビュー〈前篇〉

「東京アートポイント計画」に参加する多くのアートプロジェクトは、いったいどのような問題意識のもと、どんな活動を行ってきたのでしょうか。この「プロジェクトインタビュー」シリーズでは、それぞれの取り組みを率いてきた表現者やNPOへの取材を通して、当事者の思いやこれからのアートプロジェクトのためのヒントに迫ります。

今回お話を聞いたのは、日本に暮らす『移民』の若者たちの人材育成を目指すプロジェクト「Betweens Passport Initiative」です。様々な可能性を秘めつつも、光が当てられる機会の少ない彼らの力。その価値を広げようと、このプロジェクトでは定時制高校での放課後プログラムや、学校の外にいる『移民』の若者たちに関するリサーチを通じて、若者たちを社会とつなぐコミュニティづくりが進められています。

なかでも、取り組みを行ううえで重視しているのが、若者の多様性を育てる仕組みづくり。持続的にこの場所に関わるためのインターンシップなど、プロジェクトを運営する一般社団法人kuriyaの海老原周子さんが、その重要性を感じた経験とは? 現在進行形の試みについて、伴走する東京アートポイント計画プログラムオフィサーの佐藤李青とともに訊きます。

Betweens Passport Initiative事務局長/一般社団法人kuriya代表・海老原周子さん

『ユース』に対するサポートが足りていない

——今年で2年目となる「Betweens Passport Initiative」(以下BPI)では、近年日本でも耳にする機会の多い『移民』の若者たちと共につくるアートプロジェクトのかたちが模索されています。最初に、『移民』という言葉について教えていただけますか?

海老原:国際的に合意された定義はないと言われていますが、例えば「通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12カ月間その国に居住する人」と説明されることがあります。BPIでは「多様な国籍・文化を内包し生活する外国人」と定義しています。2018年の1月に「東京23区の新成人の8人に1人が外国人」という報道があったように、日本の外国籍人口は増加傾向にあります。そのなかでBPIに参加している、私たちが「ユース」と呼んでいる若者たちとは、東京で育つ16才から26才の若者たちです。『移民』のみならず日本人の若者も参加しています。

——海老原さんが彼らの状況に対して、アートを通じて人材育成をしたいと考えた動機とは何だったのでしょうか?

海老原:外国人や『移民』というと、一般的にはそこで生じる「問題」の方に焦点が当てられがちです。例えば日本語ができないとか、文化に馴染めないとか……。だけど実際に接してみると、彼らはとても豊かな資質をもっている。彼らの持つ言語や文化などの多様性はこれからの東京のまちをより豊かにする可能性だと感じています。でも、そんな彼らの可能性や多様性を育てる場は少ない。アートプロジェクトがその場になるのではないかと思いました。私は、アートには多様性を育てる力があると感じていて、そして、プロジェクトを「ユース」たちと共に運営することで「自分も社会とつながれる」「社会の一員として役に立てるんだ」と彼らに感じてもらえる機会がつくれると考えています。人と異なることを価値にできるという点で、アートプロジェクトは人材育成に有効だと思っています。

マレーシアのアーティスト・Okui Lalaとのワークショップ

――海老原さんは小さいころ、ペルーやイギリスで暮らしていたそうですね。

海老原:イギリスにいたとき、言葉ができるようになっても、友達をつくるのがとても大変だったんです。でも、音楽や美術の話題から一人、友達ができて、孤独な自分の世界が彩られた。その個人的な経験も原体験としてありますが、日本で5才から通っていた絵画教室の影響が大きいです。そのアトリエには、幼稚園児から高校生まで、障害を持つ子や学校に馴染めない子などいろんな子がいました。学校でもない家でもない第3の居場所があって、いろんな人が集まる面白さを体験しました。それもあり、前職の独立行政法人国際交流基金時代から、『移民』の子供や若者たちと文化や芸術を通じて何か取り組めないだろうかと考えていました。

佐藤:BPIが対象にするユースへの取り組みの必要性も、そこで気が付いた?

海老原:そうです。仕事をするなかで、高校生や大学生といったユースの層へのサポートが日本には少ないことを実感しました。小学生や中学生までは学習支援があり、大人にも日本語教室などの取り組みはあるのですが、そのあいだの層の「若者」には支援も人材育成も十分でないのではと。そんなことを感じていたとき、当時勤めていた国際交流基金の本部のある新宿で、芸術文化交流のノウハウを活かし、足元にいる多文化な若者たちを国際交流の担い手として育成もできないかと提案しました。これが「先駆的創造事業」という社内公募事業として採用され、2009年に中高生対象の映像ワークショップをしました。これをきっかけに、「新宿アートプロジェクト」が始まりました。

——新宿アートプロジェクトは、kuriyaの前身となるプロジェクトですね。そこではどのような活動をされていたのでしょうか?

海老原:映像や音楽、ダンス、演劇などのワークショップを定期的にやっていました。例えば映像のワークショップでは、まちと接触するようなテーマを決めて、自分たちが切り取ってきたイメージからお互いの視点の違いを感じたり。そんな取り組みを、国際交流基金のプロジェクトとして3年間、新宿区との協働事業として2年間やったのですが、同時に自分たちの活動に疑問や限界も感じていました。

「新宿アートプロジェクト」より(c)T.K
「新宿アートプロジェクト」より

「その先」に関わるためのインターンの仕組み

——新宿アートプロジェクトに感じていた疑問や限界とは何だったのでしょうか?

海老原:新宿アートプロジェクトでは、ワークショップを中心に年間30回以上の活動をしていたのですが、5年もやっていると、当時は10代後半だった子が20歳を過ぎてふたたび参加してくれることもありました。もちろんワークショップ中は楽しく参加しているのだけど、じゃあ、そのあとの彼らの人生がどうなっているかというと、例えば大学に行きたいのに進学できていなかったり、高校をドロップアウトしている子もいるんです。

——関わったあとのユースの現実が見えてきた。

海老原:新宿アートプロジェクトでは、彼らの個性が光る場所をワークショップという単発の場でつくっていたと思います。でも肝心のユースにとって、ワークショップに参加することがどんな力になっているのか。作品制作を目的としていたわけではないなか、自分たちの試みはアートをより追求するのか、アートをツールに課題解決を目的としたプロジェクトをやっていくのか。アートとプロジェクトのあいだのブリッジをどうつくるか、という葛藤もありました。

佐藤:その問題は解決したんですか?

海老原:やっとそのブリッジのあり方が見えてきたと思います。とにかく新宿アートプロジェクトでの限界を乗り越えるため、BPIを始めるときに「kuriya」という一般社団法人を立ち上げ、器をつくったことが大きかった。

——いま見えてきた「ブリッジ」とは、具体的にはどういうことですか?

海老原:アートプロジェクトをユースと共に運営することで、働きながら学べる場をつくり、それをインターンシップという仕組みにしました。ユースたちを取り巻く環境を見ると、必ずしも社会的経済的に恵まれているとは言い辛い状況にあります。例えば、アルバイトは単なるお小遣い稼ぎではなく、学費のため、親に生活費を入れている子も多くいます。そういう子たちが例えば美術館のイベントに参加したい、映像ワークショップに参加したい、いろんな機会に挑戦したいと思っても、毎日学校とアルバイトと往復するなかで、そんな余裕すらありません。進学にも仕事にも困っているユースたちの状況を拾うことができない。それが新宿アートプロジェクトで感じた限界でした。

Betweens Passport Initiative インターン活動の様子。

——しかしBPIでは、そこにインターンという担保をつくれた。

海老原:ユースたちの生活も考えながら、アートプロジェクトにアクセスできる機会としてインターンという関わり方があること。つまり、きちんと彼らの環境を踏まえた上で、アートプロジェクトに参加するためのアクセシビリティを担保するために、インターンの仕組みがある。様々な機会を無責任ではないかたちで提供できるのは大きいです。
ユースたちはよく「機会(Opportunity)がほしい」と言うんです。BPIではアーティストとの関わりを通して、ユースが自らの役割や可能性を見出しています。もともとプロジェクト名に「パスポート」の言葉を入れたのは、アルバイトと学校の往復という生活を送りながらも、機会が欲しいと願うユースたちに、新しい場所や異なる価値観へアクセスするための「ツール」を手に入れて欲しかったからです。アートを介して、様々な価値観や新しい世界との出会いを提供すること。かつ、働きながら学べる場としてインターンシップをプロジェクトのなかに織り込むことで、課題に対する解決策も織り込む。それが2年間で見えたアートとプロジェクトのブリッジだと考えています。

ワークショップやアーティストとの協働を通じ、ユース一人ひとりの「やりたいこと」「伝えたいこと」を触発していく。(写真:「Moving Stories / Youth Creative Workshop アジア間国際プラットフォーム形成ー多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト」)

〈後篇〉「定時制高校で「現場」をつくるところから。「社会包摂」と「アートプロジェクト」の関係を考える。—海老原周子「Betweens Passport Initiative」インタビュー」

Profile

海老原周子(えびはら・しゅうこ)

一般社団法人kuriya代表、通訳
ペルー、イギリス、日本で多様な文化に囲まれて育つ。慶應義塾大学卒業後、独立行政法人国際交流基金や国連機関で勤務。2009年に移民の子供を対象としたアートプロジェクトを立ち上げ、多文化なコミュニティづくりや人材育成を行う。2014年からは移民の若者に焦点をあて、アート活動を通じたエンパワメントプログラムを実施。2016年にEUが主催するGlobal Cultural Leadership Programmeに日本代表として選抜される。また、国と国、文化と文化、言葉と言葉の間をつなぐことをテーマに通訳としても活動する。2016年、一般社団法人kuriyaを立ち上げ、アートプロジェクト「Betweens Passport Initiative」を始動。

一般社団法人kuriya

kuriyaは、『移民』の若者たち=未来の可能性と捉え、自らの手で未来を切り開く人材を発掘・育成しています。東京をベースに『移民』の若者たちをはじめとする多様な人たちが集うインターカルチャーな場をつくり、それぞれの持つ知識やスキルを共有し学び合いながらアートプロジェクトを行うことで、彼らに生きる糧やライフスキルを身につける機会を創出します。

Betweens Passport Initiative

『移民』の若者たちを異なる文化をつなぐ社会的資源と捉え、アートプロジェクトを通じた若者たちのエンパワメントを目的とするプロジェクトです。人材育成事業として『移民』の若者たちがプロジェクトの運営を共に行います。
https://medium.com/betweens-passport-initiative

「言葉」の文脈を繋ぎ、適切に届けるには?

「つくる」で終わらせない。ドキュメントの「届け方」を、2017年度も研究・開発しました。

近年、日本各地で増加するアートプロジェクトにおいては、その実施プロセスや成果等を可視化し、広く共有する目的で様々な形態の報告書やドキュメントブックなどが発行されています。それらは、書店販売など一般流通に乗らないものも多いため、制作だけでなく「届ける」ところまでを設計することが必要となります。

またそれらのドキュメントには、母体となる団体やプロジェクトの理念や文脈が込められています。複数のプロジェクトを抱える団体において、そこに通底する価値を広く社会に伝えることは重要です。

TARL研究・開発プログラム「アートプロジェクトの「言葉」に関するメディア開発:メディア/レターの届け方(2017)」では、アートプロジェクトから生まれた「言葉」(ドキュメント)の届け方の手法を研究・開発しました。

前年度に引き続き、本年度はアーツカウンシル東京の取り組みから「東京アートポイント計画」「Tokyo Art Research Lab」「Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)」を取り上げ、ドキュメントを届けるためのメディア開発(パッケージ及びレター)を試みました。特に力を入れたのは、冊子を届けるだけでなく、プロジェクトのアウトプットとして発せられた「言葉」を、より広い文脈と接続し、可視化することです。

完成|「Words Binder 2017 / Box+Letter」

先に完成品からご紹介します。本年度発送したのは11点のドキュメント(冊子8点、リーフレット形態のもの3点)です。それらを透明のボックスに納め、レターが見えるような形に仕上げました。また、今回はプロジェクトを横断した「言葉」の紹介や、それぞれの背景を紹介するようなコンテンツ(レター)も制作し、添えています。

表側(冊子が見える)/裏側(レターが読める)。
レター表面。ディレクターメッセージと、各プロジェクトの概況を掲載。
レター裏面。2017年度のプロジェクトから生まれた言葉をピックアップして紹介。
内容物一覧。判型も生まれた背景も異なる11種の印刷物をどう物理的に納め、言葉として届けるかが課題でした。

プロセス|届け方の改善と、臨機応変な対応

さて、完成品を先にご覧いただくと、スッと綺麗な形に仕上がっているように見えますが、その過程には様々な試行錯誤がありました。

「11種類のドキュメントを届ける」だけでも、例えばこんな課題があります。

●各プロジェクトの共催団体がそれぞれ年度末に向けてドキュメントを制作するため、印刷物としての判型やボリューム、タイトル等が発送タイミングの直前までわからない。
→サイズや紹介方法を包括できるようハード面・ソフト面双方で工夫する

●「東京アートポイント計画」「Tokyo Art Research Lab」「Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)」という3つの事業を横断するので、それぞれの背景が複雑。
→説明のためのコンテンツ(レター)の構成を検討する

●アートプロジェクトの「成果」をどう表現するべきか?
→各プロジェクトで「何を行ったか」はドキュメントに記載されているが、それらを俯瞰した伝え方をレター上で検討

●美しく、安全に届けるための適切な設計とは?
→前年度、配送業者側で箱を補強されてしまうアクシデントがあったので、避けたい。

こうした「どうしよう?」を前に、研究・開発チームであるデザイナー・川村格夫さん、編集者・川村庸子さん佐藤恵美さん、アーツカウンシル東京のプログラムオフィサー・佐藤李青中田一会が一つひとつの課題に取り組みました。

2018年1月、前年度の発送物を振り返り、本年度の検討をスタート。
ドキュメントの仕様や基本情報を確認しつつ、ボックスとレターの仕様を決めていく。
プロジェクト成果の見せ方について、様々なアイデアを交わしました。
今回もアーツカウンシル東京・プログラムオフィサーの手作業で発送。作業ラインや工程もデザイナーとともに開発。
300件の制作はなかなか大変。工程上の問題や、外部発注、予算のバランスも適宜調整。

フィードバック|「言葉」は狙いどおり届いた?

こうして2018年3月末、約300件の「Words Binder 2017 / Box+Letter」を全国の文化活動拠点や、研究者、プロジェクトのコラボレーターに向けて発送しました。

「資料として活用します」「この◎◎◎、興味深いですね」といったメッセージをいただきましたが、特に見た目からわかりやすく「ギフト」にしたことで、SNS上でも好評だった様子。また、届いた瞬間から「どういったドキュメントがどういった意図で入っているか」をすぐに理解してもらえ、「どう活用できそうか」のコメントも添えた反応をいただきました。

SNSで投稿いただいた内容を一部ご紹介します。

大分県竹田市の文化拠点「真抄洞 shinshodo」さんの投稿。箱から内容物まで丁寧にご紹介いただきました。全国の拠点で配架していただくのも目的のひとつ。
ドキュメントのひとつを担当いただいた福岡県在住の編集者の方の投稿。各プロジェクトのコラボレーターに他の活動を知っていただくことも大切にしています。
届け方やメッセージの編集方法に注目いただいた投稿も。

まとめ|イメージを共有しやすい「かたち」を選ぶ

前回よりも受け取った方からの反応が良かった要因のひとつには、今回の「透明なクリアケースで荷物を送る」という「かたち」が通常のギフトの配送方法に近いことが影響しているのだと思います。たとえば、実物のハコが届く以前に、ハコのイメージを説明するときには「化粧品をいれるクリアケースの大きいものです」という言葉を使っていましたが、すでにある「かたち」に手を加えることが今回のハコのデザインのポイントになりました。(前年度の配送時の経験(デザインしたハコにガムテープで補強される……)を教訓に、今回の制作の意図を理解せずとも大切に配送してもらうように、という考えもありました)。

前年度のアクシデント。デザインしたハコが配送業者によって補強されてしまった。2017年度は「わかりやすいパッケージ」を目指すことに。

また、レターの裏面には、同封したドキュメントから抜き出した印象的な言葉を配置しました。当初は、ほかのドキュメントと差異化を図るため、また各プロジェクトに横断的な価値を伝えるための独自のコンテンツをつくる案も検討していました。しかし、結果的には、各ドキュメントの要点となるような言葉を選んでひとつのメディアに配置することで、複数のドキュメントを、ひとつの発送物として送るために機能するレターとなり、かつ今後継続していく「フォーマット」を生み出すことにもつながりました。

レターの裏面に、同封したドキュメントから抜き出した印象的な言葉を配置。

いろいろと検討した結果、シンプルなかたちに落ち着いた。と、言ってしまえば元も子もないですが、この一連のプロセスからは、こうした取り組みの課題となる「コスト」面でも進展がのぞめることが見えてきました。つまり、定型の素材を使うことで調達費用を減らす、フォーマットを開発することで運用のコストを軽くする、という可能性です。そうした「かたち」は受け手にとっても理解しやすいものになるのだと思います(もちろん、きちんとした手間をかけること、議論に時間を費やすことは外せないとして)。

アートプロジェクトの現場の課題の解決や、知見の可視化を目指し、様々な課題に挑むTARLの研究・開発プログラム。今回の検証結果やこれまでの蓄積を活かし、より良い届け方を今後も考え、検証していきます。

アートプロジェクトにおける記録・アーカイブ

最終回となった「技術を深める(第4回)」は、アートプロジェクトにおける記録・アーカイブをテーマに開催しました。アートプロジェクトは、アーティストがつくり上げた作品やそこに関わった地域の人々との関係性など、その場に居合わせるからこそ感じられることがたくさんあります。しかし、プロジェクトの一部始終を残らず記録することはできません。そのプロジェクトの価値や魅力を、当日の現場を経験しなかった人や後世に、どのように残していけばよいのでしょうか。

講座では、映像ディレクターの須藤崇規さん、〈アーカスプロジェクト〉コーディネーターの石井瑞穂さん、〈PARADISE AIR〉エデュケーター/コーディネーターの金巻勲さんを迎え、レクチャーと参加者を交えたディスカッションを行いました。

初心者でもうまく撮るには?

舞台作品のディレクションや映像撮影などを行なっている須藤さんから、「撮るコツ10選」と題し、写真や映像に関する基礎知識や、撮影の具体的なコツを伝授。機材によって苦手とするシーンを理解する、主題はひとつに絞る、撮るときの高さを変えてみるなど、今日から意識できそうなコツがたくさん。熱心にメモをとる参加者の姿が見られました。また、大量に撮ったデータの整理・保存方法についても、日付別に分けるなど具体的な提案が。誰が見てもわかりやすく整理する必要性についても触れられました。

須藤崇規さん。

続いて、コーディネーターの橋本誠が、使える状態になっているもの=アーカイブという、本講座におけるアーカイブについての定義について触れました。またTARLでアーカイブしている全国各地のアートプロジェクトに関する記録集や、参考図書『アート・アーカイブの便利帖』、記録を整理する際に便利なツール『アート・アーカイブ・キット』などについて説明・紹介を行いました。

媒体をうまく使いこなす

〈PARADISE AIR〉の金巻さんは、現代のネット環境と既存のアーカイブの手法をうまく使いこなす事例を紹介。〈PARADISE AIR〉は、2013年から千葉県松戸市を拠点に活動を開始し、これまでに国内外から約100組のアーティストによるアーティスト・イン・レジデンスを受け入れてきました。運営に携わっているメンバーは、〈PARADISE AIR〉以外の仕事にも携わっているため、普段のやりとりはチャット中心。写真など記録データもすべてクラウド上で共有・活用しているそうです。また、写真はメンバー内で共有するだけでなく、instagramなどを通じ一般にも公開。「#p_air」で検索すると、これまでの写真を見ることができます。

〈PARADISE AIR〉は、クラウドやウェブサイト、SNSを活用する一方で、紙媒体の持つ役割も重視していると言います。年度ごとにテーマを決め、アートプロジェクトについてあまり知らない人でも思わず手に取りたくなるような、デザイン性もあり親しみやすいドキュメントブックを発行。中に使われている写真は、プロが撮ったものとスタッフが撮ったものを混ぜているとのこと。すべての記録をプロに頼めない場合でも、考え方によって、写真をうまく使い分ける事例が紹介されました。

ファシリテーターの橋本誠(左)と、ゲストの金巻勲さん(左)。

歴史的な視点を持ち記録・アーカイブを考える

最後に登壇したのは、〈アーカスプロジェクト〉の石井さん。1994年にプレ事業として始動した〈アーカスプロジェクト〉は、茨城県の主催事業で、守谷市に拠点を置き活動しています。国内外からのアーティスト・イン・レジデンスの受け入れをメイン事業とし、その補足的活動としての記録・保存も実施。時代の移り変わりと共にアーカイブズは増え、記録を保存する媒体も変わっていきます。フロッピーディスクやVHSなど、今ではほとんど使われなくなった媒体に残されている記録も、使いやすい媒体に変換するなどして大切に保存しているそうです。

国内のアーティスト・イン・レジデンスでは先駆け的存在である〈アーカスプロジェクト〉。これらのアーカイブを後世にどのように残し、伝えて行くかも大きな課題です。現在は、過去の記録を整備・調査する事業「アーカスアーカイブプロジェクト」を3カ年計画で実施しています。

石井瑞穂さん。

これからの記録・アーカイブ

ゲストの話を受け、参加者はグループごとに、今、アーカイブで悩んでいることや課題について話し合い、代表者が発表。リサーチをメインにした制作など記録に残しにくいものをどのように扱うか、その場の熱量が映像には残りにくいことへの悩み、著作権や肖像権についての悩みなどが共有されました。

最後に、ゲスト3名からの感想や指摘をいただきました。

須藤さんは、「紙や物に関しては様々な残し方が研究されてきたが、映像は誕生して100年ちょっとしか経っていない。保守的にならず、楽しみながらやっていきたい」と、映像技術の進化するスピードや可能性について言及しました。

金巻さんは「たくさんの記録媒体がある中で、それらをどうつなげていくかを考えるのが大事。アーカイブを日常生活に例えて考えてみると共通項も見つけやすいので、どんどんチャレンジしてほしい」とアドバイス。

石井さんからは「残したものをどう価値づけ、日本の現代美術の歴史の中にどう位置付けるか考える必要がある。アーカイブの専門家がもっと増える世の中になってほしい」という、長年活動してきた拠点にいらっしゃるからこその感想をいただきました。

新しく誕生した滞在制作拠点からの視点や、歴史を持つ滞在制作拠点ならではの話題の提供もあり、そもそも「撮る」とは、「残す」とは、「アーカイブ」とは何なのかを考える良い機会となりました。

<開催概要>
日時::2018年2月21日(水)19:00~21:30(18:45開場)
会場:ROOM302(東京都千代田区外神田6-11-14-302 [3331 Arts Chiyoda])
募集人数:30名(事前申込者優先)
参加費:1,500円(連続講座受講生は1,000円)
テーマ:第4回 アートプロジェクトを記録・アーカイブする技術〜写真・映像の記録撮影から保存・活用まで〜
ゲスト:石井瑞穂(アーカスプロジェクト コーディネーター)、須藤崇規(映像ディレクター)、金巻勲(PARADISE AIRエデュケーター/コーディネーター)
ファシリテーター:橋本誠(一般社団法人ノマドプロダクション 代表理事)

アートプロジェクト〈アートアクセスあだち 音まち千住の縁〉のリスクマネジメント

アートプロジェクトの心構えや、現場で求められる技術について掘り下げていく全4回の公開講座シリーズ「技術を深める」。第3回は、市民参加型アートプロジェクト〈アートアクセスあだち 音まち千住の縁〉事務局長の吉田武司さんをゲストにお迎えしました。さまざまな人がかかわり、まちなかで展開するアートプロジェクトには、どのようなリスクが潜み、どういった仕組みでリスクをマネジメントすることができるのでしょう。吉田さんの知見を共有いただき、実践的なワークを通して考えた講座の模様をレポートします。

アートプロジェクトとってのリスクマネジメントの必要性とは

最初にファシリテーターの橋本誠から、リスクをテーマに講座を開催する理由や、具体的なリスクの洗い出し方についてイントロダクション・レクチャーがありました。アートプロジェクトになぜリスクマネジメントが必要かというと、プロジェクトに関わる人や物事を守るためです。リスクは「法規・社会通念・人や環境に起因するもの」の3つのアプローチ別に洗い出すことができます。こうしたリスクを可能な限り想定し、対策(回避・予防・軽減)を重点的に打つことが必要となります。リスク整理の方法は、ひとつのプロジェクトを時系列に準備段階・実施段階・終了後の3つの時制に分けることも可能です。続いて、ゲストの吉田武司さんから〈アートアクセスあだち 音まち千住の縁〉を事例にお話いただきました。

ファシリテーターの大内伸輔(左)、ゲストの吉田武司さん(右)(撮影:川瀬一絵)。

《Memorial Rebirth 千住》実施体制

アーティスト大巻伸嗣さんによるプロジェクト《Memorial Rebirth 千住》は、無数のシャボン玉で見慣れた景色を幻想的な空間へと変貌させるアートパフォーマンス作品です。千住のまちで7年続くもので、昨年11月に実施された際には、ボランティア含む総勢133名のスタッフが参加し、のべ3,000人以上が来場。スタッフは、年齢や住まい、職業やモチベーション、かかわり方の密度も様々。全スタッフが同レベルで全体把握をするのは困難なため、受付、屋台運営、会場設営など持ち場ごとにチームをふりわけるとともに、チームリーダーを配置。各リーダーが全体の動きを把握し、チームメンバーと情報共有しながら準備を進める体制をとっています。

想定されるリスクは時期によって変化します。運営の核を担う事務局は、隔週で行う進捗確認の中で随時リスクを整理。また共催者や、コアにかかわるメンバーとは月に1度程度ミーティングをし、リスクを確認しているそうです。また、これまでの7年間のノウハウを元に、課題や経験については、できる限りマニュアル化しています。

撮影:川瀬一絵

《Memorial Rebirth 千住》プログラム実施までの流れ

実施に向けて、準備段階から実施まで、どのようにリスクマネジメントをしているのでしょうか。プロジェクトが動き出す春の時期。会場を決め、周辺の設備や住民、アクセス、まちのイベントなどをリサーチします。この時点のリスク対策としては、応急手当の講習をスタッフ向けに行い来場者への対応に備えること、さらにボランティア保険の加入によって、関わるスタッフも守ります。個人情報の取扱い方についての指導や、会計講座なども行い、予めルールをスタッフ間で共有しておきます。7〜9月の夏の時期には、作品にまつわる講習やワークショップを通して作品への理解を深めたり、プレ企画を実施して地域住民へ活動の周知と協力を仰ぎながら、本番を想定したリスクを再確認。また、かかわるメンバーとは日々の集まりや決起集会などの交流会を通して、信頼し合える関係づくりを行います。10月以降は広報物を制作し、雨天時の対応や進行表・備品リスト・緊急時マニュアルなどの最終確認を行います。万全の準備をして11月の実施に至りますが、想定外の事態が起きることもあります。そうした場合には主催チームが緊急で集まり、相談して対応します。

アートプロジェクトの特徴のひとつは、さまざまな立場、年齢、モチベーションを持った人たちがかかわることです。このようなプロジェクトのリスクマネジメントにおいて大切なのは、立場や知見が異なる人を活かせる体制づくりと何でも言い合える関係や場をつくること。そのために、「“ちょっとしたこと”の積み重ねが“人”や“こと”を守ることにつながるのではないかと実感しています」と吉田さんはレクチャーを締めくくりました。

撮影:川瀬一絵

グループワーク

講座の後半では、参加者はグループに分かれ実践的なワークショップに取り組みました。架空のプロジェクトの企画書をもとに、準備・実施・終了後、それぞれの段階におけるリスクを想定して、付箋に書き出していきます。書き出したリスクを「影響度と発生確率」で評価しながら、机上の模造紙に分類し、グループメンバーで共有。さらに、影響度と発生確率の高いリスクから順に、予防と発生時の対策方法を検討し、発表しました。

レクチャーやワークショップを通して、参加者たちは、リスクマネジメントへ向き合うための態度と、実践的な技術について学ぶことができたのではないでしょうか。吉田さんのお話の中で、挨拶をすることやともに食事をすることなど、人と人の信頼関係を築くことの大切さに言及されていたことが印象的でした。今回の講座が、参加者それぞれの現場での運営のヒントになっていくことを願っています。

<開催概要>
日時:2018年2月7日(水)19:00〜21:30
会場:ROOM302(東京都千代田区外神田6-11-14-302 [3331 Arts Chiyoda])
募集人数:30名(事前申込者優先)
参加費:1,500円(連続講座受講生は1,000円)
テーマ:第3回 アートプロジェクトのリスクに向き合う技術〜関わる人や物事を守るリスクマネジメントとは?〜
ゲスト:吉田武司(アートアクセスあだち 音まち千住の縁 事務局長)
ファシリテーター:大内伸輔(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)、橋本誠(一般社団法人ノマドプロダクション 代表理事)

生きる力としての物語の力。わたしたちはどう取り戻すのか。 —石神夏希「東京ステイ」インタビュー〈後篇〉

「東京ステイ」は、劇作家の石神夏希さんを中心としたNPO法人「場所と物語」が2016年から取り組んでいるプロジェクト。何気ない普段のまちの光景に対して、私たちはどのように異なる視点、「物語」を見出しうるのか。そんな問いを掲げたこのプロジェクトでは、現在、「巡礼」を意味する“ピルグリム”と呼ばれる実験を通して、そのアプローチを模索しています。

「場所との関係を、自分なりに紡ぎ直していける物語の力に興味がある」と語る石神さん。形成過程のプロジェクトのなかで、彼女はどんなことを感じ、何を考えてきたのか。伴走者である東京アートポイント計画ディレクター・森司との対話から探ります。

〈前篇〉「巡礼から生まれる、「場所」との新しい物語 —石神夏希「東京ステイ」インタビュー」

ピルグリム=偶然をキャッチする身構えの鍛錬

——「東京の物語にチェックインする」で、メンバー間の違和感が浮き彫りになった「東京ステイ」。そこからはどんな活動をされたのでしょうか?

石神:ひとつは、ゲストを呼んだレクチャー&ディスカッションです。自分たちのフィールドワークの「なんか違うニュアンス」を、先駆者の話から考えようとしました。
たとえば「カレーキャラバン」の加藤文俊さんからは、フィールドワークには自分が移動しないという方法もある、ということを学びました。もうひとつ大きかったのは、NPOで夏に自主的に行った千葉での合宿です。ここで、そのあと実験することになる「ピルグリム」のヒントを掴んだ気がしました。

——というと?

石神:合宿中にいろんなトラブルがあったんです。車が壊れてしまったり、真夜中に来たメンバーに買い出しを頼んだらコンビニがものすごく遠かったり。でも、それが楽しかった。こういう、偶然を受け止めながらあえて遠回りをして集まり、ひとときを共有したあと、日常に還っていくことがしたいと。2017年10月には東京の檜原村で、ピルグリムの実験のための合宿をしたのですが、そこでも現地で何をするかよりも、どう集まり、解散するかの設計を試そうとしました。

東京ステイ「レクチャー&ディスカッション」

——秋に行った檜原村の合宿では、参加した全員に「朝8時には出発して、6時間かけて辿り着くこと」がミッションとして与えられたそうですね。

石神:メンバーは、それぞれが選んだルート上で「一緒に檜原村へ連れてきたかった人」への手紙を書き上げ、その過程をSNS上にテキストや写真で共有しました。遠回りしたり寄り道したりしながら、偶然が起きる状態をどう仕込むか。こう言うと、完成されたピルグリムの手法があるようですが、むしろ自分たちがいま、ピルグリムを通して偶然をキャッチする身構えを稽古しているんです。

:演劇っぽいね(笑)。

石神:そうですね(笑)。偶然を受け入れて思いもよらない展開につなげる身体性は、都市やコミュニティと関わりながら演劇のプロジェクトを立ち上げるなかで、自分も学んできた実感があるんです。アクシデントから何かが生まれる。実際、檜原村でも雨のために予定していたバンガローに泊まれなかったのですが、たまたま寄った喫茶店に泊めてもらえることになって……。

東京ステイ「ピルグリム(巡礼)」。それぞれが目的地までさまざまなルートで向かい、手紙を書き、読み合う。

——千葉の合宿といい、いろいろ起きますね(笑)。

:その日、店番をしていたおばあちゃんの娘さんがバレエをされている方で。私たちが文化の話をしているのが聞こえるわけですよね。それで信頼されたみたいで、「使っていいわよ」と。あの日、雨が降らなければあの場はなかった。偶然が必然を呼び、とても良い場になったんです。合宿ではなくてサバイバル、本当の意味での「東京ステイ」をしたんですよね。

嘉原妙(東京アートポイント計画・プログラムオフィサー):もうひとつ、あの日みんなで書いてきた手紙を読みあったのも大きかったですよね。プロジェクトで集まったメンバーなのですが、あそこでそれぞれ個人の物語を共有した感覚がありました。

石神:そうですね。その場に連れてきたかった人への手紙ということで、私は父に向けて書いたのですが、みんな家族など、それまでお互いに話したことがなかったようなプライベートな関係性について書いていました。

:それぞれの人との距離感の話なんです。生々しくもあるけど、他者にはそれが物語になる。また現地へのプロセスも含んでいるので、妙に上演台本っぽいものでしたね。

石神:今日、どうやってここに来たかという内面的な旅の記録でもあった。SNSに上がる文章や写真も、必ずしも直接その人を語っていなくて、聞こえた音や見た風景についてでした。でもそこには、思っているその人の気配がどこか含まれていた気がします。

《hato_pepin “でも私はだれを幸せにするために生まれてきたわけでもないのだと、自分の好きなように幸せにも不幸せにもなっていいのだとわかったから、私はいま檜原村にいます。” #場所と物語 #東京ステイ #ピルグリム》東京ステイ檜原村合宿での石神さんのInstagram投稿。道中の思考と言葉を記録していった。

当事者と観察者が同居する「あわい」

——「上演台本っぽさ」とも関わりますが、石神さんは劇作家としてもまちに溶け込むような作品を作られている。演劇作品とプロジェクトの関係をどう考えていますか?

石神:もちろん両者の質は違いますが、自分にできることはそんなに多くないから、結果的に似てくる部分もあります。とくに、2017年秋に上演した『青に会う2017.10-11』 は、東京ステイの合宿と時期が重なっていたので、双方に影響があったと思います。これは京都の舞鶴市で2週間のアーティスト・イン・レジデンスを通じたリサーチから生まれた作品で、パフォーマーが演じる架空の人物が、実際に舞鶴のまちで2週間、滞在して生活する様子を演劇としてノンストップで上演し続けるものです。毎日、特設サイトに翌日の戯曲がアップされ、そこに書かれた日時と場所に行くことで観ることができるのですが、上演される内容はスーパーで買い物をするとか、地域の方と待ち合わせして会うとか、ごく普通の出来事で。

『青に会う 2017.10-11』(舞鶴、2017年)(映像:和久井幸一)

——戯曲の存在を知らない人々には、ただの日常の一コマに過ぎないと。

石神:演劇における日常と非日常の反転は、よく考えますね。東京ステイのメンバーの間でも、以前から「住む」ことと、旅など「滞在する」ことの間を考えたいと話していて。東京にはいろんな場所から人が集まりますが、たとえば3年間、東京で暮らすのは、「住む」なのか「滞在する」なのか。根を張るのでも旅するのでもなく、その間がいろいろあっていいんじゃないかと。その間で宙ぶらりんな日常のあり方を探ってみたい。

——当事者(住む)と、観察者(滞在する)の間を行き来するということですか?

:いや、当事者と観察者という二項対立ではないんですよ。そのどちらかの視点になるのは簡単なことで。むしろ、ピルグリムをしているときに起こるのは、立場が入れ替わるのではなく、同じ立場のまま変わっていくこと。当事者のまま観察者に、観察者のまま当事者になる。それらが同居しちゃう状態をいかにつくるかを考えているんです。

——重なり合う「あわい」の部分が大切ということですね。

石神:そうですね。まちで誰かとすれ違ったときに、その人の内側から自分を見る。自分のまなざしがその人を通じて自分に跳ね返ってくる。自分が他者であることに気づくというか、そうしたところに生まれる想像力に関心がある。

:アートポイントでは、石神さん以外にもさまざまな演劇人と仕事をしているのですが、彼女の演劇は、僕の言葉で言うと「1分の1の演劇」。つまり、この実社会における演劇なんです。ただのフィクションではなく、生活のなかに生に出てくる「演じること」と「演じないこと」の区別もつかない小さなあわいを重要にしている。その目線や感性があることが、いまも試行錯誤するこのプロジェクトのエンジンなんです。

場所と自分の関係を変える物語の力

——最後に、プロジェクトの今後について考えていることを聞かせてください。

石神:いま取り組んでいるのは、イラストレーターの寺本愛さん、編集者の安東嵩史さん、場所と物語メンバーでもあるアートディレクターの小田雄太くんと一緒に、これまで主に言葉で表現してきたピルグリムを、「十牛図」で視覚的に表現するブック制作です。「十牛図」というのは禅の思想を土台にした10コマ漫画のような絵で、悟りを開くプロセスを人(自我)と牛(真の自己)との関係に重ねて描いたもの。牛を追いかけ、苦労してつかまえて、牛を我が物にして家に帰ると、牛のことも自分のことも忘れてありのままの自然が見えてくるという展開なのですが、面白いのは、10コマ目、つまりラストが酒瓶をぶら下げて市井に戻る図なんです。つまり、悟りを開いたら、俗世に戻ってくる。

——日常と違うレイヤーに行って、日常に戻ってくる。

石神:私たちもピルグリムを通じて、そこにいない誰かに向かって手紙を書く、いわば「生霊を道連れに都市をさまよう」ような非日常的な時間を過ごして、だけど最後には全員が集合してご飯を食べながら手紙や体験を共有し、日常に還る。でもその日常は、すでにピルグリムをする前の日常とは変わってしまっている。もう元には戻れないんです。以前、メンバーの馬場さんから、「この活動に対して、(いい意味で)一貫したアウェイ感を感じている」と言われました。それはとても大事なことだと思っていて。普段はビジネスをバリバリしている人たちが、時間を贅沢に無駄遣いしてモヤモヤしたまま帰る。そうやって持ち帰ったモヤモヤが、それぞれの現場に少しずつ影響を及ぼしていく。このプロジェクトが、そんな場所になればと思うんです。

『東京ステイ 日常の巡礼 まちと出会いなおす10のステップ』ブックの詳細についてはこちらの記事に詳しい。

:さっき言った石神さんの持つ日常への感性、このプロジェクトを通して見つけようとしている能力は、これからとても必要なものだと思っています。大きな変化のなかでサバイバルして、そこをすり抜ける術。とくに2020年の東京オリンピック後の東京において。

石神:「場所と物語」というテーマになぜ自分は取り組みたいのか。それは、選べない場所や状況のなかで生きている人たちも、生まれてきたことを肯定できる世界であってほしいということなんです。そのとき大切なのが、自分がどうしてそこにいるのか、つまり、場所との関係を自分なりに紡ぐことができる物語の力だと思う。それは、受け入れがたい事態を変えていったり、次の場所へ進んでいく力にもなると思うんです。

——現実はひとつだけど、どう解釈するかで向き合い方は変えていける。

石神:自分と場所との関係性、つまり物語を編み直す力は、誰もが無意識に使っている「生きる力」だと思いますが、普段は見えづらいし、その必要性を切実に感じることは少ないかもしれません。だけど今後、だんだんと人口が減り、活気がなくなったり、貧しくなっていく社会ではなおのこと、その力が必要になるし、なければ本当の危機になってしまうと思う。このプロジェクトで考えたいことは、そんな物語の力を一人ひとりがどう取り戻すかなんじゃないかと思っています。

Profile

石神夏希(いしがみ・なつき)

劇作家/ペピン結構設計/NPO場所と物語 理事長/The CAVE 取締役
高校卒業と同時に劇団・ペピン結構設計を結成。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。近年は横浜を拠点に国内外に滞在し、都市やコミュニティを素材にサイトスペシフィックな演劇やアートプロジェクトを手がける。またNPO場所と物語 理事長、遊休不動産を活用したクリエイティブ拠点「The CAVE」の立ち上げおよびプログラムディレクション、住宅・都市系シンクタンクでの研究執筆、株式会社ロフトワークへの参加など、さまざまな領域を行き来して劇作家として活動している。
主な作品に『花嫁』(横浜・黄金町、2013年)、『Fantastic Arcade Project』(北九州、2013~2015年)、『パラダイス仏生山』(高松、2014~2016年)、『ギブ・ミー・チョコレート!』(横浜・本牧、メルボルン、マニラ、2015~2017年)、『青に会う 2017.10-11』(舞鶴、2017年)、共著に『Sensuous City―官能都市』(Home’s総研、2015年)など。
http://pepin.jp/

NPO法人場所と物語

2016年6月設立。不動産、建築、アート、デザイン、メディア、まちづくりなど領域横断的に活動するメンバーで構成される。「物語」という手段を通じて「場所」に潜在する価値や個性を発見し、表現し、発信することを目指している。
「物語」は人が世界と関係性を結び、今ここで生きる意義を見出す手段であり、人間に備わる根源的な力である。またあらゆる場所の価値はひとつの大きな声ではなく、さまざまな人の声によって物語られることでより豊かになると考えている。
http://bashomono.com/

東京ステイ

東京都、アーツカウンシル東京、NPO法人場所と物語によるアートプロジェクト(2016年7月〜)。
「東京ステイ」の「ステイ」とは、宿泊だけでなく「住むこと」と「旅すること」の間を揺らぎ続ける暮らし方や、立ち止まること・佇むことも含む。さらに2017年からは「共居性(きょうきょせい)」という言葉を手がかりに、自己と他者とが共に居ること・居場所を立ち上げることに向き合っている。
『ピルグリム(巡礼)』は、2017年から本プロジェクトで実験中の都市の歩き方。目的地に向かって合理的に/効率的に/最短距離で歩きがちな東京で、旅人のようにまちと出会い直すこと。そして、まちに対する消費的な態度を避け自ら何かをつくり出す感受性・身体性を取り戻すことを目指している。
http://bashomono.com/tokyo-stay

巡礼から生まれる、「場所」との新しい物語 —石神夏希「東京ステイ」インタビュー〈前篇〉

「東京アートポイント計画」に参加する多くのアートプロジェクトは、いったいどのような問題意識のもと、どんな活動を行ってきたのでしょうか。この「プロジェクトインタビュー」シリーズでは、それぞれの取り組みを率いてきた表現者やNPOへの取材を通して、当事者の思いやこれからのアートプロジェクトのためのヒントに迫ります。

今回取り上げる「東京ステイ」は、劇作家の石神夏希さんを中心としたNPO法人「場所と物語」が2016年から取り組んでいるプロジェクト。何気ない普段のまちの光景に対して、私たちはどのように異なる視点、「物語」を見出しうるのか。そんな問いを掲げたこのプロジェクトでは、現在、「巡礼」を意味する“ピルグリム”と呼ばれる実験を通して、そのアプローチを模索しています。

「場所との関係を、自分なりに紡ぎ直していける物語の力に興味がある」と語る石神さん。形成過程のプロジェクトのなかで、彼女はどんなことを感じ、何を考えてきたのか。伴走者である東京アートポイント計画ディレクター・森司との対話から探ります。

「まちとなり」の感覚を呼び起こす、演劇の力

——「東京ステイ」は、いままさに形成されつつある新しいプロジェクトですが、石神さんは運営団体のNPOの名前でもある「場所と物語」を、以前から肩書きとして使っていたそうですね。このテーマに関心を持ち始めたきっかけからお聞きできますか?

石神:私は現在も「ペピン結構設計」という劇団で活動しているのですが、劇場に限らず、テナントビルの空室や人が住んでいる家など日常生活に近い空間で、その場所から演劇を立ち上げる作品が多かったんです。そのなかで建築や不動産、都市やコミュニティに取り組む方と関わる機会が増えていきました。そのうち集合住宅や複合施設のコンセプトを一緒に考えたり、エリアの活性化プロジェクトに呼んでいただいたりするようになって。「劇作家」という職能がプロジェクトに入ることを、皆さん面白がってくれたんですね。

——演劇的な視点が、まちの現場でも求められるようになったと。

石神:関わりながら段階的に、という感じですね。ただそうして活動範囲が広がったとき、それぞれの業界で自分の職能を説明しようとすると、「劇作・演出・企画・執筆」と肩書がやたら長くなってしまって。でも、自分としては劇場でやってきたのと同じことを、さまざまな現場でやっているだけという感覚でした。その違和感を解消するために考えた言葉が、「場所と物語」だったんです。

ペピン結構設計《パラダイス仏生山 – 仏生山の記憶をたどるまちあるき》 (2016) (写真:菅原康太)

——そもそも、なぜ劇場の外で演劇を?

石神:それまで何もなかった場所で演劇が立ち上がる瞬間を見るのが好きなんです。

——一方、現代の都市にはどんな関心を持っているのでしょう?

石神:2015年にHOME’S総研というシンクタンクから発行された『Sensuous City[官能都市]』というレポートに企画チームの一人として携わりました。ここでの「官能」とは食品の製品開発で行われる「官能試験」といった、人間の五感を意味する言葉です。よくある、都市の「住みよさランキング」みたいなものでは、緑の多さや病院の数などが指標になることが多いですよね。このレポートでは「歩いていて美味しそうな匂いが漂ってきた」とか「活気ある街の喧騒を心地よく感じた」といった、五感を通じた体験から新しい指標をつくり、全国の都市を調査しました。その結果、そうした体験がその街で暮らす幸福度・満足度と相関することがわかったんです。一方で問題なのは、まち以前に人の感受性の方じゃないかとも思ったんです。それが鈍いままなら、まちの官能性を感応できない。

——たしかに場所と人の関係は、記憶や想像力でも変わりますよね。どこかにある、ありふれたショッピングモールが、誰かにとっては「特別な場所」になることもある。

石神:そうした「人となり」ならぬ「まちとなり」のようなもの。「物言いはぶっきらぼうだけど優しい」みたいなことが「人となり」と呼ばれるように、まちにも属性では測れない個性がある。私、昨年まで横浜の鶴見川のそばの、どの駅からもバスに乗らないと行けない場所に住んでいたんです。静かな住宅街と低家賃の古いアパートが混在しているエリアで、夜中におじさんが道端に座り込んでお酒を飲んでいたり、土手にブルーシートが被せてあって警察がウロウロしていたり……ちょっと寂しい場所だったんですが、当時の自分はそのザラザラした感じに安心したんです。「快適」「心地よい」とは異なる場所への感覚を呼び覚ますことも、演劇やアートが持っている力だと思います。

「ステイ」とは何か?

——その石神さんも参加して、2016年度に始まったのが「東京ステイ」です。このプロジェクトはどのようなかたちで動き出したのですか?

石神:最初は、東京のステイ体験を考えることから始まったんです。いまの東京の宿泊体験は豊かと言えるのかと。「東京R不動産」の馬場正尊さんや「ロフトワーク」の林千晶さんなど、領域横断的に建築やまちづくりに関わる方々が集まり、私は演劇というフィールドから参加しました。ただ、活動開始から約一年が経つなかで自分たちの活動に対するイメージは大きく変わってきています。

:当初は、本当に「ホテルをつくろう」という話も出ていたんですよね。皆さん、事業のプロばかりだから、新しい宿泊のアイデアはすぐ出るし、実際つくれると。しかし、そこにはアートポイント的なアートプロジェクトのイメージとの乖離があったんです。そこで、事業を引っ張ってくれるピースとして呼ばれたのが石神さんだった。

——なぜ石神さんを?

:命をかけて遠回りする人がほしかったから。一足飛びに結論に行けるのなら、それはビジネスの答えになってしまう。でも、アートポイントでやりたいのは、よくわからない新しいもの、もっと微細なアートなんです。いわば、さっき石神さんが話した鶴見のザラザラした風景への感覚。勉強や訓練では得られない、そういうセンサーやこだわりを地で持っている人がほしかった。じつは、僕は以前、茨城県の取手アートプロジェクトでの「あしたの郊外」というプロジェクトの公募で、石神さんのプレゼンを聞いているんですよ。

石神:あ!(笑) 郊外の空き家や団地についてのアイデアを募集する公募で、ペピン結構設計として応募したんです。鉄道によって生まれた「都市と郊外」という関係性を解体するために、取手と徳島に同じ名前の村をつくって、住民同士が黒潮に乗って船で交流するというアイデアでした。2014年ですね。

:「素っ頓狂なことを言う人がいるな」と思って、ヘンテコなことをしている人たちという認識はあったんです(笑)。文化事業は普通、エッジが立っていないといけないんだけど、東京ステイはより崩れていくべきだと思った。その部分を期待しました。

石神:プロジェクト開始後、一年目はとても苦しかったですね。そもそもアートとは何か、アートプロジェクトをするとはどういうことか、メンバー間で言葉が噛み合わなかった。一方、アートポイントのプログラムオフィサーや森さんからは、「すぐに答えを出してはいけない」というプレッシャーも感じていました。

:それが、アートポイント事業のユニークさだと思うんです。すごく高度で複雑なことでも、納品時には綺麗に整理されるのがビジネスのプロトコル。だけどアートポイントでは、すでにあるオペレーション・システム(OS)の上に合理的に乗るアプリケーションではなく、「東京ステイ」というOS自体をつくりましょうと問いかけていて。

——ビジネスのコードから逸脱することが大切だと。

石神:そんなやりとりを続けるなかで、だんだんプロジェクトのかたちが変わっていきました。たとえば、「ステイ」は「泊まる」ことだけではないよねと。じゃあ「佇む」なのか、「滞在する」なのか……。私たちがいま考えているのは、これは居場所に関わるプロジェクトではないかということです。居場所は、「私がここにいていい」と感じられる場所。それを、いろんな他者と立ち上げること。私たちは中国語の「共居性(きょうきょせい)」という言葉を使っていますが、「東京ステイ」はそうしたことに関わるプロジェクトだと思っています。

「東京ステイ」のウェブサイト。プロジェクトを通して得た視点や言葉が綴られている。

「なんか違うね」が揃っていった

——その変化の過程で、2017年3月に行われた最初のイベントが、大森・平和島エリアを舞台にした「東京の物語にチェックインする」です。これは、参加者がQRコードの載ったカードと鍵を受け取り、まちを自由に歩きながら特定の場所でコードを読む。すると、風景に目を向けさせる質問やエピソードが現れ、それらを通して場所と向き合うものでした。

石神:このころ、メンバーでよくフィールドワークをしていたんですが、ようやく少し共通言語が生まれつつある時期だったんです。私たちがしているのは、目的地に向かって歩くのではなく、ゴールなく歩き続ける「ピルグリム」(巡礼)のようなものではないかと。その私たちの実験を、参加者と一緒にしてみたかった。そこで選んだのが、以前もフィールドワークで訪れていた大森・平和島エリアだったんです。

東京ステイ「東京の物語にチェックインする」(2017年3月11日開催)より。第一部ではQRコードガイドブックを片手に思いおもいのルートで散策した。

——なぜこのエリアにしたのですか?

石神:大森・平和島は、観光で訪れて滞在する場所というイメージを持っている人は多くないエリアだと思います。でも海外の友人から頼まれて宿を探しているとき、平和島に24時間営業の温泉があって、外国人観光客が仮眠をとる休憩所として人気だと知ったんです。ちょうど、海外からの観光客数は延びているのに、宿泊数が増えていないとニュースで報じられた頃で、大田区は特区民泊に取り組んでいました。しかも調べてみると、大森・平和島はその歴史も含めて面白い場所だったんです。たとえば、大森エリアは海苔の漁場を埋め立ててできていたり、大田市場に隣接する野鳥公園は自然と生まれた野鳥の生態系を守るためにできていたり。また平和島競艇場も、第二次世界大戦中には捕虜収容所があった場所で、それが「平和島」という名前の由来になっています。そうした歴史のレイヤーが面白かったことが、まずありましたね。

:一方、メンバーの間でズレがあったんです。プロジェクトが行き詰まっていた。でも、場所と物語だから、とにかくどこかに出かけてみてくれと。フィールドワークはそのくらいの動機で始まったのですが、そうして議論が身体化するなかで、「実際に歩くとなんか違うよね」という感覚がメンバーから出てきたんです。変な言い方ですが、ズレとズレをアジャスト(調整)していった。

石神:うんうん、そうだった。

:「なんか違うね」が揃っていき、ズレを共有できるようになった。 なかでも一番大きなズレが平和島だったと僕は受け取りました。

東京ステイ「東京の物語にチェックインする」(2017年3月11日開催)より。第二部のトークセッション&ワークショップの様子。

——そのズレの共有の経験とは、具体的には?

石神:一度、みんなで高円寺を歩いたんです。メンバーはビジネスであれ出来事であれ都市で何かを生み出していくスペシャリストたちだから、まちの文脈や、何があれば人が喜ぶか、パッと掴む力が身についているんです。ただ、そうやって素早く答えを出した瞬間、モヤモヤしたものがスキップされてしまう危機感があって。「いまの文化や経済の流れはこうだ」と語った途端、「なぜこのおじさんは路上に座っているの?」とか、「なぜこんな不思議な店があるの?」とか、そうした疑問を彼ら本人に聞く必要がなくなっちゃう。モヤモヤに向き合わなくなってしまう。

——さっきの表現だと、ピルグリムではなくゴールを目指すものになっていた?

石神:そうですね。最初からゴールを目指すのではなく事後的ではありましたが、チームとして議論をすると、「こっちの方が気持ちいいし、共感してもらえるよね」という出口に向かって編集されていく力が強かった。

:雑誌ならそれですぐつくれると思うんです。「いまのトレンドはこれ」と。ただそこにはノイズがなかった。そのノイズのなさは、僕には問いのなさに思えたんです。

石神:そのなかで平和島には、これはメンバーの中にはひょっとして「来たくない」と言う人もいるかもしないという感覚があって。それが良かったんだと思います。

:実際、イベント当日の最後のメンバーの振り返りトークは、前提が共有されていないことがわかってしまうような話をしていたんです。そのズレは面白かったですね。

石神:大森・平和島で集まってみて、ズレがあることをハッキリみんなで確認することができたと思います。違和感を共有できた。その意味で、大森・平和島の経験はすごく有意義でした。

〈後篇〉「生きる力としての物語の力。わたしたちはどう取り戻すのか。 —石神夏希「東京ステイ」インタビュー」へ続く。

Profile

石神夏希(いしがみ・なつき)

劇作家/ペピン結構設計/NPO場所と物語 理事長/The CAVE 取締役
高校卒業と同時に劇団・ペピン結構設計を結成。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。近年は横浜を拠点に国内外に滞在し、都市やコミュニティを素材にサイトスペシフィックな演劇やアートプロジェクトを手がける。またNPO場所と物語 理事長、遊休不動産を活用したクリエイティブ拠点「The CAVE」の立ち上げおよびプログラムディレクション、住宅・都市系シンクタンクでの研究執筆、株式会社ロフトワークへの参加など、さまざまな領域を行き来して劇作家として活動している。
主な作品に『花嫁』(横浜・黄金町、2013年)、『Fantastic Arcade Project』(北九州、2013~2015年)、『パラダイス仏生山』(高松、2014~2016年)、『ギブ・ミー・チョコレート!』(横浜・本牧、メルボルン、マニラ、2015~2017年)、『青に会う 2017.10-11』(舞鶴、2017年)、共著に『Sensuous City―官能都市』(Home’s総研、2015年)など。
http://pepin.jp/

NPO法人場所と物語

2016年6月設立。不動産、建築、アート、デザイン、メディア、まちづくりなど領域横断的に活動するメンバーで構成される。「物語」という手段を通じて「場所」に潜在する価値や個性を発見し、表現し、発信することを目指している。
「物語」は人が世界と関係性を結び、今ここで生きる意義を見出す手段であり、人間に備わる根源的な力である。またあらゆる場所の価値はひとつの大きな声ではなく、さまざまな人の声によって物語られることでより豊かになると考えている。
http://bashomono.com/

東京ステイ

東京都、アーツカウンシル東京、NPO法人場所と物語によるアートプロジェクト(2016年7月〜)。
「東京ステイ」の「ステイ」とは、宿泊だけでなく「住むこと」と「旅すること」の間を揺らぎ続ける暮らし方や、立ち止まること・佇むことも含む。さらに2017年からは「共居性(きょうきょせい)」という言葉を手がかりに、自己と他者とが共に居ること・居場所を立ち上げることに向き合っている。
『ピルグリム(巡礼)』は、2017年から本プロジェクトで実験中の都市の歩き方。目的地に向かって合理的に/効率的に/最短距離で歩きがちな東京で、旅人のようにまちと出会い直すこと。そして、まちに対する消費的な態度を避け自ら何かをつくり出す感受性・身体性を取り戻すことを目指している。
http://bashomono.com/tokyo-stay

東京アートポイント計画 2009-2016 実績調査と報告

2009年に始動した東京アートポイント計画。事業実績データや共催団体へのアンケート調査のデータ分析、共催団体に対するヒアリング調査を行い、その結果を検証、考察をすることにより、8か年の事業の結果(アウトプット)、成果(アウトカム)、波及効果(インパクト)を総括するための調査報告書です。

もくじ

はじめに 調査について

第1部 事業実績分析

第2部 アンケート調査

第3部 インタビュー調査
小川 希 (一般社団法人Ongoing)
宮下美穂 (NPO法人アートフル・アクション)
渡邉梨恵子、富塚絵美 (一般社団法人谷中のおかって)
長島 確 (一般社団法人ミクストメディア・プロダクト)
舟橋左斗子、渡辺孝明 (足立区)

第4部 鼎談:結果を踏まえて

思考と技術と対話の学校 2017アニュアルレポート

アートプロジェクトを「紡ぐ力」と「動かす力」を身体化するための思考と技術と対話の学校のアニュアルレポートです。「言葉を紡ぐ」「体験を紡ぐ」「技術を深める」「アートプロジェクトの今を共有する」の講義内容をまとめています。

もくじ

「紡ぐ人」になる 森 司

「思考と技術と対話の学校」とは
アートプロジェクトを紡ぐためのアプローチ
2017年度実施概要

言葉を紡ぐ
講座の流れ
受講生インタビュー

体験を紡ぐ
講座の流れ
受講生インタビュー

技術を深める
アートプロジェクトの今を共有する

紡ぐことへの挑戦 坂本有理
プロフィール一覧
Tokyo Art Research Lab(TARL)とは