暮らしに「間(ま)」をどうつくる?―「あわい」や「隙間」から育まれていくモノとコト

新たなプロジェクトや問いを立ち上げるためのヒントを探る対話シリーズ「ディスカッション」。アーツカウンシル東京プログラムオフィサーの上地里佳が企画・モデレーターを務め、独自の切り口でさまざまな実践に取り組むゲストを招いて展開しています。例年は3331 Arts Chiyoda内 ROOM 302にて行っていましたが、本年度は新型コロナウイルス感染対策を考慮してオンライン上にて開催しました。

第3回(2020年11月19日)のテーマは「暮らしに『間』をどうつくる?」です。長野県松本市に個人運営のアートセンター「awai art center」を設立し、ひらかれたアートの在り方を模索する茂原奈保子さん。2011年にドイツ・ライプツィヒの空き家からNPO「日本の家」を立ち上げ、現在は広島県尾道市を拠点に日独で数々のまちづくり・アートプロジェクトに携わっている大谷悠さんをゲストに迎えます。モデレーターの上地はROOM 302から、ゲストのお二人はそれぞれの拠点からオンラインでの参加です。

「今回のタイトルには『間』というキーワードを使っていますが、ここで言う『間』とは、何かと何かをつなぐ状態または存在のことを指しています。お二人がこれまでの活動のなかで立ち上げてきた場所を見ていると、ある意味で『間』をつくってきたのではと思っています。というのも、みんなにとってちょうど良い『間』があるからこそ、多様な考え方や価値観の同居が可能になってきているのではないかと。どういった考えのもとにスペースを立ち上げ、運営を進めてきたのか。今日はそのあたりをお伺いしたいです」(上地)

モデレーターの上地から「ディスカッション」の概要、そして今回のキーワードである「間」についての説明の後、それぞれゲストの活動紹介へと進んでいきます。

アートと人の間(あわい)をつなぐ:茂原奈保子

茂原奈保子(awai art center 主宰)。

2016年4月、長野県松本市にある古民家を改装してひらかれた「awai art center」。主宰である茂原さんは、現在、信州大学人文科学研究科に通いながら個人で運営しています。このスペースは、まさに今回のディスカッションのタイトルにも掲げられている「間(あわい)」をテーマに立ち上げられたそうです。

「アートと人のあいだをつないで、日常に当たり前のようにアートがあるような環境をつくれたらいいなという思いから『awai art center』と名付けました。『ギャラリー』と言ってしまうと美術展や特に現代美術に馴染みのないお客さんはハードルを感じてしまうのでそういった言葉は使わずに、あらゆる人が気軽に立ち寄れるよう複合的な機能を持たせました。1階にはカフェスペースがあり、読書もできるんです。アートと人だけでなく、人と人のあいだもつなぎたいですね」(茂原)

「awai art center」は、明治時代に建てられた築140年にも及ぶ元商店兼住居を改装してつくられた。5メートルにわたる広い間口が大通りに面していており、立ち寄りやすい設えに。

工芸をはじめとした文化資源が豊富な観光都市として知られている長野県松本市ですが、「awai art center」がひらかれる以前には、いわゆる現代美術を見られるスペースはほとんどありませんでした。茂原さんは大学で「芸術と社会をどのようにつなげることができるか」を実践的に学び、その後は美術館、ギャラリー勤務を経た後、「松本に現代美術に触れられるスペースがないのなら、私がつくってしまおう!」と決心します。

「『awai art center』の活動は私自身が主催者となってひらく企画展のほかに、大学やギャラリーなど他の機関と協働した企画や、ときには近くの異業種のお店とイベントを行うこともあります。そうすると、企画が終わった後にそれぞれの機関・施設のお客さんが交差して、重なっていくようなことがあるんです。これまでの4年半の活動を通じて感じたのは、多様なかたちで実践を行っていくことが非常に大切なのだということ。実は、これからは個人運営ではなく共同運営になる予定です。展示をメインにしていましたが、これからは複数人でこの場所を保持しながら、もっと多岐にわたった取り組みをしていきます」(茂原)

都市の「隙間」に集まる:大谷悠

大谷悠(まちづくり活動家・博士(環境学)/尾道「迷宮堂」共同創設者・ライプツィヒ「日本の家」共同創設者)。

ドイツ・ライプツィヒは人口が50万人を超える、国内でも有数の都市です。ベルリンの壁崩壊以前には、民主化のために最初に市民が立ち上がった「英雄都市」とも言われていますが、一方で90年代には10万人もの人口減少を経験し、空き家問題をはじめとした都市の危機に直面してしまいます。そんな状況に見兼ねて、2004年から歴史的建造物の保存のためのNPO市民団体「ハウスハルテン」の取り組みがはじまりました。それ以降、「ハウスハルテン」の取り組みのおかげでさまざまな市民活動や芸術活動、移民・難民サポートをする運動が、かつて空き家となっていた建物を根城に行われています。2011年に大谷さんが立ち上げた「日本の家」もそのひとつです。

「2011年に仕事のためにドイツへ渡航したのですが、仕事が終わってからもビザとお金に余裕があったので、もう少し滞在することにしました。とはいえ特にやることもなく、友達もいないから『ハウスハルテン』で空き家を借りて何かをやりだせば、友達ができるかなと。その程度のモチベーションから『日本の家』がはじまっていきました。主な活動としては美術展やコンサート、ワークショップ。そして『ごはんのかい」という近隣住民を巻き込んだ食事会も毎週行っています」(大谷)

毎週土曜日と木曜日に「日本の家」で行われている「ごはんのかい」。17時頃からみんなで調理をはじめて、食べ始めるのは20時頃から。料金は投げ銭で、誰でも参加できる。そのほか「日本の家」をめぐる実践については、大谷悠著『都市の〈隙間〉からまちをつくろう ドイツ・ライプツィヒに学ぶ空き家と空き地のつかいかた』に詳しい。

大谷さんを含め、3人で立ち上げた「日本の家」は、この9年の活動のなかで運営内容もメンバーも大きく変化していると言います。立ち上げた当初は日本人が多かったが、みんなでごはんをつくって食べる「ごはんのかい」をはじめたことを機に、多様な人やものが入り混じる状況が生まれました。大谷さんが「日本の家」に関わるメンバーにインタビューしたところ、定職に就いているのは12%ほど。ほとんどが現地の学生や求職中の人、ワーキングホリデーで来ている人、そして難民の人たち。何かのプロというわけではない、いわゆる「素人」が入れ代わり立ち代わり「日本の家」の主要メンバーとなり、根幹を担っているそうです。

「『素人であること』に僕はすごく注目しています。それは僕自身が当初働いていなかったこともありますが、ある日の『ごはんのかい』で印象的な出来事があったからです。その日のメニューはカレーだったのですが、思いもよらぬまずいカレーになってしまいました。そのときテーブルにいたおっちゃんが『次は俺がつくってやるよ!』と言い、翌日にはキッチンに立っていました。つまり、素人が集まっているので、そもそも客と店員の関係ではないのです。そう考えると、『日本の家』は常にフラットな状態から人間関係が形成されて、クオリティを重視するプロの世界にはなかなか起きないことが起きてきます。元々空き家だった都市の『隙間』には用途や管理、所有権といった社会的なものの前提が剥がれ落ちています。その特徴を生かしてみると、前提が取り払われた人間関係が生まれてきて、ゼロから共生や場づくりについて考えられるようになる。何かで隙間を埋めてしまうのではなくて、常に出会いにひらかれた、関わりあいの舞台になることが重要だと考えています」(大谷)

成り行きに任せ、覚悟を持ってひらく

「awai art center」「日本の家」についてそれぞれの活動紹介を経て、ディスカッションがはじまります。まちなかに拠点を持ち、運営することについて。お二人の実践や思考、思いについてさらに深く語っていただきました。

上地:「日本人の家」では運営メンバーの入れ替わりが多かったということでしたが、それとは別に、集団の核となるような全体をまとめる人がいらっしゃったんですか?

大谷悠(以下、大谷):いるような、いないような、ですね。基本的には中心にいる人を慕ってみんながつながっていますが、それも流れ次第で変わっていきます。最初は、僕が集団の中心にいたけれど、3年くらい経ってからは違う人がその役に代わっていきました。そうして、さまざまな人が運営に関わるのは良いことと思うのですが、「ここをこういう場にしたい!」という思いがバッティングすることもあります。揉めることもあるし、喧嘩もします。もちろんなるべく平和的に運営していきたいと思っていますが、そうでないときもありました。

上地:きれいな話だけではなかったと。さまざまな背景の方が「日本の家」に関わることで、スペースとして「こうあるべきだ」というコンセプトが揺らぐこともあったのではと想像するのですが、それはどのように受け入れたり、混ぜていったんですか?

大谷:混ぜていったというよりは、混ざっちゃったんですよね。「日本の家」が面しているアイゼンバーン通りのあたりは、地域でも評判の悪いエリアなんです。2015年に起こった欧州難民危機以降は、移民・難民の方の出入りもすごく多くなりました。そもそも、メンバーによってどういう場所にしたいのかは、ちょっとずつ違うんです。そんなときに「ごはんのかい」をはじめて、予期せぬ人が乱入することが多くなって、それが「意外と楽しいじゃん」と気付きました。それまでは、うまくまとめようという意識がすごく強かったのですが、「ごはんのかい」をやると、どっちにしろまとまらないし、思ったようにならない。例えば、著名なアーティストが展示をしているところにホームレスや子供たちが乱入してきて、作品に対しての根源的な問いが投げかけられたり、展示品で遊びだしたりしてしまうこともありました。それをアーティストと一緒にどう対応するのか。許容するのか、それとも触っちゃ駄目だと言うのか。ひらいているからこそ、そういった問題を常に突きつけられるんです。「そういうのは大事だよね」と多くのメンバーで共有していたと思います。

茂原奈保子(以下、茂原):話を聞いていて、公民館みたいだなって思いました。中心になっている人物がいるんだけれども、自治は保たれている。いろんな人がやりたいことを持ち寄って、批判を受けたり評価されたりしながら流動的に人が動いていますよね。

地元や人とともに変化していく

上地:多くの人が関わり、いろんな人の手垢がつくことによって味が出てきて、その場所らしさにつながるのだと思います。そもそも「日本の家」にはルールや決まりは設けられていますか?

大谷:何回か決めようという話はありました。盗難が起こったときとか、アルコールやドラッグ中毒の人の出入りが多くなった時期には、入場や出禁のルールを決めようと。けれど、ドラッグやアルコール中毒の人もシラフのときは良い人だったりするんですよ。そういう人らを一律に「絶対に入れない」というのもちょっと違うんじゃないかと思って、ルールをつくるのはある意味簡単ですが、それには常にもやもやしていました。なので、明確な決まりやルールは現在 に至るまでないですね。いま振り返ると、ルールを明文化しないというのも大事だと思いますね。

上地:自然とさまざまな背景を持つ人たちが関われる状況をつくっていますよね。 茂原さんも今後は複数人で拠点を運営することを視野に入れていることを話していただきました。個人で運営されてこられたオープンから現在までで、松本のまちや身の回りに変化を感じることはありますか?

茂原:4年間「awai art center」をひらいてきましたが、お客さんが変わってきたなとすごく思います。カフェを期待して来たけれどもすぐに離れてしまった方もいますし、逆にカフェ目当てだったのにいまでは作品鑑賞が目的になっている常連さんもいます。うちで作品を見たことをきっかけに、美術に触れる楽しさを知ってくれた人が少なからずいるんじゃないかなという実感はありますね。

上地:松本には工芸のイメージがすごく強いですが、「awai art center」がひらかれて以降、現代美術の拠点をつくっている人が現れはじめているという話もお聞きします。「awai art center」をひとつのモデルとして、地元に拠点を持つことの意義をまわりの方が感じているのではないでしょうか。

茂原:このディスカッションもリモートで行われていますが、今年はコロナウイルスの影響を受けてリモートで対話できる便利さをすごく感じました。いま大谷さんは広島に、上地さんは東京、私は長野にいますが、これだけ遠距離でも同じ経験ができています。その反面、美術を自分の目で観るということの体験の尊さ、大切さも際立ってきていると思います。コロナ禍による緊急事態宣言が長野県で発令された際、「awai art center」もお休みをもらっていました。その後、8月頃から活動再開したときには、お客さんが来ないのではと心配でした。しかし開けてみると、ずっと通ってくださってくれた方は変わらず来てくれて、「自分にとって作品を観ることがすごく大切なことだということに、この期間に気付けました」とも言ってくださいました。美術に触れることの大切さを感じている方がいて、これからも増えていくといいなと思いますね。

都市に不可欠な「間」や「隙間」

近代以降の都市に並ぶほとんどすべての建物は、予め機能・役割が決定されているように見えます 。住居は住居らしく、施設は施設らしい設計にすることで人々の流れは整備され、無駄なものごとやエラーが生まれないように注意が払われています。今回ゲストにお招きしたお二人は、都市のなかでの機能が一時的に失われてしまった「空き家」を改装して、各々に魅力的な場所を立ち上げました。「awai art center」は長野県松本に、「日本の家」はドイツ・ライプツィヒに。それぞれのまちに影響を受け入れつつ、ひとつの役割にとらわれず 、多目的で柔軟な活動が繰り広げられています。
従来のスペースのひらき方を倣うのではなく、どのようにその土地に拠点をひらいていくのがベストなのかを模索し、実践をして、変化していく。そうしたトライアンドエラーを経て、人々が混じり合うような仕組みがそれぞれに生まれていました。

「不要不急」な行動がはばかれる昨今の状況において、わかりやすい目的を提示しないこれらのスペースは一部の人たちには歓迎 されないかもしれません。しかし、「awai art center」が地元の人にとってかけがえのないアートとの交流の場になり、「日本の家」が多様な人にとっての居場所になっているように、都市の「隙間」や「間」と思える空間こそ、本来私たちにとって不可欠な場所なのだと感じる時間となりました。

執筆:浅見 旬
撮影:齋藤 彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

私たちの移動の経験はどう変わる?―「移動」と「つくる」ことをめぐって

開催日:2020(令和2)年11月17日(火)
ゲスト:小田井真美(AIR環境・事業設計/さっぽろ天神山アートスタジオAIRディレクター)、大橋香奈(映像エスノグラファー/東京経済大学コミュニケーション学部専任講師)
モデレーター:上地里佳(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

新たなプロジェクトや問いを立ち上げるためのヒントを探る対話シリーズ「ディスカッション」。アーツカウンシル東京プログラムオフィサーの上地里佳が企画・モデレーターを務め、独自の切り口でさまざまな実践に取り組むゲストを招いて展開しています。3331 Arts Chiyoda内 ROOM 302を会場に開催していましたが、本年度は新型コロナウイルス感染対策に考慮して、オンライン配信で実施しました。

第2回(2020年11月17日)のテーマは「私たちの移動の経験はどう変わる?」。ゲストには、「さっぽろ天神山アートスタジオ」でアーティスト・イン・レジデンス事業のディレクターを務める小田井真美さん、「人びとの〈移動〉の経験」を研究し、映像作品として描き出す実践を重ねられてきた大橋香奈さんのお二人を迎えます。

「2020年は新型コロナウイルスの感染拡大により、多くのイベントの中止や延期が相次ぎました。そしていまでも、引き続き活動自粛や移動制限をせざるを得ない状況が続いています。そんななか、新しい表現を生み出す過程にはさまざまな『移動』が前提にあり、アートプロジェクトの現場に密接に関わっていることを改めて思うことがありました。今回のディスカッションもリモートでの開催となりましたが、そうした移動制限の経験は、表現していくことや、アーティストとまちとの協働のかたちにどのような変化をもたらすのか? と考えたことが、今回のテーマの出発点です。本日はゲストのお二人が取り組まれている実践や研究のお話をもとに、これからの『移動』と『つくる』ことにまつわる、新たな方法やヒントを得ることができればと思います」(上地)

モデレーターの上地から、今回のテーマの概要について説明した後、ゲストの活動紹介へと進んでいきます。

「つくる」ことの可能性を広げる:小田井真美

小田井真美(AIR環境・事業設計/さっぽろ天神山アートスタジオAIRディレクター)。

北海道札幌市内で初の公的なアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)の拠点として、2014年にオープンした文化芸術施設「さっぽろ天神山アートスタジオ」。小田井さんは開館当初からAIR事業のディレクターを担っていますが、今年は“アーティストが地域に訪れて滞在制作する”というAIRの仕組みを根本から見つめ直し、移動や滞在を行わず、遠隔でAIRに取り組む新たな試みを現在進行形で行っています。
そもそも前提として、「AIR」とは一体どのような仕組みなのでしょうか。小田井さんはAIRを『アーティストの「移動」を促進する仕組み』だと言い、『国内外のアーティストに「移動先での滞在(時間)」や「そこでの制作活動(体験)」をするチャンスを与える奨学金制度』のようなものだと説明します。

「運営者の立場からすると、AIRはアーティストを受け入れ、制作活動を支援していくこと。日本は文化外交の機能や地方再生の手法としてなど、その役割にも特徴があり、運営者によって支援のあり方や成果、思想もさまざまです。私自身はAIRについて『アーティストにとって“コミッションワーク”ではない(=依頼された仕事ではない)』と考えており、『運営者はアーティストに対してお産婆さんのような役目を果たす存在』だと思っています」(小田井)

もともとはホテルだった「さっぽろ天神山アートスタジオ」の建物。2014年に開催された「札幌国際芸術祭」にあわせて整備され、AIR拠点として生まれ変わりました。13室の元客室をアーティストの滞在スタジオにしながら、市民にも施設の一部を休憩場所として開放しているそうです。

「本施設のAIRにはさまざまな目的のアーティストが同時に滞在するので、個別にニーズを聞きながら対応し、次のステップへと繋がるようなチャンスを探すサポートも手掛けています。施設のミッションとしてある『文化芸術分野・アーティストの活動と市民生活との接点を創る』ことにも力を入れていますね」(小田井)

2016年に自主事業で招聘したアーティスト、Jeff Downerが紹介してくれた言葉。パンデミックによってAIRの状況が変化したとき、この一節が真っ先に思い浮かんだそう。

小田井さんが今回のディスカッションのテーマや、アーティストの「移動」について考えていたとき、写真家のJeff Downerが教えてくれた上記の一節が思い出されたと言います。「移動が制限されている状況のなかでも、まだ十分にここから希望を見出すことができるのだと、非常に勇気づけられ、心が強くなるような言葉でした」と語ります。

「実はパンデミック前から、アーティストに『滞在中に何をしてもらうか?』に気を取られすぎていたことを疑問に思い、『(滞在地までの距離を)どのように移動するのか?』ということについて非常に意識していました。そのため、2020年度はAIRの要素として重要な『移動』にフォーカスし、プログラムを変えようしていたタイミングだったんです。いまはまだ手探りですが、アーティストがその場に訪れることなく、リモートでアーティストと協働するプログラム運営を試みているところです」(小田井)

新しい視点から「移動」をみる:大橋香奈

大橋香奈(映像エスノグラファー/東京経済大学コミュニケーション学部専任講師)。

東京経済大学コミュニケーション学部で講師を務めながら、「人びとの移動の経験」を研究されている大橋さん。イギリスの社会学者、ジョン・アーリ氏の著書『モビリティーズ 移動の社会学』に影響を受け、「移動の経験」についての研究を開始されたそうです。「移動」というと、大抵の人は歩いたり交通機関を使って動いたりと、身体的な移動を思い浮かべるかもしれません。しかし、大橋さんが研究対象としている「移動」は、もっと多様なもの。ジョン・アーリ氏の言葉を引用し「距離の隔たりに対処する多様な方法、経験に注目する」ことだと言います。

「この『距離の隔たりに対処する移動』というのは、身体的な移動にとどまりません。たとえばコロナによって自分たちの身体の移動が制限されたとき、通販で買い物をするなど、自分の代わりに多くのモノを移動させるようになったと思います。また、メディアを通してある場所のイメージを見たときに、想像のなかでも移動を経験することがあります。あるいはZoomや電話等でコミュニケーションのためのイメージやメッセージを移動させることもある。これらの多様な移動、それらの組み合わせが、『距離の隔たりに対処する多様な方法、経験』としての移動です」(大橋)

そうした移動の経験についての研究を、大橋さんは「映像エスノグラフィー」という手法で実践されています。「エスノグラフィー」とは、社会学や人類学の分野で発展を遂げた研究のアプローチで「他者の生活世界がどのようなものか、他者がどのような意味世界に生きているかを描く方法論と成果」のことを指します。映像エスノグラフィーは、エスノグラフィーのなかでも、調査の過程や成果の表現で写真や映像を用いるアプローチです。エスノグラフィー調査全般において伝統的に重視されてきたのは「参与観察」という方法で、「実際に調査協力者の方の生活に参加しながら、その方たちが生きている世界を理解していくプロセスがとても大切になる」と話します。

『Transition』 (大橋香奈・水野大二郎, 2019)の制作プロセスで共有されたデータの一部。

その重要な参与観察ができなかったプロジェクトの例として、大橋さんの博士研究を副査として指導されていた水野大二郎氏と共に制作した『Transition』についてのエピソードを紹介してくれました。水野氏のパートナーであるみえさんが、妊娠中に胃がんと診断されたことをきっかけにつくられたというこの作品。水野家が経験する困難な状況を、水野氏自身が客観的に理解していくための試みとして進められたプロジェクトです。大橋さんはみえさんの体調を考慮し、調査目的で生活環境に出入りすることで、みえさんの時間やエネルギーを奪うことを避けたいと、伝統的な参与観察という方法ではなく、ほとんど遠隔で水野氏と協働して調査することを試みたそう。水野氏が日々の生活記録を作成し、その内容を確認するためのインタビューをオンラインで1~2週間に1度のペースで実施。協働しながら、ひとつの作品にしていったそうです。そこから、大橋さんは研究対象としてだけではなく、研究の「方法」としても、どのように距離の隔たりに対処していくのか? ということを考えるようになったと話します。

「距離の隔たりに対処するとき、直接対面することが一番強力なコミュニケーションというイメージがありましたが、必ずしもそうとは限りません。たとえば電話は、対面しているとき以上の近さで声が直接耳元に届く方法であり、だからこそ親密さを生み出すと、これまでのメディア研究において注目されました。テキストのみで構成される日記や手紙という方法も、対面では表れてこない言葉のやりとりが生まれることもあります。そんな風に、これまで人びとは距離の隔たりに対処する方法をいくつも開発してきているはずです。このタイミングだからこそ自分たちが編み出してきた方法やその価値について、もう一度見つめ直すことが大事なのでは?と最近は考えています」(大橋)

「お節介を焼く」という関わり方

それぞれの活動紹介を経て、ディスカッションへと移ります。リモート環境におけるアーティストとの関わり方から、物理的な移動制限のなかで行えるさまざまな対処法、そしてその可能性について。お二人ならではの考えを語っていただきました。

上地:大橋さんのプレゼンで紹介されていたジョン・アーリ氏の言葉で、「移動」とは「距離の隔たりに対処する多様な方法、経験」というものがありました。小田井さんが現在試みている遠隔でのAIRも、その「距離の隔たり」に対してさまざまな対処法を編み出していくことになると思いますが、まず応募されたアーティストのみなさんの反応はどうでしたか?

小田井真美(以下、小田井):大体2通りに分かれましたね。もともとAIRの募集要項には「移動できる範囲での身体的な移動を取り入れてプランを考えてもいい」としていたんです。いまは状況によって移動制限の段階もさまざまなので、レベルに応じて物理的に動くことを試みる人もいました。多くは「行けるところまで動きたい」という反応が多かったですね。一方で、「移動せずにシチュエーションを変える」という方法を採る人もいました。自分のスタジオや家など、普段の活動拠点ではなく、別の場所を新たに借りてそこを活動拠点にする、というプランです。物理的な移動はほとんどないのですが、シチュエーションを変えることで「体験」として別のものを自分に与えるような試みですね。

上地:そのなかで、アーティストの方たちと運営側との関わり方はどのように考えられているのでしょうか? リモートの形式で、うまくコミットしながら進めていく方法がなかなか想像しづらいのですが。

小田井:アーティストは他者の助けなしでも創造的に活動し、作品をつくります。個人的に、AIRを運営する立場のなかでアーティストと関わるというのは「お節介を焼く」ことだと思っているんです。それは今回に限らず、これまでもずっとそうでした。というのも、私自身はレジデンスのなかで作品を完全につくること、かたちにすることというのを、必ずしも必要とはしていなくて。むしろそこを忘れてやって欲しいと思っているんです。これからオンラインで定期的に参加アーティストとミーティングを行う予定ですが、そこで彼らがやろうとしていることをどんどん“邪魔”していくような……そんなことを試そうと思っています(笑)。

大橋香奈(以下、大橋):小田井さんのプレゼンのなかで、AIR運営者は「お産婆さん」のような存在、とも例えられていましたよね。お産婆さんって身体的な接触も伴う、相手にすごく関わっていく行為じゃないですか。今後、遠隔でそれがどのように実践されるのかはわかりませんが、とても興味深い比喩だと思いました。

小田井:出産を経験したことがないので、お産婆さんというのは完全にイメージなのですが…(笑)。やっぱり「作品を生み出す人が頑張るしかないじゃない?」という思いがあるんです。ある一定期間、濃密に関わり、サポートしながらプロジェクトを並走していく立場ではありますが、作品そのものに栄養を与えていくのは、母体であるアーティストだけなので。それが私なりの距離の取り方なんです。関わり方も、アーティストによって全然違って。その人自身が求めているものを見極めて調整しながら、そこに応じて自然に関わっているような気がします。そういう意味で、しっかり「お節介」を焼きながら、“邪魔”になるかならないかギリギリのところでちゃんとサポートになっているという、その絶妙な具合を探す面白さはありますね。それがオンラインになったらどうなるんだろう?というのは、これから探っていく部分です。

「距離」があることで、生まれるもの

小田井:全然関係ないのですが、郷ひろみの曲にある「会えない時間が 愛育てるのさ」という歌詞を思い出すことがよくあって(笑)。会えない時間があるからこそ、そのことについて想う時間がある。遠隔でのAIRを実施するとなったとき、「札幌に来ないのにやってどうするの?」と言われることもありましたが、「来ないからこそ、いつも以上に札幌のことを考えてくれる」と、進めていくうちに強く実感するようになったんです。

大橋:まるで遠距離恋愛のようですね(笑)。距離が生まれることで、想像力を働かせるようになるという。たとえば電話なんかも「会えないから話す」という手段でもあって、会わない、顔を見ないからこそ伝えられることもある。全ての方法を顔が見えるビデオ通話に置き換える必要もなく、あえて手紙にしてみたり、よりもどかしい方法でもいいのかもしれません。

小田井:それはテクニックとして必要ですね。余白が生まれ、想像が促される。そんな風に、これまでとは違う関係性が今回のAIRではつくられていっているような感覚があります。まだどうなるか未知数ではありますが、そのことがこれまでとの違いとなって表れてきたら面白いなと思います。

上地:小田井さんは、コロナが拡大する前から「移動」に重きを置いたレジデンスの構想をされていたとのことでしたが、そこにはどのような経緯があったのでしょうか?

小田井:AIRを主催している立場からすると、「アーティストが来た後に何をしてくれるのか?」という成果ばかりを見すぎてしまい、それがつまらなく思えてしまったんです。そこで、AIRが「移動」を伴うプログラムであるという前提の部分を全然見ていなかったなという反省もあって、これまで着目していなかった「移動」の部分を取り上げてみようと考えました。またもうひとつの理由として、サイト・スペシフィックなプロジェクトを多く実施していくなかで、札幌に訪れるアーティストにとっては未知である“札幌”の文化が、どこかインスタントなアプローチで解釈・理解されてしまっているように感じる事例もあり、そこに恐れを感じるようになったんです。実際に訪れてはいるけれど、もしかすると、これだけ距離が離れている場所に移動し、制作していることに、実感が持てなくなっている要素が何かあるのかもしれないと想像して。なので、距離感をより実感できる方法として始めようと思いました。

上地:確かに、いまは移動のスピードも早いので、「移動する経験」の実感は薄くなるのかもしれません。大橋さんとの最初の打ち合わせでも、「移動しているのではなく、輸送されている」という話が出てきたのを思い出しました。

大橋:ドイツの男性が、中国で4500キロの徒歩旅行をしたプロジェクトがあるのですが、彼は数時間あれば飛行機で移動できる場所に、1年かけて徒歩で移動したんです。その身体感覚を伴いながらの移動の過程で、どのような出会いや変化があるのか、彼の映像作品に記録されているのですが、同じ距離でも飛行機で“輸送”されれば、窓から上空を見下ろすだけの経験で終わります。小田井さんが言っているように、距離が離れている場所に来ている実感がないまま辿り着いてしまう。

小田井:なるほど、面白いですね。私の試みは身体的な「移動」は伴わないものですが、自分自身はそのような移動ができなくなったことで、定点観測するように自分や周りの変化が逆に敏感に見えるようになってきたような実感があります。これまで自由にできていたことが制限されることで、また別の可能性が開かれていくような確信があるので、これからがとても楽しみですね。

未知の可能性と出会う

新型コロナウイルスのパンデミックにより、さまざまな活動自粛や移動制限措置が敷かれたことは、私たちがこれまで当たり前のように行ってきた「移動」という行為について改めて意識させられる時間となりました。物理的な移動が難しいなかで、どう向き合っていけるのか? 創作活動の現場のみならず、あらゆる現場で検討されてきたことでしょう。
そのように私たちが「移動」について考えるとき、多くは身体的な移動として認識されます。けれども、大橋さんのお話から「移動」できるものには、イメージや言葉、想像上のものまで多様な種類があり、さまざまな手段で日々それらの「移動」を経験してきたことに気づかされました。また、小田井さんが現在取り組まれている遠隔でのAIRの試みは、身体的な移動を経験しないことでその“距離”や“移動という経験”について逆照射的に意識させられ、その意味や価値を浮かび上がらせていくというものでもありました。そこから、新たなアプローチの方法が編み出されていくような予感も感じられます。
このようなタイミングだからこそ実感できることに対して、丁寧に向き合うことができれば、よりよいアイデアの閃きにもつながるはず。たとえ身体の移動が制限されてしまっても、既にある、或いはこれから生み出されていくさまざまな手段を組み合わせることで達成できることもあるのだと、そんな未知なる可能性を感じるディスカッションとなりました。

執筆 花見堂直恵
撮影 齋藤彰英
運営 NPO法人Art Bridge Institute

アーカイブ動画は下記よりご覧ください。

全国各地のアートマネージャーが悩みを持ち寄って考える「つどつど会」がスタート

2020年11月25日、Tokyo Art Research Lab(以下、「TARL」)の研究・開発プログラムとして、「つどつど会」第1回をオンラインで開催しました。

つどつど会=都度集うアートマネージャー連絡会議

つどつど会は「都度集うアートマネージャー連絡会議」の略称です。過去にTARLのプログラムに参加された方の中から、全国各地で⽂化事業に関わるメンバーとともに進めていきます。

メンバーは以下の方々。北は秋田から南は大分まで、幅広い現場のアートマネージャーと、アーツカウンシル東京の面々が集まり、全5回の会議を重ねていきます。オンラインかつ少人数だからこそできる互助会的な場を目指します。

つどつど会メンバー
・蟻川小百合さん(みずつち市民サポーターズ/新潟県)
・大政愛さん(はじまりの美術館/福島県)
・岡田千絵さん(公益財団法人墨田区文化振興財団/東京都)
・月田尚子さん(NPO法人BEPPU PROJECT/大分県)
・三富章恵さん(NPO法人アーツセンターあきた/秋田県)

運営メンバー
佐藤李青、大内伸輔、岡野恵未子(公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京)

「学び合い」の場をつくりたい

初回ということで、進行役のアーツカウンシル東京・佐藤から、つどつど会のねらいを共有しました。TARLでは、これまで「教える/教わる」という関係ではなく、互いに対話し、実践を共有することで、新たな知見やスキルを獲得していくことを⽬指してきました。

プロジェクトを実践している人たちは、現場に忙しく、なかなか他の現場の人たちと関係をつくりづらいのも事実です。目の前で抱えている課題も、実は他の現場の話をきくことから解決の糸口になることもあります。東京アートポイント計画では都内のアートプロジェクトの事務局メンバーが集う「ジムジム会」を開催してきましたが、今回の「つどつど会」では、全国各地の現場の実践者のみなさんと、オンラインでの関係づくりを試みます。

まずは自己紹介から。規模も状況も異なる活動を共有

今回の参加メンバーに共通しているのは、「TARLプログラムに参加したことがある」「文化事業の現場で活動している」の2点のみ。初回はそれぞれの自己紹介をして、今後どのようなテーマを取り上げていきたいのかから話し合いはじめました。

地域の状況や団体の規模、ベースとなる資金源、法人形態、雇用形態などが異なるからこそ、自己紹介だけでも興味深い相違点が浮き上がってきました。

たとえば、コロナ禍の対応についてもそれぞれ。小規模で屋外開催の企画が多かったために延期せず実施したプログラムもあれば、「絶対にアート事業を止めない」という決意のもと工夫を凝らして実施した企画もあり、臨時休館しつつ過去事業の振り返り企画をオンライン上で展開した施設も。

同時にそれぞれが抱える悩みもまた多様でしたが、テーマやポイントは共通している部分も多く、共に議論していけそうなトピックも浮かび上がりました。急速に拡大した組織のマネジメント、終了事業のクローズ方法、わかりにくいと言われがちな文化事業の伝え方、行政との付き合い方、持続可能な働き方、人手不足の解消方法、運営スタッフの専門性、アートプロジェクトの品質、成果測定、コロナ禍の延期で偏りが出た実施期間など。

今後のつどつど会では、お互いの悩みと知恵を持ち寄り、話し合いながらその解消の糸口を探っていきます。

第1回を終えて。参加メンバーからのコメント(抜粋)

蟻川小百合さん(みずつち市民サポーターズ/新潟県)
「プロジェクトの終わり・はじまりなどの節目、転機など、みなさんに詳しく聞いてみたいと思いました。そこでどう考えて、どうしたのか? 結果どうなったのか? 様々なヒントがありそうだと感じました。自分が関わっている今の現場には、対話の場が本当に足りないということも(みんな薄々わかって気にしてはいるけれど改めて)痛感しました。情報発信、言葉の問題は常にある悩み事。体制の変化に流されない、組織を強く、かつ内輪だけにならないようにするには…」

大政愛さん(はじまりの美術館/福島県)
「あっという間に時間が経ってしまい驚きました。みなさんのそれぞれの活動は知っていましたが、一人一人の言葉を通して改めて活動を知ることができてよかったです。他の参加者の方からの「地域の方には、まだなにをやっているところか伝わっていない」という発言は、わたし達も同様で、6年やっても伝わらない人にはずっと伝わらないもどかしさがあります。また、他団体でコロナ禍での活動について『やるといったらやる』という姿勢の話が印象的でした。今回のコロナは本当に様々な判断が必要で、わたし達は悩みながらも『今はやらない』という選択をとったものが多くあったなと思いました。今後この会で話していきたいテーマは『コロナ禍だからこそできるプログラムや体験の仕組みづくり』、『集客が求められる企画』についてなどです」

岡田千絵さん(公益財団法人墨田区文化振興財団/東京都)
「『寄合』をうちでもやっています。ネットワーク作りやコミュニケーションの方法はいろいろ考えていきたいです。また、2016年から2020年までの区の文化プログラムとして進めていたのですが、今年は区主催の事業が軒並み中止になる中、実施していて、よくも悪くも目立って区議会でも話題になっていました。だけど、来年度以降はどうなるかわからないので、どんな記録を残せば、今後に活かせるか色々模索しながら進めています」

月田尚子さん(NPO法人BEPPU PROJECT/大分県)
「同じ文化事業に携る人同士でも立場や所属団体の違いで全くやっていることや見えているものが違うことが興味深かったです。次回、より具体的な話が聞けると思うので、楽しみにしています。アートに興味がない人たちへの広報の仕方や巻き込み方などを聞いてみたいと思っています。noteの活用は興味があったので参考にしてみます」

三富章恵さん(NPO法人アーツセンターあきた/秋田県)
「他のアートプロジェクトの現場にいらっしゃる方々と直接お話する機会は限られています。今日は少しの自己紹介の中から、自分の悩みに通じるヒントが得られたり、同じような課題を抱えていらっしゃるんだと安心(してはいけないのだけれど)したり。貴重な機会をいただいたと思います。お話の中で気になった具体的なところでは以下のとおりです。『寄合』(どうやって地域にひらき/つながり/地域の人が集まるような場になっていったのか)、『ソーシャル・ベンチャーとして活動する組織』(どう組織を運営しているのか。スタッフの人材育成は? やりがいや成長の担保は?)、『行政や議会とのコミュニケーション』(行政や議会の理解・サポートを得るには? 対等に対話し・共感を生むようなコミュニケーションをとりたい!)」

レポート執筆:中田一会(きてん企画室)

つどつど会

全国各地のアートマネージャーが悩みを持ち寄るオンライン「互助会」

アートプロジェクトは、さまざまな担い手によって支えられ、それぞれの地域で交流を生み出す契機になっています。一方で、「互助会」のように、ほかの地域のプロジェクトと実務的な課題を共有し、ネットワークを育む機会は意外と少ないかもしれません。

今回は、過去のTokyo Art Research Lab(TARL)の参加者を中心に、全国各地の文化事業にかかわるアートマネージャーがオンラインで集まって、各現場の悩みや課題を共有し、議論する「つどつど会」(都度集うアートマネージャー連絡会議)をひらきます。

話題は、組織体制や目標設定、活動記録の残し方、コロナ禍における企画・広報の方法など。現場の課題や知見を共有し、中間支援に必要とされる視点や仕組みづくりへの糸口を見つけることが目的です。最終回には、大分県別府市で15年以上に渡り文化事業や地域振興、観光振興のプロジェクトを手掛けるNPO法人BEPPU PROJECT代表の山出淳也さんをゲストに迎え、メンバーからの質疑応答を実施します。

詳細

スケジュール

11月25日(水)17:00〜19:00
第1回 自己紹介

12月16日(水)17:00〜19:00
第2回 悩みを持ち寄る

1月18日(月)17:00〜19:00
第3回 悩みを持ち寄る

2月17日(水)17:00〜19:00
第4回 これまでの悩みからまた悩んでみる

3月3日(水)17:00〜19:00
第5回 BEPPU PROJECT 山出淳也さんに尋ねる

アサダワタル 千住タウンレーベル「聴きめぐり千住!Vol.2」 記録映像

「千住タウンレーベル」は、アサダワタルと公募であつまった音の記者(タウンレコーダー)とともに、千住で生活してきた市井の人々の記憶、千住のまちならではの風景や人間模様にまつわるエピソード、 千住に根づき息づく音楽などを通して、「まち」と「私」の関係を 「音」で表現・発信・アーカイブする音楽レーベル(プロジェクト)です。足立区を舞台にしたアートプロジェクト『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』の一環として実施しています。

本映像は、2020年11月に実施したイベント「聴きめぐり千住!Vol.2」の記録映像です。10組のタウンレコーダーが収録・制作した「千住のまち」の風景が目に浮かぶ全13曲を、制作の舞台となっている「現地」(トラックポイント)をめぐりながら聴いていきました。

目次
  • 概要説明
  • 想起のフライ立食屋(スタンド)|シマダカズヒロ
  • 北千住5×5|VNDO
  • 空とまちの境界/birds:190920-06:36 06:00,190921-05:42,190907-17:01|sasakimakoto
  • この街の共感覚|アサダワタル with 千寿桜堤中学校5期生
  • 何でもいいよ vol​.​000|よこ笛
  • 創作『絶つもの・壁のようなもの』/創作『嘘と・間にあるもの』|yasuhiro mizoguchi
  • 千望ノ幻|Yokotani Akihiro
  • 北千住詩集2017冬|岡野勇仁
  • tsu​-​na​-​ga​-​ru の国歌|Bon Numatta
  • 電車エレクトロニカ〜北千住過去篇〜第1部「機関車大活躍」|Reel​-​to​-​Reel/りーるとぅりーる Tomo&Ryota
  • ボーナストラック|安喰タクシー
  • Listening Talk|出演:アサダワタル(千住タウンレーベルディレクター)、大石始(ライター/エディター)、大城真(オーディオエンジニア)、ミネシンゴ(夫婦出版社「アタシ社」代表/編集者)、ほか

場所をひらくことは何を生み出す?―物語が滲みあう場を立ち上げる

開催日:2020(令和2)年11月10日(火)
ゲスト:田中伸弥 (社会福祉法人ライフの学校理事長)、冨永美保+林恭正(tomito architecture)
モデレーター:上地里佳(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

新たなプロジェクトや問いを立ち上げるためのヒントを探る対話シリーズ「ディスカッション」。アーツカウンシル東京プログラムオフィサーの上地里佳が企画・モデレーターを務め、独自の切り口でさまざまな実践に取り組むゲストを招いて展開しています。例年は、3331 Arts Chiyoda内 ROOM 302にて行っていましたが、本年度は新型コロナウイルス感染対策を考慮してオンライン上にて開催しました。

第1回(2020年11月10日)のテーマは「場所をひらくことは何を生み出す?」。建築設計事務所として小さな住宅から公共建築、パブリックスペースなどに多様な居場所づくりを行う「tomito architecture」から冨永美保さん、林恭正さん。そして、地域にひらかれた学び合いの拠点「社会福祉法人ライフの学校」の理事長を務めている田中伸弥さんをゲストに迎えます。仙台を拠点に活動する田中さんは、オンラインでの参加です。

「2020年は新型コロナウイルスの感染拡大にともない、世界規模で活動自粛をせざるをえない、先行きが見えない不安な状況を共有した年でした。この会場でも、人との間はアクリルパネルによって区切っていますが、今後他者との物理的距離をとりながらウイルスのような見えない存在と共生することが当たり前になったとき、まちなかに拠点をもって展開されるアートプロジェクトはどう変化していくのでしょうか。他者との関係性をつむぎ、交流する場。アートプロジェクトの基盤となる「拠点」の可能性について、私たちはより一層考えていかないといけません。『tomito architecture」と『社会福祉法人ライフの学校」が協働して手掛けられたプロジェクト『嫁入りの庭」には、そのヒントがあるのではないかと期待しています」(上地)

モデレーターの上地から「ディスカッション」の概要、そして開催にあたっての目的について話されたあと、それぞれゲストの活動紹介へと進んでいきます。

「生と死」の距離感を見直す:田中伸弥

田中伸弥(社会福祉法人ライフの学校理事長)

大学卒業後から現在にいたるまで15年以上にわたり福祉の現場に携わっておられる田中伸弥さん。「社会福祉法人ライフの学校」を立ち上げることになったのは、これまでに現場で培った経験と、20代中盤に立て続けに起こった家族の事故や病気を通じて「死」との距離感について考えたことがきっかけだと言います。

「本来、生と死は一続きのはずですが、いまの社会では極端なほど「死」を遠ざけて考えられていて、身近に感じる機会がすごく少ないです。特養(特別養護老人ホーム)であれば、死についてきちんと考えられる居場所がつくれるのではという思いが「ライフの学校」立ち上げの根本にあります。たくさんの人々の生や死を十把一絡げにするのではなく、人生単位で受け入れる。例えば天災によって200人が亡くなったという認識なのではなく、1人が亡くなった事件・事故が200件あったということに置き換えて考える、そうしないと大事なものを見失うんじゃないかと思うんです」(田中)

田中さんは昨年、社会福祉の現場でさまざまな挑戦をしている若手スタッフたちの想いを伝えるイベント「社会福祉HERO’S TOKYO 2019」にてプレゼンテーションを行い、見事「ベストヒーローズ賞」を受賞した。

「ライフの学校」では、全ての人が「生きること」「死ぬこと」を全うするための足がかりとして、日本の看取り文化を再構築しようと試みておられます。例えば、施設内での駄菓子屋や図書館の設立、子供の孤食を減らすための子供食堂のオープンなど。入居者を孤立させず、最期を迎えるまでを職員はじめ地域住民を巻き込んだ交流を図っています。従来の福祉施設の型にはまらず、地域にとってのひとつの拠点となっている「ライフの学校」。より一層の多世代交流を促すための次の一手としてひらかれたのが「嫁入りの庭」です。

「『もっとひらかれた場にするには』と考えたとき、施設と地域を分断している垣根を取り払うべきなのではないかと気付きました。そうすれば視界がひらけて風通しもよくなる。そして、そこに庭をつくろうと。ただ、完成されたひとつの作品としての庭ではなくて、可変的でメンバーだけで自走していけるような場所でないと、みんなの拠点にはなりえません。そう考えたとき、私たちが入居者の一人ひとりの個人史を大事にしているのと同じように、土地土地の文脈を丁寧に読み解いてものづくりをしている『tomito architecture』なら相談できるのではと思い、依頼しました」(田中)

まちを知り、さまざまな関係性のなかで建築を考える:tomito architecture

冨永美保+林恭正(tomito architecture)。

2014年に結成された建築設計事務所「tomito architecture」。設計を行う上で、そのまちの日常をつぶさに観察して、出来事や建物、風景などの関係性に注目しながらプロジェクトに取り組んでいます。過去に、神奈川県真鶴半島にある「真鶴出版」という宿泊できる出版社の拠点をつくる際には、半島にある色々な素材を採取して、まちの断片が垣間見える建築をつくり上げました。

「先ほど田中さんからもあった『庭(や建築)が一瞬を切り取った“作品”にならないように』というのには深く共感します。建築も庭も固定的なものではなく、私たちの手を離れて成長していくものなのだという前提を心がけています。『真鶴出版』の宿をつくったときもそうですが、特に『嫁入りの庭』も現地へ訪れる度に新しいことが起こっていて驚かされます。私たちが『こういう風に利用されるだろう』と想定することを軽々と超えてきて、結果的にすごくおもしろい場所になりました」(冨永)

地域と施設とを隔てるようにあった垣根を取り払った「嫁入りの庭」。嫁入り道具のように、植物や思い入れのある家具が運び込まれた庭は、さまざまな人の記憶や物語が詰まっている。

歴史を振り返ると、「ライフの学校」のある地域はかつて一面田んぼだったそうです。そこが50年ほど前から住宅地として区画されはじめ、いまでは住宅エリアの南端、地図で見るとちょうど田んぼと住宅地の境目にあります。「夢のマイホーム」が謳われた時代にこの土地へ移り住んだ人も多く、現在、その世代の方々が自宅を離れて「ライフの学校」をはじめとした福祉施設で暮らしています。いまこのエリアで見られる軒先の植物や庭は、徐々に管理する人が少なくなっているという現実があります。

「では、一緒に引っ越してきてみてはどうか!というのが、最初のご提案でした(笑)。それでプロジェクト名が『嫁入りの庭』となりました。プロジェクトがはじまって間もない頃、リサーチのためまち歩きをしていると、とにかく庭先の素敵な植物たちが目につきました。植物を世話されている高齢者の方々が、こういった風景とともに施設に移ってみてはどうだろう、と思いました。その後、植物に限らず、まちにどんな資源・素材があるのか、そのなかに「嫁入り」させてもらえるものがないかを田中さんや施設の職員さん達と探して、色々なものをまちから発掘するというプロセスを経て設計を進めました。ただ、日々『この素材をどう使おうか』と考えているうちに、気がつくと新しいものがわーっと集まってきて、どんどん増えいくんです。なので、初めから細かく計画することをやめて、変化する状況に身を委ねながら場当たり的に設計を進めることになりました」(冨永)

環境、または関係が気を抜く瞬間

「ライフの学校」「tomito architecture」それぞれの活動紹介を経て、いよいよディスカッションがはじまります。2組が協働してつくった「嫁入りの庭」は、どのようにして設計が進められたのでしょうか。モデレーターの上地やオンライン上での参加者たちからの質問にも答えながら、多面的な魅力を持つ、この庭について語っていただきました。

上地:「嫁入りの庭」の設計を進めていくにあたって、現場ではどんなコミュニケーションを重ねていったのでしょうか?

冨永美保(以下、冨永):最初に、田中さんから「福祉施設を地域にひらくためには、この庭のあり方がすごく大事なんです」というお話がありました。今後入居者の方が亡くなったときには、この庭をきっかけに故人の死を地域単位で悼み、考えたいと話されていたのを覚えています。そのほかにも死生観や、人が人を看ることなど、田中さんとの対話を通じて「この庭は色々な人の色々な時間との関わりしろを持つ必要がある」と気付きました。具体的な庭の設計の話は、だいぶあとになってからでしたね。

上地:良い余白のある庭になりましたよね。冨永さんが「状況に身をゆだねるような設計」だと仰っていましたが、だからこそ、「嫁入りの庭」に集う人が使い方を工夫したり、遊びに取り入れたり、関わりしろが生まれていることを感じました。

冨永:関係性がいちばん豊かに編み込まれるような場所に余白があるといいなと思いながら設計しました。逆に言えば、そのほかは「なるようになれ!」という感じです(笑)。「tomito architecture」は、一から十まで緻密に設計しきるというよりは、時間軸に対して強度のある骨組みだけをつくりたいという意識が強いです。変化に耐えうる土台さえつくれれば、あとは好きに利用者の方たちと一緒に、それぞれに自走してほしい。その骨組みづくりこそが設計者のやりがいだと思っています。

林恭正(以下、林):「嫁入りの庭」には、余白と並んで「隙」というキーワードもありました。僕は工事中、一ヶ月間「ライフの学校」に常駐してみなさんと寝食をともにしながら庭づくりに加わったのですが、最初入居者の方はやはりよそ者に対して警戒していました。けれど滞在する時間が長くなるにつれて素の部分が出てきて、いつからか「隙」を見せてくれるようになっていくのです。(滞在詳細はこちら>>「庭の嫁入り日記」)
また、時間をかけてそこにいないと見えない風景やローカルコミュニティに隠れている慣習や情報が垣間見えるようになっていきました。まさに、 環境が気を抜いてくれた、と言えるかもしれません。隙を見せてくれたときにこそ、地域の日常や個別具体的な物語が見えてくるものです。研ぎ澄まされた合理性が問われる現代において、ある種無駄に見えるようなことの価値が見出される時間だったように思います。

田中伸弥(以下、田中):われわれケアの世界で言えば「関係が気を抜く」といったところでしょうか。多くの入居者の方は、普段だと介護者に甘えていることでも、初対面の気の抜けない相手が来ると頑張って自分でやってしまいます。うちの施設はケアをする側・される側という線引きをしないように、「利用者さん」「入居者さん」といった呼び方をしないようにしています。「嫁入りの庭」の前にあった垣根を取り除いたのと同じように、人と人の心理的な垣根も壊して、誰もが対等になれればという思いが一貫してあるからです。ただそれでも、気兼ねないフラットな関係を築くまでにはどうしても長い時間がかかります。関係が気を抜く状況をつくるには、時間をかけて馴染んでいくほかないですね。

庭を「多孔質に」ひらく

冨永:設計がはじまった頃、田中さんに「特養施設の庭だから、バリアフリーを考慮して舗装された地面にしないといけないですか」と聞いたら「決して必要なわけではないです。おじいちゃん・おばあちゃんが一人で行けないなら、誰かが連れて行ってあげればいいんですから!」と言われたのが印象的でした。支え合いが必要になるような未完成な庭だからこそ、自然とみんなで考える場になっていく。そんな姿勢が庭の随所にちりばめられました。

田中:僕ははじめから、入居者さんのためだけの庭にしたくなかったんです。というのも、あまねく人がこの庭を活用することが、結果的に入居している方々に利益をもたらすと思うから。ただ「嫁入りの庭」は、ひらいてからがスタートなので「やっぱりここには舗装が必要じゃないか」という話になることももちろん想定内です。そして、そのときにこそ地域がユニバーサルデザインを学ぶきっかけになると思います。当たり前にここが舗装された道路だと、考えずに通り過ぎてしまう。試して、立ち止まって、変化していく。この庭を通じて、そういったやりとりをしたいんです。

冨永:ひとつずつに立ち止まるので、管理に手のかかる庭です。けれど、そのおかげで新しい登場人物や出来事を生んでいます。夏場には雑草が生い茂るので、みんなで協力して草抜きする必要があるのですが、今年の夏には一時期ヤギも嫁入りしたので一緒に草抜きを手伝ってくれたそうです。そんな豊かな風景をもたらしてもくれました。

:ただひらいていると言っても、全方位にパカッとひらいているわけではなくイメージ的には多孔質なひらき方をしている庭です。だからこそさまざまな世代の人や、ヤギすらも介入することができる。一度ひらいたら終わりじゃなくて、時間が内在しながらひらき続けています。

上地:「ひらく」ことに時間が内在しているというのは、おもしろいです。「嫁入りの庭」は、夏に一度「庭開きの会」を設け、その後も現在進行形で変化している印象です。オープンしてからおよそ3ヶ月、まちとの関係性などに変化はありましたか?

田中:たくさんありますが特に嬉しかったのは、かねてから近所を犬の散歩している人が毎日庭のなかを通って散歩するようになったことですね。彼は最近では自らの話をしてくれて、人生のしまい方についてや「地域の役に立てればな」とこぼすこともあります。「嫁入りの庭」は、いまいろんな物語が立ち上がってきています。このディスカッションの副題には「物語が滲みあう」とありますが、まさに庭のそこかしこから人と人との接点になるきっかけがじわっと滲み出てきています。

交流が生まれ、地域の風景を変える

「看取り」というキーワードからはじまった「ライフの学校」は特別養護老人ホームでありながら、多世代が関わりあうための拠点になるべく、地域にさまざまな仕掛けを展開しています。その活動のなかから生まれた「嫁入りの庭」は、田中さんのこれまでの経験や思いに裏打ちされた庭の構想を、「tomito architecture」がこれ以上ないかたちで表現しました。まちのあちこちから、資材や建材、あらゆる道具、そしてヤギ(!)までもが「嫁入り」をし、徐々に地域の人の流れを変えています。

まちにあるひとつの施設の庭先をきっかけに、これまで関わり合いの少なかったご近所さん同士が改めて出会い、そして交流が生まれはじめています。とはいえ、この庭はオープンしてまだわずか3ヶ月です。田中さんが言うように、まちにひらいてからが「嫁入りの庭」のスタート。きっとこれからどんどんと様子も変わっていくのでしょう。さまざまな人の人生が滲みあうことで、看取ることやともに生きることについて考える習慣が地域全体に根付く日も、そう遠くないはず。年月を重ね、この庭が地域にどんな風景をもたらすのか、楽しみで仕方ありません。

執筆 浅見 旬
撮影 齋藤 彰英
運営 NPO法人Art Bridge Institute

■アーカイブ動画は下記よりご覧ください。