「その前」を手がかりに(BSBの活動レポート・前編)

「その前」は、どうだったのだろう。いま、思い出そうとしても、はっきりとは思い出すことができない。いつも、そうだ。
なにか、が起こる。そして、その後、その「なにか」の前はどんなふうに考え、どんなふうに暮らしていたのか、と思うけれど、よく覚えてはいない。いや、記憶はたくさんある。どんなことをしていたのか、どんなことを考えていたのか、どんな出来事があったのか。それら、ひとつひとつの、数えきれないほどの多くの事柄が、僕の前で起こり、一回一回対応してゆきながら、ぼくは生きている。

(高橋源一郎「『たのしい知識』特別編 コロナの時代を生きるには」『週刊朝日別冊 小説トリッパー』2020年夏季号、338頁、朝日新聞出版、2020年)

こんにちは、「伴奏型支援バンド(BSB)」です。BSBは、いわき市の復興団地住民の方々の思い出の曲「メモリーソング」のバック演奏を行うバンド。アートプロジェクト「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」(以下、「ラジオ下神白」)※と連動し、2019年度のTokyo Art Research Lab「研究・開発」プログラムによって結成したチームです。

※福島県いわき市にある県営復興団地・下神白(しもかじろ)団地を中心に実施しているアートプロジェクト。2017年より、団地住民の皆さんにお話を伺い、その当時の馴染み深い音楽をラジオ風にお届けしています。

BSBは、2019年の夏にバンドを結成してから、2019年の秋・冬にかけて練習と現地への訪問を重ねていました。その様子は以前ブログでもご紹介してきました。そして約1年前、2019年12月には、団地で演奏をお披露目しました。その後、メンバーへのインタビューや2020年度に向けたふり返り……などと活動していたのですが、そう、それはちょうど新型コロナウイルス感染症流行の影響がじわりじわりと出てきた歩みと重なります。
社会の変化に伴い、ある時期から「(「今」とは違う)その前」が生まれ、そして気づけば「今」も時間が経つと「その前」になっていく。文化事業も先が見通せない状況が続いたこの1年。そのなかで、BSBの活動をいつ、どう記すべきか、機会を逃したまま、季節が一周してしまいました。

一年前、いわきで

2019年12月23日(月)に行われた演奏のお披露目は、(当時はそんなことばはありませんでしたが)まさに「密」。下神白団地から道路を挟んで向かい側にある永崎団地の集会所で行なわれたクリスマス会にて、団地住民の皆さんの前でメモリーソングを演奏しました。

この日演奏したメモリーソングは全6曲。曲のリクエストをいただいた方を壇上にお招きし、トークを交えながら、演奏に合わせて会場の皆さんとメモリーソングを歌っていきます。

演奏のあいだには、トークだけではなく、その曲の思い出を語った際の音声や、団地を退去された方に現地スタッフが会いに行ったときの映像も流しました。

また、予想していなかった出来事も次々に起こりました。地元のダンスグループが、会場の後ろで踊りはじめたり。ある女性は、「『青い山脈』を聴かせたくて」と、その曲が好きだったという昔のご友人の写真をもってきてくださり、写真と共に壇上へ。直前まで「俺は歌わないよ」と断言していた男性は、マイクを握って熱唱(曲間のセリフもばっちり)。バンドメンバーの池崎浩士さんは、下神白団地をイメージしたオリジナルソングを前夜に書き上げ、本番で披露しました。

そこでは、「わたし」の記憶が「わたしたち」の記憶になっていた

あの時あの場所で集結していた、住民さんの語り、映像、メモリーソングの演奏、コーラス……そんな、さまざまなかたちで登場し、重なり合った「個人の記憶」は、ただその人の記憶というだけではなく、いつしか「皆でこの場を体験した記憶」となっていたように思います。

「自分の記憶と他人の記憶の境界線が曖昧になり、新しい記憶が生まれる」。それは、「立場の異なる住民間、ふるさととの交通を試み」るこのプロジェクトとして、1つステップとなる実践だったのではないか。ある種、確信めいた手ごたえを手に、本番を終えたのでした。

本番後に行われたバンドメンバーとのふり返りでも、メンバーからは、「支援する側/受ける側の関係は一方通行ではないと思った」という発見や、「自分のおばあちゃんとの記憶を思い出した」り、「もともと知っていた曲も、知らなかった曲も、曲を聴くと今回の活動で経験した思い出が浮かんでくる」ようになったり、「下神白団地というひとつの場所に関わったことで、ある種のスタート地点に立った気がした」といった体験が語られました。

今年度のBSB

いざ、その手ごたえを更なる実践に!と考えていた矢先に訪れたコロナ禍。夏ごろには団地に行けるかねえ、秋ごろには、冬には…といううちに気づけば1年が経ちました。

しかし、BSBとしてはただ「行けるようになる」ときを待っていただけではありません。この間も、少しずつ新たな動きに取り組んできました。

例えば、住民さんに届けるためにメモリーソングを改めて収録しなおしたり。それから、ミュージックビデオの制作です。ある住民さんのメモリーソングである「青い山脈」(作詞:西條八十 作曲:服部良一/1949)を、BSBが演奏。その演奏を聞きながら、住民さんがひとりひとり歌った歌声を集め、重ね合わせて構成されています。その演奏・収録の様子に加え、住民さんの思い出の写真や、ドキュメントの記録映像が流れたりする、オリジナルのミュージックビデオです。

高橋源一郎氏は、コロナ禍において流れ去る時間や記憶を喪失しないためには、作家がそれをことばに刻みつけること、つまり「新しい『物語』」が必要だと示唆しました。クリスマス会で体験を共有できた、という手ごたえを元に、いわきの団地と東京で活動するBSBとの関わりを探ることは、手法は違えど、ひとつの「物語」をつくっていくこと、だったようにも思います。

一度も団地の訪問はできなかったけれども、できることをさぐったこの一年。そんなBSBの様子を、2020年度のTARLプログラムである「オンライン報奏会」でお伝えする企画を実施しました。その内容は、後編のレポートでお知らせいたします。


執筆:岡野恵未子(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー/Tokyo Art Research Lab「研究・開発」プログラム担当/BSBメンバー)

人生と切り分けられない、生活のなかにある「表現」——新井有佐「Artist Collective Fuchu [ACF]」インタビュー〈前篇〉

まちで活動するプレイヤーの言葉に、これからのアートプロジェクトのあり方を探る「プロジェクトインタビュー」シリーズ。今回は、2018年から府中市で「Artist Collective Fuchu [ACF]」(以下、「ACF」)を展開する、新井有佐さんにお話を聞きました。

普段はレストラン経営者として働き、2児の母でもある新井さんを始め、ACFの運営の中心を担っているのは、子育て世代の女性たち。自分たちの住むまちを、より魅力的で生きやすい、「誰もが自由に表現ができるまち」にしたい——。そんな思いから生まれたプロジェクトの歩みは、しかし、手探りの連続でした。

「無駄なものにお金を払うことの意味って何?」「拠点は必要?」「アートプロジェクトの言葉がわからない!」。こうした疑問に対し、みんなで時間をかけて対話を重ねてきた新井さんたち。その言葉には、街場の人たちが「表現」を自分のものにしていく、新鮮な気づきが宿っています。

そして、コロナ禍の現在。普段の活動が制限された時間のなか、ACFのチームは新たな展開を見せ始めているといいます。約3年の取り組みを通して、新井さんが感じている手応えとは何なのか? 東京アートポイント計画・ディレクターの森司と聞いていきます。

(取材・執筆:杉原環樹/撮影:加藤甫)

当事者ごととしての育児。誰の生活のなかにもある「表現」——新井有佐「Artist Collective Fuchu [ACF]」インタビュー〈後篇〉

レストランから文化をつなげたい。市民による芸術祭から始まったACF

——新井さんは普段、ご自身のお店の経営と育児に奔走しながら、ACFの活動に携われています。はじめに、新井さんのこれまでの生い立ちと、どのようにACFに関わるようになったのかについて、聞かせてください。

新井:私の家は府中の古い地主で、この辺りにずっと住んできました。いまもすぐそばの大國魂神社に行くと、先祖代々の奉納の歴史が残っています。母は独身時代に飲食業を始めたんだけど、学生運動の激しい時代の学生だったこともあり、両親はもともと学びに思い入れが深かったのね。2人ともヨーロッパで学んでいて、写真屋の娘である母は写真を撮りながら旧ソ連を経由して現地に入り、父はベルリンの大学に行った。まだ日本で外食産業が珍しい時代、お店を続けていくのも両親の「表現」だったんだと思うんです。

そんな親だから、育て方の自由度は高くて、こどもの意思を尊重する放任主義だった。私は中学時代に学校に馴染めず、家でずっと母とテレビを見ていたんだけど、高校時代に海外に行き始め、弾けちゃった。大学時代にはそれが加速して、「半年行く」と言って2年間帰国しなかったり(笑)。結局、そのままオーストラリアやグアム、ジャカルタを転々として、いろんな仕事をしていたのね。でも、母が病気で倒れたのを機に帰国して、結婚して。母はその2~3年後に他界しました。

それで次に何をやろうか考えて始めたのが、いまのレストラン。もともと私には、文化をつなげたいという思いがあったんです。というのも、両親が以前やっていたお店は府中グリーンプラザという公共施設のなかにあって、そこを利用するいろんなサークルや市民活動の人たちのサロン的な場所だったから。書道でも麻雀でも、おばちゃんは集まると必ずご飯を食べるでしょ? そのとき、そこにピアノがあったりしたら、何かが起こるかもしれない。だから、うちの店の3階にはピアノがあって、展示もできる空白の部屋があるんです。

——飲食と同時に、文化や交流の空間でもある場所として、お店を始めたんですね。

新井:そう。ただ、両親世代では当たり前だったそういう交流は、私も含めたいまの若い世代には少ないと感じていて。きっと仕事や育児に忙しくて、「無駄な時間」に思えちゃうんだよね。でも、ふとあるとき、府中で自分の同世代にそういうことをしている人がいるのかなと思っていたら、いたの。芝辻ペラン詩子という、スーパーサイヤ人みたいな面白い人が(笑)。

——芝辻さんはACFの創設者で、以前の代表だった方ですね。

新井:この人が本当にエネルギッシュで、文化に対して自分自身の核を持った人だった。それで面白いと思って、手伝うようになりました。いまのACFの前身は、この詩子さんを始め、府中で表現活動をする人たちのネットワークとして2016年に生まれて、そのときは「フェット FUCHU TOKYO」という、市内でやる芸術祭を中心に活動していました。私はそのお金担当で手伝っていたんだけど、2017年の第2回の予算がなくて。そこで、何やらお金を出してくれるらしいと応募したのが、東京アートポイント計画との付き合いの始まりだね(笑)。

インタビュー会場はACFの話し合いでもよく使われるレストラン3階。飾られているのは、新井さんのお母さんが撮影した写真。

芸術祭はさせない!? 苦戦した東京アートポイント計画との“共催”事業

——森さんはACFのどのような点に面白さを感じて、東京アートポイント計画で共催しようと考えたのでしょうか?

森:ひとつは、応募してきた書類に「誰もが自由に表現ができるまち」という言葉があったことです。これなら引き取れるな、と。とくにACFの場合、新井さんをはじめとして運営しているメンバーの多くが、最近府中に住み始めたのではなく、昔からこの土地に住んでいる「地の人」であり、女性だった。そのメンバー構成は魅力的でした。

——「地の人」であることが魅力的とは、どういうことですか?

新井:意外に思われるかもしれないけど、じつは府中に昔から住んでいる人たちは、すごく保守的なんです。府中ではお祭りを中心に、旧住民の人たちの力がいまでも強い。そこで女性はまちのメインになれないの。お祭りは男の人のものだから。そうした文化が根強くある府中で、私と同世代の女性たちが、表現への関心を共通点に集まったという面が、ACFにはあって。

森:わかりやすくいうと、土地の女性の居場所をどうつくるのかというのが、最初の課題としてあったわけです。新井さんも芝辻さんも、みんな一度は海外に出て、戻ってきた。そしてこの場所の居心地がどうも悪い、と。その居心地を良くするにはどうすればいいか、と生まれたのがこの集いだった。そこに僕たちが入ったんだけど、ここからギクシャクが始まったよね。

新井:はっきり言って、「アンチ森」の人がたくさんいた(笑)。

アーツカウンシル東京 東京アートポイント計画ディレクター・森司。

——どういうことですか?

森:ACFはもともと、さっきの「フェット」をやりたいと応募してきたんです。でも、僕はその芸術祭にはあまり惹かれていなかった。たしかに、一見規模が大きくて賑やかな芸術祭だけど、コントロールできないレベルまで業務が膨らんでいて、運営事務局は疲れているように僕には見えた。文化事業の運営としては破綻しかかっている。それで、僕たちとの共催事業としては、この芸術祭は続けられないと伝えました。本人たちがやりたいものをわざわざ「できない」と言いにきているわけだから、嫌われるわけです。

新井:森さんの言っていることがわからなかったのもあるよね。森さんは、「ACFは芸術祭をやったことがあるから、こういう話ができるんです」と言っていた。これはいまから考えれば、「イベント」というある意味わかりやすい活動をしていた経験があるから、そうではないものの重要性を共有できるはずだ、という意味でしょう。でも、当時の私たちメンバーには、その言葉の意味がわからなかったんです。すでに実績と言えるものがあるのに、そうではないと言われたら、何にお金をつけようとしてくれているのか、と。

森:僕はプログラムではなく、メンバーの魅力に賭けていたから。その違いだよね。

新井:そもそも見ているものが違うんだから、話が合うわけがないんですよ。ただ、私自身は話を聞きながら、「面白いおっさんだな」と思ったわけ。森さんって、答えを教えてくれるわけではないの。問題提起だけをぽっと置いて、帰っちゃう。それが私には面白かったんだけど、チームは大混乱。「アンチ森」の鎮火だけで大忙し!

——(笑)森さんのオファーは、具体的に何だったんですか?

森:ずっと言っているのは、拠点を持ってほしい、ということ。でも、これについてもなかなか理解してもらえなくて、拠点をめぐっても何人も辞めてしまった。

新井:本当に、私のACF人生は「屍」のうえを歩いているみたい(笑)。なんで拠点を持つことの意味がわからないかというと、主婦の感覚からすると、お金の使い方としておかしいの。私たちは目の前の必要なものにお金を使うでしょ? 毎日、大根の10円の違いに頭を悩ませている。そういう主婦からすると、いつ終わるかわからない1年単位の事業のために、目に見える成果とは言えない拠点を持つってことの意味がわからない。

しかも、私たちはフェットで会場として使わせてもらった既存の市内のお店を50箇所くらい知っていたから。新しく借りるなんて、敷金礼金の無駄じゃないか、と。でも、拠点を持つというのは、本当は人が育つための場所に投資してくれ、ということでもある。要は、養育費と同じようなものなんだけど、そのことがわかるまでに時間がかかりましたね。

コロナ禍の、「拠点」をめぐる長い長い話し合い

——その後、拠点をめぐってはどのような動きがあったのでしょうか?

新井:拠点はいまもまだ借りていません。でも、いろいろ考えていくと、やっぱり欲しいんだよね。もちろん、ミーティングで集まる場所はいくらでもあるんだけど、それだと偶然に誰かがふらっとやってくる余白がない。そうじゃなくて、ただお茶を飲みに来た人から予期せぬつながりが生まれるような場所が、やっぱり必要。それで、もう一回、「拠点事業」としてACFを考えてみようと立ち上がったのが、今年度のスタートだったんです。

そしたら、コロナ禍になってしまった。そのことで、社会のリモート化が進んで、人同士が会わない時代になっている。じゃあ、集まる場所はいらないのか? それでもやっぱり必要なのか? そういうことを、この1年間、ずっと話し合ってきました。

——拠点が必要かどうかをずっと話し合うんですか?

新井:そう。それで何年も引っ張っているから、すごいよね(笑)。

森:ここの現場は、とにかく会議が長いんです。普通、時間が来たら止めるじゃない? でも、何回も同じ場所をループをしながらも、会話をしていけるタフさがある。それで脱落してしまう人もいるんだけど、そのプロセス自体は、じつはすごく大事だと思う。

新井:それはこの1年ですごく感じましたね。じつは今年度、ACFでは新しくチームを組み直したんです。ACFにも、ましてやアートにも関わりがなかった人をたくさん揃えた。

そうなったのも、森さんの一声があったから。今年度の初め、相変わらず私は、「今年どんな事業をやるかを森さんに伝えないと」と思っていた。それで、いろんな事業案の話をしていたら、森さんが「やめなよ」と。「今年はコロナだから、事業ではなくて力を蓄えることに時間を使ったら?」と言ってくれて。つまり、「何もしなくていいよ」と。その言葉の意図もやっぱりよくわからないんだけど(笑)、すごく肩の荷が下りたんだよね。

森:ACFの場合、外に向けた細かい事業の話より、メンバー自身がどのようにこの活動に関わるのかを考える、その時間の方が大事だと思っているんです。

新井:それで、新しいチームをつくった。そのとき、うちの特徴でもあるんだけど、みんなの言語がぜんぜん違うわけ。それぞれ、持ち寄ってくる自分の「アート」が違う。これは私の考え方なんだけど、その状態でいくらリモート会議をしてもダメなんだよね。あれは仕事とかすでに動いている事業があるときは便利だけど、こういう何かを生み出す活動では、まず全員の言語を揃えることが大事。そのための時間を森さんはくれたんだと受け取って、そこからは100本ノックのように、週2回くらいの頻度でとにかく集まって話しました。

——何を話すんですか?

新井:とりとめのない、無駄な時間の共有みたいなことを延々やっていく感じですね。

森:普通でいう、目的を持った合理的な会議ではないんですよ。そうではなく、その手前にある、何かを決められるようになるためのリードタイム、いわば、チームビルディングの時間をたくさん持った。それでしばらく経った頃に話してみると、すごく歯車が合っている感じが生まれていて。いまこのチームは、とてもいい状態になっているんです。

当事者ごととしての育児。誰の生活のなかにもある「表現」——新井有佐「Artist Collective Fuchu [ACF]」インタビュー〈後篇〉

Profile

新井有佐(あらい・ありさ)

Artist Collective Fuchu[ACF] 事務局長

1984年、東京都府中市生まれ。レストラン「IN VINO VERITAS サングリア」オーナー。桜美林大学経営政策学部卒業。10代の頃より海外放浪をはじめ、大学時代からオーストラリア、アメリカ、インドネシアを転々とし、2013年帰国。結婚、出産を経て地元府中でレストランを開業する。2017年より「Artist Collective Fuchu[ACF]」に参加。2児の母でもある。

Artist Collective Fuchu [ACF]

府中市とその周辺地域を中心に、芸術・美術活動のあらゆる表現を通じて「アーティストにとって住みよいまち」、ひいては市民の自由で活発な「だれもが表現できるまち」を目指すプロジェクトです。
https://acf-tokyo.com/
*東京アートポイント計画事業として2018年度から実施

当事者ごととしての育児。誰の生活のなかにもある「表現」——新井有佐「Artist Collective Fuchu [ACF]」インタビュー〈後篇〉

まちで活動するプレイヤーの言葉に、これからのアートプロジェクトのあり方を探る「プロジェクトインタビュー」シリーズ。今回は、2018年から府中市で「Artist Collective Fuchu [ACF]」(以下、「ACF」)を展開する、新井有佐さんにお話を聞きました。

普段はレストラン経営者として働き、2児の母でもある新井さんを始め、ACFの運営の中心を担っているのは、子育て世代の女性たち。自分たちの住むまちを、より魅力的で生きやすい、「誰もが自由に表現ができるまち」にしたい——。そんな思いから生まれたプロジェクト。

立ち上げの紆余曲折を経て、やってきたコロナ禍。普段の活動が制限された時間のなか、ACFのチームは新たな展開を見せ始めているといいます。約3年の取り組みを通して、新井さんが感じている手応えとは何なのか? 東京アートポイント計画・ディレクターの森司と聞いていきます。

(取材・執筆:杉原環樹/撮影:加藤甫)

人生と切り分けられない、生活のなかにある「表現」——新井有佐「Artist Collective Fuchu [ACF]」インタビュー〈前篇〉

(写真右から)ACF事務局長・新井有佐さん、アーツカウンシル東京 東京アートポイント計画ディレクター・森司。

チームの共通言語をつくる。「このまち」を面白くする。

——前篇の最後では、コロナ禍に新しいチームをつくり、お互いの言語を揃えようとしたお話を聞きました。メンバーの歯車が噛み合い始めたきっかけは何だったのでしょうか?

新井:一番大きかったのは、ロジックモデルという考え方との出会いです。これは事業の策定や検証に使われるモデルで、外部のファシリテーターに手伝ってもらい、自分たちのことをあらためて見直し、やりたいことを洗い出してみました。すると、その枠組みを通して、みんなが自分のことを自由に話しながら、人の話も聞くようになった。発言することに引け目を感じないストレスフリーな雰囲気になった。それが大きかったです。

メンバーで意見を出し合い、ひとつのモデルとしてアウトプットする。そのことでACFの外の人に伝える言語の幅も広がりました。いままでは自分たちの思いのままにただ説明していたけど、いまは「この表を見て」と言える一種のツールができた。でも、個人的にはその結果より、それをつくっているときの空気がすごく良かったんだよね。この空気こそ、これだけ時間をかけて話してきた理由なんだと思った。共通の土台があることで、お互いの意見の位置付けも掴めるようになった。共通の言語が生まれた感覚でした。

森:チームとしての基礎工事が終わった、と。

新井:それができるようになると、自分たち以外のプロジェクトの現場を知ることも楽しくなりました。「リサーチをしなよ」「いろんな現場を見てみなよ」というのは1年目から言われていた。でも、それも無駄なお金じゃないかと思っていたんだよね。

森:「行ってみれば?」と言っても行かないんだよ。

新井:(笑)今年、それをやってみたら面白すぎて、少し「リサーチハイ」です。スポンジみたいにみんなが吸収できる状態だから。「人に話を聞きたい!」みたいな。

森:良い話ですね。

コロナ禍でのひとつの成果となったACFの「ロジックモデル」。プロジェクトにおける活動・成果・目的の関係を整理する過程で、チームの言葉が揃うようになった。

——社会活動が大きく制限されて、止まってしまうコロナという時間のなかで、いままでは無駄に思えていたものの印象が変わったんですね。

森:チームが新しく変わったことも大きいと思います。あと、このレストランの3階の部屋の重要性もある。オーナーである新井さん自身が、この場所をいろんな人が出入りする場所であると認識しているから、いまこうして話していても、とても居心地がいいでしょう。これが借りた場所だと違う。ある種の部室感が生まれたことで、チームビルディングが進んだのだと思います。

新井:まだ渦中だけど、コロナの時間はすごく勉強になりましたね。これは私自身の考えだけど、ロジックモデルで最終的に行き着いた「やりたいこと」は、「府中がもっと面白いまちになる」ということだったんです。海外ばかり行っていた私もそうだけど、外って輝いて見えるんだよ。あんな風になりたいとか、こんなまちに住みたいとか。それを追い求めて飛び込むんだけど、時間が経つとそこが「現実」になっちゃう。すると、また次に行く。私の20代はそんな感じだった。でも結局、いま自分が生きているのは「ここ」なんだよね。自分がいる場所、一緒にいる友達、それが面白くなるといいなと思ったんです。

それはコロナ禍の世界で、多くの人が直面していることだと思う。いま、みんな従来通りに過ごせなくてストレスを抱えている。私も昔はすぐ旅行に行っていたけど、そうしたくてもコロナなんだもん。それなら、どこかに行って楽しみを買うんじゃなくて、いま自分がいる場所を面白くする。今日と明日を面白くする。人って、規制がかけられるとものを考えるんだよね。そのとき、うちは一番いい答えを出したな、と。府中を面白い場所にするというのは、この状況のなかで何も窮屈ではなく、自然な回答だった。価値観を変えていけるスタートラインに、いま自分が立っている感覚がありますね。

当事者ごととしての育児。誰の生活のなかにもある「表現」

森:もうひとつ、コロナ禍で、お医者さんたちと一緒にこどものいる場所をつくるという話も出てきましたよね。以前からこどもの場所という話はあったんだけど、最近になって看護師さんのこどもという話が出てきた。

新井:きっかけは知人のお医者さんから、看護師のこどもは保育園に入りにくいと聞いたことでした。保育士にはこどもを保育園に入れるための加点数があるけど、看護師にはない。すると、看護師さんの職場復帰は時間がかかってしまう。その戻りやすい環境の構築が、行政レベルでは間に合っていないという話だった。そうしたなかで、複数の医院の看護師が預けられる保育園があったら、ニーズが高いのではないか、と。実現する方法がないか探っています。

この話を私がすぐに受け止められたのは、育児が私にとって、まさに当事者ごとだからなんだよね。やっぱり人は、自分が当事者の問題でないと、考えることが難しい。私の場合は育児のど真ん中だから、育児に関わることは私の生きた表現になると思ったんです。

——ACFだからこそ、本当に自分の問題として取り組める事業ですね。それを、美術館で見るようないわゆる「アート」ではなく、「表現」と呼ばれているのも興味深いです。

新井:子育て世代が担っているACFで、「こども」は不可欠なキーワードなんです。こどもたちに、普段の生活のなかで自由に意見を言ったり表現したりする大切さを伝えたい。

たぶん社会の大多数の人にとって、「アート」は美術の授業で習うものだと思うのね。それは私自身もそうで、私はいまも美術館には興味がない。でも、「アート」というと違うんだけど、「表現」といえば自分も表現者ではあるな、と。表現は生活のなかにあって、普段は意識しないけど、じつは誰もがやっていること。そのことを、あらためて見つける場所をつくりたい。私は子育てやACFの活動のなかで、そういうものの大切さに気づいた部分があって。自分のこどもたちにも、そんな表現の考えがあってほしいと思うんです。

インタビュー中の一場面。新井さんのお子さんを、NPOの理事長があやしていた。ACFではこどもを連れてプロジェクトに参加するメンバーも多い。

森:「アート」という言葉を使わなくても、活動が成立するようになったよね。

新井:でも、森さんはそのことも前から伝えてくれていたんですよね。ACFでは、みんなでゆるやかなテーマを持ち寄り、集まって話をする「null-自由な場所とアートなこと- 」という活動をしていて。あるとき、10組くらいの親子で集まったその場に森さんが来たんです。本当に会議でも何でもない、大人の周りでこどもが遊んでいたり、座っていたりする場なんだけど、それを見た森さんが「これでいいんじゃない?」って言ったの。「これでいいの?」と思うと同時に、その言葉が印象的だったのは、私たちにとってこどもと一緒にいることと活動は切り分けられないことだから。

「null」は大人が集まっているところに、ただこどももいるという状態。こどもがいてもいいようにつくられたプログラムで、対象は大人でもこどもでもない。その一体性を理解してもらえた気がして、嬉しかった。

:誰のためでも、何のためでもない場所をつくるのは意外と難しくて、奇跡的な状況だと思うんです。我々は目的を定めて何かをつくる訓練を受けすぎているから。だけど、こどもと大人があれだけいて、バラバラに過ごしていると、良い意味でコントロールできない上品なカオスになる。あの場は、それを嫌がる大人がいなかったのが良かったんです。

3年間で「アート」という言葉には頼らない体勢ができてきた

——同じまちに住むメンバー同士で、議論や葛藤を抱えながら活動することには、しんどさもあると思います。新井さんがこの活動を続けてこられた動機は何ですか?

新井:人間関係はこのまちだけじゃなくて、どこにでもあるからね。でも、ぶつかってもいいから、自分はこういうことをしたい、こういう活動をしたいと言わないといけない。折り合うのが無理な人は去っていくかもしれないけど、それでいいんです。表現を恥ずかしがっていたら活動できない。でも、去ったり、休んで立ち止まったり、また再開したりといろんな人が自由に活動をしたらいいんです。その成果が少しずつ出てきているのがいまだと思います。

森:今日のこの状態を獲得したというのが、このプロジェクトにとってはとても大きいことだと思います。さきほど言ったように、最初から僕たちは「アート」をしてほしいと頼んでいたわけではなかった。

新井:言われても困るしね(笑)。

森:でも、どこかでその言葉に縛られてしまっていた。それが、長い時間をかけて疑問に向き合うなかで、「アート」という言葉には頼らない体勢ができてきた。

「null」の、あの大人とこどもが混じり合ったカオスな現場にしても、メンバーにとってはあれこそが日々の当たり前で、これが良しとされないと困るという状況だった。なのに僕に対しては、どこかで「これでいいの?」という遠慮があったんですね。だから「これが正解だと思いますよ」と言ったし、コロナ禍が訪れたときも「一生懸命にやらないと」と言うから、「やらなくていい」と言った。じつは社会が求める正解やレギュレーションに拘束されていた部分があって、それがこの3年間でほぐされてきたんだと思います。

新井:これからプロジェクトをする人には、3年経つと面白くなると言いたいですね。

——さきほどの保育園のほかに、これからやりたいことや課題はありますか?

新井:ひとつ頑張りたいのは、対市役所のコミュニケーション。具体的には、地元の企業と協力して廃材の再利用をするリユース事業や、お店の軒先のような場所を少しお借りして活動に活かす軒先プロジェクトもやりたいと思っています。いずれにしても、大人もこどもも結論重視ではなく答えのない問いについて学べる機会と場所づくりが最大のテーマです。これ まではずっと想像上で論議してきたから、次は行動しようというところにいま来ていて。そのとき、市役所という組織を通すことで、まだACFに関わりのない府中の人たちにも活動を知ってもらえるかもしれない。これからは新たな窓口を開いていきたいです。

でも、そうした活動も、ゴールではないんですよね。本質的にやりたいことは、こどももいる居場所のなかで、毎日忙しい生活のなかにある表現を見つけ直すこと。全部はその通過点だと思っています。私自身にとって、3年間の活動で一番大きかったことは、自分の外側にあると思っていたアートや表現と、自分の生活を結びつけられたこと。「私も一人の表現者なんだ」というその気づきを、今後も活動に活かしていきたいですね。

2020年12月23日府中市にて収録

Profile

新井有佐(あらい・ありさ)

Artist Collective Fuchu[ACF] 事務局長

1984年、東京都府中市生まれ。レストラン「IN VINO VERITAS サングリア」オーナー。桜美林大学経営政策学部卒業。10代の頃より海外放浪をはじめ、大学時代からオーストラリア、アメリカ、インドネシアを転々とし、2013年帰国。結婚、出産を経て地元府中でレストランを開業する。2017年より「Artist Collective Fuchu[ACF]」に参加。2児の母でもある。

Artist Collective Fuchu [ACF]

府中市とその周辺地域を中心に、芸術・美術活動のあらゆる表現を通じて「アーティストにとって住みよいまち」、ひいては市民の自由で活発な「だれもが表現できるまち」を目指すプロジェクトです。
https://acf-tokyo.com/
*東京アートポイント計画事業として2018年度から実施

アートプロジェクトのアーカイブ運用に関するアンケート

「アセンブル3|アート・アーカイブ・オンライン」では、オンライン対応の必要性が高まった現在において、アートプロジェクトの現場では事業資料をどう活用し、何が課題となっているのかを探るため、全国のアートプロジェクト関係団体を対象にアンケートを実施しました。

アンケート概要

実施期間: 2020年11月13日(金)~12月4日(金)
調査内容: アートプロジェクト活動に関わる団体が、コロナ禍の現在おかれている状況、ならびにアートプロジェクト活動のアーカイブに取り組むうえでの課題について
調査対象: 全国のアートプロジェクト実施団体、アートプロジェクト運営に関わる団体
調査方法: Questantフォームによる回答・集計
回答数:52件(有効回答率100%)
運営:特定非営利活動法人アート&ソサイエティ研究センター

新型コロナウイルス感染拡大の影響について

「新型コロナウイルス感染拡大が活動に影響を受けたか」という質問に対しては、「通常通り」の回答が5.8%だったのに対し、「延期・縮小などの影響(75.0%)」「オンライン開催に切り替え(61.5%)」「中止(予定含む)51.9%」など、多くの団体が影響を受けていました。

また、上記の影響を受けて、「ウェブサイトのコンテンツ拡充(53.1%)」や「活動再開後に向けた準備(44.9%)」、「保管している資料の整理(26.5%)」など、状況に対応しながら活動を行っていたようです。

デジタル環境へのシフトについて

アンケート実施団体は、92.3%が独自のウェブサイトを運用していました。さらにSNSアカウントを活用しているのが88.5%、動画配信を行っているのが48.1%の団体でした。

事業での発行物の公開方法については、ウェブサイトの場合は「全てしている(19.2%)/一部している(53.8%)/していない(23.1%)」。希望者へのデータ配布は「全てしている(7.7%)/一部している(50.0%)/していない(38.5%)」。
印刷版の配布は「全てしている(23.1%)/一部している(51.9%)/していない(5.8%)」と、約半数の団体が発行物をデジタルコンテンツとして活用していることが分かりました。

一方、活動記録に関わるデジタルコンテンツの公開方法について伺うと、「様々な方法で積極的に活用している(46.2%)」「主にSNSで活用している(48.1%)」という実践の一方で、「権利処理に不安がある(26.9%)」「予算や人員に余裕がない(32.7%)」といった課題もあがりました。

~アンケートより抜粋~

「活動の記録をデジタルで保存したり公開することについて、期待していることや課題だと思うことを自由にご記入ください。」

・課題は、デジタル化するための人件費を含む費用をどうやって工面するのか、また、デジタイズしたものが元の書類などの完全な複製となっているのかどうかを確認し、リスト化などするアーカイビング業務量がどの程度のものになるのかを算出しにくく、対費用効果が割り出せないこと。 また、期待することは一度完全にデジタイズすれば、大幅な事務所スペースの削減ができることと、インターネット上での公開や利用が容易になることなど。

・デジタルデータの保存方法や保存メディアが刻一刻と変わる中、どのメディアに保存して、バックアップをどうとるか?

・活動記録のデジタルでの保存は行っていきたいと考えているが、現状人員が不足しており手が回っていない。 公開活用については積極的に考えていきたいが、人員不足の他に、人にどのようにこのプロジェクトの情報が伝わることがコンセプトに適しているかをもう少し議論したいと思っている。事業のコンセプトや雰囲気を伝えるためには単なるPDFでの公開だけでなく、サイトのデザインや構造から検討したく、そのための予算や人員の確保は課題。

・資料の扱いに詳しくない行政職員に公開非公開の判断を委ねにくい。司書のような保管責任者/専門家の不在は課題。全国の活動資料を一括で預けられる受け皿および保存フォーマット・バックアップともなる別の保管先があると助かります。

・デジタル公開した際に画像の無断使用が何度か過去にあったため、公開には少し躊躇している。

資料の整理・保存・共有について

アンケートでは保管している資料の種類や、その方法についても調査しました。

多くの団体が「記録写真・映像・録音(90.4%)」や「発行物(86.5%)」、「報告書(86.5%)」、「会計関連の文書(82.7%)」などを廃棄せずに残していました。
その他、「会場図面」や「アンケート用紙」、「日誌」や「メディアクリッピング」などは団体によって保管の方針にばらつきが見られました。

資料の保管にあたっては、63.5%の団体が事務所で保管しているのに対し、事務所にスペースがなく、担当者が手分けして保管しているケース(7.7%)や、事務所が退去や縮小(予定含む)したケース(5.8%)など、安定した保管場所確保にかかる課題も見えました。

また、「共有棚があり、スタッフ間で共有ができている(57.1%)」、「重要資料や、個人情報を含む資料は保管に注意している(69.0%)」などに取り組めている団体が半数以上の一方で、「保存年限を決めるなど、整理のルール化ができている(28.6%)」は3割ほどにとどまりました。

デジタル資料については、「クラウドに保存(55.8%)」、「共有ハードディスクに保存(55.8%)」が多く、次いで「個人のパソコンに保存(38.5%)」が続きました。
デジタル資料の管理では「フォルダー階層を作っている(57.7%)」、「定期的にデータを整理している(36.5%)」というルールに基づいた運用も見られました。

~アンケートより抜粋~

「資料の整理・保存・共有について、課題だと考えていることを自由にご記入ください。」

・デジタル媒体、物理媒体ともに保存スペースが慢性的に不足している。管理コストも増大するため、保存するものの適切なボリュームと廃棄ルールが課題。必ずルールに組み込めない資料も発生する。 また昨今のデジタル技術の変化は目覚ましく、技術的な更新をどう取り入れていくかも難しい。

専任のスタッフがいないと、情報の整理、保存は難しい。ただためているだけの状態。

・資料が増えていくなかで、それを検索・活用できる状態にすること。物理的に保管する場所が限られてくること。活動終了時にそのための時間をさくこと。

今後期待するプログラム

アンケートの最後では、「今後アーカイブに関するノウハウなどを紹介するオンラインプログラムの実施を予定しています。 どのような内容を期待しますか?」という質問をさせていただきました。

~回答例(抜粋)~

・今後の活動の改善に生かせる内容で、人手や予算などが十分でなくても負担感なく取り組める具体的なノウハウ
・団体をまたいで維持されるアーカイブの共有事例など
・情報共有しやすいアーカイブのコツ
・検索のためのタグやキーワード設定について

今回のアンケート調査で浮かび上がった、アートプロジェクトの現場ではアーカイブ運用に関してどのようなノウハウや情報が必要されているのかという点については、Tokyo Art Research Labの今後のプログラムでもいかしてまいります。

アンケートにご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。

オンライン報奏会「2019年の報奏 とりわけ伴奏型支援バンド(BSB)編」

2020年がまもなく終わろうとする12月27日(日)に、第2回目のオンライン報奏会が開催されました。今回は、この「報奏会」という造語の「(演)奏」の部分が際立つ内容を企画しました。すなわち、伴奏型支援バンド(BSB)による生演奏です。

伴奏型支援バンドは、福島県いわき市にある復興県営住宅・下神白団地の住民お一人お一人の、かつて住んでいたまちにまつわる思い出の曲(メモリーソング)を聞くコミュニティラジオプロジェクト「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」から派生したバンドです。
2016年末に、プロジェクトのディレクターであるアサダワタルが初めて団地に訪れて以来、これまで7本のラジオ番組(各60分〜70本)を、住民限定のCDという形でリリースしてきました。住民さんの語りを聞き、ときに住民さんが自ら口ずさむ歌を聞き、その「声」を受け取るという体験は、福島から遠く離れた誰かの心を動かすことになるだろうという確信を持つに至りました。それは、震災や復興支援という事実を伝えるジャーナリズムや、現場の実情を調査しながらこれからの社会のあり方を提言する社会学的なアプローチとも違う、「ここに〇〇さんという人がこうして存在している」ことを「感じる」ための表現活動です。
その表現を受け取った有志が6名(関東在住バンドメンバーと茨城在住現地派遣ピアニスト含む)集まりました。住民さんたちから受け取ったメモリーソングのバック演奏をする、まったく新しいジャンル(!?)のバンド形態、それが伴奏型支援バンド(BSB)です。

伴奏型支援バンド(BSB)メンバー。

さて、第2回のオンライン報奏会では、まず2019年7月に結成されたBSBの活動の軌跡を凝縮したドキュメント映像(撮影/編集:小森はるか)をお届けするところからスタートしました。映像では、都内スタジオにて、まずアサダからメンバーに向けて、住民さんの人となりや背景、そしてメモリーソングについて共有しながら、選曲をし、それらをカバーし、パートを振り分けて実際に演奏していきます。演奏を重ねつつ、再び意見交換し、住民さんにあった演奏のスピードを検討したり、演出についてアイデアを出したりという場面も。
次に現地訪問のシーンです。メンバーを2つに分けて団地を訪れ、実際に住民さんに会いました。これまでラジオの中の登場人物であった住民の「〇〇さん」が立体的に立ち現れ、今後の演奏にその存在を吹き込み、重ね合わせて行く機会となったのではないかと感じています。
関東に戻ったBSBメンバーは、約5か月ほど都内スタジオでの練習を重ねて、2019年12月23日に、下神白団地のお向かいにあるいわき市営永崎団地の集会場をお借りし、「ラジオ下神白プレゼンツ クリスマス歌声喫茶 みなさんの思い出の曲を一緒に歌いましょう」を開催しました。全6曲のメモリーソング、ならびにギター担当の池崎浩士によるオリジナルソングや子ども住民向けの楽曲など合計8曲を演奏。ボーカルは、もちろん住民さんです。映像では、BSBの演奏と住民さんの歌声がしっかり重なり合う様子が記録されています。

スタジオでの練習の様子(2019年)
「ラジオ下神白プレゼンツ クリスマス歌声喫茶 みなさんの思い出の曲を一緒に歌いましょう」の様子(2019年)

このドキュメント映像を配信しながら、改めてアサダはこう感じました。「まさに夢のような時間だった」と。数年間積み上げてきた住民さんとの関係性がぎゅっと凝縮され、バンド仲間たちとこうして住民さんお一人ひとりの歌と記憶を愛で合える場。ともに声を響かせ合う場。それはいまから考えると“三密”の極みであるわけですが、改めてコロナ禍で失ったものの大きさを実感せざるを得ません。
しかし、くよくよしてても始まらない。私たちなりに前に進むためにこのオンライン報奏会だってやっているのだ! というわけで、お次がメインコーナーの紹介です。

いよいよBSBメンバーによるオンライン生演奏。しかも、下神白団地3号棟(主に大熊町出身の方が入居)の小泉いみ子さんとZoomをつなぎ、福島から彼女がボーカル、東京で僕らBSBがバック演奏をするという画期的な取り組みです。現地には、プロジェクトマネージャーの鈴木詩織をはじめとした一般社団法人Tecoチームががっちりサポート。まずは藤山一郎の「青い山脈」(作詞:西條八十 作曲:服部良一/1949)をBSBのインスト演奏でお届けしたのちに、いよいよいみ子さんの登場です。

いみ子さんは原町出身で、大熊町出身の農家のもとに嫁いだのち、さまざまなご苦労をされながら、これまでの人生を「歌に支えられてきた」といつも私たちに語ってくれます。下神白団地に入居する前は6か所の仮設住宅を渡り歩き、2015年の春に下神白団地の入居がスタートすると同時に移り住んでこられました。2017年にお連れ合いを亡くされ、一人でいまこの団地に住んでいるいみ子さんがもっとも大切にしているのが「歌うこと」。毎週水曜と金曜の午前に集会場で開催されるカラオケには必ず足を運び、住民の仲間たちに支えられながら生活を続けられています。そんな彼女の十八番は平和勝次とダークホース「宗右衛門町ブルース」(作詞:平和勝次 作曲:山路進一/1972)。今回は、遠く離れた土地をつないでこの曲を披露しました。

いわき(歌)と東京(バック演奏)がオンラインで重なる。

みなさんにはぜひとも、この様子をアーカイブ映像でご覧いただきたいです。とにかくいみ子さんの歌がすごいのです。いみ子さんの歌の特徴は、ものすごく伸びやかな声で、独自のリズム感で歌い上げること。拍という狭い意味でのリズムからすればどんどんズレていってるように聞こえますが、最後にはなぜかちゃんと着地するという技量(センスといった方が正しいニュアンスかもしれません)にいつも感動させられます。
もちろん、それはアサダ自身が「いみ子さんのことを知っている」という背景があることは承知です。しかし、福島の復興住宅に小泉いみ子さんという方がこうして「存在」している事実を、知るのではなく「感じる」には、もうこれ以上にない歌なのではないかと思うのです。

コロナ禍という、人と人とが直接交わり、つながることが難しい状況になり、「そこにいる」ということを伝えることの意味がより増していると感じています。それは「ライブとは何か」という問いでもあります。オンラインでできるライブ表現について、きっと思いを悩ませているミュージシャンや舞台芸術関係者は多いと思いますが、そのあたりの問いに対する回答もこの機会に示したいと考えてきました。そこでひとつ大事にしたいのは、問題なくオンラインでやることよりも、「それでもつながろうとする意思のプロセスを如実に表現できるかどうか」だと思いました。それは、今回の小泉いみ子さんとBSBのあいだで、わずかながらも表現できたのではないかと思っています。

最後のコーナーは、BSBのミュージックビデオ上映。下神白団地2号棟(富岡町出身の方が多く入居)の横山けい子さんと、4号棟(浪江町出身の方が多く入居)の髙原タケ子さんのメモリーソングで、わたしたちのプロジェクトの代表曲となっている「青い山脈」。この曲をBSBの演奏をバックに7名の住民さんが歌い上げた(在宅収録!)ミュージックビデオ(小森はるか・福原悠介 撮影/編集)をお届けし、無事終了いたしました。

最後に、今回は目に見えないところで、とても機微に富んだテクニカルサポートを4名の方に行っていただきました。配信担当の齋藤彰英さん、音響担当の大城真さん、溝口紘美さん(Nancy)、団地での配信・音響担当の福原悠介さんにこの場を借りて厚く御礼を申し上げます。

2月23日(火・祝)に開催予定の最終回になる第3回目のオンライン報奏会は、あの日からまもなく10年を迎える2021年3月11日を目前開催します。ゲストに、震災後に福島の方々との交流を盛んに行ってきた作家/クリエイターのいとうせいこうさんをお招きし、「表現・想像力・支援」というテーマで語り合います。どうぞご期待ください!

(執筆:アサダワタル

■「オンライン報奏会」第2回の記録映像はこちら

アート・アーカイブ・オンライン

コロナ禍のアンケート調査をふまえた、アーカイブに関する映像コンテンツを制作

多くのアートプロジェクトでは、さまざまな人が集い、対話をしながら時間や場所を共有し、つくりあげていく手法がよくとられます。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大状況下で、その継続のあり方が議論され、アーカイブの重要性や、プロジェクトのオンライン対応の必要性が高まってきました。

そこで、アート分野における調査・研究に取り組むNPO法人アート&ソサイエティ研究センターの協力のもと、全国のアートプロジェクトにまつわる52団体に「アーカイブ運用」についてアンケート調査を行います。また、アーカイブに関するノウハウや活用方法の基礎知識をまとめた映像コンテンツ「エイ! エイ! オー!(アート・アーカイブ・オンライン)」を収録し、YouTubeで配信。これまでTokyo Art Research Lab(TARL)で研究してきたアーカイブの知見をいかして、オンラインでのコンテンツづくりを模索します。

詳細

スケジュール

1月29日(土)
第1回 イントロダクション

1月29日(土)
第2回 現状調査

2月12日(金)
第3回 アーカイブのプランニング

2月12日(金)
第4回 目録作成

2月19日(金)
第5回 デジタルデータの保存

4月30日(金)
第6回 オンライン・ヒアリング

会場

ROOM302(東京都千代田区外神田6-11-14-302 [3331 Arts Chiyoda 3F])

関連サイト

エイ! エイ! オー! YouTubeページ

こんなとき、どうしてますか? 目標設定から組織、記録までアートマネージャーの悩み相談

2020年12月16日、「つどつど会(都度集うアートマネージャー連絡会議)」第2回をオンラインで開催しました。
第1回レポートはこちら

悩みを持ち寄る

北は秋田から南は大分まで、幅広い現場を手掛ける5名のアートマネージャーが集まり、情報共有や相談を重ねていくつどつど会。今回は「悩みを持ち寄る」をテーマに、メンバーのうち2名が活動を紹介しつつ、悩みを共有するところからはじめました。

*つどつど会#02 悩みの発表者
・三富章恵さん(NPO法人アーツセンターあきた/秋田県)
・岡田千絵さん(公益財団法人墨田区文化振興財団/東京都)

事例から解決のヒントを探る

寄せられた悩みは、目標、成果、組織、記録などさまざま。

それに対し、他メンバーやアーツカウンシル東京スタッフがそれぞれの現場におけるチャレンジや成功事例・失敗事例を引き合いに出しながら、解決の糸口をともに探りました。

約2時間に渡るつどつど会のなかで、それぞれのエピソードから出たアイデアやヒントを一部ご紹介します。

<目標と成果>

*目標も戦略的に設計する
・ストーリーに合わせた目的・目標設定をする(例:前年度は◎◎だったから今年度は△△△を狙う)
・たとえば行政事業で「文化浸透」が目的の場合、指標が曖昧なので、行政側からオーダーがなくとも組織側で成果数字を決めて計測するようにしている
・成長を大事にする事業では、狙いに対して何割できたかという「達成率」を取り入れた

*測りやすい方法を編みだす
・常に報告書があることを前提にし、全事業でアンケートをしっかりとる
・大量集客ができていたプログラムをツアー形式に変更したとき、「経済波及効果」を指標に取り入れた。参加者の総数は減るが「何泊とまったか」をアンケートにいれて、地域への経済波及効果を示せた。企画変更の時点で指標も変更しておき、指標を一つに絞らないことも重要
・ビジネスの現場でも用いられる「バランス・スコアカード」を採用し、複数の視点で評価するようにしている

<組織と人>

*組織図を描いて組み直す
・組織のことで悩んだらまず「体制図」を描くと課題が見える。全員で体制図つくってみるのいいかも
・アーカイブの議論で大事なのも組織図をつくること。誰が権限を持って何を管理しているかを明らかにする必要がある。ただ、アート組織は図が書きにくいことも
・二人組でチームつくり、その上に事務局長が立って事業を振り分け、問題が起きたら事務局長に戻して解決する仕組みをとる方法をとってみた

*負荷や得意を把握する
・スケジュールが過密にならないように、負荷が偏らないように、チーム編成を工夫して常に計測する
・組織内部でできない内容や量は、外部パートナーと連携してどんどん依頼できる体制をとっている
・スタッフごとの得意なことをしっかり把握して上手に頼む

<業務内容>

*相談事業は手掛ける範囲を決める
・BEPPU PROJECT「CREATIVE PLATFORM OITA 」では、さまざまな経営課題をクリエイティブの力で解決する『クリエイティブ相談室』(以下相談室)を開設している。大分県の企業は相談室に無料で相談できる。相談室は、内容に応じてクリエイターと企業のマッチングをおこない、クリエイターと企業が契約してから実際にプロジェクトが開始する
・相談までは公的事業の無料枠でやるが、技術料はちゃんと明確にすることにしている。費用がわかることで相談者もリアリティを持って判断ができる

*料金表を関係者で共有する
・案件ごとの料金表はつくっているが、少し外側の関係者が人づてに安価で仕事を受けてしまうことも。これからは関係者ともしっかり料金表を共有することに

<成果発信>

*参加団体にヒアリング・発表してもらう
・企業連携の事業においては、参加企業に売上への貢献、就労への貢献など数字を含めた成果をヒアリング。成果発表会を開催しメディアを含め多くの方に成果を公表している

*行政とは「計画」を元につきあう
・市の総合計画は、組織全員でその内容を把握するようにしている。その上で、どうやって自分たちの活動が活動できるか考えようにしている
・行政側の計画書のどこに、それぞれのプログラムが紐付いているかを逐一資料にして明示している。議会対応はマネージャークラスが専任でつき、ノウハウと資料を貯めている
・人事異動などの影響でむしろ行政側が根拠となる計画がわからなくなることも。行政外のアートマネージャーが計画を読み込み、論拠を構築できることが大事

*外部事例を共有する場をつくる
・寄り合い的な場に行政の人を招き、他地域の事例を見てもらうタイミングをつくる

*すぐに出せる資料を常につくる
・公共事業の場合、実施意義や成果についての詳細な問い合わせを受けることもある。そういった際にすぐに数値が提示できる資料や業務報告書をつくっておく習慣が重要

<記録と継続>

*公的機関にゆだねる
・記録を誰かに託すことまで考える。アーツカウンシル東京の場合、国会図書館のデジタルアーカイブ部門にウェブサイトの収集をしてもらっている。サーバーやドメインの契約が切れてもコピーサイトが残る仕組み
・印刷物も国会図書館のような公的アーカイブを上手に使うのはおすすめ。綴じている本は何でも受け付けてくれるし、タイトルに「ジャーナル」とつけると記事ごとに検索できるようになる仕組みも

*プラットフォームにゆだねる
・長期的な視点だと難しいけれど、お金がかからなくて世界からアクセスできる場所としては残りやすいのはSNSアカウント。事業が終了した瞬間にウェブサイトが消えたとしても、かろうじてFacebookページが残っていることで参加者の人に向けたその後の情報発信ができた経験も

第2回を終えて。参加メンバーからのコメント(抜粋)

蟻川小百合さん(みずつち市民サポーターズ/新潟県)
「別府の組織体制を変えた話を聞いて似ているなと思い出しましたが、さいたまトリエンナーレのディレクターチームでは、チームのマネジメントを担当するスタッフがいて、常に全体を見ながら様々な調整をしてくれたので助かっていました。
アーカイブを残すことを誰かに委ねるという発想、いろいろ考えられそうと思います。新潟は市民プロジェクトの記録集をサポーターズが自ら作りました。自主映画をつくるアートプロジェクトを市民プロジェクトで続けていますが、市内の文化芸術活動を伝える一つのメディアになりたいと考え、ドキュメンタリーを撮る活動に力を入れるようになってきています」

大政愛さん(はじまりの美術館/福島県)
「評価、構造化、組織図作り、評価、記録、リソースの認識、本として残すか、ウェブ上に残すか、などなど、様々なトピックが出て、参考になることも多くありました。評価に関しては、最初に指標を決めてもなかなか振り返るタイミングが難しく、模索しております。自分たちのための評価と、協働していくための評価、外にみせていくための評価は、少しずつ異なるのかななどと思いました。
自分の活動では、今日お話がでた議会対応など直接的な行政とのやりとりはないので少し課題や対応は異なってくると思うのですが、法人内やグループ内での説明などにも役立つ部分もあるだろうなと感じました。すぐに解決することが難しい悩みも多いのですが、多様な手段や視座を伺うことができ、『いつかこうしていきたい』というアイデアもいただいています」

岡田千絵さん(公益財団法人墨田区文化振興財団/東京都)
「議会対策って何をすればいいのかわからないと思ってましたが、行政の5ヶ年の基本計画や条例をバイブルにする。と分かっていれば怖くない。色々な地域の行政との話を聞いてそこは常識なのだと実感しました。
報告書や報告会を念頭にアンケートや情報収集の準備をすることは目からウロコでした。でも、確かにそうだと思います。また、組織図を共有する、視覚化するというのは早速やってみます。プロジェクトに参加している団体とそれを共有しながら打ち合わせをすると、団体ごとの事情や特徴が把握しやすそうです。
それから現場が混乱しそうな時はバランス・スコアシートなどを活用して、組織や事業の目標を明確にすることで、組織体制の立て直し、スタッフの疲弊を防ぎたい。。後回しになりがちかもしれないけれど、アートマネージャーのキャリアパスとして、自分の記録やアートマネージャーの仕事をどう発信するかも大事ですよね」

月田尚子さん(NPO法人BEPPU PROJECT/大分県)
「組織運営、スタッフのモチベーション維持・育成、仕事のボリューム、アーカイブの方法などは規模は違えど同じ課題を抱えていたので、とても共感できました」

三富章恵さん(NPO法人アーツセンターあきた/秋田県)
「組織体制の在り方、事業のつくり方、行政とのコミュニケーションの取り方など、他の団体でどう取り組まれているかという参考事例や実践的な助言をいただけて、とても参考になりました。
組織の中で話しているだけでは解決しないことも、ある程度近い状況を経験し・理解いただける方々との会だからこそ、適度な客観性をもって助言いただけるんだなと思います」

レポート執筆:中田一会(きてん企画室)

Art Archive Online(AAO)/エイ!エイ!オー!

アーカイブに関するノウハウや活用方法における基礎知識の紹介や、アーカイブ構築を継続してきたゲストをお招きしてクロストークを行いました。

ゲストは、川俣正さん(アーティスト)、日比野克彦さん(アーティスト)、田口智子さん(東京藝術大学芸術資源保存修復研究センター特任研究員)、小田井真美さん(さっぽろ天神山アートスタジオAIRディレクター)、石井瑞穂さん(アートプロデューサー)、志村春海さん(Reborn-Art Festival 事務局スタッフ)、秋山伸さん(グラフィック・デザイナー)です。次の10年に向けて、アートの現場におけるアーカイブ活動の可能性をともに考えます。

困ったら、お互いに聞いてみる。助け合う場を続けていこう


東京アートポイント計画
に参加する9団体+アーツカウンシル東京で進めてきた「事務局による事務局のためのジムのような勉強会」こと「ジムジム会」。2020年9月22日、無事に今年度の最終回を迎えました。

コロナ禍で身動きがとれないところからスタートし、オンラインを介して悩みや実践を共有してきた全5回の勉強会シリーズ。最後は「お互いに話を聞いてみる」をテーマに場をひらきました。レポートをお届けします!

ポンチ絵でこれまでの回を振り返るところからスタート。

あの事務局から、この事務局へ。お互いに話を聞いてみる。

ジムジム会ではこれまで、オンラインディスカッションやラジオ形式の質問会など、さまざまな方法でネットワーク型の勉強会を重ねてきました。

締めとなる最終回は大変シンプルに、「聞きたいことを聞きたい相手に聞いてみる」方式で進行しました。どんな質問が飛び出したのか、その一部をスクリーンショットで簡単にご紹介します。

*各チームには質問をフリップで用意してもらい、それに答えるチーム以外はミュートで話を聞きながらチャットを盛り上げる……という方法をとりました。

プロジェクトの継続方法はどのプロジェクトにとっても大きな課題。歴史の長いプロジェクトの事務局から同じようなベテラン事務局への質問。継続の方法や考え方は様々なバリエーションがあることがわかりました。
アートプロジェクトの事務局は、必ずしもアート専門のチームとは限りません。もともと地域おこしの活動をしていた事務局が、アートプロジェクトと並行して保育事業を展開する事務局に質問。「アート」をどう捉えるかという深い問いに繋がりました。
お互いの実践を共有していく中で、「あのチームの企画がいつも気になる!」と感じることも。アイデアをどう生み出すか、どんな会話から新しい活動がはじまるのか、活動を振り返りながら話しあいました。
日常と表現の両方を大切にするアートプロジェクトでは、事務局における働き方も重要なテーマです。育児中の女性が多いチームでは、他の事務局の子育てと仕事のバランス、考え方にヒントをもらいました。
表に出てくる活動内容だけではなく、根幹となる考え方が気になるのも事務局らしい視点。特に地域に軸を置くアートプロジェクトでは、地域をどのように見て、関わるかも気になるポイントでした。

問われることで初めて気づくこともある

プロジェクト運営で気になること、困ったことは、同じ立場にいる人同士で話すとヒントも見えてきます。また、問われることで初めて意識が生まれることもあり、発見の多い時間となりました。

事務局同士の相談で得たヒントは、かるた型のカードにまとめて共有。

ジムジム会=勉強会の姿をした互助会

はじめの記事でもお届けしましたが、ジムジム会は講座型ではなく「互助会」的な勉強会を目指して2019年より運営しています。

▼ジムジム会2020の運営方針
1. 現場の状況と社会状況を反映し、柔軟にプログラムを組む
2. レクチャー形式ではなく、相互に助け合う「互助会」的な場とする
3. 得た知見や生まれたアイデアは、公共知としてオープンにしていく

まち・ひと・活動が複雑に絡み合い、企画ごとに規模も目的も異なるアートプロジェクトの運営には正解がありません。だからこそ大切なのは、共通したセオリーを学ぶことではなく、様々なプロジェクトの実践から学び合い、それぞれが活動に必要な知見を鍛えていくこと。

そのためには人の繋がりも、お互いの活動を知ることも大切です。全5回を振り返ってみると、勉強会の姿をとりつつも、しっかり「互助会」らしく育ったのでは……と、運営チームも感じています。

ジムジム会は続いていきます!

嬉しいことに2020年度のジムジム会は、「コロナ禍中で情報共有できたことがよかった」「続けてほしい」「出会いがあった」と参加メンバーからも大変好評でした。そこで、今後も各プロジェクト事務局が持ち回りで運営し、「続・ジムジム会」として開催していくことになりました。

困ったらお互いに聞く。相談する。そんな関係性はこれからも続いていきます!

▲最後に下半期の抱負を発表して締めました。

(執筆:きてん企画室)

※ジムジム会についての情報は東京アートポイント計画のnoteアカウントでもお読みいただけます。