Stories Behind Building Community for Youth Empowerment 高校・大学・NPO の連携による多文化な若者たちの居場所づくり:都立定時制高校・多言語交流部の取り組みから

Betweens Passport Initiative は「移民」(*) の若者たちを異なる文化をつなぐ社会的資源と捉え、アートプロジェクトを通じた若者たちのエンパワメントを目的とするプロジェクトです。移民の若者が多く在籍する都立定時制高校という学びの場に焦点を当て、放課後部活動である多言語交流部 「One World」を通じたコミュニティづくりを行なってきました。

本書は、多言語交流部 「One World」における、高校・大学・NPO の三者連携による定時制高校でのコミュニティづくりを紹介した事例集です。

*本事業では、多様な国籍・文化を内包し生活する外国から来た人々を「移民」と呼んでいます。

もくじ

第1部 はじめに
1. 「移民」の若者のエンパワメント
2. 「移民」の若者を取り巻く現状
3.  多言語交流部 「One World)」を立ち上げた背景

第 2部 三者連携によるコミュニティづくり
1.  大学の役割・実施したこと
2.  NPO の役割・実施したこと

第3部 活動事例
1.  第1期 立ち上げ
2.  第2期 試行期間
3.  第3期 プログラム化・仕組み化

第 4部 終わりにかえて

答えのまえで立ち止まり続ける。市民の生態系と問いかけが生むプロジェクト——宮下美穂「小金井アートフル・アクション!」インタビュー〈前篇〉

アートプロジェクトを運営する人たちへの取材を通して、その言葉に、これからのアートと社会を考えるためのヒントを探るインタビュー・シリーズ。今回お話を伺ったのは、小金井市で「小金井アートフル・アクション!」を展開するNPO法人アートフル・アクション事務局長の宮下美穂さんです。

小金井アートフル・アクション!(小金井市芸術文化振興計画推進事業)は、2009年に活動を開始。市民がみずから運営を担い、小学校を舞台とするワークショップをはじめ、多くのプログラムを行ってきました。一見、まちなかのささやかな営みのように見える取り組みには、世界の複雑さに向き合おうとするアプローチや、メンバーの関わりのゆるやかさと深さ、会期を超えて広がる関心など、ほかのアートプロジェクトにはない手触りが宿っています。

参加する人たちと関わるなかで、分かりやすい答えの前で立ち止まり、何度でも本質を問うことを大切にしてきたという宮下さん。その具体的な手つきとは、いったいどのようなものなのでしょうか? 活動の伴走者であり、宮下さんの運営手法に関心を持っているという東京アートポイント計画ディレクター・森司とともに話を訊きました。

カオスと仮説からはじまる

——「小金井アートフル・アクション!」は、2007年に制定された小金井市芸術文化振興条例と、それに続く2009年の小金井市芸術文化振興計画を具体化する事業として、2009年に活動を開始しました。宮下さんは、この条例や計画づくりの段階から一連の取り組みに関わっていたそうですね。

宮下:そうですね。もともと造園、ランドスケープデザインを仕事にしているのですが、それと並行して関わっていました。事業の運営に本格的に入ったのは2012年です。2009年からの初期の3年間は条例策定に関わった市民、行政、東京大学の小林真理先生や学生が中心に動いていたのですが、2012年にNPOが生まれ、市民の人たちが自分で運営することになりました。当初は移行期の難しさもあり、なかなかうまく回らなくて。一旦ブレーキをかけようか、という時期がありました。

——そこで、宮下さんが本格的に中心となって動き始めたと。

:NPO法人アートフル・アクション(以下、アートフル・アクション)は、いまではすごく有機的で幸せな状況にあるけれど、当時はそんなことはなくて、一種のカオス状態だったんですよ。宮下さんにやりたいことが豊かにあり過ぎて、それが一挙に出てきている状態だった。たとえば、いまは代表的なプログラムがいくつかあるけど、そのころは枝分かれなんかしていなくて、整理もされずにこんがらがっていましたよね。

小金井アートフル・アクション!は2009年度に小金井市芸術文化振興計画推進事業として始まった。9年間の歩みは2018年6月に発刊した『やってみる、たちどまる、そしてまたはじめる』に収録されている。

宮下:私にはそもそも、プログラム別に物事を考えるという発想があまりありません。そのことを問題だとも思っていなくて、むしろ、私が「こうじゃない?」と思うことの答えを、どう自分自身で掴むのかをやりながら考えていた。もちろん、自己満足のためにやっていたわけじゃないけどね(笑)。

:初期は、「すること」も「つくるもの」もはっきりしていたんだけど、宮下さんが中心になってからは、すべてニュートラルになった状態に見えたんです。つまり、「する」や「つくる」を自明のこととして扱うのではなくて、もう一度、問いかけているような状態。そうすると、メンバーの考え方の違いが浮き彫りになるでしょう。だからカオスが生まれるんだけど、それこそ本当の産みの苦しみですよね。多くのプロジェクトがはじめにそこを整理してしまうなかで、この混沌をどういうわけか耐えたというのは、アートフル・アクションの財産だと思うんです。

——プロジェクトの最初に混沌の時期が必要というのは、森さんがいつも言っていることですね。

:でも、ここはそれが長くて深かったよ(笑)。

宮下:ははは。私、退屈するのが嫌いなんです。それこそ運営をやり始めたころって、やらないといけないことが多かった。だけど、単にこなすだけではつまらないじゃないですか。だから、それぞれのなかに私にとって面白いことをこめていきました。一種の仮説というか。

——仮説、ですか?

宮下:たとえば、2013年に「タマのカーニヴァル」というワークショップのプログラムで考えていたのは、「人が何かを知るとはどういうことなんだろう」とか、「経験と体験はどう違うんだろう」とか、「人は人に何かを教え得るか」などといったことでした。実際、そこでは考えさせられることがとても多くて、参加したこどもの振る舞いから、「人が何かを知る」ことの一端が見えたように感じたり。それは、あらかじめ設定できるものではないですが、この問いを別の角度からさらに深めるために次のワークショップでは何をしようか、ということをいままで繰り返してきました。

「タマのカーニヴァル」は2013年度に東京都多摩・島しょ広域連携活動助成事業 こども体験塾事業として実施(撮影:松田洋一)。活動内容は報告書『タマのカーニヴァルの言葉』にまとめられている。

多様さよりも複雑さを楽しむ

——いまおっしゃった「仮説」は、いわば宮下さんの小さな関心だと思うのですが、プロジェクト全体としての大きな目的はあるのでしょうか?

宮下:“the 達成目標、獲得目標”みたいな目的は設定しません。強い目標を持つことによって、それを追い求めるあまりに目的以外が見えなくなると面白くない。だから、小さな仮説を積み重ねていった。

:不思議ですよね。目的がなければ、普通こんな面倒臭い活動はしないでしょう(笑)。要は、世間的なゴールはないけど、探し求めたいものはあるということだと思う。多くのプロジェクトとは目的の捉え方が違うから、みんな、ここの活動を知ろうとすると煙に巻かれちゃうんですね。

——たしかに、ほとんどのプロジェクトには外向きに理解しやすい理念がありますが、こちらの活動はそれがとても見えにくい印象があります。いくつかのワークショップの記録を読ませてもらっても、豊かな細部があるのは分かるものの、その営みが全体として何かはとても名付けづらい。

宮下:活動に関わってくださる方からも「何を言っているのか分からない」ってよく言われます(笑)。

:宮下さんはもともとランドスケープデザイン、生態系の人だから、ひたすらバラバラな人が集まれる場所をつくっているようにも見えるんですね。実際、ここの活動を見ていると、人の関わりの余白の取り方が非常に独特なんです。決して「ユルい」わけではなく、どこかが途切れてもネットワークはつながり続けている感じ。しかも宮下さんは、人々がプログラムに対して肯定感を持てるような関わり方を大事にされてきたと思うのですが、その秘密を今日は知りたいんですよ。

宮下:どうしよう(笑)。つながるか分からないけど、たとえば私たちがずっと続けてきた活動に小学校を舞台にした学校連携事業があります。でも、私自身、偉そうな人が学校に来て「何かを教えてやるぜ」と言われたらすごく嫌なんですね。決まり切ったことを上からトレースさせられても、ぜんぜん楽しくない。だから、とにかく圧倒的に何だか分からないことをしたいとずっと思っていて。

——「何だか分からないこと」?

宮下:2012年に小金井の本町小学校で、アーティストの岩井優さんと「ドキュメンツ/カメラと箒と雑巾と」というワークショップを行いました。これは、こどもに掃除のパフォーマンスをつくってもらうというものです。具体的には、いきなり「掃除のダンスをつくって」と言うわけです。さらにビデオでその様子を撮影してもらい、自分で自分を見るという経験も入れ込んでいった。そして最後に公道で自前のダンスを踊るのですが、そこに私たちがバブルマシンで泡を吹きかけるんです(笑)。

——たしかに、何がなんだか分からない(笑)。

宮下:でも、これは、みんな、とくに大人のなかにある「ここまではダメだよね」というルールが、勢いで乗り越えられていく経験でした。警察署や消防署への手続きもいろいろあったけど、みんなで一緒にめちゃくちゃなことをやる。それはもはや、作家かこどもか私たちか、誰のための行動なのか判別できないものなんです。でも後日、参加したある男の子が「人ってここまでやっていいんだと感じた」と言ってくれた。それぞれの場面での肯定感というか、見晴らしの良さをどこかで体験する。お仕着せの回路ではない、その人の心や身体の回路の中で。

——ルールや普段の身振りを超えてみたとき、拓けてくるものがあると。

宮下:最初から分かっていることをやっても、見晴らしの良さは得られない。プログラムに対する肯定感を生み出すのは、やはり、どれだけ自発的に関わるかによるのかなと思います。もう、暴力だ、と言われるくらい、ある部分を他の人に委ねる。もちろん、その人の個性や関心も考えますが、本人が予想しないような無茶振りをあえてやってみます。その人が迷いながら懸命に道を見出そうとしたら、それは失敗も成功も、その人の経験となって育っていく。それは、中途半端じゃダメで、かなりの負荷だと思います。でも、私としてはそうやって懸命な気持ちと一緒に仕事をしたい。私も応えたい、とは思います。

学校連携事業「ドキュメンツ/カメラと箒と雑巾と」(アーティスト:岩井優、2012年度)の実施風景。

:「わけが分からない」と「理解できない」ことは別のもので、人は前者はスルーすることがあるんですよね。そのスルーしたものに、良いかたちのラッキーがいっぱい含まれているのがアートだと思う。宮下さんはまえに生態系の条件として、「多様さというより複雑さ。そして、作為的でないバランス/均衡がある」ことを挙げていたけれど、それもつながる話でしょう。いまはみんな「多様性」で話をするんだけど、宮下さんは複雑さを喜んでいる人なんじゃないかな。

——多様さと複雑さを言い分けたのは?

宮下:その二つは違うものじゃない? 多様さは違うものがあればいいけれど、複雑さはそこにこんがらがった関係や解けないものがあること。私にとって、多様さというのは比較的シンプルで当たり前のことなんです。むしろ、複雑さのなかにこそ真実はあると思う。その意味で、複雑であることを複雑なままにしておくことは大事かな。道に迷っているように見えても、頑張って複雑であることを持ち堪えた方がリアリティがある。だから、メンバーにもそういうやり方を要求しています。

経験を深めるために問う

——学校連携事業では、この春の「わたしの『人権の森』」も大きなプログラムかと思います。これは東村山市の南台小学校のこどもたちと、同市にあるハンセン病患者の療養所「多磨全生園(以下、全生園)」を訪れて、その経験を深めるというもの。市を越えた事業ですが、どのように始まったのでしょうか?

宮下:以前小金井でご一緒した先生が、東村山に移ったあとも声をかけてくれたのが始まりです。私には「学校が美術館だったら学びはどう変わるのか」という仮説があるのですが、それを彼女に伝えたら、全学年の授業を表にしてくれて。そこに全生園の見学がありました。通常、見学後は感想文を書いて終わっていたようですが、貴重な経験なので深めていくことはできないかと考えました。

——具体的にはどんな風に変えていったのでしょうか?

宮下:読書の時間に、司書の方に全生園関連の書籍を読み聞かせしてもらい、その本を教室の脇に置いてもらいました。私たちも、読み聞かせにも施設の見学にも参加しました。そのうえで90分の授業を3回やるのですが、前半はグループごとに全生園の経験について話し合いました。こどもたちは図工の時間だからつくりたくてウズウズしている。それを押しとどめ、対話の時間を持ちました。先生にも、「つくる」とか「造形」という言葉を使うことをやめてもらい、「表現する」「伝える」と言い換えてもらいました。そして残りの時間で、何かを「表現する」という授業でした。

——見学だけではなくて、その前後で、知ったり、考えたりする時間を厚くしていったと。そして大人は、単にこどもに教える存在ではなく、一緒に学んで考える存在なんですね。

宮下:全生園は難しい歴史を含む場だから、本を読んだ大人たちはみんな自分に何ができるのか分からないという状態になります。それでも調べ物をして分かったことを伝え合ったり、ディスカッションを繰り返して準備する。さらに、見学や授業のあとも毎回数時間の反省会をしたり、メールでやりとりをしていく。そういうことを、一ヶ月半から二ヶ月くらいかけて大人もやっていくんです。

東村山市立南台小学校での学校連携事業では、市民スタッフが「多磨全生園」の350分の1の模型を制作した。

:究極のアクティブラーニングですよね。少し角度を変えて言うと、2020年度から大学の入試制度が変わりますよね。センター試験に変わり、「大学入学共通テスト」という仕組みが始まる。国語の記述式の問題のような、インプットした複雑なものをどう出すかという力がより求められるようになります。学校の先生がこの分かりづらいプログラムを引き受けた背景には、いまを生きるうえで複雑さを解きほぐす能力が必要だという直感が、先生たちにもあったからだと思う。

——ささやかなアートの営みに見えて、じつは時代の流れと重なる部分もあると。

宮下:実際に造形を行う場面でも、根本的な部分をしつこく問うんです。たとえば、全生園のなかで「独身男子・軽症者寮」として使われた山吹舎という建物をつくりたいグループがあったのですが、見たものをミニチュアで「再現」することの意味とは何だろうと。グループに入った大人には、なぜ山吹舎なのか、こどもに繰り返し尋ねてもらいました。結果的にグループは山吹舎をつくったんだけど、それはただ平行移動して再現されたものではないんですね。いろいろ考えるなかで、自ずとアウトプットが変わると思っています。

〈後篇〉バラバラなものをバラバラなままに。結果を急がず、遍在するものの可能性を丁寧に感知することが必要。——宮下美穂「小金井アートフル・アクション!」インタビュー

Profile

宮下美穂(みやした・みほ)

NPO法人アートフル・アクション 事務局長
2011年から小金井アートフル・アクション!の事業運営に携わる。事業の多くは、スタッフとして市民、インターン、行政担当者、近隣大学の学生や教員などの多様な形の参加によって成り立っている。多くの人のノウハウや経験が自在に活かし合われ、事業が運営されていることが強みである。日々、気づくとさまざまなエンジンがいろいろな場所で回っているという状況に感動と感謝の気持ちをいだきつつ、毎日を過ごしている。編み物に例えると、ある種の粗い編み目同士が重なり合うことで目が詰んだしなやかで強い布になるように、多様な表現活動が折り重なり、洗練されて行く可能性を日々感じている。

NPO法人アートフル・アクション

東京都小金井市内を中心に、企画展、イベント、講演、ライブなど、様々なアート活動を行っているNPO法人。目指しているのは、アートと出会った人が自分自身の新しい可能性を発見し、豊かな生き方を目指していくきっかけや場をつくること。現在、市民、自治体、学校、他のNPO、企業などと連携しながら、「地域におけるアート」の可能性を追求している。
https://artfullaction.net/about/

小金井アートフル・アクション!

NPO法人アートフル・アクションの一部事業は、2009年4月に「誰もが芸術文化を楽しめるまち~芸術文化の振興で人とまちを豊かに」という理念を目指して始まった「小金井市芸術文化振興計画推進事業(小金井アートフル・アクション!)」として推進されている。
「小金井アートフル・アクション!」は、2011年度から、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)、小金井市、NPO法人アートフル・アクションの4者共催により「東京アートポイント計画」の一環として実施。
https://artfullaction.net/

座談会:ミュンスター彫刻プロジェクト2017を振り返る→2027

「ミュンスター彫刻プロジェクト」は、ドイツ北西部の都市・ミュンスターで10年おきに開催されている芸術祭。1977年から始まり、昨年に5回目が開催されました。日本のアートプロジェクトの歴史のなかでも、ミュンスター彫刻プロジェクトから影響を受けていると述べられることが多々あります。会期中は世界中から人々が作品を見に訪れ、日本の作家としてはこれまでに川俣正さん、曽根裕さん、荒川医さん、田中功起さんなどが出展しています。

そんなミュンスター彫刻プロジェクトへの招聘を目指すスタディ、「2027年 ミュンスターへの旅」が9月にスタートします。ナビゲーターを担当する佐藤慎也と居間 theaterが、昨年それぞれ現地に行き、体験して来た「ミュンスター彫刻プロジェクト2017」の振り返りをおこないつつ、スタディに向けた興味関心・目指すところを話しました。

>座談会メンバー
 佐藤慎也居間 theater(東彩織、稲継美保、宮武亜季、山崎朋) *稲継はスカイプにて参加。

・掲載写真は、全て居間 theater、佐藤慎也撮影によるものです。

芸術祭を巡る時間

 私たち居間 theaterは、昨年(2017年)の「ミュンスター彫刻プロジェクト」で初めてミュンスターを訪れました。3ユーロの地図を買って、みんなで美術館の横のレンタサイクルで自転車を借りて、1日中回りました。(佐藤)慎也さんとは残念ながら数日違いで出会えませんでしたが、帰って来て感想を話したとき、率直な感想として「楽しかった!」がありましたよね。今でもみんなで写真を見返して思い出に浸るという(笑)

佐藤 僕もミュンスターは初めて訪れたけど、街の中に彫刻(パブリックアート)を10年おきにつくっていくこのプロジェクトが、日本のアートプロジェクト(の歴史)とどう関係があるのか、今まで不思議に思っていました。行ってようやく分かったのだけど、ここで彫刻と呼んでいるものは、狭義の意味の彫刻を街に置くということだけではなかった。

確かに最初は、例えば初回の1977年につくられたドナルド・ジャッドの作品のように、パブリックアートのような彫刻作品だったのかもしれないけど、その後、場所との関係や街の人たちとの関係が変化していって、それに伴って「彫刻」はさまざまな拡がりを持ってきたのだろうなと改めて思いました。

いわゆる彫刻的なものはもちろんのこと、場所と一体となった映像インスタレーションだったり、毎回決まった時間におこなわれるパフォーマンスだったり、現代的な美術の動きが確実に反映されていたように思います。それが10年という準備時間を使って街の中に実現していき、それを街の人たちがさまざまに向き合い、受け入れたり、反発していきながら、また次の10年に向かっていくのだろうな、と。もはや彫刻は、その話し合いのための触媒でしかないようにも見えました。

Donald Judd 《Ohne Titel [Untitled]》1977

宮武 私も、10年かけて作品が街の人のものになっているんだなと感じました。パブリックアートが居場所になっている。先ほど例に出たジャッドの作品を見に行ったら、普段からよくそこに来るという男性が、「どこから来たの?」と声をかけてくれたことが印象的でした。きっと彼にとってそこは自分の居場所でもあり、外の人との出会いの場でもあるのだろうな〜と。ほかにも、家族で水辺の風景を楽しんでいたり、カップルのデートスポットになっていたり、落書きがされていたり。

 やっぱり、時間の感覚が面白かったですよね。新作だけでなく、10年、20年、30年、40年前につくられて、そのまま街に残されている作品もたくさんあって。私たちは過去の作品を自転車でめぐりましたけど、場所を移動する(横移動)のと同時に時間も遡っている(縦移動)ような感覚になったりして、散歩やサイクリング的なことも相まってか、時間を旅しているような「気持ちいい」感じがよかった。

サイクリングをしながら作品をめぐる。素朴な顔で見上げる一行。
これを眺めていたのでした。 Ilya Kabakov 《”Blickst du hinauf und liest die Worte…” [“Looking Up. Reading the Words…”]》1997

稲継 そう。思い返すと、ミュンスターでの体験にとって「移動」ってすごい大事だったんだな〜、って。自分の足で、街を捉える感覚が点から面になっていくのと、作品鑑賞とがセットになっていたことがとっても面白いポイントだったんだなぁ。
自転車で通り過ぎるスピードと、車で通り過ぎるスピードでは、当たり前だけど全然目も耳も状態が違う。地図片手に本気を出せば全部チャリで回れるっていう規模感(空間、作品数)が、個人的にとても好みだったんだなって。

佐藤 一方で僕は、プロジェクト側が用意した完璧なナビアプリを使って回ったことで、街を把握しにくかった、という贅沢な悩みもあった。それを見て自転車さえ漕げば、目的地に着いてしまうから。やっぱり、日常の近くにあって、気が向いたら作品を見る、みたいな感じが理想なのかな? 観光客として行くと、どうしても効率を重視してしまう。どうやったら効率から距離を取れるか、とか。

山崎 私は街の第一印象が記憶に残ってて。駅を挟んで反対側の「盛えている方面じゃないほう」に出てしまったからか、さびれていて治安のよくない街なのかと思ってしまいました。宿泊したホテルのすぐそばでは、昼間から酒瓶をもったおじさんたちがうろうろしていたり。ただ、それらは必ずしもネガティブな印象というわけではなくて、そのような土地で芸術祭がおこなわれてきたというのは一体どういうことなのだろう? 街と芸術祭との関係は? その歴史は? と、興味がわいた経験でした。結局そのあと、旧市街や広場や教会のある方面へ行ったので、この第一印象はすぐに塗り替えられることになったのだけど……。

旧市街である中心街の様子。切妻造りの建物が並ぶ。まちの中心には教会。

佐藤 ちなみに、ミュンスターは第二次世界大戦で大きな被害を受けて、旧市街のほとんどが破壊されたけど、その後に住民の要望があって、一部が復元されたそうです。その中で残った歴史的な建築物としては旧市庁舎が有名で、昨年のプロジェクトでは、パフォーマンス的作品の会場として使われていました。

稲継
 パフォーマンスは私たちも見ました。こんな重要文化建築みたいなところでやるのか! って。

 たしか、「壁に寄りかかったり装飾に触らないよう気をつけてね」と言われたよね。結構ラフな感じだった思い出がありますが……(笑)

旧市庁舎でのパフォーマンス。パフォーマーが空間全体を動き回る。 Alexandra Pirici 《Leaking Territories》2017

佐藤 一方、現代建築としては、ボレス+ウィルソンの代表作であるミュンスター市立図書館があり(ジュリア・ボレス・ウィルソンはミュンスター生まれ)、そこの地下にも映像作品が展示されていました。ほかにも、中世の要塞跡が、ナチスの秘密警察によって拷問や処刑のための場として使われていて、そこにもとても印象的なレベッカ・ホルンの作品が常設されていたりする。本当に街のあちこちに彫刻が埋め込まれているという感じでした。

ミュンスター市立図書館。奥の教会との対比が印象的。
Rebecca Horn 《Das gegenläufige Konzert [Concert in Reverse]》1987/97

稲継 「ドクメンタ」で有名なカッセルも、ミュンスターも、第二次世界大戦で一度街が破壊されてるんだねぇ……。

山崎 あと、芸術祭がおこる発端となったのが、彫刻(ジョージ・リッキー「三枚の正方形」)を街におくことをめぐる論争だったということで、観光や地域活性を目的としてつくられた日本の芸術祭とは性質が違うのだろうけども、しかし、私は結局「観光客」としてしか街に行けていないので実感がもてない部分もある。そのあたり実際どうなのかな? という関心があります。

おおらかな運営と質の担保

佐藤 そうそう、会期中の開館時間の長さにも驚きました。毎日、朝の10時から夜の20時まで開いていて、金曜日なんて夜の22時まで開いている。だから見る側は、朝から晩までヘトヘトになるまで回ることができる。見る側も大変だけど、何よりその時間を運営しているほうも非常に大変だと思う。

宮武 実際にどう運営されているのか、という興味はかなりありますよね。それと見る側にも運営側にもおおらかさがあるというか。突然現れて道を封鎖した作品(パフォーマンス)にも、みんななんだかんだいって手伝ったり。人気作品はオープン前から並び始めるけどスタッフはいなくて。列の統制がされていない長蛇の列も、そこにいる人同士で情報交換しながらみんなで待つ、みたいな光景がよく見られて。見る側と運営側になんとなくのコンセンサスがあるような。でもそれも、40年の蓄積なのかなとか、一方で問題は色々あるのかな、とか……。

中心街で突然、「アートのメジャー」と書いてある大きな定規を広げ始める。かなりでかいので、スタッフだけでなく周りの人が手伝っている。

 昔の作品に普通に落書きされてて、しかも「ちょうどいいから」って感じでスケボー練習の場みたくなってるけど、でもそのことに誰も「キー!」ってなってない感じとか。

山崎 廃スケートリンクでのピエール・ユイグの作品は長蛇の列ができていて、入場するまでに1時間ほど待ったのだけど、入ってみると場内は思いのほかお客さんが少なく閑散としていて。でもそれは観客の鑑賞体験の質をきちんと担保するために必要なコントロールなのだとわかった。劇場にしろ美術館にしろそれ以外の場所にしろ、作品を観たりつくったりするときにはいつもこの体験を思い出します。

稲継 「体験」としてのクオリティを守るためには、見たい人は何時間だって待たせるけど、日本的な「お待たせして申しわけありません」というノリのスタッフはひとりもいなくて、並んでる最中はノーケアで、最後の最後に「もうすぐ順番だよー、やったね!」的なスタンスだったね(笑)

入口で入場制限がされていて、一組が出ると一組入る。外には待機列ができている。 Pierre Huyghe 《After ALife Ahead》2017

10年という時間軸で考える

稲継 ところで、いま滞在制作で「越後妻有 大地の芸術祭」に来ているんですけど、ミュンスターを経験したあとに越後妻有を経験すると、単純に、これまでより面白く感じることがたくさんあるし、考えるアンテナが増えたような感じです。当然、問題にしている点もテーマもモチベーションも、芸術祭を取り囲む財源やらあらゆる状況も違うわけで、比較することにそんなに意味はないのかもしれないけど……。でも、初回の作品なんかは2000年につくられて18年たった現在、かなり作品が自然に還っていて、素直に感動しました。これ、つくられた当初のものと随分佇まいが違うんだろうなー、とか。「時間」のこととか、より精度の高い気持ちで見られるというか。

佐藤 そういう意味でも、最初の話に戻るけど、10年という時間の単位を考えることには意味があると思います。一般的な芸術祭は3年おきに開催されることに対し、10年という時間を取ることはどういうことなのか。しかも「彫刻」という概念は、10年という時間によって少しずつ変化していっているわけだし。

 「公共」というテーマは一貫しつつ、2017年のミュンスターは、デジタル化時代における身体性・公共対個人の領域の関係性、などが大きなテーマとしてもあったと、記事で読みました。

宮武 2017年の作品は、映像やパフォーマンスも含め屋内のものも多かったけれど、どの作品がどんな風に10年後やその先に残されていく・いかないのかというのも気になりますよね。パフォーマンスを主に扱う居間 theaterにとっても、何をつくって何を残せるのかを考えることは重要だと思います。

山崎 コレクションとして残されていくものはやはり物質として残るものとしての「彫刻」で、映像インスタレーションやパフォーマンスはそこには含まれないのだろうか、とか。10年後に再設置・再演というのは技術的には可能だろうけど、この芸術祭においてそれがどのくらい意味のあることなのだろう……。やはり10年という時間、その場所にずっとあるということに重要性があるのではないかとか、考えます。その間、とくに注目はされなかったとしても。

稲継 そう考えると、やっぱり「移動」とか「体験にまつわる時間」とかをどういう風にこちらから提案するか、というのはとっても大事だと改めて思った。というか、実は芸術祭において「作品」そのものはもちろんインパクトとして残るけど、一方で移動や鑑賞してない時間をどう過ごすか、というのはその芸術祭の決め手だな、とすら……。

 そういう意味では、例えばミュンスターと越後妻有での時間感覚は違うだろうし、10年という時間単位でも街の歳のとり方はそれぞれだと思います。これから私たちが始めようとしているスタディは東京からスタートしますが、東京の時間感覚はそれこそ違うはずで、東京における「公共」の考えかたもミュンスターとは違うのかもしれない……。ミュンスターを考えることで、様々な都市の10年まで見えて来たら面白いですね! そのスタディを、2018年の東京で始めることにこのスタディの醍醐味がある気がします!

佐藤 それが、9年後の彫刻(美術)のあり方を考えることにもなる。居間 theaterが、いま東京でやっていることは、間違いなくそこにつながっていると思う。だからこそ、このスタディでは、本当に9年後のミュンスター行きを目指すためにも、これまでのミュンスターや芸術祭、それに僕自身は建築が専門なので、美術館を含めた美術のための場を振り返りながら、これからのことを、居間 theaterや参加する皆さんと考えてみたいと思います。そんな貴重な時間になるのではないかと期待しています。

2027を目指したスタディ

宮武 初回は、(ミュンスターで4日間かけて、いま残っているすべての作品を見てきた)佐藤慎也さんによる、ミュンスターを含む芸術祭の歴史をめぐるレクチャーをおこないます。また2回目には、ミュンスターの話を聞くにはこの人しかいない! ということで、美術ジャーナリストの村田真さんをゲストに呼んでお話を伺います。ほかにもゲストを呼ぶ予定ですが、次回のゲストは村田さんと相談しながら決めようと思っています。

稲継 テレフォンショッキング方式や!(笑)

宮武 私たちも先が見えないスタディを楽しむために、毎回のライブ感を大事にしていこうという目論見です。そのほか、実際にミュンスターの事務局に送る手紙をみんなで考えたり、PR動画をつくったり……ということも考えています。予定調和にならないように、みんなでスタディをつくっていけたらと思います。

山崎 途中には、私たちが進めているプロジェクトの現場の様子も覗いていただきます。地理人さんとやっているプロジェクトとか、いろいろと計画しているところです。
 
 われわれはまだミュンスター彫刻プロジェクトの初心者です。これからスタディを重ねることで、パフォーマンス・美術など垣根を越えて、芸術祭やアートプロジェクトについて改めて学んでいけたらと思います。一緒に勉強したいかた、ぜひご応募くださいね!

佐藤慎也と居間 theaterがナビゲーターをつとめる「2027年 ミュンスターへの旅」は8月26日応募〆切!
スタディは月1〜2回程度のミーティングや、フィールドワークを行います。ミュンスター彫刻プロジェクトをはじめ、さまざまな芸術祭に造詣の深いゲストをお呼びし、お話も伺います。

スタディ2:2027年ミュンスターへの旅 
お申込み・詳細はこちら

*ミュンスター彫刻プロジェクトの詳しいフォトレポートが、Tokyo Art Beatのサイトに掲載されています。

アートプロジェクトを4つの視点から振り返る(北澤潤×佐藤李青)

みなさま、はじめまして、レクチャーシリーズ「徹底解体!アートプロジェクト」レポート担当の高木諒一と申します。このレポートでは、前半に講義内容の一部をピックアップし、後半は参加者として私がレクチャーから考えたことをお届けします。このレポートを通して、少しでもアートプロジェクトについて考えるきっかけやヒントをお伝え出来ればと思います。

このレクチャーシリーズでは「徹底解体!アートプロジェクト」の看板通り、「アートプロジェクト」という言葉から「表現」と「それを支える環境」を軸に過去30年の実践を振り返り、これからの実践を考えていきます。ナビゲーターを担当するのは、現代美術家の北澤潤とアーツカウンシル東京の佐藤李青です。

まず、レクチャーはコンセプトについて、ナビゲーターメッセージを確認することからスタートしました。
北澤潤 ナビゲーターメッセージ
佐藤李青 ナビゲーターメッセージ

北澤のナビゲーターメッセージにあるように会場のROOM302は「STUDY ROOM」として空間づくりがなされており、たくさんの資料に囲まれたなか、あたかも図書館の一角で行うゼミのような雰囲気となりました。

さて、今回のレクチャーでは事例の対象範囲を90年代に設定し、その10年間のアートプロジェクトを見ていきました。ただ事例を扱うのではなく、コンセプト、目線や論点についても触れながら2人の対話は進められました。前半はアートプロジェクトを次の4つの視点から、いくつかの事例を振り返りました。

  1. プロジェクトのはじまり
  2. パブリックアートからアートプロジェクトへ
  3. 続けること、委ねること 仕掛けとしてのアートプロジェクト
  4. アートプロジェクトの転換点としての1999年
レクチャー前半の板書。

「プロジェクトのはじまり」では大規模化したアート作品としてのプロジェクトとして、クリスト&ジャンヌ=クロード、蔡國強を紹介しました。プロジェクトの期間、規模、経費が大きくなる中で、作家がどのように状況をつくったのか、また参加者、鑑賞者などオーディエンスの立場が変容していることなどが語られました。

「パブリックアートからアートプロジェクトへ」では都市とアートの関係について「ファーレ立川」、「新宿アイランドアート計画」を取り上げました。野外彫刻の展開と都市・社会状況の文脈からの議論に触れながら、「プロジェクトのはじまり」でも取り上げた作家との比較も行われました。たとえば、ここでのパブリックアートの作品はプロジェクト型の作家ではなく、空間に設置するだけで完結するものが多かったなどです。その文脈からの転換点として、たほりつこ『注文の多い楽農園』に触れ、作品に住民が参加すること、それに対する参加者の認識やプロジェクトの継続を議論するポイントとして取り上げました。

「続けること、委ねること 仕掛けとしてのプロジェクト」では川俣正、藤浩志の活動について、ナビゲーターの北澤は「作品と社会の境界線みたいなところでの試み」を行い、それが「活動のリソースになっている」と話を始めました。アートと教育や医療などの領域を横断し、その交じり合いを言葉にしていく試みを行っていたのではないかと、ナビゲーターの読み解きが広がりました。作品や場をつくっていくプロセスを重要視し、トークやアーカイブという手法を使うことで言葉を追いかける、そうした態度があるのではないか、という話も出ました。

「アートプロジェクトの転換点としての1999年」ではアートプロジェクトのイメージが確立した地点を1999年に設定し、東京藝術大学先端芸術表現研究科、取手アートプロジェクト、ミュージアム・シティ・プロジェクトとヴォッヘンクラウズールの活動などに触れました。課題解決のためにアートの手法を利用するソーシャリー・エンゲージド・アートといわれる欧米の実践と日本のアートプロジェクトの重なるところと異なるところの議論が、この頃に先行して起きていたのではないかというやり取りも行われました。

会場にはレクチャーの関連資料も配架されていた。

レクチャーの後半は、ナビゲーター北澤自身のプロジェクトとコンセプトについて振り返りました。こへび隊として関わった「越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭」や『明後日新聞社文化事業部』での五代目編集長としての経験といった原体験から始まり、『浮島』『リビングルーム』『DAILY LIFE』といったプロジェクトが話題となりました。現場を積み重ねるなかで試していたことやその経過から気付いたこと、そして、それらを言葉にしていくことについて語られました。

レクチャー後半の板書。
北澤の退任挨拶が掲載された『明後日新聞』。

今回のレクチャーを受けて、私は「アートプロジェクトの整理、体系化をこのレクチャーの「言葉」を使用して進めること」を実践してみたいと思いました。レクチャーに参加した実感と、北澤潤のナビゲーターメッセージから振り返って考えてみると、このレクチャーは「『アートプロジェクト』という言葉が時間をかけて構築されていく上で、肉付けとなった多くの実例を、『現場、評価、批評などの実践での言葉』を切っ先として解体していた」と思います。

レクチャーではアートプロジェクトを4つの視点に分類しましたが、2人のナビゲーターの対話には、ほかにもトピックとなる言葉がたくさん使われていました。たとえば「プロジェクトの主体は誰か」「作品・プロジェクトは完結しているか、続いていくのか、どこで終わるのか」「記録の方法はどうか」「鑑賞者・参加者はどこまで、何を見ることができるのか」などです。

このトピックは取り上げた各々のプロジェクトの特徴について語られたものですが、これは他の事例をみるポイントにもなります。今後のレクチャーで「アートプロジェクトの整理、体系化をこのレクチャーの「言葉」を使用して進めること」、そしてまた、トピックを自分で考え、設定することで自身の関心や興味を再認識していきたいと思いました。

参加者には当日の資料を入れるためのフォルダが配布された。
印字された日付は北澤が『DAILY LIFE』で使っているもの。
「自習」のための数多くの資料が用意されていた。
参加者は自由に書き込み、レクチャー終了後に回収、スキャン後に返却された。

(執筆:高木諒一/写真:CULTURE

バラバラなものをバラバラなままに。結果を急がず、遍在するものの可能性を丁寧に感知することが必要。——宮下美穂「小金井アートフル・アクション!」インタビュー〈後篇〉

アートプロジェクトを運営する人たちへの取材を通して、その言葉に、これからのアートと社会を考えるためのヒントを探るインタビュー・シリーズ。今回お話を伺ったのは、小金井市で「小金井アートフル・アクション!」を展開するNPO法人アートフル・アクション事務局長宮下美穂さんです。

参加する人たちと関わるなかで、分かりやすい答えの前で立ち止まり、何度でも本質を問うことを大切にしてきたという宮下さん。その具体的な手つきとは、いったいどのようなものなのでしょうか? 活動の伴走者であり、宮下さんの運営手法に関心を持っているという東京アートポイント計画ディレクター・森司とともに話を訊きました。

〈前篇〉答えのまえで立ち止まり続ける。市民の生態系と問いかけが生むプロジェクト——宮下美穂「小金井アートフル・アクション!」インタビュー〈前篇〉

待つことの大切さ

——宮下さんが以前、「表現というのは中空に浮いて考え続けることを支える技術」とおっしゃっていて、面白い言い回しだなと感じたんです。それはいまのお話にもつながっていますよね。

宮下:そうですね。こどもと接していると、見たものにとても国語的な読み解きをするんです。たとえば、桜井哲夫というハンセン病患者について書いた本(権徹著『てっちゃん: ハンセン病に感謝した詩人』)の帯に「ライになって、よかった」と書いてある。それでこどもに、「なぜ、てっちゃんはライになって良かったと言ったんだと思う?」と聞くと、「病気を代表して伝える役割を担ったから」と答える。それは国語的には「正解」だと思います。でも、「あなたならどう?」と、さらに問うと、「あ、おれ、いやだ」と、本音も出てくる。

その一方で、誰かがぽっと「どっちもありだ!」と。ここで、「答えはひとつではなくて、正しい/正しくないでは分けられない」とこどもたちが言い出した。そこでこのチームは、最終的に教室の真ん中に複数の椅子を背中合わせにおいて、天井からたくさんの写真や言葉、多摩全生園(以下、全生園)で見学した道具などをつくって吊り下げ、視点がつねに相対化される場をつくりました。

——面白いアウトプットですね。

宮下:普通、大人からしたら、ただの再現の方が可愛げがあるじゃないですか。でも、ドアを開けたらこどもたちが背中合わせに座っているわけですよ(笑)。

——ははは。

宮下:ここで大切なのは、「問いかけたあと、人が発話するまで待つ」ということでした。全生園のプログラムでサポートに入った大人のメンバーに求めたのは、造形能力ではなくて、待つことでした。みんな答えがすぐに欲しい。その欲求はますます高くなっていると思う。答えが出ないのは辛いし、誰も支えてくれない。それでも、待つことの大事さをみんなで分かり合いたいとは考えています。

東村山市立南台小学校での準備風景。

:アートだけではなくて、どの分野でもプロの人間というのは、その宙ぶらりんの状態を日々過ごしていると思うんです。医者でも法律家でも、白黒で分けられない世界を生きている。そして、それが苦痛かと言えば、案外気持ち良かったりする。アートはそれを分かりやすく見せる世界ですが、宙吊り状態はアートの特権ではない。その前提を忘れると「アートは答えがないからいい」という一般論になるけれど、その答えのなさは実は多くの人が共有するもの。それに気づくことは、とても大事なことですよね。

——とはいえ、メンバーには待つ時間の曖昧さや、プログラムの複雑さに耐えられない人も多いのでは?

宮下:私はけっこうちゃぶ台返しをするからね(笑)。市民スタッフのメンバーは、みんな真面目だから、プログラムの準備をしながらしっかりと積み上げていくんです。でも、その何ヶ月もかけた企画やアウトプットに、私は「なんか違う」と言う。べつに撹乱したいわけではなくて、問いたいのは「本質は何か?」ということです。もちろん、最終的に私が考えるものにならなくて良くて、問いを続けることでまた違う選択が生まれることが大切だと思います。

:宮下さんは、「NO」を言う人が多い方が健全だとも言っていますよね。もちろん、反対意見を言えるメンバーは貴重だけど、そういう人ばかりになったらプログラムが回らないでしょう?

宮下:「NO」と言われ、それを引き受けた方が楽しいです。「NO」のなかには濃淡がある。たとえば全生園を訪れたとき、あるメンバーが「ここには私たちが失った自治があって、外よりもはるかに豊かな暮らしがある」と言ったんです。これは、普通はなかなか言えないことですし、直接的ではないけれど、当時私が考えていたことへの「NO」でした。結果として、この意見はプログラムの考え方を大いに拡張してくれました。絶対的な「正解」は無いから、それぞれの人の生活経験で「これがいい」と思うことをつきつめてやればいい。そうした相対化が、自分にとっての本質を考えさせるきっかけにもなります。ときにはとても鋭い「NO」になりますが、それはとても創造的でもあります。

東村山市立南台小学校での展示風景。「正しさは一つじゃない!」を空間で表現した。

会期のまえに源流はある

——これまでのお話からも、「小金井アートフル・アクション!」の分かりづらさが伝わりますが、アートポイント計画がそうした取り組みと共催を続けている理由とは何なのでしょうか?

:なぜやり続けているかといえば、それは「小金井アートフル・アクション!」にアートがきっちり入っているからなんです。普通、アートと言うと思い浮かべるのは形としての作品だけど、本来、アートとは形もなくどこにでも偏在しているもの。それが奇跡的に形になったものが作品だと捉えた方が良い。そして、宮下さんには生態系の人として、この偏在するものをちょっと突いてあげれば、勝手に動き始めるという経験値がある。その思考自体がすでにアート的だから、分かりやすい形がなくてもアートプロジェクトだと言うことできるんです。

宮下:バラバラなものをバラバラなままにしておく、みたいな感覚に近いかもしれない。中央集権的に何かを集めて力技で結果にするのではなく、結果を急がずに遍在するものの可能性を丁寧に感知することが、いろいろな可能性を捨ててしまわないために必要な気がします。

:自己認識しづらいアート的な感覚に、プロジェクトのプロセスを通していかに気づくのか。下手なアーティストだと現場を変にまとめちゃうけれど、ここで「小金井と私 秘かな表現」というプログラムを3年間やって、いまもオフィスをシェアしているアサダワタルくんなんかは、その「気づき」と「まとめなさ」のバランスがとても上手いなあと感じます。

「小金井と私 秘かな表現」はアサダワタル(文化活動家・アーティスト)をゲストディレクターとして2015年度から3年間のプロジェクトとして実施された。

——まえにアサダさんから、「小金井と私」に参加したある市民の方が、プログラムの会期後にこどもの通う保育園の園長先生を自宅に招いて、小さなイベントを開いたと聞いて驚きました。それこそプログラムが川の支流のように日常に溶け込んでいる、偏在するものになっているのだなと。

宮下:その方はマキさんといって、もともと「こどもがどんな場所で育つのか」にとても関心がある方なのですが、会期中に第二子の出産や、お義母さんの死を経験されたんです。それで、会期後に以前から気になっていた保育園の園長先生を招いて、こどもを育てる場所について考え始めています。でも、こうした変化はいろんな人に起きています。そして重要なのは、このプログラムがゼロをイチにしたわけではないことです。そうではなくて、もともとその人が持っていたものがどこかの契機で発現して、つながっているということだと思うんですね。

:つまり、「小金井と私」の3年間は、いわば「手続きとしての会期」だということですよね。手続きがなければ、その思考は可視化されなかったかもしれない。だから手続きは必要だけど、そこがスタート地点ではないと。

宮下:ポテンシャルがゼロの人なんかいないじゃないですか。だから、むしろ私たちがそれに沿わせてもらっているというのが正しい。もともといろんな人生経験をした人がいて、その人たちがこの機会に出会って、またそれぞれの場所に戻っていく。あるいは別の場所に動いていく。私たちはそれに立ち会わせてもらっている。

——川の例で言えば、源流はこのプログラムにあるわけではなく、もっと前にあると。

宮下:そうですね。源流が違うからこそ面白いんだと思うんです。さまざまな源流を持った人たちが寄り集まって、合流したりすれ違ったりしながらまた分かれていくんだけど、それは源流が違うから分かれていけるわけで。その意味で、じつは会期の3年間というのは大したことじゃないんですよ。それぞれの人にそれぞれの人生があるからね。

小金井アートスポット シャトー2F

みんなで持っている曖昧な場所

——そうした市民の人たちの小さな営みは、いわゆる「アート」の世界からすると、とてもマージナルなものに見えると思います。でも、森さんが言うように、それこそアートの本来の姿かもしれない。「小金井アートフル・アクション!」の活動の根底には、そんなアートへの転換的な考え方が流れているように感じます。

:もうひとつあるのは、拠点にしているこのシャトー小金井という場所の存在でしょう。この場所は孵化器のようですよね。メンバーがふらっと立ち寄れる場所であり、アサダさんをはじめとするいろんな人のスタジオでもある。活動の拠点であり、それを根本から支えてくれる場所でもある。場所と活動が、表裏一体だという感じがあります。

「小金井アートスポット シャトー2F」にはさまざまな出来事や人が行き交っている。ポーランドから来日したアーティストと学生たちによるパフォーマンスをつくるためのミーティング風景。
時々行われるシャトーの掃除。こどもも大人も手伝いに参加してくれる。

宮下:公共的な場所というと公民館などが浮かびますが、そうではなくて、みんなで持っている曖昧な場所のことだと思うんです。人が生きるうえで、白黒つけない場、所有、非所有を超えた場所というのは必要で、曖昧だけど保証された場所があるからこそ、人は何か形のない、前例のないことも試みることができる。ここを訪れる人の動機というのは本当にバラバラで、お母さん同士がこどもについて話しているかと思えば、違う場所ではアーティストたちが話していたりする。みんなそれぞれ違うことをしていて、それでいいと思うんです。

:普通、日本だと場はすぐ整然とするけど、ここは不思議なくらい隙間が多い(笑)。「来る」というよりも、「居る」場所という感じですよね。「アジール」という言葉が合っているかな。

宮下:私、この場所にずっといるわけではないんです。むしろ、門番みたいに誰が来たかなんていちいち知りたくなくて、来たい人が来て、好きにしてくれていた方がいいなと思っています。

:こういう良い場やプログラムが成り立つのは、べつに奇跡ではなくて、宮下さんの手繰り寄せる力があるからだと思う。だけど、分かりやすい何かに飛びつかずに偏在するものを手繰り寄せるのは大変なことですよね。最後に聞きたいんだけど、そうした宮下さんの個人的な性質はどこから来ているのですか? 「造園家だから」と言ったら、ほかの造園家は困っちゃうでしょう。

——たしかに、すべての造園家がこうではないですからね(笑)。

宮下:「これ」という理由は分からないけれど、「もっとも本質的なことは何か」ということは癖のようにいつも考えているし、人様の人生に介入はしないけど、一緒に何かをやる人に対しても同じことを何度も聞いています。そうしないと、どんどん目先の解答で済ませてしまうようになる。だから、途中でやめないで問い続ける。本質と思うものも、もちろん変わっていくけれど、問い続ける中で、既存の回路では見つからない何かが出現することもある。見えない回路がつながる。それは問わないと、やってみないと見えてこない気がします。それから、自問だけでは答えは出ない。やってみること、問うことを繰り返すのかな。「さすがにしつこいよ」と言われることもあるんだけど(笑)。

:その過剰さは言い換えるとオーバークオリティ、質への探求ですよね。過剰さがアートの現場には必要だし、諦めないことで手繰り寄せているものは多いと思います。

宮下:答えが出なくても、考えたり知ろうとしたりすることで、明日をどう生きるが変わる。このあいだもテレビで福島の放射能汚染の問題を見たのですが、科学的なことはむずかしいけれど、それがどういうことかを考える。できれば行ってみる、風や空気を感じてみる。大問題だけではなく、些細なことでも身をもって考えなければただ時間が過ぎていくだけなんですけどね。でも、どうせならできるだけ誠意を持って生きた方が楽しいと私は思っているんです。

Profile

宮下美穂(みやした・みほ)

NPO法人アートフル・アクション 事務局長
2011年から小金井アートフル・アクション!の事業運営に携わる。事業の多くは、スタッフとして市民、インターン、行政担当者、近隣大学の学生や教員などの多様な形の参加によって成り立っている。多くの人のノウハウや経験が自在に活かし合われ、事業が運営されていることが強みである。日々、気づくとさまざまなエンジンがいろいろな場所で回っているという状況に感動と感謝の気持ちをいだきつつ、毎日を過ごしている。編み物に例えると、ある種の粗い編み目同士が重なり合うことで目が詰んだしなやかで強い布になるように、多様な表現活動が折り重なり、洗練されて行く可能性を日々感じている。

NPO法人アートフル・アクション

東京都小金井市内を中心に、企画展、イベント、講演、ライブなど、様々なアート活動を行っているNPO法人。目指しているのは、アートと出会った人が自分自身の新しい可能性を発見し、豊かな生き方を目指していくきっかけや場をつくること。現在、市民、自治体、学校、他のNPO、企業などと連携しながら、「地域におけるアート」の可能性を追求している。
https://artfullaction.net/about/

小金井アートフル・アクション!

NPO法人アートフル・アクションの一部事業は、2009年4月に「誰もが芸術文化を楽しめるまち~芸術文化の振興で人とまちを豊かに」という理念を目指して始まった「小金井市芸術文化振興計画推進事業(小金井アートフル・アクション!)」として推進されている。
「小金井アートフル・アクション!」は、2011年度から、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)、小金井市、NPO法人アートフル・アクションの4者共催により「東京アートポイント計画」の一環として実施。
https://artfullaction.net/

2018年、5つの「東京プロジェクトスタディ」がスタート

Tokyo Art Research Lab「思考と技術と対話の学校」では、今年度の新設プログラムとして「東京プロジェクトスタディ」を開講します。今回は、8月4日(土)、アーツ千代田3331 アーツカウンシル東京ROOM302にて開催した説明会の様子をお届けします。

「東京プロジェクトスタディ」は、ナビゲーターと参加者がチームを組み、“東京で何かを「つくる」としたら”という投げかけのもと、アートプロジェクトを巡る“スタディ”(勉強、調査、研究、試作)に取り組むプログラムです。

説明会では、「思考と技術と対話の学校」校長の森司、ナビゲーターとスタディマネージャーから、いま、なぜこのテーマに取り組むのか、どのように実践していくのか、それぞれのスタディの内容や特徴についてお話しました。

(撮影:川瀬一絵)

「思考と技術と対話の学校」校長メッセージ(森司)

今年度は、これまでの学校のやり方を一新し、「東京プロジェクトスタディ」を始動させます。アーツカウンシル東京(以下ACT)が、アートNPOと共催で展開する「東京アートポイント計画」事業等のつくり手の方々にナビゲーターを担っていただき、現場との連動性をはかることで、より実践的な学びの場を生み出すことを目指します。それぞれのスタディには、ACTのプログラムオフィサーが伴走しスタディを組み立てていきます。

このプログラムでは、キーワードとして「つくる」ということばを掲げています。プロジェクトを「する」のではなくて「つくる」。「する」というのは、プロジェクトのやり方がわかった上で、ゴールに向けて進めていくことだと思います。しかし、ゼロから「つくる」となると、「何をするか」から考えなければなりません。
2020年のオリンピックまで2年ほどとなりました。それは、その先を見据えた東京都の文化事業を考えていく上で残された時間といえます。新たな活動を「つくる」ことがより一層求められるでしょう。そのような状況をふまえ、「つくる」ための筋力を鍛える5つのスタディを立ち上げました。

新しいプログラムなので、参加者のみなさんと意見交換をしながらともにつくっていきたいと思います。積極的なご参加をお待ちしております。

スタディ1 「東京でつくる」ということ―前提を問う、ことばにする、自分の芯に気づく(石神夏希)

ナビゲーター:石神夏希(劇作家/写真左)、スタディマネージャー:嘉原妙(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー/写真右)。

スタディテーマについて

石神さんは、神奈川県を拠点に、国内外のさまざまな土地に赴いて作品を制作している劇作家。その場所に蓄積されている、場所や人の物語を触って紡ぎながら、日常の延長に立ち上がってくる演劇の可能性を探っています。

このスタディでは「東京でつくる」ことを入り口に、現在進行形で展開する石神さんの現場をケーススタディとして、つくることをもう一度捉え直していきます。

「この1~2年、東京での仕事が増え、『東京でつくる』ことに戸惑っている」と石神さんは言います。これまで、おもに東京以外の都市で、ローカルな場所性や共同体を素材にしたサイトスペシフィックな作品を手がけ、自分の身体で歩いたり触ったり体感できる大きさの場所を扱ってきました。しかし、「東京」という場所ははかなり漠然としたフィクショナルなもの。もっと小さな地域に分ければ掴むことはできるかもしれないけれど、それでは「東京」という主語で語られ、起こっている事象と対峙できないのではないか。そこで、少し無茶かもしれないが、東京という大きなものを触ることに、参加者のみなさんとチャレンジしたい、と語ります。

スタディ1は、自分の実感とフィクショナルな「東京」のあいだをつなぐ身体性を獲得するための稽古場になるイメージです。

特徴

毎月1回程度行うディスカッションのあと、参加者には必ず作文(エッセイ)を書いてもらいます。自分で考えたことをすぐにことばにするのは難しいかもしれませんが、気づきや違和感を自分から引きはがしてことばにしていく過程を、半年間繰り返します。それによって自分で考えたりつくったりする起点となる芯を見つけます。
また、実際に石神さんのプロジェクトの現場に立ち合い、身体を動かして考えていきます。

>スタディ1の詳細はこちら

スタディ2 2027年ミュンスターへの旅(佐藤慎也、居間 theater)

ナビゲーター:佐藤慎也(プロジェクト構造設計/写真右)、スタディマネージャー:坂本有理(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー、「思考と技術と対話の学校」教頭/写真左)。

スタディテーマについて

建築家の佐藤さんは、これまで美術や演劇の制作やアートプロジェクトの構造設計に携わってきました。ここでいう構造設計とは、アートプロジェクトをどのような仕掛けで進めていくかを考えること。アートプロジェクトは美術館のなかではなく、まちなかなどで行われるため設計が必要です。居間 theaterは、演劇やダンスを背景にもつ4人で構成され、劇場ではできないパフォーマンスのあり方を考えるパフォーマンスプロジェクト。両者はこれまでにも、カフェ区役所などの公共空間にて、ともにプロジェクトをつくり上げてきました。

今回のテーマにあるミュンスターとは、ドイツのまちのひとつで、1977年から「ミュンスター彫刻プロジェクト」という芸術祭が10年おきに開催されています。日本でも、2000年頃からさまざまな芸術祭が催されていますが、「ミュンスター彫刻プロジェクト」の影響を受けているのではないかと、佐藤さんは指摘します。

昨年第5回が開催され、ナビゲーターたちは現地を訪れました。そこで、「日本で僕らがやっていることと近いのではないか」、「日本にとどまらず、世界にも挑戦できるのではないか」と感じたそうです。その強い思いから、2027年のミュンスターに居間 theaterがアーティストとして招聘されることを目指すスタディが構想されました。

特徴

「ミュンスター彫刻プロジェクト」を考察すると、10年ごとの時代の変化、美術やパフォーマンスの変遷が見えてきます。国際的な芸術祭に関わる多彩なゲストとともに、そうした歴史や変化を辿ります。また、居間 theaterが出演するプロジェクトの現場に足を運び、フィールドワークも行います。それらの活動をとおして、2027年のミュンスターにふさわしいプロジェクトの構造を設計していきます。さまざまな芸術祭・アートプロジェクトに興味をもっているひと、ユーモアをもって、制作のプロセスを探りたいひと、夢を大きくもちたいひと、ぜひ一緒にミュンスターを目指しましょう。

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スタディ3 Music For A Space―東京から聴こえてくる音楽(清宮陵一)

ナビゲーター:清宮陵一(NPO法人トッピングイースト 理事長/写真左)、スタディマネージャー:大内伸輔(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー/写真右)。

スタディテーマについて

清宮さんは、音楽の現場やCDをつくるためのプロデューサーを務めています。音楽産業に従事する立場に加え、「東京アートポイント計画」での共催事業「トッピングイースト」のディレクターも担っています。これまで、公共空間や特別な場所でのプロジェクトを手がけてきました。

清宮さんは、音楽産業に携わるなかで、「最近さまざまなストリーミングサービスが出てきたため、CDが全然売れなくなってしまった。音楽がものとして求められていない感じがビシビシする」と語ります。しかし、実は音楽を聴く機会そのものは減っていません。ただ、音楽を買う行為が減るということは、アクティブな部分が少しそぎ落とされているように感じられるそうです。あらたにリスナーをつくっていく、音楽を聴く・触れる機会をもっといろいろな場面で増やすことが必要です。音楽家にとっても、音楽を聴く・触れるポイントをつくることは、ダイレクトなユーザーや、音楽を聴きたいと思っている人たちを、どうやって引っ張り込むかという実験になります。

特徴

音楽家の和田永さんや蓮沼執太さんなど、音楽に関わる専門家をゲストとして多数お招きし、普段の活動や考えていること、実践していることを伺い、議論していきます。また、空間的な音楽体験をしてもらうために、性能のよいスピーカーで音楽を聴いてもらいます。「音楽ってこんなにいい音で聴けるものなんだ」というのを体感してもらいたいと思います。

音楽産業とアートプロジェクトを考えていくので、音楽に携わっている方はもちろん、アートプロジェクトに関わっている方のご参加もお待ちしております。

>スタディ3の詳細はこちら

スタディ4 部屋しかないところからラボを建てる―知らないだれかの話を聞きに行く、チームで思考する(一般社団法人NOOK)

ナビゲーター:瀬尾夏美(アーティスト/写真右から2番目)、小森はるか(映像作家/写真左)、高橋創一(編集者/写真左から2番目)、スタディマネージャー:佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー/写真右)。

スタディテーマについて

一般社団法人NOOKは、仙台を拠点に活動している、映像作家や編集者、技術者、アーティストなど7人のメンバーによるチームです。映像や記述による記録、そのための調査や展覧会の企画、イベントや場づくりをしています。

これまで、震災後の東北を拠点に活動し、地域の人たちに話を聞いたり、自分たちの足で歩いて記録やリサーチをしてきたNOOK。「”東京でつくる”といったときに、一体何をすればよいのかという思いはあります。けれども、東京だからこそできる調査のしかたがある気がする」と瀬尾さんは語ります。

東北の経験で気づかされたのは、「小さな社会を細かく見ていけば大きな社会が見えてくる」ということでした。今回は東京という場所で、同時代的に動いているさまざまな問題に触っていける、複数人のチームで行う調査のしかたを考えていきたいそうです。それぞれが調べて得たことを共有するプロセスを経て、ふたたび個人の欲望にかえったりしながら、企画や表現に繋がる調査を重ねていきます。

特徴

このスタディでは「人の話を聞く」「それを共有する」ことを重視します。ナビゲーターのほか、ファシリテーター役として小屋竜平さん、記録と編集の担当として高橋創一さんも参加します。

月1回程度、ROOM302に集まり、各自調べたことを共有していきます。いかにして共有する方法をつくるかも重要となります。それぞれの持ち寄った情報を場所にインストールしたり、「ラボ通信」といったメディアをつくることも試みます。
現代はインターネットが発達し、人に触れずに情報を得ることができてしまう時代です。しかし、人にあたってみると、問題の本質が見えてきたり、話を聞くことで情がわいたり、自分の身体も変わっていきます。ここでしかできない実践を一緒に行うメンバーを募集します。

>スタディ4の詳細はこちら

スタディ5 自分の足で「あるく みる きく」ために―知ること、表現すること、伝えること、そしてまた知ること(=生きること)(宮下美穂)

ナビゲーター:宮下美穂(NPO法人アートフル・アクション 事務局長/写真右)、スタディマネージャー:佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー/写真左)。

スタディテーマについて

このスタディはサテライト会場として、武蔵小金井駅から徒歩7分程の「小金井アートスポット シャトー2F」を拠点に展開します。この場所は、普段から宮下さんがNPOアートフル・アクションの活動を行っている場でもあります。

宮下さんは、この数年、世の中が大きく変わったと感じていました。「これが正しくて、目標はこうだ」といった今までの価値観が揺らぎ、身体も心もかなり追い詰められたような状態なのではないかとたびたび感じたそうです。そういうなかで、どのように生きていけばよいのかと考えたときに、ものをつくることや表現すること、あるいはそのために人と出会ってみることが大事だと、宮下さんは考えています。

このスタディは、ゲストアーティスト(揚妻博之さん大西暢夫さん花崎攝さん)の活動とともに進んでいきます。この3人を選んだのは、東京をちゃんと外から見られる人、東京や自分をきちんと相対化できる人であることが理由でした。今のすごく厄介な世の中を少しずらして見ることがスタディに必要だと考えたからです。一度身に着けたことを一回はがしてみる。手放すことはとても大事なのですが、それはとても勇気のいることです。それをこのスタディで実践したいと考えているそうです。

特徴

月に2回ほどアーティストに来てもらい、実作をもとにお話してもらう機会を設けます。参加者は、ゲストアーティストの表現や対象の捉え方に触れて、自らも積極的に制作をしていきます。ナビゲーターからお題を出すのではなく、アーティストのワークショップに参加したりアーティストと本気で話したり、インタビューしたり作品を見たりして、自分なりの方法論や表現したいこと、やりたいこと、テーマを見つけてほしいと思います。
時間をかけてじっくり考え、ものをつくりながら、人と出会い、自分自身と出会い直しの機会をつくります。

>スタディ5の詳細はこちら

ナビゲーターと参加者がともに学び合い、プロジェクトの「核」をつくる実践的な学びの場となる「東京プロジェクトスタディ」。募集締め切りは、2018年8月26日(日)です。みなさんとお会いし、学んでいけることを楽しみにしております!
>お申し込み・詳細はこちら

*アーツカウンシル東京ブログ「東京アートポイント計画通信」にて、東京アートポイント計画やTARLの情報を掲載しています。ぜひご覧ください。

個別相談を受け付けています!

「東京プロジェクトスタディ」では、随時相談を受け付けています。スタディの内容をもっと詳しく知りたい、どれが自分に合うのかわからず迷っているなど、お気軽にご相談ください。

*申込方法
メールtarl@artscouncil-tokyo.jpまでお申し込みください。件名を「個別相談」とし、本文に以下をご記入ください。

・氏名(よみがな)
・電話番号
・参加人数
・相談希望日(第一希望日、第二希望日)※平日 10:00-18:00
・相談内容(検討しているスタディなど)

*会場
アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)(東京都千代田区九段北4丁目1-28九段ファーストプレイス8階)

※お預かりした個人情報は、本事業の運営およびお知らせのみに使用します。
※参加申込みにあたり、説明会や個別相談への参加は必須ではありません。

説明会記録映像

スタディ1 「東京でつくる」ということ(石神夏希)

スタディ2 2027年ミュンスターへの旅(佐藤慎也、居間 theater)

スタディ3 Music For A Space(清宮陵一)

スタディ4 部屋しかないところからラボを建てる(一般社団法人NOOK)

スタディ5 自分の足で「あるく みる きく」ために(宮下美穂)