誰と暮らす? どう住まう?―これからの「家族」のカタチを考える

開催日:2020年2月5日(水)
ゲスト:首藤義敬(株式会社Happy 代表取締役)いわさわたかし(岩沢兄弟/有限会社バッタネイション 取締役)
モデレーター:上地里佳(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

「いまの社会で、これからの実践を立ち上げるための新たな視座を獲得する対話シリーズ」として全4回にわたってひらかれる対話の場「ディスカッション」。各回にそれぞれテーマを設け、独自の切り口や表現でさまざまな実践に取り組むゲストを迎えながら「これからの東京を考えるための回路をつくること」を試みます。
第2回のテーマは、「これからの『家族』のカタチを考える」。多世代型介護サービス付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」など、型にはまらないユニークな場所づくりを展開する・首藤義敬さんと、空間デザインユニット「岩沢兄弟」で空間づくりを通したコミュニケーションデザイン・プランニングを行ういわさわたかしさんのお二人をゲストに迎えます。

「今回のディスカッションでは、家族に関わる試行や実践を重ねているお二人のゲストをお招きし、さまざまな“家族のカタチ”について考えていきたいと思います。お二人の活動は「家族」を閉じたかたちではなく、地域にひらこうと試みながら、関係性や場所を築いているのも特徴です。そこから、アートプロジェクトにおけるコミュニティや拠点形成のあり方とも重ねながら、お話を伺っていきたいと思います」(上地)

モデレーターの上地から、今回のテーマにあたっての想いが語られた後、それぞれの活動を共有しながら、これからの「家族」のカタチと、コミュニティ形成のあり方について、考えました。

「共存」できる環境をつくる:首藤義敬

首藤さんが運営する兵庫県神戸市の介護付き高齢者シェアハウス「はっぴーの家ろっけん」(以下、はっぴーの家)は、従来の介護施設とは違う、一風変わった形態が特徴です。看板のない6階建ての建物には約30名の高齢者が入居し、施設の1階にあるリビングスペースは入居している・していないに関わらず誰もが出入り自由。集う人たちは、認知症の高齢者から外国人、地元の子供たちにノマドワーカーまで、年齢も職種も国籍もバラバラ。入居者の親戚というわけでもなく、さまざまな背景を持った人々が1週間に約200人以上も訪れるといいます。

彼らは一体何を求めて、この場所に集うのでしょうか。「『はっぴーの家』に特別なルールはなく、集まる人たちはみんな思い思いの時間を過ごしています。誰も否定されずゆるやかに関係し合う環境下で、いろんな化学反応が起きるので、自然とみんなの『居場所』になっていくんです」と首藤さんは説明します。

「“介護付き高齢者向けシェアハウス”としていますが、社会のためや高齢者のためにこの場所をつくったわけではないんです。もともとは自分たち夫婦が子育てに対する不安を抱えている最中、祖父母の介護も重なり、家族にとって一番良い教育や介護の環境はどんな世界なのか、改めて考えるようになったことがきっかけ。そこで生じた課題を解決するための場所として『はっぴーの家』をつくりました。自分たちにとって心地良い場所をつくれば、それに共感する人もきっといるはず。自分の『エゴを社会化』したんです」(首藤)

自社のWEBや広告を一切出さず、口コミやメディア取材のみで認知されていった「はっぴーの家」。
この環境の近くで子育てをしたいと、東京から移住してきた方もいるそう。

施設ではみんながバラバラな背景を抱えているがゆえに、衝突も頻繁に起こるそう。けれど、「無理に誰かを矯正しようとするのではなく、その人がその人のまま存在でき、共存できる環境をつくることが仕事」と首藤さん。

「ここで実践しているのは、『日常の登場人物を増やす』こと。みんながゆるくつながれば、もっと生きやすくなるのでは?という思いでやっています。『遠くのシンセキより近くのタニン』という概念のもとに、たとえ他人であっても近くの人たちのコミュニティが豊かであれば、いろんな世代が暮らしやすくなるのではないかなと。限定的な家族観だけでなく、こうした選択肢を増やすためにこの場所を運営しているんです」(首藤)

「役割」が固定されない関係:いわさわたかし

空間や家具・什器から映像、コミュニケーション設計まで、地域やコミュニティに根付いた幅広いクリエイティブ制作を手がける兄弟ユニット「岩沢兄弟」 で活動するいわさわたかしさん。アーツカウンシル東京主催の「HAPPY TURN/神津島」でも、プロジェクトの活動拠点となる空間づくりを担当(詳細はこちら)。「空き家となっていた場所だったので、そこに住んでいた方の“家への想い”を想像し、『丁寧に壊す』ということを意識しながら改装を進めていった」と神津島でのプロジェクトを振り返ります。

そんないわさわさんは近年、自身の空間デザインのスキルを生かして、祖母宅の改装を手がけたそう。そこで「家族」という関係性に改めて目を向け、さまざまな想いを巡らせたと話します。

「千葉にある実家の建て替えを機に、数年前から、祖母と両親、私と妻、子供の一家で変則的な同居生活を行っています。実家を離れて20年以上経っていたこともあり、そこで自分の知らない間に両親や祖母の老いが思いのほか進んでいることに気づいたんです。定年で退職した父は一日中テレビを見ている状況で、家族間のコミュニケーションの課題について向き合う必要が出てきました」(いわさわ)

そうした課題を抱えながら生活を続けるうちに、祖母が骨折。介護が必要となり、実家から斜め向いの祖母宅に母親が住むようになってからは、テレビ漬けだった父の孤立がますます加速したといいます。そこからいわさわさんは、これまで積み重ねてきた課題を解消するためにも、祖母宅をみんなが集える場所にしようと、改装を実施しました。

改装した祖母宅の間取り。父親が孤立せずにテレビを見ることができるスペースをつくったり、壁にデジタルサイネージを設置して家族写真を流したりと、コミュニケーションを促す工夫を各所に施したそう。

「部屋の間仕切り壁をとってリビングを広くし、いろんな人が集えるように可能な限りオープンな空間にしました。キッチン・食事スペースのそばに祖母の介護ベッドを置き、父のテレビ空間も同居させたことで、場所のあり方が多様になった。すると、祖母が自分の意思で積極的に動き、自由な振る舞いをするようになったんです。家族間でも『役割はあるけれど、固定されない』という柔軟な関係ができ、居心地良く過ごせるようになった気がします。そうした環境を保てるように、日々意識していますね」(いわさわ)

改装後の生活では、家にお客さんを呼んで一緒に食事をとることも多くあるそうで、家族以外の人とも交流が生まれる状況を、ゆるやかに展開しているといいます。

「けれど、父の孤立はまだ解消されず……その膜をゆっくりとはがしていくような日々ですね。次は家のなかに子供向けの美術教室などを設けて、父が子供たちとの関わりに自然に巻き込まれるような状況をつくろうと構想中です」(いわさわ)

「家族」のなかに、他者を介入させる

それぞれの活動紹介を経て、ディスカッションへと移ります。まず、上地が話題に挙げたのは、“さまざまな人が集える場”というお二人の空間設定における特徴から、「『家族』という構成に他者を介入させる」ことについて。そこには、どのような狙いがあったのでしょうか。

―いわさわさん(以下、I):そもそもは父親の孤立を防ぐため、というのが大前提にありますが、一方で自分への負荷を軽くしたい、という想いからそうした状況を生み出すようにしています。というのも、家族のこととなると、自分のなかで重く捉えないようにしても常にどこか引っかかるものがあり、語りづらくもなる。けれど、家のなかに家族以外の他者も関われるようなひらかれた環境があると、少しずつ視点を広げられるんです。そこから見えてくるものもあるんじゃないかなと。

―首藤さん(以下、S):僕たち家族も「はっぴーの家」でいろんな人との交流が増えたことは、とても良かったです。僕も奥さんも自営業なので、子供と接する時間を多くは捻出できない。けれど、この家に集まる人たちと一緒に食事をしたり、遊びに行ったりと、いつのまにか自分の知らないところで子供の交友関係が広がっていたんです。自分たちだけで子育てを背負わなくても良いんだと思えて、楽になりました。

個人的な「家族」だったものが、他者を介入させることでかたちを変え、ひらかれた関係性になっていく。外に小さな関係をいくつも編み出せる環境が心を軽くしたと、お二人は話します。そうした話を受け、モデレーターの上地からはこんな意見も語られました。

―上地(以下、U):「家族」という関係性のなかでは、お互いにとって大切なことをどこか共有しづらい状態があるような気がします。私自身も、普段の自分が抱えている価値観のまま家族と話をするのは、難しく感じてしまう。そういうときにも“他者を介在させる”ことによって、解決できることがあるように思いました。

首藤さんは、そういった家族間におけるコミュニケーションの不自由さを「お互い過ごした時間が一番濃密な記憶のなかで、そのまま時間や関係が止まっているから」だと説明し、こう続けます。

―S:たとえば認知症の母親を介護する子供は、いま現在の自分が母親の世話をしている感覚になるけれど、母親にとってはいつまでも自分の子供だという認識なんです。だから、コミュニケーションが噛み合わないことも出てくる。感情と背景がぶつかって、冷静になれないこともあります。その意味で、僕は「家族」が一番難しい関係性だといつも感じているんです。

「余白」がもたらすもの

ディスカッションの後半は、参加者からの質問をもとに進行。「『場所』や『空間』を立ち上げるときに、大切にしていることは?」という質問を受け、「コミュニティづくり」に対するお二人の認識について意見が交わされます。

―I:こうした話をする際、よく「コミュニティデザイン」という言葉で語られることが多くありますが、僕のなかでは「場」も「コミュニティ」も、それ自体を自分たちがデザインできるとは考えていなくて。もっと、その手前にある課題を表出させ、共有することにデザインの役割があると思っています。その先のことは私たちでなく、みんながつくっていけるように橋渡しができれば良い。その一歩手前の部分を整えることを大事にしています。

―S:すごく共感します。僕にとって「コミュニティ」は“現象”なので、最終的な結果でしかない。よく若者から「コミュニティをつくりたい!」と相談を受けることがありますが、最初から「コミュニティづくり」が目的にあってもダメなんです。そうではなく、その前段階にある、“価値”のデザインをすることが大切。訪れた人たちが、その場所に価値を感じて集うようになれば、「コミュニティ」は勝手にできていく。とてもシンプルな仕組みなんです。

場所そのものの価値を育てていくのは、あくまでもそこに集う人々。その前段のところでいかに丁寧に課題を探り、集いたくなる魅力を注げるかが重要だといいます。そしてその魅力は、役割を固定しない「余白」から生まれるものだと、お二人は続けます。

―I:場所に決まった役割や枠組みをつくってしまうと、「こうあるべき」という理想や正しさが押し付けられるような価値観が持ち込まれてしまうんです。そこに縛られすぎると不自由になる。だから、意味や役割を固定しない、ということは意識しています。

―U:岩沢兄弟が手がけられた「HAPPY TURN/神津島」のプロジェクトも、最初から何をする場所なのか定めないまま拠点づくりが進められていましたよね。けれど、そのように役割を定めなかったからこそ、多彩な場の使われ方が展開され、魅力ある場所が生まれています。

―S:「はっぴーの家」が看板を掲げていないのも、100人いたら100通りの使い方をしてもらえれば良いと思っているから。訪れる人たちも、肩書や役割を気にせず「お互いがお互いにどうでもいい」というゆるい関係が心地良いそう。いわさわさんの家族のエピソードでも語られた「役割はあるけど固定しない」という表現は、場所にも人にも通ずるキーワードで、まさに真理だなと思いました。

枠組みをとかしていく

「家族」について考えるとき、そこには老いや介護、育児や住まいなど、さまざまな課題がついてまわります。さらに社会の状況や生活環境も変化していくなかで、私たちはそれらの課題とどのように向き合い、どんな視点のもと、「家族」との関係を見つめることができるのでしょうか。
首藤さん、いわさわさんの実践を紐解いていくと、家族やコミュニティ、場所などに対するアプローチは、いずれも「他者を介入させる」「固定しない」といった、ある枠組みをゆるやかにほどき、溶かしていくような方法にたどりつきます。そうすることで、これまで抱えていた課題が自分だけの固有のものではなくなり、他者に共有され外にひらかれていく。縛られていた枠組みから解かれて、自由に振る舞うことができる。「こうあるべき」「こうでないといけない」と規定するのではなく、大切なのはそのとき、その状況に合わせて一番心地良い関係にかたちを変えていくこと。そうした視点を得ることで、「家族」という関係はいつでも更新しつづけることができるものなのかもしれません。今回のディスカッションで生まれた対話から、そんな可能性を感じることができる時間となりました。

執筆:花見堂直恵
撮影:齋藤 彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

どこまでが「公」? どこまでが「私」?―まちを使い、楽しむ暮らしをつくる

開催日:2020年1月29日(水)
ゲスト:mi-ri meter(アーティスト/建築家)阿部航太(デザイナー/文化人類学専攻)
モデレーター:上地里佳(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

「いまの社会で、これからの実践を立ち上げるための新たな視座を獲得する対話シリーズ」として全4回にわたってひらかれる対話の場「ディスカッション」。2019年度は、アーツカウンシル東京プログラムオフィサーの上地里佳が企画・モデレーターを務め、「これからの東京を考えるための回路をつくること」を試みます。
第1回(令和2年1月29日)のテーマは、「まちを使い、楽しむ暮らしをつくる」。公共空間に関わるプロジェクトを多く手がけるユニット・mi-ri meterと、文化人類学的なアプローチを持ちながら多岐にわたるデザインワークを行う阿部航太さんの2組をゲストに迎えます。

「私たちTARLで扱っているアートプロジェクトはまちなかで実施することが多くあるのですが、なかには“公共性”の問題や課題について考えさせられる場面に出くわし、立ち止まることがあります。そういったときに物事をどう整理すればいいのかという問いが、このディスカッションを開催するきっかけになりました。
 もうひとつ、個人的なことなのですが、私は沖縄・宮古島の出身で将来的には故郷に帰ってアートプロジェクトを立ち上げたいと思っています。そのとき、どのように自分の暮らしをつくって、まちと関わっていけばいいのか迷っています。今日は、その2つについて、一緒に考えていきたいです」(上地)

モデレーターの上地による、このディスカッションにあたっての想いが語られた後、ゲストがお互いにこれまでの活動を紹介しながら、それぞれの知見から「公」と「私」の関係性、そして役割について考えました。

建築から都市をみる:mi-ri meter

mi-ri meterが活動をスタートしたのは、2000年。日本大学芸術学部で建築を専攻していた宮口明子さん(左)、笠置秀紀さん(右)は、在学中から行っていた公共空間に関わるプロジェクトを続けるため、卒業後に2人でmi-ri meterを立ち上げました。

「mi-ri meterは建築設計を基本業務にしながら、それだけにこだわらない活動をしてきました。都市にまつわるセルフプロジェクトを発足したり、地域アートに関わったり、ときにはアートユニットとして芸術祭に招致されることもあります」(笠置)

2000年から、40に及ぶプロジェクトを発足した。

ジベタリアン、屋外電源コンセント、グラフィティ、酒屋のコンテナ、渋谷の花壇……都市で過ごすなかで気付いた違和感や兆候に反応して、プロジェクトを立ち上げることが多いmi-ri meter。20年間の活動を振り返ると、「さまざまなタイプのプロジェクトが大量にあるので、一見何をやっているかわからない(笑)」と話しつつも、綿密なリサーチとフィールドワーク、そして『建築から都市をみる』という視点はすべての活動に共通しています。

「建築やアートのような小さい視点から都市を見て、公共空間を個人に取り戻す、ボトムアップでまちを取り戻すということは世界各国でも同時多発的に行われてきました。一方で数年前からは都市計画の分野でも『タクティカル・アーバニズム』や『プレイスメイキング』という言葉で、小さいことからまちを変えていく動きが活発化しています。私たちもそういった潮流の中で、これまでの知見を社会に実装するために2014年から『小さな都市計画』という法人をつくりました」(笠置)

空間に作用するビジュアル、サインとグラフィティ:阿部航太

2009年から2018年にわたってデザイン事務所で働き、サインデザインの設計・制作に従事していた阿部航太さん。デザイン事務所を退職後、1年間南米に赴き、そのうちの半年間はブラジルに滞在し、現地のグラフィティ・カルチャーを追いかけたそうです。

「僕は、昔から空間とビジュアルの関係に興味がありました。デザイン事務所で働いていたのも、ブラジルのグラフィティ・カルチャーに惹かれたのも、それがきっかけにあります。そもそも日本のグラフィティをあまり意識したことはなかったので、こんなにもまちに溶け込んでいるブラジルの路上を見て、『そもそもなんでグラフィティって悪いんだろう、「まち」は誰のものなんだろう』と考えるようになりました」(阿部)

ブラジルの4都市を巡り、5人のグラフィティライターに取材・撮影を行った映像作品「グラフィテイロス」

ブラジルの公用語であるポルトガル語では「グラフィテイロ」と呼ぶように、日本の「グラフィティ」とは社会のなかでの立ち位置も異なるといいます。阿部さんはブラジル滞在中に現地のグラフィティライターを取材・撮影し、およそ70分の映像作品を制作。この日は20分に再編集したものを上映しました。そのなかでグラフィティライターたちは、自らの活動について自分の言葉で語ります。

「映像のなかで『雨や風、自然のものと同じように、ストリートは人のものではない』という話がありました。『誰のものか?』というものへの模範解答としては『みんなのもの』という意見が出がちですが、その問答は何も答えていないに等しい。この人の場合は、『ストリートは、ストリートのものなんだ』と言い切り、僕はなぜか腑に落ちました。それは、今回のテーマの『公』や『私』という話につながるのではないかと思います」(阿部)

「商」と「公」の対立構造?

2組の活動紹介を経て、いよいよディスカッションへ。阿部さんによる、ブラジルのグラフィティライターたちのドキュメンタリー映像から、「グラフィティ」をキーワードに話が展開されていきます。

―mi-ri meter笠置さん(以下、K ):映像の途中、ひとりのグラフィティライターが街路樹の実をとって、阿部さんと分け合って食べるシーンが印象的でした。そこで思い出したのが「自然享受権」という権利です。北欧には、自然に生えているものは採って食べていいし、誰かの所有の森であっても泊まってもいいという、自然を享受する権利があるんです。そこから「都市享受権」というのを空想しながら見ていました。そうしたら、壁の見え方も変わるのかもしれないなと。

―阿部さん(以下、A):確かに、享受という意識は彼らにもあります。ブラジルのグラフィティライターへ取材するなかで「グラフィティはいちばん民主的なアートだ」という言葉を聞きました。市民間の格差が大きく、美術館に行くことが難しい人々も多くいるブラジルでは、グラフィティは無償で享受できるアートでもあります。

―上地(以下、U):mi-ri meterは活動のひとつに「JGRF Graffiti in Japan」という、都内を中心にグラフィティの写真を集めて公開するサイトの運営もしています。

―mi-ri meter宮口さん(以下、M):そうなんです。mi-ri meterを立ち上げて間もない頃、都市を家に見立てて居心地の良い場所を探していたとき、気になる場所の多くにグラフィティを見つけました。その頃からグラフィティに注目するようになり、立ち上げたプロジェクトです。印象深いのは、当時QPという家のようなマークを用いた作風のライターを行く先々で見つけたのですが、後から知るところによれば、彼も都市のなかでも居心地の良い場所にボミング(落書き)していたといいます。つまり、都市に対して私たちと同じように感じているのだなと。

「家」という個人的なスケールに置き換えて都市を見つめ直した結果、そこにはグラフィティライターたちの仕事が先にあった。この話を受けて、阿部さんは、グラフィティという行為はまちを自分たちのものに取り戻すアクションになっていると語ります。というのも、ブラジルでは廃墟が乱立する危険なエリアにグラフィティが描かれることで、おしゃれなスポットとして認識されるような現象が起きているそう。グラフィティという極めて「私」的な活動が、「公」に大きな影響を与えているといいます。

―A:このディスカッションには、「公」と「私」というキーワードがありますが、僕自身はその間に対立構造はないと思います。むしろ商業、「公」と「商」のかみ合わせの悪さを日々感じています。いま都心部で展開されている都市計画のなかには、必ず商業施設がありますが、それが公共性を阻害しているんじゃないかなと思うんです。

―M:確かに、商業がはびこっているとまちがあまりにも管理されて余地がないです。グラフィティをイリーガルに行うのは行き過ぎかもしれませんが、個人が「勝手に」何らかの活動を行うのは本来当然で、あるべき姿だと思います。

都市が綻びはじめるとき

まちに住む人々が、自分で考えて「勝手に」まちを組み替えて、居心地良く住むこと。阿部さんは、クリエイターすら介在せずに、「公」や行政などの機関が、その大本の環境づくりを担うことを期待しているといいます。

―A:ブラジルでグラフィティが盛んな要因のひとつに、条例規制で屋外広告がほぼなくなったという背景があります。広告がなくなった代わりに、依頼主のもとグラフィティライターが合法的に描く、大型の「プロジェクト」が出てきた。制度や「公」の土台づくりをきっかけに、まちに新しいアクションが起きて、それぞれを認め合っていくという流れがすごく重要な気がしています。

―K:最初から最後まで「公」の管理下ではなく、環境や土台のところに注力した、一歩引いた施策があるといいですよね。

―U:「公」が、何かアクションを起こすためにあってほしい、というのにはすごく共感します。私たちがアートプロジェクトで大事にしているのは、違う文化や価値観に出合う機会をいかにひらいて いけるかという点です。けれど公的な機関と関わる以上、「これは不快感を覚える人がいる可能性があるからNG」というようなジャッジが付きまといます。どうしたらもう少し間口を広げられるか、常に突きつけられている課題です。

ディスカッションも終盤、グラフィティを発端にした「公」と「私」の話を受け、参加者から質問とともに自身の素敵なエピソードが語られました。

―会場からの質問:場所は、本来の目的性を失うと「公」に寄るのでしょうか。かつて電話ボックスがあったところに公衆電話の台だけが残っている場所を知っているのですが、この前、その台を使って子供 のおむつを替えている人を見かけて、すごくいいなと思ったんです。

―K:場所の読み替えができていますよね。場所に対して、凝り固まった考えがない。住宅にも「リビング」「ダイニング」とありますけど、使い方はそれだけじゃない。時として、市民、ユーザーは、ワイルドに場所を読み替えて活用しています。

―U:「場所の読み替え」というのは、大事なキーワードですね。与えられたものをそのままに受け入れるのではなくて、自分で読み替えながら活用するスキルやリテラシーを養うことが、「公」に縛られずに暮らしやまちを心地よく過ごすためのキーワードなのかなと思いました。

―A:「公」に縛られるのではなく、「公」を自らつくっていかないといけないですよね。電話ボックスの跡地でおむつを替えるのも、「公」をつくっていく行動のひとつだと思います。

―K:都市が綻びはじめたときが、いちばん楽しいと思うんです。電話ボックスを取り除いて、昔だったら台まで撤去されるはずのところが、恐らく費用の問題で取り残された結果、おもしろい動きが生まれる。阿部さんの映像にあった、ブラジルのグラフィティが溢れている路地裏の空間は、決して金銭的には豊かではない地域のなかの綻びのような場所だけれど、本来の意味でとても豊かな気がします。

うねる、「公」と「私」

私たちが、まちのなかでより居心地よく過ごすためには、何を心がければいいのでしょうか。
mi-ri meter、阿部さんの両者は、社会実験やワークショップ、まちづくりを通じて、「私」に対してまちを読み解くたくましい視点と活動性を身につけることを促しています。一方で、「公」による「私」を活性化するような施策が公布されれば、新しい局面がひらかれる ことを期待できるかもしれません。
ブラジルで起こっている事例でいえば、「公」による施策がまちにグラフィティを増やすきっかけになり、その結果、グラフィティという「私」的な営みが、まちの綻びともいえるようなエリアをポジティブな場所へ転回することになりました。
このディスカッションを経て、「公」と「私」は相互関係にあり、うねり、日々影響し合っていることが浮かび上がってきました。 ときに「商」という強力な要素が影を落とすことがあっても、「私」という小さな波紋が積み重なり、大きな波になり、また都市を循環していくのでしょう。上地から冒頭で問いかけられた、「まちのなかで自分の暮らしをつくり、関わっていく方法」、そのひとつとして場所を読み替え、「公」をつくる、能動的な態度が必要なのだとあらためて気付かされました。

執筆:浅見 旬
撮影:齋藤 彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

FIELD RECORDING vol.04 特集:出来事を重ねる

『東北の風景をきく FIELD RECORDING』は、変わりゆく震災後の東北のいまと、表現の生態系を定点観測するジャーナルです。

東日本大震災を経験し、だんだんとほかの土地の厄災の経験に気がつくようになりました。同じような課題を見出し、取り組む手法への共感をもつ。そうして双方が学び合うように導き出させる視点は、まだ厄災を経験していない人々にとっても意義があるかもしれない。そして、時間が経つことで遠くなってしまう震災の経験を、遠くの人々と共有するための糸口になる可能性もあるのではないでしょうか。

vol.04の特集「出来事を重ねる」では、東北のいまに、ほかの厄災を重ねてみました。

もくじ

はじめに

Prologue
八巻寿文さんにきく[後編] 言葉/自然

Dialogue
秘密の置き場所 高森順子×瀬尾夏美

Coversation
白地の持つ豊かさに気づく 気仙沼 リアス・アーク美術館に山内宏泰さんを訪ねる 山本唯人

途中の風景、その続き 松本 篤

厄災からの表現
チリのアルピジェラ/山川冬樹 ≪歩みきたりて≫
2010年代の『原爆の図』と記憶の伝播 岡村幸宣

わたしの東北の風景
編集後記 佐藤李青
参加者一覧

FIELD RECORDING vol.03 特集:経験を受け渡す

『東北の風景をきく FIELD RECORDING』は、変わりゆく震災後の東北のいまと、表現の生態系を定点観測するジャーナルです。

震災を体験していない人々と、どのように当時の経験を共有するか。そうした問題意識は、時間が経つほどに切実さを増しているように思います。次の世代やほかの土地の人々が同じ経験を繰り返さないために。あのときのことを忘れず、思い出せるようにするために。経験が語られるとき、それが受け渡されるきき手の存在が求められます。震災後の東北では、さまざまなきき手が、この地を訪れ、耳を傾け、ときに語り手となり、状況に伴走するようにこれまでの時間を過ごしてきました。いま、その関係性が変わっていくときなのかもしれません。

vol.03の特集「経験を受け渡す」では、現在と過去、異なる土地を行き来しながら、継承について考えてみました。

もくじ

はじめに

Prologue
八巻寿文さんにきく[前編] サークル/芸術/タプタプ論

Dialogue
『二重のまち/交代地のうたを編む』を見ながら 宮地尚子×宮下美穂

Production Note
旅人を撮る 小森はるか

Conversation
復興を待ちながら 川内村と飯舘村を訪ねる 萩原雄太

小さな声、たくさんの声 小川智紀
小川智紀 Twitter 2011→2017

東北からの表現
博物館として、震災遺産に向き合う 筑波匡介

わたしの東北の風景
編集後記 佐藤李青
参加者一覧

アーティストは何をつくっているのか?

第3回 アーティストは何をつくっているのか?

開催日:2019年9月25日(水)
ゲスト:アサダワタル(文化活動家/アーティスト)
ナビゲーター:佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

2019年度で10年を迎えた東京アートポイント計画を解剖する、レクチャーシリーズの最終回。ゲストは、文化活動家/アーティストのアサダワタルさん。これまでたくさんのアートプロジェクトの現場に携わってきたアサダさんの実践を紐解きながら、複数年の時間をかけることで、アートプロジェクトの現場では何が起こるのか?新しい手法や未見の表現を扱う「創造」活動を軸に掲げる文化事業において、どのように「アート」を語っていけば良いのか?アートプロジェクトの実践を語るための「ことば」を紐解きます。

■「アーティスト」とは何か?

このレクチャーシリーズの読本『これからの文化を「10年単位」で語るために-東京アートポイント計画 2009-2018-』の1章「中間支援の9つの条件」にある「9 アーティストに学ぶ」(p64〜69)のテキストをもとに、レクチャーがスタートしました。

ここでは、プロジェクトにおけるアーティストの役割が詳しく紹介されています。その具体的な事例としてあげられているのが、文化活動家/アーティストのアサダワタルさんが軸となったプロジェクト「小金井と私:秘かな表現」の3年間の活動。ナビゲーターでアーツカウンシル東京のプログラムオフィサーである佐藤李青が冒頭の部分を読み上げながら、東京アートポイント計画が考える、アートプロジェクトにおけるアーティストやアートについて共有しました。

「小金井と私:秘かな表現」のプログラムを紹介。

アートプロジェクトの中核を担うアーティストは「人」を対象とすることが多い。かたちのある「もの」をつくるのではなく、さまざまな人とともに「こと」を生み出すことを表現行為の目的とする。その成果は作品というよりも「活動」といったほうが近い。アーティストの構想を起点に、さまざまな人が創造的な活動にかかわり、アイデアやスキルを持ち寄り、当初の構想を変化させながらかたちにしていく。あらかじめアーティストに構想があることよりも、まずは地域を訪れ、リサーチからはじめることも多い。そしてその過程は、アーティストの指示の下で動くのではなく、活動をともに動かす人々との水平的な関係性のなかで物事が展開していく。
アーティストは人々を呼び込み、巻き込んでいるように見えるが、アーティストも自らが生み出した状況に巻き込まれていくのが特徴だろう。このときのアーティストの創造性とは、さまざまな人々のかかわりを生み出す仕掛けや場づくりを行うことで、一人ひとりのなかにある創造性を触発し、結果的にかかわった誰もが予見し得ない出来事を生み出すことにある。
——『これからの文化を「10年単位」で語るために-東京アートポイント計画 2009-2018-』、p65より

東京アートポイント計画では、これまで多くの場面でアーティストが先導役として活動を牽引し、同時にそのやり方を学びながら事業を展開してきました。「小金井と私 秘かな表現」でアサダさんは、「記憶」という自身の持つテーマや、ちょっと謎に満ちた枠組みを投げかけることで参加者の発想を飛躍させ、ひとりでは考えられないようなことを人々のなかに呼び起こしていきます。佐藤はそれを、「アーティストの構想を実現するのではなく、かかわった人それぞれが、日常をよりよく生きるための創造的な術みたいなものを獲得していくという状況。それは、アーティストが持っている技術や視点を受け取ることなのかもしれません」と説明しました。
アサダさんにマイクが渡り、2016年から福島県いわき市で続けている「ラジオ下神白(しもかじろ)」について話が移ります。

■「いま」「ここ」に必要なメディアを考えた、福島の復興住宅でのプロジェクト

アサダさんは簡単な自己紹介のあと、「ラジオ下神白」プロジェクトメンバーの小森はるかさん(映像作家)が制作したドキュメンタリー映像を流しました。ひとりのおばあさんの歌声からはじまる静かな映像。「ラジオ下神白 あのとき、あのまちの音楽からいまここへ、下神白団地住民のみなさま、こんにちは」というアサダさんの声。そのあとは団地住民(ご高齢の方が多いよう)のところへアサダさんたちプロジェクトメンバーが訪ねて行き、話を聞きながらラジオを収録するさまが記録されています。映像の最後には、住民の思い出の曲だという『青い山脈』を合唱する若者たちが映ります。


「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」ドキュメント

舞台は福島県営の復興公営住宅「下神白団地」。1号棟から6号棟まであり、住民はもともと、1、2号棟が富岡町、3号棟が大熊町、4、5号棟が浪江町、6号棟が双葉町という、帰宅困難区域を含むエリアに住まわれていた方です。当初は200世帯が入りましたが、現在は150世帯ぐらいに減りました。

アサダさんがこのプロジェクトをはじめて、今年で約3年が経ちます。2016年、「住民同士の交流づくりをするためにアーティストが入る」ことになり、東京都、アーツカウンシル東京による「Art Support Tohoku-Tokyo」という枠組みで、現地NPOと協働したプロジェクトの一環として、アサダさんはこの下神白団地にやってきました。アサダさんがきたときには、すでに複数のNPOなどが住民同士の交流を目的にした活動をしていましたが、「イベントや団地の集会場に来る人が限定されている」という課題がありました。

ラジオや音楽を軸としたメディアを使ってつながりをつくってきたアサダさんは、これまでの経験を生かして、「この団地のなかだけで流通するラジオをつくろう」と発案します。「そのラジオには住民の声が詰まっていて、この部屋にはこういう住民が、こういう思いで住んでいる、ということが共有できるような番組ができたらいいのではないか」「被災したときの状況や、なぜここに住んでいるのかといった話題は、これまでもたくさん話されているだろう。もともと住んでいらっしゃった町の思い出を、その人となりと一緒に紹介する番組ができないか」と提案されたそうです。

■できないことをポジティブに捉える

「ラジオ下神白」のラジオCD。

いよいよラジオをつくるために動き出しますが、山間にある下神白団地の電波状況は悪く、そもそも電波を飛ばすことも難しいため、「ラジオをつくろう」というアイデアは一筋縄ではいきませんでした。しかしアサダさんはそのことをポジティブに捉え、「ラジオは聞いている住民の顔が見えず、どういうふうに聞いてくれているのかも分からない。だったら、直接会って渡して、反応も分かるかたちにしよう」と声を電波で飛ばすのではなく、CDに録音をした「ラジオCD」というものを考えます。

住民の方のお宅に伺い、思い出の曲と、その曲にまつわる思い出話を聞き、その様子をラジオCDに収録して、一軒一軒に届けてまわることをはじめます。そうするとひとつの曲や思い出話がきっかけとなり、人から人に思い出が伝播していくような体験が生まれたそうです。アサダさんは、この記憶を呼び起こすきっかけを「想起のボタン」と呼んでいます。それが次の口実になりまた話を聞く、そうした連鎖や循環が生まれていきました。

「ラジオ下神白 ラジオCD 第1集」。

現在は「第6集」まで完成しています。各集でテーマがあり、第1集の特集は「常磐ハワイアンセンターの思い出」。団地の役員さんと話をしていたときに、「常磐ハワイアンセンターに子供をよく連れていったよね」といった話が出てきたので、その話をメインにした特集になりました。相互交流も目的に、さまざまな工夫も凝らしています。例えばCDのケースには「リクエストカード」が入っています。このリクエストカードに聞きたい曲を書いて、集会場の前の黄色いポストに入れる。それをアサダさんたちが読み、次の制作に生かすことも行っています。

■表現やアートがつくりだすコミュニティ

こうしたつながりが生まれていく一方で、集合住宅に住み慣れないことや、もとの土地に帰りたいという思いから、悩みながらも下神白団地を出て行く住民の存在が徐々に見えてきました。アサダさんは、この経験から考えた「コミュニティ」を次のように語りました。

「表現でできるコミュニティって何だろうと思ったときに、僕は感性とかに訴えることによって、人と人との関係性が新しく変わっていくことなんじゃないかなと思って。それが表現のできることなんじゃないかなと思っていて。表現による感性のシェアからコミュニティ感を問い直していこうということで、僕がすごくこのプロジェクトにかかわっていていつも悩ましいのは、コミュニティをどこからどこの幅で捉えるかということです」

当初は住民間の交流のためのプロジェクトでしたが、状況が刻々と変わるなかで、この場所を出て行った方々の存在がアサダさんのなかで日に日に大きくなっていきました。「出て行った方々は、もうこの団地の『住民』ではないのだろうか」。いまこの場所にいるかいないかではなく、いろんなかたちで人と人はつながっている。改めてこのプロジェクトがつくる「コミュニティの幅」を考えたときに、アサダさんは「拠点にこだわらず、この場所を出て行った方も含めて考えたほうが良い」という思いに至ります。
復興が進み、物理的な下神白団地というコミュニティは、閉じる日が来る可能性もゼロではありません。「ラジオ下神白」が、表現やアートを扱う活動として、「コミュニティという考え方をちょっと変えていけるような取り組みになったら良いな」とアサダさんは考えはじめます。

■世代も土地も超えて体験を共有することはできるか?

団地住民からお話を聞く「伴奏型支援バンド」のメンバー。

さらにアサダさんは20代後半のプロジェクトメンバーから、重要なヒントを受け取ります。「ラジオ下神白」に登場する方々(団地住民は80〜90代の方が多い)がいくら思い出の曲について話しても、世代の異なるプロジェクトメンバーたちにとっては知らない曲ばかり。でも彼女はこう話しました。「みなさんの思い出の曲を聴いているうちに、いろいろな感情があふれてきました。過去の思い出は絶対で、確かにあのときを過ごしたという確信のようなものがいまの自分を支える自信にもつながっている気がします。みなさんのライフヒストリーを聞きながら、誰かの人生にタイムスリップするのもすごく楽しいです。下神白だけではなく、若者にもちゃんと届いています」。

アサダさんはこの言葉がきっかけに、「ラジオ下神白」は土地も世代も超えて、震災を経験した人たちの体験を共有できるメディアではないだろうか、と思うようになります。そこで2018年12月、アーツカウンシル東京ROOM302(東京)に来場者を募り、「REC⇄PLAY ある復興団地の『声(風景)」をなぞる 『ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへの報奏会」という企画を行いました。「報」告会でもあり、演「奏」会でもある、離れた場所にいる人にも「感性に訴える」プログラムができないかと考えて、これまでのラジオをみんなで聞いたり、リクエストに出てきた曲をその場で生演奏したりしながら、ラジオごっこのようなこともやりながら、最後は団地住民の方の思い出の曲『青い山脈』をみんなで歌いました。

さらに一歩先に進んで、アサダさんは東京と下神白を行き来する仕組みづくりを「伴奏型支援バンド」(団地住民の思い出の曲を、住民の歌声の後ろで演奏する。活動拠点は東京だが、数回現地訪問も行った)というかたちで実現しました。バンドメンバーは実際に住民の生の声を聞き、思い出や人柄に触れることによって、「被災した人」という情報や知識を超え、記憶と現在をつなぐ表現を模索しはじめます。アサダさんは話します。

「もちろん住民のためという思いもありますが、それだけではなく、住民によって立ち上がる何かを別の人が受け取る。新しいコミュニティを育むには、その重要性があると思っています。支援されるはずの被災地に住む方が、東京の若者を支援することが、このプロジェクトで大事ではないかと。そこで有効なのは、表現ではないかと考えています」。

■アートとは、言葉にならないものを伝える力

後半は佐藤も加わり、対話が続きました。「ラジオ下神白」について紹介するときに、手紙や映像をつかったり、さまざまな言葉を引用した理由を佐藤に尋ねられ、アサダさんは「言葉だけでは伝えられない雰囲気をどう伝えるか? 手紙を朗読したり、映像を見せたり、一瞬音楽をかけることによって、その場に起伏が生まれます。ただスライドを見せたり、ひたすらしゃべるのとは、また違う動きになるかなと思っています」と語りました。「今日、この場のテーマは『時間をかけて言葉をつくっていく』ということだと思いますが、僕自身は言葉をつくる行為と、体験をする行為は、決して逆のことではありません。むしろ双方的に、お互いを補い合うものかなと思っています。やはり言葉だけでは分からないこともある。でもなかなか名付けようのない体験を、あえて言葉にすることで解像度は上がります」。

最後に来場者から、「アサダワタルさんの考えるアートについて、もう一度お聞かせください」という質問を受け、アサダさんは2015年から3年間にわたって東京・小金井市で取り組んだ「小金井と私:秘かな表現」でのプログラム「想起の遠足」にて、参加者に配ったテキストを読み上げました。テキストは2年前に書かれたものですが、この思いはいまも変わらずにあるそうです。

「みなさんにかかわっていただく想起の遠足のジャンルを強いて言えば、それはアートプロジェクトと言われるものです。一般的に参加型アートや、地域アートといった言葉で全国各地の地域コミュニティを舞台に展開される文化事業のことを言いますが、僕は思うに、アートプロジェクトの最大の特徴は一人ひとりの私の表現が、別の私と、さらに別の私、つまり他者同士で触発しながら、じわじわとそれらが編まれていき、やがて、誰がやったの、誰の表現なのという主体自体が、いい意味でボーダーレス、シームレスになっていく。その運動のダイナミックさが見られる点にあると思います。そして、それは世間で言うところの市民活動と言われるものと、実は非常に親和性が高いと。このプロジェクトは決して原発反対とか、平和な社会をという明確な社会的メッセージを持って活動するものではありません。が、しかし、実は何かはっきりとした言いたいことがある、提起するべきものがあるという内容以前に、人が当たり前のように私の生を自発的に表していく、その態度自体がどこかでときに煙たがられたりとか、世の中という暗黙のルールのなかで忘れ去られたり、大人になるに連れて、さまざまなしがらみのなかで、自分自身に、実は眠っている内なる声に耳を傾けられなくなったりすることに対する、ある種の抵抗なのではないかと思います。そして、その一見穏やかで柔らかい抵抗といった何かを、アートプロジェクトという枠を使いながら表現する。それが、そもそも『想起の遠足』である前に、なぜこんな一見訳の分からないことを、わざわざ立ち上げるのかという根っこにある思いです。」

言葉と実践が循環していくようなアサダさんの活動から、言葉にこだわってきた本レクチャーシリーズに通じる問いかけを得るような回となりました。

文:関川歩
編集:佐藤恵美
撮影:齋藤彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

*本レクチャーで使用した書籍『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』について、こちらのページでご紹介しています。PDF版は無償公開、印刷版はオンラインや各地の書店様等でのご購入が可能です。現在は、PDF版のみ公開しています。

アーカイブを再生(play)するーデメーテル・ステーション

アートプロジェクトの持続的な「組織」のあり方を記録から探る

アートプロジェクトの持続的な運営に必要な「組織」のありようとは、どのようなものでしょうか? これまでの実践のアーカイブを紐解き、声を集め、いまに必要な視点の抽出を試みます。

1990年代に萌芽し、2000年代以降に広がった日本各地のアートプロジェクトや芸術祭。2020年代を迎える現在、数十年にわたって継続してきた「組織」の事例も増えてきました。今回は、2019年に設立30年を迎えたP3 art and environment(1989年設立、代表:芹沢高志)に焦点を合わせ、その活動の転換点となった、とかち国際現代アート展「デメーテル」(2002年)に着目します。

2018年度の「アーカイブを『再』起動する」の議論をもとに、関係者へのアンケート、インタビューなどを通して、当時の記録の収集と読み解きを行い、この一連の活動を架空の編集室「デメーテル・ステーション」と見立て、P3が所蔵する「デメーテル」の運営資料を起点に議論を重ねます。

詳細

進め方

  • アーカイブ資料の調査
  • 組織の沿革を整理
  • 関係者インタビュー
  • 関係者のエピソードを収集

Artist Collective Fuchu[ACF]

「誰もが表現できるまち」を目指して

郊外にある府中市に暮らす職種も年齢も多様なメンバーが集まり、身近なところにある「表現」を通して「だれもが表現できるまち」を目指すプロジェクト。異なる視点に触れ、互いの違いを尊重し、自由で活発な表現ができる土壌づくりを行っている。行政や企業、市民などさまざまな役割をもった人たちと連携し、プロジェクトを実施している。

実績

NPO法人アーティスト・コレクティヴ・フチュウ(以下、ACF)は、アートや表現活動に関心をもった人たちが集まったネットワークから生まれた。2019年度に開始した「nullー自由な場所とアートなことー」では、場所とテーマを変えて、参加者同士が交流するコミュニティづくりを行ってきた。2020年度はコロナ禍によって活動をオンラインに移行したが、2021年度には事前に一定期間、オフラインの会場でエピソードを集め、それをもとにオンラインで交流の場をつくる形式のプログラム運営も行った。

府中エリアのコミュニティFM放送局と連携した番組『おとのふね』では、毎月第1火曜日に、府中にゆかりのあるゲストに話を伺っている。2020年度からは、市内を中心に配布するかわら版『かみひこうき』を年2回ほどのペースで発行し、府中のおもしろい人や場所を紹介している。ローカルに流通する情報は、市内だけでなく、近隣地域の人々のかかわりを呼びこむきっかけになっている。

2021年度からは府中市の市民提案型協働事業として、「ラッコルタ-創造素材ラボ-」を始動。企業から不要な部材の提供を受け、アーティストのワークショップなどに活用する仕組みづくりとして、第一弾では市内にある株式会社TOKIO Labから提供を受けたダンボールチップを使い、美術家・三木麻郁がオンラインワークショップと展示を行った。小さな部材を組み合わせ、自由にかたちをつくることができ、素材として扱いやすいダンボールチップは、市が主催するフェスティバルへの出展や市内外の学校教育の現場でも活用されている。ほかにも市内外の企業から反響があり、さまざまな部材が提供されており、素材の収集と活用の循環をつくるプログラムの運用方法が課題となっている。2023年度には市主催の生涯学習フェスティバルや、都主催の多摩東京移管130周年イベント等でワークショップを行い、好評を博した。企業や福祉施設、教育施設などからの相談も増え、新たな協働者との出会いにつながっている。

近年は、プログラムが多岐にわたり、チームごとの動きが活発化していくなかで、活動を集約する拠点づくりにも手を伸ばしている。2022年度には、ACFで大東京綜合卸売センター(府中市場)の一画を暫定的に利用して「やど(仮)」というスペースをひらいた。2023年度は、ラッコルタのアーティストワークショップで現代美術家・岡田裕子とともに「モノモノローグ」を開催。参加者がさまざまな素材に触れて対話をしながら「想像」を膨らませる映像作品が生まれた。リサーチプログラム「まなばぁーと」では、持続的な活動を続けていくために「ロジックモデル」をつくり、これからの活動指針を専門家とともに見直した。そのほか、地域FMでのラジオ番組『おとのふね』の定期配信(月1回)や、かわら版『かみひこうき』の発行(年1回)など定期的な情報発信を続けている。今後も活動を継続的に地域に定着させていくため、行政や企業とのより強固な連携体制づくりを試みていく。

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