ディスカッション「災間の社会を生きる術を探る」|ナビゲーターメッセージ(宮本匠)
現在、参加者募集中(7/28申し込み締切)のディスカッション「災間の社会を生きる術(すべ/アート)を探る」。本プログラムのナビゲーター・宮本匠さん(兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科准教授)のメッセージをお届けします。
「ポスト・コロナ」、「コロナ後の世界」、書店をのぞけばこんなタイトルの本が並んでいます。この1年半、僕もこれらの言葉を耳にし、それなりの関心をもって接してきました。「ポスト・コロナ」という言葉にこんなにも魅せられたのは、コロナ禍の苦難の先にある希望を語りたいという意味以上の理由がそこにはあったような気がします。
それは、僕たちがうすうす気づきながらも、見なかったことにして、看過しようとしていること、つまり、この危機に実は終わりがないのだということを「ポスト・コロナ」という言説が覆い隠してくれるからだったのではないでしょうか。「いつか終わりはあるんだよ」と。だからこそ、僕たちはそれに飛びつき、救いを見出そうとしたのではないでしょうか。
けれども、最も重要なことは、もはや僕たちの社会に「ポスト」は存在しないということに気づくことではないでしょうか。僕たちの社会には、もう何かの「後」っていうのはなくて、僕たちはひたすら「終わりの中」を生き続けなければならないのではないかということです。
「終わりの中」を生きることは大変苦しいことでしょう。けれど、このような人間の存在を根底から揺るがすような時にこそ、人間は文化でもって、芸術でもって、生き抜いたり、やりすごしたりしてきたように思います。筑豊の炭鉱の中で、死と隣り合わせの中で交わされていたのが笑い話だったという上野英信の「地の底の笑い話」で生き生きと語られているように。
「終わり」の中にあるからこそ見える輝きがあるように思います。「終わり」のなかにあるからこそ獲得できる解放もあるように思います。でも、そのためには、「すべ」が必要です。その「すべ」は、危機的状況におかれた被災地や、社会を斜めから見ることを通して「もうひとつの社会」を見出してきたアートにヒントがあると確信します。
危機をのりこえるには、一部の専門家やリーダーによる「力業」ではなく、ひとりひとりの多様な感受性に基づく「合わせ技」が鍵であるし、サステナブルだと思います。アート×災害にどんな可能性を見い出せるか。そんなチャレンジを皆さんと一緒にできたらいいなと思っています。
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