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スタディ1 「続・東京でつくるということ」ナビゲーターメッセージ(石神夏希)

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2019.07.17 レポート

「思考と技術と対話の学校」の東京プロジェクトスタディシリーズのナビゲーターのひとり、石神夏希さんよりメッセージが届きました。

東京プロジェクトスタディ1 「続・東京でつくるということ―わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する」では、昨年に引き続き、「書く(記述する)」ことを主軸に、「つくる」ことへの思考を深めます。
今年は、ナビゲーターが携わるアートプロジェクトを一つのケーススタディに、プロセスを含む表現に触れる機会や参加者が各自でテーマを設定し、それを基にリサーチ(観察)を行って、記述しながら思考することを重ねていく予定です。
私は何者で、なぜ、いま、東京でつくるのか。
ナビゲーターメッセージには、真正面からこの問いと向き合う石神さんの正直な思いが語られています。
ぜひ、ご一読のうえ、この取り組みや問題意識に共鳴する方々、文章を書きながらものごとを思考し深めていくことに興味・関心がある方、アートプロジェクトを人と共有したい、その伝え方を考えたい方々のご参加をお待ちしております!

スタディ1|続・東京でつくるということ―「わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する」


●石神夏希(劇作家/ペピン結構設計/NPO法人場所と物語 理事長/The CAVE 取締役)

「鹿、山、わたし」

大学生の頃、私の在籍していた美学の専攻では「芸術作品を記述する」という必修科目がありました。絵画や彫刻などを分析して論文を書くために、まず作品を言葉で描写するのです。

課題として取り上げられたのは、たしか水墨画か何かだったと思います。「前景には鹿が描かれ、後景には山が……」というように、描かれているものを言語化していくのですが、私は一行も書けませんでした。なぜか? 私には、鹿と山のどちらを先に書けばいいのか、分からなかったからです。

より正確にいえば、その順番を私が決めてしまうのは、あまりに恣意的だと感じました。だって、てにをはひとつでも、与える印象はずいぶん違います。絵画を描写した私の言葉が、むしろ絵画そのものを決定的に損なってしまうように感じて、怖くて書き始められませんでした。(手法そのものを批判しているわけではありません。私の幼さや拙さが、むしろ要因としては大きかったわけですが)

だからでしょうか。数年後に文化人類学、特に「参与観察」というフィールドワークの技法を学んだとき、新鮮な驚きとともに「あ、そうだよね」とホッとしました。

観察する自分を「透明なまなざし」ではなく、肉体を持つ存在として視野に入れること。対象が(絵の鹿ならともかく)生きている人間であれば、対象と観察者である自分とが影響を及ぼし合わずにはいられない、と認めること。そして、自分は常に変化する「不確かな観察者」であるという前提から始めること。

昨年から続くこのスタディでは、「東京でつくる」と「東京で暮らす」との関わりを通して、参加者それぞれの「いま東京でつくる理由」を考えています。今年は特に、具体的なアートプロジェクトを事例として、参加者の皆さんそれぞれが観察し、記述することを一緒にやっていきます。

ただし、アートプロジェクトや作品の記録は最終目的ではありません。「書く」を通じて「見つめる」ために、さらには「見つめている自分(の肉体)」を発見するために、書いていきます。

初めて集まるメンバー同士、共通言語をつくるため、10月には私が取り組んでいるアートプロジェクトも体験していただきます。ですが実際に「書く」対象としては、自分で主宰していたり、興味を持っていたりするプロジェクトを選んでいただいて構いません。

いずれにせよ、手ぶらで来て大丈夫です(銭湯みたいですね)。第一回と第二回では、たくさん話をする場を持ちます。そして、それぞれが何を考えているのか、何を感じているのか、今回は何を「書く(見つめる)」のかを一緒に考えていきます。私も先生や講師ではなく、自分の思考や過程を皆さんに開いて、もやもや、うろうろしていくつもりです。そんな迷い道・回り道を、一緒に歩いてくれる仲間をお待ちしています。

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